朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue21

 

 

 狐につままれる、とはこのことだろうか。何を言われたか理解できなかった。

 十秒ほどかけてようやく言葉を受け止めたはいいものの彼女の真意がわからない。

 押し黙ったところでわからないことには対処のしようがないため、いったいどういうことか問おうとした時だ、

 

 

「なんてね、冗談よ」

 

朝倉さんは柔和な笑みを浮かべそう言った。

 彼女による本日二度目の冗談は流石の俺も笑えなかった。

 俺だって夏休み期間を無味乾燥な日々として過ごそうとは思っちゃいない。ノープランなりに考えている事だってある。

 朝倉さんの荒唐無稽な冗談に神経衰弱させられた俺が自宅に着いた頃にはごちそうになった料理の味さえ曖昧なものとなっていた。

 要するに真意を問うのが憚られたままおめおめと逃げるように帰ってきたわけだが、別に慌てなくとも平日でいる内は毎日顔を突き合わせるわけだし何日かしてから聞けばいい。明日は明日の風が吹くのだから。

 と、適当に結論付け、やることもないので早々に就寝。

 寝て起きればリセットされるとまでは行かないが、切り替えることはできよう。

 

 

「起きる時間よ」

 

 そして翌日。いつも通りの時間帯にいつも通りの感じで毛布を朝倉さんにどかされる。

 楽しい楽しいスクールライフが今日も始まるぞ、といった感じであくびとともに身体を起こすと視界に入る情報に強烈な違和感を抱く。

 

 

「おはよう」

 

「おはよ」

 

「……ねえ朝倉さん」

 

「何?」

 

「なんで私服なんだい……?」

 

 俺を起こしに来た朝倉さんは北高指定のセーラー服でなく、フリルの付いた白いブラウスにベージュのレギンスパンツと完全な私服ときた。

 夏休みがどうとか昨日言ってたがまさか今日からというわけじゃあるまい。

 俺の質問に対し朝倉さんは事も無げに、

 

 

「私今日は学校お休みするわ。詳しくは後で説明してあげるからあなたは準備してちょうだい」

 

そう言うと部屋から出ていってしまった。

 何だ何だよ何ですか、認識改竄系のスタンド攻撃でも受けてるのか俺は。

 ともかく彼女の言葉に従い朝のルーチンワークを開始する。

 一階に降りて洗面所で顔を洗う。少しは眼が冴えたはずだが鏡の前にいるのは昨日と相も変わらぬ無気力ボーイ。

 

 

「どうした、笑えよ」

 

 なんて鏡像の自分に言ったところで痛々しいだけだった。

 朝食は白米、グリルした手羽先、わかめ味噌汁、あとひじきの佃煮。平凡な男子高校生の朝食だ。

 心に余裕を持って食事せよがモットーなのだが今日の俺は朝倉さんの話が気になるためそそくさと朝飯を処理していった。

 そして制服に着替え学生鞄と傘を持って外に出る。

 降りしきる雨の中、家の前にいたのは朝倉さんだけで長門さんの姿は見受けられない。

 

 

「それで休むってのは」

 

「うん。昨日あなたが帰った後のことなんだけど――」

 

 淡々と行われた朝倉さんの説明はこうだ。

 トンポーローをすそ分けしに長門さんの部屋を尋ねたところ彼女のテンションが異様に低く、何かあったのかと聞けば帰り道で車に轢かれかけたと言うではないか。

 車両と接触はなかったとのことだが避けた際に転倒して手足を擦り、頭もぶつけた。

 当の本人は「大丈夫」の一点張り。でも朝倉さんからすれば大丈夫かはわからない。特に頭の怪我は怖い。

 気分が悪くなったらすぐに知らせるように念押しした上で、翌日病院で診てもらうことにし、朝倉さんはその付き添いに行くために学校を休むそうだ。つまり長門さんも当然休み。

 これも何かの冗談と思いたいね。実際に長門さんが来てないのだからマジなんだろうけど。

 

 

「事情はわかった。大事ないことを祈るよ」

 

「キョンくんにはあなたの方から説明しておいて。診察が終わったら連絡するから」

 

 それじゃ、と言い朝倉さんは来た道を引き返していく。

 久方ぶりのぼっち登校としゃれ込むにはアガらない状況だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一般的に、高校という箱庭の機能は生徒2人欠いた程度じゃ支障をきたさない。何もなかったかのように進んでいく。

