IS×Z.O.E ANUBIS 学園に舞い降りた狼(ディンゴ)   作:夜芝生

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本編開始前の閑話的エピソードとなります。

まずは、IS主人公勢の中でのメインヒロイン枠である箒のエピソードをお送りします。
この時点で色々と設定やら性格やらを若干いじっていたりするので、そこら辺はご容赦下さい……(汗


Episode.EX2 Side.箒 始まりの一歩、決意の一歩

 

 

――冬の寒さも大分和らぎ、桜の花が咲き始めた三月の下旬になると、IS学園はやにわに騒がしくなり始める。

 

 

 

 下手な国立大学よりも高いとされる倍率を誇る厳しい入学試験と、厳密なISの適性検査をパスした世界中の少女達が、学園内の各所に設けられた寮へと居を移すために次々と集まって来るのだ。

 

 IS学園は全寮制――広大な人工島の上に作られた寄る辺で同年代の者達と交流を深めながら、少女達はISに関する知識と技能、操縦技術や、それらに必要とされる様々なカリキュラムを受ける。

 そして、国際的に活躍するIS操縦者に相応しい人間になれるよう一般教養を学んでいく。

 これはどのような人種、地位、立場の人間であっても変わらない、この学園にとっての大原則だ。

 

 

 そのため、一言で『集まる』とは言っても、その規模は非常に大きく、尚且つ複雑だ。

 

 

 何せその内容は、戦いというものを全く知らずに生きてきたごく普通の少女もいれば、IS学園に入学するために厳しい訓練を重ねて来た者、果ては正式に軍や研究機関に所属していた者など様々だ。

 人種・国家は勿論、言語や価値観、宗教観までもが違う彼女達を受け入れるというのは容易な事では無い。

 その上、彼女達の家族や友人、それらを支援する者達や後援者(パトロン)出資企業(スポンサー)などは勿論、彼らを支援する学園側のスタッフ、山のような数もあるアラスカ条約に基づく条項を確認する法律関係の人間、保険の代理人や、彼ら相手に商売をする商店や露天の店員‥‥数え切れない人間達も同時に行き来するため、生徒達の受け入れを行う数日間の間は、まるで戦場のような混乱の様相を呈する事で知られていた。

 

 

 しかし、その中にも例外はある――それは国家代表候補生と呼ばれる立場の人間や、各国政府やIS開発に関わる企業に大きく関わる者達だ。

 彼女達はその誰もがAランク以上の高い適正を持ち、将来的に500機にも満たないISの内の一つを手にする事すら約束されている者もいる、文字通り正真正銘のエリート達。

 そんな彼女達は、一般の生徒とは別枠でこの学園を訪れ、一足先に入寮するのだ。

 

 

 

――そのような特別扱いをする理由は多々あるが……やはり彼女達の身の安全を図る為、というものが大きい。

 

 

 

 アラスカ条約の建前上、ISは軍事転用を禁止されている事になってはいるが、各国の機関でそれらの開発に最も多く関わっているのは『軍』である。

 何故ならば、PICやSSA、ハイパーセンサーや絶対防御など……ISに関わる技術は、軍事に応用する事が出来れば、国家にとって凄まじい力をもたらす代物であるからだ。

 

 そして、ISは学園はその特性上、『新機軸のIS技術の試行を許可し、それらのデータ提出は義務では無く自主性による』というルールが存在し、アラスカ条約にある『ISに関わる技術は全て公開しなければならない』という原則に抵触する事無く実戦データを集める事が出来る為、各国は様々な実験段階の武装やIS――所謂第三世代機体・兵装と呼ばれるものを次々と送り出していた。

 

 彼らにとって、ISとは軍事機密の塊と言っても良く、それを操るための高い才能を持つ者を保護するのは当然の事と言えた。

 

 もう一つ理由があるとすれば、それはISやその関連兵器の開発そのものが国家の威信に関わる事も挙げられる。

 ISを使った対戦形式の様々な競技はその華やかさと派手さから、開発されて間もない時期から老若男女問わず絶大な人気を誇っており、まだ二回しか行われていないとは言え、ISを使った世界大会であるモンド・グロッソは各国の新技術の粋を集めた国際的一大イベントの一つとして確立しており、今や国家の名誉や威信を賭けるべき『代理戦争』とも言えるものになっていた。

 

 そのため、国際舞台の舞台裏では様々な思惑や策謀が蠢き、時には直接ヒトやモノが害される、などという事も珍しくは無い。

 その上、ISとそれらを運用していく上でのルールを示したアラスカ条約も、生まれてからまだ僅か十年しか経っておらず、まだまだ穴だらけと言っても良い存在だ――その穴をすり抜けようとする輩は、世界中には五万といる。

 

 ただでさえISに高い適性を持つ者は、各国が血眼になって探し求めている者達であるが故に、IS学園の彼女たちに対する扱いはかなりデリケートだった。

 何せ彼女達が万が一心象を悪くしてしまえば、下手をすれば国際問題になりかねない――教師たちの中には、ISに関わらない部分にまでえこひいきとも言える扱いをする者までいる程だ。

 

 

 

……彼らのそんな態度が彼女たちを必要以上に増長させ、世間一般で言う女尊男卑の風潮を助長する一因となってしまっているのは、皮肉ではあるが。

 

 

 

 だが、この年――高い適正ランクを持つ者達が揃う筈の寮の中に、一人だけ例外が存在した。

 彼女のランクは『C』……ISを辛うじて戦闘機動で動かせるというレベルであり、IS学園入学の絶対条件に辛うじて引っかかる、といったものでしか無い。

 もし何の事情も知らない者が見れば、今のこの時期に寮にいるのは何かの間違いなのでは無いかと疑う事だろう。

 

 

――しかし、ある意味彼女の存在は、下手をしたら世界の今後を左右しかねないものであった。

 

 

