魔法少女は俺がやるっ!(TS・絶望魔法戦記) 作:あきラビット
日常、それはとても退屈なものだった。
だが、それはとても幸福なものだった。
いつものような毎日が永遠に続くものだと思っていた。
「…………」
空に昇る巨大な赤い月を呆然と見上げる。
雲もないのにフワフワと舞い降りる赤い雪を払いのけ、俺はひんやりとしたベンチから起き上がった。
「あー。悪いが、そこのチビ助。もう一度言ってくれないか」
はいた白い息は、すぐさま赤い世界に埋もれてしまう。
目の前に佇む少女は、俺のため息に自分の吐息を重ねながら、ごにょごにょと呟いた。
「だ、だからね、」
決心したように彼女は笑顔で続ける。
「あなたは魔法少女になったの」
…………。
我ながらバカな夢をみるものだ。
俺にそんな願望があったなんてね。はは、恐ろしい。
「笑えん冗談だな」
ひらひらと手を振り再びベンチに横たわると、強引に目を閉じてやる。
これは悪い夢だ。そうに違いない。
現実世界に戻ろうとまどろむ俺の頬に冷たいモノが触れる。
「まだ、あったかいんだね……」
+ + +
幸せの壊れる瞬間なんて、あっけないものだった。
シアワセ――。
それは、ガラスのように透明で解りづらいモノ。
そして、ガラスのように簡単に割れやすいモノ。
割れた破片はそれを越えようとする人をいとも簡単に傷つける。
体だけでなく心さえも、それは無残なまでに。
その破片に足を取られ、転んでしまわないように。
何故なら起き上がるには耐え難い苦痛を伴うから。
ああ……。
知らなかったんだ。こんなにも幸せが脆いものだったなんて。
どうして、と笑う彼女を背に、俺は泣いていた。
この美しくも醜い世界をただただ呪うしかなかった。
「もう行かなくちゃ」
少女は言った。
「ごめんね」
そう、悲しみを添えて。
+ + +
「……ぶぇっくし!」
寒い。
寝返りをうちながら、俺は鼻をグシグシとこする。今何時だ?
……いや。まぁ、いいか。
今日もいつものように遅刻して行こう。
むしろ、休んじまうか。面倒だし。
今更、不良の俺なんかが定時きっかりに学校へ行ったところで熱でもあるのかと疑われるだけだろうし。
あー。考えるだけで鬱陶しい。やめだやめ。
とりあえず今はモーレツに眠い――包み込むような眠気に俺はそのまま身を委ねることにする。
目を閉じ、再び眠りの中へとダイブを……。
「おい、そこのシラガムスメ」
ダイブを……。
「おいってば。おめぇはいつまでグースカと他人様の布団で寝てんだよ! その自慢の白髪、真っ赤に染めかますぞコノヤロー!」
朝っぱらからうるさいな。どこのヤンキー女だ。
つーか、ムスメなんざ俺の家に居ないっつーの。
親父と俺しかいない、町内一のむさくるしい家族をなめないで頂きたい。
「恐縮だが、隣の家と勘違いしちゃあございませんかねェ。あいにく、ここは男だらけの大父子家庭でね。白髪なのは認めるけれども」
布団をかぶり、そう返す。やがて静寂が部屋を満たした。
案外とまぁ、あっさり引き下がったもんだ。少し残念な気もするけれども。
今はとにかく――眠い。
「さてはてと」
言いながら、ぬくぬくと猫のように体を丸める。
うつらうつらとしかけた時――どすん。
なにかが俺の胸の上に……ぐお!
「寝ぼけてんじゃねぇよ。そのツラのどこが男だってーんだ!」
何を。
こいつは、さっきから何を言っているんだ。寝ぼけてんのはお前のほうだろうが。
ああ、頭に来た。
俺は布団から飛び起きると、フワフワと浮かぶそいつをガシっと掴んで、
「せっかくの俺の二度寝タイムを邪魔しやがって! この、クソ猫が――って、猫だぁ!?」
即座に慌てて放してしまった。
おいおい、こりゃあなんのジョークだ。
なんせ俺の前に浮かぶは、ちびっこい黒猫。こいつが喋ったのだというから頭が痛い。
……やべえ、マジで寝ぼけてんのかも俺。
じゃなかったら、なにかの手品か?
