ログ・ホライズン~マイハマの英雄(ぼっち)~   作:万年床

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大変お待たせしましたな第二十四話。今度こそ『ログ・ホライズン~マイハマの英雄(ぼっち)~』、第一章完結でございます。

本編に入る前に一つ捕捉を。感想欄にて、死後の世界の記憶ってなくなるのでは?という質問をいただきました。原作でははっきりと明示されていないため、今作では、一部は覚えている、という設定にしております。ご理解いただけますとありがたいです。

今回の視点は八幡(現在)→イサミ(過去)→イサミ(現在)。文字数も11000文字越えと、過去最長になっております。……まあ、これでも描写不足な気もするんですけどね。


第二十四話 そして、“彼”と“彼女”は再び出会う。 後編(やはり俺が〈西風の旅団〉の副長なのは間違っている。 その10)

 長い夢を見ていた気がした。

 奉仕部の部室で、いつものように雪ノ下や由比ヶ浜と過ごし、いつものように平塚先生が厄介事を運んでくる。そして材木座は相変わらずウザかった。

 それは、つい一日前までの当たり前の日常。本当の気持ちを押し殺してまで、本当の気持ちをさらけ出してまで守ったはずの、そんな日々。

 しかしこの世界にあの空間は、奉仕部の部室は存在しない。

 最初は嫌々ながら通っていた、気が付いた時には普通に通うようになっていた、あの場所が。

 だからあの二人も、雪ノ下と由比ヶ浜の二人も、この世界にはいないはずだった。

 

「雪ノ下……由比ヶ浜……」

 

 ゆっくりと意識が戻ってくる。

 夢から覚めた時のような、記憶が零れ落ちていくような感覚。しかし八幡は、サラサラと砂のように流れ落ちるソレの一部を、逃がすまいと強引に掴み取った。

 逃がすわけにはいかない。あの不思議な場所で雪ノ下に託された、彼女の願いを。

 それだけで、比企谷八幡が動く理由には十分だ。

 

(なにせ俺は、総武高校奉仕部の部員その一だからな)

 

 とはいっても今回は、魚を与えるのではなく魚の取り方を教える、という本来の奉仕部の行動理念で動くわけにはいかないだろうが。

 現在の由比ヶ浜の、種族や職業や外見、それどころかプレイヤーネームすら分からない。

 この事態に巻き込まれている〈冒険者〉の人数は一体何人なのか、それすら不明の現状で、一人の人間を探し出す。不可能に近いかもしれない。だが、それは決して不可能ではないのだ。

 0%と0.0000001%の間には、圧倒的な差がある。ゼロでない限り、常に可能性はあるのだから。

 なんにせよ、動いてみなければ始まらない。八幡は、ゆっくりと目を開けた。

 

「知らない天井だ……」

 

 開いたその目に映ったのは、高くて暗い天井。石で出来ていると思われるソレからは、どこか寒々しく、それでいて(おごそ)かな雰囲気が感じられた。

 どこか気怠さの残る体を起こし、八幡は自分の周囲をあらためて確認する。

 最初に目に入ったのは、たくさんの寝台だった。そもそも八幡が今いるのも、その寝台群の中の一つのようだ。

 壁の方へと目をやると、こちらもやはり石造り。何か彫られているようだが、残念ながら八幡の目には地味な彫刻にしか見えなかった。

 

「ここは……大神殿……?」

 

 この世界に飛ばされてからは当然初めてだが、ゲーム時代はよくお世話になっていた施設である。……下手人はほぼソウジロウとナズナの二択だったが。

 

(つうことは、今感じているこの気怠さは、死亡した際の経験値減少によるものか。……良かった。どうやら、この世界でも死からの復活はあるみたいだな)

 

 どうやら『大神殿での蘇生』というシステムは、ゲーム時代から引き続いて残されているようだ。

 その可能性は高いと思ってはいたが、こればかりは誰かが実際に死んでみなければ分からなかった。本物の死を迎えずに済んだことに、八幡は安堵のため息を漏らす。

 死からの復活があるというこの事実は、〈アキバの街〉を大きく変えるだろう。

 今までは、気軽に街の外に出ることは出来なかった。しかし今後は、直にモンスターと向き合って戦わなければならないということを許容できれば、死への恐怖を感じることなくフィールドゾーンへとでることが可能になるのだ。

