俺と朝倉さんが不在の内に文芸部へ押しかけて来ていた二人組が何者なのか。俺は知っている。
あの女子生徒こそが涼宮ハルヒ。かの【涼宮ハルヒの憂鬱】という題名にもなっている宇宙人がどうとかいうセリフで有名なお方だ。
ちなみにアニメ放映当時あんな感じの自己紹介を学校でするのが一部界隈で流行したそうだが、現実で見たらマジどん引きだよありゃ。中二病全開じゃんよ。
この世界でも彼女による地上絵事件はあったらしい。まあ、その事件発生当時に"俺"はまだこの世界にいなかったけどね。
同じ中学出身の谷口いわく涼宮ハルヒは私立校の光陽園学院へと進学したとか。アニメ通りの筋書なら俺らと同じ北高生のはずだが、そうはなっていないというわけだ。
その涼宮ハルヒが今更なぜここにいるのだろう。慎重に見極める必要がある。
しかしながら愚かにもこの時の俺は冷静でいられなかったのだ。隣の朝倉さんが何か言うよりも早く涼宮ハルヒに質問してしまった。
「おい。どうしてお前がここにいる」
質問の内容を口に出してからマズった事に気がついた。彼女は俺のことを一切知らないのにこれはいかがなものか。現に今の発言で涼宮ハルヒの顔はゲームでいうところのはてなマークが浮かんでいるような表情になってしまった。
キョンは俺と涼宮ハルヒとを交互に見て、
「涼宮と知り合いだったのか」
「キョンがこの女をここに呼んだのか?」
ついでに古泉一樹もだが。
と、なれば遂に始まってしまうのか。といってもこの世界はもうクリスマス終わってるし、今日一日のキョンの言動を思い返しても【涼宮ハルヒの消失】みたいに狼狽してなかったしな。謎だ。
噛み合わない会話をよそに涼宮ハルヒは、
「あたしはあんたなんか知らないわよ」
「だろうな……初対面だ」
「ストーカー? それとも隠れファン? どっちにしてもキモいわね」
流石に顔を合わせて数分もしないうちにキモいと言われるのには悲しいものがある。その原因が俺の顔にないことを祈りたい。
ちらっと横目で窺った朝倉さんも俺のことを訝しんでいるらしい。古泉一樹は邂逅から変わらず、営業スマイルだが。
初手のミスは後悔しているがリカバリは効く、適当な言い訳は考えてあるからな。
「オレはそのどちらでもない。単なる好奇心から東中地上絵事件の犯人について調べていたことがあっただけだ。あんたなんだろ?」
嘘は言ってない。
「……ああ、どうりであたしを知ってるわけね。ま、あたしもそんなに有名人になった覚えはないんだけどね」
ふふっと不敵な笑みを浮かべて涼宮ハルヒはこう言った。
「若気の至りってヤツ?」
「何言ってんだ涼宮。その理屈で言えばこの前行き倒れてたのも若気の至りだろ」
「うるさいわね。過去は過去、今は今なのよ。とにかく終わったことをぐちぐち言わないでちょうだい」
行き倒れ、なんの話かさっぱりだがひょっとするとキョンと他校生の涼宮ハルヒはその件がきっかけで出会ったのかもしれない。
だが今は今という彼女の言葉には同感だ。他校生がなぜここに来たのか、それについて説明してもらう必要がある。事と次第によっては俺も黙ってはいられないからな。
普段は折りたたんで部室の隅っこに追いやっている来客用のパイプ椅子を二脚出し、涼宮ハルヒと古泉一樹に座ってもらった。もちろん俺たち文芸部の部員も全員椅子に腰かけている。
コンビニで買ってきたものは机の上に置いて、それから話を聞くことにした。
「自己紹介させてもらうわ、涼宮ハルヒよ」
そう名乗った黄色いリボンをカチューシャのように長い髪にくくりつけている女子生徒はやはり光陽園の生徒で、なんでも今回は北高に遊びに来たとか。つまりキョンが呼んだわけじゃないそうだ。
ちょっと一安心、なのだろうか。しかしなんだって北高に来たんだ。ハッキリ言って見どころないぜここ。昔旅行で行った北海道の時計塔ぐらい退屈な場所だと思ってるよ俺は。
「ほら、始業式の日ってヒマだし遊びに行くにはちょうどいいじゃない? それに、この前そこの二人にあたしが行き倒れてたのを助けてもらったから、今日はそのお礼も兼ねてってわけよ」
涼宮ハルヒが腕を組んで語ったのはアニメで見たまんまの謎理論だった。
ちなみに"そこの二人"ってのが長門さんとキョンだと。
