機動戦士ガンダム 0079 彼女の瞳に映るもの 作:セキエイ
解散後、大した運動はしてないくせにじっとりと汗ばんだ身体を引きずって歩く。
しかしこのまま部屋に戻るのは、私が一方的に思ってるだけなのだが気が引けた。
だからと言って食堂やシャワールームにも、今なら隊の誰かが居るだろう。
私は今メンバーの誰にも会いたく無いのだ。
そして出来れば一人になりたいのだがこの隊舎やファットアンクル、いや第二小隊の敷地のそれが一人になる事を許さなかった。
ふらふらと廊下を当てもなく彷徨っていて脚をそこで何の気もなく外に向けた。
例え敷地外に出たとしても喧騒を避けられそうには無い、なら私を知らない人間がなるたけ多い場所に行こう、そう思い立ったのだ。
四隅を大型照明で投光されて昼間の如く明るい駐機場を、人の背丈を超える高さで並べた機材の間をすり抜けて外に出る。
未舗装の道は歩くたびにザラザラと不協和音を鳴らし、両端の人工の樹々もそれに倣う。
騒がしく無いところなんてやっぱりなかった。
私をすり抜けて前に走る兵士に車両で追い抜く士官や技師、その逆もまた。
皆一様に何かに急いでいて私の事なんて気にも留めない、でもそれが今の私には丁度良かった。
嗚呼、胸のざわつきが止まらない。
やっぱり中尉という同性を好くのは人として駄目なのだろうか、その前に私の恋とも呼べない情動は終わっているのだというのに。
でも、でも…
「好き、なのに」
迷いが拭えない。
中尉には恐らく好きな人がいてその人も中尉が好きで、お互い愛し合っていて補い合っていて。
そこに付け入る隙なんて一寸も無くて。
何よりもそんな中尉を、彼女を愛する事が
「怖い」
この熱量を持った感情のせいで、自分が自分では無い何かに変貌して行く恐怖。
思考を心が完全に追い越してあまつさえ引き離す。
いずれ訪れるだろう何かしらの結果に、私は恐怖する。
怖い
怖い
怖い
暗くて良かった。
こんな顔を誰かに見せたくない。
歩き続けると、喧騒さえあれど暗かった道のりが開けて明るくなった。
本部前に出たのだ。
喧騒の度合いが道のりはおろか、第二小隊の野営地よりも大きい。
丁度飯時だから士官達はそそくさと建物に入り、技師や兵士達は思い思いにグループを作って機材や資材の上にどかっと座り込んで食事をとっている。
作業機械が放つ駆動音や見えないところから聞こえる作業音がそれらに合わさって、音響の混沌が形成されていると言っても良い。
狙い通りここには見知った顔は今の所見当たらない。
、、、
ふと、私は喉の渇きを覚えた。
そういえば昼から何も飲んでいなかったな。
ポケットに入れた財布を手で撫でて確かめてから飲料を求めるために、その足を本部建物に向ける。
建物にはきっと売店が有るだろう。
中には入ると、私ははっきり言って平均よりも背丈は低い方だから施設に似合わない奴が入ってきたぞと周囲の人間に訝しまれる、けどそれも一瞬だ。
彼らは私に一瞬以上意識を向けられるほど暇では無いのだから。
売店は入り口のすぐ脇にあった。
蛍光灯に虫が数匹たかって居るのを目で追いながら、飲料コーナーへ向かう。
売店は基本的に官給品以外の日用品や嗜好品を取り扱っている、具体的に言うとトイレットペーパーやブーツの中敷からお菓子や酒を置いているのだ。
飲料コーナーのクーラーケースから炭酸水と迷った挙句、水を一本取る。
そのまま少し列が出来ているレジに並んだ。
私の番が来て、水を置いて更に値段分の小銭を出す。
店員がレジを操作して居る時だった。
なんの気もなしにぼーっとその後ろを見ていてたら、「それ」を視界の正中に捉えた。
店員が釣銭と商品を差し出すけど、私は彼の後ろにあるものを恐る恐る指差した。
「そ、それも…一緒に」
ダークグリーンに金色でジオンの印章が印刷された小箱を。