 多くの〈冒険者〉が街中で項垂(うなだ)れている、今の腐ったような状況も、少しは改善されるかもしれない。……もっとも八幡には、それが良い影響だけをもたらすとは思えなかったが。 八幡がそこまで考えた時、扉の開く音が、大神殿内に響いた。

 先程見回した時に見つけた扉は、一つだけ。おそらく大神殿から〈アキバの街〉へとつながってるのであろう、正面入り口だけだった。

 いまだ怠さの抜けない首をどうにか動かし、八幡は大神殿の扉の方へと視線を向ける。

 

「副長……」

 

 それと同時に響いてきたのは、一年前までは毎日のように聞いていた声。先程自分に助けを求めてきた、とある少女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「副長。入ってもいい?」

 

 八幡の部屋から出てきたくりのんが立ち去るのを確認し、イサミは室内の八幡へと声を掛ける。

 本来、イサミは八幡の部屋への入室許可を必要としない。毎日のように訪れるイサミに対していちいち入室許可を出すのが面倒だと、八幡が出入り自由の権限を与えてくれているからだ。

 自分以外にこの権限を持っているのが、ギルドマスターであるソウジロウだけである事を考えると、これは中々に破格の待遇だろう。

 けれども今回、無許可で立ち入ることにイサミはためらいを覚えた。いまだ八幡に何を言ったらいいのかも分からないし、そもそも自分が何かを言っていい立場なのかも怪しいところである。

 そんな後ろ向きな感情が、イサミに八幡の部屋への入室を躊躇(ちゅうちょ)させたのだ。

 

「……イサミか?入っていいぞ」

 

 イサミが入室許可を求めたことに驚いたのか、八幡からの返事からは若干の困惑が感じられる。

 意を決して部屋の中へと入ったイサミは、中の様子に驚いた。色々なものが置かれていたはずの部屋が、すっかり空っぽになっていたからだ。

 八幡が仕事をするのに利用していた執務机も片付けられ、イサミがこの部屋に訪れるたびに座っていたソファーもなくなっている。

 なくなったといっても、あくまでもゲーム内の家具アイテムでしかない。単なるデータに過ぎないはずだったのに。

 この言いようのない喪失感はなんだろうか。イサミは自分の心の動きに戸惑いを覚える。

 

「副長。本当に〈西風の旅団〉をやめるの……?」

 

 動揺したイサミの口から零れたのは、とても自分のものとは思えないような掠れた声だった。

 

「ああ」

 

 それに対して八幡から返ってきたのは、たったの一言。その口調からは、撤回するつもりはないという、確かな意思が感じられた。

 

「……やっぱりこの間の騒動が原因なの?」

 

 ここで何も話せなくなってしまったら、自分はここに何をしに来たのかが分からない。イサミは、動揺する心を何とか押さえつけ、八幡への質問を重ねる。

 

「そうなるな」

 

 再び八幡から返って来た言葉は、やはり冷たい。

 この少年の意志の強さは、イサミもよく知っている。言葉一つでは曲げられないであろうこともまた、重々承知していた。

 

「……副長、お願い。やめないで」

 

 それでも。イサミには八幡がやめることなど耐えられなかった。

 あの騒動の時、イサミにはどうにも出来なかったと言えばその通りだ。八幡を頼るという選択肢も、決して間違っていたとは思わない。八幡があんな解決方法を実行するなど、まるで考え付かなかった。

 だが、それが理由になるだろうか。これは、自分が八幡に頼ってしまった結果だ。八幡ならなんとかしてくれるだろうと安易に甘えた、自分の浅はかさが招いた結末。

 そもそも自分は、騒動になる前に気付かなければならなかったのだ。

 ほとんど女性ばかりのギルドの中の、ただ二人だけの男性プレイヤー。目が行き届かないことなど当然だ。

 メンバーのほとんどは、ソウジロウに対して本性をさらけ出してはいない。そして八幡とは、ほとんど話すこともない。ナズナや紗姫(さき)(よみ)の三人に対しても、幾許(いくばく)かの遠慮が存在する。

