IS×Z.O.E ANUBIS 学園に舞い降りた狼(ディンゴ)   作:夜芝生

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気付けばすっかり年が明けていました……申し訳ありません。


Episode.16 仲間の声を背に受けて

 僅かに茜色になった陽の光に照らされた並木道を、生徒達が友人達と思い思いに談笑しながら、それぞれの寮の割り当てられた自室へと還っていく。

 その中でも、一際賑やかなのは新入生たち――彼女達はその誰もが生まれて初めて受けるIS学園での授業に興奮し、自分達の未来を思い、期待を、あるいは不安を表情に浮かべていた。

 

 

……しかしその中で、げっそりと疲れきり、まるで幽鬼のような足取りで歩く少年の姿があった――一夏である。

 

「……ぜぇ……はぁ……歩くのって、こんなに……疲れるもんだったっけ……?」

 

 彼は正に地獄の如きディンゴの体育の授業によって鉛のようになった全身をどうにか引き摺り、呻くように独り言ちながら歩いていく。

 その不格好な足取りに、周囲の生徒達から奇異の視線が向けられ、中にはあからさまに互いにヒソヒソと耳打ちしながら、侮蔑の表情を浮かべる者までいる。

 

 

……普段ならばそんな輩など一喝して散らせる所だが、一々相手にしているのも面倒だし、早く帰って体を休めたいという心が勝ち、一夏はそういった手合いの尽くを無視して歩き続ける。

 

 

 本当は昔話をするついでに箒と共に帰ろうかと思っていたのだが、今まで宿泊していた部外者用の外来宿舎から学生寮へと移るための手続きやら説明やらで時間を取らせてしまうため――箒自身は最後まで待っているとは言っていたのだが――残念ではあったが彼女には先に帰ってもらった。

 そのため一夏は寮へと向かうまでの道を、再び好奇の目を一心に受けながら進むしか無かった。

 自分で選んだ選択肢とは言え……正直、キツい。

 

 

 

 

「…………いい加減にしてくれよ、クソッ!!」

 

 

 

 

 そう毒突く一夏の精神は、そろそろ限界を迎えていた。

 一挙手一投足を見られ続け、それに対して好き勝手な視線や言動、態度を取られる様は、まるで自分が動物園のパンダか何かになったような心地だ。

 慣れない環境の中での未知の領域の授業、そして今まで経験したことの無いような肉体の酷使……疲れきるのも無理は無い。

 いっその事、ここで暴れまわってこの場所を追い出される事があったならばどれだけ楽な事だろう、というドス黒い感情が湧き出てくるが、すぐに一夏は頭を振ってその愚考を否定する。

 

「――っと、落ち着け……落ち着けよ俺……ここで癇癪起こしてどうする……」

 

 ちらつくのは、物憂げに眉根を寄せる千冬の顔……幼い頃から特異な環境に身を置いた事で何かと不安定だった一夏は、クラスメイトや近所の子供達と毎日のように喧嘩騒ぎを起こし、彼女に何かと迷惑をかけて下げたくは無いであろう頭を下げさせてしまっていた事を思い出す。

 もう自分は幼い頃のようなガキでは無い――ある程度は分別の付く年齢になった筈なのだ。

 一夏は深く深呼吸をし、自分の胸の内に宿ったドス黒い感情ごと吐き出すかのように、大きく息を吐き出すと、足早に寮へと向か――おうとして、足を引き攣らせて失敗した。

 

「~~~~っ!? こ、これ以上速くしたら、あ、足が……!?」

 

 とことん締まらねぇなぁ、今日の俺……そんな風に溜息を吐きながら、一夏は痛む全身を引きずって歩いて行った。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「や、やっと着いた……」

 

 

 

――そしてその十数分後、一夏はようやく指定された寮の玄関へと辿り着いていた。

 

 

 

 しかし、想像していたよりもかなりデカい……ちょっとした高層マンション並の階数はあるのでは無いだろうか。

 

「え、エレベーターは使え……るんだよ、な?」

 

 一夏はこれを上まで、もしくは下まで階段を使って昇り降りする光景を想像し――すぐに止めた。

 

 

……例え想像だとは分かっていても、少しでも考えたらもう動けなくなりそうだ。

 

 

 質の悪い想像を頭から振り払うと、一夏は最後の一仕事とばかりに玄関ホールへの階段を登る。

 自動式のドア一枚隔てた先の扉の前に設置された認証装置に自分の学生証を差し込み、部屋番号を入力すると、センサーに向かって手を当てる。

 

 

 

『――ID番号××××…………。指紋・掌形・静脈パターン認証完了。ようこそ、IS学園第一学生寮へ』

 

 

 

 そんな電子音声による歓迎の言葉と共に、とうとう玄関のドアが開かれ、程よく快適な温度に暖められた空気が一夏の頬を撫でた。

 

――女性しかいない、という事で若干派手派手しいものを予想していたのだが、内装は意外と飾り気が無く、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 空調もかなり良いものを使っているのか、下手をしたら屋外よりも心地良いほどに空気も澄んでいる。

 

 慣れない空気だし、時折入り交じる女性特有の甘い匂いが少し玉に瑕ではあるが、この空間に入った瞬間、『ああ、何だか帰って来たな』と感じられる――一夏は、一瞬にしてこの寮を気に入っていた。

 そんな風に一夏が思っていると、玄関前のロビーのソファから立ち上がり、こちらに向かって歩み寄ってくる女性がいた――真耶だ。

 

「――あ、ようやくのご到着ですね織斑君」

「あ、山田先生」

 

――どうしてここに? と一夏が疑問を投げかける前に、真耶は部屋番号を示すタグの取り付けられたカードキーと書類を手渡してきた。

 

