朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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今更ですが説明。その2。

Subliminal
→朝倉涼子の一人称




Subliminal2

 

 

 高校生活も折り返し地点を迎えようとしていた7月末の某日。

 一学期終業式のこの日もいつもと変わらず私は長門さんと彼を起こしに行く。

 おかげさまで随分な朝方人間となってしまった。一人暮らしで何かと家事が多いというのもある。

 こんな仕事も明日からは夏休みに入るためちょっと休業となる。恐らく文芸部のみんなでどこか遊びに行くとなれば2人とも私が起こしに行くでしょうけど。

 部屋を出た私はエレベータの上行きボタンを押す。先ずは長門さん。

 長門さんの部屋の前に着いた私はインターホンで呼び出しをする。これで暫くして出てこない場合は貸してもらっている合鍵で入って叩き起こすのだけれど、今日はどうかしら。

 待っているとドタドタという足音とともにガチャリとドアが開けられた。

 慌てて出てきた長門さんに挨拶する。

 

 

「おはようございます。長門さん」

 

「おはよう」

 

「昨日は何時に寝ました?」

 

「ええと……11時半」

 

 ということはギリギリ7時間睡眠か。うーん、日付をまたがないだけ大きく改善されていはいるけどもう少し早く寝てほしい。あまり口うるさくしてもかわいそうなので黙っておくけど。

 玄関を通してもらい、長門さんが支度を終えるのを待ち、その間に私は持ってきた昨日の残り物をレンジで温める。オーソドックスな筑前煮だ。

 それに茶碗いっぱいのご飯とインスタントしじみ味噌汁を添えて朝食が完成。

 

 

「いただきます」

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 私が言い終わると長門さんはすぐ料理にありつく。

 黙っているとものの数分で全て平らげてしまうため、しっかり噛むよう注意する。大食いな上に早食いではこの娘の20年後が心配だ。

 長門さんの朝食が終わると次は彼の番。

 昨日と変わらぬ時間でインターホンを押すと彼のお母様が扉を開け入れてくれる。

 彼のお母様も私に合鍵を渡そうとしたが、彼が知ったら微妙な反応をすると思ったため丁重にお断りした。

 なんて過去の話を思い出しながら階段を上り2階の彼の部屋に入る。寝ているのでノックは不要だ。

 カーテンを開け、陽の光が入るようになった部屋で彼の寝顔をじっと眺める。これは私だけの特権である。他にやりたがる人がいるか知らないけど。

 

 

「まったく」

 

 気が抜ける顔だ。

 何でも訝しんでくる彼の眼も、屁理屈ばかりを並べる彼の口も、この時間だけは機能していない。そりゃこっちも気が抜けるか。

 いつまでもこうしているわけにはいかないので布団をめくって身体を軽く揺さぶる。

 

 

「朝よ。起きなさい」

 

「んん……あぁ……おはよ、朝倉さん」

 

 ハムスターみたいに目をショボショボさせながら起きる彼。ハムスターと違って人畜無害じゃないけど。

 さて、後は外で待つだけだ。

 日陰に入り長門さんとお喋りしながら待つこと二十分弱、顔にかったるいという文字が見えるくらい覇気のない様子で彼が出てきた。

 そして3人で北高までの道を歩く。悪名高い坂道を上るのも慣れたものだが、この暑さともなれば額にじっとり汗が滲んでくる。

 校舎の中は外より幾分かマシだけど、清涼感は窓からの風頼みとなっているため彼に限らずゲンナリしている生徒は多い。

 まあ、今日は終業式なのだし変に肩の力を入れる必要なんてないでしょうし、私も咎めたりはしない。

 チャイムが鳴り、岡部先生が教室に入ってくるとすぐに体育館へ移動。学校長、PTA会長、学年主任が原稿用紙にしたためてきた素晴らしいお話を順次読み上げていき、それらが終わると閉会。

