花襲 -はながさね-   作:雲龍紙

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 もろともに あはれと思へ 山桜
 花よりほかに 知る人も無し


  ――――前大僧正行尊





花時雨 -黄龍-

 

 雨が、地面を叩く。

 軒先から滴り、地面を打つ雨の音が響いていた。そこに時折、庭木の枝葉から滴り落ちる雫の高い音が混じる。本格的に降り始めた雨に煙る庭を眺め、そっと溜息を吐いた。

 障子を閉じても、雨の匂いが部屋に残る。

 

「……今日は、出られないな……」

 

 小さく呟き、身体を伸ばしながら欠伸を噛み殺す。白藍の寝間着から千歳緑の着流しに着替え、布団をたたんで部屋を出た。

 

 正直、少し前なら来客も無いのをいいことに惰眠を貪っていたりしたのだが、今はそういう訳にもいかない。一番奥の間の襖を静かに開き、部屋の中を確認する。

 

 黄金に輝くような髪。

 

 真っ先に目に入るのはその色彩で、その人物は部屋の真ん中に敷かれた布団で眠っていた。丸窓は開かれた様子も無く、枕辺に置いた水差しからも水が減った痕跡はない。

 

 どうやら、まだ目覚めてはいないらしい。それらを確認しつつ、空気の入れ替えの為に丸窓を開けた。すぐ脇の柱に掛けた、一輪挿しの菖蒲(アヤメ)が風に揺れる。窓の外では雨に濡れながら藤が波のような花房を揺らしていた。

 

「……さて、」

 

 こんな天気では洗濯も出来ないし、出掛けることも出来ない。かと言って、別にしなければいけないようなことも、実は無い。

 

 星が動かなければ、この人里離れた場所でひっそりと朽ちるまで過ごす。それだけが、この身に課せられたものだった。だからこそ、別にしなければならないことは無い。極論、何も飲み食いせずにゆるやかに衰弱していくような自害を試みようと、誰にも咎められることは無い。人間からすれば死ねば別の適任を用意するだけだろうし、神霊たちからしてみても、それは同様だろう。それでは例え死んでみても全くの無意味だ。よって、とりあえず退屈を凌ぎ、暇を潰す何かをしたい。

 

 正直なところ、この『客』を拾って来たのは、退屈凌ぎの為である。よって、効果的に暇を潰すなら、世話を焼けばいい。だが、その相手は数日たっても眠ったまま。氣の巡り具合から見ても、徐々に回復はしているのだろうが、外傷がある訳では無いので手当も出来ない。

 

 腕を組んで柱に寄り掛かり、じっと金髪の『客』を眺める。やはり異人さんは日本人と比べて体格が良い。しかもこの御仁は均整の取れた鍛えられた身体つきをしている。なんというか、こう……嫉妬しても良いだろうか。

 そこまで考え、ふと思い至った。この家に、この御仁に合う衣服は――無かった気がする。というか、自分独りしかいないのだから考えるまでも無く、ある訳がない。

 

 ならば、やることは決まった。この御仁に似合う服を作らなければならない。これはなかなか良い暇潰しが出来そうだ。この御仁だけでは無く、小蛇殿の分も作っておいた方が良いだろうし。

 ツン、と足首を何かにつつかれた。視線を落とせば、滑らかな白銀の小蛇の姿。こちらも徐々に回復しているらしく、拾った時よりは大きくなっている。

 軽く笑んで屈みこみ、片膝を着く。そっと頭を撫でれば、ゆらりともたげた鎌首を揺らした。

 

「――どうした? 影藤(かげふじ)殿」

 

 何度か『小蛇殿』と呼んだら無視されたり尾で叩かれたりしたので、少し悩んだ後に、こう呼んでいる。からかった自分も大人げなかったと思わないでもないが、この呼称も実は皮肉的な要素を含んでいた。だが、流石にこちらは解らなかったらしい。今のところ困惑された後、諦めたような溜息を吐かれた程度である。――いや、こっちの呼び名の意図はバレても怒られたりはしないと思うが。

 そんなことを思い返しながら小蛇を撫でていると、不意にかぷり、と指先に噛みつかれた。痛いというより、ムズ痒い。

 

「…………小蛇殿?」

 

 あえて不満がっていた方の呼び方をするも、噛む力がより強くなった程度で何も変わらなかった。会話が出来る訳では無いので、仕方なく眺めてみる。どうやら、自分の血を舐めているらしい。――いや、これは正確には血だけでは無く、血と一緒に流れ出る氣も舐めているのだろうか。確かに、回復するには手っ取り早い方法ではあると思う。体液の摂取が魔力だとかの回復手段として用いられるのは、洋の東西を問わず昔からの常套手段であるわけだし。

