朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue20

 

 六月。

 気温が急上昇したかと思えば大雨で、まさに梅雨真っ最中の今日この頃。

 エアコンをかけようが湿気による精神的な苦痛は不可避であり早い話がやる気が出ない。一割、いや二割増しで。

 まあ、そんなことは俺の幼馴染には関係ないというか知ったこっちゃないというか。

 

 

「はいさっさと起きる」

 

 布団を剥ぎ取られリアルと向き合う時間がやってきた。

 まったく、俺がカート・コバーンなら今頃散弾銃を探してるとこだよ。

 しかし俺は銃と無縁な普通の日本人であり、高校生である。この瞬間においての最善策は大人しく起床することだけだ。

 将来的にはこういう姿勢も改める必要があるというか、いつまでも朝倉さんに起こされるわけにはいかないのだろうが、学校に対するモチベーションの低さが根本的な原因ゆえ改善しにくいというのが正直なところ。

 こればかりは、な。

 自分を奮い立たせ朝のサイクルをなぞり幼馴染およびその親友との登校を開始する。

 

 

「クソッ、今日もジャンジャカ降りやがって……」

 

「明後日には止むみたいよ」

 

「そりゃあ明日も楽しめそうだ」

 

「もうっ、卑屈なこと言わないの」

 

 朝倉さんに上腕を小突かれた。

 この幼馴染ときたら、俺相手だったらいつでも叩いていいと思ってるみたいなんだよな。別に構わんが。

 

 

「確かにこう雨が続くと気力が削られるわ。洗濯物は部屋干しだし、なんか生活リズム乱されちゃってる感じ」

 

 けど、と朝倉さんは言葉を続け、

 

 

「私より気の抜けた腑抜けくんがいるんだもの、ぼーっとしてられないわよ」

 

ずいぶんなご挨拶をかましてきた。  

 人の振り見て我が振り直せかね、ご立派なことで。

 しかしだな、

 

 

「オレも人のことをとやかく言えるような立場じゃあないが……ぼーっとしてるってのはまさにあんな感じだろ」

 

指さしで朝倉さんの視線を誘導した先には一人で五、六歩ほど先行している長門さんの後ろ姿。

 その足取りは全身に酔いが回った週末の中小企業管理職か、はたまたノックアウト寸前のボクシング選手かというぐらいに不安定も甚だしい。

 って、まずい。あのままだと電柱激突コースだ。

 

 

「長門さん危ない!」

 

「前!前!」

 

「……ふぇ?」

 

 足を止め、ちらっとこっちを見てから前を向いた長門さんは電柱の存在に気づき「わ!」と声を上げて後ずさる。

 朝から冷や汗もんだぜ。額と電柱がごっつんこしなくて何より。

 けど――

 

 

「――長門さん」

 

 冷淡なトーンで親友の名を呼ぶ朝倉さん。

 やば、完全にお怒りじゃんか。

 

 

「昨日は何時に寝ましたか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間なる生物である以上、睡魔というバイオリズムは抗うことが非常に困難な相手である。

 とくに長門さんは見るからに典型的な低血圧少女で、加えて梅雨という季節が体調に悪影響を及ぼしているのは間違いない。うつらうつらで前方不注意にもなるさ。

 が、夜更かししてゲーム三昧――寝たのは26時30分、つまり今日の2時半らしい――だったとくれば話は変わるようで、説教モードの朝倉さんによる雷が長門さんへと落とされた。

 雨空の下じゃなかったら正座くらいさせてたであろう朝倉さんの純粋な善意からくる正論パンチラインは5分ほど続き、怒りの矛先にないはずの俺さえ反省の気持ちが湧いてくるほどだった。

 

 

「これに懲りたら日付が変わるまでゲームしないこと!いいですね!」

 

「はい……」

 

