天龍が敵に近付いて斬る。


*天龍改Ⅱおめでとおおぉぉぉぉ!

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もう受けとかどうでも良くて、思いっきり趣味だけで書いた。気が向いたなら「BLADE ARTS Ⅱ」と一緒にどうぞ。



同名義・同タイトルにてpixivの方にも投稿してます。


【艦これSS】一期一振【天龍】

 暁、沈没。

 前線基地での待機中、届いた一報は仲間の死だった。

 無邪気な少女であった。淑女になると豪語していた彼女は、天龍から見てなかなか愉快な存在であったが、その性格故に手もかかった。妹のような存在――というわけでもない。だが、仲間として意識していたのは間違いがなく、僅かでも放心してしまったのは心が受け入れなかったからであろうというのも理解できた。本土から遠く離れた地で仲間を失うのは、ともすれば己の半身を失うのと等しい。常ならば気を切り替えていかねばならない場面でも、慣れない地での不安が立ち直るのを阻んだ。

 しかしながら、訃報で悲しみに暮れる一同の中にいれば徐々に気も取り戻すというもの。暗く沈んでいる時にこそ、己のような粗暴な性格が必要なのだと悟り、

「敵は?」

 さめざめと涙を流す仲間達の中、天龍は問うた。

 仲間達はその様子にぎょっとし、思わず天龍を見たが構わずに再度問う。

「暁を沈めた奴はどこだ?」

 その言葉尻は強く、詰問しているかのようですらあった。

 問われた本人もまた、その口調に気圧されたのか逡巡の後、天龍の耳へと情報を届かせる。

「そうか。まだあるな」

 天龍の周りにいるのは、彼女から見ればまだ幼い少女達であった。少女達は戦友の死を受け入れるのも一苦労であろう。事実、悲しみに暮れる中、立ち上がろうとしている姿は誰もいなかった。それまでの強さを得られる程、強くはなかったのだ。ならば自分しかいるまいと天龍は判断し、実行する。普段の粗野な口調ではあるが仲間達に対して向ける優しさを含んだものではない――冷徹さを含んだ口調で。

「暁が死んだのは残念だ。だけど、敵が沈んだわけじゃねぇ。さっさと泣き止んで準備しろ。死にたくなけりゃあな」

 天龍の心理を悟った者はほとんどいなかった。同じくして生まれ落ちた龍田と司令官くらいだろうか。彼女達は天龍の行動が理解できるからこそ、口を挟むのを躊躇っているかのようであった。

「でも、暁さんは……」

 そんな天龍に反論しようとしたのは電であった。人一倍優しい少女のことだ。誰よりも心を痛め悲しんでいるのは見てわかる。それ故に、最後まで言葉を発せられずに再び涙の雨を降らせたのも当然であった。

「わぁーってる。泣くくらいならいちいち言うんじゃねぇ。オレ様を誰だと思ってるんだ」

 言葉とは裏腹に、電の頭に置かれた手は優しかった。

 触れれば壊れてしまうのではないかと錯覚しそうになる。敵を前にしても攻撃を躊躇い、あまつさえ救おうとしさえする。戦場ではあり得ない――非常識も甚だしい行動ではあるが、

(だからこそ、救われるてるんだよ、オレは)

 彼女のような存在を守らねば、と。それこそが己に課せられた責務なのであろうと天龍は思う。失った仲間はもう戻らない。仲間を失った悲しみだけが心に傷として刻まれ、時間と共に風化していく。だが、その悲しみを受け止めるだけの強さはまた別の話だ。大雨が降った後の地面のように、涙で溢れた悲しみを少しずつ受け止めていくしかない。

 しかし今は戦場の只中でもある。現実は現実として受け止め、前に進まねばならない。

 そして、そうやって常に前に出て行くのは天龍にとってみれば十八番であり、自らの役目であると自負もしていた。故に見る者が見れば、それは一種の残酷さをも孕んでいた。本来ならばそんな天龍を諫めるのは龍田の役目であるが、事今に至っては龍田も言葉がないようで、静かに天龍を見つめていた。