 そうであるならば、そのどちらとも普通にしゃべることのできるイサミのようなプレイヤーが、積極的に動かなければならなかったのだ。

 八幡から散々に聞かされた、〈放蕩者の茶会〉(デボーチェリ・ティーパーティー)のお話。

 彼らが数々の伝説を残せた理由は、個々の実力ではなくそのチームワーク。ギルドでも何でもないはずの集団が、お互いに居心地のよい場所にしようと気遣い合った結果生まれた、本当の絆の力だった。

 なんだかんだであまり自慢話めいたことをしないはずの八幡が、どこか誇らしげに話すさまを見て、イサミは強い憧憬を覚えたものだ。

 つまり自分には、〈西風の旅団〉には、お互いに対する気遣いが足りなかったのだろう。

 レイドチームは、ソウジロウを独占できるという立場を死守しようとした。それ以外のメンバーは、どうにかソウジロウと話す機会を増やしたいと、その立場に異を唱えた。

 それのどこに気遣いがあるというのか。イサミにしても、三番隊のメインタンクという地位を手放すつもりなど一切なかった。彼女たちがレイドチームに入れないのは努力が足りていないせいだと思っていたし、そこに一切の優越感が含まれていなかったと言うと嘘になるだろう。

 

「みんなは、ウチが絶対に説得する。だからお願い!」

 

 ここで八幡に全てを押し付けてしまったら、自分たちは変わるための機会を失うかもしれない。今自分たちに必要なのは、話し合うことだ。

 言いたいことを言い合って、全員が納得するまで議論する。そうすることでしか、最高のチームには近づけない。八幡やソウジロウの語る、〈放蕩者の茶会〉(伝説の集団)には。

 たとえその結果

 

「その結果、ギルドが解散になっても仕方がない……か?」

 

 自分の考えを読まれたイサミは、驚いて言葉を失った。そこまで考えた上で、八幡は行動していたのだ。

 一人が全てを被ることによって、それ以外の全てを救う。

 結局のところ、八幡だけが〈西風の旅団〉のために行動したのだろう。茶会の元メンバーとして、みんなの居場所を守ろうとしたのだ。

 

「それでも!副長だけが犠牲になる、こんなやり方じゃなくても!!」

 

 もっと他のやり方はなかったのだろうか。なぜ彼だけが全てを背負わなければならないのか。

 やりきれない思いを感じ、イサミは叫んだ。

 

「……これが一番効率が良かった。ただそれだけだ。そもそも俺は、自分が犠牲になったなんて思っちゃいない。元々、セタの奴に強引に誘われたから入っただけのギルドだしな。ぼっちが元通りにぼっちに戻るだけの、誰も傷付かない、素晴らしい世界の完成じゃないか」 

 

 淡々と語る口調からは、八幡が本当にそう思っているのが感じられた。しかしどこか悲しみも込められているように感じられるのは、イサミの思い違いだろうか。

 〈エルダー・テイル〉は、所詮はゲームでしかない。イサミは、直接顔を見て話せないことをもどかしく感じた。

 マイクとイヤホン越しではなく、実際に顔を合わせて話すことが出来たら、八幡のことをもっと理解できたのではないか。

 

「副長は……本当にそれでいいの?」

 

 イサミの声が、湿り気を帯び始める。最後まで冷静に話そうと思っていたのに、イサミには溢れる涙を抑えることが出来なかった。

 八幡が〈西風の旅団〉を出ていく。その未来は、もう変わらないと悟ってしまったから。

 

「…………ああ」

 

 八幡は、イサミの質問にうなずく。

 これでもう何も言えることはなくなった。それでも、何かを言わなければ、伝えなければならない。

 しかし、イサミの口からはもう何も出てこなかった。

 

