「これで――終わり!!」
蹴りだすと同時に幹周り1mは軽く越すであろう大木がバキッという音を立ててへし折れる。
その音がイリヤの耳に届くことは無い。なぜなら、今の彼女は音よりも速いからだ。
「―――」
彼女が目標とする褐色の人形までの距離はと言えばせいぜい10mいくかいかないか。
となれば到達までにかかる時間はほんの刹那、瞬きしている間に終わってしまうというやつだ。
しかしサーヴァントの力を借りたイリヤにとってはその僅かな時間すらまるで彼女の嫌いな算数の授業の時間ほど長く、鮮明なものに感じた。
その先に見えるのは、度重なる連撃にいよいよバランスを崩し片手を地面に付くことでなんとかバランスを保っているクロ。
反応が遅れ完全にイリヤの姿を追うことは出来なくなっている。
そこに襲いかかる最速の槍。交わす術などはありはしない。
「――さっさと目を覚ましなさい……馬鹿クロー!!」
心の底から叫ぶ。それはただの気合というだけではなく、最後の最後に心の中に湧き上がってきた何かを押し止めようとするものだったのかも知れない。
そうして槍が突き刺さり、肉が切れる不快な音がする。それは彼女が初めて聞く"人の身体"を斬った音。
「あ――」
びちゃっと冷たい何かが顔を濡らす。その感触に、いつの間にか瞑っていた目を開けると、両膝をつき、顔を下げるクロの肩口から右腕の付け根にかけて大きな傷ができ鮮血が噴き出していた。それでイリヤは理解した。自分の額を濡らしたのは彼女の血であると。
他の世界線でどうなるかなどは定かではないが、少なくともこの世界において幾度となく彼女達の危機を救ってきた必中の槍は今回も必中であった。
「とりあえずこれで――」
だがそれは、その必中の意志を担い手である彼女自身が本気でもっていれば、という話だった。
「――■■!!」
――――――
「なにを言ってるんですかイリヤさん! 早く離れ――!!」
「――■■■!!!」
「アウ――!」
いち早く事態を察知したルビーが叫ぶ。
一度沈黙したかに思えたクロだが、止まったのはほんの一瞬。天を向き一際大きく野獣のような咆哮を上げると、周りの肉が引きちぎれるのも構わずに無理やり身体をひねるとその勢いのままイリヤの横っ腹に回し蹴りを叩き込む。
両手を使い全力で槍を突き立てていた彼女がその反撃に対応できるはずも無く、まるでおもちゃのように宙を舞い、地面に落ちても2回、3回と転がり、ようやく呼吸を取り戻したのはその後のことだった。
「カハッ――」
「なぜ……なぜですイリヤさん! 今のは貴女の……」
「分かんない――私はちゃんと……」
「――――」
――――今のは貴女の失策だ。
そう言おうとしたルビーの言葉が止まる。
血を吐きながらもその言葉の節々に本心からの疑問符を浮かべるイリヤの返答に、彼女には分かってしまった。
「違う――今のは、私の失策――」
「ルビー……?」
不思議そうに問いかける主人に返す言葉はルビーには思いつかなかった。というよりも聞こえていたかも定かではない。
彼女の心を埋め尽くしていたのは明確な後悔。ただそれだけ。
結果など、この戦いが始まった時点で分かっていたのだ。それに気付かずに履き違えた自分の落ち度。
「――――」
ルビーは直前の記憶をもう一度反芻する。
そして、その中に潜んでいたこの結果を導く手掛かりの数々がよりはっきりと見え、彼女は天を仰いだ。
目の前で苦しげに倒れるマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはたとえこの勝負に負けない結末は自力で用意出来たとしても、勝つ結末は、それがより明確であればあるほど自ら手繰り寄せることが出来る存在ではない。
そんなこと、彼女と初めて会った時から分かっていたはずのに。
あの時……イリヤが覚悟したのは敵となったクロを"倒す"ことではなく、クロを"助ける"為に力を振るう事だった。そして問題はここなのだが、彼女にとっての助けると、ルビーにとっての助けるは同じ言葉でも少し違ったのだ。こんなところにいる以上大抵はルビーと同じ意見になるはずなのだしそう思い込んでいた。
