「で、どうすんの?」
涼宮はかったるそうに廊下の壁に背を預けながら俺に尋ねてきた。
どうもこうもあるか。長門さんを探すだけなのだが、彼女を一番心配しているであろう朝倉さんは単独で探しにいってしまいこの場にいない。あの様子じゃ無理もないか。
「まずは本館を当たるつもりだ」
部室棟に長門さんがいるとは考えにくい。使われていない空きの部室こそあるが勝手に出入りできるもんでもないし、逃げ隠れできるような場所などここにはないのだから。
それはさておいて。
「オレとしては一刻も早く長門さんを見つけたいとこなんだけどさ……」
「何よ」
「君がその格好で本館をうろつくのはマズいんじゃあないのか」
今の彼女は光陽園学院の制服姿である。
かつてアニメの中の彼女が着ていた北高のセーラー服よりもそっちのほうが似合っているとは思うが、教職員に見られると大事になる。人の出入りが少ない部室棟と違って本館じゃ廊下を歩けば間違いなく教師とエンカウントするにきまっている。
しかも今回は人探しだ、行動範囲が広ければそれだけ発見のリスクも高まる。だからトイレにでも入ってさっさと体操服に着替えてきてくれないか。
「心配しなくてもいいわよ」
そう言うと涼宮はポケットからカードを取り出して俺に突きつけた。
名刺ぐらいの大きのそれには"入校許可証"と書かれている。なんだそれ。
「見りゃわかんでしょ、許可証よ許可証。確かに無断で他校に入っちゃうのはマズいわ。でも大丈夫、あたしと古泉くんは北高側からそのへんについて許可貰ってるから」
「……はぁ?」
嘘だろ。入校許可証なんて初耳だ。
いったいどんな妖術を使えば他校生がうちに入り浸っていいって話になるんだよ。
「いわゆる学校間交流ってやつね。書類は適当にでっち上げたけど一応正規の手順は踏んであるわ」
「それのどこが"正規の手順"なんだ」
「現に許可が出てるんだから過程なんてどうでもいいじゃない」
「いつそんな許可が出たって?」
「先週。ここんとこ寒いし、体操服なんか着てらんないでしょ。で、せっかくだから堂々と北高を歩ける立場になってやろうって思ったわけ。制服も着れて一石二鳥よ」
駄目だ。頭が痛くなってきた。
涼宮に何を言おうが馬の耳に念仏でしかないのでこれ以上この話をするのはよそう。
何かあったらこの女のせいだ。俺は騙されてましたで通そう、うん。
それから俺と涼宮は北高本館の捜索を行った。
まずは昇降口に向かい下駄箱を確認する。長門さんが帰っていたらいくら北高を探したところで見つかるわけがないからだ。
「マジかよ」
長門さんの下駄箱には上履きが置いてあり外靴がない。
帰ってしまったのか、あるいは北高敷地内か、いずれにしても校舎の中にはいないみたいだ。
外靴に履き替えた俺たちは本館の捜索を早々に切り上げ、外に出る。
こういう時真っ先に思い当たるのは中庭とゲンコツ広場だ。
ゲンコツ広場というのは中庭の奥に位置する場所であり、普通のベンチの他に切り株の形をした椅子と机が設置されている。
冬場はそもそも外で休憩するという発想すらないが、春先になるとお昼を食べるのに利用する人もちらほら見かける。北高生の憩いの場といえよう。
だが長門さんは中庭にもゲンコツ広場にもいなかった。
「帰っちゃったんじゃないの?」
「……かもな」
あまり考えたくないが涼宮の言ってることは否定できない。
グラウンドと校舎の周りを一通り見終えたら中断だ。
ゲンコツ広場を後にしようとした時だった。俺の幼馴染が中庭からこちらに向かって駆けてくる。
まだ長門さんのチョコレートを持っているということは朝倉さんも見つけれてないということらしい。
「はぁっ……はぁっ……そっちは?」
「いいや。見つかってない」
「もう、どこ行っちゃったのよ……長門さん」
皆目見当がつかない。
下駄箱に上履きが置いてなかったら教室か屋上が有力候補なのだが。