「……じゃあ俺、行くわ。他の奴らにはよろしく言っといてくれ」

 

 黙り込んだイサミに声を掛け、八幡は去っていく。

 あとに残されたのは、その後ろ姿を呆然と眺める、一人の少女の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あの時にも散々後悔したはずだったのにな……)

 

 イサミは大神殿へと急ぎながら、八幡が〈西風の旅団〉を抜けた日のことを思い出していた。

 八幡とは、あの日以来一度も話すこともなければ会うこともなかった。そもそも、八幡がログインしていることすら、ほぼなかったのだ。

 もしかすると、あれがきっかけで〈エルダー・テイル〉を辞めてしまったのかもしれない。そう思っていたイサミは、この世界に来て開いたフレンドリストで、八幡の項目が光っているのを確認して驚いた。

 八幡もこの事態に巻き込まれている。イサミはその事実を残念に思うのと同時に、八幡がまだ〈エルダー・テイル〉をプレイしていたことを喜んだ。

 この状況が少しでも落ち着いたら、八幡に会いに行こう。そう考えていたはずなのに、実際は状況がもっとも混乱している時に連絡をし、結果八幡を死なせてしまった。

 結局のところ、あれから一年もたっているのに、自分は八幡に頼る癖が抜けていなかったのだ。そして、死んだらどうなるかも分からない世界で、自分には無理だからと責任を押し付けてしまった。

 

(副長……)

 

 もし八幡が生き返らなかったら。大神殿を目指しながらも、イサミの焦慮は募るばかりだ。

 そのまま走り続けて数分後、イサミの眼にようやく大神殿の姿が映った。しかしその扉の前、イサミの目指す先に誰かがいるようだ。

 

(あれは……!?)

 

「おっ、イサミちゃんじゃん!」

 

 猛スピードで接近するイサミに気付いたくりのんが、声を掛けてくる。ギルドホールにいないと思ったら、こんなところにいたらしい。

 

「……くりのん。アンタ、ここで何してんの?」

 

 同じ三番隊所属ではあるものの、イサミはこのくりのんという〈冒険者〉がなんとなく苦手であった。隙あらば女の子にセクハラをしようとするところもそうだが、それ以上に、今一つ何を考えているのかが読めないのだ。

 〈大規模戦闘〉(レイド)の動きを見る限り、腕はトップクラスだ。作戦への理解度も、正直イサミ以上だとも思う。単純にレイドでの貢献度で考えれば、おそらくイサミよりも上だろう。

 ただ、なんとなく引っ掛かるのだ。女の子へのセクハラは確実に本気でやっているのだが、普段の行動に何か裏が隠されているような、そんな小さな棘のようなものが。

 

「私がここにいるのは、イサミちゃんと同じ用件だよ。……まあ、理由はだいぶ違うと思うけど」

 

 イサミと同じ用件、つまりは八幡を迎えに来たということだろう。八幡とくりのんの接点など、同じギルドの同じパーティーに所属していたということぐらいだと思ったが、もしかすると他にも何かつながりがあったのだろうか。

 

(そういえば、副長が辞めた日。くりのんが副長の部屋から出てくるのを見たんだっけ……)

 

 あの時も少し不思議に思ったものだが、その後の出来事で記憶から吹き飛んでしまっていた。

 あらためてくりのんを見てみると、かなりの美人だと思う。少なくとも自分と比べて、出るところも出ている。

 

(くっ!……いや、ウチだって成長すれば!……そういえばこの世界って、身長や体重が変わったりするのかな?)

 

 八幡だって、自分みたいなちんちくりんよりも、くりのんのようなタイプの方が好みかもしれない。イサミは、見下ろせば足元までがしっかり見えてしまう自分の体形を、心から呪った。

 

(……って違う違う!そもそも副長の好みなんて、ウチにはどうでもいいから!!)