 何故なら彼女の持つ性は『篠ノ之』……あの『天災』、篠ノ之 束の唯一の血を分けた妹にして、彼女が認識出来る数少ない『人間』の一人。

 もし彼女に何かあったならば、あの天災はきっと世界の全てを敵に回してでも、彼女を守り、彼女を害するモノ全てを排除する事だろう。

 しかし、同時に彼女は束の弱点にも成り得る存在でもあるため、日本政府は彼女をほぼ拘束に近い形で保護した――彼女が害され、天災の逆鱗に触れないように、そして、何かが起こった時にアドバンテージを得るための人質として。

 

 

――当時まだ幼かった少女は、物心ついて間もない頃から、政府の重要人物保護プログラムという目には見えぬ檻の中で過ごす事を余儀なくされたのだ。

 その上、10歳になる頃には、生まれ育った家と、幼馴染とも強引に離れ離れにさせられてしまった。

 

 

 そんな少女は、軟禁状態のまま中学の卒業を迎えたAD.2076年――日本政府から半ば強制的にIS学園へと入学させられる事となる。

 理由はただ一つ――彼女が篠ノ之 束の妹だから。

 少女は明確な自我を持ち始めた年齢になっても尚、自らの持つ『血』の束縛から逃れられずにいた。

 

 彼女の名は、箒……篠ノ之 箒という。

 

 これは、そんな彼女が自由を取り戻す第一歩を踏み出す始まりの1ページである。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――AD.2076 3月下旬 IS学園中央校舎受付ロビー

 

 

 

『――ID認証、完了しました。係の者が参りますので、暫くその場でお待ち下さい』

 

 政府の人間から手渡されたIDカードをリーダーに通すと、箒はスピーカーから聞こえるアナウンスを背に受けながら、軽く伸びをした。

 

「ふぅ……ようやくか。文明の利器も、ここまで数があれば時間もかかるものだな」

 

 本国とを繋ぐヘリポートを降りてから数時間、様々な探知機や身体検査、指紋や虹彩の認証などの数々の審査を終え、ようやく彼女はIS学園の管轄となる敷地内へと足を踏み入れていた。

 正直、以前の住居からここまで車を幾度も乗り換え、あまり快適とは言い難いヘリのシートに揺られ続けていた彼女の疲労は、ピークとも言って良い程に溜まっていた。

 

 

 

――しかし、何故だろう? 今日はそんな疲労が、何処か嬉しいように思える。

 

 

 

 それはやはり、いつもはあちこちからこちらを伺うように監視している人影が、一つも無いせいだろう。

 何故ならここはIS学園――どのような国家や機関の力も及ばぬ場所。

 それは影に日向に自らに付き纏っていた者達からの解放を意味していた。

 

(……あぁ、ようやく自由になれたのだな、私は)

 

 そう実感した瞬間、思わず視界がぼやけるように滲む。

 しかし、箒はそれが目尻から零れ落ちそうになるのを、慌てて袖口で拭った。

 

 

 

――いかん、いちいちこんな事で泣いていてどうする。

 

 

 

 自由を奪われ、両親や家族、大好きだった幼馴染と離れ離れにされてから誓ったではないか。

 二度と、あんな悲しい思いをせずとも済むように、誰よりも強くあらねばと。

 そう決意を新たにしつつ、箒は担いでいた竹刀袋を胸元に掻き抱くように握り締めた。

 

 

 それは、何の自由も無く過ごしてきた彼女が、そんな生活の中で唯一思い入れを持つ物――荷物は全て郵送で済ませるようにと言われていたが、どうしても、と我を押し通して持ちだしたものだ。

 

 

 

――彼女にとって、剣道……いや、武道は切っても切れないものだった。

 

 

 

 彼女の実家である篠ノ之神社は、決して大きくは無いものの、本気で武道を志す者にはそれなりに名の知られた古武術の道場だった。

 そこでの厳しくも優しい師範であった父、唯一顔を思い出せる幼馴染の少年とその姉との稽古の日々は、箒にとって今でもつぶさに思い返す事が出来る程に大切な思い出だ。

 

 そして、そんな大切な日々と強引に引き離され、第三者との接触を制限され、クラスメイトとすらマトモに交流出来ない鬱屈とした生活を送っていた彼女を救ってくれたのもまた、剣道だった。

 

 道場の中で一心不乱に剣を振るうことで、箒は纏わり付く監視と周囲からの好奇の目を意識から外し、己の世界に没頭する事で、幼い頃の涼やかな気持ちを少しでも取り戻す事が出来たような気がして、彼女はひたすら剣道に没頭した。

 歳相応の少女にならばあって当然の娯楽や趣味の時間の代わりに、全てを費やした彼女の剣は、中学生にして達人とも呼べる腕前になり、要人保護プログラム下では異例である公式大会に出場――今思えば、コソコソと嗅ぎ回る者達への牽制とガス抜きの意味もあったのだろうが――し、全国優勝を飾る程になっていた。

 

 

――ただし、その原動力は幼い頃のように純粋では無く、日々の苛立ちと鬱憤を晴らすためという不純なものだった。

 それに気付いた時には、自己嫌悪に陥った事もある。

 しかし、恐らく剣が無ければ、彼女は何処かで壊れてしまっていただろう。

 幼馴染からプレゼントされたリボンと同様に、この竹刀は彼女にとっての心の支えの一つでもあった。

 

 

 そうして昂ぶりそうになった心が鎮まるのとほぼ同時に、箒の背後から声が掛けられる。

 

「――お待たせしました。貴方が特別枠入学の方ですね?」

 

 そこに立っていたのは、小柄な体躯で、鮮やかな緑色の髪と豊満な胸を持つ眼鏡をかけた女性教師。

 包み込まれそうだ――浮かべるにこやかな笑みも相まって、箒にそんな印象を抱かせるような女性だった。

 特にその胸は大人顔負けと言われる程のモノを持つ彼女をして、思わず唸る程に豊満だ。

 

