女体化して女子大に飛ばされたら初恋の人に会えたけど、面倒な運動にも巻き込まれた。 作:斎藤 新未
午後4時。
召集がかかり、俺たちは講義室Aに集まっていた。
教壇ではアキと、珍しくロッカが立ち、二人とも神妙な面持ちで言葉を交わしている。
隣りにいたカレンが、
「うそ、まさか、あの作戦に」
とつぶやく。
そのつぶやきがあまりにも不安気な色を出していたものだから、俺の心もザワついた。
しばらくアキとロッカがやり取りをしていたが、アキがこちらを向き、声をあげた。
「これより、人質作戦にうつる」
室内は、ほとんどが予想していたのだろう、悲しみを受け入れる、ため息とも言えぬ声があちらこちらからあがる。
「人質のあてはあるの?」
俺はカレンに聞く。閉ざされた5階の中に、学生運動に参加していない人間が紛れ込んでいるとは思えない。
どこからどうやって人質を確保するというのだろう。
「ロッカさんの妹だよ」
「妹?」
「そ。ロッカさんの妹のアイリ。どこかでずっとテレビを見ているはずだから、彼女だけにわかる合図を送るの」
アキの横のテレビに目を向けると、屋上で園子がなぜかホースで水まきをしている姿が映しだされていた。
血が流れたわけでもなく、汚れているわけでもない。
しかしあれが、テレビを常に見ているであろう、アイリへの合図だった。
完璧に封鎖されてしまった5階へは、普段の通路は使えない。
機動隊の目を盗み、正門とは裏側から縄梯子を伝ってアイリはやってきた。
アイリは、白いワンピースに赤いカーディガンを羽織っている、典型的なお嬢様だった。
「皆さまはじめまして。ロッカの妹の、アイリです。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
アイリはか細い声で歌うように言うと、丁寧に一礼した。
ロッカが一歩前に出る。
「アイリは、人一倍反戦運動に関心があって、本当はダリア連合軍に入る予定だった。でもこの日のために、人質になるために全く無関係を装ってきてくれた。アイリとはよく外で落ちあって、この日のことをずっと話してきたの。お父さんに可愛がられるように勉強も頑張ってトップをとり続けてきたし、普段の生活もいい子すぎるほどに過ごしてきた。すべては、この日のために。私達の要望が、警察側、政府側に受け入れられるように。アイリは、形は違えど、立派な戦士よ」
皆から、大きな拍手が起きる。
俺も手のひらが痛いほどの拍手を送った。
小柄で大人しそうなアイリは、どこからどう見ても、この中に混じって学生運動をするタイプではない。
それとも、そういうふうに自身をつくりあげてきたということか。
きっと、父親の言いつけを守って夜7時以降は外出できなかったろうし、家にいる間はずっと勉強してきたんだろうな。
想像するだけで吐き気をもよおす生活である。
「ではこれより計画に入る」
アキはそう言い、ロッカとアイリと園子を従えて講義室を出ていった。
俺たちは皆、不安を押し殺してそれぞれテレビで様子をうかがっていた。
ほどなくして、花巻女子大学のバリケード封鎖を生中継しているカメラが、屋上に向けられた。
ヘリコプターから撮っているのか、遠くからではあるが、ハッキリと4人が見える。
誰かがテレビのボリュームを上げ、ヘリコプターに乗り込んでいるであろうレポーターの興奮気味な声が聞こえてきた。
「なんということでしょう。ダリア連合軍にのっとられた大学の屋上に、ぽつりと女の子が一人、立ちつくしております。あの様子から見ると、仲間というわけではないようですが、まさか、人質ということでしょうか。見てください、後ろ手が縛られているようです。大変なことになりました。ダリア連合軍が、人質をとりました!」
なんて的確にダリア連合軍の思惑を伝えてくれるレポーターだろう。
テレビ画面では、ロッカがアイリの手元を自由にし、拡声器を渡す姿が映っている。
そして、アイリの声が、外から聞こえた。
「私は、花巻女子大学に通う1年です。レポートを提出しようと思い、朝早く大学に来たところを、拉致されました」
アイリは淡々と語り、そして一呼吸おいて涙声で言った。
「お父さん、ごめんなさい。でも、このままだと私、殺されます」
俺がお父さんだったら、今から全速力で助けにいくと思う。
こんな可愛い娘を放っておく父親なんて、一体どこにいるというんだ。
ダリア連合軍の勝利が、見えた気がした。
ダリア連合軍は、しばらく沈黙を貫いた。
機動隊も、まだ指示が出ていないのか、キャンパスの脇に並んで立っているだけで、何もしかけようとはしてこない。