 が、それは授業を進める教職員の話であり、生徒からすると絡む相手が減るわけだから授業外の時間においては僅かでも変化があるし何より気になる。

 朝のホームルームで朝倉さんと長門さんの欠席が担任の岡部教諭により告げられ――休むにあたり、朝倉さんはある程度の説明をしたと思うが、岡部教諭の配慮により詳しい説明はなかった――10分休みに入るや否や俺の席に女子生徒が1人押しかけてきた。

 

 

「朝倉さんが休んだ理由って知ってる?」

 

 単刀直入に聞いてきたのは同級生の西嶋。朝倉さんとは1年の時から昼ご飯を食べるグループ仲だ、そりゃ気になるわな。

 さてどう答えたものか。

 プランA。質問を質問で返す。

 

 

「なんでオレに聞く?」

 

「だって、あなたに何も言わず休むようには思えないから」

 

 当たり前のように言ってくれるじゃないか西嶋よ。まあ、向こうが言わなかったらこっちが聞いてると思うし俺に聞くのが正解だと俺でも思う。

 ここで意地の悪い対応ばかりしていると後で朝倉さんにシメられかねないので本当のことを言わない作戦にする。

 

 

「朝倉さんどころか長門さんが休んだ理由まで知ってるよオレは」

 

「やっぱり。で?」

 

「朝倉さんは長門さんの付き添いで病院に行くって。詳しく聞いてないけど長門さんの体調不良みたいだ」

 

 車に轢かれかけた挙句、頭の検査をしに病院へ行ってるなんて言ったら悪い方向に心配が広がりそうだからな。

 俺自身長門さんの容体を把握しているわけじゃないし、長門さんは心配されたら申し訳なく思うタイプの人だし。

 

 

「そうだったの。2人とも1人暮らしだもんね……」

 

 納得したのか西嶋は自席へ引っ込んでいく。

 だが納得してない奴が後ろから、

 

 

「さっきの話本当か?」

 

と声をかけてくる。

 

 

「ふむ。朝比奈みくるファンクラブ会員番号119番のキョンか」

 

「余計な形容詞が多いぞ」

 

「耳をダンボにするのは勝手だが顔くらい見せたらどうだ。人様に質問するならそれなりの礼儀があろう」

 

「何様のつもりだ」

 

「オレ様」

 

 観念したキョンは俺の前に出てきた。

 

 

「8割方オレの言った通りさ」

 

「残りの2割はなんだ」

 

「診察結果待ち」

 

「長門に何かあったのか?」 

 

 人が言葉を選んでいるというのに青春野郎め。

 朝倉さんじゃなくてこいつが付き添いに行くのが一番良かったんじゃないかと思えるね。

 

 

「オレだって全てを掌握してるわけじゃあないんだぜ。朝倉さんから連絡が来たらお前にも共有してやるからピーピー言わず席へ戻りな」

 

「……わかったよ」

 

 キョンは大人しく引き下がってくれた。

 まったく、朝からこうも落ち着かないと気が滅入るっての。

 そんな言い訳を用意したところで決まった時間にチャイムは鳴る、授業は始まる。

 当たり前のことが何か寂しいことのように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お昼休みに入ると見計らったように朝倉さんからショートメールが届いた。「今電話に出れる?」ね。

 わざわざこう伝えてきたってことは込み入った話になりそうなので、少し待ってほしい旨を伝え弁当箱を持って部室棟へ移動。

 文芸部の部室に入り、OKの返事をするとすぐに電話がかかってくる。

 

 

「もしもし」

 

『診察は終わったわ。画像検査で命にかかわるような異常は見受けられないそうよ』

 

「重畳だね」

 

『ただ――』

 

 朝倉さんの口から語られたのは予想だにしない内容だった。

 曰く、転倒で頭をぶつけた折に記憶障害のような状態になっていたそうで、自分の意識と記憶の間に乖離がある状態らしい。何も覚えていないわけじゃないがそれを自分の出来事と感じていない、と。

 

 

『すぐ言ってくれれば良かったんだけど、怖かったって』

 