 

……とは言っても正直こんなモノ、武道をやるには邪魔なだけなのだが……以前そんな事を中学時代の剣道部員達の前で零したら、血涙を流しかねない程の恨みがましい視線と共に、罵詈雑言を浴びせかけられた事を思い出し、思わずゲンナリしそうになった。

 

 

「……? あの、どうかしました?」

「あ、いや、な、何でもありません!!」

 

 その感情が表情に出てしまっていたのか、緑髪の教師が顔を覗きこんでくるのを、慌てて頭を振って平静を装うとするが、あたふたと無様な返答になってしまう。

 しかし、教師はそんな様子を違ったように捉えたのか、クスリと笑みを浮かべた。

 

「――長旅だったみたいですから、疲れてるのかもしれませんね。

もう少しでゴールですから、それまでもうちょっと頑張って下さいね?」

「……はい」

 

 優しい声で励ますように微笑む彼女に、箒は気恥ずかしさ半分嬉しさ半分で顔を赤らめながら頷いた。

 

「あ、そういえば自己紹介を忘れる所でしたね――私は山田 真耶と申します。

一年生の授業を担当する事になってますから、これから宜しくお願いしますね」

「はい、『東雲』 箒です。こちらこそ、宜しくお願い致します」

 

 教師の自己紹介に続けて箒も名乗るが、動揺が抜け切っていなかったのか、思わずいつも使っていた重要人物保護プログラム用の偽名を口走ってしまう。

 

「こら」

 

 だが、資料とは違うその名前に教師が怪訝な表情を浮かべるよりも早く、スパン!! という小気味よい音と共に箒の後頭部に衝撃が走る。

 

「な……!?」

 

 突然の出来事と、何時の間にか背後を取られていた二重の驚きで、飛び退るように慌てて振り向くと、そこには美しい黒髪を伸ばし、氷のような美貌の黒いスーツ姿の教師がファイルを手に立っていた。

 

「――学園に足を踏み入れた途端に教師に対して偽名を名乗るとはいい度胸だな、篠ノ之」

「あ……」

 

 その姿は、恐らくISを知る者であれば誰もがテレビや雑誌の写真越しに見た事のある女性だった。

 しかし箒にとっては、別の形でその顔には見覚えがあった。

 

 

――姉の親友にして、自分と、弟である幼馴染と共に剣の稽古に励み、父から一番弟子のお墨付きまで貰った、自分とは及びもつかぬ程の才能を持っていた少女。

 当時と比べたらかなり大人びてはいるが、見間違える筈が無かった。

 

「千冬……さん……」

「馬鹿者、ここでは織斑先生、だ」

 

 思わずこぼれ出た呟きに対して、またしても教師――千冬はまたしても手にしたファイルで箒の頭を叩くが、それが何故だか頭を優しく撫でられたかのように暖かかった。

 それは久しく忘れていた、ごく当たり前の、誰かとの触れ合い。

 

「外ではどうだったかは知らんが、ここはもうIS学園だ……もう、自分自身を偽る必要は無い」

「う……あ……」

「久しぶりだな……息災なようで何よりだ――箒」

「~~~~!!」

 

 思い出の中のように、厳しそうな声色の、しかし何処までも優しい言葉を掛けられた箒の瞳に、今度こそ大粒の涙が溢れ出て、止まらなくなる。

 気付けば、箒は千冬に縋り付くかのようにその胸へと飛び込んでいた。

 そして、堰を切ったかのように溢れ出る涙と共に、まるで童のように泣きじゃくる。

……この6年の喪失を埋めるかのように、ただ只管に。

 千冬はそんな彼女の背を、静かに、あやすように撫でる。

 

「――馬鹿者が。卒業してからでは無く、入学してから泣く奴があるか」

「は……い……っ!! 済みま……せんっ……!!」

 

 千冬の言う通り、箒にとってはこれは始まり――最初から弱さを表に出しては始まらない。

 

 

 

……しかし、今だけは許して欲しい。

 

 

 

 ようやく再会する事の出来た、思い出の残滓に縋り付く事ぐらいは。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ふぅ……ようやく終わり、か」

 

 ひとしきり泣いて心を落ち着かせたあの後――一日は目まぐるしく過ぎていった。

 簡単なIS学園内の施設の説明・案内と、寮長である千冬から寮内での生活上の注意事項を聞き、食堂で夕食を取ってからシャワーを浴びて届いた荷物の整理を済ませると、ようやく箒は充てがわれた自室のベッドに倒れこむように横になった。

 今日は土曜日――千冬と真耶の説明によれば、月曜日から本格的な入学手続きや学園内の案内等が始まるらしく、日曜日は基本自由行動だそうだ。

 恐らくは長い間拘束に近い形で暮らしてきた自分に対する学園の――というよりは千冬の――配慮なのだろう。

 普段ならば何処か恐縮に思ってしまうような厚遇だったが、今の箒には素直に有難く思えた。

 

 

 

――丸一日を、誰にも憚る事無く自らの時間に費やせる事など、何時以来だろうか?

