朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue15

 二年生になって変わったことはいくつかある。

 自分のクラスが北高校舎の中館になったというのはそのうちのひとつであり、わかりやすく言うなら部室棟から近くなった。

 だからといって急いで部室に集まって熱心に何かに打ち込むようなクラブ活動でもない我々北高文芸部は今日も今日とて各々の娯楽に時間を費やしていた。

 長門さんはいつも通りの携帯ゲーム、キョンは今日発売の週刊少年漫画、そして俺と朝倉さんは古泉が持ち込んだボードゲームに興じている。

 昔じーさんの家で見たビー玉のボードゲームそっくりなそれは【アバロン】というらしく、オセロのように白と黒の陣営に分かれて戦う二人用のゲームだ。これがなかなか奥が深い。

 既に三戦を終えており現在の戦績は二勝一敗で俺の勝ち越し。なのだが。

 

 

「ふふ、ちょっと思考時間が長すぎるんじゃないかしら?」

 

 朝倉さんが余裕の笑みを見せながらこんなことを言っているので察しがつくと思うが、今やってるこの試合は俺が押されている。というかほぼ詰み。

 ルールを簡単に説明すると、このゲームは十四個ある自軍の駒を六個番外へ押し出されると敗北するというものだ。

 こっちはもう四個駒を叩き落とされており、アバロンをよく知らない人が見ても「あ、こいつが負けるな」と分かるような盤面であった。

 初戦、二回戦と続けざまに勝ってきた俺が三回戦の敗北を期に圧倒されている。

 何故か。

 答えは単純だ。朝倉さんの成長速度が異常なのだ。

 これが朝比奈さんとかだったらずっとカモれるだろう、しかし朝倉さん相手だとそうはいかない。

 退けば詰め、攻めれば打ち取る、先ほどまで俺が使っていた戦術をそっくりそのまま返されている。同じ戦い方なのに優劣がつくということは、つまるところ彼女が俺の読みの数段先を行っているということだな。怪物め。

 とかなんとか思いながらやっているうちにあれよあれよと俺の駒は弾かれていき、二敗目を喫してしまった。

 

 

「また私の勝ちね」

 

「……こういう日もあるさ」

 

「もう、ふてくされないの」

 

 ふてくされてなどいない。ただ俺は負けず嫌いなわけじゃないが『また勝てなかった』とか言いながらヘラヘラできるような精神構造をしているわけでもないのさ。

 朝倉さんはイーブンな戦績に白黒つけるべく第五ラウンドを所望しているみたいだ。けど心を抓む闘いをされた俺がその要求をすんなり呑めるはずもなく、アバロン対決は打ち止めとなった。

 涼宮と古泉が部室にやって来たのはそれからすぐのことだ。

 

 

「おいーす。みんな揃ってるわね」

 

「揃ってるも何もお前らが最後だろ、いつも」

 

 涼宮の発言に突っ込みを入れるキョン。

 彼が言う通り他校生である涼宮と古泉が最後になるのは当然のことであり、たとえ誰かが掃除当番だったとしてもそれは覆らないのだ。

 

 

「あたしは欠席者がいないってことを確認したのよ。今日は重大発表の日なんだから」

 

 んなこと言われなくてもわかってるという態度の涼宮。

 ところで彼女から穏やかじゃないワードが聞こえたのは気のせいだろうか。

 今日からここを北高文芸部改め世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団とする、なんて言われた日には不登校になるかもしれん、俺。

 

 

「そう煩わしい話じゃありませんよ」

 

 よほど俺の顔がげんなりしていたのか、古泉がそう言ってきた。正直気休めにもならん。

 聞いて損しない話だってんならとっとと聞かせてくれ。その重大発表とやらを。

 すると涼宮は学生鞄から小冊子を取り出し、長門さんへ全員に配布するよう言った。

 俺のとこにも回ってきたそれは"北高文芸部光陽園合同合宿 旅の歩み"と表紙に記載されている。

 

 

「ってなわけで、合宿の行き先が温泉に決定したことを今ここに宣言するわ」

 

 どういうわけだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼宮が持ってきた小冊子はいわゆる"旅のしおり"であった。

 日程は一拍二日、これなら今年も祖父母の家に行けそうだな。そして具体的な行き先は長野。温泉地としてはA定食ばりに定番である。

 しかし合宿で温泉なんてまるで大学生のようだ。俺は嬉しいが他のみんなは温泉と言われて心ときめくものなのか?温泉入りに長野まで行くくらいなら大阪にある某遊園地とか行った方が良かったりすんじゃないの。

 などという俺の懸念は長門さんの、

 

 

「温泉なんだ。楽しみだなぁ」

 

という呟きによってあっさり解消されてしまった。

 他の連中も不満そうなやつはいない。なら気にしなくてもいいだろう。

 だが俺が一番気にしているのはカネだ。

 こっから長野まで行くってだけでまあまあな金額になるし、ゴールデンウィーク中にいいとこの温泉旅館に泊まろうものなら学生には手痛い出費となる。

 身銭を切るのは我慢しろってことなのか、と思いつつ小冊子をめくっていくと、必要経費が書かれているページがあった。

 

