躁鬱のような天気も一定の落ち着きを見せ始めた6月半ば。
俺と幼馴染に憑りついてる宇宙アンドロイドな彼女の学校生活も少しは落ち着いたものとなっている。
そりゃそうだ。みんな手前のことでいっぱいいっぱいとまでは言わないが人の噂も七十五日、俺が否定しようと彼女が言ったように俺と朝倉さんとの関係が男女交際のそれとみなされている以上は中2日の朝倉さん弁当など谷口にすら何も言われなくなっていった。
朝倉さん(宇宙人)がおかしな感じなのは俺相手ぐらいなもので、朝倉涼子としての役割は実直にこなしていた。
一方の長門さんは違う。
では具体的にどう違うか説明しよう、相違点その1。
運動神経が体育会系の女子より凄まじい。
短距離走は陸上選手ばりに綺麗なフォームで颯爽と駆け抜け、バスケットボールは本業の部員すら圧倒する動きでコートを支配。
本来の長門さんは運動音痴というわけではないのだが、特段足が速くもなければスポーツはガチガチの素人で成績2か3といった感じなのだ。それが今や何やっても無双してるんだから覚醒なんてレベルじゃない。
「長門は体育祭も球技大会も特に活躍してなかったはずだけどな……手抜きしてたか?」
女子の尻を追っかけることに余念がない谷口もこのように首をかしげる始末。
ちなみに1年の時、体育の授業が始まったばかりの頃に体操服姿の朝倉さんをやらしい眼で見てた谷口に俺が注意――もとい軽く焼きを入れた――して以来、谷口が何か言い触らしたのか5組の野郎連中は体育の時間中に朝倉さんのことを視線で追わないようにしてるみたいだ。
閑話休題。
長門さんの運動神経が凄いというのは女子の間でも話題となり、今からでもうちの部に入らないかという勧誘が多少あったとか。もちろん全部断ったそうだ。
何か宇宙パワーでインチキしてないか朝倉さん(宇宙人)に聞いてみたものの。
「そうだったらとっくに止めてるわよ。あれは単に肉体のポテンシャルを十全に引き出してるだけ、センスの問題」
彼女にとっては問題外といった様子だ。
相違点その2。
勉強を人に教えられるようになった。
元々長門さんの成績はクラスの中でも良い方なのだが、人に教えるのが致命的に下手っぴで、数学に至っては式がぐっちゃぐちゃの空飛ぶスパゲッティ状態。口を開けばギュインギュインのズドドドドといった感じの意味不明な説明。オイラー先生も呆れるしかない。
それが今や問題集の解説ができる状態で、尚且つ期末考査を控えているときたら赤点ボーダーラインを是が非でも越えたいキョンが長門さんに教えを乞うのは当然の成り行きであろう。
最近じゃテスト前に全部活が休みとなっているから、キョンと長門さんは2人で仲良く図書館で勉強会だと。
そして俺は部活がない放課後をどのように過ごしてるかというと、だ。
「どうかしら?」
「……ああ、似合ってると思う」
肩が出てるシフォンブラウスにショートパンツの夏コーデで試着室から出てきた彼女にコメントしている真っ只中。
いわゆる放課後デートになるのだろうか。
制服のまま街に出て、デパートやショッピングモールをぶらついて、カフェで休憩して、普通の高校生をやってる。ちなみに今いるのはデパートの女性服フロア一角にある店の中。
もちろん全部彼女の主導だ。まあ、長門さんを見張るのが彼女だとすれば彼女を見張るのは俺の役目だしな。
「ちょっと、何ぼーっとしてるのよ」
あれこれ物思いにふけっていると朝倉さん(宇宙人)が軽く小突いて注意を引いてきた。
次は黒のサマーニットに薄いベージュのフレアスカートか。赤いハイヒールでも履いてみたらどうだ。
「あー、いいんじゃあないか……」
「イマイチな反応ね、白けちゃう。そんなんじゃ本番も失敗するんじゃないかしら?」
本番ってなんだ。その口で下ネタを言うのは勘弁してくれないか。