 有無を言わさぬとはこのことか。

 さて、朝倉さんのターンが終了したところで、再三にわたり文句を言わせてもらいたいことがある。

 ご存知だろうが北高前の通りは長ったらしい坂道となっており、その事実は雨が降ろうと槍が降ろうと変わらない。要するに梅雨の登校は普段より割増のキツさだ。

 今日に関しては雨脚が激しいだけなのでまだ良い。先週末なんかそれなり風が吹いてたからな、しかも向かい風。罰ゲームの域だよな。

 もっとも俺にとって最大の罰ゲームは授業に他ならず、今日も今日とて机に顔を預けるだけの一日。

 天候は異常なれど俺は平常運転だった。

 

 

「それでよ、その社員が人使い荒い奴でな~」

 

 平常運転なのは谷口のくだらない話もか。

 季節柄ただでさえ気分が暗くなるのだから昼メシ時くらい明るい話を持って来ればいいのに、こいつときたらバイト現場の社員がどうとか割に合わない給料だったとか、大あくびだな。

 そんな態度が気に食わなかった谷口は俺を煽る。

 

 

「余裕そうでいいよなお前は。悩みなんかねえってツラに見えるぜ」

 

 馬鹿を言うな。

 なるべく考えないようにしているだけで思い出す度に自分を悩ませる事柄が俺にはある。

 無論、朝倉さんに関してだ。

 今年こそは何かしらのアクションを起こすべきかでは具体的にどうするかということの堂々巡りでもう六月。悩むというか、焦るので精神衛生上の都合により思考を止めている。

 などということを語って聞かせる道理はない。

 

 

「君は何か悩んでるのかい?」

 

 だんまりの俺を気にせず谷口に問う国木田。

 国木田にしては愚問だな。こいつの悩みなんざいい女がナンパに引っかからないことか、あるいは定期考査の点数のいずれかだろうに。

 

 

「あのな、中間テストのダメージが抜け切れてないってのにもう期末テストまで一ヶ月切ってんだぜ。学年順位上位様にゃ関係ない話かもしれんが俺にとっちゃ大きな悩みの種よ」

 

「一応ヤバいって自覚はあるんだな……」

 

 そう呟くキョンもヤバそうじゃないのか。

 学年順位などという指標など最終的に何のアテにもならないということを識っている俺からすればどうでもいい話、勉強ってのは取り組む姿勢こそが後の人生で活きてくる要素だからね。俺が言っても説得力ゼロか。

 この日一番面白かった話は国木田が親戚の結婚披露宴に行った時の話だった。

 平凡で、平穏だった。

 唯一それをお構いなしにぶち壊しそうな空気の読めない女を知っているけど、流石の涼宮ハルヒも人の子らしい。

 

 

「あー、こんなに雨降ってたらやんなっちゃうわー」

 

 彼女は今、文句を垂れながら文芸部のデスクに突っ伏している。

 こういう時の涼宮は決まって何かしら思いついた事をやろうと言い出すのだが、いかんせんアウトドアなことが出来ないときたらここでぶーぶー言い続けるしかできない。

 涼宮のストレスに伴う世界の崩壊を心配する必要はないんだしな。哀れなものよ。

 さりとて、有意義な時間を過ごしているのは物理の参考書を眺めている古泉と洋書を読んでいる長門さんだけであり、朝倉さんはお茶を飲みながら音楽雑誌を読み俺とキョンはポケット人生ゲームに興じている。文科系クラブの活動らしくはあるか。

 人生ゲームの勝負状況としては事あるごとに低い出目とマイナスなマスに止まり続けたせいで圧倒的に俺の資産が負けている。

 購入早々に家を失うってなんだよ。ドラえもん1話の未来のび太より悲惨じゃないか。

 ルーレットの回転音をBGMに約束手形を返せないままゴールしてもおかしくないと萎え始めた時、

 

 

「……あ」

 

ぽつりと声を上げたのは朝倉さんだ。

 一同の視線が集まる中、少しばつが悪そうに彼女は切り出す。

 