「はいっ、織斑君の部屋のカードキーと、その他必要書類です。

ちょっと面倒だとは思いますけど、部屋に行ったら確認しておいて下さいね」

「ありがとうございます、すいませんわざわざ」

「いえ、良いんですよこれぐらい。これでも一応、織斑君の副担任ですからねっ」

 

 一夏の会釈に、むふんっ!! と誇らしげに胸を張る真耶――すると、張りのある鞠の如き双丘が勢い良く揺れた。

 

「――ぶっ!?」

「? どうかしましたか織斑君?」

「い、いえっ!! 何でも無いですっ!!」

 

 大きく目を見開いて、凝視してしまいそうになるのをどうにか堪える。

 まばらとは言えまだ周囲には女生徒達の目もあるし、入寮初日から助平の烙印を押されてはたまったものでは無い。

 

 放課後になって教師としての職務から離れたせいか、今の真耶には授業中のようなおどおどした態度は無い。

 それ自体は喜ばしい――だが、男性に免疫が無いのか、それとも自分を弟か何かみたいに思っているのか……色々と隙があり過ぎる。

 思春期の男子としては、嬉しいやら恥ずかしいやら……心の底から『いい人』であるから、余計に性質が悪かった。

 

「……あれ? そう言えば、俺の部屋ってまだ仮の部屋だったと思うんですけど……この番号って正式な生徒の部屋用ですよね?」

 

 軽く頭を振って煩悩を追い出して頭が冷静になると、今度はこのカードキーに書かれた番号に関する疑問が浮かび上がってくる。

 確か事前の説明によれば、一夏の入学は特例中の特例のため、特別に男性職員のフロアにセキュリティ等を強化した専用の部屋を用意し、その準備が整うまでは管理人などが寝泊まりする部屋を一時的に借りる――という予定だった筈だ。

 しかし、刻印されている番号の部屋は管理棟からは大きく離れた一般生徒用のフロアのもの……これはどういう事なのか?

 

「えっと、それはですね……」

「――それは私から説明してやる」

 

 その疑問に真耶が答える前に、今度は後ろから声が掛けられる。

 後ろを振り向くと、そこには千冬の姿があった。

 

「……って、千冬姉なんでここ――にっ!?」

「織斑先生、だ、馬鹿者め」

 

 驚いた一夏が思わずいつもの調子で彼女の事を呼んだ瞬間、間髪入れずに手にしたバインダーの角が頭に叩き込まれる。

 多少の武道の心得のある一夏であったが、全く反応すら出来なかった……つくづく、恐ろしい腕前だ。

 

「えー……っと、な、何でここにちふ……織斑先生が? それと、何で俺の部屋が一般生徒用なんだ……でしょうか?」

 

 あまりの痛みに暫し悶絶してから、涙目のまま叩かれた場所を撫でながら、出そうになる地をどうにか抑えて再び疑問を口にする一夏。

 喋り方が少し気に入らないのか、眉根が寄ったままであったが、千冬は一夏の言葉に頷くと説明を始めた。

 

「まず一つ目の答えとしては、私はここの寮長だ。何か疑問や質問があれば私に言え――大概の事は教えてやれるだろう。

……ただし、お前が何か問題や不埒な行動を取ったらすぐに分かるという事でもあるから覚悟しておけよ?

ただでさえお前以外の生徒は全て女性だからな……くれぐれも軽率な行動はしてくれるな?」

「は、はい……」

 

 正直一夏としては「しねーよ!!」と叫びたい所だったが、千冬の鋭い眼光と威圧感に押され、頷くことがやっとだった。

 千冬はその殊勝な態度に満足したのか微笑みながら頷くと、今度は2つ目の質問への答えを返す。

 

「そして2つ目……お前が一般生徒と同じエリアで住む事になった理由は、IS学園とIS委員会を初めとしたアラスカ条約を締結している各国との『高度な政治的取引』とやらの代償だ」

「え……?」

 

 高度な政治取引という言葉と、自分が女生徒だらけの一般生徒エリアで暮らす事の2つがどうしても結びつかず、思わず間の抜けた返事と顔をしてしまう。

 

「何でも、お前を今後出るかも分からん男性操縦者の、『大多数を占める学園女生徒との共存』におけるモデルケースのサンプル収集のためのやむを得ない措置だそうだ……表向きはな」

 

 そう言う千冬は口の端はここにはいない誰かを小馬鹿にするように吊り上げ、ふん、と鼻を鳴らす。

 一夏はその動作に見覚えがあった……表では実家にいる時の『地』が出せない彼女が、腹を抱えて笑いたいのをこらえる時の動作だと。

 

「表向きって事は……『裏』は?」

「女の武器を使ってお前を籠絡して自分の陣営に引きずり込みたい奴等はゴマンといる、という事さ。

……引き込めないまでも、遺伝子情報やら何やら、隙あらばお前から一つでも多くを搾り取りたいんだろうな――文字通りの意味で」

「なっ……え……? はあああああああああああっ!?」

 

 姉の口から飛び出したあまりにもあまりな内容に、一夏は自分がいる場所も忘れて絶叫した。

 真耶が顔を茹でダコのように真っ赤に変え、周囲にいた女生徒達が驚いたようにこちらを振り向くが、今の彼にはそんなものを気にしてる余裕など全く無かった。

 だが、それ故に再び一夏の頭は千冬によるバインダーの一撃の洗礼を受ける羽目になった。

 

「――場所を弁えろ、喧しい」

「そ、そんな事言っても……い、いいいい遺伝子とか、し、搾り取るとか……!?」

 

 思春期真っ盛りの一夏としては、思わず色々と妄想してもし切れない言葉の連続に、顔を真赤にしながら口を金魚のようにパクパクさせる事しか出来ない。

 見れば、隣に立っている真耶もまた、顔を真赤にして俯いてしまっている……どう考えても往来で口走って良い類の表現では無かった。

 