 

 頭の中に浮かんだ考えを、イサミは全力で否定する。

 もっとも、実際に首まで振って否定しているところが、彼女の余裕のなさを表しているが。

 

「あー、イサミちゃん?青くなったり赤くなったりで忙しいのは分かるんだけど……」

 

「あ、赤くなんてなってないわよ!!」

 

 心の内を見透かしたようなくりのんの言葉に、イサミは思わず噛みついた。

 

「おっ、おう。いや、そんなに熱くならなくても……。それよりも大神殿の方、ちょっと見てみ」

 

 くりのんは、そんなイサミの様子に苦笑しながら、大神殿を指さす。

 

「なによ!って……あの光、なに?」

 

 くりのんの一言に、勢いよく首を振り向けたイサミだったが、大神殿の扉から漏れ出る光に戸惑う。どうしようかとイサミが逡巡する内に、光は徐々に薄くなり、しばらくすると扉の向こうは再び暗くなった。

 

「八幡の奴、帰って来られたみたいだな」

 

 イサミは、くりのんの言葉にはっとする。

 大神殿の中で起きた、謎の発光現象。大神殿という施設が、一体なんのために存在するのか。合わせて考えると、答えは一つであるように思えた。

 無言で走り出したイサミに、くりのんが道を開ける。イサミはそのままくりのんの横をすり抜け、大神殿の扉へと手を掛けた。

 

「イサミちゃん」

 

 イサミの背中に、くりのんから声が掛かる。その真剣な声に、何事かと振り返ったイサミは驚いた。

 〈大規模戦闘〉の時。例えピンチの時でもくりのんには常に余裕があったし、特に女性プレイヤーには常にどこかおちゃらけた感じで接していた。

 そのくりのんが、真剣な表情でこちらを見ている。イサミは思わず立ち止まり、くりのんの言葉を待った。

 

「八幡のことを頼んだよ。アイツは捻くれてるし本人は絶対に認めないだろうけど、良い奴だ。正直な気持ちを正面から伝える事。それさえ出来れば、多分大丈夫」

 

「……そんなこと、知ってるわよ」

 

 くりのんに聞こえるか聞こえないか。ささやくような大きさで、イサミはつぶやいた。

 なんだかんだと文句を言いながらも、自分のおしゃべりに付き合ってくれた八幡。褒められた手法ではないものの、ギルドの崩壊を防いでくれた八幡。

 八幡が、本当は優しくて良い人なことなど、イサミが一番よく知っている。

 あの時に伝えられなかったことを、今日こそ伝えなければならない。今度は後悔しないで済むように。

 イサミは、再び大神殿の扉に手を掛けた。重厚な作りのソレは確かな重みを返してきたが、イサミはそのまま力をこめて押し開き、歩を進める。

 バタン、という音を立て扉が閉まると、大神殿の中は暗闇に包まれた。光源はガラス窓の向こうで輝く月と星、そして……。

 

(奥の方、何か光ってる?)

 

 大神殿の祭壇の下に、いくつもの寝台が見える。一見シュールな光景ではあるが、イサミの視線は、その中央で淡く光る人影へと向けられていた。

 実際に会うのは初めてだ。仲が良かったとは言っても、それはあくまで画面越しのマイク越しの話で、一体どういう顔や背格好なのかなど、一切知らない。

 それでも一目見た瞬間、イサミはこの人が副長だと、八幡だと思った。

 闇に紛れる、群青色のコート。全身はほぼ同じ色で統一されており、服の間から見える肌と腰から下げられた刀の柄だけが、他と違う色をしていた。

 ゲーム時代によく見た、八幡の装備だ。

 

「副長……」

 

 イサミのつぶやきは、静かな大聖堂の中で大きく反響した。

 イサミはその響き方に驚いたが、それ以上に視線の先の人物も驚いたようだ。こちらに振り向きながら、その影がピクリと揺れる。

 

「……イサミか」

 

 イサミに向けられた声は、一年前までは毎日のように聞いていた声。そして、イサミに向けられた眼は、腐ったように濁っていた。

 掛けられた声につられるように、そのまま八幡の近くまで歩み寄ったはいいものの、なんと声を掛けたものかと、イサミは逡巡する。それは八幡の方も同様なのか、頭を掻きながら視線を右往左往させていた。