まったく、放課後のテンションで遊びに行く先が他校なのかよ。始業式の日が暇なのは君の問題であってこっちはこれからクラブ活動に勤しむとこなんだよ。っていうか行き倒れって何があったんだよ。等々突っ込みどころを挙げればキリがない。
しかも涼宮ハルヒはつい先ほど俺と朝倉さんが不在のうちに北高文芸部ミステリー部門臨時部員なるものを勝手にでっちあげ、あまつさえ自信と連れの男子生徒をその架空の部門に所属させるとぬかしたそうだ。脳がいくつあっても理解できそうにねえぜ。
で、そこのハンサム面を台無しにしている短パンファッションの野郎は何者だ。まあ知ってるけど。
俺が義理で尋ねてやると彼は苦笑しつつ、
「どうも、古泉一樹と申します」
無駄に爽やかな声で名乗ってくれたが服装からくる寒さ故か時折シバリングしており、なんかこう台無しな感じだ。
聞けば涼宮と古泉が体操服なのは変装のためらしい。キョンのを貸してもらったそうだ。ところで今日は体育授業がないのによく持ってきてたな体操服なんて。普段なら教室に置きっぱなしでも構わないが休み中は持って帰らされるからな。
他校生二人の変装については映画でも見た一幕だがよもや新年早々に現実のものとなってしまうとは。この二人を拝む日はもう来ないとばかり思っていたのだが。
「で、古泉はなんの用件で来たんだ。お前さんも行き倒れを助けてもらったのか」
「いえ。僕は単に涼宮さんに同行したまでですよ、特に理由はありません」
さいですか。
彼と涼宮の関係が気になるといえば気になるがあえて聞くことはしなかった。原作通りなら俺も知ってるし。
俺から聞くことはもうない。では朝倉さんはどうだろうか。
「うん、だいたいわかったわ」
状況を把握したらしい朝倉さんはどこぞの破壊者みたいな台詞を吐きながらコクリと頷き、俺が買ってきたコンビニのプチシューをもちゃもちゃ食べている長門さんへ顔を向け、
「長門さん」
「ん……な、なに?」
「この二人がうちに上がり込んでるの、先生にバレたらとっても面倒なことになるんですよ。それでもいいんですか?」
現在の部室に良識ある人間がどれほどいるのかは不明だが朝倉さんの言うことが正しいというのは全員共通の認識なはずだ。
朝倉さんの言葉を受け長門さんはプチシューに手を伸ばすのを止めてすっかり不安そうな表情になってしまった。教職員の誰かに悪事がバレた時、長々しい説教を受ける羽目になるのは誰だろうと嫌だ。
「センコーにバレなきゃ大丈夫でしょ。現にここに来るまで何の問題もなかったんだし」
「私は長門さんに言ってるのよ。あなたは黙ってて」
説教なんざ屁でもないといった様子で涼宮ハルヒは口を出したが保護者モードの朝倉さんには一蹴されてしまう。あの状態の朝倉さんだと俺でもまともにとりあってくれないからな。
じーっと朝倉さんに見つめられておどおどしている長門さんだったが、やがてゆっくりと、
「せっかく来てくれたんだし……その、何も追い出さなくてもいいと思う」
「じゃあこの二人の入部を認めるんですね?」
「うん。ダメ……だったかな」
「ならいいです」
あっさりと引き下がる朝倉さん。これにはちょっと驚いた。
先ほどは委員長らしいお利口さんな発言をしていたのにどうしたやら。
「部長がちゃんと考えて決めたっていうのなら私はそれに従うまでよ」
こともなげに言ってくれるがとんだ主従関係だぜ。映画でたとえるなら組織のボスよりナンバーツーの方がよっぽど邪悪だった、みたいな感じだろう。さしずめ長門さんがお山の大将で朝倉さんが極悪非道の副将というわけだな。タランティーノでそんな感じの映画があった気がする。
俺個人の意見としては短パン変態野郎なんかと関わりたくないというのがあるが、それ以上に涼宮ハルヒなどという超ド級の危険分子が怖くてしょうがない。いったいどうなっちまうんだこれから。
他校生を臨時部員とかいうわけのわからん立ち位置で入部させようとしている部は北高の歴史上今年の文芸部が初だ、間違いない。
ただ、でっち上げのミステリー部門臨時部員さんが毎日ここに押しかけるわけでもないのだから頭を抱えているキョンのように悲観することもなさそうだ。連日こいつらが北高に入り浸ってたら流石に誰かにはバレるだろうし。
