「――で、これが現物」
香月があごで指す。まあ、この人は人間相手でもこの調子だ。
「ふむ。外見は人間と見分けがつかないな」
もっとも、表情を見ればそうとわかる。総士がそうやって見分けたのかはともかくとして、あんな表情ができる人間はない。
「直せそう?」
「それは技師的な意味ではないな? とりあえずカウンセリングを試してみよう。精神鑑定はこの様子だと無理そうだな。意思疎通ができないとノウハウがほとんど生かせないのだが――」
そう言って目を覗き込む。その目は、ただ機械的に光を反射していた。こういう目は見たことがないな、と思う。生きているならば気を失っていても眼球は動くし、死んでいるならば濁っている。それはどこかファフナーの目を連想させた。
「聞こえるか?」
眼球の動きを確認する。全く動いていない。外界への認識がないと言うレベルではなく、まさに作り物の目で――それは、その通りである。いくら良くできていてもそれは機械だ。
「聞こえるか?」
ぶんぶんと手を目の前で振り回す。やはり動かない。
「外界の刺激に反応しないか。――多少、乱暴なことをしても?」
「かまわないわ。人間の力の範囲なら壊れないから。いや、頭抱えて地面に投げつけられるのはさすがに困るけど」
冗談を言う。
「了解した。生身の人間に加えられる程度の刺激にとどめる」
そして総士はくそ真面目に――返しに困る物言いをしてそのまま作業を続ける。
「――聞こえるか?」
パンパンと肩を叩く。耳を叩くのはやらない。不要な心配かもしれないが、それをやると鼓膜を破ってしまう可能性がある。
聞こえるか、と声を聞かせながら色々なところを叩く。普通に胸や太もものあたりまで叩く。医者でもそうはないほどの女性に対する気遣いのなさである。そしてそれは、完全に女体というものに興味を持っていない証でもある。
「ハード的な問題は?」
「サンプルがこの子だけしかいないから保証はできないけど、私にわかる範囲での異常はない。中身にも結晶化とか欠損ももちろん確認できていない」
「ふむ」
次はつねって反応を見る。この辺りは総士しかできないこともある。フェストゥムに同化されたものの触診なぞ、この世界の人間に経験があるわけがない。
「――再確認するが、体内に結晶ができてないのは確実か?」
「ナノレベルの結晶ができてなければ」
「ならば、同化現象の兆候はない。――少なくとも、機器としては」
つまり、人間としてはわからないというわけだ。もっともわかりやすい同化現象は結晶が生えてくることだが、こと人間が対象になると不可解な同化現象が起こることがある。
「なら、精神的には?」
「それは僕らの世界でも実例が少なすぎてなんとも言えない。だが、彼は身体的な同化現象も併発していた。精神的に同化された場合、身体的にも遅からず同化されると推測される。しかし、例外のない保証はない」
「ふぅん。で、それだけ? 正直言うと――拍子抜けね」
「やはり、意識がないことにはな。多少強引だが、ザインと接触させれば、戻る可能性はある」
嫌そうな表情である。つまるところ、それは賭けでしかない。
「ニヒトは?」
「悪影響を与えるだろう。その場には立ち入らせない方がいい」
はっきりとした嫌悪感を示した。自分が乗っているものだと言うのに。まあ、それほどおぞましいものなのだ。そんなものを持ち出すのは――そう、友好を否定するとでも言うように。
「じゃ、さっそくやりましょうか。いったん、ニヒトを他のところに移してくれる?」
「……了解した」
テレポートしそうになったのをギリギリ抑え、意識して歩いて出ていく。読心はなんとかなるのだが、こちらはいつまでたっても慣れない。
もっとも、人間としては歩くのが正しい姿であるのだが。
「さ、ゆっくり行きましょうか。そういえば、真壁……あんた何かないの?」
「何かって?」
きょとん、とした。
「いや、皆城が頭脳担当であんたが荒事担当なのはわかるけど、それでも疑問とか出てくるものじゃないの? 今なら答えてあげるわよ」
「……特には」
ふいっと傍の方を見てから言った。
「ホントに? 見たところ、あんたは本当の馬鹿ってわけじゃない。考え事は苦手そうだけど、本当の馬鹿ってのは人の言うことを信じることしか知らない奴のことよ。私が見たところ――真壁一騎は自分でしっかりと考えて、しかも己の信念というものも持っている。それで、なにもないってことは――ああ、そう」
ニヤニヤと笑う。嫌な笑い方だ。粘ついたそれは近くに居ることを拒否したくなるくらいだが、敵意がないため邪険にはできない。
「……なんだよ?」
ちょっと嫌そうな顔をした。
「防衛手段か。要は質問から自分の意図を見透かされるのが怖いってわけね。小賢しい防衛手段とってくる奴もいたけど――なるほど、何も話さなければ見透かされることはない。それ、逆に頭いいやつしかできないやつよ」
「――ええと、それは……礼を言えばいいのか……?」
褒められてるのか、けなされてるのかわからない一騎だった。だって、話さなければ知られることがないのは当然のことだ。
まあ、そんな風に悩むのは人間のころから同じでそういう意味では間違いなく喜ぶところではあるのだろう。