 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。

 ぼっちを自称する八幡は仕方がないにしても、本来イサミは社交的な性格だ。しかし、どういう風に謝ったらいいのか。そればかりを考えているイサミの口からは、上手い言葉が出てこなかった。

 その時イサミの脳裏に、先程のくりのんとのやりとりが蘇る。

 

(自分の正直な気持ちを、正面から伝える……か)

 

 八幡が出ていった時も、そして今も、イサミは八幡に謝ることばかり考えていた。しかしそれは、本当に自分が言いたいことなのだろうか。そもそも八幡の性格を考えれば、謝罪を素直に受け取るわけがない。

 自分の本当に伝えたいこと。初めてそれを考えたイサミの口から、自然に言葉が零れる。

 

「あのね、副長……ありがとう」

 

 自分の口から出た言葉に、イサミ自身が一番驚いていた。そして同時に、胸の中で何かがストンと落ちるのを感じる。

 

(そうか。ウチは副長に謝りたいんじゃなくて、お礼を言いたかったんだ。〈会津兼定〉をくれて。ウチの愚痴を聞いてくれて。ギルドの危機を救ってくれて、ありがとうって……)

 

 イサミの考えていた『謝罪』には、自分を許して欲しいという気持ちが、どこかに込められていた。自分の罪悪感を少しでも軽くしようという、エゴの(かたまり)が。

 そんな言葉で、相手が、それ以上に自分自身が納得できるわけがなかったのだ。

 

「……ああ」

 

 八幡が、照れくさそうに眼を逸らす。あの時と同じ、短い言葉。しかしその言葉には、あの時にはなかった感情が込められていた。

 本質的に優しい彼は、相手の本当に本気の言葉を否定できない。おそらくくりのんは、このことを言っていたのだろう。

 

「ウチね、この世界に来てすぐは怖かったの。突然〈エルダー・テイル〉の世界に放り出されて、どうしたらいいのか分からなくって。でもね……」

 

 八幡は、イサミの話を黙って聞いてくれているようだ。八幡の眼を見つめ返しながら、イサミは話を続ける。

 

「友達が出来たの。その子、サラっていうんだけどね、なんと〈大地人〉なの。ほら、副長も知ってるでしょ?ゲームの時にホールの清掃に雇ってたNPCの女の子」

 

 そこまで話したところで、なんだか八幡の顔が青くなったような気がした。はて、と小首を傾げながらも、イサミは話を進める。

 

「サラと話しているウチに思ったんだ。この世界はゲームなんかじゃなくて、本物の世界なんだなって。笑えば笑顔になるし、悲しければ涙が出る。動けば疲れるし、時間がたつとお腹がすく。この世界は、現実と変わらない。ううん。今のウチには、この世界が現実なんだって、そう思ったの」

 

 確かに〈エルダー・テイル〉によく似てはいる。それでも、この世界と〈エルダー・テイル〉とは、完全に同じものではない。

 そしてここにいるのは、モニター越しに遊んでいた女子高生ではなく、イサミという一人の〈冒険者〉なのだ。

 

「だから、衛兵と戦って〈会津兼定〉が壊れたとき、思ったの。この世界で死んだら、本当に死んじゃうのかなって。でも、局長が助けに来てくれて……」

 

 イサミにとって一番怖かったのは、自分のせいで誰かが死んでしまうということだった。

 自分の軽率な行動が、ソウジロウを死なせてしまう。イサミは、その事実に耐えられなかった。

 だからイサミは、八幡に助けを求めたのだ。八幡ならなんとかしてくれると、そう思ったから。

 

「……イサミ。お前の判断は間違っちゃいない。例えばあの時助けに来たのが俺じゃなく、〈西風の旅団〉の誰かだったら、セタやナズナさんは絶対に逃げなかった」

 

 イサミの言葉を受け、八幡が口を開いた。イサミの行動は間違いではなかったと告げるその姿には、イサミを責める様子など微塵もない。

 