 記憶があるだけマシじゃないか。とは言えなかった。 

 一応日常生活は問題なさそうなので明日から復帰するとの事だが、長門さんがいつ元に戻るかは神のみぞ知るといったところか。

 通話を終え、俺以外誰もいない部室で一人ため息をつく。

 4年前に似たような体験をしている身としては何とかなるさと言ってやりたい。

 こういうことが起きてしまうのも現実だからなのか。少なくとも俺が観た小説とアニメではこんな展開なかったぞ。

 弁当を無理矢理腹の中に入れ、教室へ戻るとキョンを引き連れ生徒玄関2階の吹き抜けに面した廊下へ移動し、彼にありのままを伝えた。

 キョンは受け止め切れていないといった様子だ。無理もない。

 

 

「とにかくオレたちにできるのはいつも通りに接してあげることだ」

 

「ああ……そうだな……」

 

「心配なら放課後様子を見に行ったらいい」

 

 俺の言葉にすっかり黙り込んで思案してしまうキョン。

 これ以上余計な事は言わず、俺は一人用を足しにトイレへ移動した。

 昼休みが明けてからは時間の経過がやたら緩やかなものだったがしょせん2時間弱、自ずと放課後は訪れる。

 結局、キョンは長門さんの家へ直行したため本日の文芸部は俺と光陽園からの侵略者コンビの計3人だ。

 で、今日は何をしているかというと古泉が持ち込んだボードゲーム【グリモリア】で暇を潰している。

 こうなると最早なんの集まりかわからない。傍から見れば完全にゲーム倶楽部じゃないか、姉さんに見られたらどう釈明しよう。

 

 

「あ、そうそう。あたしたち明日からしばらく来れないから」

 

 ゲーム道具の魔道書をぺらぺらめくりながら涼宮がそんなことを言った。

 

 

「期末テストが近いということで追加講習や時限数の追加がありまして」

 

 俺が何か聞くよりも早く太鼓持ち野郎の古泉が解説を入れてくる。

 テスト対策強化週間ってやつか。なんちゃって進学校の北高と違って光陽園学院様はそこらへん徹底してるみたいで何よりだ。

 元を辿れば暇だからとかいう理由でやってきたからなこいつら。それが文芸部のパラサイトにまで発展したわけだが、学生である以上は学校のカリキュラムが最優先ということか。

 

 

「そんなわけで、期末が終わったら覚悟の準備をしておくよう伝えときなさい」

 

 パタリと魔道書を閉じ涼宮はキメ顔でこう言った。

 

 

「夏が来たら思う存分遊ぶわよ!」

 

 どうやら俺の夏休みに人権はないらしい。

 そりゃあ家に引きこもっているよりかは何千倍もマシな展開というか、UMAやミステリの類が絡まなければ信用できる女が言うのだからきっと楽しい夏になるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活動の時間が終わり、光陽園の2人とも別れ未だ雨が降る道を歩いていく。

 精神的な疲れを感じる一日だったがボードゲームが気分転換になったのか気分はそこまでダウナーじゃない。

 だが朝倉さんは俺以上に疲弊していることだろう。

 日頃お世話になっている手前、愚痴のひとつくらい聞くべきだ――ついでに明日の起床が穏やかなものになればいい――と思い昨日に続いて某マンションに向かっている。

 明日止んでくれるか疑わしい雨の中、延々歩き続けようやく馴染みの建造物が見えた。

 共用エントランスのオートロックに505の順でナンバーキーを押しそこの住人を呼び出す。

 インターホンは待ち構えていたかの如く迅速に繋がった。

 

 

『はい』

 

「オレだ」

 

『どうぞ』

 

 施錠が解除され、自動ドアが開く。

 小奇麗なロビーに用はない。エレベータに乗り、すぐに5階へ上がり、505号室のピンポンを鳴らす。

 数秒の後、ガチャ、と部屋の扉が開かれる。

 扉の向こうにいたのはTシャツとハーフパンツのバリバリ部屋着な朝倉さん。

 

 

「いらっしゃい。私の顔が恋しくなったようね」

 

 俺を部屋に招き入れるや否やそんな事を言ってくる。

 好意的な解釈をしてくれるのは実にありがたいよ。

 リビングに上がり、木製の椅子に腰かけ小休止。

 朝倉さんはお茶を注いだコップをテーブルに差し出すと対面に座った。

 

 

「それで話って何かしら?」

 

「オレが話したいというより話を聞きに来たというか……今日一日、大変だったろ」

 

