朝倉涼子さんと消失   作:魚乃眼

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Epilogue12

 

 

 初めてチョコレートを口にした時のことなど覚えているはずもないが俺は幼少の頃よりチョコレート、いや正確にはチョコレートクリームが好きだった。特にパンにつけて食うのがよい。あれを牛乳で流し込むのが最高だ。俺が給食で好きな献立のひとつってわけだな。

 では固形のチョコはどうなのかというとこちらについては特に思い入れもなく、100円近くもする板チョコを買うぐらいなら30円ほどのコーンスターチ駄菓子を買う方がよいというしみったれた思想を持っていた。

 などということが言い訳にならないのは承知しているが、いざ試食として差し出された長門さん作の一口サイズチョコを食べたところでグルメリポーターチックな感想なぞ口にできようもなく、俺の舌を信頼しているらしい幼馴染には申し訳ないが俺の低レベルな感想がなんの参考になるのやらといった感じだ。

 長門さんより一足先にキッチンから出てきたエプロン姿の朝倉さんはそんな俺の内心を察したのか声をかけてくる。

 

 

「思い詰めることないでしょ」

 

「そんなんじゃあないって。ただシチュエーションがよろしくないと思ってただけさ」

 

「シチュエーション?」

 

 そうだ。

 

 

「明日の放課後、校舎の裏に呼び出されて……そこで待ち受けている女子生徒が頬を染めながらチョコを手渡ししてくれるってのと、この状況とじゃあ盛り上がるもんも盛り上がんないって」

 

 オウム返しされたから懇切丁寧に説明してあげたというのに彼女の顔は俺の主張など理解できないと言わんばかりに冷めきっていた。

 

 

「長門さんはあなたのために作ってるわけじゃないのよ」

 

「わかってるとも。でもオレの立場にもなってみてくれよな、女子からのチョコなんてそうそう拝めるもんじゃあないし、手作りだろ。つまり貴重なの。だからこそ状況が惜しいなあって感じるわけ」

 

「……惜しまなくったって」

 

 普段の彼女ならここでやっぱり理解できないわとバッサリ切っているはずなのだが、妙に歯切れが悪い。

 はてどうしたのやらと思っていると。

 

 

「その、チョコなら明日私が……ちゃんと渡すから、あなたに」

 

 少し照れた様子で言う朝倉さん。

 言われなくとも承知している。今までそうだった。きっと"俺"がこの世界で生きる前の、俺が幼い頃からそうなんだ。

 けれど改まってその事実を突きつけられるとなんだかこそばゆい感じがする。なんというか、卑怯だ。

 

 

「わかったよ」

 

「うん……」

 

「……」

 

「……」

 

 朝倉さんめ、搦め手に出るとはやるじゃないか。

 しかしお互い無言になってしまうほどに微妙な空気だ。俺が主導権を握っている時はそう感じないんだが。

 頼む。誰でもいいからこの悶々とした流れを変えてくれ。誰でもいい。宇宙人でも――

 

 

「お待たせ」

 

 リビングに現れたのは宇宙人、ではなく地球人長門さん。

 ああそうだ。このお題目は彼女が作ったチョコの味見なんだから今はそれに集中するべきじゃないか。

 朝倉さんも「んんっ」と咳払いして気を取り直したようだ。

 俺はチョコレートを作るのにどれくらい時間がかかるものなのか知らないがそれなりに待たされていた。母さんには遅くなるかもとメールしていたが、予感は見事に的中してくれた。もうちょいで陽が沈む。

 待たされただけあって力作であろうことは自然と察せられる。目に映る小粒のチョコレートは手作りだと言われなければ市販されているものだと勘違いするやもしれない。

 

 

「どうぞ……」

 

 もっとも俺に割り当たるのはたった一個だ。当然だけどさ。

 長門さんは緊張の面持ちであり、朝倉さんはさっさと食えとでも言いだけな様子だ。

 では早速いただくとしよう。チョコをつまんで一口、咀嚼していく。

 じっくりと時間をかけ、味を堪能していく。変に甘すぎることはないし苦みもない。

 これで塩味がする、なんて展開があったらどうしようかと思っていたところだ。杞憂で何より。 

 

