「全く! どうなっているっていうんだ!」
生徒達が見たならば、そのあまりの乱心ぶりに驚くであろう乱暴かつ珍しい言葉遣いと共にロード・エルメロイ・2世ことウェイバーは自室のソファーに座り込んだ。
その眉間にしわが寄り、そわそわしているように動く組んだ手からは明らかな苛立ちが見えた。
「こんな風に癇癪を起こすなんて10年前以来じゃないか!? ああもう! それもこれも全部ケイネスのせいだ! なんで今更こんな面倒なことに!」
誰もいないことを良いことに喚き散らす。
その姿はかつての矮小でプライドだけ高かったウェイバー・ベルベットでそのものであり、少なくとも時計塔で抱かれたい講師ナンバーワンの座に輝いた大人、名門アーチボルトの未来を担う者の姿ではない。
「まあ……クラスカードなんてものが出て来た時点で嫌な予感はしていたけどさ……」
ゼルレッチ爺が好奇心に笑顔を見せ、時計塔の人間は血眼でその解析や情報収集に当たり始めたとき、ウェイバーは内心の動揺を悟られないようにポーカーフェイスを作ることに全神経を注いでいた。
誰も見覚えがあるはずのないそれに、間接的ながら心当たりがあったから。
「ライダー……」
なぜか日本へは行けなかった。と言うよりもイギリスから一歩も出ることは出来なかった。一般人含め全国民が動揺した空、海、交通経路の完全ストップ。
今でも目的不明の最大テロとしてことあるごとに語られるアクシデントによって彼とそのサーヴァントは聖杯戦争に参戦することすら叶わなかった。
「あの時あいつはとても哀しそうな目をしてたっけ……もしかしたらあいつ、こういう風にいつかしっぺ返しが来るのを分かってたのかな」
久しぶりに思い出した毛むくじゃらな顔、豪快だったその男だが最後にウェイバーが凝り固まった意地のみで命じた命令に酷く寂しげな目をしていたはずだ。
自分は勝負がついたはずの相手を無駄に辱めた。
そして彼は覚悟を決めたように口を開こうとして直後に消えてしまった。その時に。
ウェイバー・ベルベット唯一の勝利にして絶対の空虚。
とあるウェールズ地方の森でのケイネス・エルメロイとそのサーヴァントとの決戦。
その戦いはまだ終わっていない。10年の時を経て自らが後見人を努める少女が全てを背負おうとしている。
「すまないな……トオサカ」
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接近。そして退却。何度も繰りかえされる行程に突破口は未だ見えない。
幾度となく積極果敢に迫る少女達だが変幻自在に形を変えるそれはその進撃をいとも容易く完封する。
完全なる鉄壁。
「ぐっ……!」
「ルヴィア!」
静から動への一瞬の変化、突如伸びた銀刺を避けきれず凛の目の前でルヴィアの腕から鮮血が迸る。
「この程度掠り傷ですわ! それよりも!」
血の流れ出る左腕を抑えながら彼女は凛の隣までステップを踏みつつ退却する。
その衣服は所々裂け、額には大量の汗が滲んでいた。
しかし再三の特攻で何かを掴んだのか、そんなものはどうでもいいと強い口調で凛に向き直る。
「ええ、間違いないわね。あの銀色……心当たりがあるわ。水銀を用いた魔術礼装なんてそうそう聞かないもの。10年前まで時計塔で名を馳せた天才講師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。今は行方知れずって聞いたけどなんでこんな厄介なのがクロのことを……!」
導き出された答えに凛は内心の動揺を抑えられなかった。
ケイネス・エルメロイ・アーチボルトと言えば名門アーチボルト家の出自で、かつて時計塔の最年少講師にも抜擢され神童の名をほしいままにした男だ。
10年前に突如として協会、そして家から離反したしたときには一大抗争が勃発しそうな勢いだったが……今でもその実績は時計塔内で語り継がれている。
言うならば凛やルヴィアにとっての大先輩と言えるのが彼だ。そんな人物がその代表的礼装とともに立ちはだかる、悪夢か何かと信じたかった。
「……!!--!?」
半透明の水銀が球状の檻となってクロを拘束している。
中でクロも抵抗するが全くと言って良いほど効果はない。
「
ルヴィアも忌々しげに舌打ちしながらその光景、そしてその隣にいる男を睨み付ける。
上空から攻撃を加えていたイリヤと美遊も降りてきて並ぶように立つ。
そんな4人を前にしても敵は微動だにしなかった。
「なるほどなるほど……これが今の時計塔候補の実力か。いや、実に素晴らしい」
数秒の睨み合いの後、沈黙を破ったのはパチパチという拍手の音と彼女らを賞賛する声だった。