店員は気の抜けた返事をして私の躊躇いなどひとかけらも気に留めず、指定したそれをレジに掛けた。
~~~
だいぶ時間が経っているような気がしているけど、隊舎を出てからまだ三十分程。
本部から少し戻って小隊の野営地に向かう道中、私は一瞬人が途切れる瞬間を見計らって暗闇が舌を出す夜の木陰に紛れた。
腕時計を確認すると八時十五分。
七時間後の午前一時に第一小隊と交代して同じ場所で翌朝まで私達が警戒にあたるから、大体出撃の一時間前には全ての準備を終えないといけない。
「頭ではそれを理解しているつもりなんだけどな」
正直こんなところで油を売っている暇は無い。
すべき事と現実が乖離した状況の中で、樹にもたれながら買った水のボトルを開封して口に持っていく。
思った以上に喉が乾いていて、一気に容量の三分の二を飲み干した。
「はぁ」
樹々の合間から零れ落ちる月明かりに手を伸ばして透かす。
斑に蒼白く照らされた甲は生気を感じさせない色をしていて、死者の手のそれだ。
掌に側を移して光を握ったり離したり、でも形のないものはどうしてもすり抜けていくから掴めない。
私は手をそのままポケットに滑り込ませてそれを取り出した。
自分の手ならちょっとだけ余るサイズの濃緑の小箱。
その上辺のパッケージを開封すると中には整然と詰められた白く細い煙草があった。
微かに甘い香りが広がり遅れて煙草の独特の臭いがやってくる、中から一本を摘まんで取り出し咥えた。
一緒に買った安物のオイルライターの蓋を開けて親指で勢いよくローラーを弾くと、ぱっと闇の中では明る過ぎる火花が散って着火された。
風がなくて助かった。
樹を挟み道を背にして、手の中でチロチロと揺れる赤い舌を咥えた細筒の先端に近付けて炙る。
私の胸の中には確かにこの齢で煙草を呑む事に対する罪悪感があったし、正直こうして初めて咥えた瞬間それが最高潮にまで達している。
けれどそれを上回るくらいに、この心のモヤモヤから目を逸らしたかったのだ。
仕方ない、そうしないとままならないんだ。
言い聞かせながらも、脳裏には中尉の横顔と眼差しが浮かんでは消える。
咥えた煙草の先端が赤く灯った。
ライターの蓋をカチンと閉じて、ゆっくりと吸気する。
そうゆっくり、ゆっくりと……
「っ、うっ…ゲホッゲホッ!!!」
口の中に細筒の内容物が細かく撒き散らされ、すかさず煙草を放す。
口内に付着した異物を唾と共に何度も吐き捨てる、そして喉になんか凄く違和感が。
間髪入れず、体内に侵入した煙を喉が肺が全力で排除しようとするから堪らず咳き込む。
吐き出した煙が目に入ってそっちも痛い。
「ゲホッうっぐ、苦しい…ゴホッ」
煙は除けられても、煙草独特の風味が喉奥に絡みついて辛い。
誰だ、こんなものを美味しいだなんて吸えるやつ。
「うっ、とてもじゃないけどゲホッ、吸えた物じゃないよゴホッ」
煙で、快感と共に私のモヤモヤを一瞬でも忘れさせてくれると思ったのに。
激しい苛立ちを抱きながらまだ残り多い細紙の先端を、樹に擦り付けて火種を消して足元に落とす。
それをまた、ブーツの底で原型が察知できない程にグチャグチャに潰す。
〜〜〜
「伍長起きな、そろそろ時間だよ」
鈍い肩の衝撃と声を感じて、スライムに呑み込まれたような意識を身体と共に起こす。
スチールベッドの脇に煙草を咥えたマリア曹長がいて、私を見ていた。
「…ああ曹長、おはようございます」
「まだまだ深夜なんだけどな、ははは」
曹長も起きたばかりなのかまだ眼が眠たそうに少しとろけている。
私は重い身体をベッドから這い出させて、立ち上がる。
「ねえ伍長」
ぐっと伸びをすると背中がバキバキと鳴った。
「何ですか?」
曹長はするとベッド隣の棚にまとめて置いてあった洗面具と歯ブラシとコップを、ごくごく自然に私に渡して来た。
