赤い丘が見えた。
ここに来るのは初めてだろうか、それとも何度目かだろうか。
分からないがこの無機質に、それでいて強い信念で形作られた荒野は妙に心地良い……
「――うっ」
……いや、訂正。ここは確かに近いのかも知れないが俺の世界ではない。
心に溶け込もうとした風景に士郎は吐き気を催した。
お前を形作るのは俺ではない。
「だけど――」
何かを探さないといけない気がする。
吹き荒ぶ向かい風の中を歩く。いつの間にか纏っていたくたびれた白いマントからはほのかに血の臭いがする。
こんなもの普通ならすぐに破棄しているはずだ、別段風も強いわけではない。
それなのにこの汚れた外套はまるで慣れ親しみ愛着のわいたお気に入りの服のように感じた。
そして坂が見える。
差し掛かるあたりで周りの風景が変わり始めていることに気がついた。
何も無かったはずの荒野には無数の剣が突き刺さり、坂の向こうに見える真っ赤な太陽を覆い隠さんばかりに歯車が回る。
登り切る。
一歩一歩、確実に歩みを進める度にどんどんと増えていく剣。
それを見ると何だか頭が痛くなってきた。
こんな時に場違いかも知れないが、まるで試験勉強をする時に単語一つ一つを頭の空き容量に押し込んでいくように。
今感じているのはそれを能動的ではなく受動的に行っているような――剣一つ一つが無理やり頭の中に飛び込んでくる感じ、もう空きなんてないはずなのに着実に浸透していくような、そんな感じ。
そうしてようやく先の姿が見えた。
「ここは……」
ここから一歩踏み出せば別の世界だ。
何となく直感した。
後ろも前も見た目は変わりはしない。
だが、何かが決定的に違う。
そう分かってしまい士郎は躊躇した。
このまま先に進んでも良いのか?
「――埒があかんな……まあお前という存在は既にここから運命の道が逸れている。その拒絶は当然の反応だ」
「え――?」
立ち尽くしていると突然声をかけられる。
士郎が後ろを見てみればさっきまで誰もいなかったはずのそこには大男が立っていた。
身長はパッと見2m弱、褐色の肌に白い髪、赤い外套に身を包むその男など彼は知らない。
そうなのだが、その目にはどことなく見覚えがある気がした。
「その顔を見ても
―――――
私の事はアーチャーとでも呼ぶがいい。
そう言った彼の後に続いて荒野を進んだ。
考えてみればなぜ名前を知っているのか? とかあれほど躊躇した道をあっさりと進んで良かったのか? とか色々あるはずなのだが何故か何も気にならなかった。
前を歩く男には妙な安心感があった。
「――ここでいいか」
どれほど進んだだろうか、丘が見えなくなるくらい歩いた所でアーチャーがパチンと指を鳴らす。
するとどういう仕組みなのか突如地面から無数の剣が出現したかと思うと意思を持っているかのように蠢く。そして数秒もすると剣達は椅子のような形を作り出していた。
「座るといい――ああ、安心したまえ、斬れたりはしない。無論、お前なら分かっているだらうが」
意味有りげに呟くとアーチャーは玉座に座る。
その姿を見て士郎には何となく分かった。彼がこの世界の主なのだと、何とも寂しく孤独な世界の王だが、その信念がいかに強靭なのかも。
「それじゃあ」
右手をさしだし促すアーチャーの言葉に従い士郎も椅子に腰を下ろす。
こちらは学校で使うようなあのタイプだ。
「では本題に入ろうか、エミヤシロウ。何故お前はここにいる?」
「それは俺が知りたいくらいだ。ホントならこんなとこにいる場合じゃないんだけど……気付いたらここにいたんだ……てかアンタは一体何なんだよ?」
残念ながらそれはこちらが知りたい。
むしろ士郎はアーチャーが知らないことにがっかりした。
「質問に質問で返すな……こういう細かく癇に障るところまではさすがに変わらんか――まあ良いだろう。先程も言ったがオレはアーチャーだ。
果てのない無様な理想の果てに正義の味方なんてものになった挙句英雄になった存在。それがオレだよ」
「――? なんでさ、正義の味方ならカッコいいじゃないか。一体何が不満だって言うんだ?」
ピクッとアーチャーの眉が動く。それと同時に何かが膨れ上がる。
「あまりそこには触れない方がいい。お前が違うとわかっていても手を出しかねん。いいな?」
「わ、わかったよ……」
今のは確実に殺る気だった。
士郎は冷や汗をかきながら謝罪する。
これが人の琴線に触れてしまったというやつなのだろう。
「それでいい――ふむ、嘘は言っていないようだな。では少し――」
「おい!? 一体何やって――!」
「騒ぐな。お前に自覚がないならこうでもするしかあるまい―。理由もなくここに迷い込むなどあるはずがないのだからな――解析……開始」
アーチャーは立ち上がると士郎に歩み寄り手を伸ばす。
そして額に手を当てると目を閉じ、聞き慣れたような呪文を口にした。
「――ッぐ!?」
同時に襲う頭の中の鍵が開くような開放感。