 そんな龍田に天龍は頷く。果たしてどこまで伝わったのか。普段からまるで心を読んでいるのではないかと思う程核心を突いてくる龍田の事だ。伝わったと信じたい。

 この時、天龍はどこかで予感がしていた。長く戦場を経験した者故か――すぐ近くに訪れるであろう激戦と、己の死期を。

 

 

 初めて出会った時は、子猫のようだと感じたものだった。戦場へ赴くには未熟すぎた頃、彼女達は仲睦まじくいつも一緒であった。その中で、自分を一番恐れていたのが彼女――暁だった。

 知らない家に貰われてきた子猫は、見慣れぬ光景に萎縮し戸惑うものだが、やがて少しずつ〝知った場所〟を広げていき、家に馴染む。今にして思えば、暁もそうだった。初めは一歩以上引かれていたが、日々を過ごす内に少しずつ打ち解けていった。誰かの影に隠れて話していたが、やがては一丁前に文句を言うようになっていたのだから、大した成長だ。

 いや、それも〝慣れ〟か。

 天龍は思う。

 決して表情には出さなかったが、天龍とて暁の死に衝撃を受けている。せめて一日――いや、半日くらいは故人を想ったところで罰は当たるまい。しかし、状況はそれを許さなかった。暁の死、そしてこちらの敗北と敵は勢いづいている。流れに乗って進撃してくるのは当然だ。打って出なければこちらの敗北は必須。そうなれば、暁だけでなく更に仲間達が倒れていくだろう。一時的でも、敵の流れを堰き止める役割が必要だった。

(とうとう、一人前の淑女にはなれず仕舞いだったな……)

 いや、

(もしかしたら、もうなれてたのかもな――淑女によ)

 天龍は知る由もなかったが。

 暁が仲間を逃すために己の身を捨て壮絶な死を遂げたとわかるのは、まだ先の事である。希望にも似た天龍の想いは、的を射ていたのだ。

 今までいろんな奴らに出会ってきた。別れも別段、初めてではない。散っていった仲間達も大勢いる。暁とて、そのひとりだ。だが、何度経験しても慣れはしなかったし、生涯慣れる事はないだろうと確信できる。手のかかる〝ひよっこ〟だった頃に暁達の旗艦を務めてからというもの――妹が一度に何人も増えたかのようだった。

 納得せざるを得ないが。天龍は、彼女達に対して人一倍入れ込んでいた。ただそれだけの事。しかし、冷徹なまでに切り離さねばならぬ感傷でもある。己の失敗で死ぬのは、自分ひとりではない。仲間達をこれ以上失わないためにも、今は感傷に構ってはいられなかった。

『……ちゃん……龍ちゃん!』

「――ぁ」

 だというのに、呼びかけに応じるのを忘れているとは、まったく……。

 苦笑し、再びの呼びかけに天龍は応えた。

『天龍ちゃん、聞こえる~?』

「応。感度良好だ」

 大きなため息。どうやら大きく呆れられたらしい。

『……もう。いくら呼びかけても反応しないんだもの~。何かあったのかと思ったじゃない』

「悪ぃ悪ぃ」

 少し意識を飛ばしすぎていたようだ。先行する自分の後ろにはまだ四人の同行者がいる。抜錨前の表情を見るに、今の彼女達の心境は察するに余りある。特に暁と付き合いの深かった電は立ち直れているのかどうか……。

 ともあれ、司令官が命じたのもまた事実。司令官なりに考えが会っての事であろうが、平素ではなく戦時中である。気分転換なのであれば逆効果になりかねない――ある種の賭けに近い。しかもとんでもなく分の悪いというおまけ付きでだ。

『それで、そっちはどう~?』

「敵影は……まだ見えねぇな」

 静かなものだった。

 進行予測からするにそろそろ接敵してもおかしくはなかろうが、水平線に至るまで影ひとつ見えない。暁が沈んだのが夜だったのもあり、敵の詳細は不明なのである。それ故に今こうして天龍達が装備も程々に偵察として先行しているわけだ。

