She has come to.
彼女の主張には一理がある。
いくら友人だ親友だ親密に絡んだところで結局他人は他人、行き過ぎたおせっかいは時に迷惑な過干渉となる。
ともすればおかしな事を言っているのは俺の方なのかもしれない。けどな。
「何が言いたいのかしら」
眉をひそめて聞き返す彼女が普段通りなわけがない。
長門さんと何かあったにしても、俺にまで仮面を被る必要はないじゃないか。
「君らしくないってことさ。いつもの君なら長門さんが遠慮しないギリギリのラインまでサポートしようとするじゃあないか。どうしたんだ?」
「そうね……」
口をつぐみ、一拍間待ち、
「あなたには知る資格があるわけだし話してあげる」
と前置きした上で切り出した。
「らしくないのも当然のこと、私はあなたの幼馴染である朝倉涼子じゃないわ」
「は……?」
こちらを見据えている数十センチ先の女性が朝倉さんじゃないと自称することに戸惑いを禁じ得ない。
そりゃ今日の朝倉さんはおかしい。"別人のよう"だとは思った。
けど本当に"別人だ"なんて言われてみてもどうだ、容姿や声は紛れもなく朝倉さんなのだから朝倉さんと認識するほかないだろう。
生き写しのそっくりさんならば日本全国津々浦々探せば一人くらいはいるかもしれないが、いたとしても朝倉さんの部屋で俺を待ち受けていたという前提がおかしい。金をかけたテレビのドッキリじゃあるまいし荒唐無稽だ。
俺の推論が明後日を通り越してブラジルの方を向いていたと思い知るのはこの直後だ。
「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース……その残滓が私よ」
――眩暈がした。
耳に入った言葉が脳をぐわんぐわんと強く揺さぶったのだろう。
彼女が口にした記号の意味を俺は知っている。
かつて俺が観たアニメの登場人物たる朝倉涼子は普通の人間じゃなかった。空間を造り変え、魔法みたいな攻撃を放ち、主人公の命を狙う異能の襲撃者だった。
対有機生命体うんちゃらかんちゃらというのはその正体であり、かいつまんで表せば宇宙人的存在である。
この世界が【涼宮ハルヒの憂鬱】の世界に近いと知った時、アニメの主人公よろしく俺は朝倉涼子に自分は普通の人間じゃないと打ち明けられるのではないかと想像した。
それが想像通り現実となって今ここに現れた。どうすりゃいいんだ。
俺は顔がこわばるのを自覚しつつも努めて冷静に問い返す。
「つまり君が朝倉さんじゃあないってんなら、当の朝倉さんはどこにいるんだ? ここは彼女の家だぞ」
「朝倉涼子の家? それってここのことかしら?」
パチン、と彼女が右手で指を鳴らす。
すると一瞬で景色が変わった。
マンションのリビングから一転し緑一面の森の中。
辺りには生い茂る草木、テーブルと椅子はそのまま。そして昼間みたいな晴れた日差しと気温。ワープでもしたかのような状況に思わず息を呑んだ。
「ふふっ、驚いた?」
「……ああ」
朝倉さんが実は森に棲んでたなんてな。
もちろん冗談だ。
立ち上がって近くの木まで歩いてみる。
足に伝わる感触はフローリングのそれではなく芝生と土。見たまんま。
木に触ってみてもリアルな感覚。撫ぜれど叩けど木は木で、紛うことなく木である。物凄いプロジェクションマッピングを投影したって線はなさそうだ。
「とにかく私が普通じゃないってことは理解できたわよね」
君があの朝倉涼子ならこれぐらい朝飯前だろうさ。
もう一度彼女が指パッチンをすると部屋は元通り、見慣れたリビングルームに。
俺が再び椅子に座ったのを見計らい彼女は口を開く。
「わかりやすく例えるなら私は朝倉涼子に憑り付いた幽霊のような存在なの。身体は朝倉涼子のものだけど、今制御してるのは私。朝倉涼子の意識は休眠状態にあるわ」
まだ全貌が見えてこないが、俺の知る二次元キャラクター朝倉涼子と彼女は何やら異なる存在らしい。
しかし彼女が霊的な存在だとして何故朝倉さんに憑り付いているのだろう。
「私の成り立ちについてはまた今度話すとして、朝倉涼子が生まれた時から私は彼女と共存してきた……共存っていっても彼女は私のことを知らない、私はただ彼女と同じ景色を見てきただけ。あなたのこともね」
眼を細めてニコッと笑顔を見せる彼女。
写真にでも収めたくなるくらいとても素敵な笑顔のはずだが、心が落ち着かない。
「
なんとも穏やかじゃない単語が聞こえた。
エマージェンシーとやらが何に起因するか、彼女が粛々と語った内容はこうだ。
昨日の夕方、朝倉さんが晩御飯の用意をしてた頃に長門さんの事故が起こった。
車と接触しなかったという話は嘘であり、実際のところ長門さんは通りがかりの車に"撥ねられた"。
「どれくらいのスピードだったかは私にもわからない、ただ間違いなく生命の危機を感じたはずよ。そして
