朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue2

 

 

 何を隠そう俺は学校のクラブ活動に所属している。

 とはいえ運動系ではなく文化系の、それも文芸部である。SOS団なる悪の秘密結社ではないから安心してくれ。

 つまり授業時間が終われば必然的に部室へ向かうのが常だがこの日の俺は部室棟ではなく市内の某スーパーマーケットにいた。

 なぜだろう。

 

 

「はい」

 

 メモ切れ一枚と駄賃を俺に手渡して「じゃあお願いね」と言うや朝倉さんは明後日の方向へ行ってしまった。

 早い話が彼女の買い出しの手伝いである。今日は特売日なのだ。

 朝倉さんは高校一年生ながらも一人暮らしをしており荷物運びといった力仕事を俺が手伝うようになってから久しい。いわゆる家庭の事情ってヤツだが何も悪いことが原因ではなく、親父さんの仕事の都合上長期の海外出張が多いのだ。家族仲は良好である。

 まあ暇人オブ暇人の俺がどう時間を使おうが俺の自由だろう。文芸部の活動内容などあってないようなもので、であれば人様のためになるようなことをした方が気持ちがいいのである。彼女の買い出しの手伝いをすることに他意はないぞ。

 ちなみに俺の担当は調味料や麦茶の茶葉といったものであり野菜等の食材ではない、それは朝倉さんの担当なのだ。なぜなら俺は食材の目利きができないからな。

 かくして必然的に朝倉さんより早くレジに向かい俺は俺で会計を済ませてしまうことになる。レジ袋片手にスーパーの外で待機だ。

 

 

「……クリスマスイブ、ねえ」

 

 昼間にあんな話題をふられたおかげで柄にもないことを考えてしまう。

 べつに今年に限った話ではない。

 アニメの世界だろうが俺という個人にとっての十二月二十四日はケーキを家族でつつくだけの一日にすぎないのさ、俺がはたしてリア充なのかどうかはさておいてな。

 季節の移り変わりというものはあっと驚くぐらいスピード感があり、もう三年以上が経とうとしている。

 今から三年前の夏のある日の朝、ちょうど今日みたいに俺は見知らぬ青髪の少女に叩き起こされた。それが朝倉涼子その人であった。

 俺が"俺"としての意思を持つ前の俺、つまるところ本来この世界で生きているはずの俺というキャラクターにはどうやら不登校のきらいがあり、朝倉さんが引っ張ってく形で中学を登校させられていた――まあ俺は俺で学校なんて行きたくないとは思ってるわけだ――とか。ブレないな俺。

 この世界での中学時代は『かったるかった』が総括で、もしかしなくても高校時代も同様に終わってしまう。

 仮にそうなったとしても俺は後悔しないだろうさ。ああこれは確信を持って言えるね。

 大事なのは今日という一日に対して"悪くない"と評価できるかどうかであって、後後からぐだぐだ『やっぱり』とか『ああしていれば』なんてぐずるのは女々しくてしょうがない。あまりにもみじめではないか。

 そうさ、人間、考えすぎないくらいがちょうどいいのだから。

 

 

「待たせちゃったわね」

 

 なんてとうの昔に結論が出ている話を頭の中に展開させて時間を潰していると朝倉さんがやって来た。これにて買い出しは了だ。

 大量の戦利品が入っているであろうレジ袋を彼女から受け取ると俺たちはスーパーを後にする。朝倉さんの自宅まで荷物を持つのが俺の仕事よ、ここに対価を求めるほどナンセンスな男じゃあない。

 ところで俺が買わされた調味料および朝倉さんが買ってきた大根や豆腐をはじめとする食材をふまえると今日の晩御飯はおでんらしい。

 

 

「うーん。たまには水炊きが食べたいんだけど」

 

「そうなの? ごめんなさい、じゃあ次に鍋をするときは水炊きにするわね」

 

 彼女の買い出しの手伝いをした夜はお相伴にあずかることが多くこの日もそうであった。

 母さんが作る料理に不満などはないが朝倉さんの料理の実力は凄まじい、そんじょそこらの料理人に負けていないのではなかろうか。ただレパートリーは豊富なのだが朝倉さんはおでんが大好きでありその気になれば年中おでん生活で生きていける人間なのだ。初めて夏に冷やしおでんを出された時の俺の顔がどうなっていたか見てみたいもんだよ。