「何だカマトトぶった小娘ではあるまいし――お前も健全な男子ならば、そういったモノに関しては鍛えられているだろうに」

「ん、んな事言っても……」

 

 『とある事情』から、色恋といったものにあまり近づかなかった一夏と言えども、弾からそういった本の一冊や二冊分けて貰った事もある――一度蘭に見つかり思いっきり辞書でぶん殴られるわ、そんなものを蘭に見せやがってと厳に叩きのめされるわロクな思い出が無い――が、千冬の直接的過ぎる表現には赤面するしか無かった。

 しかし、次に千冬の放った言葉に、一夏の頭はすっと冷える。

 

「まぁ、幸運な事にお前をわざわざ隔離しなくても大丈夫な程のセキュリティは確保出来たし、下手に隠して無駄に興味を持たれるより、敢えて姿を晒してしまおうと考えたのさ……お前も、もう妙な監視の付いた部屋や日常など御免だろう……一夏」

「――千冬姉……」

 

 

 

 心底、ずるいと思った。

 

 

 

……この姉はいつもこうなのだ――公共の場ではガチガチの堅物の癖に、時折こうして一夏やごく一部の人間しか知らない『普段』の彼女の顔を少しだけ見せて、こちらをからかって来て……最後には、こうして心からこちらを気遣ってくれる。

 思わず、顔が綻んでしまう――きっと今の自分の表情は、嬉しさで緩みきっているだろう。

 

「――やっと、笑ってくれたな。その顔は、いつものお前の顔だ」

「え……?」

「ここに来て以来……いや、『あの時』からお前の心からの笑顔など殆ど見ていなかったからな。

……それを奪ってしまった私が言うのも可笑しい話ではあるが、少し、安心した」

「あ……ご、ごめん千冬姉……俺……」

 

 続く姉の言葉に、一夏は目を逸らすように顔を伏せる事しか出来なかった。

 誘拐された自分を助けるために、白刃を血に染めた姉――それなのに、自分は彼女がどんな思いで自らの手を汚したのかを理解しようともしないで、勝手に身構え、避けてしまっていた。

 確かに考えてみれば、あのように自然な表情で笑ったのは何年ぶりだろう……増して、千冬が家に帰って来た時に、あんな表情で話をしたのはそれこそ数える程しか無い。

 

 

 

――それがどれだけ姉の心を傷つけた事か、想像に難くない。

 

 

 

「いや……いいんだ。お前が気に病む事は無い――あれは、私自身の過ちだ。お前が責任を感じる事など無い」

 

 しかし、千冬は一夏の言葉に頭を振ると、優しく肩に手を置いてきた。 

 

IS学園(ここ)では私は一人の教師である以上、お前を弟として肩入れする事は出来ん。

だが、同時にお前は私のクラスの、そしてこの学園の生徒でもある――教師として、決してお前に寂しい思いなどさせない事を約束する……必ずだ」

「うん……ありがとう、千冬ね……いや、ありがとうございます、『織斑先生』」

 

 その言葉に、一夏は織斑 千冬の弟としてでは無く、IS学園教師である彼女の生徒として頷く。

 この学園にいる間、表向きだけでもそのように振る舞うのが、自分が出来る唯一のケジメだと思ったからだ。

 その一夏の決意を感じ取ったのか、千冬もそれを微笑む事で答え、身を離すと同時に顔を上げた彼女の顔は、厳しい『教師』の顔へと変わっていた。

 

「――では織斑、私はこの後は所用で暫く寮を空けるから、後の細かな点に関しては山田先生に伝えておくように。

それと、『同居人』にも可能な限り早めに挨拶を済ませておくようにな」

「同居人?……ってまさか――」

 

 千冬の言葉に、一夏は首を傾げかけ……そこではた、と気付く。

 一般生徒用の部屋である以上、一夏以外の生徒は全員が女性の筈である――つまりはそういう事だ。

そんな当然の認識に、ようやく気付いたかと言わんばかりの悪戯めいた笑みを浮かべると、千冬は容赦無く残酷な事実を突きつけた。

 

「――お前の想像に任せるさ。

まぁ、『あいつ』が一緒なら、間違いを起こした所でお前が叩きのめされるのがオチだし……万が一の事があったとしても、くれてやるには十分な逸材な上に、お偉方も一応の納得はしてくれるだろうからな。

……もしそうなったら、せいぜい挙式の日取りぐらいは教えてくれよ?」

「ちょ……ちょっと待――――っ!?」

 

 しかし、千冬はそんな一夏の静止の声を無視して玄関ホールから姿を消した。

 情けない表情のまま固まる彼の顔を、真耶は申し訳無さそうに覗き込むと、引き攣ったように笑った。

 

「あ、あの……と、取り敢えず元気出して下さいね……?」

「はい……」

 

 そう呟くと、一夏はここに来る間よりも更に思い足取りでその場を後にした。

――当初あれだけ気に入っていたこの寮の暖かな雰囲気が、急に恨めしく思える。

 エレベーターに乗り込み、独特の浮遊感に身を委ねながら、一夏はふと千冬の言葉を思い出した。

 

「所用って……何処行くんだろ……?」

 

 しかし、それを知った所でこれから起こるであろう事態が好転する訳も無し、詮無き事だと溜息と共にその疑問を吐き出したのだった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

――放課後 IS学園第二アリーナ

 

 

 

 一夏が突如身に降り掛かった不幸に嘆いているその頃、ディンゴは楯無との訓練のため、第二アリーナの地下へと向かっていた。

 

『――ディンゴ、先程織斑 千冬から連絡がありました。今、用事を終えて寮から出た……だそうです』

「ご苦労さん――さて、と」

 