話に出た"彼女"こそ朝倉さんと同様の長門さんに憑りついているインターフェースの残滓。
まさしく宿主の危機を前にして出てきたそいつは自身への修復を含めいくつかのことに能力を使い――ドライバーの記憶操作や車の修復といった事故の隠蔽を行ったのではないかというのが朝倉さんに憑り付く彼女の見解――事なきを得た。
その折にエマージェンシーが発令され、朝倉さんの人格が切り替わった為にガラスボトルを落としてしまったそうだ。
「本当ならすぐにでも長門さんのところへ向かうべきだったんでしょうけど、あなたを置いて行くわけにはいかないもの」
ガラスの破壊音を残して神隠しにでもあったかのように消えられたら発狂しかねんぞ俺は。いや、今のこの状況も中々にSAN値がピンチだが。
閑話を休題すると、俺が帰った後に彼女は長門さんの部屋を訪ね、状況を把握した。
「私と違って彼女は長門有希の中で眠っていた存在……何故かは私も知らないわよ? で、偶発的な覚醒だったもんだから不完全な状態で出てきてしまったみたい」
結果として今の長門さんは自分がスペースアンドロイドであることすらわからない状態らしい。人格障害ってのもあながち間違いではないのか。
そこで万が一、長門さんが無自覚のまま能力を振るう状態になった時、つまり暴走した時すぐ対処するため朝倉さんの代わりに日常生活をしながら様子を見ることにした。と。
「君は長門さんに何も教えなかったのか?」
「ええ。アイデンティティの喪失に苦しんでるようじゃないし、
知らない方が都合がいいといった口ぶりに聞こえるのは俺が捻くれてるのかな。
眼の前のお方がどこまで俺の知る存在と同じなのかわからないが、少し信用できない相手に思える。
というか君が暴走したら誰が止めてくれるってんだ。
「私の暴走なんて、そんな心配しなくていいわよ。ただ……」
「ただ……?」
「あなたが他の娘に色目を使うようだと、バチが当たっちゃうかもしれないわね」
寒気で身の毛がよだっちまった。
――で、こんな話を聞かされたのだ。
食欲は完全に消失してしまっているが、図々しくおかわりまでした以上おでんも白米も残して帰るという選択肢はない。
まあ、食べたら食べたでやっぱりうまい。
「これは君が作ったんだよな?」
「ええそうよ。気に入ってもらえたかしら」
無言で頷いておく。
それから諸々の質問も交えつつ食事を済ませると俺はそそくさと帰宅した。
案の定、家に帰ると母さんに四の五の言われてしまう。
二日連続で晩飯をキャンセルしたのだから迷惑をかけ申し訳ない気持ちは当然あるが、朝倉さんの料理がそんなに食べたいのならうちを出て行って彼女の家に住めばいいとか言ってくるのは違うんじゃないかと思う。
部屋に戻った俺は寝間着に着替えるとパソコンもゲームもせずそのままベッドに潜り込んだ。
未だ整理し切れていないが、整理できたとして何がどうだというのか。ほとほと参るね。
俺が持つ唯一の手札である異世界人カードを切る日は近づいていると予感しつつ、それを振り払うかのように眠りに落ちた。
次の日。
俺の起床はいつもと変わらぬものだった。
「朝よ。起きてちょうだい」
なんて声と同時に俺の上から毛布がのけられる。
犯人は朝倉さん。いや、彼女に憑依してる宇宙人か。今日はセーラー服だ。
「おはよう。もう起こしに来ないんじゃあないかと思ってたよ」
「そんなわけないでしょう。私は朝倉涼子と同じように振る舞うのだから、あなたも彼女を相手にしていると思ってくれて構わないわ」
昨日聞いた話だと、宇宙人の彼女が朝倉さんに身体を返す時、朝倉さんが休眠状態の間の記憶をうまいこと補完させるらしい。記憶がすっぽり抜け落ちてたら大変だからな。
それを踏まえると彼女の言う通り俺は幼馴染を相手にしている体で接した方が良いのだろう。後で会話が噛み合わないことがあるかもしれないし。
何にしても善処はする。中身が変わっても朝倉さんは朝倉さん、だといいんだけど。
朝食を終え、外に出ると昨日までが嘘だったかのように晴れていた。
路地に立つ朝倉さんの隣には長門さんの姿。
「朝倉さんから話は聞いたよ」
「…………」
「しばらく大変かもしれないけど、何か困った事があれば相談に乗るくらいはできるぜ」
「わかった」
想定通りと言うべきか、長門さんの雰囲気はSOS団宇宙人枠長門有希のそれと化していた。
対照的に朝倉さんはいつもと変わらぬ様子で俺や長門さん相手に世間話。昨日の一件がなければ別人とわからぬまま過ごしているに違いない。
彼女の役者っぷりはクラスでも遺憾なく発揮される。
教室に入るとすぐに数人の女子がこちらに押しかけて来た。もちろん目当ては朝倉さんだ、俺はさっとその場から離れて自分の席についた。
押しかける女子の数は更に増えて2人を囲んでおり、まるでハリウッドスターの来日みたいな様相を呈していく。