だがその賛辞は額面通りに受け取れるものではないのはない。
黒い神服に身を包み、オールバックにしたブロンドヘアに手を当てる。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが凛達を言葉でこそ賞賛しながらも見下しているのは明らかだった。
「名門エーデルフェルトの跡継ぎに、この土地のセカンドオーナー遠坂か。どちらも家柄としては相応しい。加えてガンド打ちと宝石魔術の腕も類い稀なセンスの賜物とみた。私が今も講師を勤めていたならば確実になにか爵位を手に入れされることが出来ただろう逸材だ」
「我が家のことを褒められるのは悪い気はしませんが……」
「ごめんルヴィア、私あいつ嫌いだわ」
凛は直感的に感じた。
どれだけ有能な魔術師かなんだか知らないがこいつは苦手だ、と。
この冬木から時計塔に留学したのは2年前のことだったか、遠坂凛という人間を自分自身の目で見て判断する人、そして家柄だけを見て判断する人。二種類の人がいたが凛は後者とは悉くウマがあわなかった。
そして凛から見てケイネスは完全に後者だった。
「そして--」
ケイネスが凛とルヴィアからイリヤ、そして美遊へと視線を移す。
「なぜそんな珍妙な格好をしているのか理解に苦しむが……制作者のゼルレッチ爺も一筋縄ではいかない人物として有名だ。そこに何かしら理由があると考えていいだろう。少なくとも感じる魔力は段違い、それだけで十分だ」
「ルビーとサファイアの事を知ってる……?」
「知ってるに決まってるでしょ。多分今でも貴女よりよっぽど分かってる」
不思議そうな顔をするイリヤを窘める。
元々ケイネスは魔術協会の中枢に実力を持って相当に近づいた人物だ。今は離れているとはいえ私やルヴィアよりも遙かにその裏や機密に対する情報を持っていてもなんらおかしくない、むしろ知っていて然るべきだ。
そう凛は考えていた。
「それで、なんで貴方がクラスカードに関与しようって?」
「上からの指示というやつだよ。今の私は代行者だからな」
「はあ!?」
その答えに凛は素っ頓狂な声を挙げ、隣ではルヴィアが眉をひそめる。
魔術協会と対をなす聖堂教会、血みどろの抗争を数多く繰り広げたこの二つの組織だがその原因はその成り立ちと教義の違いにある。
魔術協会の目的が、表向き神秘の秘匿を志し、裏ではその発展とするのに対して教会のそれは異端を全て排除し、人の手に余る神秘を管理すること。
どう考えても合うはずがない。
それ故に争いは絶えず、今も表面上は不可侵の条約が結ばれているとはいえ至る所で小競り合いと言う名の殺し合いが起きているのだ。
だと言うのにその教会、それも異端排除の最前線を行く代行者が魔術を使うなど有り得るのか? 有り得ない。個人として使える、というのは十分ある。だが少なくとも任務で使うようなことはない。そんなことをすれば自分が排除される側になりかねないのだから。
「随分と不思議そうな顔をするではないか。教会のルールは確かに厳しい、だが例外は常に存在するのだよ。さあ、久々に有望な魔術師の卵を見て元講師の血が騒いだのか今の私は機嫌が良い。
答えられたなら君達の疑問にも答えようではないか。課外授業として、ね」
そんな凛の反応を楽しむようにケイネスはクスクスと笑いながら両手を広げ慇懃な口調でそう言った。
「神の奇蹟……教会の認める唯一の神秘。ですがそれは--」
「正解だ、エーデルフェルト君。全くもって素晴らしい。そうだ、教会は神の奇蹟のみを認め他の全てを排除する……なら私がこの立場にありながら魔術を行使している理由もおのずと見えてくるのではないかね? そして遠坂、君ならその理由をよく知っていると思うが」
「私が……?」
即座に答えるルヴィアを再びの拍手とともにケイネスが遮り凛に問い掛ける。
しかし凛はなぜ彼が自分を指定したのか分からなかった。
こいつが言いたいのが、クラスカードが神の奇蹟に関わってるから魔術行使を例外的に認められているってことはまあ分かる。
けどなんで私なの?その情報に関しての知識はルヴィアと私でそう大差ない。わざわざ指名する理由が--
そんな理由に心当たりはない。私がクラスカードの事を知ったのはルビーを渡されたあの日、ゼルレッチ爺の部屋でのことだ。
なにも詳しいことなど知るはずがない。
凛の中で結論は出なかった。
「……? その反応、まさか本当に分からないというのか?」
「--なっ!?」
そんな凛を見て今までずっと笑みを浮かべていたケイネスの表情が崩れる。
そしてその変化に4人全員一歩後ずさった。