 

「で、味は?」

 

 朝倉さん、うんうんと頷いている俺の様子を見ればどっかの諜報員よろしく味について聞くまでもないだろ。

 

 

「問題ない。美味しいよ」

 

「やった……!」

 

 緊張が解けて顔をほころばせる長門さん。

 オレが判断できることじゃあないが、後はまあなんとかなるだろうさ。

 なんて俺の考えはチョコラテよりも甘かったのだ。

 で、翌日。バレンタインデーが幕を開けた。

 念のためにご報告しておくが俺の下駄箱と机の中にサプライズはなかった。あったら驚きだな。

 にしても、そわそわしてる連中が多いのなんの。どこの学校でも似たようなもんだろうが野郎のそんな姿見てても気持ち悪いだけだ。

 というわけでいつも通りに俺は机に突っ伏して授業時間を過ごしている。

 何を言われようがこのスタイルなのだから、もはや俺に授業態度を指導してくれる教師などいなくなっているのさ。

 これで成績が悪かったら問題だがそうじゃないので問題とはなっていないわけだ。

 俺のことを問題児と捉えている人は教師にも生徒にもいるはずだが、俺に言わせれば問題児などというのは涼宮級の奴を指す言葉であって、俺なんかあいつに比べればゾウリムシみたいなもんだろう。

 そして寝ているだけあってあっさりとお昼休みになる。

 

 

「ここの女子連中は終わってやがるぜ」

 

 今日も今日とて野郎四人で飯を囲んでいると突然谷口は謎の批判を展開した。

 

 

「それどういう意味?」

 

 国木田から疑問が出るのも無理はない。

 なんとなく、俺には谷口が何を言いたいのか察しがついているが。

 

 

「バレンタインだってのに俺んとこには義理のひとつも届きゃしねえ。マジで終わってるだろ?」

 

「……ああ」

 

 苦笑しながらも国木田は納得したようだ。

 女子に対し文句を言ってる時点で立派な負け犬なのである。終わっているというか谷口の場合は始まってすらいない。

 とは口に出さなかったが鼻で笑った俺の態度が気に入らないのか谷口は。

 

 

「いいよな、お前はそうやって人を見下していられるんだからよ。どうせ朝倉から貰ったんだろ」

 

「さあね」

 

 まだ貰っていないというのが事実だ。例年通りなら彼女は帰り際にマンションの前でチョコレートを渡してくるからね。

 もっともこいつなんかにそんなことを教えてやる道理なんぞない。

 

 

「こんちきしょうめ」

 

 俺の反応が気に食わないのか恨み言を吐く谷口。俺に当たることで鬱憤が少しでも晴らせるのなら好きなだけやってくれて構わないぞ、いくら害悪だとわめいたところで同調してくれるのは同類のアホだけなんだから。

 それはそれとして。

 俺は二年前まで朝倉さんがくれるチョコに特別な意味なんてなく、ただ幼馴染という間柄ゆえの産物なのだと信じていた。義理のひとつにすぎないと。

 だが違った。彼女にとって俺という人間は特別らしい。だからこそ俺は悩んでいるわけだ。何故ならそれは――

 

 

「ところで」

 

「ん」

 

 キョンのほうを見る。俺に何か言いたいらしい。

 

 

「今日も部活は休みなのか?」

 

 そういや昨日は長門さんのチョコレート試食会のために部活をお休みにしたんだっけ。キョンには適当な理由を伝えておいたと朝倉さんが言っていたが今日は通常通りだ、文芸部的には。

 

 

「オレは特に予定ないし、多分普通にやると思うけど」

 

「そうか」

 

 この時点で俺はすっかり失念していた。

 去年のうちならいざ知らず、今の文芸部に"普通"というワードは通用しなくなってきつつあるということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ朝倉さん」

 

「何?」

 

「寒い。部室に入りたい」

 

「我慢しなさい」

 