すると隣にいた涼宮が痺れを切らしたかのように、
「あたし、謝んないから」
と朝倉さんへ噛みついた。
一瞬なんのことかと思ったがすぐに理解した。キョンにチョコを渡した件か。
落ち着きはらった様子で涼宮は言葉を続ける。
「なんてことないただのイベントでしょ。チョコひとつ渡すぐらい」
「ただの……ただのイベントじゃないのよ!!」
朝倉さんが声を張り上げる。
ものすごい剣幕だ。
「あなたにとってはただのイベントかもしれないけど、あの子にとっては大事な日なの。それぐらいわかりなさい」
「……わかってるわよ」
「だったらどうして!?」
「どうって言われても」
先ほど涼宮に説教を試みた俺だからよくわかるが、朝倉さんの主張はこの女にとって重要なことではない。涼宮ハルヒはいつだって自分が正義なのだから。
乾いた笑いを浮かべながら涼宮は
「あたしのは義理チョコよ。義理チョコ渡す権利ぐらいあたしにもあるでしょ。それを勝手にあの子が本命って勘違いしただけの話。違うかしら?」
「勘違いしてんのは……」
朝倉さんは拳を強く握りしめて涼宮へ詰め寄っていく。
ヤバいな。あれは手が出る。
「あんたのほうでしょうが!!」
大振りの右ストレート。
朝倉さんが放ったそれは涼宮に直撃するかと思われた。
「んぐっ!」
が、涼宮にパンチは当たらない。
俺が涼宮を横に突き飛ばしたからだ。おかげで俺が涼宮の代わりに横っ腹にいいのを喰らうハメになっちまったが、しょうがない。
「かはっ……つつっ……」
痛い。が、キドニーブローにならなかっただけマシだ。あれは下手すりゃ病院行きだからな。
朝倉さんは信じられないものを見るような目でこちらを見ている。ちらりと横を見ると涼宮も同じ感じだった。殴られたかったのかよお前。
「な、何やってんのよ……あなた……」
「そりゃ……こっちの台詞だ」
君の怒りは涼宮にぶつけてどうにかなるものではない。
きっとただの八つ当たりなんだ。
「この女に何言っても無駄さ……マジに悪気がないんだからしょうがないって」
「……」
「殴ったところで、君の考えなんか理解してくれない」
もっともそれは涼宮相手に限った話ではないけどさ。
朝倉さんは黙っていたが、やがて眼を潤ませる。
「涼宮。いきなり手荒なマネしてすまなかった」
「……気にしなくていいわよ」
「悪いけどちょっと先行っててくれ」
「わかったわ」
涼宮は足早にこの場を後にする。
朝倉さんが泣き始めたのはそれからすぐのことだ。
「ううっ……うえええええええええええん」
世話のかかる幼馴染だな。って、いつも世話をかけているのは俺だけど。
彼女を抱いて慰める。俺にできるのはそれぐらいだった。
朝倉さんがひとしきり泣いたあと、俺は彼女をゲンコツ広場のベンチに座らせた。
いつまでも抱いているわけにもいかないし、あんなところを誰かに見られたら変な噂が立ちかねないからだ。
この間レンタルしたB級映画の感想を述べるなどして少しでも彼女の気を紛らわそうと努めたのだが結果はかんばしくない。困ったな。もうちょっと面白そうな映画を見るべきだったか。
「コーヒー飲むかい?」
「……」
返事はなかった。
俺は中庭に設置されている自動販売機の前まで移動。小銭投入口に五百円玉を入れてホットコーヒーのボタンを二回押下。
釣り銭と缶コーヒーふたつを回収してゲンコツ広場に戻り、朝倉さんの右隣に座ってからコーヒーをひとつ朝倉さんに渡す。
「ほら、あったまるよ」
「……頼んでないわ」
「オレは沈黙を肯定とみなす主義なのさ。知らなかったっけ」
「……」
観念した朝倉さんはコーヒーの缶を開けると一口飲んだ。
俺もいただくとしよう。やっぱコーヒーはいいね、このメーカーのはあまり好きじゃないけど。
お互いコーヒーを飲み干すまでの間、無言だった。
それから缶を自販機横のゴミ箱に捨てて戻ってくると、