「別にお前がそんなことを計算してたとは思わんが、結果的に死んだのは俺だけで済んだんだ。流石に生き返れなかったらアレだったが、幸い生き返ったしな。……それに、おかげで知り合いにも会えたし」

 

「知り合い?〈エルダー・テイル〉でのってこと?」

 

 ぼっちだなんだと言う割に、〈エルダー・テイル〉内での八幡の交友は、昔から広かった。

 そもそものプレイ歴の長さに加え、あの〈放蕩者の茶会〉(デボーチェリ・ティーパーティー)に所属していたという来歴。そして、〈西風の旅団〉のサブギルドマスターだという事実。

 八幡と一緒に行動していると、色々なプレイヤーから話しかけられたものだ。

 大手の戦闘系ギルドのギルドマスターとは大体知り合いだったし、特に〈シルバーソード〉のウィリアム・マサチューセッツには良く絡まれていた。

 だから八幡の言う知り合いも、その内の誰かだと思ったのだが……。

 

「いや。同じ高校の、同じ部活の奴。こんなゲームするような奴じゃなかったはずなんだけど、なぜかこの事態に巻き込まれていやがったんだよ」

 

 そう話す八幡の表情は苦々しげだったが、口調にはそれほどの暗さがなかった。

 

「副長が部活に入ってるっていうのがイマイチ想像できないんだけど、なんていう部活なの?」

 

 目の前の少年は、少なくとも自分から部活に入るようなタイプではない。不思議に思ったイサミは、八幡へと尋ねる。

 

「あ~、ちょっと色々あって無理矢理入れられたところでな。奉仕部って言うんだけど、まあなんていうか人助けみたいなことをする部活だよ。んで、知り合いってのはそこの部長だ」

 

 無理矢理入れられたという割には、八幡の顔はどこか誇らしげに見えた。

 

(奉仕部ね~。副長には似合ってるような似合ってないような……)

 

 とりあえず八幡の表情からうかがえるのは、彼がその奉仕部を、少なくとも嫌ってはいないということだ。イサミはなんとなく嫌な予感を覚え、八幡へと再び質問する。

 

「……その知り合いって、もしかして女の人?」

 

 知らずに語調が刺々しくなっていたかもしれない。自分の口から出た低い声に、イサミは驚いた。

 

「ん?そうだけど、よく分かったな。というかそれがどうかしたのか?」

 

 不思議そうな様子の八幡が、逆に質問を返してくる。しかし肝心のイサミにも、なぜ自分の口からそんな質問が飛び出たのかが分からなかった。

 どうしてかと考えたイサミは、浮かんできたある感情に、頬が赤くなるのを感じた。

 

「な、なんでもないから!」

 

 恥ずかしさを誤魔化すように、イサミは叫ぶ。

 本当は、とっくの昔に気付いていたのかもしれない。

 確かに〈西風の旅団〉に入った理由の一つは、ソウジロウだった。しかし気付けばいつも八幡とばかり話していた気がする。

 八幡の部屋に入り浸っての、毎日のようにしたおしゃべり。イサミが〈エルダー・テイル〉で一番楽しんだのは、そのひと時だった。

 八幡が去っていくときに感じたあの気持ち。そして今回。イサミが最初に助けを求めたのは誰だったのか。

 赤くなった頬は、まだ元通りの色には戻っていないが、イサミは八幡の眼を見つめる。

 

「ど、どうしたんだ?急に叫んだと思ったら、今度は笑い出して」

 

 動揺したその眼は、逃げ場を探すように右往左往していた。

 

「だからなんでもないって!……それにしても、局長やナズナに聞いてはいたけど、本当に副長の目って腐ってるんだね」

 

 八幡の反対により、〈西風の旅団〉では結局行われなかったオフ会。

 まあ考えてみれば、何十人も女性がいる中で、男性は二人だけだ。ゲームならばともかく、リアルでそれというのは、思春期男子にはハードルが高かっただろう。

 それでも、ずっと八幡には会ってみたかった。実際に会ったことのあるソウジロウやナズナのことが羨ましかった。

 そして今日。初めて見たその眼は、噂通りに腐っている。

 