 

 

 

 考えてみれば、姉である束がISを開発し、失踪して以来、学校に通う以外は監視と聴取ばかりで、心休まる事など殆ど無かった。

 勉強の成績はともかく、ISの適正が低いこの身――新学期が始まれば、人一倍研鑽を積まなければならない事を考えれば、今のうちに自由を満喫するのも悪くない。

 

 そんな事を考えている内に、次第にベッドに沈み込むような心地良い感覚と共に瞼が重くなっていく。

 

 

 

『――ほうき!! いっしょにあそぼうぜ!!』

 

 

 

 意識が沈み込もうとした瞬間、きっと幼い頃のようにウキウキとした心境であったせいだろう――幼い頃の幼馴染の声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

『おれはぜったいに、宇宙へ……火星へ行くんだ!!』

 

 

 

 

『ほうき!! その時は、おまえもいっしょにいこうぜ!!』

 

 

 

 

「ああ……約束だ……いち……か……」

 

 

 

 

 夢現のまま、誰よりも愛しい彼の名前を一言呟くと、箒の意識は微睡みの中に溶けていった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

――翌日の朝、箒は携帯端末のアラーム音で目を覚ました……時刻は、5時を僅かに回った程度だ。

 まだ冬も明けて間もない時期のため、外はまだ大分暗かったが、箒はすっかり目を覚ましていた。

 

 元々実家が神社であり、武道を嗜んでいた彼女の朝は、同じ世代の少女たちと比べると格段に早い。

 神社の管理を手伝っていた時などは、まだ深夜とも言える時間に起きて、父や母の手伝いをしていたものだ。

 重要人物保護プログラムの保護下でもそれは変わらず、箒にとって早起きは最早習慣になっていた。

 

 

 まず気を引き締めると同時に就寝中の汗を流す為、禊代わりにシャワーで水を浴びる。

 思わず声を上げてしまう程に冷たいが、彼女にとっては慣れたもの――数分もすると、身も心も引き締まり、一日の活力がみなぎってくるのだ。

 そして風邪を引かないようにしっかりと体を拭いてから、全身を軽くストレッチして体を暖める――普段はここで、道着に着替えて道場や庭で素振りや篠ノ之流の型などの朝稽古を始めるのだが、生憎とまだ道場の使用許可は下りないため使えない。

 

 

 

――そこで、はた、と思いつく。

 

 

 

「そうだ……久しぶりに走りこみでもしてみるか」

 

 今までは走りこみとは言っても、何人もの監視付きで、安全の確保された決められたコースをただ淡々と走るだけであった。

 しかし、今はそんな事を気にせずに、始めての場所でも好きに行動する事が出来るようになったのだ……その範囲内はIS学園内に限定されるとは言え、これを活かさない手は無い。

 

 

――とは言っても、2ヶ月前の『事故』からそれほど日も経っていないため、学園内では一般生徒が立ち入れない区画があちこちにあるため、まだ慣れない内は紛れ込んでしまう危険性もある。

 まだ正式な入学前から問題も起こす事もあるまい――今日の所は、手近な場所にある運動場に行く事にしよう。

 ジャージに着替え、運動靴に履き替えると、箒は何処か楽しげな表情で部屋を後にした。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

――運動場までの道のりを、箒は軽く流すように走る。

 暦上は春でも、朝の空気は刺すように冷たく、程よく火照る体を冷やしてくれた。

 東の空はもう白み始めていたが、まだこの時期のIS学園内にいる人間はそれほど多くは無いようで、時々新聞配達員が乗るバイクとすれ違う以外は、人影は殆ど無い。

 こちらをこれ見よがしに監視する車や人間もおらず、あの不快な視線も一切感じない――これほどまでに清々しい外出は久しぶりだ。

 

 

 晴れやかな気分に浸る内に、件の運動場へと辿り着く――IS学園の生徒達が使う事もあって、中々に整備されている。

 周囲にはベンチや街路樹が点在する憩いの場所となっており、中央部分には様々なスポーツを行う事を想定した多目的のグラウンドがあり、周囲には400mのトラックが囲い込むように置かれていた。

 

 

 学生が使うには贅沢とも言える施設を使える事に、少し申し訳無さを感じながらも、箒は少しペースを上げてトラックを回り始める。

 そして百メートルほど走った所で、前方に先客がいる事に気付いた。

 薄暗かったので分かり難かったが、どうやら男性のようだ。

 まるで白髪と見紛うように色素の薄い銀髪と浅黒い肌を持ち、脚には黒いジャージを履き、上半身は半袖の白いシャツを着ていた。

 

 

 

――女生徒しか存在しないIS学園の敷地内に男性がいるという事も意外だったが、それ以上に箒は彼の体躯と走る所作に目を奪われていた。

 

 

 

 180cmを超える彼の体は、巌のような筋肉で覆われていた――白いシャツから伸びる両の腕は、まるで丸太のように太く、鋼のように鍛え抜かれている。

 それでいて、決して太っている訳では無く、限界まで引き締まっているために逆に一見すると細身であると見間違えてしまう程だ。

 リズミカルに走っているにも関わらず、体の軸は全くブレておらず、それも相まってまるで肉食獣のような印象を与えていた。

 

 

 

 そして何より――男には全く隙が無かった。

 

 

 

 仮に自分が彼に今竹刀でこのまま打ちかかったとしたら、瞬時に自分は組み伏せられ、制圧されるだろう……場合によっては、命までも刈り取られるかもしれない。

 この感覚を味わったのはいつ以来か……始めて父と試合をした時や、真剣で稽古する千冬を前にした時だろうか?

 一時は外道に近い精神で刀を振るってしまっていたとは言え、彼女も武を志す者――彼の出自は気になったが、それを詮索しようとする程、箒も愚かでは無かった。

 この学園にはLEVから成る警備隊が存在する事は以前から聞き及んでいたので、恐らくは元軍人の警備員か何かだろうと当たりをつけると、箒は彼に追いつくようにペースを上げる。

 

 

 

――自由を取り戻した記念すべき一日目にして、偶然出会ったこの『ジョギング仲間』に、少し親近感を覚えたのだ。

 

 

 

 普段ならばこんな不用心な真似は絶対にしないのだが、もし仮に彼に害意があったのならば、既にこの距離にまで近づいてしまった自分に為す術は無いし、そもそもこんな時間にこの学園内をうろついている彼が怪しい者だとは思えなかった。

 