そんな俺の推し測りが見当違いもいいとこだったと思い知らされるまでに時間はかからなかったが。
「よし、決まりね! んじゃ改めてよろしく」
ニカッと笑う涼宮ハルヒはやけに眩しい存在に見えた。
なるほど、こりゃヒロイン張れるわけだ。
「で、ここって文芸部なんでしょ? 普段何やってんの?」
さらっと質問した涼宮ハルヒに対して思ったことは活動内容を把握してないのに臨時部員になると言い出したのか、だ。
まあ、うちに限らず文芸部などというものは在校生の大多数にその存在を知られていない。クラブ活動の中でもダントツに目立たないんだ文芸部ってもんは。
しかもこと北高文芸部に関していえば俺が所属してから半年以上は実態がなかったようなふわっとしたクラブだ。あわや廃部までなりかけたし。
「特別やることがある部活じゃないんだが」
とキョンは前置きし、
「近いうちに機関誌を作らなきゃいかんことになった」
北高の数少ない誇りある伝統らしいからな機関誌は、他に何があるかは知らん。
機関誌、と言われて涼宮ハルヒも「文集ね」と納得した様子だ。
「今から書くの?」
書きたいのはやまやまだけどまだ何も決まっちゃいない、題材はおろかスケジュールも何もかも未定である。のでそれらを決めるための会議を本日するのだ。
俺がそう涼宮ハルヒに言ってやると彼女は呆れ果てた様子で、
「はぁ~だらしない連中ねあんたたち、文章なんてもんはセンスで書くのよセンスで。うだうだやってても面白いもんは作れないでしょ。わかってんの?」
非常にムカッ腹が立つようなことをのたまった。
これが男か、もしくは超絶ブスの言葉だったのなら迷わず左ストレートでぶっ飛ばしていたところだ。でも美人だからって何言ってもいいわけじゃねえんだからな、覚えとけよ、と口には出さずただ忌々しい目で彼女を見ていると古泉一樹が割って入った。
「まあまあ涼宮さん、郷に入っては郷に従えですよ。確かにウォータフォールは手法として古典的すぎますが悪い点ばかりでもありません。作業をするにしても最低限のことは決めておいた方がよろしいかと」
「うーん。それもそうね。全部今日決めちゃうってならありかも」
我が物顔で偉そうな会話をしている他校生二人だがなんだ、君たちも機関誌に携わるつもりなのか。
「当り前じゃない、あたしも古泉くんもここの部員なのよ。部員としての活動もするし意見もするわ」
早々に長門さんに二人の文芸部加入撤回をするよう進言したくなってきたぞ。
朝倉さんも何か言ってやってほしいが最早受け入れているムード出してるし絶望しかない。これがSOS団ってヤツなのか、涼宮ハルヒのワンマン企業もいいとこじゃないか。
なにはともあれ、予定通りに会議をすることになった。
ちなみに長門さんはプチシューをいつの間にか食べ終えてしまっていたようだ。小さいとはいえ十個以上入ってたのに。そして俺のコンビニ戦利品(朝倉さんのロールケーキ含む)はまだ手つかず。おやつは会議が終わってからになるな。
普段まったく使われていない部室の黒板に朝倉さんがチョークでカリカリと本日の議題である"機関誌について"の文字を書いていく。委員長だけあってそういうのは慣れている。思い返せば中学の頃から学級代表やってたしな彼女は、俺には無理な芸当だ。
長門さんは軽く咳払いをしてから、
「それでは、文芸部の会議を始めたいと……思い、ます」
なんとも締まらない感じで開始の宣言をした。
まずは期限を決めたいところだ。なあなあにやってても仕方ないし、時間に追われでもしない限り人間というのは動かん生き物だからな。
「森先生……うちの顧問が言うには年度末には仕上げてほしいそうだ」
なんであの人に顧問なんか頼んじまったんだろうなと思い始めたのは内緒だ。
年度末、つまり三月中が実質的なリミットなわけだがそれを聞いた涼宮ハルヒは笑いながら。
「一ヶ月で充分ね」
マジで言ってんのかよそれ。
うざったい調子で彼女は言葉を続ける。
「むしろ長すぎるぐらいだわ。ねえ、古泉くん?」
「あいにくと文才に恵まれた身ではありませんが、ひと月あればそれなりのものは書けるんじゃないでしょうか」
キョンよ。倦怠感丸出しのお前はどうなんだ。
俺と同じくそもそも機関誌に乗り気じゃない彼は、なんだかなと言わんばかりの感じである。