 静かな波を湛える海原は、何の変哲もないように見える。しかし、天龍の培ってきた〝勘〟が反応していた。

 何かが起こる。

 確信に近い予感が全身を駆け巡ると同時、やにわに海原が〝爆発〟した。水柱を伴って現われたのは巨大な体躯――駆逐イ級である。都合三体。ただの偶然だとは思えなかった。

 天龍は即座に指示を下す。これだけ接近されていては戦闘を選択するより他ない。しかし、浮き足立っているのはこちら側。気を散らしていたのは己だけではないと知り、いつもと同じように対処しはたと気が付く。

 間に合わないと判断したのは勘であった。駆逐イ級の砲台が射程内の敵を求めて火を噴いた。標的は電。脅えが滲む表情は、初出撃時に同様のイ級と遭遇した際と同じであった。

「電! ぼうっとしてんな!」

 身を走る衝動と共に彼女の前に天龍は躍り出た。

 咄嗟の行動であった。こうすれば電は死なない。どこかで考えていたからかもしれない。しかしそれは結果として天龍の被弾を意味し、自身の死すら招く行為だった。腕を引けば良かったかもしれないと思ったのは被弾した後で、幸いにして五体満足でまだ生きていた。

「バカやろう! 敵の前で固まってんじゃねぇ!」

 叫びながら、天龍は刀以外の武装を放棄する。先ほどの被弾で武装はほぼ沈黙。暴発を恐れ、全て解除したのだ。

「天龍さん……」

 電から徐々に強張りが解けていく。代わりに駆け上ったのは戦意であったのだろうか? 天龍には知る由も無かったが、しかし体が動かないより余程良いと判断する。

「お前ら、とっとと片付けるぞ!」

 頼もしい応答を背に、天龍は海原を駆ける。ただの三体。取るに足らない数だ。平素ならば問題なく処理できる。自身の武装はないものの、まだ刀がある。一呼吸の内に間合へと踏み込み、刃を滑らせる。

 咆哮。怒号。

 両者が至近距離の天龍を遅うも、辛くも後ろへと逃げのびる。斬りこんだ天龍への援護であった。斬撃を浴びたイ級は更に砲弾を浴び、深海へと沈んでいく。時間にして数分程。再び静寂へと戻った海原には、硝煙だけが立ちこめていた。

 ――片付いた。

 天龍だけではなく、その場にいた誰もがそう感じていた。

「こちら天龍。イ級三体と遭遇。撃破完了だ」

『了~解~。みんな無事かしら~?』

 いや、と天龍は刀を鞘に戻しながら首を横に振った。

「オレがミスって被弾しちまった。帰投する」

『はぁ~い』

 龍田の声に張り詰めていた気が僅かではあるが和らぐ。元の静かな海原に戻っていたのも理由のひとつであった。また、被弾したのは自分だけ――それも大した怪我もなく全員無事だったのもあった。

 言ってしまえば、気が抜けてしまっていたのである。

「お前ら、帰る――」

 顔を上げ、気付く。

 敵影、一。しかしその敵影は、何よりも強大であった。

 チカ、と瞬いた。電流の如き悪寒が身体を駆け巡り、気が付けば天龍は叫んでいた。

「散開! 牽制しつつ後退しろ!」

 張り上げた声も着弾の水音によってかき消されていく。届いていてくれ――願いと共に天龍は一歩前に踏み込む。装備を外していたのが結果的に奏功した。身軽になった天龍は大胆にも一機で現われた敵を見据える。

「……冗談じゃねぇぞ」

 漏らした言葉は本心であった。

 ゆらり、と不敵に近付いてくる敵影を見れば今の自分達では太刀打ち出来ないと本能的に判断できる。ならばと刀を再び抜こうとし、天龍は思い止まる。先ほどは抜けたはずの刀が、まるで鞘と一体化したかのように離れなかったのだ。