 エイダの報告に労いの一言を告げると、ディンゴは職員用のカードキーを使って通用口のロックを解除する。

 普段ならば許可を得た生徒達が自主練習をするため遅くまで出入りしているのだが、入学式当日という事もあって、今の所は使用者はいないようだ。

 アリーナの中はISに関わる機器や情報を扱うモノや場所も多く、職員用のフロアは驚くほどに入り組んでいる。

 最初こそ迷いそうになった事もあったが、もう慣れたもの――ディンゴは足を止める事無く目的の扉まで歩いて行った。

 

 

――通路の終着点には、明らかにセキュリティレベルが違うと分かる程の厳重なロックのかかった扉があった。 

 

 

 この先には、最新のISやその兵装のテストに使用されるエリア――つまりは、この世界における最重要機密を扱う場所だ。

 ちなみにこの扉の奥にも、指紋や静脈パターン、虹彩等の様々な認証が必要な扉が無数に存在している。

 ディンゴがISを扱えるという事実が一般に知らされていない以上、ただ普通に訓練をするだけでもこうした仰々しい扉を潜らなければならないのだ。

 

「……ったく、相変わらず面倒くさいもんだぜ」

『私達の存在が秘匿されている以上、仕方ない措置です。もう何度も説明している筈ですが?』

「分かってるよ――人間様特有の愚痴って奴さ。気にするな」

 

 そう言ってまず最初の扉にパスコードを打ち込み、通用口のものとは別の特別製のカードキーをリーダーに通そうとした時――ディンゴの手がぴたり、と止まった。

 

 

 

「……で、何時まで付いてくるつもりだ?」

 

 

 

 後ろを振り向く事無く、声だけを背後に投げかける。

 

「――あちゃ~、やっぱりバレちゃってたか~。しっぱいしっぱい~。

こんばんは~ディンゴせんせ~」

 

 すると、間延びした甘ったるい声と共に、ほわほわとした雰囲気を持つ垂れ目の少女が姿を現す。

 それだけでもこの機密エリアの入り口という場所には似つかわしく無いというのに、彼女の服装は更に常識はずれなものだった。

 

「…………随分と、個性的な服だな」

「あ~、分かるかな~♪ ここに来てから本邦初公開のキツネさんだよ~」

「………………そうかい」

 

 デフォルメされた動物――少女が言うにはどうやらキツネらしい――を模した、上下が一体化したセーター……所謂着包みという奴だ。

 更に律儀な事に、フードには獣耳らしき突起が付いており、腹の部分はピンク色、尻の部分には尻尾が揺れている。

 それをひと目見た瞬間、ディンゴは確信した――面倒くさい奴だ……しかも、死ぬほど。

 しかし、油断は出来ない――ここに来るまでの間、彼女はディンゴですらエイダの警告も合わせてようやく気付けた程に気配を殺していた……並の人間には出来る事では無い。

 

 ディンゴは少女の一挙手一投足に目を配りつつ、表面上はあくまで平静を装いながら少女に向かってヒラヒラと手を振る。

 

「誰か知らねぇが帰りな――ここから先は一般生徒は立ち入り禁止だ」

「知らないって……あ~、酷~い。自分のクラスの子の事も覚えてないの~?」

「自分の……?」

 

 まるで犬を追い払うかのような手つきをするディンゴに、少女は頬を膨らませながら、抗議するように長い袖付きの腕をバタバタと振った。

 その言葉に眉根を寄せる――そして、暫し記憶の中を掘り返すと、ようやく合点が行ったように声を上げた。

 

「――お前、確か布仏……布仏 本音、だったか?」

「そ~だよ~、改めてよろしくね~」

「ん? 布仏……ノホトケ……NOHOTOKE……お前、虚の妹か?」

「あれ~、お姉ちゃんから聞いて無かったの~? お姉ちゃんったら酷い~」

 

 ディンゴの言葉を聞いて、少女――本音は更に頬を膨らませる。

 その様子はまるでエサを溜め込んだ小動物の如くだ。

 

「悪いな――こちとら漢字やら何やらにはあまり馴染みが無いもんでね」

 

 苗字が一緒だと言うのに、今の今まで気づけ無かったのは間抜けな話ではあるが、日本語にあまり馴染みの無いディンゴにとっては、すぐに関連付ける事が出来なかったのも無理は無い。

 そもそも出席簿や公的な書類に書かれている文字は基本的に漢字――旧バフラム時代に部下とのコミュニケーションや暗号解読のために学んだおかげで、日常会話やある程度の読み書きは出来るが、それら一つ一つを全て把握出来ている訳では無いのだ。

 

 

 それはさておき、彼女が虚の関係者である事が分かった事で警戒を解くディンゴだったが、彼女が自分について全ての事情を知っているとは限らない。

……ここに来るまでの間、ディンゴに簡単に気配を悟られなかった事を考えると――見た目や言動はともかく――『表』の人間ではあり得ないが、万が一という事もある。

 

「布仏の――虚の妹なんだったら、ニード・トゥ・ノウの原則ぐらい知ってるだろ?

俺はつまりはそういう立場の人間だ。詮索は抜きで頼むぜ?」

「え~……でも~……」

「じゃあな、帰ってクラスメイトとでも遊んでな」

 

 言うが速く、ディンゴは手に持ったカードキーを見せつけるようにリーダーへ通すと、後ろから聞こえる不満気な声を断ち切るかのように素早く扉を開け、閉める。

 エアロック式の扉の重々しい音と共に、少女の声は聞こえなくなった。

 

「……しかし、お姫サマの……楯無の関係者ってのは誰も彼も『ああ』なのか?」

『私も理解に苦しみます』

 

 今日一日で何度目かも分からない深い溜息と共に吐出された愚痴に、エイダが同意する。

 

「……出来れば、なるべくお付き合いはしたくはねぇな」

 

 

 