「ごめんなさい」
ふいに朝倉さんがそう言う。
悪いことをした、と思っているらしい。
朝倉さんのマジギレを見るのは初めてのことだったが、落ち込んでいる彼女を相手にしたことは何度かある。こういう時の朝倉さんはしっかりフォローしなくちゃいけない。
だから涼宮を先に行かせて二人きりになる必要があった。
「怒りってのは人を盲目にするもんだ。涼宮に腹が立っちまったんだろ? 気にすることないって、俺だって腹立つし」
「そうじゃないのよ……」
朝倉さんは首を横に振ってから、
「私が腹立つのは自分」
自嘲するように薄ら笑いを浮かべた。
俺は彼女の言葉を待つ。
「偉そうにお膳立てしておいて……いざ失敗したら全部涼宮さんのせいにした。涼宮さんの言い分だって間違ってるわけじゃないのに」
「それで?」
「挙句の果てには暴力を振るったわ。最低よね」
「涼宮はともかく、オレは君に殴られてもしょうがないよ」
「……本当にごめんなさい」
「だから気にすることないって」
お寒い友人役に徹しているんだ、君が俺にそれ以上のものを求めていると知りつつもね。俺だって男としては最低だぜ。
という俺の胸中を知らない朝倉さんは自責の念を強めていく。
「自分でもわかってるの。私がやってるのは迷惑なおせっかいで、自己満足にすぎない……って」
なるほど。
たしかに朝倉さんは超が付くおせっかい焼きだ。けど。
「それは違う」
しっかりと彼女を見据えて言う。
「オレは君に何度も救われてきた。君のおせっかいがなかったら、中学に通えてたかさえ怪しい」
朝倉さんが俺の幼馴染じゃなかったら。俺がひとりぼっちだったら。きっと家出でもして、のたれ死んでいたかもしれない。
俺にとってこの世界で生きるということはありがたいことでもなんでもなかった。
そんな俺に積極的に関わってくれたのは朝倉さんだった。
間違いない。彼女がいるから俺があるんだ。
「君のやっていることはオレにとって嫌なことなんかじゃあない。すごく嬉しいよ」
「……ほんと?」
「ああ。そういうわけだ、自信を持ってくれ」
俺の言葉は一応の慰めになったらしい。
再び涙目になった朝倉さんは精一杯の笑顔を浮かべ、
「ありがとう」
と言い、俺に抱き付いてきた。
どういたしまして、ってまたこの体勢か。さっきは俺からだったけど。
まあいいさ。べつに嫌なわけじゃないんだからな。
俺は右手で朝倉さんの頭を優しく撫でる。すると不思議と心が落ち着く。
なんとなくだが、彼女も同じように感じている気がする。
「ねえ」
「なんだい」
「もう少しだけ……こうさせて」
「かまわないよ」
手のひらから伝わる髪の感覚が心地いい。
俺なんてこのままずっと朝倉さんとこうしていたい気分だ。
文芸部のことも、時間も、何もかも忘れ――
「お取込み中みたいだけどちょっといいかしら」
――るのは流石に無理があったか。
朝倉さんの頭を撫でるのに夢中で気づかなかったが、涼宮が戻ってきていたらしい。何が気に食わないのか彼女は若干苛立っているように見える。
名残惜しいと思いつつも俺は朝倉さんの頭から手を放す。それと同時に朝倉さんは俺の身体から離れた。
はぁ、と涼宮は本日二回目のため息を漏らして、
「有希が見つかったわよ」
と告げた。
ばつが悪そうにしていた朝倉さんもこれにはハッとした表情になる。
「その、長門さんはどこにいたのかしら」
「渡り廊下の横にある階段よ。心ここにあらずって感じでぼーっと座ってたわ」
そうか。
先に帰ってなくてよかった。長門さんが家から出たくないっていう最悪のケースも想定してたが、考えすぎだったようだ。
朝倉さんはベンチからすくっと立ち上がると、涼宮に向かって頭を下げた。
「さっきはごめんなさい。私の考えを押し付けたりなんかして……」
「顔上げなさい」
涼宮の言葉を受けて朝倉さんは頭を上げる。