 

「今日たまごの特売日だったの忘れてたわ。先に帰るわね」

 

 慌ただしく荷物を纏める朝倉さん。

 もちろん俺も同行する。すっかり勝ち誇った様子のキョンに一言を忘れずにね。

 

 

「ノーコンテストだ」

 

「なんだって?」

 

「俺も朝倉さんと一緒に行くから勝負は仕切り直しってことで」

 

「バカ言え。どう見てもお前の負けだろ」

 

「さあ? 人生の勝ち負けってやつは終わってみるまでわかんないもんだぜ」

 

 盤上から駒をどかしゲーム内通貨を束にしてキョンに押し付ける。

 三十六計逃げるに如かず、俺の座右の銘かもしれない。

 何はともあれ敗北感を味わうことなく部室を後にできるのは気分が良いや。

 廊下に出るや俺に向かって朝倉さんは、

 

 

「あなたそんなんじゃ友達なくすわよ」

 

と鋭い一言を浴びせた。

 ああいうのは相手を選んでやるから心配しなくてもいいさ。

 

 

「そう。煙に巻くのは得意だものね……冗談よ」

 

「ははは……」

 

 渇いた笑いしか出ねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天気のせいもあり、いつものスーパーに着く頃には空がすっかり暗くなっていた。

 この時間帯の客入りはそこそこ、夜は夜で帰宅中のサラリーマンが利用するため店員が落ち着けるのは午後9時を過ぎてからといったところか。

 俺は頼まれた品だけをカゴに入れてくわけだが、これが自分での買い物となるとどうだろう。余計なものばかり買いそうだ。

 朝倉さんの倹約ぶりは高校生徒と思えぬほど凄まじく、俺には到底真似できない境地。俺だったらおやつにプロセスチーズとか買っちゃうね。

 仕送り生活といっても彼女の父親はそれなりの企業の偉い人である。

 しかも可愛い一人娘が相手となれば贅沢しても困らないほどお金を渡してそうな感じだが、ブランド物買ったりとかもしないんだよな。ほんと奇特なお方だ。

 

 

「……っと、お待たせ」

 

 会計を済ませて現れた彼女が両手にぶら下げている戦利品は心なしかいつもより多そうで、実際ひと袋受け取ると多少の重量感がある。

 

 

「ここのところ買い出しに行けてなかったから今日は多いの。ひとつでいいわ」

 

「持てる重さだしそっちも持つよ」

 

「傘差すのに片手じゃきついでしょ?」

 

 確かに。腕の休憩のために傘と荷物の持ち手を交換しながら行くのは無理じゃないが最終的にひーこら言う羽目になりそうでかったるい。

 だが朝倉さんに持たせるってのもな、これからご相伴に預かる手前気乗りしない。

 どうしたものかと逡巡していると朝倉さんは「じゃあこうしましょう」と前置きした上でこのように提案した。

 

 

「傘は私が持つから、レジ袋はあなたが持ってちょうだい」

 

 なるほど確かにそうすれば俺の負担はいつもと左程変わらないし傘の問題も解決する。

 解決するが、その行為は相合傘って呼ぶんだぜ。

 

 

「まあ、君がいいならオレはいいけど……」

 

「決まりね」

 

 にっと笑う朝倉さん。困ったな、そういうの弱いんだよ俺。 

 同じ傘の中で肩寄せ合う高校生男女なんてのは季節柄珍しくないが、いざ自分がそういう立場になるとどうだ。絶滅危惧種にでもなったかのような気分。

 ていうか俺の傘を朝倉さんに持ってもらってるわけだから傍から見りゃ完全にやりたくて相合傘してる状態じゃないか。

 俺に若干のテンパりがある一方、朝倉さんから表面上の変化は窺えない。ワイドショーのトピックなんかを話題としていつも通りにお喋りしながら家路を辿る。

 