……そう呟きながら、蛍光灯で照らされた通路を進むディンゴだったが、その願いが打ち砕かれるのはその僅か数分後の事だった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 二重三重のセキュリティ付きの扉を乗り越えると、まるでアリーナの地上部分がそのまま現れたのでは無いかと錯覚する程に広大な空間が現れる。

 辺りには必要最低限の明かりしか灯っていないが、奥に鎮座したものから発せられるメタトロン光によって、周囲は淡く照らされていた。

 

「相変わらず壊れちゃいるが……見た目は大分マシにはなってきたな」

『はい、修復率は現在9.35%――残存外装の修復を進めている段階です』

 

 その正体は、全身のあちこちにケーブルを繋いだジェフティ――機体を構成するメタトロンが、電力供給を受けて自己再生する度に、光を発しているのだ。

 

 修復の進みは遅々とはしているものの、想定の範囲内だ。

 そもそもジェフティクラスの性能を持つOFを電力のみで完全修復するには、広大な都市規模の巨大な宇宙ステーション――それも、ディンゴの時代の技術レベルのもの――を停電に追い込むレベルの電力が必要な事を考えると、これでもお釣りが来るレベルで順調と言えた。

 

「あら、ちょっと遅かったわねセンセ♪ 何か手間取ってた事でもあったの?」

 

 ジェフティの修復状況を見て満足気に頷いていると、そんな声と共に数十メートルほどの高さの天井に備え付けられた照明が一斉に点灯する。

 その声の主――楯無がIS操縦者用の待機スペースから、ミステリアス・レイディを纏って降り立ち、奥から傍らに寄り添うように現れた虚が丁寧にお辞儀をした。

 

「いや、ちょっとしたトラブルだ――虚の妹とやらが、入り口まで付いてきてたもんでな」

「……本音が? 全く、あの子ったら後をつけ回すような真似はしちゃ駄目って言ったのに……申し訳ありませんイーグリット先生」

 

 普段は礼儀と慎ましさをこり固め、時には機械的な無機質さすら感じさせるあの虚が、物憂げに、そして何処か微笑ましげに呟き、頭を下げた。

 それを見ると、彼女もまた肉親を愛する『人間』なのだと思える。

 

「気にすんな――最初こそ面食らったが、こっちの情報は漏らしちゃいないし入り口でお帰り願ったから安心しろ。

これ以上、お前らの負担を増やすつもりはねぇさ」

 

 ひらひらと手を振りながら答えるディンゴだったが、楯無と虚は互いに顔を見合わせると、虚は申し訳無さそうに、楯無は全力で笑いを堪えているかのような表情でこちらを見つめてきた。

 

「……何だよ?」

「いやいやセンセ? 負担かけるも何も……ねぇ……」

「――申し訳無いのですがイーグリット先生……その――」

 

 虚が言い難そうに口を開くのと、背後のロックが解除され、扉が開放されたのは殆ど同時だった。

 

 

 

「――開けゴマ~♪ やっほー、ディンゴせんせ~にお嬢様にお姉ちゃん~」

「――思い切り関係者なんです……その子」

 

 

 

 そこにいたのは、つい先程嫌でも印象に残る間延びした甘ったるい声と、動物の着包みを身につけた少女――本音。

 それを見た瞬間、ディンゴは全てを悟った……どうやら俺は、こっちでは基本的にロクな目に合わないらしい、と。

 

「あ~~!! さっきは酷いよディンゴせんせ~。私の話を聞く前にさっさと扉潜っちゃうんだもん~」

「…………そりゃ悪かったよ」

 

 最早反論する気力も無く、がくり、と力が抜けたように頭を下げる事しか出来ない。

 こめかみを揉み解しながら、ディンゴは最後の抵抗にと楯無と虚に向かって問い掛ける。

 

「……こいつがここにいる理由、一応聞いてもいいか?」

「単刀直入に言っちゃえば、色々な秘密を持つ貴方と、好奇心旺盛な女の子達との緩衝材――兼、『こちら側』におけるIS関連のサポート役ね」

「1つ目は分かるが……2つ目は納得出来る説明はして貰えるんだよな?」

 

 生徒達との緩衝材という点では、ディンゴも納得出来る。

 思い返せば、授業中や休み時間において、彼女は初対面であるクラスメイト達との間に、そのキャラクターとほんわかとした雰囲気で以て円滑にコミュニケーションを取り、既にいくつかのコミュニティの構築を果たしていた。

 色々な意味で目立つ彼女の言動と行動は『裏』としてはどうなのかと疑問に思うが、ニード・トゥ・ノウの原則を良く理解していないものが大半である彼女達とディンゴの間に立つ人物としては最適と言える。

 

 しかし、1つ目に対して2つ目の理由に関しては、唐突で不可解としか言いようが無い。

 ISは操作に関してはその気になれば子供でも扱える程度に簡素化されているものの、その殆どが最新鋭技術の塊だ。

 特に、コアに関しては未だに解明が全く進んでいないブラックボックス――それを研究するには莫大な知識と技術が必要となる。

 いくら『裏』として様々な知識やスキルを身に付けているとは言え、高校に上がったばかりの少女には少々荷が勝ちすぎるのでは無いだろうか?