「あら、ひょっとして私の心配に来てくれたの?」

 

「……そんなところかな」

 

 こそばゆくなり視線を逸らす。

 一方の朝倉さんはというと、すっかり上機嫌になり、

 

 

「話を聞くだけなんて言わずに今日もうちで食べていったら? ゆっくりすればいいじゃない」

 

などと誘いの言葉をかけてくる。

 視線を戻せば微笑んでいる朝倉さんの顔。満面の笑みでもないのに5000ルーメンの輝度を感じるのは俺が変に気を回してるだけなのか。

 魅力的な申し出なのは違いない、けど妙に尻込みした俺は謝絶の意を伝える。

 

 

「いや、今日は遠慮するよ。君がまいってなくて安心した」

 

 ともすれば逃げ口上かのように聞こえるかもしれないが連日ご馳走になるなど遠慮したくもなろう。

 ただ朝倉さんの反応は想定より悪いものであった。

 

 

「……そ」

 

 電力供給が断たれたかの如く微笑みは消え失せ、か細い声で落胆を表す。

 まるで捨てられた小型犬みたいな雰囲気だ。ここで帰ったら悪者じゃないか俺。

 

 

「――と思ったけどやっぱり食べようかな。急に腹が減ってきた、飢え死にしそうだ」

 

 白々しい自覚はある。

 朝倉さんは俺の変わり身など識ってたと言いたげに口角をつり上げ、

 

 

「ふふっ、わかったわ。準備するから待ってて」

 

キッチンへ引っ込んでいった。

 かくして、昨日と同じく晩御飯が不要な旨を母にメールする羽目となり、帰ったら色々言われる未来に辟易しながら料理を待つことに。

 しばらくするとテーブルに出てきたのは具が大量に詰められた鍋。お得意のおでんだ。

 

 

「今日は趣向を変えて黒おでんよ」

 

 確かに鍋のつゆがオーソドックスなだし汁ではない。真っ黒な液体で満たされており、そいつが染み込んだ具は黒く変色している。邪悪な代物だ。

 静岡のご当地おでんなる黒おでんは、取り皿へ移した具にだし粉と青のりをかけて食べるのが流儀だという。

 朝倉さんが出す料理はもれなく美味しいということを本能で理解している俺でもダークはんぺんを口に入れるのに少々勇気が必要であったが、ひと口で歓喜の唸りを上げさせられた。

 

 

「どう? 初めて作った割にはイケるでしょ?」

 

 大根玉子を白米と合わせて喰らう。

 シンプルにうまい。

 

 

「いつぞやの味噌おでんも良かったけどこれは格別だな。つゆひとつでこんなに変わるのか」

 

「おでんには無限の可能性があるもの、探究の路は果てしないわ」

 

 朝倉さんはおでんマイスターを目指しているのかもしれないがもう既に名乗っていい域にいると思う。

 むしゃむしゃ食べるのに夢中になりすっかり当初の目的を失念してしまっていたが、ご飯のおかわりをもらったタイミングでふと思い出せた。俺は今日一日の朝倉さんの所感を聞きに来たのだ。

 とはいえ馬鹿正直に大丈夫かと聞いても大丈夫としか返ってこないだろうし、自然な形でストレスが解消されるのが望ましい。

 

 

「長門さん。明日から復帰するって話だけど、君的には問題なさそうに思うかい?」

 

 少しでも不安があるのなら俺もフォローに回る。

 そんな想いから言ったつもりだった。

 

 

「……さあ?」 

 

 どこか白けたようにはぐらかす朝倉さん。

 それどころか、

 

 

「上辺じゃ何も判断できないでしょう」

 

さも他人事のように言い出す始末。

 

 

「結局本人次第じゃないかしら」

 

 俺は彼女の異様さに唖然とした。

 おせっかい焼きの朝倉涼子が"本人次第"だって?

 まるで反抗期の子供に嫌気が差した親みたいじゃないか。

 実は長門さんと喧嘩でもしたのか。

 いや、俺がよく知る朝倉さんは友人に何かあったら自分まで気を揉むような優しすぎる人間だ。

 そして気丈に振る舞ったとしても俺には弱音を吐いてくれる。そんな関係性を築いてきたと思っている。

 

 

「なあ――」

 

 だからこそ、ここに来たのだ。

 

 

「――君は誰だ?」

 

 

 


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