だがイリヤは――
「ルビー……!」
「――っ! しまっ!!」
思考は一旦中断。
イリヤの声でここを好機とばかりに突っ込んでくるクロの存在にルビーも気が付いた。
僅かながらも体力を回復したイリヤとルビーはとにかく防ぐ為の連撃を繰り出す。
本来イリヤとの相互疎通に失敗した際の二重リスクを警戒しほとんどその機能を停止しているアシスト機能もフルに駆使しなんとか食らいつく。
元来スピードでは彼女達が上回っている事もあり押され気味ながらも決定打は与えない。
そしてクロの手に握られる双刀を叩き落し……
「ゲホッ――」
「やはり――!」
イリヤは再び蹴り飛ばされた。
それは先程の再現だ。イリヤの体躯でクロの蹴りを抑えきることも出来るはずがなく、再び宙を舞う。
だが一つだけ違うことがある。それはルビーの心の中にある確信が生まれたことだ。
「――――」
クロは流石にダメージがあるなか無理をしたのがたたったのかこちらを無理やり追おうとはせずに傷口を抑えて息を整えている。
そしてルビーはもう一度その傷を見直す。細長く腕を覆う切り傷。見ようによっては狙ってそうしたようにも見えなくはない。しかし――
「イリヤさん」
「なによルビー……耳あんま聞こえないからもっとはっきり」
「イリヤさん、貴女ではクロさんには勝てません」
それを見てこれが現実だと、ルビーは再確認した。
「な――」
イリヤが言葉を失う。
一体何を言うのかと、確かに現状の不利は否めないがなんのメリットがあってそんなことをいうのかと、その目が困惑に染まる。
だがそれでも、淡々とルビーは続けた。
「じゃあイリヤさん――なぜ貴女は槍を
無意識か後ろめたさか、さっと目の前の少女の瞳から光が消える。
それはおそらく自分ですら気付かなかった、もしくは薄々感づいてはいたが理解しきれていなかった前者をここにて自覚したものだとルビーは判断した。
「セイバーさんに教えてもらったとはいえ、先のイリヤさんの戦闘はパーフェクトでした。
ええ、あれだけやって外すなんて有り得ないくらいに。加えて今の私はオリジナルには程遠いとはいえゲイ・ボルグの必中理論、因果逆転を理解し体現することができる。正に完璧な運び……ですが事実として利き腕となる右肩を破壊して勝負を決めると言う思惑はずれた。
それは槍がクロさんに突き刺さる直前まで私"達"の狙いだったものが私"だけ"のものになってしまったことに他ならないのではないのでしょうか?」
イリヤはもう何も言わない。
それは沈黙と言う名の肯定なのだろう。
「イリヤさん……貴女は成長しました。初めて出会った時には敵を目の前にすれば全力で敵前逃亡をかましたり、私生活でも何かあるたび些細なことでも逃げの一手しかうてなかったただの女の子と本当に同一人物なのか信じられないくらいに。
ですが凛さんやルヴィアさんに比べても全く出来ていない心構えが1つあります。いえ、むしろそんなものは覚えないほうがよっぽど良いのかもしれませんが……」
「イリヤさん、いくら強くなっても、どれだけ異形を斬っても、今の貴女には"人"を斬ることはできない」
「――――っ!」
息を呑む音が聞こえた。
そうだ。いかに非現実に足を突っ込んでいようとイリヤは根本的にこちら側の人間ではないのだ。
それが魔術師である凛やルヴィアと、イリヤの決定的違い。
そもそも人間という生き物は倫理観というものを持っている。人を殺してはならない、傷つけたくないというのはその最たるものであり、どんな行動をするにしても無意識のうちにそれが一番に来るように出来ている。
だが、それを良しとしないのが魔術師という人種だ。
彼らの場合はそれよりも上に根源の追求というものがある。故に、相応の覚悟は必要とはなるが、好き嫌いは別として根源に至るためには人を殺すことも厭わない、目標の為ならやむを得ないこともある、という普通の人には到底及びつかない考えを持てる。
