Plongez dans le "IS" monde. 作:まーながるむ
「……じゃあ次は隣の部屋へ」
「はい」
キャノンボールファスト二日前。今日は血液、呼気、体細胞にその他様々な検査を一日かけて行うみたい。もう身体系の検査は終わらせたからあとはメンタルチェックだけ……
そういえば精神科の医師は新しく赴任してきた人なんだっけ。
「織斑先生は国境なき医師団の人って言ってたけど……少し気を付けないとね」
アリサがいなくてもしっかりしないと。
いつまでもアリサがいないなんて駄々をこねてなんかいられない。
アリサがいないからこそ僕が一人でも大丈夫って……アリサが頑張らなくてもいいんだよって言えるように頑張らないとね。
「失礼します」
「はーい……えっと、シャルロット・デュノアさん……かな?」
普段は教室として使っている部屋を白い布の間仕切りで二畳くらいに狭くした空間に赤い癖っ毛をショートにした白衣を纏った女性が座っている。年は二十代にも三十代にも見える。
国境なき医師団に所属してるくらいだから所謂“出来る女”をイメージしてたけど……そんな僕の想像に反して彼女は覇気が感じられない。よく言えば小動物みたいかな……?
「えっと、私のことはダフナ先生……って呼んでほしいかな~、なんて……えっとその、貴女が良ければなんだけどね!」
「は、はぁ……」
えっと、僕、怯えられてる?
……まぁ、織斑先生の話では戦争を体験した人ってことだから彼女にとって僕、もといIS操縦者は兵隊みたいに思えるのかな?
……似たようなものかもね。
「あの、暗い顔してるけど……どうしたのかな?」
「いえ、なんでもありません」
他人にどう思われるかを気にしても仕方ないもんね。僕がどんなに気にしたって周りの気持ちを変えられるわけじゃない。
他人の目を気にしないってわけじゃないけど……操縦者ってアイドルとして持ち上げられたり、人殺しって言われたりだから……いちいち気に病んでたら疲れちゃうよね。
「……自己解決して溜め込むタイプ、と」
「え?」
思わず漏れたと言うような声にハッとして顔を上げると今までの小動物然としていた雰囲気は霧散していて、そこには真剣な目で僕の奥底を見透かそうとしているようなダフナ先生の姿があった。
……性格は能力に関係無い、か。
アリサだってあんなに女の子らしいのに生身でもプロレスラー真っ青の力持ちだしね。
「それに溜め込んだストレスには気付いていない……ううん、見ない振りかな?」
「あの、さっきからなんですか?」
自分のことではあんまり怒らない僕だけど半ば無視されているような状態で好き勝手言われたらさすがに腹が立つよ。
もちろん人として初対面の人に怒りをぶつけることもしないけど少し苛立ちが声に混じるのは許してほしい。
「あっ! ま、またやっちゃった……あの、ごめんね? 仕事柄というかなんというか……そうだよね。患者じゃなくて生徒さんなんだから……そ、その、怒らせちゃった?」
「あ、いや……こちらこそ」
なにがこちらこそなのかは分からないけどそうでも言わないと間が持たない。
だって先生が本当に申し訳なさそうに縮こまってて、さっきの真剣な雰囲気もパッと散っちゃってるから不憫というか申し訳ないというか……
「…………」
「…………」
空気が重いよぉ……!
と、とにかくなにか話題を……
「「あ、あの!」」
えっ!
ど、どうしよう同時に話し始めちゃった……でも僕は特別話したいことはないし……
「「お、お先にどうぞ」」
「「あっ」」
「「うぅっ」」
な、なんなの~!?
おかしいな……いつもならこんなことないのに……
あ、そうだ。これ診察なんだから僕一人が時間をとっちゃダメなんだ。
早く始めてもらわないと。
「あの、診察始めてください」
「あ、はい、そうですね……えと、それじゃあカウンセリングを始めさせてもらおうかな~なんて……」
「……どうぞ」
悪い人ではないんだろうけど……疲れる人だなぁ。
臨床心理士がどんなのかは分からないんだけど……それでも人の心に踏み込む人がこんなに気弱でいいのかな?