笑顔が崩れた。それはまだいい、問題はその変貌ぶりだ。どことなく上品な感じのしていた面影はない。
狂ったように血走る目、額に浮かぶ血管、そして何か屈辱を思い出したかのように奥歯をぎりぎりと鳴らす。そこにエリート、天才の風格はなく、凛達の前に立っているのはただの狂人であった。
「ふざけるなよ小娘が……! エーデルフェルトはともかくよりにもよって御三家の一角である遠坂の跡取りが知らないだと!? 確かに本物の奇蹟ではないものの教会、そして時計塔のどちらも重要観察対象としてマークしていた聖杯を、そしてなにより私の人生を狂わすに至った願望機を! お前が!」
ツバを撒き散らしながら、大きく手を振りながら喚き散らす。
その目は既に凛達を見てはいない。どこか虚空の先の何かを見据えていた。
狂気、それ以外の表現はたとえどのようなものでもケイネスには当てはまらない。
「聖杯……戦争……ですって?」
だがそれは凛達も同じだった。
全員思わず顔を見合わせる。ほとんど何を言っているのか分からないなかその単語だけははっきりと聞き取れた。
確かに思い当たる節がある。だがそれは--
「どういうことなのルヴィア……聖杯戦争って……」
「分かりませんわ……ですがあれはセイバーの」
私もルヴィアと同じ表情をしているのだろう。
今までになく狼狽えるルヴィアを見て凛はそう思った。
聖杯戦争、その言葉を聞いたのはだいたい2月前のことだったか。
セイバー、彼女が初めて現れたあの日。
なぜか自分の事を知っていたイレギュラーな英霊がまるでおとぎ話のように語った闘い。平行世界の自分が戦ったという苛烈な争い。そして、この世界にはあるはずのない闘い。
だが今ケイネスは間違いなく口にした。聖杯戦争、と。この世界の住人である彼からなぜその言葉が出てくる?
そんなこと、分かる訳がない。
「そうだ! 本当に知らないとは一体どうなっているのか理解に苦しむ! 数十年に一度、万能の願望機を巡ってサーヴァントを使役し争われる闘い。10年前、お前の父親の命を奪ったこの戦いのことをな!」
そしてその言葉に、思考が砕けた。
「10年前……? お父様……?」
「凛さん……?」
心配そうに下から覗き込む少女の姿も目に入らない、正確には入っているのだろうが脳はその認識を行わない。
凛の意識は10年前に戻っていた。
そう言えばそんなことがあったはずだ。
10年前、少女であった私は突然母の実家へと移された。そこからは何があった?分からない。
だがそれが彼女が父を、母を、家を、見た最後でなかったか? そして今考えてみればそこからの記憶に変な空白がある。そして一体なぜその喪失を簡単に受け入れられた?
「あ……ああ……」
「この目は……! 魔術痕!? そんな一体どこで!?」
「ルヴィアさん! 解呪を!」
「無理ですわ! 心の内側に深く食いこみすぎていて……! 下手に手を出せばトオサカリンという人間が壊れてしまう!」
思い出せ、もっと深くだ。私の知らない何かがあるはずだ。
いつの間にか隠れてしまったその記憶、堆く積まれたダミーの下にあるそれの存在が今なら分かる。
そうだ、とある夜のことだ。寝付けなくてトイレに行こうと廊下を歩いていたらいるはずのない人が現れたのだ。
そうして彼は私の額に手を伸ばした。その彼は……
「……Scalp!!」
「……!」
引き戻される。現実世界では知らないうちに時が進んでいたらしく目の前に銀の鞭が迫る。
間に合わない。叫ぶ少女の声も、庇わんと飛びついてくる戦友も、私の胸が貫かれる方が先だろう。
凛は現実を受け入れた。
「ああ、なんで……」
大事なものが見えそうになったのにうっかりが邪魔をするんだろう。
「そこまでだ、狂人」
走馬灯のように何もかもがスローモーションになる。
轟音と同時にそれで広がっていた視界に真っ赤な花が咲いた。
崩れ落ちる身体、そして無機質に戻る銀色。
だが、そんなものはどうでもいい。
凛が見たのは一つだけだ。
「貴方は……」
「やあ凛ちゃん、一月ぶり……と言っても君にとっては別人になるのかな」
振り向けば、10年前に見た何も映らぬ空虚な瞳が寂しげに彼女を見ていた。
後悔はしていない。(冷や汗は止まらない)
どうもです。もはや凛ルート見たくなりそうですなこれ……いや、考えてはいたんですよ?プリヤ世界においてトッキー&葵さん何してんだよって。ただこれは……もうなるようになるしかないか。(諦め)
次はようやくセイバーさん視点に戻るのでいろいろ整理出来るはず。
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