 

「だーいじょうぶよセンセ♪ こう見えてもこの子ったら凄い優しゅ――「――楯無」……っ」

 

 ディンゴの言葉に軽い口調で答えようとした楯無だったが、それを遮るように口を開いたディンゴの真剣な口調に、思わず口を閉ざした。

 

「ISを……メタトロンを扱う以上――俺は、打鉄(コイツ)に命を預けるつもりでいる。

死ぬのなら、万に一つも、後悔や、恨み事も無くくたばりてぇ」

「…………」

「答えろ楯無――コイツは、俺の命を預けるに足りる奴なのか?」

 

 試験機や実験機と言われる機体を扱うテストパイロットは、常に命の危険に晒されている。

 量産機や正式採用機とは違い、安全性や機体の強度、精密さなどが確立されていない事が、その大きな要因の一つだ。

 ディンゴは旧バフラム時代、数多くの新型・試作型のLEVやOFのプロトタイプなど、数多くの機体のテストパイロットを経験していた。

 未熟な技術者や開発者、スタッフのミスが原因で機体と運命を共にした先任者や同僚、部下達を何度も見てきたし、ディンゴ自身も半死半生の有り様になったのは一度や二度では無い。

 

 

 

 テストパイロットにとって、機体とは命を預ける相棒であり、寝床であり、自らが眠る棺桶であり、死装束でもある。

 

 

 かといって――いや、だからこそ、未熟な小娘にいい加減な整備を任せるつもりは毛頭無かった。

 

「……ごめんなさい、ちょっとふざけすぎたわセン――ディンゴ」

 

 真剣なディンゴの言葉に、楯無はその表情を真剣なものに変えると、彼に向かって深々と頭を下げる。

 

「――勿論、本音は十分に優秀な整備技術を持っているわ。

腕前は、企業お抱えの技術者に匹敵するでしょうね……身内びいき抜きに、それは断言出来る」

 

 でも――と、その後に、目を瞑りながら彼女は続けた。

 

「……実力的には、言ってしまえば『その程度』――貴方が望んでいるような、最高峰のスタッフでは無いわ」

「だったら――」

「お願い、聞いて頂戴ディンゴ」

 

 ディンゴの拒絶の言葉を遮る言葉には、いつものこちらをからかったり、はぐらかすような調子は一切無い。

 そこに込められた『本当』の彼女の思いを感じ取り、ディンゴは黙ったままそれを聞く。

 

「――けれど、本音が持つ知識と技能は、全てがメタトロンが発見され、ISが開発されてから得たものなの。

謂わば、『メタトロン・ネイティブ』ね」

 

 21世紀初頭において、急速に発達したネットワーク技術――物心付いた頃から、革新的技術に触れた事で、それまでの常識や一般論に囚われない自由な発想によって、新たな技術を開発したり、特異な才能を発揮した『インターネット・ネイティブ』なる者達が現れた。

 どうやら、この本音という少女もまた、この時代における最新技術を『常識』として身につけ、育った者なのだという。

 

「貴方の持っている打鉄には、この時代の技術では全く想像の出来ない現象が起こっているわ。

それに対して『あり得ない』と思考停止した状態で接するか、『あり得る』と考え、自由な発想の元で接するか……どちらがより良い整備と解析が進むと思う?」

「――成程な」

 

 楯無の言い分は、ディンゴ達の時代における火星と地球におけるメタトロン――ひいてはOFに対する認識の差異とほぼ同じだった。

 数限りない豊富な資源と、潤沢な予算に裏打ちされた既存技術の結晶たるLEVを『常識』としていた地球側は、火星における戦局が決定的になりかけた頃になって、ようやくメタトロン技術を併用したアドバンスドLEVや、局地的な試作機の開発と運用に着手する事しか出来ず、払い下げられた貧弱なLEVと、数少ない資源と予算しか持たず、メタトロンの応用技術によって少しでも多くのちからを蓄えようとしてきた火星は、数千、数万とも言われるOFの大軍団を編成してみせたのだ。

 

 

……時に自由な発想とは、のちの歴史をも左右する程の力を生むのである。

 

 

 ディンゴの表情に、彼をある程度納得させられた事に満足気に頷くと、楯無は更に続けた。

 

「――ここまでが、貴方を納得させるための言葉。

……ここからは、完全な私の私情になるわ。聞いてくれる?」

「ああ」

 

 ディンゴは頷く――その表情は、今まで彼女が見せてきた学生としての彼女でも無く、『裏』の人間でも無い、歳相応の夢を語る少女のようだったからだ。

 

「……貴方から未来の世界の話を聞いた時、私すっごいワクワクしたわ。

私達が築く未来って、こんなにも凄い世界なんだ……って」

 

 

 

 

「でもね……同時に思ったのよ……ああ、その世界に『ISは無いんだな』って……」

 

 

 

 

 そう呟く楯無の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。

 それも当然だろう……彼女は、今までの人生の大半を、ISに費やしてきたのだから。

 

 ディンゴは何度も立ち会って来たからこそ分かる――彼女がどれだけ血を吐くような鍛錬と努力を重ね、操縦技術や知識を磨いて来たか。

 『裏』の世界で生きる事を運命づけられ、幼い頃から暗い世界を見続けてきた少女が、初めて知った光当たる華々しい世界の象徴……それがIS。

 きっと彼女は、この先もISと共に生き、歩んでいく事だろう。

 

 

 

――だが、ディンゴから聞いた未来の世界の話の中には、ISは存在すらしていなかった。

 

 

 

 それを聞いた瞬間の彼女の喪失感、無力感は如何程だっただろう……想像する事も出来ない。

 一瞬だけ項垂れた楯無だったが、すぐに気丈な表情で顔を上げ、ディンゴを真正面から見つめた。

 

「それでも、私は絶対に諦めるつもりなんて無い。未来にISが無いって言うのなら、そんな未来変えて見せる。

そのためには、どんな手段だって尽くすつもりよ……貴方の事も、いくらだって利用してやるわ。

……だからお願い、本音を使って頂戴」

 

 ディンゴを目の前にしてそう言い切るその瞳の光には、ディンゴは見覚えがあった。

 

 

 あれは――かつての自分の目だ。

 

 

 力を、自らの望みを叶えるためならば、全てを踏み台にしてでもそれを目指す、若さ故の何処までも愚直で、ひたむきな欲望の形。

 懐かしくて、思わず口が綻びそうになる。

 