などと返したら更に強く小突かれる。
「馬鹿!」
声が大きいって。
巡回してる女性店員からの視線が痛々しく感じる。俺が下手なこと言ったと思われてそうだ。事実だが。
「そういう意味で言ったんじゃないわよ……これはあなたと朝倉涼子が付き合った時のためにやってるデート予行演習なの、本番当日はシャキッとしなさいよね」
知らなかったぞ、初耳だ。
でも予行演習の割には彼女に引っ張られてるだけだから俺は何も成長できてないと思うんだけどな。べつにいいか。
気を取り直した朝倉さん(宇宙人)のショーはその後も続けられた。
彼女のチョイスは気まぐれといった感じで、俺の幼馴染が休日にしてくるような落ち着いたコーデもあれば、ドクロのシャツにダメージデニムとロックにキメたり、果てにはノースリーブで胸元とおヘソを見せつけて来た。
人の身体で好き勝手するなよと思いつつ、ちゃっかり堪能しているので文句は言えない。というかこの状況で文句ある奴いるのか。
そんな時間をひとしきり過ごし彼女がセーラー服に戻るとレディースファッション店から離れて生活雑貨やレジャー用品のフロアへ移動することに。
季節柄なのかアウトドア推しがやけに目につく。
「夏が来たら思う存分遊ぶとか涼宮は言ってたがキャンプとかもしたりすんのかね」
「場所と道具があればやるでしょうね、涼宮さんなら」
だよな。ゴールデンウィークに合宿という体の観光旅行した以上キャンプなんてハードル高くもないか。
俺としちゃテントなんか張らんでも川っぺりか適当な会場でバーベキューできれば充分なのだが。
いずれにせよ道具を自前で揃えるなんてのは経済的に厳しい身分なので充分な計画の下でアウトドアすべきだ。
まさか買うわけでもないのに寝袋をあれこれ吟味している宇宙人の彼女。
「寝袋に興味があるのか?」
「私が興味深いのは値段の差よ。言い換えれば人間の価値観ってとこかしら」
「まあ、見ての通りピンキリだ」
「そうね」
こちらからすればヒューマノイド・インターフェースの価値観が気になるところだが、聞いたら怖い話をされそうなので黙っておく。知らぬが仏ってね。
レジャー用品と生活雑貨フロアの冷やかしを終え、デパートから出て次に向かったのは線路沿いの通りにある本屋だ。
ああ、本屋で思い出した。
長門有希の相違点その3、文学少女。
我らが文芸部の長門さんは読書こそたまにするが部活時間の大半はゲームで消化している生粋のゲーマー女子。
対して今の長門さんはゲームなど眼中にあらず、休み時間も家に帰ってからもハードカバーにかじりつく本の虫状態。
「君たちは読書が好きなんだな」
「私の場合は文学というより文化に関心があるって感じなのだけれど」
そう言う彼女がいの一番に向かったのは女性雑誌のコーナー。俺一人じゃ間違いなく近寄りもしないゾーン。
本に落とし込まれた文化の中でも彼女が情報を得たいのは人間社会の流行だとか。
俺に言わせりゃ違いが分からない雑誌を3冊見繕って会計を済ませる彼女。今日のところは他の売り場に用はないらしい。
で、後は帰るだけ。
駅までの道を引き返して電車で住宅街に戻る。そこからはそんなにかからない。
「テスト対策は大丈夫?」
歩きながら朝倉さん(宇宙人)が俺に聞いてくる。
連れまわしてるのはそっちだというのに心配するのか、いやフリか。
自分でもどんな理屈なのかわからないのだが俺は"前の世界"の記憶を完全な形で引き出すことが可能だ。
いわゆる完全記憶能力、ってやつとは違う。あくまでこの身体になってからの話だし、この世界での出来事は普通に忘れたり思い出せなかったりすることもある。
昔取った杵柄というか過去にそれなりに頑張ってた記憶があるから雑な復習だけで高得点を維持しているわけだ。余計なことまで思い出すのがありがた迷惑だけど。