そう手で猫の背中辺りを触ってみるが、
「言っとくが、糸なんかで吊るされてねーからな……って、これポニ子んときにも言った気がするぜ」
小さな肉球をやれやれと言わんばかりに己の頭にポフッとあて、眉間にシワを寄せる。
この仕草。この表情。
こいつは、ホンモノだ……。
ファービーのパチモンじゃないことだけは確かだ。
「なるほど。この猫、マスコミに売ったら俺は一攫千金……一生左団扇で暮らせるというわけか。ククク、益体も無い女が天から降ってくるよりも有難いな」
「ぬわぁにが、なるほど。だてめぇ! つーか、可愛い顔して物騒なこと言ってんじゃねぇ、このバカシラガ!」
ほほう。
口は悪いが、それもまた愛嬌。キャラ的には申し分ない。これは良い見世物になるな。
上手くいけば遊園地のマスコットキャラクター的な立ち位置もありうるかもしれん。
とにもかくにも悪は急げだ。
俺はそいつを再び掴むと、勢い良くベッドから飛び降り――っ
「うにょえっ!?」
奇妙な鳴き声を発するグニャとした何かを踏んづけ、
「おわっ!」
盛大に転んでしまった。
ジンジンと痛む頭を抑えながら、俺は立ち上がり、そしてギョッとした。
何故ならば、その踏んづけた物体とは――
「……あうぅう、痛いよぉ! おなか破れるぅー!」
どこにでもいそうな女のガキんちょだった。
腹を抱え、ごろごろと辛そうにのた打ち回っている。
なかなかにファンキーな動きをするものだ。今時の若者にしては筋がいい。
ふむ、と。俺はそいつを観察してみたりしてみる。
腰まである長い黒髪に、歳は俺より若いだろう。
いや、それもかなりだ。見たところ小学生くらいに思える。
俺が十四だから――四、五つ下くらいか。
ガラガラ蛇と蜘蛛が威嚇しあっている柄というハイセンスなパジャマを着たそいつは、涙目で俺を見上げると、
「あうぅー! のんびり解説してないで、もっと他になんか言うことあると思うよぅ」
「おお、すまんチビ助。あまりに見事な転げ回りっぷりに見惚れてしまってな。リアクションの勉強になったよ、いささかに」
いやはや、しかしまぁ。なんだ。
「かなり遅れた気がするんだが、一体お前らは何者――もとい、何処の妖怪だ? そしてこの少女少女した部屋はなんなんだ。
スイーツなお化け屋敷ブームが到来することを予見しての先取りなのか」
「よ、妖怪じゃないもん。あと、ここはお化け屋敷じゃなくってボクの部屋!」
そう女の子座りのままぷいっとそっぽを向くチビ娘。
「そうか。妖怪じゃないもんっていう妖怪か。座敷わらしにも色々な亜種がいるんだな。また勉強になったよ、いささかにな」
「違うもん! 人間だもん!」
「もんもんって、お前はモンザムライかよ。安土桃山時代からタイムスリップでやってきたのか。
どうせなら平成なんつー下らん時代じゃなく、もっと未来にしたほうが良かったと思うぞ」
「あうぅ~、ちゃんとしたお話が出来てないような気がするよ。と、とにかく! ボクの名前は久樹上(ひさきがみ)ゆりな、だよ。
それに、タイムスリップはボクじゃなくって、キミのほうだと思う……」
「だろうねぇ」
俺は未だ温もりを保つベッドの上に座ると、手の中で黙りこくったままの黒猫をゆるりと解放した。
何を考えているのだろうか、そいつは飛び立とうとせず、俺の手のひらの上で少女の顔をジッと見つめている。
「だろうねって、キミもしかして気づいてたの?」
その少女――ゆりなは立ち上がると、目を丸くした。
「いやぁ。正直、さっきまでは頭がぼんやりしてワケがわからなかったが、今になって意識がはっきりしてきたんだ。
ありゃあ夢かと思ってたが、お前さんの顔覚えてるぜ。俺に魔法少女どうのって言ってた奴だろ?」
「そう、だっけ」
チビ娘はとぼけるように言う。
む。まさかマジで夢だったのか。
あの時のトンチキな格好をした少女と瓜二つの顔をしている気がしたのだが。
似ているだけか……?