 かれこれ三分近くこうして廊下の柱の影に隠れていることになる。が、いかんせん身体が冷える。部室も寒さはあまり廊下と変わらないけどストーブがあるだけここよりはマシだろう。

 さて、なぜ俺と朝倉さんがメタルギアごっこをしているのか。とどのつまりは長門さんのためである。

 放課後。文芸部員たる俺はワークフローとして部室に足を運ぼうとしたが教室から出てすぐ朝倉さんにがしっと首根っこを掴まれた。動物虐待じゃないか。

 

 

「待って」

 

 待つも何も今の状態では歩き出せないんだけどな。 

 

 

「まだ部室に行っちゃだめよ」

 

「どうして」

 

「後で説明するわ。私についてきて」

 

 最近この人どっかの誰かに似てきたんじゃないかと思いつつ俺は言われるがまま朝倉さんの後を追う。

 それから朝倉さんは隣のクラスの長門さんも引き連れて屋上ドア前の階段へ。メンツ的にバレンタインのブリーフィングを始めるつもりらしい。俺必要か?

 

 

「作戦はシンプルです」

 

 彼女発案の作戦というのはこうだ。先にキョン一人だけを部室へ向かわせて後から長門さんが部室に入り、そのタイミングでチョコレートを渡す。

 ようは二人きりの状況に仕立て上げるという単純明快な内容。

 

 

「オレは邪魔するなってことか」

 

「ちょっと言いかたが悪いけど、そうなるわね」

 

 そんなこんなで作戦通りに動いた。

 後は長門さんが部室に入ってキョンにチョコを渡すだけ。俺と朝倉さんはすっかり待ちの姿勢である。

 

 

「ところでさ」

 

「ん」

 

「長門さんが部室に入った後、そっから俺たちはどうすりゃいいわけ」

 

 いいムードを台無しにしてまでクラブ活動に勤しむ必要もなかろう。機関誌づくりという例外を除いて部室は共用スペースでしかないんだし。

 顔をくるりと向けた朝倉さんの反応は「あちゃー」といったものだった。後のことは考えてなかったらしい。

 

 

「適当にどこかで時間でも潰す……とか?」

 

「アテもなくふらつくぐらいなら帰った方がいいだろ。疲れるし」

 

「期待した私が間違ってたわ」

 

 朝倉さんからは落胆の声が聞こえる。

 うむ。客観的に俺の発言がイケてないのは自覚しているし、彼女の評価を下げるのも忍びない。なのでここはこちらが折れるとしよう。

 

 

「……わかったよ。じゃあ君の案に賛成で」

 

「まったく。最初からそう言ってくれればいいじゃない」

 

 朝倉さんはニッと笑みを浮かべている。

 ギリギリ合格ってことか。

 

 

「君こそ……」

 

「何よ」

 

 俺とデートしたいなら素直に言ってくれりゃいいのに。断る理由ないし。

 って彼女に言ったらどんな反応をするのやら。気にはなるが更に機嫌をそこねかねないため、ごまかすことにする。 

 

 

「いいや、なんでもない。行きたいとこでも考えててくれ」

 

 こちとら特別行きたいようなとこなんてないしな。帰りが遅くなるかもしれないが街に行くのが妥当かな。

 などと考えていると遂に意を決した長門さんが部室に突入する。ふぅ、一安心。

 後は野となれ山となれ。俺たちはさっさと退散あるのみ。

 

 

「じゃ、行くとしましょ」

 

「ああ」

 

 散々振り回されたのだ、文句のひとつても吐いてやろうかと思った。そんな時だった。

 長門さんが勢いよく部室から出てきた。

 

 

「えっ」

 

 ――かと思えば走って俺と朝倉さんが隠れていた柱を横切る。

 あまりにも唐突な出来事で、二人して呆気にとられてしまう。

 いくら引っ込み思案のきらいがある長門さんとはいえ、ブツだけ渡してさっさとオサラバするとは考えにくい。恥ずかしさに耐えられず出てきたって感じでもなかった。

 なんだ、なんなんだ。

 少しして後ろを振り返るも長門さんの姿は消えていた。部室棟から失せたのかもしれない。

 