朝倉さんの不安を払拭するかのように涼宮はニッと笑い。
「ま、あたしも口が悪かったしね。ここはひとつお互いさまってことで水に流しましょ」
「……ええ!」
朝倉さんも涼宮につられて笑顔になった。
まったく、仲直りしてくれて何よりだ。
「んじゃあ長門さんは君たちに任せた。オレはキョンを呼びに行く」
俺が長門さんにかける言葉も特にないしね。場違い感はんぱないだろ。
二人の了承を得ると俺はベンチから立ち上がり、部室棟へと歩き出した。
部室に戻るとキョンに加えて古泉がいた。
古泉の愛想笑い野郎っぷりはこの日も変わらず。何が楽しいんだか。
「おいキョン。本館東側の渡り廊下横にある階段だ、さっさと行け。理由は聞くな」
キョンはほうけたツラをしていたが、椅子から腰を上げると何も言わず俺の言葉通り足早に部室を後にした。
残ったのは古泉と俺だけである。珍しいペアだ。
俺が自分の席に着くと古泉が切り出した。
「恐れ入りますが、何があったのかお教えいただけますか?」
古泉は文芸部が普段と様子が違うことに気づいているらしい。まあ女性陣の姿が皆無だからな。
仕方がないので俺はかいつまんだ説明を古泉にした。
今日はバレンタインだから長門さんがキョンにチョコを渡せるように俺と朝倉さんが二人きりの状況を作り上げようとしたが、涼宮が先んじてキョンに義理チョコを渡していた。で、タイミング悪くその光景を見てしまった長門さんが本命と勘違いしショックを受けて雲隠れしてしまった。そして必死の捜索の末、長門さんを発見したので当初の作戦をなんとか完遂させようとしている。
「――というわけだ」
「そういうことでしたか」
俺と朝倉さんの触れ合いについては語る必要がないので黙っておく。
その後、特にやることもない俺たちは暇つぶしにチェスをすることに。
古泉とゲームで対決するのはこの日が初だ。
「それにしても意外でした」
と、白のルークを動かしながら古泉は口を開いた。
何が意外だって。
「あなたは僕が思っていたよりずいぶんと義理人情に厚いお方のようだ」
「話術にしては下手くそだな」
「揺さぶりなんかじゃありませんよ。単なる評論です」
「今日の一件を聞いてそう思ったのなら考えを改めたほうがいい。オレは巻き込まれただけにすぎない」
「ではそうしておきましょう。巻き込まれただけの人間にしてはいささか自主的に動いている気もしますが」
古泉の話術は俺を苛立たせる効果があったのだが、残念ながら対局結果は本日行われた五戦全てが古泉の黒星に終わった。知ってはいたけどここまで弱いとは。
これ以上ボコボコにしても面白くないなと思い始めた頃、出払ってた文芸部部員がようやく帰ってきた。
バレンタインの騒動が終息したということは連中の顔を見て察しがついた。やれやれだ。
そして時間が時間なのでそのままお開きに。
下校中、朝倉さんが語ってくれた話によると長門さんは涼宮の行動にショックを受けていたわけではなかったらしい。
「涼宮さんの邪魔をしたくなかったそうよ」
「オレたちと逆のことを考えてたってわけか」
「みたいね」
俺たちは長門さんとキョンを二人きりに仕立て上げようとした。
それゆえに長門さんは涼宮がキョンにチョコレートを渡している最中、邪魔になると思いって慌てて部室から去っていったのだ。
「涼宮が言ったとおりさ。あの時あったのは誤解だ、みんな誤解してた」
「そうね……今回はしっかり反省するわ」
俺もそうだが朝倉さんは涼宮を意識していなかった。だからこそああいうバッティングが発生してしまったわけで、あまり気乗りはしないが今後は涼宮と古泉の二人を俺らと同じ北高文芸部の部員として認識する必要がある。
何はともあれ、例年よりも騒々しかったバレンタインは終わりを迎えた。
否、俺に関してはまだ終わっちゃいなかったのだが、その話は割愛させてもらおう。