 突如横手から現れた箒の姿に、男は少し驚いたような表情を浮かべるが、彼女が軽く会釈すると合点が行ったように再び前を向いてペースを乱す事無く走り続ける。

 本当は声も掛けたかった所だが、いきなり馴れ馴れしい態度を取るのも何だと思ったので、箒も彼の隣へと並ぶように走る。

 

 暫く何周かすると、男は不意に笑みを浮かべると、彼女を引き離すかのように僅かにペースを上げた。

――そして数歩先へと前へ行くと、悪戯めいた微笑みを向けてくる。

 

『付いて来れるもんなら付いて来い』

 

 吊り上げられた口元は、まるでそんな風にこちらを焚きつけているように箒には見えた。

 

「……む」

 

――舐めるな。

 そちらが元軍人だか何だか知らないが、こちらとて武道を収める身――甘く見ないで貰おう。

 彼女自身も子供っぽいとは思うが、このまま置いて行かれるのも何だか癪だった。

 彼に負けじと、ぐん、とペースを上げる。

 

 

 

……箒には知る由も無いが、負けず嫌い同士の意地の張り合いが始まった。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――そして一時間後。

 

 

 

 箒はグラウンドの芝の上で、息も絶え絶えに蹲っていた。

 体中からはまだ肌寒いというのに大粒の汗が流れ落ち、地面の芝に雫が溢れる。

 両の脚も疲労ですっかりと萎えてしまい、油断すれば立ち上がれなくなりそうだ。

 朝にやる運動にしては、明らかにオーバーワークと言えるだろう。

 

……対する男の方は、汗こそ掻いているものの、息は殆ど乱れていなかった。

 箒も決して遅い訳では無かったのだが、それよりも遥かに早いペースでトラックを数十周したというのに、疲労すらも殆ど感じていないのか、彼女が蹲っている間にも、信じられない数の腕立てや腹筋などのトレーニングを平然とした顔でこなして見せている。

 

(……この男、化け物か?)

 

 勿論十代半ばの少女である自分と、鍛え抜かれた大の大人の男とでは勝負にならない事は薄々感づいてはいたのだが、普段から鍛えている彼女としてはもう少し食い下がれるとは思っていたのだ。

 しかし、結果は見ての通り……軍人の鍛錬というのは常人にとっては常軌を逸しているとは良く聞いていたが、男の身体能力はそれを基準にしてもズバ抜けているように思えた。

 

 

 

――頭ではそれが分かってはいても、こうも差を見せつけられては、己の未熟さを思い知らされているようで、少し箒は悔しかった。

 

 

 

「――おい」

 

 項垂れる彼女へと、突如かけられる言葉。

 それに顔を上げると、男がこちらに向かって何かを放り投げるのが見えた。

 咄嗟に空中で掴み取ると、それは水分補給用のスポーツドリンクだった。

 

「お疲れさん――良けりゃ飲めよ」

「宜しいんですか?」

「良いも悪いも無ぇよ。一緒に走ったよしみだろ?」

「……ふふ、そうですね。頂きます」

 

 そう言ってこちらに微笑みかける男の顔は、最初に抱いた印象とは裏腹に何処か優しげだった。

 それに思わず箒も微笑みで返すと、彼の言葉に甘える形でドリンクを口にする。

 

 

 

――自動販売機で買ってきたばかりなのだろう、ドリンクは程よく冷たく、疲れきった体に染み渡るかのように美味だった。

 

 

 

 そこでふと気付く――毒見も無しに、誰かから受け取った飲み物や食べ物を口にしたのは、大分久しぶりだ。

 

 

 

(……何て事だ。私はこんな当たり前の事すら、奪われていたんだな)

 

 

 

 こんな何気ない行為の一つ一つがどれだけ大切なものなのかを実感しつつ、そんな事を今更ながら気付かせてくれた男に思わず感謝したくなる。

 そんな箒からの視線に気付いたのか、男はタオルで汗を拭いながら飲んでいたドリンクから口を放して首を傾げた。

 

「――? どうした? 気分でも悪いか?」

「あ、いえ……よくあれだけの鍛錬を、平然とした顔で出来るのだな、と感心していまいました」

 

 いきなり訳の分からない感謝をしても怪訝に思われそうだったので、箒は咄嗟に誤魔化すように先程までの彼のトレーニングに対する感想を口にした。

 

「――私もそれなりに鍛えていたつもりだったんですが……まだまだ、修行が足りないようです」

「まぁ、元いた所じゃそれなりに鍛えてたからな――子供に負けてちゃ洒落にもならねぇ」

 

 箒の言葉に答える男の口調は少しおどけてはいたものの、何処か確固たる自身と矜持を感じさせる。

 それだけで、彼が積み重ねてきた鍛錬の凄まじさと濃密さが伺えるというものだ。

 そのため、普段の彼女ならば侮蔑とも捉えかねない言葉も、不思議とすんなりと受け止める事が出来た。

 

「だが、お前さんも子供にしちゃ中々だったと思うぜ?

こっちとしては、5分と経たずに周回遅れにするつもりだったからな」

「――ありがとうございます。貴方に言われたら、励みになります」

 

……一瞬、「子供に負けるつもりが無いと言う割には大人気無いような……」と思わなくも無かったが、彼の言葉は自らの積み重ねてきた鍛錬に対する賞賛である事には間違い無く、箒は素直に礼を言った。

 彼に言う通り、驚異的なペースに対し、ある程度はその背中を追う位の事は出来たのだ――それに関しては少し誇らしく感じる。

 

 

 

――そしてその後は暫く会話も無く、ドリンクを飲んだり、汗を拭ったり、ストレッチをしたりと整理運動が続く。

 

 

 

 ただしそれは気不味い沈黙などでは無く、箒にとっては誰かと共に同じ事をやっているという行為そのものを楽しむような、心地良い静寂であった。

 だが暫くすると、不意に男が箒に向けて問いかけてきた。

 