 終業式の次はホームルームの時間。つまり成績通知表が渡される時間でもある。

 皆テスト返却と同じくらい一喜一憂する。かくいう私も現状を維持していることが確認できて一安心。

 岡部先生が夏休み中の心構えを学生時代の失敗談混じりに語ると――よほど苦い思い出なのか、1年の時も同じ話をしていた――あっという間に下校時間となった。

 帰宅部や午後から遊ぶ生徒はすぐさま下校し、校内に残るのは倶楽部に所属する生徒のみとなる。

 これといって決まった活動をしない上、集まること自体を何も強制していない文芸部だけど、塾に通い詰めの国木田君を除く全員は部室に出席している。居心地がよいということだ。

 

 

「一学期の成績はどうだったのかしら?」

 

 購買部から仕入れたメロンパンを昼飯代わりにしている彼に聞いてみた。

 彼は面白くもなさそうに言葉を返す。

 

 

「どうもこうも、聞かなくてもわかるだろ……体育が2で他は軒並み4。オマケしてくれたのか日本史だけ5」

 

「ほんともったいないわね」

 

「べつに……君に勝とうなんて思っちゃあいないし」

 

 能ある鷹は爪を隠すと言うが、彼の場合ただの怠慢でしかないのが残念。

 キョンくんの方を見てみるも俺に聞くなと言わんばかりに視線を逸らされる。テストの点数は前より良くなっても成績は大きく良化していないようね。

 昼食をとり終えると普段通り自由時間。

 長門さんは携帯ゲーム機で最新作のRPGに熱中し、私と彼とキョンくんの3人はいつの間にか部室に置かれていたバランスゲームで遊んでいる。

 猿型の人形を揺れる塔に引っかけていき倒した人が負ける単純明快なゲームだ。

 黙々と順番に猿を引っかけるが、6巡目でキョンくんが塔を倒してしまう。

 キョンくんはため息を吐き、散らばった猿人形を手元に戻しながら口を開いた。

 

 

「なあ、ジェンガは無いのか」

 

「この類のゲームだと他にはクラッシュアイスゲームだけだな」

 

「なんで定番どころを外すかね……」

 

 元々アナログゲーム部じゃないのだからレパートリーにケチをつけてもしょうがない。全部古泉くんの趣味で持ってきてくれてるものだし。

 猿も木から落ちるゲーム連敗中に嫌気が差したキョンくんを見かねたのか、幼馴染の彼は立ち上がり部室の隅っこに置いてあるダンボール箱を漁り始める。

 野球道具やらタンバリンやら誰が持ってきたかわからないガラクタのような品々が詰め込まれているその箱から彼が取り出したのは小さなバスケットゴールのおもちゃ。

 下がクリップになってるそのバスケットゴールをゴミ箱のふちに取り付け、

 

 

「古典的だが、これはどうだ?」

 

と球入れゲームを提案した。

 最早小学生が休み時間にやる遊びだわ。

 そんな私の冷めた感想と異なりキョンくんは上々の反応を見せ機関誌制作で余っていた原稿用紙を丸めて球を作ると彼とキョンくんは決まった距離からの投げ合いを始めた。

 提案しただけあって得意なのか彼は何回も連続でゴールを成功させる。よくもまあ器用にバンクショットができるものだ。

 キョンくんもゴールの成否に一喜一憂しつつ、コツを掴んだのかサイドスローで続けてゴールを決めている。

 私には理解できない世界ね。彼とキョンくんのペーパートスを頬杖つきながら眺めていると、部室の扉が弾けるような音とともに開けられた。

 

 

「みんな揃ってるかしら!」

 

 普段より一層テンションの高い涼宮さんといつも通りのはにかみ顔の古泉くんが入ってくる。

 そして涼宮さんはキャスター付きのホワイトボードを引っ張り出し、ボードをバンと叩く。

 

 

「全員注目! これより文芸部の夏休み活動計画を立てるわよ!」

 

 不敵な笑みを見せる涼宮さん。

 ええ。夏休みが騒々しいものになるということは容易に想像できたわ。

 涼宮さんの手によって次から次へとマジックペンでホワイトボードに書き込まれていく文字たちを見る限り夏休み活動計画と大層なことを言っているけど実際はただの遊びたいことリストだ。

 夏季合宿、プール、ボーリング、海水浴、盆踊り、エトセトラ。文芸部らしからぬアウトドアな娯楽ばかりが10種以上候補に挙げられている。

 これら半分でも実現すれば私には充分すぎると思えるが、涼宮さんにとっては足りないらしい。

 

