そして日曜日が来た。
変に意識してしまっていたのか、彼女に叩き起こされるわけでもなしに規律正しい時間に起きてしまった上うまいこと二度寝できなかったため、朝食のトーストとソーセージエッグを平らげると暇潰しのため映画館に向かった。
無性に落ち着かなかったのだ、家にいても。
予約もせず来たため久々にチケットを窓口で購入。席はスタッフに案内されるがまま適当に決めた。
これから見るのはSF洋画シリーズのスピンオフ作品。地球外生命体がどうとかいうさして珍しくもない話だ。
バイトくんにチケットをもぎられ指定のスクリーン室に入って着席。CMを数分間垂れ流された後に上映が始まった。
この御時世、会員制の動画配信サイトで過去の映画はいくらでも見れるし新作だって公開終了後ひと月もすればワンコインで有料配信される。コストだけで言えば明らかにこっちの方が良い。
だけど俺が2千円近く払ってわざわざ映画館で見るのには自分なりの理由がある。
それは映画館の座席という身動きが制限された空間でスクリーンと相対することでどんな駄作が相手でも真摯に向き合うことができるという点だ。
もちろん家でくつろぎながら気楽に作品を見られたり、気になったシーンをリプレイできたりという利点がストリーミングサービスにはある。
ただ俺の場合少しでも微妙に感じたらオチまで飛ばしてしまう傾向にあるので余り肌に合わない。DVDも然り。
なんて話を昔―中3の夏の某日に――したら朝倉さんは呆れた顔でこう返してきた。
「これだから映画オタクはめんどくさいって言われるのよ……」
「うーん手厳しい」
「私に言わせりゃどこで見るかより誰と見るかの方が重要だと思うわ」
「じゃあ君は誰となら良いってんだ?」
この返しに朝倉さんは軽くため息を吐いてから、
「……さあね」
とやけにぶっきらぼうにとぼけてみせた。
今でこそ彼女が言いたかったことが解るが、当時の俺は釈然としないまま会話を打ち切られたため自分のコミュニケーション能力の低さを恨めしく思ったものだ。
で、俺が今日見た映画について一言で表現するのであれば"縷々綿々"これに尽きる。
いくらスピンオフといえど同じタイトルを冠している以上、過去作と比較して悪い部分が目立つのは仕方ないがそれにしても凡庸な作品に成り下がってしまったというか、スケールダウンが否めない。
2時間かからなかった映像体験にハードル上げ過ぎたのが悪いと結論付けて劇場を後にする。
もうそろそろランチタイムという時間帯で、身の振り方を考えなければならない。
帰れば何かしら飯にありつける。しかし今日は雑なもの、具体的に言えばジャンクフードでも食べようかという気分だった。そんな気分に身を委ねたのが運の尽きだった。
駅から徒歩5分のハンバーガーショップに行き、テリヤキバーガーのセットを注文。
商品を受け取り席に座るべく2階へ上がり、落ち着ける座席がないか探していた時だ。そいつを見つけてしまったのは。
窓際の席でしかめっ面浮かべながら退屈そうにオニオンリングつまんでるアイツは、俺の眼が確かならば涼宮ハルヒに違いない。
そりゃ行動圏内が同じなら休日に知り合いの1人や2人と遭遇するさ。だがよりによってあの女は勘弁してほしい。
慌てて引き下がろうとした時には遅かった。
「――あら」
最悪だ。
俺の姿に気付いた涼宮は意地の悪い笑みを見せ、こっちへ来いと言わんばかりに手招きしてくる。
無視したらギャーギャー騒がれそうなので渋々相席しておく。
「ちょうどいいところに来たわね」
何がどうちょうどいいのか知らんが涼宮に目を付けられたのは確かだ。
さっき見た映画の小道具みたいにこいつの記憶をフラッシュ焚いて消してやりたい。お呼びじゃない。
「話し相手が欲しいなら喰い終わってから聞いてやるが」
「べつにあんたとおしゃべりしたいわけじゃないわよ」
「じゃあ何だってんだ」
「テスト期間が終わったことだし、打ち上げ気分で市内を探索してたのよ。くまなく探せば不思議なモノの一つや二つ見つかると思ってね」
「はあ……収穫はあったのか?」
「全然ダメ。空振りばっか」
収穫があったらあんな不満そうな顔してないわな。
Mサイズ容器に入ったドリンクをストローでズズッと飲んでから涼宮は言葉を続ける。
「やっぱ一人じゃいくら注意しても見落としちゃうし、午後からの方針を見直してたところだったの。で」
涼宮が次に何を言い出すか察してしまった。
「あんたにも手伝ってもらうことに決めたわ」
「勝手なことを言うんじゃあないよ」
「どうせヒマしてたんでしょ? 別にいいじゃない」
いいかどうかじゃなくて俺が嫌だと言ってる。
第一、何故通りがかりの俺に頼むのか。そういうのを喜んで引き受けそうなのがお前んとこにいるだろうに。
「古泉くんは法事で来られないって」