「そういやこの時期にここにいるって事は……代表候補生か何かか?」

 

……その問いに、箒は先程まで感じていた心地良い感覚が、すうっ、と引いていくのを感じた。

 それは自らのコンプレックスを刺激するものであったから。

 

「いえ……私は、特別枠の人間であるだけで、ISの適正自体は然程――いえ、人並み程度にしかありません。

……本来ならば、この時期にここに居る事の出来る人間などでは、無いのです」

 

 彼女の口元は、自然と自嘲と卑屈な感情とで歪んでいた――きっと、誰かが見れば酷く醜く見えるだろう。

 抑えろ、と自分に言い聞かせようとする――目の前の男は、自分の中に救っている葛藤とは無縁の存在なのだから、もし仮に胸の内を吐露したとしても、彼にとっては訳の分からない独白に過ぎない。

 

 いや、それどころか自分の出自を知ったならば、彼はきっと今までのような朗らかな態度など取れなくなるだろう――恐怖するか、嫌悪するか、それとも好奇の目や打算に満ちた目でこちらを見るようになるか……それどころか、彼の出自によっては怒り狂って掴みかかられる事すら有り得るのだ。

 

 しかし、一度鎌首をもたげた箒の胸の内に燻っていた感情は、見る見る内に溢れだし、止まらなくなった。

 

「――ここにいる理由はただ……私が『とある人』の関係者だからに過ぎません」

 

 『天災』の妹という、幼い頃から続く、呪いにも似た血統の鎖は、未だに彼女を縛り続けていた。

 あの人と自分は関係無い――と言い聞かせたとしても、その事実は変わらない。

 自分と血を分けた姉がISを開発し、世界を、国を、人々を混乱の渦に巻き込んだのだ。

 

 

 

――ISの登場によって縮小されたLEVや戦車、戦闘機などの既存の兵器に関わる人間たちの一体何人がその職を、地位を、立場を奪われ、人生を狂わされたか。

 

 

 

――女性にしか扱えないというその特徴は、世にあった価値観を歪め、一体どれだけの人々に争いや負の感情の連鎖をもたらしたか。

 

 

 

――ISを巡る所有権や利権、その技術の奪い合いなどの国家や企業間による醜い争いによって、一体何人の火星の人々が日々苦しんでいるか。

 

 

 

 ISと、束がもたらした革新的な技術や理論は、確かに多くの人々に利益をもたらしたが、その裏で、そのように苦しんでいる人々も数多く存在している。

……如何に政府から保護されてきたとは言え、そんな人々や環境がもたらす負の感情や歪みに、箒は嫌という程に晒されてきた。

――そして何より、箒はそれらが原因で家族や幼馴染、故郷すらも奪われ、不自由を強いられてきたのだ。

 

「……本当ならば、『あの人』など関係無い、放っておいてくれ、と声に出して叫びたい。

しかし、私は『あの人』の影響力が無ければ満足に一人で立つ事すらままならないんです」

 

 だが、それ以上に箒の心を沈ませるのは、その事実を差し引いたとしても、彼女は篠ノ之 束という存在の庇護が無ければ、自らにこれと言った価値を見いだせない事。

 『篠ノ之 束の妹』としてでは無く、『篠ノ之 箒』として依って立つ事の出来るものは、驚く程に少ない。

 無論、篠ノ之流の剣と武術は自分の支えにはなってくれてはいるが、目の前の男のように、自分より強い人間などいくらでもいる。

 勉学も、ISの適性も、その全てが中途半端……足りないものを補ってくれる家族も、友人も、箒にはいなかった。

 

 

 

……唯一心を慰める幼馴染である『彼』も、今では遥か遠い思い出の彼方だ。

 

 

 

「――私は、力が欲しい。誰よりも強く、誰よりもはっきりと私は私だと胸を張って言える……そんな力が」

 

 政府から無理矢理に入学させられた箒の、この学園に残り続ける原動力は正にそれだった。

 例え人並み程度にしか動かせなかったとしても、ISは今、世界最高峰の存在の一つであり、それを扱えるようになったならば、この空虚な心を少しでも満たしてくれるだろう。

 まるで中学生の頃に武術を逃避と鬱憤の捌け口にした時のように、純粋にISの事を学びに来ている者達からすれば、どうしようも無く不純な理由かもしれないが、こうでもしなければきっと自分は潰れてしまう。

 

 

 

――しかし、そのISもまた自分の姉が創りだしたもの。

 

 

 

 結局どう足掻いても、粋がってはみても、篠ノ之 箒は篠ノ之 束という存在の庇護が無ければ、満足に立って歩く事も出来ぬ雛鳥でしか無いのだ。

 

「……済みません。こんな事、いきなり貴方に言っても、仕方の無い事ですね……」

 

 そんな自分の弱さに、まだ会って間もない赤の他人に零し、同情を引くような真似をする自分の浅はかさに呆れ、箒は力無く笑った。

 

 

 

……涙は出なかった。それは涙を流す事を耐えられたからでは無く、涙を流すための『悔しい』という感情も、枯れ果ててしまっているからだった。

 

 

 

 しかし、男は箒の独白をただ黙って聞いていた――その表情には、侮蔑も、憐憫も、怒りも憎しみも無く、そこには静かで真摯さが感じられる。

 

「……一つ、話をしてやる」

「――え?」

 

 男の言葉に、箒は思わず首を傾げるが、男はそんな彼女にお構い無く言葉を続けた。

 

「――ある所に一人のガキがいた。そいつは早くに両親を無くして、ゴミ溜めみたいな場所で、這い蹲るように生きていた」

「…………」

「勿論、年端も行かないガキだ……マトモに生きていける訳も無い。

そいつはある日腐った飯の取り合いの末に叩きのめされて、路地裏に投げ捨てられた」

 