 

「長門さん…?」

 

 親友の名前を口にする俺の幼馴染は不安げだった。

 嫌な予感がする。それもかなり。 

 事態こそ呑み込めないが部室でただならぬ何かがあったことだけは確かだ。

 落ち着かない様子の朝倉さんに追従して文芸部の部室へ踏み込むとそこにはキョンがいた。

 プラス、もう一人。黄色いリボンカチューシャを頭に付けた光陽園の女子生徒涼宮ハルヒ。

 キョンが持っているチョコレート。それが長門さんのものではないということは先日の試食会を経た俺にとって簡単な結論だった、キョンが持っているのは100円ちょっとの市販板チョコなのだ。

 なるほどな、間が悪いってのはまさにこのことか。

 察するにあのチョコは涼宮がキョンに今しがた渡したんだ。そして長門さんはその一部始終を目撃した。きっと彼女はそれにショックを受けてここから飛び出したのだろう。彼女が受けた衝撃は計り知れない。

 かつん、と足に何かが当たる。そこには丁重に包装された箱が。長門さんのチョコレートか。

 それが床に落ちている。否、落としたのか。

 

 

「……」

 

 ギリッ、という音が聞こえた。隣からだ。

 眉間にしわを寄せて歯を食いしばっている。その表情は人間が見せるものとしてはとてもわかりやすいものであり、俺がそんな状態の朝倉さんを見るのは意外にも初めてのことだった。

 朝倉涼子は、怒っている。

 

 

「あんたねえっ!! いったい――」

 

「落ち着けって」

 

「――っ」

 

 左手で激昂する朝倉さんを即座に制す。

 今の彼女が何をしでかすのかわからない。涼宮に殴りかかってもおかしくないくらいだ。

 しかし俺たちは"部外者"だ。これは俺と君の問題じゃないんだよ。

 ここで涼宮をとっちめたって長門さんの気は少しも晴れやしないだろうに。そんなことぐらい、君だってわかってるはずだろ。

 俺はすぐにでも暴れ出しかねない相方を尻目にキョンへと質問する。

 

 

「さっき、長門さんが慌てて出て行ったが何かあったのか?」

 

「何もなかったわよ」

 

 答えてくれたのは涼宮だった。

 キョンは無言だ。察しが悪いのか、あるいは察した上でああなのか、どちらにしても俺にはどうしようもないことだ。俺も人の背中に後ろ指させるほどご立派じゃないし。

 涼宮は冷めたトーン。やけに熱くなっている朝倉さんとは対照的だ。

 だからこそ朝倉さんは余計に腹が立つのだろう。その苛立った表情は変わる気配がない。

 

 

「あったとしたらそれは誤解ね」

 

「誤解……」

 

 情けないとは思うが言い訳させてくれ。

 判断材料を持っていなかったわけじゃない。俺だけの話になるが。

 涼宮ハルヒという人間は常識を逸する行動ばかり取るくせに行事というか儀式というか、とにかくある種の節目みたいなもんを重要視している。そんなの"読者"ないし"視聴者"なら自然とわかることだ。

 彼女にしてみればバレンタインも単なるイベントの一つに過ぎない。まあ、わからんでもないさ。原作でもやってたんだしな。

 

 

「話は後にした方がいいんじゃない? まずはあの子を追いかけましょ」

 

 こちらに歩み寄ってきた涼宮は落ちていたチョコを拾い上げるとそれを差し出してこう言った。

 悔しいが同感だ。従う以外の選択肢はあるまい。

 涼宮からチョコを奪うように取ると朝倉さんは廊下へ駆け出す。

 はぁ、とため息を漏らした涼宮はキョンのほうを見て。

 

 

「あんた、ちょっとここで待ってなさい」

 

「……どうしてだ」

 

「あの子の誤解をといてからじゃないと収拾がつかなくなるでしょ」

 

 だな。古泉が来たら一緒にお茶でも飲んでるがいいさ。

 かくして、よりによってバレンタインの日に文芸部で騒動が起きてしまったのである。

 

 


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