 

「……あぁん?」

 

 それを目にした俺は、不良漫画でありがちな主人公がチンピラに因縁つけられた時の返しのようなセリフを吐いてしまう。

 

 

「どうかしたの?」

 

 俺の様子を不思議に思ったのか朝倉さんが訊ねてくる。

 いや、どうかしたどころの話ではない。

 

 

「こいつを見てくれ」

 

 問題のページを開いた小冊子を朝倉さんに手渡す。

 少ししてから彼女も俺のように訝しげな表情となった。

 

 

「……ねえ涼宮さん」

 

「なに?涼子」

 

「温泉宿の宿泊費なんだけど、いくらなんでも安すぎじゃない?」

 

 なんと小冊子に記載されていた金額はそこいらのカプセルホテルで一泊するよりも安いという常識では考えられないものであった。めちゃくちゃ怪しい。

 ひょっとして古泉が裏で糸を引いていたりするのか。あるいは涼宮が何か無茶をしたのか。

 その答えはどちらでもなかった。

 

 

「ああそれね。ホントはもっとするわよ」

 

 涼宮の言うことにゃ、合宿の話を聞きつけた鶴屋さんがそれならうってつけの場所があるということで涼宮に提案したのが件の温泉宿らしい。その絡みで鶴屋さんと、ついでに朝比奈さんも合宿に参加するんだと。

 

 

「文芸部の合宿じゃあなかったのかよ」

 

「べつにいいじゃない。文芸部なんて看板、お飾りみたいなもんだし。それに女子が多い方が嬉しいでしょ?」

 

 けろっとした表情で言う涼宮。

 まあ、彼女が言ったどちらについても否定はしないさ。

 そうそう、小冊子には他にも突っ込みどころがあった。合宿の感想を書く欄が設けられているのだが、そこに涼宮が全員分の感想を書いていたのだ。

 

 

「部員の交通費は部費で落ちることになってるから、しっかりした合宿の記録を学校側に提示しないといけないわけ。でもバカキョンなんかに任せたら貰えるもんも貰えなくなりそうだし、あたしが書いてやったってわけ。あんたらの分はそのついでよ」

 

 感謝しろと言わんばかりの横柄さだがいつものことなのでとやかく言う気になれん。

 つーか交通費すら浮くのか。めがっさ経済的だな。

 

 

「そういうことだから、後々センコーに何聞かれても答えられるように自分の感想にはしっかり目を通しておいて」

 

「……なんだか本末転倒な気がするぞ、それ」

 

「んじゃあたしはこれから鶴屋さんたちにも渡しに行くから」

 

 キョンのぼやきが涼宮に届いていないのは明らかである。

 鶴屋さんに旅のしおりを渡すという涼宮の発言を受けてハッとした表情になったのは朝倉さんだった。

 

 

「鶴屋さんにいつもお世話になってるし、ちゃんとお礼言わなきゃ」

 

「お礼ねえ。義理堅いったりゃありゃしないわ」

 

 そこんとこは俺も同感だが鶴屋さんに足向けて寝れないぐらいお世話になっているのも事実だ。

 俺は俺で鶴屋さんにしておきたい話があるので朝倉さんと涼宮の二人といっしょに書道部へ押しかけることに。あんましぞろぞろ行っても迷惑なだけなので他の連中は留守番である。

 書道部の前に到着するなり涼宮は「たのもー」と突撃しかけたものの朝倉さんがすぐさまそれを制す。

 何食わぬ顔で校内をうろつくこともあるようだが涼宮は他校生であり、まず事情を知らないであろう書道部の部員がこいつを見たら何事だと騒ぎになりかねん。よって朝倉さんの判断は正しい。まあ、涼宮が北高生だったとしても野放しにはしておけないが。

 というわけで呼び出しは朝倉さんが対応することになった。

 別に俺がやってもよかったが書道部って女子ばかりだし、野郎の俺が行ってもあらぬ誤解を招くだけでしかないからね。

 朝倉さんが書道部の扉を開けてから二十秒足らずで鶴屋さんと朝比奈さんの二人が廊下に出てきた。

 

 

「やっぽー。ハルにゃんとトッポイ少年」

 

 いつも通りの陽気にあいさつをかましてくる鶴屋さん。

 前々から聞きたかったんだけど俺のどこらへんがトッポイなのだろう。俺を魔術士オーフェンか何かと勘違いしてないか。

 

 

「はいこれ」

 

 早速涼宮は旅のしおりを二人に渡す。

 これにも涼宮が書いた合宿感想文が入っているはずなのだが、鶴屋さんの方にめがっさとかにょろとか出てこないかが心配だ。

 

 

「あんがとーっ。へえーっ、けっこう手の込んだの作ったんだねっ」

 