学生や近所の人たちのキャンパスへの立ち入りは禁じられ、夕方の大学とは思えないほどの静けさに包まれていた。
しばしの休戦状態となり、割ってしまった瓶を片づけたり、バリケードの強度を確認したりした。
みんながゆっくりと活動をしている中、俺は眠い目をなんとかこじ開けなければならなかった。
緊張の糸が切れたことで昨日からほとんど感じなかった眠気に襲われていたのだ。
たぶん、今眠っておかなければ今日これから大変なことになるだろう。
危険な状態に瀕したときに立ち向かえるよう、今寝ておいた方がいいだろう。
という言い訳をつけ、俺は武器製造室の一番後ろの席にゴロンと横になった。
幕板が目隠しになっているタイプの机は、イスに寝転がってしまえば前からは見えない。
こういうときにはとても便利である。
顔を伏せる前に、教壇の方でキョロキョロと俺を探しているであろうカレンの姿が目に入った。
申し訳ないが、少しだけ寝させてもらいます…。
目を閉じ、ぐいぐいと眠りに吸い込まれそうになったとき、すぐそばから声が聞こえた。
「ごめんね、アイリ」
ロッカの声だ。
目を開けると、俺の姿に気づいていないのか、俺のすぐ前の席にロッカとアイリが座ったところだった。
「いいの。こうやってちゃんと話すの半年ぶりだね。それより姉ちゃん、ちゃんとやってるの?」
アイリの強気な言葉に、思わず起き上がりそうになる。
さっきまであんなにか弱そうに振る舞い、震える声を出していたのに、今ではロッカよりも低くしっかりとした声を発している。
ここまで演技派だったとは、全く恐れ入る。
「大丈夫。アキも園子も椿もいるし」
「でも姉ちゃん、あの人たち苦手だって言ってたじゃん」
「うん、まあ、今でも苦手というか、むしろ嫌い。だって、こんな計画をたてるような人たちだよ?鬼だよ」
そう言って二人はフフッと笑う。
今、聞いてはいけない話を聞いている気がする。
でも、ここで起き上がったところでタイミング悪すぎだろう。
「でも思った通りに動いてくれる人たちだよ」
「そうだね、こっちがその気になれば危険なこともやってくれそう」
あのニコニコしたロッカが、アキや椿たちをこんな風に思っているとは思わなかった。
人それぞれ裏表はあるというけれど、ちょっぴりショックである。
一体この姉妹は何をたくらんでいるのだろう、と内心ドキドキ聞いていたのだが、なんてことはなかった。
「これで、お父さんも私たちのことちゃんと見てくれるかな」
これが、アイリの本音だった。
「姉ちゃんが学生運動を始めてからお姉ちゃんのこと完全無視じゃん?私にだけ理想を押し付けて」
「ごめんね、一人で辛かったよね」
「そうじゃないの。私は私で戦ってるし、姉ちゃんは姉ちゃんで戦ってるからお互い様。姉ちゃんも、いない人みたいに扱われて辛かったでしょ?」「そんなことないよ。アイリの方が辛いだろうって思ってたから」
俺は、ゆっくりと目を閉じる。
「きっとこれが終わったらさ、お父さんもアイリのことちゃんと考えてくれて、ピアノとバレエと英会話もやめさせてくれると思う。やめられたら、どこに行く?」
ロッカが、ウキウキとアイリに話しかけている。
「私、渋谷に行ってみたいの」
アイリは、東京に住んでいながら、渋谷にも行ったことがないというのか。
なんとなく、「渋谷は危ないところだから行ったらダメだ」と言っている父親の様子が浮かぶ。
全く、いつの時代の父親だ。可愛すぎる娘のことを溺愛しているのはわかるが、それはやりすぎだろう。
「渋谷か。いいね。買い物いっぱいしようか」
「テレビではちょっと見たことがあるんだけど、どのお店がいいのかな」
「832ができたから、一緒に行こうよ。私も、これが終わったらアイリと行こうと思って、まだ誰とも行ってないんだ」
「ああ、テレビで見たよ!どんなお店なの?」
109なら聞いたことがあるが、832?あの交差点にあるあの建物だろうか。
ハチサンニ。ヤサニ。野菜?ああ、八百屋か…と、自分の頭の鈍り具合に思わず苦笑してしまう。
「ハチミツっていう、ハチミツみたいな、可愛い服だけ置いてあるお店なんだよ」
「へ~行ってみたい!」
ハチミツとは、なるほど。ただ、ハチミツみたいな可愛い服という表現が俺にはさっぱりわからない。
俺には到底理解しがたいジャンルの洋服なんだろう。
二人はそれから、カラオケに行ってみたいとか、アイドルショップにも行ってみたいとか、とりとめがないほどに、バリケード封鎖が終わったあとのことを語っていた。
なんてことはない、仲の良い姉妹の会話だった。
俺はそのくすぐったくも心地良い、優しい会話をこもり歌に、いつの間にか眠りに落ちていた。