「もうちょっと時間があってもいいんじゃないか」
「時間と質が見合うとは限らないわ。それに、二月に入っちゃったらテストもあるのよ。今月中にメドが立つのが理想ね」
学年末考査のことまで配慮しての発言だったのか。ちょっと驚いたね。
彼女が言うように今月中にメドが立てば二月の一週二週は落ち着いて試験対策できよう。もっとも俺はそんなことなどするつもりないが、優等生たる朝倉さんにとっては重要なことだろう。
ところでこの時の俺は期間の短さに対して、涼宮ハルヒと古泉一樹がどれくらいの頻度で文芸部に押しかけてくるのかを気にしてはいなかった。それの高さに驚くことになるのはすぐの話である。
期限は約一ヶ月に決定し次は各自の題材とページ目安を考えることに、ずばりどれくらいのボリュームの機関誌を作るのか、だ。
国木田含む全員が仮に原稿用紙十ページ分書いてようやく七十ページか。これが半分だとすると途端に薄くなってしまう。
「ひとつぐらいは大作があってもいいと思う」
なんて穏やかじゃないことを言ったのはこれまで爆弾を投下してきた涼宮ハルヒではなく長門さんではないか。
これには過激派な涼宮ハルヒも乗り気で、
「わかってるわね! そうよ、読み応えのあるもの作んなきゃ意味ないのよ!」
トーシロ集団が下手にハードル上げるもんじゃないということを理解してほしい物言いだ。
大作かどうかなんつうのは題材に合わせて考えるべきだ、例えば恋愛モノで大作なんて俺には千日かかっても無理だぞ。
「公平性を保つためにジャンルはくじで決めましょ。明日箱を持ってくるわ」
この女に任せたら恐ろしいものが中に入ってそうで俺は嫌だ。こういうのは文学少女である長門さんに、って彼女は眼鏡こそかけているがあの長門有希とは似ても似つかぬ存在だったな。
というか明日も来るのかよ君は。今日と違って普通授業の日だろうに。
ここに至って俺は涼宮ハルヒの暴君ぶりに何も言えなくなっていた。実際、ここのメンバから考えても実のある意見を言えば通るようになってはいるのだが、涼宮ハルヒの発言力は誰が相手でも決して揺るがないことだろう。一日目にしてこの調子なんだぜ。そう考えると原作のキョンって結構胆力あるよな。
見ろ、朝倉さんは完全に書記オンリーでキョンは相変わらずの主体性皆無ぷり、長門さんはお飾り部長感丸出しという有様を。すっかり文芸部はジャックされてしまったのだ。くじ箱でもなんでも好きに持ってきてくれ。
「それで、原稿用紙に書いてくつもりなの? パソコンとかないわけ?」
ご覧の通りだぜうちは。
ないことはないがあんな化石一台でどうしろってんだ。書き直しが手間だが紙ベースでいくしかなかろう。学校に原稿用紙は山のようにあるんだ、その原稿用紙は後で森先生に言って調達してもらうとしよう。
するとここで古泉一樹が挙手し、思わぬ発言を。
「貸与という形でよければ僕の方でマシンを手配することが可能です」
「……なんだって?」
キョンの言葉は北高文芸部全員のインプレッションを代表していた。長門さんはきょとんとしてしまい、朝倉さんも古泉を見て何言ってんだこいつと言わんばかりの表情に。ただ、涼宮ハルヒだけは特に驚いた様子もなくうんうんと頷いている。
私立校通ってる坊っちゃんだからって、流石にこれはジョークにしか聞こえないな。
そんな俺の評論など知る由もなく古泉は説明を続けた。
「そうですね、週末までにはこちらへ持ってきます。OSは一つ前のものになるかと思いますがタイピング作業をする分には問題ないかと」
バット片手にコンピュータ研究部を襲撃する、などという蛮族的行為を働かずに済むのは良いことだ。
でもワケがわからない。リサイクルショップでも漁るつもりなのか。
「ちょっとしたツテがありまして。台数は六台でよろしいでしょうか」
そのツテとやらについて聞いたところでいいことはないんだろ、今は知らんでいいさ。初日の相手にずかずか質問してやるほど俺も意地悪じゃないし他のみんなだってそうだ。
文芸部は国木田を入れると七人になるが六台も手配してくれると言う古泉相手に「七台にしろ」と厚かましいことをぬかす奴はいなかった。
とまれ、記念すべき北高文芸部初の会議らしい会議はこれで終わりになる。