「はっ……」

 気が付けば、足が震えていた。目前に迫る圧倒的な気配に当てられていた。天龍の頭の中を、死んでいった仲間達の姿が――その死んだ姿が何人も駆け巡っていく。数が増える度に震えは上半身へと伝わり、手にした刀すら震え始めるのに時間はかからなかった。

「なに、やってんだオレは……」

 噛み合おうとしない歯を必死に食いしばる天龍は、そう吐き捨てる。

 天龍とて疲弊していたのだ。いつ終わるともわからぬ戦争に、失っていく仲間達。それでも常に己足らんと張り詰めていたものが、暁の死によって限界を迎えていた。何かあれば容易く折れるであろう精神状態を自覚しないまま出撃した天龍の精神が、限界を迎えたのだった。

 故に、いつもの調子が戻らない。いや待て。そもそもいつもの自分とは一体何だったのか。何をして何を言って何を抱えて何を考えて何をやって何を捨てて何を――。

 思考が空転していく。どこまでもどこまでも廻り続けていく思考に浸食されるかのように、天龍の震えが止まり脱力していく。

 同時それは彼女を確実に殺せる位置にまで踏み入られたのも意味する。陶器を思わせる地肌に感情の欠落した表情。燃えるような髪留めがふたつ、長い髪を左右に結っていた。装備した強大な砲台は一発で生身を引き裂き肉片へと変えるだろう。

 南方棲戦姫。

 そう呼称される敵個体は、鈍い色の瞳で天龍を見下ろしていた。

 砲身が意思に呼応し、動く。獲物を求めるように中空をかき乱しやがて照準を合わせる。

「天龍さん、こっちは無事なのです! 天龍さん! 早く!」

「――あ、ッ!」

 意識が持ち上がる。

 同時、両目に飛び込んできた光景に戦慄する。

 ――待て。

 どこを狙っている?

 砲身が向いているのは、いつでも殺せる己ではない。

 では、どこを?

 決まっている。自分以外の誰かだ。

 脳裏を一瞬、死んだ彼女の姿が過ぎった。

 

 ――見てなさいよ天龍! 今度は暁がみんなを守る番なんだから! 一人前のレディーとしてね!

 

 ああ……。

 震えが――止まった。

 噛み合わなかった歯を噛みしめ、天龍は刀を迷うことなく鞘から抜き放つ。折れたはずの心が、薄紙一枚程度の脆さでまだ大丈夫だと叫んでいた。

「――行け」

 命令は単純だった。

「天龍さ……」

 息を飲む仲間達より前で鞘を捨て、

「さっさと行けェ! すぐに追いつく!」

 天龍は叫んだ。心底から絞り出した言葉が彼女達を突き放し、敵の意識を己へと向けさせた。

 長く息を吐きながら、刀を右耳横で天に突き立てるように垂直に持ち上げ、更に右足を前へと出した。所謂、八相――右蜻蛉である。刀の一振りのみで相対するには、南方棲戦姫と天龍とでは武装の差がありすぎた。準備を整えた上で艦隊を組んでいた場合ならともかく、仲間を庇いながらかつ被弾した状態では真逆に位置する。勝利するには攻勢しかなく、つまり天龍は守りを捨てたのである。

 そもそも、天龍の知る内で刀のような近距離兵器を使う艦娘など木曾くらいのものだった。彼女とて満足に扱えるわけでもない。のっぴきならない状態に陥った場合においての最終手段として携えているに過ぎない。それでも一応の訓練は受けてきた。その成果が八相――即ち蜻蛉である。

 艦娘と深海棲艦との闘いは撃ち合いだ。そこに剣術など介在する余地は無い。銃弾吹き荒れる中、刀一本で駆け巡るなどただの自殺行為だからである。だがそれでも使わねばならない瞬間が訪れるかもしれない。そう考えたのは龍田も同じであり、彼女は槍を選んだ。長物であるが故に天龍の刀よりまだ理に叶っている。しかしながら天龍は刀に拘った。