 外は既に陽が沈みかけている。

 真紅のコートに身を包んだ朝倉さんは手をポケットに仕舞えているが俺は両手がふさがっているため寒い。これくらいの荷物は負担ではないが寒さばかりは強くなれるもんでもないからな。誰だよ、夏より冬の方が好きって言うような奴は。

 と、寒さに耐え忍びながら歩いていると。

 

 

「……あら」

 

 前方を歩く男女二人組の姿が見えた。俺の友人のキョンと長門さんの二人である。

 ちなみに"キョン"なる呼称は単なるあだ名で本名はまったくかすりもしないようなものだが皆がそう呼ぶため俺もキョンと彼のことを呼ぶようにしている。というかあいつを下の名前で呼んでも「ん、ああ、俺か」と反応よくないしな。

 朝倉さんは遠巻きに彼らの後姿を眺めながら、

 

 

「長門さんとキョンくんっていい雰囲気よね」

 

イタズラ少年みたいな笑みを浮かべてそう言う。

 確かにあの二人はアニメの作中において絡みがそれなりにあるから当然っちゃ当然か。

 長門さんは小動物的な魅力を感じさせる美少女なので彼がころっとやられるのも無理はないんじゃないの。おまけに眼鏡タイプだし。

 

 

「あいつが文芸部に入って一週間だけど……長門さんは二割くらい明るくなったんじゃあないかな」

 

「ふふっ。長門さんったらついこの間はキョンくんに入部を断られたらどうしようってあたふたしてたのに、もう忘れちゃったみたい」

 

 そんなもんだろう。

 人間は悩み苦しんだ記憶なんてのは封印したがるものさ。

 

 

「なんだかなー、あの二人を見てると腹が立ってくるのよ」

 

 はい?

 とんでもない発言をした朝倉さんは俺をチラッと横目で見ると、

 

 

「ちょっと意地悪しに行ってくるから」

 

などと言い残し二人に水を差すため俺を残してかけて行った。

 まったく、俺へのあてつけなのだろうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局キョンと長門さんも一緒に朝倉さん宅で晩御飯をいただくこととなった。

 まあ鍋モノは大勢で囲むぐらいがちょうどよかろう。俺以外の三人についても文芸部に所属しているため気をつかうような仲でもないし。

 朝倉さんと長門さんは部屋こそ違うものの同じマンションに住んでおりそこは市内でも有数の高級分譲マンションである。

 長門さんも朝倉さん同様に一人暮らしなのだがいずれにしても一人で住むには広すぎるほどの部屋だ、これがぼっちだったら確実に病んでることだろう。

 

 

「ささ、上がってちょうだい」

 

 ガチャリとドアを開錠した朝倉さんの言葉に従い客人である俺たちは505号室にお邪魔した。

 はぁ、やはり室内はあったかい。ようやく一息つけるというものだ。といっても今すぐに荷物を放り投げるわけにはいかず、俺には買い出しの戦利品をしまう仕事がまだ残っている。先んじて居間のテーブルでくつろいでいるキョンと長門さんの二人が恨めしいがあっちは勝手にストロべっているがいいさ。クソが。

 などと心にもないような、でも僅かばかりはやっぱりあるようなことをキッチンの片隅で考えていると、

 

 

「いつも悪いわね」

 

エプロン姿に着替えた朝倉さんから聞いてるこっちが遠慮したくなるような一言が。

 初めて彼女の買い出しに付き合った日がいつなのかは知らない。三年以上も前から俺と彼女は交友関係があるのだとか、いわゆる幼馴染という奴らしい。聞けば俺の親父と朝倉さんのお父さんは仕事の関係で知り合い、何度か飲みに行っているうちにお互いに歳が同じ子供がいるので両家族で海にでも遊びに行こうという話が出たのがきっかけだとか。

 そのコミュ力、ちっとは俺にも分けてくれよ親父。

 

 

「今更気にしなくていいって」

 

「親しき仲にも礼儀ありって言うじゃない」

 

「確かにね。だけど困った時はお互い様だろ、この借しはいつか返してもらえればそれでいいさ」

 

「ふーん。じゃああなたは今何かに困ってるかしら?」

 

 なんですかその質問は。

 というか今なのか。

 

 

「借りを返すなら早い方がいいわ。だって利子がついちゃうから」

 

 さいですか。ならここは朝倉さんのご厚意にすがってもよかろう。今、何に困ってるかねえ。

 買ってきたキャベツを冷蔵庫に突っ込んでから小考。こういう時は自分に正直なことを言うべきだ。

 

 