「さらに天然。完璧ね」
うんうんと彼女は一人でうなづいた。一騎はさらにわからなくなる。
「……ええと」
「ああいや、困られてもこっちが困る。こういうのはね、適当に流しとけばいいのよ。真面目な話じゃないんだから。けど、こっからは真面目な話をしましょうか。白銀も聞いておきなさい。皆城は――まあ、どっかで聞いてるでしょう」
「俺もって……」
おずおずと会話に加わる。実は彼、『香月先生とやりあってるよ。この人たちこえー』とか思いながら社をあやしながら、00ユニットを抱えている。
「アタシはハイヴをどうにかしただけで人類が何とかなるとは思ってないし、そもそもハイヴ全てを何とかできるとすら考えていない」
断言した。
「……な!」
「――ふぅん」
驚く白銀。そして、やはり他人事のように受け流す一騎。
「だからといって、Ⅳが無駄だとも思ってない。成功すれば人類の寿命は確実に伸びる。そして、失敗すれば滅びると確信している。その程度には自分が情報通であると自称している。そのアタシは未だ人類を救い得る方法論は世に表われ出でてないだけ、この段階では実行不可能なのだと考えている」
「……じゃあ、英雄が現れればいいと思うのか?」
何を考えているのかわからない顔で――しかし、他者には理解不能な心の底からの真剣さだけが剣のように鋭く表れた。目を細める。
「一騎、あなたは英雄をやったことがある? ――あるわよね。でなければ、その言葉が出てくるわけがない」
「どちらかといえば道化だった。滅びゆく基地で諦めずに最後まで抵抗する英雄だった」
諦めたような、悼むような物言い。
「……それは」
香月は現実的な人間だから、かっこいいとかよりも先に“じり貧”とかそっち系の言葉が浮かんでくる方だ。ゆえに顔をしかめた。
「次は、寿命を削られたのに崇められた」
「――っ!」
想像してしまう。表情から見て不本意なことに違いない。つまり、利用されただけだ。それがどのような手段かはわからないが、命を犠牲にして力を得る手段を広めるきっかけとなったのだ。そして、それを感謝された。
そう言う経験は、香月にもある。未来のために非情な決断を下して感謝されたこと。自分の影響力を拡大させるためだけの策だったのに、犠牲にした人間に仲間は満足して逝けたと感謝されたことがあった。――その時は彼女もまた複雑怪奇な叫びたい気持ちに襲われた。
「同情するわ。辛いわよね……ホント」
「香月先生! 人類を救えないって――どういう!?」
必死な表情で白銀が噛みつく。人類を救うために今までやってきた。どんな試練でも耐えてみせると息まき、一人でも多く生かすために努力してきた。それを、いきなりひっくり返されたらたまらない。
「白銀。あんた、強い戦術機一体あったところでどうにかなると思うの? ザインとニヒトが、例え起動時間が10時間も確保できたところで――それで本当にどうにかできるとあんたは思うの?」
「……けど、ハイヴを減らせば人類がBETAを滅ぼし尽すことだって!」
「無理よ。現在の戦力じゃ、一発でかいのをぶちかましたところでこの状況はひっくりかえらない。そうであるなら、アタシはG弾の積極運用に賛成している」
「00ユニットがあれば、人類は救えるって――先生が!」
「それは、どの世界のアタシ? 言ったとしたら、可能性が生まれるとかそんなんじゃないかしら。このまま滅ぶとは言ってない。アタシにできるのは、可能性が生まれるまでの時間を稼ぐことだけよ。そのために、全てをかけている」
「人類を救うのは――俺じゃ、ない? 他の奴が……」
「そうよ。あなたはただのつなぎ。でも、まあ――今のところ代わりになりそうなやつはいないけど。つか、あんたは救った後でこの世界から消えるから歴史が続いてもどっちみち名前は残りゃしないわよ」
「知ってますよ。それとこれとは話が別です! それじゃ……Ⅳが成っても人類は救われないかもしれないってことじゃ……っ!」
「その救済法をアタシは知らないってだけのことかもしれないけど」
「……ふぐぅ」
完全にやり込められた。まあ、甘いといえば甘い。BETAの脅威を知っておきながら、解決策があるなどと思うとは。
「なに――今の可愛い鳴き声? ちょっと録音してまりもに聞かせたかったわ」
「鬼が居る!」
泣き顔になった、がふざけることできて少しは息抜きができたようだ。
「ま、それは監視カメラからデータ引き抜くからいいわ。で、やる気無くした?」
「それはありません。諦めないって誓いましたから」
力強く宣言した。
「それは重畳。ちょっと考えればわかることくらいで凹んでもらっちゃ困るわ。大体、それをどうにかしてもらわなきゃいけないのよ、あんたにはね」
あごで00ユニットを指した。今、彼女は白銀の腕の中だ。ストレッチャーで運ぶこともできたが、香月が『こういうときは王子様がお姫様抱っこするものでしょ』と言ったためにこうなっている。
「でも――」
「ええ、まずはあなたの手腕に期待させてもらうわ。真壁」
「できるだけのことはするさ」
扉を開いた。その先にはザインが鎮座している。“それ”もまた、何を考えているのか。