なんていうか、本当に困ってる患者さんとか逆に不安になっちゃわないかな?
「えと、こほん……それでは、悩みごとはあるかな?」
「ありません」
「そっかー……それならいくつか質問させてもらうね?」
「……はい」
……うーん。悩みごと無いってのは流されちゃったみたい。
強いて言うならアリサだけど……初対面の人に話すことでもないしね。
「友達は多い?」
「……わかりません」
同じ学年の人とは結構話すけど……キャサリンに言われたこともあるし、もしかしたら本当は僕のこと嫌いって人もいるのかも。
「そっか、相手がどう思ってるか分からないことってよくあるよねー」
「まあ、そうですね……」
「本当は自分のこと嫌いなんじゃないか、とか考えちゃったり」
「……そういうの、好きじゃないんですけどね」
「分かる分かるー」
相手の好意を疑ってるみたいで……自分がすごく小さくて汚い人間に見えるから。
「そうだねー。じゃあ、大事な人はいる?」
「います」
アリサ。
僕の恋人。
「どれくらい?」
「誰よりも……何よりも大事です」
「いいなー……あっ、ごめんね。どんな子かな?」
「すごく優しくて、強くて……なのに弱いところもあって……」
「そっか。いい子なんだね」
そう。いい子。
自分が傷付くことが分かってても僕を守ろうとしてくれる。
今は近くにいないけど……きっと僕のことを気にしてくれてる。
「どうしてその子が大事なの?」
「…………」
「言いたくない、かな?」
ダフナ先生が少し困ったように笑う。
言いたくないわけじゃない。僕がアリサを好きになったことに対してはなんの後ろめたさもないし恥ずかしいことだと思ったこともない。
ただ、なんて言っていいのかが分からないだけ……
「最初は……本当に嫌いだったんです」
「うんうん」
「僕を巻き込むような計画を立てて、それで僕はやりたくもないことをやらされて……だから僕からはたくさん酷いことをして……」
「なるほどねー」
「でも、全部、僕のためでした」
多分、僕は笑ってる。
全部を知った今ではアリサの何から何までが愛おしい。
「そしたら全部ひっくり返って……スゴく好きになっちゃってて。自覚はなかったけどその時から自分よりも大切にしたいなって……」
「恋したんだね……うん、私も分かるよ。全身全霊をかけて守りたくなるって言うのかな?」
そう、まさにそんな感じ。
僕にできることなら何でもしてあげたい。アリサのためならなんだってしたい。
もう僕の心の中にはそれしかなくて……
それなのに……
「現状に不満はないのかな?」
「不満……」
どうだろう……アリサが近くにいないこと以外に不満なんて……
「どんなことでもいいのよ? キスが下手とか――」
「上手だと思います」
いつもフワフワした気持ちになるから……
「エッチのあと適当とか……」
「や、そんなことは……」
い、いきなり何を言うのかな!
大人としてそういうことはあんまり言わない方がいいと思うんだけど……
エッチのあとはぎゅって抱き締めあって一緒に眠るだけだから不満なんて何もないよ。
アリサの寝顔も可愛いしね。
「そっかー……じゃあ恋人さんに不満はないのね」
「え……あ、はい」
「……不満、あるんだ?」
……どうして、口ごもっちゃったんだろう。
きっと、僕の不満に思い当たっちゃったから。
「なにが不満なのかな?」
「不満なんて……ありません」
あるわけがない。
アリサが身を削ってまで僕を守ってくれてるって言うのに、それでも不満を感じてるなんて……そんなの、僕、最低限だよ。
アリサに悪いことなんて何一つないよ。
「……じゃあ、自分に不満がある?」
「それは……」
そう、なのかな?