「――身勝手な願いとは承知しています。ですが、これはお嬢様の、ひいてはそれに仕える私達布仏家の願いでもあるのです」

「私からもお願い~。私だって、お嬢様とお姉ちゃんを助けてあげたいんだ~」

 

 それに従うように、虚も本音も、ディンゴに向かって深々と頭を下げた。

 ディンゴは意地の悪い笑みを浮かべると、本音の顎に手を当てて顔を引き起こしながら囁く。

 

「……念の為聞いておくが、そこまで言うからには、俺の言う事は何でも聞いてくれるんだよな?」

「……え? え、え~~っと……」

「どうなんだ?」

 

 その言葉は、まるで内側から蕩けさせるような蠱惑的な怪しい響きを含んでいた。

 恐らくそんな言葉を掛けられたのは初めてなのだろう――本音は戸惑うしか出来ない。

 

「う、うん……な、何でもするよ~。あの、その……ぇ、えっちな、事……とか、も……」

「――え!? ちょ……待ちなさい本音っ!?」

 

 唐突な行為と言葉に、本音は目を白黒させてから、意を決したように、頬を少し赤らめながらもじもじと身を捩らせる。

 それを聞いた虚が顔を真赤に染めながら引きとめようとするが、いつものようなニヤニヤとした笑顔の楯無に止められる。

 

「――そんじゃあ、早速打鉄(コイツ)のセッティングを頼むぜ。

あのクソ生意気なお姫様に、今度こそ土をつけなきゃ気が済まねぇからな」

 

 そんな本音の単純な思考に苦笑してから、ディンゴは彼女の手に待機状態の打鉄を手渡した。

 一瞬呆気に取られてから、自分がからかわれたのだと気付いた本音は、キリキリと眉毛を吊り上げ、ぷくーっと音がしそうな程に頬を膨らませる。

 

「も、も~~っ!! でぃんでぃん先生の馬鹿~!! 花も恥じらう乙女をからかうなんて~!!」

「はいはい悪かったよ。まぁ、しっかりと頼むぜ?」

「も~~っ!!」

 

ぐるぐると腕を回しながら拳をポカポカと叩きつけてくる本音を軽くあしらいながら、ディンゴも準備を整えるためにロッカールームへと歩き出す。

 その背に、楯無は感謝の言葉をかけた。

 

「……ありがとう、ディンゴ」

「気にするな――一宿一飯の恩義だ。帰る目処が付くまで、許せる範囲で付き合ってやるよ」

 

 彼女の言葉にヒラヒラと手を振ると、ロッカールームへと続く扉の前でディンゴはにやり、と笑いながら振り向く。

 

「……ただし、模擬戦じゃ容赦しねぇがな」

「そういう強い言葉、私から一本取ってから言ってよねディンゴセンセ♪」

「抜かせ――今日こそ一泡吹いて貰うぜ?」

 

 そう笑い合う2人の間には、もう先程までの深刻な雰囲気など無く、いつも通りの笑みを浮かべていた。

 虚も、ようやくいつもの調子を取り戻した主の様子を見て安堵したのか、ディンゴに向かって再び頭を下げる。

 

「私からもお礼を言わせて下さい、イーグリット先生……妹を、宜しくお願いいたします」

「おう、使い潰すつもりでこき使うから、覚悟だけはしておけよ?」

「はい――あ、ですけど……」

「ん?」

 

 

 

 

「あの…………本音はその、まだ15歳なので……で、出来ればソフトなお付き合いを……」

「…………おい、ちょっと待て。何か勘違いしてねぇか?」

「む、無論『裏』たる者として『そういった事』が必要なのは分かりますけど……」

「おいだから待て!! 何でそうなるんだ!?」

「あの子は初めてですから、あまり激しいのは……あ、わ、私も初めてですけど……」

「待てって!!」

 

 男に免疫が無いのは、どうやら妹だけでは無くて姉もだったらしい。

 一人で妄想を爆発させる虚を宥めるが、一向に収まる気配は無い。

 

『――ちなみに先程、貴方が布仏 本音に言い寄った際の映像は記録済みです。

帰還を果たした場合、ケン・マリネリスに報告及び閲覧をさせますので覚悟しておいて下さい』

「エイダああああああっ!!」

 

――全く、何処までも締まらない。

 ディンゴは深々と溜息を吐く事しか出来なかった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

――三十分後、ディンゴの姿は再び地下アリーナの操縦者待機スペースにあった。

 着替えを終えたディンゴは、いつもの体にフィットする造形のランナースーツを身に纏っている。

 度重なる戦闘でボロボロになっていたが、千冬のツテで倉持技研によって修繕・改修され、IS専用のセッティングを施されていた。

 時代を考えれば当然ではあるが、ISスーツよりも遥かに高性能はそれは、ディンゴの思考をより速く、より鋭くISへと伝えてくれる。

 

「でぃんでぃん先生~、出来たよ~」

「おう、ご苦労さん――エイダ」

『了解、セッティングに合わせた再フィッティング及びコンディションチェックを行います』

 

 本音から受け取った打鉄を、エイダのサポートの元展開し、身に纏う。

 全身の各所をもう見慣れた鈍色の装甲が覆っていく――それらを一つ一つ確認しながら、試すように腕や足のパーツを動かしていく。

 

「……大分動作が軽くなってるな」

「――ん~っと、資料と身体データ、あと打鉄に記録されてたログを調べたら、徒手格闘も含めた近接戦闘が得意そうだったから、瞬発的な動作を重視したセッティングにしたよ~」

 

 それを聞き、今度はディンゴはIS刀をコールし、その場で2、3度振る――一度目はいつもと違う感覚に体が泳ぎそうになるが、二度目、三度目は以前よりも軽く、鋭い刀の振りに満足気に頷く。

 次に、敵の急所を狙った素振り、徒手格闘の動きも混ぜた一連の動作を繰り返す……若干の違和感もあるが、以前とのセッティングの誤差によるものだ――問題は無い。

 