 まるで映画のワンシーンや、ドキュメンタリーのような話だったが、彼の話は真に迫っており、得も知れぬ迫力が感じられる。

 箒はそれを黙って聞いていた――彼の顔は真剣そのもので、口をはさむのは失礼だと思ったのだ。

 

「――だが、そいつは偶然通りかかったその街の有力者に拾われた。

そして、十分な環境と、十分な武器、戦う術を与えられた……ガキは、『力』を手に入れたんだ」

 

 まるで、童話かお伽話のような話だった。

 力無き者、不幸だった者が、降って湧いたような天啓によって幸せになるという、子供の頃誰しもが夢想するご都合主義的なサクセスストーリー。

 

「でも、それは――」

「ああ、勿論それは誰かに与えられた、『借り物』の力だ……ガキが自らの手で掴み取ったモノじゃない。

その上、その『力』の源は、その有力者とやらがいなけりゃ、ガキの前には存在すらしてなかっただろう」

 

 思わず口を開いた箒の言葉の先を予想していたのか、男は頷きながらその事実を口にする。

 彼の話の中の『子供』は、ただ『与えられた』だけだ――まるで、今の箒のように。

 またしても沈みそうになる心……しかし、続く男の言葉に、衝撃が走った。

 

 

 

「だが……知った事か、とガキはその『力』を鍛えに鍛え抜いた。

例えその力が『借り物』だったとしても、ガキがその『力』で何をするか、何を手に入れるかは別の話だからな」

 

 

 

「――!!」

 

 

 

「ガキはその『力』を振るって、色々な事をやった――時には調子に乗って馬鹿をやって、叩きのめされて、全てを失った事もあったが……今じゃ気のいい仲間や、ダチや相棒も出来た。

……お前は、今はただエサを与えられてばかりの雛鳥かもしれないが、別にいいんじゃねぇのか?

その環境に甘えずに、エサを糧に何処までもデカくなって、その内エサごと丸呑みにしてやる――ってぐらいの勢いで行っても、バチは当たらんと思うぜ?」

 

 

 

 

――男の言葉が終わるのとほぼ同時に、東の空の向こうから眩い朝日が差した。

 学園中に残っていた夜の帳が、暁の光によって打ち払われていく。

 

 

 

 そして、それは箒の心の中もそうだった――今まで奥底に澱のように溜まっていた暗い感情が、差した光に溶けていくのを感じる。

 

 

 

 

 ああ、何て自分は愚かなのだろう――と、改めて笑い飛ばしたくなる。

 

 

 

 千冬も言っていたでは無いか……自分は辿り着いたのでは無く、歩み出したばかりなのだと。

 自分は今、生まれたばかりの雛鳥なのだ――自分で依って立つ事はおろか、エサすら親に与えられなければ生きていけない、か弱い雛鳥。

 

 しかし、それを恥じる必要など何処にも無い。

 

 今はただ与えられるだけの雛鳥でも、いつか大きくなり、二枚の羽を羽ばたかせて巣立っていくのだ。

 その時、無限の宇宙まで羽ばたくか、力尽きて地に落ちるかは、自分がどれだけそのエサを糧に成長出来るかにかかっている。

 

 

 

――ここでウジウジしている暇があったら、研鑽を積め。羽ばたくための力を手に入れろ。

 

 

 

 箒は勢い良く立ち上がり、まるで道場の師に対するかのように、深々と礼をした。

 

「――初対面にも関わらず、ありがとうございました。正直、目が醒めた思いです。

……感謝しても、し切れません」

「気にすんな。こっちとしても、破天荒な女に振り回された事があるからな……少しは気持ちも理解出来たしな」

「――!!……気づいて、いたんですか」

「まぁな――一応立場上、新入生の把握はある程度してるつもりだ。

最も、お前さんの身上に気付いたのは話の途中だけどな」

 

 気付かれてしまっていた事に、少し顔が赤くなる。

 思い返してみれば、あれ程までに分かり易い話し方も無いものだ。

 だが、不意に気付くーー男は箒が『篠ノ之 束の妹』である事に気づいても、極普通に接してくれていた。

 

「……その……不躾ではあると承知しているのですが……私が『あの人』の妹である事が、気にはならなかったのですか?」

 

 愚かな問いである事は重々分かってはいたが、箒は男に向かって問い掛けていた。

 彼の態度や表情は、その事実を知る前も、知った後も、殆ど変わっていないように見えたからだ。

 この10年近く……箒が束の関係者である事を知った者は、あからさまに態度を変えるのが殆どだったので、彼女の疑問も最もと言えた。

 しかし、それに対する男の回答は、彼女の想定を遥かに超えるものであった。

 

「いや、全く――大体、生まれも育ちも『お空の上』で、大分遠い場所にいたもんでな。

お前さんの姉貴とやらの事も又聞きの又聞き程度にしか知らなかったんだ」

宇宙出身者(スペースチャイルド)……!? まだ実験段階の筈じゃ……」

 

 驚きのあまり、かなり大きな声で叫んでしまう箒――男はそれに、人差し指を口元に立てて答える。

 

「――言っただろ? 『元いた所』じゃかなり鍛えてた……ってな」

「あ……」

 

 それだけで、箒は彼の大体の事情を察した。

 恐らく彼は、そういった人体実験じみた事をやる事が可能な場所に所属していたのだろう。

 そんな彼が何故IS学園にいるのかというのも気になったが、箒自身のように、はっきりとは話せない何かしらの事情があるのだろうと思い、それ以上は聞かなかった。

 

「それよりも、宇宙の事、聞かせて頂けませんか!?」

「お、おいおいどうしたいきなり?」

「勿論、話せる範囲で構いません!! お願――」

 

 箒はそう言って男に詰め寄ろうとしたが、途中で大きくくしゃみをし、体をぶるり、と震わせる。

 話に夢中になってすっかり忘れていたが、激しい運動をした後だった為、すっかりと体が冷えきってしまっていたようだ。

 