全てを見透かされているような感覚は今までに経験が無いものだ。
そのまま数秒が過ぎ……ようやくアーチャーは手を離した。
「――ハァハァ……」
「なる程、随分とふざけた真似をしてくれる――すまんなエミヤシロウ、少しお前の奥を探らせてもらった。多少疲労感はあるだろうがすぐに治る」
舌打ちをするとアーチャーは上を向いてどこかを睨みつける。
それはまるで見えないところから見下ろす誰かに不快感を表しているようだった。
「英霊の座に干渉してオレを起こし、こいつの精神をここに持ってきたのか、奴の世界やらなにやら入り混じっているのは何かクッションを置いた結果とすれば――並の魔術師の仕業ではあるまい――いや、もしくはこいつ自身が無意識に内面世界を具現化したものか? それならここにいるオレは現象以下の存在ということになるがあっさりとこいつをくみ取れたのを考えるにそちらの線も充分に有り得る――」
「おーい、アーチャー。大丈夫か?」
暫くそうしていたかと思うと乱暴に腰を下ろし足を組み顎に手を置き何やらぶつぶつと呟く。
はっきり言って何を言っているのか士郎には全く分からなかった。
「だとすれば――おっと、すまん。少し気になることがあったのでな。まあここで答えが出るわけでもないし質問に戻ろう」
アーチャーは姿勢を戻すと真っ直ぐに士郎を見据える。
「エミヤシロウ、お前が戦うのは一体なんのためだ?」
何かを試すような、測るような、そんな彼の感情が見えた気がした。
「――――」
その言葉は奥深くまでいとも容易く入り込む。
戦う理由――そんなもの、改めて言われてみると意外と言葉にするのは難しい。
士郎は回答までに数秒の猶予を必要とした。
はっきり言って理由など無い。今だって日常に戻れるならば戻りたいし、皆と一緒に幸せに過ごせるならそれに越したことはない。
それでも敢えて理由を付けるなら……
「俺が戦うのは――守りたいものを守る為には力が必要だったからだ。アーチャー」
これしかないだろう。
一般人衛宮士郎ではセイバーとイリヤを守れない。だから戦士としてのエミヤシロウになることを望んだ。
それだけだ。
「ほう……」
興味深げにアーチャーは目を細める。
「セイバーもイリヤも、悔しいけどただの俺じゃ守れないんだ。だからこそ力を求めた」
「それはお前がしたいことか? それともお前がやらなければいけないことか?」
「は?」
鋭く切り返すアーチャーの質問は意図が掴めない。
士郎は思わず聞き返す。
「少しばかり意外な名もあったが――それはおいておこう。良いか、オレが聞いているのはその願いのでどころだ。彼女達を守るにお前を突き動かしているのは一体何だ?」
もう一度問い掛けてくる。
「――そんなん決まってるだろう? イリヤは大事な妹だしセイバーは……大切な人だ。そんな人を失うことに俺は耐えられない。みんなが揃っていてこその日常なんだ。俺はその幸せを失うのはごめんだ」
「なるほど、では――」
「ああ、偉そうなこと言っておいてなんだけど結局自分の為なんだよこれが。イリヤを守るのも、セイバーを守るのも、俺がそばにいて欲しいからだ。そうじゃなきゃここまで身体を張れるほど俺は強くない」
ああ、なんて格好悪い理由なんだろう。
士郎は思わず苦笑した。
あれだけセイバーのためイリヤのため、兄として戦うだなんだカッコいいことを言っておいてそんな義務感で戦えるほど強くはなかったのだ。ただ自分が彼女達を守りたかっただけ。自分の欲なのだ。
そんなことを、初めてあったこの男に気付かされるなんて。
「――では最後の問いだ、エミヤシロウ。AとBの2つの船が航行している。そして同時にトラブルが発生、放っておけば沈没し誰も助からない。Aには300人.Bには100人とイリヤとセイバー。お前は修理する術を持っているが選べるのは片方のみだ。さあ、お前ならどちらを助ける?」
「随分と意地悪な質問をするんだな……どうやっても俺の判断で100人は死ぬだなんて。そうだな、すぐには選べないだろうな。その事実に押しつぶされそうになって泣き喚いたり、ギリギリまで他の道を探すだろう。けど――」
「最後にはBを助けると思う。なにもかもをフラットに天秤を傾けるならAなんだろうけど、そんなん出来るのは神様か、本物の正義の味方位だと思うよ」
「クッ――」
そう答えを聞くとアーチャーは一瞬呆然としたと思うとおかしいのをこらえるように背を丸める。
「おい、一体何が――」
「ハッハッハっ!! なるほど、確かにお前は衛宮士郎であってエミヤシロウではない。確認の為だったが間違いない。この世界に違和感を覚えたのも当然だ! 普通の人間からすれば明らかに異質なのだからな! それにしてもこんな世界線もあるとは驚いた! これはまるで一人の人間ではないか!」
そして心底楽しそうに笑い始めた。
「はぁ!?」
「いや、分からなくていいんだ。むしろその方が助かる……さて」