 故に彼女に施されたのは、より実戦的な剣術だった。かの幕末において敵を恐怖へと叩き込んだ恐るべき剣術――野太刀自顕流である。一ノ太刀を疑わず、二ノ太刀は負け――一撃必殺の精神が顕現したかのような剣術は、まさに戦場(いくさば)に相応しかった。防御のための技は一切無し。先制攻撃を何よりも重視し、相手に先制を取られたならばそれより疾く斬り、もしくは刀を用いて叩き落とすのが本質である。それに習い、天龍は一転し攻勢に移る。

 その様子に只ならぬ物を感じたらしい。南方棲戦姫の砲身が天龍を捉えた。

 同時、天龍の足下で海面が揺らいだ。滑るように、間合を必殺の域にまで近付ける。

 一般的に自顕流と戦う際は距離が重要とされている。近藤勇にして「初太刀を外せ」を言わせた理由のひとつである。連続技の技術もあるとはいえ、確かに初撃で屠られるばかりで対処が難しかった自顕流に対しては真っ当な対処法だと言える。では何故、自顕流は幕末において猛威を振るったのか? その答えは間合にあった。間合とは自分と相手との距離、空間を指す。如何に優れた相手とて、間合を外せば死――恐るべきは体捌きと足運びであった。歩幅を一定にせず、しかし一貫して疾走し続け、ある時は飛翔するかの如く踏み込みで間合を奪う。更に猿叫をあげ疾走してくる人間を見て、果たしてどれだけの人間が肝を潰さずにいられようか。間合を奪うという事は必定、こちらの間合となる。銃弾に晒されようと敵がどれだけいようと関係が無い。己の命は薄皮一枚と覚悟を決めた者のみが到達できる真髄であり、それを体現したのが関ヶ原における〝敵中突破〟である。

 慶長五年九月十五日――天下分け目の大合戦と言われた関ヶ原の戦いは、僅か一日足らずで勝敗が決してしまう。西軍の小早川秀秋による裏切りで大谷軍は壊滅。石田三成含めたほぼ全軍が落ち延びた中、残るは島津軍のみと東軍が矛を向けた時、あろう事か敵陣である徳川家康の陣へと島津軍は突っ込み見事生還したのだ。この時の資料に表記されているのが野太刀流――即ち野太刀自顕流である。たとえ討たるるといえども敵に向かって死すべし――僅か二・三百騎で突撃した男達の言葉は生き様そのものであった。

「雄オオオォォォォォッ!!」

 咆哮。

 天龍は自身の命を奪うべく迫る砲弾を正面から斬る。敵の狙いはただ一点、己のみである。四方から狙われているのならばともかく、正面から相対するのではあれば容易であった。尤も、成し遂げるだけの剛胆さが必要ではあるが。

 また手にした刀もそうであった。元来、日本刀の製法は特殊である。現在では再現不可能とまで言われる程の製法は、鉄すらも切り裂く。切れ味に至っては世界でも随一――弱点である側面以外ならば、なまくらとて容易に人を殺せるだけの切れ味を持っている。

 その光景に誰よりも驚いたのは南方棲戦姫であったろう。僅かに動揺の色が垣間見えるも、しかし彼女は布石を打っていた。

「――、ッ」

 二発目である。当然だ。一ノ太刀のみで勝負しなければならない天龍とは違う。勝つために物量で攻めるのは正当であった。

 天龍は一度振り抜いている。切っ先は海面を向き、対処は不可能かに思われた。しかし天龍とて予想していなかったわけではない。右手を放たした瞬間に左手で柄を回し、刃を上に向け再度握り直すと、あろう事か砲弾に向かい踏み込んだ。彼我の距離はおおよそ四尺。目前へと迫る砲弾に対し、天龍が取った行動は、踏み込んだ足で海面を後ろへと蹴り上げることであった。それまで培っていた慣性を、上体を起こすのに使ったのだ。