「ほっとけ。世の中には、曇りなき(まなこ)でしか見えないものもあれば、腐りきった(まなこ)だから見えるものもあるんだよ」

 

 八幡らしい物言いに、イサミは笑い声を上げる。

 

 

 

 

 

 八幡とイサミ。二人が初めて(再び)出会ったのは、遠い異世界。二人が知り合うきっかけとなった、〈エルダー・テイル〉の世界によく似た世界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ~て、お二人さん。ラブコメってるところ悪いんだけど、散々心配かけたことに対するお仕置きの時間だよ!!」

 

 入口のあたりから掛かった聞き覚えのある声に、二人は慌てて振り向く。

 そこにいたのは、ソウジロウにくりのん、ドルチェとひさこ。それに加えて……。

 

「ナ、ナズナ!?いつから聞いてたの!?」

 

 黒い笑顔を浮かべるナズナに、イサミは動揺する。

 

(あんな恥ずかしい会話、まさか聞かれてないよね……?)

 

 八幡との会話に集中していたせいで、全く気付かなかった。ようやく落ち着き始めていたイサミの頬が、再び赤く染まる。

 願わくば、少しだけ聞かれただけで済んでいますように。そう願ったイサミだったが

 

「ん~?副長……ありがとう。ってあたりからだけど?」

 

「ほとんど全部じゃないのそれ!!」

 

 現実は非情であった。思わず叫んだイサミは、助けを求めようと八幡の方へと振り向いた。

 

「ちょっと副長!副長も何か言って……っていない!?」

 

 しかし隣にいたはずの八幡の姿は、すでに掻き消えていた。慌てて大神殿内を見回したイサミの眼は、窓に取り付いている八幡を発見する。

 

「悪いイサミ。話の続きはまた今度な!」

 

「え!?ちょっと待ってよ!置いていかないでってば!!」

 

 八幡は窓ガラスを突き破り、外へと飛び出していく。潔いまでの逃げっぷりに意表を突かれ、イサミでだけでなく、ソウジロウやナズナですら呆然としている。

 まだ話すことがあったのにだとか、自分も連れて行って欲しかっただとか、イサミには言いたいことがいくつもあったのだが、とりあえず今言えるのは一つだけ。置いて行かれたイサミは、ナズナのお仕置きを一人で受けなければならないということだ。

 

「副長の……バカーーーー!!」

 

 イサミの叫びは深夜のアキバに響き渡り、その声に驚いたとある〈暗殺者〉(アサシン)は、逃走経路の屋根の上で足を滑らせるのだった。




というわけで第二十四話、『そして、比企谷八幡とイサミは初めて(再び)出会う 後編』でした。タイトル自体は3月にはもう考えてたはずなのに、現在5月下旬。どういうことなの……。←※どう考えてもしっかりとプロット書いてないのが原因

内容に関しては、あまりにシリアスよりだったのを、わりと無理矢理ラブコメ風に改稿しました。そのため、多少展開が強引かもですが、個人的にはこちらの展開の方が気に入っています。……人それを結果オーライと呼ぶ。

まえがきにも書きました通り、今回の第二十四話でようやく第一章完結です。後半に関してはシリアス全開だったこともあり、作者自身もグダったな~と思っていますが、まあ書きたかった部分は書けたかな~とも思っております。そういった点も踏まえた上で、よろしければ感想や評価などをいただけるとありがたいです。特に不明点・疑問点に関しての質問は、自分の文章の分かりにくさなどが見えるので、かなり参考にさせていただいています。

さて、次回以降について。次回第二十五話は、登場人物紹介にしようかと考えています。ただこれだけでは、規約違反の一つである『小説以外の投稿』に当たるかもしれないので、第二章のプロローグ的なものをつけるつもりです。投稿は可能な限り今週中を目指しますが、おそらく週明け25日になるかと思います。お待ちいただけますと幸いです。

なお、第二章開始の際に、タイトルの『再投稿』の部分は外すつもりにしています。

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