「手がかじかんで指先の感覚がヘンなんだ、だからお湯を貸してもらう」

 

 黙って洗面所の蛇口をひねってもよかったが人様の家なのでことわりを入れるのが"礼儀"さね。

 しかし俺のお願いはあっさりと一蹴される。

 

 

「水がもったいないから駄目」

 

 せっかく俺たちは先進国に生まれたというのに何故だ。

 というかわざわざ何に困ってるか聞いておいて断るだなんて、露伴先生といい勝負の鬼畜さだぞ。

 はあ、とため息を吐くのをぐっとこらえて別の角度でお願いする。

 

 

「じゃあ余ってるカイロをひとつくれよ」

 

「あのね、もっと省エネでエコな方法があるのよ」

 

 と言った朝倉さんはいきなり近づいてきて俺の両手を取ったかと思うと、次の瞬間には自分の頬に俺の両手を押し付けた。

 おいおい、人間ストーブだとでもいうのか。

 

 

「ど、どう? あったかい?」

 

 ええっとですね。生暖かいといいますか、柔らかいといいますか。というか近いぞ。 

 年単位で顔を突き合わせている仲とはいえこんなパターンは初めてである。データにない行動には対応できん。

 とりあえず視線を朝倉さんから外しつつ生返事をすることに。

 

 

「あー、うん。でも朝倉さんの方は冷たいだろ」

 

 よって俺はこの手をさっさと彼女の頬から放したかったのだがあいにくそうはいかない、俺の手首を支配しているのは朝倉さんの両手なのだ。

 

 

「大丈夫よ。ひんやりしてて気持ちいいぐらいだわ」

 

「……ならよかった」

 

「ええ。私のことは気にしないであなたは手を温めてちょうだい」

 

 冷静に対処しろよ俺。きっと家にカイロが無いから朝倉さんは超法規的措置に出たに違いない、間違いなくそうだ。

 だいたい朝倉さんの大胆かつ不敵な行動は今に始まった話じゃないだろ。そうだろ。中学時代は散々振り回されてきた思い出があるぞ。なんだか悲しくなってきた。

 

 

「もう充分だから手を離したいんだけど」

 

「駄目よ。まだ冷たいじゃない」

 

「後はお湯であったまるから」

 

「だから、そしたら水が無駄になっちゃうでしょ」

 

 これは無駄ではないとおっしゃるのか。なんなんだ。

 よしわかった、いいだろう。じゃあこっちも強硬手段に出ようではないか。 

 俺の反撃は反逆のライトニング・ディスオベイ、ならぬパーになっていた手の形を変えるといういたってシンプルなもので、つまり朝倉さんの頬を揉むことになる。いい感触だな。

 

 

「はうっ!? い、いきなり何するのよ」

 

 猫のほっぺをつまんで広げるのが好きなんだよね俺、猫飼ったことないけど。まあ乙女の柔肌に傷をつけるのは忍びないので彼女にそこまではしない。 

 

 

「このまま突っ立ってるオレの身にもなってくれ。暇でしょうがないんだ」

 

 暇なんかじゃなく落ち着かないのが正直なところだけど。 

 ギロっとこちらを睨んでいる朝倉さんを視界に入れたくはないんだがな、この距離では無視もできないわけで。

 

 

「暇だったら私の顔で遊んでいいっていうの? 今すぐやめなさい」

 

 いいか悪いかでいうと悪いと言われた覚えはないし、やめろと言われてやめてやる道理もなかろう。

 

 

「これも返してもらう借りのひとつってことで」

 

「ぐうっ。覚えてなさいよ、私をコケにした借りは倍にして返してあげるから」

 

 ひょっとすると俺はとんでもないお方に喧嘩を売ってしまったのだろうか。そんなつもりじゃなかったのにさ。

 そして世界はいつだってこんなはずじゃないことばかりだ、とでも誰かが言わんばかりに、

 

 

「おい、すまん喉が渇いちまっ……」

 

キョンがキッチンに立ち入りしてきた。なんというタイミングだろう。

 ここで諸兄姉には客観的に俺と朝倉さんがどう見られるかを考えてみてほしい、シンクの前で野郎が女子の頬をモミモミしているのだ。少なくとも日常的な風景でないことは確かだろ。もっとも俺はキョンの登場を知覚してからすぐに手を動かすのをストップさせたが間違いなく俺は変態野郎だとこいつに思われたことだろう。

 朝倉さんはスッと俺の手を放してキョンに一言。

 

 