「――良し、いいだろう。エイダ、微調整は任せるぜ」

『了解――再フィッティング開始……クリア』

 

 かり、こり、と引っ掻くような音と共に、場所によってはミクロン単位の微妙な調整が施されていく。

 本来ならば熟練の技術者でなければ不可能なその調整に、本音は目を丸くして見入る。

 

「ふわ~……すご~い」

「――関心してる場合か。この時に動いてる数値と、お前の設定値、微調整後の数値のログを取っておけ。

その上で常に俺のベストな設定と、許容範囲の設定を徹底的に頭に叩き込め。

……いずれは、コイツもお前に任せるからな」

「は、はいっ!! 分かったよ~」

 

 ディンゴの窘めに、本音は慌てたように携帯端末を取り出し、素早く微調整のログを一つ一つ確認していった。

 そして、微調整後に再び動作チェックを行う。

 

「――成程な、瞬発力と速度は上がっちゃいるが、継戦能力とトルク、シールドエネルギーは減っちまってるか。

確かに近接戦闘特化のセッティングだが、まだまだバランスは悪いな」

「う……ごめんなさ~い」

 

 その言葉を聞いてしおしおと萎れる本音の頭を、腕部から抜いた手でくしゃり、と撫でる。

 

「気にすんな――最初にしちゃ上出来だ。荒削りな部分は、これから勉強して磨いていきゃいい」

「う~……でもでも~、こんなんじゃお嬢様に勝てないよ~……」

 

 悔しそうに腕を握り締める本音――きっと、あれだけの事を聞かされた後で、気負ってしまっているのだろう。

 今度はディンゴは、撫でていた手で拳骨を作り、それで軽く彼女の頭を叩いた。

 

「あいた~っ!?」

「大馬鹿野郎、こいつが今のお前が考えた、最適のセッティングなんだろ?

……だったら俺は、それを信じて結果を出すまでさ――顔を上げて自信を持て」

「え……?」

 

 そもそも、テストパイロットというのはそういうものだ。

 メインテストパイロットならいざ知らず、急ごしらえの臨時パイロットなど酷いものだ――それが正しいのか、大丈夫なのかすらも分からないまま、いきなり用意されたセッティングの機体を用意され、操縦させられる。

 自らの経験から調整しようとしても、そのような時間はテスト開始数十分前という事も珍しく無く、大まかなものしかする事が出来ない。

 

 

 

――結果、彼らは与えられたセッティングを信じて動く事しか選択肢が無い。

 

 

 

 そもそもテスト中に如何なるトラブルが発生したとしても、すぐさまそれに対応出来なければどちらにせよ実戦ですぐ死ぬだけだ。

 倫理的には間違っていても、人も、時間も、予算や資源も少なかった火星では、それが当たり前だったのだ。

 

 

 

――それに、今回はあくまで模擬戦。多少は痛いが、命の危険など殆ど無い遊びのようなもの。

 

 

 

 ならば、この程度の不自由さすらも楽しんでやらせて貰う。

 

 

 

 そんなディンゴの覚悟と、己に寄せられる信頼に、本音は力強く頷いた。

 

「わ、分かったよ~でぃんでぃん先生~」

「良し――なら、言う事があるのは分かるな」

「うん~っ!! 行ってらっしゃいでぃんでぃん先生~。絶対勝ってね~」

「おう」

 

 この世界に来てから初めての、自分を見送る目と声援――相変わらず、悪くない。

 

『――体温と脈拍上昇……若干興奮状態にあるようです。精神安定剤を注入しますか?」

『いや……このままでいい』

 

 秘匿回線(プライベート・チャンネル)でエイダが呼びかけてくるが、やんわりと拒否する。

 暫くは、この仲間と共に戦えるこの高揚に身を委ねたい。

 

 

……気恥ずかしいので、決して口には出さないが。

 

 

 それを察してくれたのか、エイダはもうそれ以上何も言わなかった。

 

『ジェフティとの同調完了――パーティ、コネクテッド……行けます』

「おう――ディンゴ・イーグリット……打鉄、出るっ!!」

 

 

 この世界で得た新たな仲間に見送られながら、ディンゴはアリーナへと飛び出していった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――

 

 

 アリーナへと降り立つと、そこには既にミステリアス・レイディを纏った楯無が待ち構えていた。

 手には既に『蒼流旋』を携えており、準備は万端のようだ。

 

「随分遅かったじゃない。待ちくたびれたわよセンセ♪」

「悪いな――『ウチの』整備員がセッティングに手間取ってよ」

「あらそう……で、どうかしら? 未来のエースパイロット様のお眼鏡には適いそう?」

「――悪くはねぇな。あの調子なら、すぐにそこらの木っ端共なんざ問題にならないぐらいにはなるぜ」

 

 楯無の問いに、ディンゴはおどけながら、しかし自らの素直な感想を口にする。

 それに安心したのか、嬉しかったのか、彼女はくすり、と小さく笑うと、ディンゴに向かって頭を下げた。

 

「……改めてありがとう、あの子を宜しくね」

「変な意味じゃ無けりゃ大歓迎だ――さて……」

 

 

 

 

――次の瞬間、アリーナ中の空気が凍りついたのかと錯覚するほどに、凄まじい殺気が迸る。

 

 

 

 

「じゃあ……やるとするか」

「ええ……楽しませて頂戴ね」

 

 

 

 

 そんな挨拶の言葉を置き去りにしながら、両者は一気に間合いを詰める。

 

 

 

 

――アリーナの中央で、衝撃波を伴いながら、水を纏ったランスと武骨な長刀が轟音を立てて打ち合わされた。

 

 

 

 




相変わらず進みの遅い自分の構成の下手くそさが恥ずかしい……。
次回は久々のバトル回の予定です。

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