「法事ね、都合のいい言い訳だな。今度オレも使おうかな」
「何……? 古泉くんがあたしに嘘ついてるとでも思ってんの? そんなことするわけないでしょ」
「まあな」
となると代わりのスケープゴートになりそうなのはキョンぐらいか。上手な騙し文句を吐けたとしても素直に来てくれるとは思えないが。
観念した俺は日が暮れるまでという条件を付けて涼宮の不毛な探検に同行することに。
無駄に急かされながら食べたハンバーガーはファストフードとしての本懐を果たしていたが、そんなつもりでここに入ったわけじゃない。十分前の自分が恨めしい。
そして店を出てから開始されたそれは俺にとって苦行以外の何物でもなかった。
アテもなく夢遊病患者のように右行ったり左曲がったりする涼宮をただ追いかけるだけの時間。これが見知らぬ土地とかだったら景色を焼き付けるという面白味があるのだが、ここは"俺"の生まれ育った土地じゃないとはいえ今となっちゃ市内で知らない場所の方が少ないのだから面白くもなんともない。
これを散歩だと割り切るには少し時間がかかった。
今は高架下をグルグルと回っている。俺は昔プレイしたポケモンのバグ技を現実でさせられてる気分だ。
いったい何回続けるのか、四週目の途中で涼宮に話しかける。
「なあ」
「何よ」
「不思議なモノ、って具体的にどんなのを探してんだ?」
「あたしが不思議だと思うもの全般よ」
「四つ葉のクローバーとかじゃあ駄目か? さっき公園に生えてたぜ」
「草なんか不思議でもなんでもないでしょうが。せめてエリクサー持ってきなさいよ」
生憎と万能薬どころか薬草の類さえ持ち合わせていないぞ俺は。某ロールプレイングゲームとタイアップした炭酸飲料で良ければ渡してやれるが。
まあ、こいつがかの有名な自己紹介よろしく宇宙人未来人異世界人超能力者を探しているのだとしたら内2名とは会ってるわけだし、現状で満足してくれるのがベストなんだけど。
結局謎の高架下周回は七周半行われ、河原や近隣中学校でも同様の徘徊に付き合わされた。
そして何の成果も得られることなく無事終幕した市内探検から一人帰ってる途中、右ポケットに突っ込んであるスマートフォンから着信音が鳴る。コールドプレイの神曲、そのイントロを設定している相手は俺の幼馴染だ。
ボタンを押して電話に出る。電話の相手はポツリと一言。
『終わったわ』
長門さんの件は片付いたらしい。
既に陽は落ちている。適当に感謝の言葉を返して電話を切れば俺も日常に帰れる。
「……今から会って話せないか?」
だが、藪蛇と分かっていても最後に彼女と話をするべきだと感じた。
家路から彼女のマンションへ道を変更し、何を話そうとか考えを纏めながら歩みを進めていく。
到着後、エントランスを抜けてエレベータに入る。
僅かに揺れながら上昇していく。既に5階は通り過ぎた。彼女から指定された場所はマンションの屋上、つまり最上階まで乗っていく。
エレベータを降り、通路を突き進んだ先にある鉄製の扉に手をかける。そこから中の階段を上がって、踊り場に面したガラス引き戸を開けると屋上に出た。
「こんばんは」
対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの彼女が俺に笑いかける。
彼女は夜風に髪とスカートをなびかせながら手すりに預けていた背中を離し、こちらへと歩み寄る。
「涼宮さんとのデートは楽しかった?」
何故彼女が俺の行動を把握しているのか。
そりゃその気になれば24時間リアルタイムで俺の監視なんぞ造作もなく行える存在だというのはわかるが、だったらアレがデートでも何でもない虚無虚無タイムだということもわかっていてほしいものだ。
もちろんわかっているはずだが、形だけでも弁明しておく。
「あいつの散歩に強引に付き合わされただけだ。別に誰でも良かったんだと思うぜ」
「ええ、涼宮さんにそんな気がなかったのはわかってるわ。私はあなたの方を心配してたのよ。ああいう強引なの、嫌いじゃないでしょう?」
なんと返したものか、考えあぐねていると彼女は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「そんなわけないか。私の考えすぎよね。あなたが好きなのは何があってもあなたを受け入れてくれる子なんでしょうし、唯我独尊な涼宮さんとは仲良くなれても恋愛的に相容れないわよね」
「どうしてオレの好みを知ってるんだ?」
「どうしてって、朝倉涼子がそうだもの。違うかしら?」
思わず返す言葉に詰まる。
俺の様子に彼女は満足そうに眼を細める。
「それで、何か私に聞きたいことがあって来たんでしょう?」
心の奥を見透かしているように彼女は言う。
涼宮ハルヒのこと、情報統合思念体のこと、この世界のこと。もちろん疑問は尽きない。