「何か、用かしら?」

 

 耳に届くだけで背筋が凍りつくような恐ろしい声のトーンだった。

 俺は素早くバックステップで彼女から距離を空ける。

 キョンも彼女に恐ろしさを感じたのか慌てて返事をした。

 

 

「ん、ああ……ちょっと喉が渇いたからお茶が欲しくなったんだが」

 

「ごめんなさい、そういえばまだお茶を出してなかったわね。あったかいのは後で淹れてあげるからとりあえず冷蔵庫の麦茶を飲んでてくれる。コップは食器棚にあるやつ適当に使っていいから」

 

「そうか、サンキュな」

 

 満場一致で先ほどまでの茶番をなかったことにするつもりらしい。賛成だ。彼女もそうだが俺だってどうかしていたんだ、小学生じゃないんだから。

 朝倉さんはコンロに火をつけ具材を土鍋にドボドボと投入し、キョンはコップを二つ取り出して麦茶を入れる。俺とキョンは何食わぬ顔でキッチンから立ち去ろうとしていた。後はエアコンの温風でも浴びながらおでんが煮えるのを待たせてもらおう。

 

 

「あ、そうそう」

 

 のつもりだったが野郎二人は朝倉さんに呼び止められる。

 そして彼女はポイっと大根を軽く宙に投げると右手に構えた包丁を光の速さで一閃、二閃、三閃、と振るう。朝倉さんが大根に憎しみをぶつけていたということは容易に想像がつく、バラバラにされた大根には気の毒だが。

 

 

「キョンくん、さっき見たことは忘れなさい」

 

「……おう」

 

「いいわね?」

 

「は、はいっ!」

 

 Yes以外の選択肢をとろうものなら次はお前がこの大根のようになるぞと言わんばかりであった。俗に言う『君でも殺すよ』って感じだぜ、昔あれを読んだときは正義のヒーローであるはずの主人公に対して子供心にビビったもんだ――

 

 

「それからあなたには後でお話があるからご飯を食べ終わってもすぐに帰らないでちょうだい」

 

 いや、直近でビビってるのは間違いなく朝倉さんに対してだったな。

 でもって"あなた"というのはどうやら俺のことらしい。頼むからお話(物理)はやめてくれよ、非殺傷設定なんて便利なもんは現実にはないんだからさ。 

 これから小一時間後に朝倉さんお手製のおでんがようやく振る舞われたのだが俺は楽しい夜ご飯の時間にも関わらず生きた心地がしなかった。

 おでんなんてコンビニの以外食ったことねえぜ、などというキョンが一口で手放し絶賛するほどおでんは美味しいはずなのだが俺は何をどれくらい食べたのか覚えていない。獄中飯ってのはこんな気分で味わうものなのかもしれない。笑えねえ。

 見た目によらず大喰らいな長門さんのおかげで鍋の具材とついでに炊飯器の中の米も綺麗さっぱりなくなり俺の夕飯時もとい執行猶予時間は終わってしまう。

 おなか一杯になった長門さんはほくほく笑顔で帰宅していき、キョンは帰り際に、

 

 

「……強く生きろよ」

 

などと俺の肩を叩いてさっさと逃げて行った。薄情すぎやしないか。

 さて、朝倉さんの説教スタイルは激情的にぶつけてくるものではなく、理性的に追い詰めてくるタイプだ。いやらしいよね。

 

 

「私に何か言うことは?」

 

「すみませんでした」

 

 テーブルの横に正座して頭を地につける。これ以上の謝罪があろうか。

 過去の経験上、顔をあげなくてもわかることがある。窺う顔色がないくらいに怒っている時の朝倉さんの表情が怖いってことだ。

 

 

「あなたがなんで謝らなきゃいけないのかわかってるかしら」

 

「悪ふざけが過ぎました……本当に、申し訳ありませんでした……」

 

「だいたいね、あなたはいつも――」

 

 かれこれ三十分以上"俺"という人間の在り方ついて説教をされた。並の人間だったら心折れてるんじゃないかな。まあ、俺は既に心が折れてるから毒にも薬にもならないけど。

 そもそもの発端は朝倉さんが俺の手をあんな方法で温めようとしたことであり、俺が一方的に何かを言われるのはおかしな話なのだが、この時の俺は早く帰ってグッスリ寝たいとしか思っていなかった。

 翌日になってから前日の愚行を後悔したのと、朝倉さんの顔を思い出して恥ずかしくなったのは内緒である。

 

 


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