 

「やっぱり日本人が勝つのは難しいのかしら」

 

「ベスト8だっけ。充分凄いんじゃあないか、相手が悪かっただろ」

 

「最初はいい感じだったのにああも簡単にひっくり返されちゃ素人でもレベルの差を感じちゃうわよ」

 

「そういうもんさ。フィジカルだけの問題でもない」

 

 どこぞのSOS連中は非常識パワーで大学野球のチームをねじ伏せてたわけだが、あれを実力扱いするのはナンセンスか。

 北高の体育会系部員をこき下ろしたりもした俺だがスポーツ自体は嫌いじゃないし野球中継を観ることもある。

 もっともそれはプロの試合だからであり、興行として成り立っているからだ。トップクラスのアスリートが競り合うからこそ面白い、と俺は思う。アマチュアでも全国大会は面白いかもしれんが北高には縁のない話さね。

 適当な事で思考にノイズを走らせながら歩き続け、某マンションに到着した。

 後は気楽なものだ。すっとろいエレベーターで5階に上がって廊下を少しばかり歩いた先は朝倉さんの部屋。

 

 

「はぁ、ようやく一息つける」

 

「お疲れ様。自分でしまうからあなたは休んでて」

 

 朝倉さんはレジ袋を持ってキッチンへ向かう。

 彼女の言葉に従いリビングで絨毯の上に寝転がる俺。勝手知ったる朝倉さんの家という感じ。

 料理が出来る前の間、ザッピングで時間を潰すこともあれば無心で横になることもある。ちょっと疲れたのもあって今日は後者。

 スマートフォンでインターネットの天気予報を見たところ雨は止まず明日まで降り続けるらしい。最悪だ。

 それにしても。

 

 

「……やっぱ無理があるよな」

 

 先月の合宿で朝倉さんと撮った写真は未だに待ち受け画面に設定――元待ち受けの茶トラ猫画像はホーム画面にシフト――しており、視界に入れる度にメンタル面の何かが削られていく。 

 どこまでいっても自分本位な人間でしかない俺だが、朝倉さんに対しては家族以上に自然体な"俺"でいられる。

 そう、間違いなく特別な存在だよ。確かだ。言葉にして伝える覚悟はまだないけど。

 こうなったら禅の修行でもしてみるか、などと半分本気で思った時だった。

 

 

――ガシャン

 

 突然、キッチンの方から音がした。

 何事かと見に行ってみると、冷蔵庫前の床に散乱したガラス片と液体が。

 察するにお茶の入ったガラスボトルを落としてしまったみたいだ。

 

 

「ちょっとドジっちゃった」

 

 ソワソワした感じで言う朝倉さん。

 購買日を失念していた件といい今日は本調子じゃない日なのかね。

 少しばかり憂う気持ちになったが、食卓に出された料理を口にするとそんな気持ちは霧散した。

 

 

「マジでうめえ」

 

「ふふっ。作った甲斐があるわ」

 

 宝石のような朝倉さんの料理、食卓を支配。

 メインのおかずとなるトンポーローは感動すら覚える味だ。なんでも昨日から仕込んでいたとかで、珠玉の一品と言えよう。

 そして副菜も手を抜かないのが朝倉流。ごぼうの和え物にだし巻き卵と地味な見た目ながら味の主張はしっかりしている。

 いつも通り一心不乱に食べていると朝倉さんが話しかけてきた。

 

 

「もう来月には夏休みね」

 

「早いもんだ」

 

「何か予定はある?」

 

「墓参り以外何も」

 

「そ、じゃ――」

 

 聞くまでもないような事をわざわざ聞くなよ。と若干冷やかされたような気になり、ほんの僅かテンションが下がる。

 だが非常事態ってヤツは俺の気持ちなんか露知らず、あずかり知らぬ内に動き出していた。

 

 

「――他の日は私と一緒にいられるわね」

 

 

 


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