 

「あたしが思いついたのはこんなところだけど他に案は無いかしら? 聞くだけ聞くわ」

 

 この言葉に手を挙げたのは私の幼馴染だ。珍しい。

 彼は紙のボールをジャグリングのように弄びながら言った。

 

 

「文芸部らしく文化的に、芸術鑑賞なんていいんじゃあないか」

 

 よもや彼の口からそんな言葉が出ようなどと思っていなかったが、思い起こせば修学旅行の自主研修で行った博物館で一番熱心に展示物を眺めていたのが彼だった。インテリぶってただけかもしれないけど。

 まあいいんじゃないの、と言いつつ涼宮さんは彼の意見をホワイトボードに追記する。

 いくら涼宮さんにやる気があろうとこの時点では絵に描いた餅でしかない活動計画だったが、あーだのこーだの言っている内に鶴屋先輩と朝比奈先輩が部室に来たことによって活動計画は現実味を帯びていった。

 鶴屋先輩はホワイトボードを眺めるなりしたり顔で言う。

 

 

「豊岡にうちの別荘があるよっ。海も近いし合宿と海水浴にはうってつけさっ」

 

 色々と次元が違いすぎて同じ学校に通っていることが不思議にさえ思えてくる。

 それから各々都合の悪い日などを申告し、活動予定のすり合わせが行われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終業式にも拘わらず、結局下校時間は普段と変わらぬ夕暮れ時。ずいぶんとまあぐだぐだとやったものだ。

 私と彼と長門さんの登校時と同じ3人で線路沿いの道を歩いて帰っていく。

 この時間まで話し合った甲斐あって活動計画予定の大枠が決まった。直近の予定が明後日で、例によって泊りがけの合宿というのはいくらなんでも慌ただしすぎる。

 涼宮さんの無茶振りに顔色一つ変えず快諾してくださった鶴屋先輩には本当に頭が上がらないわね。

 

 

「ほんと奇特なお方だ」

 

 彼が言うところの"奇特"は些か捻くれている気がするため素直に同調できないが言いたいことはわかる。

 それはそれとして夏休み最初のイベントが海水浴兼合宿となったわけだが、プライベートで泳ぎに行くのなんて中学生ぶりだ。中学生の頃とは体型がすっかり変わっているので昔の水着は着られない。

 

 

「長門さん、遊びに着る用の水着ってありますか?」

 

「……ううん」

 

 私の問いに対して長門さんは首を横に振る。

 まさかプール授業のやつを着ていくわけにもいかないし、明日買いに行くしかないか。開幕から落ち着かない夏休みだ。

 明日のお昼前に街へ行く予定を長門さんと立てている私を尻目に彼は呟いた。

 

 

「女子は何かと大変だ」

 

 誰のせいで気を使ってると思ってんのよ。

 聞き逃せなかった私は彼に言い返すように言う。

 

 

「海パン一丁あればなんとかなる男子は水着に困ることなんてないわよね」

 

「確かにそうかもしれんが、オレが何も拘ってないと思ってもらっちゃあ困るぜ」

 

 どういうことだろう。

 不思議がる私に対して彼は言葉を続ける。

 

 

「男性用の水着なんて興味ない君は知らないかもしれないけどピンキリでね。オレが持ってるやつだってれっきとしたブランドものさ」

 

 普段から何かしているわけでもないのに彼は装備品に拘るタイプらしい。

 ただ、センスの良さをそこまで期待できないのでハードルは上げないでおく。

 こっちはこっちでギャフンと言わせてやろう、なんて思っていると自宅のマンションが見えてきた。

 

 

「じゃあまた明後日ね」

 

 長門さんと一緒に彼とお別れしようとしたが。

 

 

「…………あー、ちょっと待ってくれないか」

 

 彼に引き留められた。

 

 

「ごく個人的な用件で朝倉さんに話があるんだ」

 