「いいや。君に言いたいことがあって来たんだ」
が、そんなことはもうどうでもいい。
今の俺にとって重要なのは間違いなく君の方じゃない。
だからこそ、去りゆく彼女に俺は伝えたい。
「オレは普通の人間じゃあない」
彼女の蒼い瞳をしっかりと見据えて言う。
「4年前の夏、この身体に突然憑依した異世界人……それがオレだ」
それからどうのこうのと自分なりの説明をしようとした。
俺の真正面にやってきた彼女は素面でじっと見つめ返して一言。
「なあんだ、わざわざそれを言いに来たの?」
驚きの一つでも見せるのかと思えばくつくつと笑い声と立てる彼女。
続けて放った言葉に俺は呆気にとられてしまう。
「知ってたわよ」
「は……?」
「一線引いてる自分に負い目を感じているから私に打ち明けたみたいだけれど、そんなの別に重要なことじゃないわ」
彼女は人差し指で俺の鼻頭をちょんと突いて、
「朝倉涼子は
言外にしっかりしろ、といった感じを込めてそう言った。
全く、かなわないお方だ。
しかし彼女はどうやって"俺"のことを知ったのだろうか。まさか読心術の類さえ使えるなんてことないだろうな。
それについて聞いたところ「説明してもわからないでしょうけど」と前置きされた上で原子構造がどうのこうのと難解な話をされ、
「つまりあなたが憑依したっていう日から別人であることはわかってたわ」
「オレに問い詰めようと思わなかったのか?」
「言ったでしょ? 今回みたいな非常事態でもない限り表に出るつもりがなかったって」
彼女にとって宿主の幼馴染がある日突然成り代わっているのは非常事態じゃないのだろうか。彼女による諸々の説明の裏には何かしら思うところがあるような口ぶりであったが、追求の糸口などなかったため放念することにした。
過程はどうあれ俺が彼女から一定の信頼を得ているのは確かで、仮にそうじゃなかった場合は何かしら対処していたかもしれないとは彼女の弁。
おいおい、情報操作で転校したことにするってパターンなんてよしてくれよ。
それからの時間は他愛もない話をした。
"俺"の自分語りや、今日視た映画の話だとか、そんなところだ。
きっと俺はこの時初めて彼女に対して何も気負わずいられたのだろう。聞いてる側が面白くもないような話を話しすぎていると自覚しつつも、何かのつっかえが取れたように言葉が吐き出されていった。
やがて屋上の夜風が強くなり、いい加減そろそろ帰るべきだと思ったので気の利いた別れの一言を探っていた時だ。
「せっかくだから一つ教えておいてあげるわ、色んなお話を聞かせてくれたお礼にね」
朗らかに笑顔を見せる幼馴染に憑りついた宇宙人の亡霊。
彼女の口から語られた内容は暫くの間、俺の思考を停止させるのに充分すぎる内容であった。
そして翌日。
月曜日であり、テンプレ通りの高校生活がこの声から始まる。
「はい、起きる時間よ」
俺を起こすと同時に淀みない所作で布団を刈り取っていく幼馴染の朝倉涼子。
彼女と目が合った俺は一つ質問を投げる。
「君は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースか?」
「……何ですって?」
眉を寄せ、こちらの言ったことにピンと来ていない朝倉さん。その様子を見て全ての終わりを確信した俺は「何でもない。昨日見た映画の話だ」と返してベッドから起き上がる。これ以上何か聞くと頭の心配をされそうだ。
洗顔、食事、着替えとお決まりのルーチンを済ませて外へ出る。天気は無風で、夏の訪れを感じさせるような暑さだ。
「おはよう」
朝倉さんの横にいる長門さんが挨拶をくれた。
なんというか、先週までと比べて垢抜けてない感じがする。実際会話してみると彼女も元に戻ったのだと実感することができた、こっちの長門さんの方が天然っぽい。
何かしらの近代兵器で更地に出来ないものかと俺を苦しませる坂道をえっちらおっちらと越えて学び舎に到着。
さて、と俺は考える。
全ては元通りとなっている。
あの宇宙アンドロイドが今でも朝倉さんを通して俺の事をじろじろ見ているか定かではないが、やはりあれは現実にあった出来事で、叶う事なら諸々の話を忘れてしまいたい。
だが、そういうわけにもいかないから困る。
「ざまあないぜ」
気取ったつもりになって小声で自嘲してみた。
言うだけ言って消えていった彼女の言葉が昨日から俺を支配しているのだから、様など無くて当然だ。
ゴールの見えないマラソンほどキツいものはないが、たとえ終着点を視界に収められたとしても俺との間にマリネリス峡谷ほどの長くて深い溝があればゴールできないも同然だろう。
まあ、遅かれ早かれ直面することになったであろう話ではあるが、事前に知れただけマシと言えよう。
返却された現代文の解答用紙を眺めつつ、俺は俺なりのやり方を模索すべく、思考の海へ落ちていった。