うん、そうだよ。
アリサに対しての不満じゃないんだ。
「僕が……守ってもらってばっかりだから……」
「うんうん」
「守ってもらってるのに、僕からは何も返せなくて……だから傷つけちゃうのを知ってて守らないでいいなんて言ったりして」
「どんどん嫌になる?」
「……本当は、隣に立ちたいだけなのに……並んで歩きたいだけなのに……」
「分かるなぁ……負担をかけたくなくて、置いていかれたくなくて、本当は近くにいたいのにそれができない自分が嫌なんだよね?」
本当に、ダフナ先生の言う通り。
今まで自分でも分からなかったけど、話してるうちに僕の本当の想いが見えてきたような気がする。
「きっとね、貴女は臆病なの」
「……そう、ですか?」
「嫌われるのが怖くて、相手に言いたいことが言えなくなっちゃってるんじゃないかな? ううん、もしかしたら自分が好かれてるのが奇跡みたいで、それでそれ以上を望んじゃいけないなんて思ってない?」
そうかもしれない。
なにかしたら今の幸せが崩れちゃいそうで……だからアリサにはっきりと言えない。
だって、アリサの邪魔をしたら捨てられちゃいそうで……!
「女の子はね、少しくらいワガママでちょうどいいんだよ? そうやらないと自分ってものを表現できないんだから」
「自分を、表現……?」
「そう。自分がどういう考え方で、どれだけ相手のことが好きで、どれくらい可愛いのか……ワガママはね、それを伝えられるの」
「でも……」
僕にワガママなんて許されてない。
アリサを傷付けて、振り回して、その上ワガママなんて言ったら……アリサの近くにいられないよ。
アリサに求めてばっかりの自分が嫌になっちゃう……
「アリサから、求めてくれないと……」
「……えっと、あの、求めるって、その……エッチ?」
え?
いや、エッチはむしろアリサから求めてくれてるけど…… って!
「ちっ、違います!」
僕が求めてほしいのはそういうのじゃなくて……!
……そう、そういうのじゃないんだ。
もちろんキスとかエッチとかも嬉しいけど……もっと他のことを求めてほしいんだ。
頼ってほしいって言い換えてもいい。
でも……僕にはアリサ以上に優れたものなんて何一つないから……
「そっか……アリサにとって僕は可愛いだけなんだ……きっと、ぬいぐるみと同じだから……」
だから、頼ってくれない。
勉強も運動もISも、全部アリサの方ができるから……
「違うよ」
「……でも」
「自分が劣ってるって思っても、相手の気持ちだけは疑っちゃダメだと思うな。それはなによりも酷い裏切りだよ。そういうのはよくないと思う」
……裏切り。
そう、だね。
きっとアリサに今の僕が思ったことを言われたら傷付く。
こんなに好きを示してるのにどうして信じてくれないのって……
「……なんて、その、怒らせちゃった……かな?」
ダフナさんはまた恐る恐るといった態度で僕を窺う。
……本当に、能力はともかく性格的に向いてないんじゃないかな?
「いえ、ありがとうございました。先生のお陰で少し自分を見直せました」
「そ、そう? ……よかった~。あんまり普通の子と話す機会がなくてね……って、あー!」
一度は安堵のため息を吐いた先生が急に叫び声をあげた。
え、えっと……どうしたんだろう?
「あ、あの……お、怒らないでね?」
「はい?」
「えっと、今日は、ISに乗るための精神状態か確認するためで……こ、この紙に書いてある内容を聞かないとダメだったみたい……」
そーっと、爆弾を運ぶような手付きで見せられた紙には十数個の設問があるアンケートのようなもの。
中身はさっきまでのカウンセリングとは似ても似つかないもので……
「えーと、つまり、やり直しですか?」
「ご、ごめんなさい!」
……まぁ、僕としても得るものがあったからいいんだけどね。
紙にある質問内容はさっきの会話よりも軽いもので、さっきの会話自体がなんだか無性に恥ずかしくなった。
◇
「イーリがいるのはここよね……?」
委員会本部から数分のマ○ドナルド。これが一番近いところのはずよ。
自動ドアを潜って店内を見回すと人混みの中から見覚えのある後ろ姿が一つ。
……でも、どうして――
「相席なんてしてるのかしら……?」
「お、ナタル! ま、座れよ」
「……あのね」
私たちが話し合うことは基本的に機密事項なのよ?