「涼宮さん、凄いです」

 

「あたしが凄いのは当たり前でしょ」

 

 上級生二人相手に威張るこいつは一体なんなんだ。

 涼宮の不遜すぎる態度が目に余ったのか朝倉さんがすぐに咎めにかかる。

 

 

「もう、今日はお礼を言いに来たんですよ。そんな態度はよしてください」

 

「いいっていいって朝にゃん。あたしたちはいつでも無礼講さっ」

 

 鶴屋さんの懐の広さには心底感心させられるね。俺だったらなんだァてめェと凄むところだ。

 親しき中にも礼儀あり(俺を除く)を地で行く朝倉さんはもやっとした気持ちがあるようだが、"いい"って言ってくれてるならそれでいいんじゃないのかと俺は思う。

 

 

「本当に鶴屋さんには何から何までお世話になって……」

 

「べつに迷惑だなんて思ってないよっ。むしろお役に立てて光栄なくらいだっ」

 

 大物すぎる鶴屋さんの発言に朝倉さんは苦笑するほかなかった。

 そして朝倉さんが――涼宮に無理やり頭を下げさせながら――感謝の言葉をひとしきり述べたのを見計らってから俺は切り出すことに。

 

 

「鶴屋さん」

 

「ん?」

 

「ひとつ相談なんですが、合宿の参加者をもう一人増やしても構わないっすかね」

 

「ちょっと!」

 

 ぐいっと割り込んできたのは涼宮だ。

 

 

「そういう話はまずあたしを通してからにしなさい」

 

 涼宮に話たところで宿泊先の都合で無理だって言われたらしょうがないだろ。

 というか鶴屋さんありきで誘うんだから、鶴屋さんが絡んでなかったら俺はこんな話してない。

 

 

「べつにいいだろ。オレが言ってるヤツだって文芸部の一員だぜ。文芸部の合宿に参加して当然だろ」

 

「あぁ、国っちのことかいっ」

 

 鶴屋さんはすぐに察してくれたようだ。

 にしてもなんで国木田が愛称で俺が貶称なんだ。

 

 

「はい。国木田のことです」

 

「もちのろんで大丈夫さっ。っていうかあたしはハナから来るもんだと思ってたよ」

 

「はは……」

 

 ただの文芸部の合宿ならあいつが来ないかもしれないが、鶴屋さんがいるとなっちゃ話は別だろう。

 何はともあれ鶴屋さんは快諾してくれた。機関誌の一件で国木田と面識がある涼宮もこうなると文句の言いようがなかった。

 

 

「ったく、またしおりの感想文を考えなきゃいけないじゃない」

 

 だから別にお前が考えなくてもいいんだぜ、それ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、あっという間に大型連休の前日となった。

 その間特筆すべきことなど何もなく、国木田は合宿への参加を了承してくれた。

 男子四人女子五人の総勢九名。ずいぶんな大所帯だ。

 

 

「いよいよ明日ね、もう準備は済ませたの?」

 

 テーブルの向かいに座る朝倉さんが質問してくる。わざとらしい。

 丸一日家を空けるとはいえ特売のチャンスは逃さないのが朝倉さんであり、合宿前日にも関わらず俺は買い出しの付き合いをしていたというわけだ。そして例によってそのまま彼女の家にお邪魔している。

 さて、朝倉さんの質問に対する答えはこうだ。

 

 

「いーや」

 

「……でしょうね」

 

「準備つっても着替え持ってくぐらいじゃあないか。そんなん朝イチでいいだろ」

 

「寝太郎のあなたが朝イチだなんて言っても説得力ないわよ」

 

 悪かったな。

 コップに注がれたスムージーに口をつけて気を紛らわす。

 ここのところ朝倉さんはスムージー作りにハマっており、食後には決まってスムージーが出てくる。今日のは赤色だ。トマトとか入ってるんだろう、多分。

 

 

「ねえ、覚えてるかしら?」

 

 突然そんなことを言われてもなんのこっちゃだ。

 朝倉さんもそれはわかっているようで、こちらの反応を待たずに言葉を続けてくれた。

 

 

「私が涼宮さんを信用に足る人間かどうか見極めるって言ったこと」

 

 ああ、そんなこと言ってたっけ。

 

 

「それで?」

 

「結論を出すには早いと思うけど、少なくとも悪人じゃないのは確かね」

 

 独善が悪じゃないとすれば彼女の言う通りだ。朝比奈さん誘拐の件は、まあ、置いておくとして。

 とにもかくにも去年と比べて俺たちの置かれている状況は劇的に変化した。

 文芸部の隆盛、涼宮と古泉の登場、そのどちらも悪くない傾向を俺たちにもたらしてくれている。

 だが――

 

 

「涼宮が出先で何かやらかすかもしれんがな」

 

「笑えないこと言わないでちょうだい」

 

 そう言って溜息をついた朝倉さんの顔を眺めながら思う。

 ――俺と彼女の関係は、未だ一年前のままなのだと。


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