「す、すみません、取り乱しました……実は、幼い頃に別れた幼馴染が、宇宙の事が大好きだったもので……」

 

 冷静さを取り戻した箒は、今日何度目か分からない程に再び顔を赤らめさせながら釈明する。

 それに対し、男は合点がいったように苦笑した。

 

「成程な……まぁ、話せる範囲は限られるとは思うが、そんな話で良けりゃいくらでもしてやるよ」

「――本当ですか!?」

「ああ、男に二言はねぇさ。まぁ、今日の所はどっちにしろお開きだな……ちゃんと汗流したら体を温めろよ? 新天地に来て早々、風邪でも引いたらつまらないからな」

「はい!!」

 

 箒に向かってそう告げると、男は走りながらその場を後にしようとする。

 その背に、彼女は慌てて声を掛けた。

 

「わ、私は篠ノ之……篠ノ之 箒です!! 貴方の名前を、教えて頂けませんか!?」

「ああ、そう言えば名乗って無かったな……ディンゴ――ディンゴ・イーグリットだ」

 

 その言葉に男――ディンゴは立ち止まって振り向くと、箒に向かって優しく微笑んだ。

 

「ディンゴさん……その……また、一緒に走って頂けますか? その時は、宇宙の話も一緒に」

「ああ、いいぜ。大体いつもこの時間にここにいるから、好きな時にまた来な」

「はい!!」

 

 そう言うと、ディンゴは運動場から走り去っていった。

 箒はその背が見えなくなるまで見送ると、自らも寮に戻るために踵を返すと、勢い良く走り始めた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――先程まではあんなに重かった体が、まるで羽のように軽く感じる。

 

 

 

 きっと、心の奥に溜まっていたものが取り除かれたせいだろう。

 そして何より、近い内に会えるかもしれない、幼い頃に別れた想い人との再会の楽しみが増えたせいもあるだろう。

 

 

 

(ふふふ……待っていろ一夏。絶対に、山ほどの土産話を持って行ってやるからな!!)

 

 

 

 もし、彼女がディンゴに出会う前に幼馴染に会ってしまっていたら、何を話せばいいのか、何から話せばいいのか分からずに、きっとぶっきらぼうな態度を取ってしまっていた事だろう。

 しかし、今は違う――彼があれほど大好きだった宇宙の話……それを体験談として聞く事が出来るのだ。

 

『なぁほうき……ぜったい、宇宙へ行こうぜ!!』

 

 そうやって、目を輝かせていた彼は、今どんな男の児(おのこ)に成長しているかは分からない……もしかしたら、世の人間達のように、もう夢を見る事を忘れているのかもしれない。

 

 

 

 それでも、箒は信じたかった。

 

 

 

 自分がこれ程幼い頃の思い出を大切に思っているように、彼もまた、子供の頃の夢見る心を忘れないでいてくれる事を。

 

 

 

「その為にも私は……きっとお前に見合うような女に、なって見せる!!」

 

 

 

 寮に帰ってシャワーを浴びたら、早速机に向かう事にしよう――色々と学園内を歩き回ろうとも思っていたが、今日の所は返上だ。

 

 

 

――今はただ、ひたすらエサを蓄え、少しでも大きく、一センチでも大きくなろう。

 

 

 

 そして、その『力』を使って、いつかあの幼馴染と――織斑 一夏と共に、宇宙へと飛び立って見せよう。

 

「……それまでは、篠ノ之 束(あ な た)の力、存分にお借りします」

 

 正直、それでも姉に対するわだかまりはまだまだ大きい――独り呼びかける言葉も、姉妹とは言い難いような硬い物を纏っている。

 ただし、今までのようにひたすらに拒絶するような意思は込められていない。

 

 

 

――何故なら、思い出したからだ。

 

 

 

 ISの生まれた理由と、その時に束が浮かべていた笑顔を。

 

 

 

『ほら見て箒ちゃん!! いっくんにちーちゃんも!!」

 

 

 

『これは、何処までも自由な、夢の翼だよ!!』

 

 

 

『これさえあれば何処へでも行けるんだよ!? どんなに遠い所にも、宇宙にも……火星にもだって!!』

 

 

 

 そこに込められていた自分達に対する思いは、決して嘘偽りは無い……そう、信じたい。

 まだ彼女の全てを直視出来る程、自分は強くない……ならば、ここからもう一歩、更に踏み出そう。

 

 

 

 

――始まりの一歩に続く、決意の一歩を。

 

 

 

 

 そんな誓いと共に、箒は寮の玄関を潜り、自室へと帰っていった。

 

 

 

 




以前から書きたかったエピソードだったので、予想以上に筆が乗りました。
……それでも一ヶ月近く経っているのが、自分の遅筆の情けない所ではありますが。


ISサイドの登場人物の改変点その1


・重要人物保護プログラムの厳正化に合わせて、千冬や一夏などの家族・知人に対する依存度アップ

・一夏に対するデレ度及び、素直さアップ

・束への対応、強さに対する執着軟化


Z.O.E世界のシビアな世界観に合わせての改変になりますが、箒は少々緩めになっております。

……多分、ISに本編ではあまり描写されないだけで、きっと重要人物保護プログラムってかなり厳しいと思うんですよね。
何せまだまだ小学校中学年程度の女の子を、家族からも知人からも引き離して、更には度重なる聴取や監視を続ける訳ですから。
大体束ねーちゃんのせいとは言え……ぶっちゃけ「人権? 何それ美味しいの?」ってレベルだと思います。
まぁ、それでもまだまだ甘いと思えてしまうのが、Z.O.E世界の恐ろしい所ではありますが。

次回は一夏の前日譚を描く予定です。
一夏に関しては、魔改造……とまではいかないまでも、結構改変が多いので、バランスを崩さないように注意したいと思います。

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