 自顕流には「抜き」と呼ばれる技術がある。武士は通常、左腰に刃が上になるように刀を差している。例えばだが、市中を右側通行で歩いた際、人と人とは左肩越しにすれ違ったとする。自顕流の「抜き」は、その一瞬の内に左手で鞘をくるりとひっくり返し、同時に下刃になった状態で斬り上げる。幕末の京都で、新撰組のみならず佐幕派に至るまで恐れられたのがこの技の応用である。熟練者になれば水滴が軒先から地面に落ちるまでに三度抜き放てたというのだから、その疾さたるや常人には捉えられぬ速度であったろう。「抜き」を利用した事件では生麦事件もある。イギリス商人リチャードソンら一行が大名行列を横切ってしまい、奈良原喜左衛門に斬られた事件だが、この時リチャードソンは馬に乗っておりその高さは二メートル程。歩行組の侍であった奈良原からは頭上の位置であったが、奈良原はこの「抜き」によって文字通り「臓物を落とす」程のダメージを与えたのである。

 極限の状態にあって放たれた天龍の「抜き」も同様であった。過たず刀を滑るように砲弾が両断される。窮地の只中にあって、内部の火薬を炸裂させずに成し遂げた天龍の技量は驚嘆すべきものであった。しかし完全に回避できたわけではない。砲弾の持つ慣性は消えぬ。皮膚が割け、血が重吹(しぶ)く。頭部のパーツは先の二撃で完全に破壊されてしまっていた。更に、砲弾と真っ向で勝負するなど正気の沙汰ではない。如何に意志が強靱であろうとも、体が先に限界を訴える。

 距離はおおよそ百尺。ひと太刀浴びせるにはまだ遠い。対する南方棲戦姫の砲身は見えるだけで十六門はあった。それぞれが天龍を狙い定め、舌なめずりとしている事であろう。

 天龍は思う。間違いなく南方棲戦姫は己の勝ちを確信しているだろうと。高火力に加え装甲の強度も戦艦と等しいかそれ以上。そんな存在が、刀の一振りで挑む愚かな相手に対し取る手段といえば、

 ――正面から打ち破る。

 己に絶対の自信があるからこそ、こちらの心を今度は刀ごと折るはずである。その証拠に、先の天龍の芸当を見ても何ら感情を抱いてはいないようであった。尤も、彼女達に感情があればの話ではあるが。

 しかし逆に考えると、正面から打ち破れば天龍の勝利とも言える。相手が最も油断しているのが正面であるならば、即ち必勝の間である。

 知れず、天龍は息を吐いた。微かに感じ取った血臭は己のものであろう。秒にも未たぬ間、目を閉じる。過去を振り返ったのは一瞬であった。そこには、龍田がいて雷がいて電がいて響がいて暁がいて――これまで出会った様々な仲間達と共に過ごした時間が在った。

 そして、刻みつけるように告げる。己の名は天龍である。いつでも自信に満ち、後輩達を引っ張り、纏め、自ら率先して前へと突き進んでいくのが天龍というひとりの艦娘だ。

 過ごした時間(おもいで)が天龍の背を最期に押した。仲間達の信じた天龍(じぶん)はこの瞬間、恐れに身を委ねて命を惜しむ選択など絶対にしない。己が道を作るのだ!

 (こころ)を燃やした雄叫びが水平線へと響き渡る。頼りになるのは身体と一振りの刀のみ。それを手に天龍は必勝となった間合を詰める。

 待っていたとばかりに南方棲戦姫は天龍を相打つ。砲身が向かうは天龍ではなく空間そのもの。先の一撃は単なる牽制に他ならず、狙いは初めからこの一手であったのだろう。強大な装甲を活用した至近距離での砲弾――否、火薬の炸裂である。戦艦ならともかく軽巡洋艦では一溜まりもあるまい。運が良くて致命傷。運が悪ければ肉片ひとつ残るまい。