「あんた寝る前に煙草吸ったっしょ?セナの奴、臭いが気になってめちゃくちゃ不機嫌になってたから急いでシャワー浴びて来い」
苦笑いと共に背中をポンポンと叩く、着任時に吸わないと言っていた私が何故急に吸ったのか、という事は聞かなかった。
良かった。
ブリーフィングまでそんなに時間も無いし、私は頷いてシャワー室へ駆け出した。
それにしても、寝る前にしっかりと念入りに歯を磨いて消臭スプレーを全身にかけたのにまだ臭いが残るとはね。
「むせるし喉奥が辛いし臭いが残るし、いい事無いな煙草って」
〜〜〜
ユリが部屋を出ると、その空間には僕だけになった。
エルデリーは目の前で吸われるのが嫌なのであって、キツく無ければ多少の臭いには寛容に目を瞑ってくれる人間だ。
さっきのユリは実際そこまで臭いはし無かったし、恐らく吸った事に気付くであろうがエルデリーは何も言わないだろう。
ユリをシャワーに行かせたのは間違いなく必要の無い事だった。
エルデリーが不機嫌だ、という事自体がそもそも嘘であった。
闇を割く照明がぼんやりと遠くの基地を染め上げてる外の光景が窓枠に切り取られている。
窓枠腰掛けて身を預ける、持った灰皿に煙草の先端をごく軽く叩いて灰を落とす。
「ごめんなぁ伍長、僕はやっぱり弱い人間だ…」
一人しか居ない三人部屋に独白が響いて消える、僕は経った今自分のした事にとても自己嫌悪していた。
残り少ない煙草を少し強く吸って肺まで煙を入れると、得も言われぬ快感が心拍のリズムに乗って全身に運ばれるて少しだけこの嫌悪感が紛れた気がした。
ユリが居なくなったあとに彼女の手荷物から拝借した煙草をポケット取り出す。
ダークグリーンの地に金色で大きくジオンの印章が印刷されてある煙草、両切りで重めの奴。
中を見るとまだ一本しか吸って居ないみたいだが、彼女がもう一度これを口にするときが来るのかは疑問だ。
ユリは狙ってこの煙草を買った訳では無いようだがそれはどうでも良かった。
僕がこうしてユリを騙してまでシャワーに行かせたのには一つ理由があった。
無知とはいえ彼女が購この銘柄を購入したこと、またこの煙草の臭いを自ら吸った上で微かにでも臭わせているのがどうにも我慢ならなかったのだ。
「これはさ、アネモネの匂いだからさ」
僕はここにはいない伍長へ向けて諭す。
これはアネモネの匂い。
けれど、いつも彼女の側にいるオルシアが薄く纏う臭いでもある。
二人が共有している臭い、なのだ。
「ッッ!!!」
手の中でダークグリーンのパッケージが握り潰れた。
好きだけど嫌いな臭いなんだよ、この煙草は。
解いた髪を鬱陶しく掻き揚げて気が滅入る、一瞬の激昂に虚しさの後味。
腐った緊急用栄養バーなんかよりも不味い。
「どこで差ァ付いちゃったんだろうな」
長身のヘラヘラした酒飲み、しかし我が隊きってのエース。
ルウムでは戦闘艦二隻を轟沈に三隻を大破、戦闘機なんて数知れず。
降下作戦やそこからオデッサへ向かう道中にもアネモネの的確な指揮の元、天性の技量で敵味方共に混乱した戦線をセナを保護しつつ抜け出した。
そうして認められて、グフのをロールアウト直後に与えられ今に至る。
そんな彼女を脳裏に巡らす。
「昔っからヘラヘラしてんのにやる時はやるもんなぁ、あいつは」
無性に苛立って、件のダークグリーンの小箱から一本取り出すと、適当に片端を詰めてから口にして火を着けた。
濃厚な味わいが口腔から更に奥を目指して侵食していく、嗚呼これはアネモネの香りだ。
一口吸ってすかさず離して、また口をつける。
彼女と何度も何度も淡い口付けを楽しむかのように。
負けだよ僕は。
ふう、と煙を吐いた。
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