「いや、ポニ子。腹を決めようぜ。こいつが俺たちの目の前で召喚されたのは多分、そういうことなんだろうよ」
「でもでも! そんな、簡単に巻き込んでいいとは思わないよ。確かに少し魔力は感じるけど、でも『魔法使い』になるってことは……」
「大丈夫さ。このシラガ娘は絡みづらいが、肝は据わっている。魔法使いとしての素質も十ニ分にあるぜ、ポニ子ほどじゃあねぇけどな。
それに、戦力は一人でも多い方がいい」
「……無関係の人なんだよ。ダメだよ、そんなの」
「この世界に、魔力を持って召喚された。これのどこが無関係なんだっつうの。――おめぇの気持ちも解るけどよ」
なにやら、やっこさん達で勝手に話を進めてやがるし。
当事者置いてけぼり過ぎるぞ。
ま、どうでもいいがな。
魔法使いだかなんだか知らねぇが、テキトーに相槌打って、俺はとっとと家に帰らせてもらうだけだ。
手土産にこの、世にも珍しい空飛ぶドル札をぶん捕まえてな。
きっと喜ぶだろうな、親父のヤツ。
「もしかして、あのお婆ちゃんが召喚したのかな……」
「だろうな。あのババアの仕業とみてほぼ間違いないと思うぜ。あまりにもタイミングが出来すぎてるからな。
どっかの世界から魔法使いになりえそうなヤツを引っ張ってきてやるから、とっととパンドラの箱を封印してくれってことだろう。
それくらい、切羽詰ってるんだろうさ」
「それならそうと、言えばいいのになぁ」
「何か考えがあるのかもな。……まぁ、あのババアはまともじゃねぇから、なんとも」
「あ、ってことはだよ。いっぱいある世界の中から選ばれた一人ってことだよね。
じゃあ、もしかしてものすっごーい期待の新人さん?」
「キャパシティーに関しては、お前の方が優秀だとは思うが。
まぁ、まだ杖も持たせてねぇんだ。どれくらい素質があるのかは正直、見当もつかねぇな」
「そっかぁ。そういえば、杖って言ってもボクのしかないよ?」
「ああ、それについてなんだが――」
長い、長すぎる。
暇をもてあました俺は、とりあえずゆらゆら動く黒猫の尻尾をちょいちょいと指で弾いて遊ぶことにした。
ていっ、ていっ。ててていっ。
「だぁ、バカシラガっ! 人が真面目に話してるときに尻尾にジャレつくんじゃねぇ!」
すさまじいスピードの猫パンチが俺の左頬を強打した。
つーか、人じゃないだろお前!
「いってて、よくもやりやがったな、クソ猫ぉお……」
このジャジャ猫め。俺が猫派だからといって下手に出ればこんちくしょう。
「けっ、さっきからクソ猫クソ猫って。オレの名は――クロエだ。霊獣クロエ。無い頭によぉく叩き込んでおくんだな」
「ほう。そうかい。化け猫さんにも名前があるとは結構なことだね。
んで、クロエさんよぉ。その霊獣というのは一体なんだね。苗字にしてはいささかに訝しいものだが」
と、俺はからかい気味に言ってみる。
しかし。
答えたのは少女のほうだった。
「色々、疑問があって当然だよね。大丈夫、まとめてボクから説明するよ。ボクもイマイチわかんないところ、あるけど……。
でも、その前にキミの名前を聞かせてもらえると嬉しいな」
澄んだ黒い瞳。無垢な視線が突き刺さる。
ああ――こういうの苦手なんだよな、俺って。
テレビでたまにやるような動物特集なんてものが親父は好きらしく、よく居間で観ているんだが、
俺はあいつらの人を見透かしたような瞳がキライでね。
どうしようもなく胸がモヤモヤして、いつもすぐに席を立つんだ。
「どうしたの?」
ゆりなが俺の顔を覗き込む。
まただ。
胸がチクっと痛み、俺はため息をついた。
そんな目で、あまり見ないでくれとも言えねぇし。
「……ああ、そうそう。名前、ね」
まあ、こいつらに本名を明かす必要もないだろう。
どうせ長い付き合いんじゃないんだ。テキトーでいい。
俺はフッと視線を逸らすと、小さな学習机の上に置いてある一冊の本に目をとめた。
季節の花図鑑――か。
そいつをパラっとめくりながら、俺は気だるくこう答えた。
「あー。俺の名前は、シャクヤク。よく、人に珍しいねって言われます。でも覚えやすいようで近所のおばちゃんには大好評です。
恐縮だけれども、ヨロシクどうぞして頂ければこれ幸いってなもんで」
しばしの間。
「あんだぁ、その妙ちくりんな名前は! オレの事言えねぇだろ! つーか、お前。今、その図鑑からとっただろ!」
クロエが毛を逆立てて矢継ぎ早にツッコむ。
いやま、そりゃ当然の反応だ。
「ええと。それについてはだな、」
言いかけたところで、黒髪少女がずいっと割り込んで、
「ダメだよ、クーちゃん! ボクは、とっても可愛い名前だと思うもん。
シャクヤクちゃん……、ううん。しゃっちゃんって呼んでいいかなっ?」
と。
んな名前あるわきゃないのに。フツー信じるかねぇ。
それに言いづらくないか、そのしゃっちゃんってのは。妥協してさっちゃんでもいいんだぜ。
某大手の幽霊様とかぶっちゃいるが、さ。
いやはや、まったくもって。なんだろうねぇ、この子は。
俺にはどうもこの子がわからない。今までの人生で会ったことないのだ、こんな娘に。
――いや、こんな人にか。
だから、この時の俺はどう答えればいいかわからず、アホ面満開にただ頷くしかなかった。
「わーい、やったぁ! じゃあ、自己紹介も済んだことだし。かいつまんで説明するね。ボクたちのこと、魔法のこと、この世界のこと。
そして――キミのことを」
言うと、ゆりなは俺の隣にそっと座り、
そしてゆっくりと……たどたどしく話を始めた。