だからこそ彼らは一般人とは違う。人を人として形作る最大の論理が異なっているのだから。
しかし、それだからこそ出来る事もある。
今の場面がまさにそれだ。もしもこの場で闘っているのが凛なら、ルヴィアなら、全てが終わったあとに泣きもするだろう、悼みもするだろう、だが最後の最後までぶれたりはしないはずだ。
そしてそれを当たり前のように自分も求めただろうとルビーは思う。
けれど、それをイリヤに求めてはいけなかった。
いくら理由があるとはいえ家族を傷つける。それを全くぶらさずに実行できる人間がいるとしたら、それは魔術師か、そこに快楽を見出す狂者か、あるいは人としてこわれている何かだけだ。
当然ながらイリヤはそのどれにも該当しない。
だから、ある意味槍が外れたのは必然。それに気付かなかったルビー自身の落ち度。
彼女には悔やむことしかできない。
「じゃあ――どうすればいいのよ!」
ガクガクと笑う膝に手を当てながら必死にイリヤが立ち上がる。
「そんなこと言ったって、やらなきゃクロも私も死ぬって言ったのはルビーじゃん! なら、私がやらないと……」
だがその言葉はか細く、今にも消え入りそうなもの。目には涙が一杯に溜まっている。
人である以上当然のように備えている感情と、それを許さない今の矛盾した状況との板挟み。
どちらからも逃げられず、どちらも乗り越える術を見つけられないというように。
「いえ、もう無理しなくていいです」
「え――?」
だから、ルビーは決めた。
たとえ今後イリヤにどう思われようとも、彼女の人としての部分は壊させないと。
「マスター登録者イリヤスフィール・フォン・アインツベルン……緊急事態と判断し神経接続開始――」
「ちょっ――ルビー……? まって、いったいなにを――」
カレイドステッキの持つ無限の魔力、無数の機能は元来人の手に負えるものではない。
そのあまりの力によって幾度となく封印されたりもしたものだが、今こうして外に出ているのはそれに附随する形で付けられた人口天然精霊、要するにルビーの存在があるからだ。
悪用を防ぐ門番にして力を開放するスイッチ、この相反する2つをこなす彼女の役割は大きい。
だからゼルレッチは彼女に人と等しいと言えるだけの人間性をとりつけたのだろう。
人と同じように喜び、同じように悲しみ、同じように趣味を持ち、同じように悩み……その存在が何があっても人類の敵となるようなことが決してないように。
そしてそれは、裏を返せば人1人の意識の主導権を乗っ取るくらい簡単だということ。それもマスターとして直接的な繋がりがある者ならばなおさらだ。
「――――っ」
一瞬、ほんの一瞬だがルビーは躊躇った。
それは今しがたイリヤが感じた矛盾と同じものだろう。
やらなければいけないことは分かっている。しかしそれで失うものの大きさもまた分かっている。
そこでイリヤは止まった。人間であるが故に。しかし、魔術師の感性をもつルビーは――
「接続完了――意識占有100%、身体機能異状なし、抵抗反応クリア――戦闘行動可能と判断。接続時間は150秒に設定――」
イリヤは槍を持ち立ち上がる。だがそれはイリヤであってイリヤでない存在。
「時間がない。早く決めないと――」
「――■■!!」
本能的に何かが変わったことを察したのかクロも息を切らしながらだが立ち上がる。
そしてそのまま大きく後ろへと飛ぶと大きな弓を投影する。
「なるほど、流石は姉妹。意思なんてもはやなくなっているでしょうに……悲しいものです。ここで対峙している2人はどちらも本来の身体の持ち主と違うものに支配されているだなんて」
ルビーも槍を握ると全身のバネを太腿一点に集約し構えを取る。
先程一撃を与えた際にクロの中へと入り軽い解析を行った。だいたいのネタは分かっている。
「仮にこれをイリヤさんに伝えたとしても、クロさんの姿をしている相手に槍を当てるのは無理でしょうしね」