なんて俺の秘密を打ち明けるはずもなく、彼女の言葉に返事をする。
「わかってるだろ、オレは問題ないよ。君の方こそどうなんだ?」
「どうもこうもないわ。しょせん人間が出す問題だもの、この私に通用するはずがないでしょう」
ドヤ顔で言われてしまった。
いや、俺が心配しているのは君じゃなく幼馴染の朝倉さんの方である。
テスト期間が終わる前に長門さんが元に戻り、役目が終わって朝倉さんも元通りとなるのなら休眠期間の勉強面についてもフォローしておいてくれよ。
「ええ、そうなったら放課後は勉強してたことにするから。だって――」
と彼女は言葉を続けて、
「これは
今日一番の笑顔を見せてくれた。
と、こんな日々を過ごしている。
つまるところ朝倉さんや長門さんが宇宙アンドロイド人格となったことで俺に何かしらの災厄が降りかかったりはしていない。まだまだ油断はできないが、幼馴染のガワでグイグイ来る宇宙アンドロイドの彼女に絆されつつある感は否めない。
土日に関しては特に何もない。朝倉さん(宇宙人)がどのように過ごしているか知らないが、俺は相変わらずの昼寝と家庭用ゲーム。幼馴染が相手だとどっか行くのに誘ったり誘われたりがあるが今のところそういうのはナシ。
そんな俺の聖域を着信音で侵すのは誰か。涼宮じゃないなら1人しかいないよな、宇宙人に人格を乗っ取られている朝倉さんだ。
「……なんの用だい」
『お休みのところ悪いんだけどちょっと来てくれないかしら? 長門さんの部屋まで』
まさか敵対勢力の攻撃を受けて長門さんが高熱で寝込んでしまったとか言うんじゃないだろうな。
いったい何事かを電話越しの彼女に問うてみると。
『片づけを手伝ってほしいのよ』
なんだそんなことか。お安い御用さ。
30分で行く旨を伝え、そそくさと某マンションへ向かう。
オートロックを解除してもらい、上りのエレベータを待ち合わせていると、
「お前も朝倉に呼ばれたクチか」
聞き覚えのある無気力主人公の声がした。
振り向くまでもない。キョンだ。
「呼ばれてないのにオレが来ると思うのか?」
「だろうな」
この時点での俺は大分楽観的に物事を捉えていたと言えよう。
彼女がヘルプを要するほどの状況というのがいかほどのものか、思い知らされることになる。
エレベータでいつもより多く階を上がり、7階通路を進んだ先にある8号室のインターホンを押す。
出迎えてくれたのは朝倉さん(宇宙人)だった。彼女に導かれるまま玄関を上がり、洋室に入ろうとした。入れなかったのだ。
「凄ぇな……」
部屋中本まみれ。ハードカバーや文庫本で埋め尽くされていた。
ベッドは面積の殆どが山のように置かれた本に覆われており、床にも節操なしに本が投げ散らかっている。足の踏み場もない。
「見ての通りの状況なのよ」
幼馴染に憑りついた宇宙人が空笑いしつつ言う。
昨日の余り物を差し入れに来たらこの惨状だったんだと。
部屋がこんな状況で寝られないだろと思ったがここ数日は和室に布団を敷いて寝てるらしい。その和室も酷い散らかり様なのだが。
朝倉さん(宇宙人)からこってり絞られたであろう部屋の主はすっかり意気消沈となっており、いつになく言葉数が少ない。
「お、俺だってこんくらい散らかす時はあるぞ。だから気にするな」
「…………」
キョンよ、大したフォローになってない気がする。
それにしてもこれほどの蔵書を有していたとは素直に驚きだ。元々父親の所有物だったものが押し入れに封印されてたとか。今じゃ入れ替わりでゲームのハードやソフトが押し入れ行きとなっている。
俺とキョンが来る間に図書館から借りてた分はサルベージできたそうで、その数15冊。実に貸し出し冊数の上限いっぱいである。