 なるほど。確かに南方棲戦姫の判断は正しい。彼女はおおよそ正確に天龍と己の持つ性能の差を理解していた。もし、たったひとつ誤算があるならば――。

 

 ――曰く、尋常ならざる威力は刀を斬り、受け止めた人体を巻藁の如く両断したと云う。

 

 天龍の覚悟を見誤った事であろう。示現流と自顕流――双方には共通する〝意地〟が存在する。それは言い換えれば「自得」だ。一生稽古の敵は己自信――自己に打ち克ってこそ、他への対峙もまた終わる。修行とは即ち、自分との対峙なのである。死地にあって初めて自得した天龍はこの瞬間、己の全てを一振りに乗せた。過去も想いもこれから紡がれたであろう未来でさえも全て。生涯でただ一度のみ振るえる瞬間に、迷う事なく。

 南方棲戦姫の訪砲身が面を捉える。その只中に天龍は飛び込んだ。

 勝機は一瞬であった。先制は不可能。己が狙うは後の先のみ。

 斬り降ろす刹那、敵の動きが停止したかのように天龍は感じた。放たれる砲弾を他人事のように認識し、正面より刀と腰を同時に落とす。死の窮みにあって天龍の技は芸術的な美しさと苛烈さであった。

 

 ――曰く、己が命を省みず放つ一刀は、さながら雲耀(うんよう)の如き剣閃であったと云う。

 

 天龍の放った一振りは、南方棲戦姫を過たず両断する。そして両の目を見開いたまま南方棲戦姫の身体がふたつに割れた瞬間、天龍の背後で僅差で放たれていた砲弾が破裂し、熱波に煽られ海面を二転も三転も吹き飛ばされ、ようやく着水した頃には天龍の意識は朦朧としていた。直撃に等しい威力である。背にした海原へと命が飲み込まれていくのが朧気ながら感じ取れた。

「は、はは……」

 斬った。

 決死の覚悟は無駄ではなかった。まだ握っていた太刀は、半ばより折れている。元より業物でもなかった。たった一戦といえど最後まで耐えてくれただけ御の字だった。

 零れていく命を掬い上げることなく、天龍は身を任せる。ゆっくりと息を引き取れるのは救いに近かった。何が起こったかわからず死ぬより余程安らかであった。海のように蒼く透き通った空を仰ぎながら、目を閉じる。

「――ったく」

 しかし、悪態をついた天龍の口端が僅かに上がった。それが笑みだと判断できるには些か判別し辛い程の小さなもであったが、思い出したかのように天龍は上体を起こし、ひいては立ち上がりまでした。

 半ばで折れた太刀はもはや武器としての存在を失っている。なお心細くなった武装だけを手にし、天龍は一瞬だけ視界に移った敵を見定める。

 駆逐、空母、戦艦――おそらく潜水もいるだろう。深海棲艦の大軍であった。その規模たるや、天龍など路傍の石ころ同然である。雑草程の価値もなく、死に逝くだけの天龍では勝負にすらなるまい。

「暁――お前は本当にレディーになれたのかよ?」

 あの〝ちんちくりん〟に一度訊きに行こうとしよう。行きがけの駄賃ならば選ぶまでもなく揃っている。

 大軍押し寄せる中、天龍は刀を掲げ、吠える。

「オレの名は天龍ッ! 止められるもんなら、止めてみやがれェッ!」

 後は頼む……龍田。

 胸中で呟き、天龍は水平線へ誇りと共に駆けた――。

 




ちょっと実験してみたいことがあったんで書いてみました。
音楽聞いてて思いついたのが「天龍が敵を叩き斬る」ってシーンで、ほんとにただそれだけを書いてみた。

とある場所をモデルにはしていますが、いろいろと脚色はしてます。まぁ、解説本でもないしね。楽しめたらそれでいいと開き直ってます。





水雷戦隊クロニクルの2巻を今か今かと待ち望む日々。金剛の二の舞はご免だぜ……?


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