 

 ――が。

 

「……たぶん、悪酔いするからそろそろ止めた方が……あ、」

 

 ようやく離れたと思ったら、ぽてっと小さな音を立てて畳の上に落ちた。どうやら眼を回してしまったらしい。可愛らしい姿に、少しだけ和む。

 そっと両手で掬い上げて金髪の御仁が眠る布団の端に運び、撫でてから部屋を出て戸を閉めた。薄暗い廊下を歩きながら、これから手がける衣の色を考える。

 あの見事な金の髪では、同じような色彩はよろしくない。黄櫨染(こうろぜん)は合うだろうが、あれは一応禁色(きんじき)であるので除外する。

 

(……金色の髪、か)

 

 あの髪の色をより引き立てるのならば、濃い緑が良いだろう。洋装でならば白や黒でも良いかもしれないが、自分には洋装を作る技術は無い。よって自然に和服になる訳だが、そうすると白や黒は正装の類になってしまう。青は少し違和感があるし、紅はあの金糸の髪と合わせると少し安っぽく見える気がする。――うん。やはり緑系統の色が良い。それも、少し暗めの緑であれば、あの金の色をより引き立てるだろう。

 

「……小蛇殿は、」

 

 人間の姿かたちを見ていないので、何とも言えない。――が、なんとなく、わかる。当人の雰囲気は、おそらく金髪の御仁とは正反対と言って良いだろう。ならば白系の色か――いっそ白藤が良いかもしれない。あるいは瓶覗(かめのぞ)きか水浅葱あたりか。

 

 光には陰を、陰には光を。そう在れば、より互いを引き立て合う。

 

「――うん。確か、使わなかった布も蔵にあったな」

 

 蔵、とは言っても1階の大部分は作業用の工房と化しているので、本当の意味で蔵なのは2階部分だが。――まぁ、今回はただの縫い物なので、布を持って来て炉端でやればいいだろう。

 

 そこまで考え、ふと朝餉(あさげ)をまだ摂っていないことに気が付いた。

 

「あー……昨日の汁がまだあったか。小蛇殿はしばらく起きて来ないだろうし……」

 

 自分の血と氣とを一緒に摂取すれば、まぁ、回復は速いだろう。ただ、それは例えるならば泡盛(あわもり)()のまま一気飲みするような行為である、と認識している。ウワバミと云われる蛇ならば多少の耐性はあるだろうが、それでもちょっと不味かったんじゃないだろうか。

 

「……ま、いいか」

 

 特に問題は無いだろう。悪酔いをしようが二日酔いになろうが、死ぬ訳でも無い。……流石に、蛇神が急性アルコール中毒とかにはならないだろうし。たぶん。

 

「朝餉……も、いいか」

 

 自分独りしかいないなら、別に抜いても構うまい。正直、自分の分だけを用意するのは面倒臭いし。だが、まぁ……流石に昼時には腹が減るだろう。

 

 居間に寄り、囲炉裏の埋火(うずみび)を掻き起こす。軽く炭を足して、自在鉤(じざいかぎ)に昨日の残りの汁が入った鉄鍋を掛けた。火に直接触れない事を確認してから、草履を引っ掛けて土間に降りる。戸口を開け、脇に置いてあった赤い傘を広げれば、貼り付いていた最後の名残りの桜がひらりと舞い落ちた。それを惜しむような気持ちで見送り、傘をさして雨の中に出る。

 

小さな石橋の掛かる池の傍を抜け、藤の下を潜り、咲き始めた紫陽花を見て、もうそんな季節か、と苦笑した。やがて蔵が見えてくると、扉の脇に植えられた山吹が黄金に煙って視界に入る。ちょうど見頃であったらしい。その色彩に、あの金色の御仁が脳裏をよぎる。

 

「――帰りに、少し貰って活けようか」

 

 口に出して呟けば、(うべな)うように黄金(こがね)の花々がサワリと揺れた。どうやら、活けて貰いたいらしい。

 思わず微笑み、鉄で作られた重い扉を開けながら、軽く窘めるように話し掛ける。

 

「喧嘩は、するなよ?」

 

 さわさわ、と応えるように花が揺れた。

 

 

 





『影藤』…水に映った藤。

 影は陰。虚像。光が強ければ、影もまた濃く深くなる。

 藤。蔓状の植物、紫や白などの花房を垂らす。
 古来、日本では蔓状の植物は蛇や龍の力を表すものでもあった。
 藤は『風散』とも書く。


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