 まるでいつかの逆パターンのようだ。

 長門さん一人で先に帰ってもらい、彼は私を連れて最寄りの公園へ行く。

 遊具はブランコだけで後は砂場しかない小さな公園だが日中は近所のちびっ子が利用している。昔はこんな空間がやけに広く思えたっけ。

 なんてしみじみ思っているとベンチに彼が腰かけていたので私も隣に座る。鞄は足元に。

 呼ばれた立場な以上、急かす権利くらいあるはずなので早速用件とやらを聞くことにする。

 

 

「それで? なんの話かしら?」

 

 正直この時の私は何も身構えていなかった。

 彼はこちらに顔を向け、やけにかしこまった様子で切り出した。

 

 

「この前……近いうちに話すって言ったことについてだ。ほら、オレの様子がおかしいって言ってただろ」

 

 なんとなくそのことだろうと感づいていた。

 

 

「まあ、色々と思うところがあってさ。気持ちの整理をしながらあれこれ考えてたわけだ」

 

 

 もっとも話の内容までは想定できなかった。

 何故なら――

 

 

「朝倉さん。高校を卒業したらカナダに行くんだろ?」

 

「……え?」

 

――彼がそれを知るはずがないから。

 まさしく晴天の霹靂だった。頭が真っ白になる。

 

 

 なんで。どうして。

 

 疑問符ばかりが浮かんでいく。

 愕然とする私を置いて彼は話を続ける。

 

 

「オレはね、朝倉さん。きっと無意識のうちにずっと君が近くにいるもんだと勘違いしてた。そうじゃあなくなるとしても、まだ先のことだろうと思い込んでたんだ」

 

「……」

 

「けどあと1年と半年で海外なんて想像もしてなかったよ」

 

「誰から聞いたの……?」

 

「それは今重要じゃあない」 

 

 わざとらしく手をひらひらさせる彼。

 私が精神恐慌を起こしている上に彼が要領を得ない話をするものだから真意が読み取れない。

 

 

「とにかく、君がカナダに行ってオレが適当な大学に入る未来を考えてみたんだけど……」

 

「……」

 

「間違いなく留年するだろうなって。1コマ目を自力で行くとか無理ゲーだよな」

 

 そんなこと得意げに言わないでよ。

 あなたがだらしないからそうなるんでしょ。

 

 

「ああ、わかってる」

 

 だったら変わればいいじゃない。

 変わる努力をすればいいじゃないの。

 今のままなら駄目だってわかってるんだから。

 胸張って自分は変わったって言ってもらわないと、あなたに変わってもらわないと、私――

 

 

「――私、あなたのことを諦められないじゃない!」

 

 蓋をして閉じ込めていたものが内側から溢れていくように、私の頭は激情に駆られていく。

 逆恨みみたいな怒りさえ湧いてきた。腹立たしい。

 この男の胸倉を掴んで公園中引きずりまわしてやろうかなんてことまで浮かんでくる。 

 

 

「何度でも言うけど去年までのことは本当に悪かったと思っているよ。そして今日に至るまで君からの告白を保留にし続けてきたことも。だから、それを踏まえてオレの話を聞いてほしい」

 

 いつになく真剣な目つきの彼に思わず身がすくんでしまう。

 いや、これから先に続くであろう言葉を聞くのが怖かったのかもしれない。

 

 

「まず第一に。オレが胸張って変わったと思えた時に返事するってやつだけど、あれは無し。先のことを考えてるうちに無理だと悟ったんだ」

 

「は……?」

 

 本当どこまでだらしないのかと呆れ果ててしまうような台詞。

 彼にとってそれが重要だから引き延ばされてたはずなのに、私にとっては最初からそんなことどうでもよかったのに。

 

 

「次に、カナダ行きの件だが。オレも親父さんに説得するから取り止めにしてほしい」

 

「何言ってるのよ。無理に決まってるじゃない」

 

 頭がおかしくなりそうだ。

 そんな無茶、いくら私と長い付き合いの彼が言ったところで通るはずがない。

 元々中学卒業の時点で行くはずだったところを私のワガママで延期してもらっている形なのだから。

 

 

「取り止めが駄目ならオレもカナダに行くよ。ああつまり、その……これが最後の話になるけど……」

 

 すぅ、はぁ、と深い呼吸をしてから彼は言った。

 

 

「君が好きだ。これからも、オレのそばにいてくれないか」

 

 

 


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