それなのにどうして女子高生と哀惜……あら、片方は日本人なのね。
それも昔の千冬にそっくり……懐かしいわ。
「まあ、とりあえず座りなさいな。そこに立ってると邪魔よ」
もう片方のアメリカ人の女の子の方が意地悪そうな笑顔でそんなことを言ってくる。
ここで私たちが軍属ってことを明らかにしたらこの少し生意気な女の子はどんな顔をするのかしらね。
楽しそうね……ま、実行することはできないけれど。
私が席に座ると千冬に似ている方の女の子が喋り始める。
「で、イーリス・コーリングとナターシャ・ファイルスには不破アリサの救助を手伝ってほしい」
「え……?」
今、なんて?
「だから、ギブアンドテイクの関係よ。あんたたちもアリサを助けたいんでしょ? 私もあの子に伝えないといけないことがあるから」
今度は金髪の方……
「イーリ、これは、どういうこと?」
「ああ、コイツら……亡国機業らしい」
……え?
「機業の、って……?」
まだ高校生にしか見えないのに……日本人の方は中学生でも不思議では――
「やー、こんなガキが機業に所属してるなんて驚きだよなぁ!」
「そんなことよりどうしてイーリは平気な顔で接触してるのよ!」
「やー、たまたま見つけたからつい、な」
……はぁ、もういいわ。
イーリの行動が無茶苦茶なのはいつものことだし……
「で、不破アリサを助け出すってどういうことかしら?」
「アイツは今委員会本部、地下四階の拷問部屋に監禁されてる。既に一週間経っているから危険な頃かもしれない」
地下、四階?
あそこはデータ上では地下二階までしかないことになってるのに……それよりどうしてそんな詳細まで……
「中にね、私たちの仲間がいるの。スパイってやつ」
「……どうして不破アリサを? もしかしてあの子も本当に仲間なの?」
嘘から出た真実ってこと?
確かにあの子の性格的には機業に所属していても不思議ではないような気もするけど……
「違うわよ。私たちは私たちのためにあの子を助けたいの」
「……それじゃあ、彼女を捕らえたままにしておけば機業に損害を出せるってことね? 私たちが手伝うと思う?」
機業は世界の敵。
残念ながらアメリカ内にも機業と繋がりを持ってる人間は存在するけど大勢は反機業。
不破アリサを彼らのために助け出す義理はない。
「ナタルは反対か? ……私は協力してもいいと思うんだけどな」
「イーリ!? テロリストに協力するって言うの!?」
子供だからって甘く見ているんじゃないでしょうね!?
彼女たちはこんなでも立派な犯罪者なのよ!?
「まぁ、それはそれ、だよ。今私たちに必要なのはなんだ? 正義か?」
「…………違うけど」
「そうだ。私たちに必要なのはゴスペルの再稼働。あれが動かないことには軍部の力も右肩下がりだからな」
それはわかっているわ。
でも、だからって機業と関わりを持つなんて……このあと何があるか分からないじゃないの。
それにイーリが乗り気な理由を聞いていないのだから納得なんてできない。
「……コイツらの話では、アリサの恋人が酷い目に遭うかもしれないらしい。それを伝えたいんだとか」
「……ちなみに、それを実行するのは私たちと同じ亡国機業の人間よ」
だからいつもみたいなテロ騒ぎを起こして、その隙に助け出すみたいなことができない……金髪の少女が真剣な顔でそう言う。
ますますわけが分からない……どうして機業の人間が機業の邪魔をするのかしら?
そこにはリスクしかないじゃない。
「……簡単よ。私たちとアリサが友達だから。あの子だけが私たちの中で幸せになれるかもしれない子だからよ」
「ただの友情ごっこでこんなことをしてるわけ?」
「そうよ……大変だったのよ。協力してくれるとしたら一度アリサと対面しているあなたたち以外にいないのに、二人とも
「アリサが捕まってから一週間も待つはめになった……その間にも拷問を受けていたのに……」
……本当にただ友達だからって理由だけなの?
自分が得ることのできない幸せを手に入れかけてる彼女を助けるために?
「信じられないわ」
「……そう。ならこの話しはおしまいね……でもね、ナターシャ・ファイルス。これだけは覚えといてくれないかしら」
「なにかしら?」
「私達は、まだただのガキなの――」
――私利私欲で人を殺す
それだけを言い残して二人は席を立った。
テーブルに一枚の紙を残して。