朝倉さんは顔色一つ変えずクラスメートの相手をしている。俺の席からだと会話はあまり聞こえないが、聖徳太子みたいな感じでやってんだろう。
「来て早々に朝倉を取られて残念そうだな」
意味の分からない台詞を吐いたのは北高2年軽薄男子ランキング上位の谷口。
こっちはため息を吐いちまいそうだ。
「あれのどこを見て残念がればいいんだ? オレだったらストレスで死ぬっての」
「しっかりしろよ。いつの世も女王と付き合うってのは大変なんだぜ」
平成の世しか生きてない分際で何を言ってるんだか。
教室入口付近に形成された女子のグループはホームルームが始まる直前まで解散されなかった。
さて、知っての通り北高はテスト直前シーズンとなっていて、多少なりとも授業内容に変化はあるようだが俺のスタイルは何一つ変わらない。小テスト以外は机を枕にしている。
対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたちの授業風景が気にならなくはないものの起きてまでして見たいかというとノーだ。
つまるところ俺は俺の平穏を維持するのが一番だと思っている。
などと考えたのがいけなかったのかもしれない。
野球でたとえるなら7回無安打無失点といった風にテンポよくお昼を迎え、弁当を取り出そうと鞄を開けたらテキストしか入ってないではないか。
母さんが入れ忘れたのかストライキなのか、理由はともかく弁当がないのが事実だ。
仕方がない。購買で飯になるものでも買いに行こうかね。
「ねえ」
席を立った俺の行く手を阻むように朝倉さんが現れた。
そして俺が何用か聞くよりも早くこちらへ巾着袋を差し出し、
「私今日はあなたの分もお弁当作ってきたの。ふたりで一緒に食べましょ」
満面の笑みを浮かべながらとんでもないことを言ってきた。
この提案に手放しで乗っかれるほど気楽な性質じゃない俺だが、購買部の程度が知れた総菜パンやおにぎりと比べ彼女のお弁当の方がそそられるという事実。
実質的に逃げ道のない選択肢だ。
そんなこんなで部室まで移動して彼女の望み通り二人で昼食をとることに。
差し出された巾着から弁当箱を取り出す。蓋には黒猫がプリントされているファンシーなデザインだ。
さて、弁当にありつく前にひとつ聞いておかねばならないな。
「いったい何を企んでるんだ?」
俺の問いに彼女はきょとんとした顔になる。
何が朝倉さんと同じように振る舞うだ、クラス中から奇異の眼で見られたに決まっているぞ。
「何も企んでなんかないわよ」
「偶然母さんが弁当を入れ忘れて、偶然君がオレの分まで作ったなんてあり得ない。君の仕込みだろ」
「それはそうよ。でも企んでるって言い方は心外ね、純粋な好意だもの。それにあなたのお母様は喜んでたわ」
俺が喜ぶかは別の話だろうに。
これが朝倉さんらしくない行動なのはどう説明する気だ。
「実態はさておき、二年五組の生徒の大半はあなたと朝倉涼子が付き合ってると思っているわけだし、そういうこともあると受け入れられてるわよ」
そんな馬鹿な話があるかよ。
本当だとしたらとんだ色眼鏡連中じゃないか。
「だいたい君は長門さんを見張ってなきゃいけないんじゃあなかったのか。そっちはどうしたんだ」
「どうもこうもないわ。あなたとの時間の方が大事ってこと」
ここにきてようやく自覚したが、俺はどうやらこの宇宙的存在に好かれているようだ。
嫌われたり憎まれたりするよりよっぽどいい。しかし何故なのか、朝倉さん側に感情が引っ張られてたりするんだろうか。
「それに今は別のインターフェースに長門さんを任せてるから」
朝倉さんの皮を被った彼女はあっけらかんとした様子でそう言った。
彼女と長門さんの2人以外にも宇宙人が北高にいるらしい。
「喜緑江美里、あなたも知ってる人でしょ」
「生徒会の不良書記だろ」
喫茶店でバイトしてた彼女を見た時に朝倉さんから聞いた。
付け加えるなら喜緑江美里も【涼宮ハルヒの憂鬱】じゃ宇宙人キャラとされていた。もう特に驚きはない、矢でも鉄砲でも火炎放射器でも持ってきてくれよ。
「なあ、君たちみたいなのはいったい何人いるんだ?」
「3体よ」
「君と長門さんと喜緑さんか」
「ええ」
他にもいそうなもんだが。
「私があなたに嘘をつくわけないじゃない」
「君はオレのことをよく知ってるみたいだが、オレは君のことをよく知らないんだぜ」
「だからこうして一緒の時間を増やしているのだけれど」
そりゃどうも。
かくして俺の高校生活は少しの間、朝倉さん(宇宙人)にジャックされることとなった。
もし昨日の俺が彼女の言葉を聞き流していたとしたらどうなっていたかなど今や知る由もないが、俺と朝倉さんの関係性において一つの分水嶺となったのは確かだろう。
言うまでもないと思うが朝倉さん(宇宙人)のお手製ハンバーグ弁当は副菜の玉子焼き含めとても美味であったことをここに補足しておく。