何より驚くべきなのはこれだけ本を読んでも尚、長門さんの読書欲が尽きていないということだ。脳内に地球の本棚でも作る気なのだろうか。
いずれにせよ引き受けたのだからやるしかない。
本の整理は野郎2人、リビングや水回りの掃除は宇宙人娘2人で分かれて作業に着手。
適当に仕舞って構わないと長門さんは言っていたがやはり最低限著者別で固めておきたい。誰だってそうだ、俺もそうだ。
このため本を拾っては平積み拾っては平積みにしてタワーを何個も作り、背表紙を見て著者を判断、タワーを細分化。
そしてようやく本棚や収容用ケースに押し込んでいく。
結局、本の片づけに1時間以上かかった。
「あんなの長門さん一人に任せてたら日が暮れてたでしょうね、流石男子」
「……ありがとう」
本来の落ち着きを取り戻した洋室を見て労いの言葉をかけてくれるのは女子2名。
で、すっかりお昼時となっていたため朝倉さん(宇宙人)が昼飯を用意してくれた。
テーブルの中央に置かれた大皿には千切りキャベツ、湯がいた豚肉、細切りのワケギが盛られている。冷しゃぶだ。
それを4人でペロリと平らげ――おかずとご飯のおかわり含め――少し休憩してから午後は勉強会となった。
いや、なんでさ。
「なんでって、火曜からテストなのよ?」
確かにそうだけど俺は別に付け焼刃を必要としちゃいないし、参加しなくていいだろ。
すると朝倉さん(宇宙人)はニコニコしながら俺の耳を貸せといった感じで人差し指をちょいちょいさせ、
「あなたが望むなら例の衣装に着替えてあげる」
と耳打ちした。
例の衣装というのはいつぞやの女教師コスプレだろう。アレはヤバかった。
特に個人授業と称した朝倉さんを撮影する会は己の理性との闘いだった。刺激的すぎたので画像写真はハードディスクの奥底に封印している。というか他人に見られたら何も言い訳できない、でも削除はできないから不甲斐ない。
俺の煩悩を煽ろうというのかこの宇宙アンドロイドは、なんてやつだ。
彼女にコスプレさせるのは幼馴染への罪悪感が酷いことになりそうなので却下。ただ、お願いされたら断りづらい立場でもある。
けどな。
「すまん長門、ここちょっと教えてくれないか」
「ええと、そこは――」
肩寄せ合って2人の世界をやられちゃあこっちは場違い感しかないがどうするよ。
シット、勝手にストロベっているがいいさ。
「……帰りましょ」
朝倉さん(宇宙人)も自分の出る幕などないと観念したようだ。
そういうわけで俺と彼女はテキストを広げてから数分で勉強会を打ち切り、キョンを置いて708号室を後にする。
エレベータで降りていく最中、彼女は含み笑いながら口を開いた。
「近くで見て確信したわ。長門さん、徐々に記憶の統合が進んでる。来週には元通りでしょうね」
「そうか、それは……」
よかった、と言葉に出すのが躊躇われた。
彼女はそんな俺の様子を見て。
「私とお別れするのが寂しくなっちゃった?」
正直そう思ってしまった自分がいる。
フラッシュバックするのは"俺"がかつてアニメで観たあのシーン、塵芥のようにフッと消えて失われていく朝倉涼子の身体。
不安だ、それが現実のものとなるような気がして。
「寂しがる必要なんかない。ただあるべき姿に還るだけだもの」
わかっているさ。
俺が好きになったのが君だったなら、何と引き換えにしてもこのままでいてくれと言うべきなのだろう。
だが違う。俺が失いたくないのは幼馴染の朝倉さんなのだ。
「ふふっ、そこまでわかってるならいいわ」
何がよくて何がよくないんだか。俺にはさっぱりわからない。
エレベータは5階で止まり、通路へ出る彼女。
その表情はどこか安心した感じに見える。
「また明日ね」
「ああ、さようなら」
会話の終わりを告げるように扉が閉じられた。