そのまま大きく跳ぶ。因果の逆転を覆せるとしたらそれは自らの意志だけだ。
「ka――bo――g!!」
クロが弓を放つ。螺旋型の到底弓には見えないそれは疾風となりルビーへと迫る。
「破壊するのは偽りの心ではなく真の霊核――
必中の槍を放つ。
こちらも弾丸かと見間違えるほどの速度を保ち狙うべき命を刈り取るべく直進する。
「――!!」
直撃、そして均衡はほんの数秒ともたなかった。
爆散する螺旋の奥へと槍は進む。劣化の投擲宝具と劣化の劣化の贋作。その勝敗は見るまでもなかった。
もうクロに出来ることなどない。
諦めたのか逃げもせず、そのまま両手を広げ、死の一撃を受け入れた。
「―――」
本来心臓があるのとは逆、右胸を貫いた。
――――――
「終わりだ。戻りたまえ」
「――っ!」
趨勢を問われたならば五分と五分……少しだけ私のほうが良いか。
そんな状況の中、突如後ろで傍観を決め込んでいたダリウスが手を挙げ、不服そうな表情を浮べながらベアトリスも引き下がる。
「イリヤが勝ったのか……あれは!?」
完全に目の前の敵に合わせていた集中を解き、隔絶された空間とかした彼女達の方へと目をやると、立ち尽くすイリヤの横にクロが倒れていた。
そして、イリヤの手に握られているのは必中の槍。
「いや、どうやら私の思惑とは少し違うが……これも一興か。安心したまえ、クロ・フォン・アインツベルンは死んではいない。
私は彼女達の神話への登壇を認めよう」
さっと頭を過ぎる嫌な想像を否定したのは、ほくそ笑むダリウスだ。
満足げな雰囲気を漂わせた彼はエリカの手を握り後ろを向き……もう一度振り返った。
「アンジェリカは……手こずっているのか。あの小さな英雄王の登場は流石に想定外だったが……ベアトリス」
「はいはい、分かりましたよっと」
ベアトリスが大鎚を振り上げると何百mか離れた位置に一本の雷が落ちる。
そしてその直後に身体中に傷を負ったアンジェリカがそこから飛び姿を現した。
「驚いたな。まさか君が押されるとは」
「申し訳ありません。あの二人が想像以上に相性が良く」
その向こうから『逃げるなこのやろー!』とか『まだ3割も返してもらってないてすよ!』とか聞こえたのを考えるにどうやらふたり共元気……無事なようである。
「あの魔術師の女も十分に見込みあり……ジュリアンめ、あいつの審査は厳しすぎる。あの心の器のひとつも大したことがないとか言っておきながらその実怪物クラスの傑物だった件もあるし1つ言い聞かせなければ……」
「あれは全力を尽くしても際どい勝負になったことがジュリアン様のプライドを傷つけたのかと」
「心の器……?」
聞き慣れない単語の意味を考える。しかし私に思い当たる節は何も無かった。
「じゃあ今日はここまでだ。ああ、死んでいないとは言ったが早く治療しなければクロは死ぬぞ。私達を追うよりもそっちのほうが余程重要だと思う、とだけは言っておこう」
それだけ言い残すと4人は悠々と遠坂邸の庭を歩いていく。
私がここで追撃するなどあり得ないと確信しているように。
「クロ! イリヤ!」
そしてそれは正解だ。
彼女達に駆け寄ると今まで私達を隔てていた壁のようなものは消え去っていた。
「すいませんセイバーさん。すぐに意識は戻しますので」
「その声は……ルビー?」
―――――
「――♪」
「どうしたんだいエリカ? ご機嫌じゃないか」
「んー? だってね……イリヤおねえちゃん、とっても優しい人だったから!! おねえちゃんなら美遊おねえちゃんに合わせても大丈夫だよね! パパ!」
どうもです!
今回はあんまFGO話すネタがない(笑)
あ、エミヤさんのキャラクエは和みました。
とりあえずひたすら混沌の爪を集める悲しい作業に挑んで早くオルタ様をゴスロリにしたい(カニファン並感)
まあたまには本編について皆さんと語れればいいですよね!
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