しばらく腹を抱えて笑った後アーチャーは立ち上がる。
「そういうことなら力を貸すのもやぶさかではない。エミヤシロウ、良く見ておけ。お前が求めている力を見せてやる――
「え?」
それは正に神業だった。
何も持っていなかったはずの両手にアーチャーが呪文を唱えた瞬間剣が握られる。
そしてそれが隠し持っていたりしたものでないことは明らかだった。
「今のは――」
「オレが、そしてお前が持ち得る唯一の力だ。エミヤシロウが何かを守りたいなどという大言を口にするならばこれを極めるしかあるまい」
そら、と双剣を手渡してくるアーチャー。
士郎もそれに抵抗することなくそれを握る。
「―――!!」
手にした途端、一気に流れ込む。
質感だけではない。
その剣の持つ記憶が、歴史が、そしてこれを手にしてきた者全ての戦いが、僅か二本の剣を介し衛宮士郎へと押し寄せる。
そうして見た。
この剣、そしてアーチャーという男の本質を――
「む……? 時間切れか。オレにとってもなかなか有意義な時間だったのだが……まあ仕方あるまい」
辺りを見てアーチャーがボヤく。
意識を外へと戻すと世界全体がまるで霞かかっているようにぼやけ始めていた。
「まてアーチャー! お前は一体――っ!?」
それに倣うようにアーチャーも、これだけ近くにいるにも関わらず薄くなっていく。
まだ聞きたいことがある。そう思い呼び止めようとした士郎だがその口は途中で止まる。
なぜなら――
「お前は既に答えを得ている。ならその道を突き進むがいい」
そんなことを言う彼の逆立っていた髪の毛がいつの間にか下りている。そして柔らかに笑う姿はとても、誰かに似ていたから。
「またな、エミヤシロウ――ああ、1つ忘れていた。セイバーに伝えておいてくれ。たまには素直になっていい。そして食いすぎには気を付けるように、と――達者でな」
「まっ――!」
―――――
「――様!」
「――はっ!」
目を開ければ、廃墟と化してるエーデルフェルト邸へ士郎は戻ってきていた。
今のが夢だったのか何なのか、区別もつかない。
「すまないサファイア」
「全くです。こんな時に一瞬意識を飛ばすなんて……疲労を考えれば致し方ないのかもしれませんが。とにかくここからはひたすら守りを」
「いや、違う。サファイア」
心配そうにみるサファイア。
彼女の言葉を聞く限りこちらではほんの一瞬の出来事だったのだろう。
だから違うのは衛宮士郎ただ一人だ。
「それじゃあダメだ。ここからは……攻める」
「何を言うのです!? もう私では追いつかない! そんな状態でどうやって――!?」
サファイアを士郎は制して前へ出る。
その雰囲気に、ほんの数秒前の彼とは違う何かを感じたのか彼女はそこから先を言えなかった。
「――? 突然変わりましたね、何か秘策でも思いつきましたか」
その変化は、バゼットにも伝わっていたのか。
警戒するかのように腰をぐっと下ろす。
「ああ――来いよ、バゼット。お前を倒してすぐにイリヤ達を助けに行く」
先程まで恐怖しか感じなかったその構えも今は余裕を持って見ることができる。
士郎は更に一歩踏み出す。その両手は開かれている。
「減らす口を――!」
今度こそ衛宮士郎の身体を貫かんと迫る拳。
その威力は段違い
サファイアのサポートがあろうが致命傷は必須。
だが、恐れはない。
イメージしろ。あの男ならば作り出せる。
この状況を乗り切ることができる強い武器を。
そしてそれは俺にも出来る。
回路を回せ。
イメージしろ。
全ては己の内側に。
武器ならば初めから持っている。
それこそ衛宮士郎唯一のもの。
投影であり投影でないもの。
そうして自らの中からその剣を幻想する!!
「
基本骨子から順々に作り上げる。
外見だけではダメだ。
そんなまがい物はすぐに壊れてしまう。
衛宮士郎は只の人間なのだから。
ならどうする?
かつての持ち主達の力も借りるしかない。
そんなものは知らない? 出来なかろうがやるしか無い。
守りたいものを守るにはやる以外に方法はない!!
「は!」
「な――!」
陽剣干将、陰剣漠那、叩きつける。今までの衛宮士郎とは何もかもが違う一撃はバゼットの拳に追いつく。
だがこれではだめだ。
「グ――ッ!」
三度交差した後、パキイン、と音とともに双剣が砕け散る。
今のではダメだ。
作り出すのは形だけではない。
こんなものでは本物の戦士には対応できない。
もっと深く、更に深く、その年月を引きずり出さないと――
「「そこまで(よ)!!」」
意識を沈めようとしたところで。聞き慣れた声と少し懐かしい声。
それと時を同じくして青い疾風が巻起こった。
おかしいな。赤い人は出す気なかったのに……
どうもです!
もうどうとでもなれという勢いですね。ええ。
次回でバゼット編ラストになります。
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