あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない   作:powder snow

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第四章
第三十五話


 ★☆★☆★☆ 

 

「一体なんなわけ、この不思議空間は? マジ意味分かんないし。っていうか、あたし夢でも見てんの?」

「いい加減慣れろって。もうすぐ麻奈実の作ったメシが運ばれてくるんだから、諦めて覚悟決めとけ」

「覚悟とか、アンタに言われたくないっ!」

 

 桐乃にとっての不思議空間。それは現在の高坂家の状況そのものである。それを如実に示すように、ダイニングには五名もの人間がひしめきあっていた。

 一人は場の主役たる高坂京介。

 この中で唯一の男性である彼は、いつもの定位置に座って食事が運ばれてくるのを待っている状態だ。その彼の隣にいるのが妹の桐乃である。

 彼女はことあるごとに不満を爆発しようと試みるのだが、その度に兄にやんわりと窘められていた。とはいえ、その原因を作った京介に宥められても火に油を注ぐようなものである。

 現に桐乃は、京介に煽られたと判断したのか、我慢ならずにがぁーと吼えたてていた。

 

「ふふ、相変わらず二人とも元気だねぇ」

 

 そんな二人の様子を優しい眼差しで眺めながら、麻奈実が両手に土鍋を抱えた状態でキッチンから現れた。手にはピンクのクッキングミトン。

 どうやら鍋の中身はかなり熱いものらしい。

 

「うんしょっと!」

 

 緩い掛け声を付けながら麻奈実がテーブルの真ん中に土鍋を設置する。それからゆっくりと鍋の蓋を開いていき――途端、ほわっとした湯気が立ち上り、しょうゆベースの良い香りが部屋に充満しだした。

 

「きょうちゃん、肉じゃが好きだったよね。いっぱい作ったから! 沢山食べても平気だから!」

「おう、肉じゃがは好物だぜ。けど麻奈実。お前はいっつも俺が腹空かしてると思ってる節があるな」

「でも実際良く食べるでしょ、きょうちゃん」 

「そりゃぁ育ち盛りだからな。けどそういうところは死んだ婆ちゃんにソックリだっつうか……まあ、お前らしいよ」

「ええ? それって喜ぶところなのかな? 怒るところなのかな?」

 

 怒ると言いながらも、麻奈実はにこやかな表情を貼り付けながら、取り皿へと肉じゃがを分けていく。

 テーブルには高坂兄妹以外にも新垣あやせ、来栖加奈子の両名も席に着いていた。その二人が自身の前に並べられた小鉢の中身を見て感嘆の声をあげている。

 

「うへー。さすが師匠が作っただけあってめちゃ美味そう。同じ食材使ってんのに加奈子のと全然見た目違うし」

「そりゃお姉さんはその道のプロだから。同じ肉じゃがでも加奈子のとは違って当然でしょ?」

「……あの、あやせちゃん。わたし“ぷろ”とかじゃないからね。家で料理を作る機会が多いってだけで、別に本格的に勉強したわけじゃないし」

「そういうのをプロって言うんすよ師匠ー。実際師匠の作るメシ超うめーし。あたしも早くその域になりたいっス」

「加奈子ちゃんならすぐ上手に作れるようになると思うよ。知り合った頃に比べてどんどん上達してるしねえ。何より一度覚えたことは絶対忘れないもん、それ凄いと思う」

「ひひ。まぁ加奈子って天才肌の努力家だしー。師匠の教え方もウマイしー。それこそあやせ程度ならすぐ追い抜いてやんヨ」

 

 加奈子の追い抜く宣言を聞いて、ピクリとあやせの眉が動いた。

 どうやら挑戦状を叩き付けられたと受け取ったようである。

 

「へぇ。言うじゃない加奈子。さっき加奈子が作った肉じゃが、結構苦かったと思うんだけど? 少し焦げ目もあったし」

「……うっせ。ちょっとだけ火加減ミスったんだヨ」 

「ミスをしたってことはまだその程度の力量ってことじゃない。ねぇお兄さん、わたしが作ったシチューの方が美味しかったですよね?」

「え?」

 

 ここであやせが京介を味方に引き込もうと彼に軽く目線をくれた。

 あやせは当初の予定通り一番手で(日頃の成果を試す為に食事を作りに来た)料理を出していたので、既に彼は完食済みだったのである。遅れて家を尋ねてきた加奈子が二番手で作り、あやせの付き添いで来たはずの麻奈実がトリを勤める形になっていた。

 そのあやせが嘘は駄目ですよとばかりに念押ししてくる。

 

「え? じゃありません。お兄さん、さっきはうまい、うまいって言いながら食べてくれたじゃないですか」 

「……まあな。確かにあやせの作ったシチューはうまかったよ。こういう言い方はアレだけど及第点は十分越えてたと思う」

「ほら、加奈子。お兄さんもこう言ってるじゃない」

 

 加奈子に対し、少々のどや顔を晒すあやせ。

 どや顔も美人モデルがやると嫌味が減少し、絵になってしまうのが面白いところである。

 

「だからぁ今ベンキョー中なんだって。チクショー、覚えてろヨ。もっと色々師匠に教わって、夏休み明けにはリニューアルした加奈子様見せてやっかんな!」

「でも焦げてたって言っても食えねーってほどじゃなかったぜ、加奈子の料理もよ」

 

 苦笑いを浮かべながら、京介が加奈子の料理にフォローを入れる。はっきりマズいと口にしながらも、実際彼は加奈子の作った料理を残らず平らげていた。

 いつだったか妹が作った石炭クッキーに比べれば、十分に食える代物ではあったのだ。

 

「…………っ」 

 

 そんな彼等のやり取りを、桐乃は何とも言えない複雑な表情で眺めていた。

 彼女にとってあやせと加奈子が麻奈実と楽しく談笑するなんて光景は想像すらしていなかったし、そこに京介が加わるなんて天地が引っくり返ってもあり得ない事象だったのだ。

 あやせは京介のことを嫌っていたはずだし、加奈子に至っては路傍の石ころ程度で、友達の兄貴としてすら認識していなかったはずである。

 いくら“事実”として目の前で色々起こっていても、簡単に飲み込める事態では無い。

 

『――アンタさぁ、いつの間に加奈子と仲良くなったワケ? 早くセツメイ。あと事の次第によっちゃはっ倒すから』

 

 加奈子が高坂宅を訪れた際、友人の桐乃ではなく真っ先に京介の名を呼んだのを彼女は聞き逃さなかった。

 勿論すぐさま京介に説明を求め、簡単な経緯などは教えてもらっていたが、だからといって心が素直に納得してくれるはずもなく――それどころか、腹立たしくて堪らない。

 内緒にされていたという事実より、“あやせと加奈子にチヤホヤされている京介”という構図の方がショックだったのだ。

 もしも京介が無理やりに彼女の友達に手を出していたのならば、それこそ桐乃は京介をしばき倒し、丸めて、納戸の片隅にでも転がしていたことだろう。

 だが見えている光景からはそういったマイナスの要素は見えないし、それどころか仲の良い友人同士だと言われれば頷くくらいの親密さに満ちている始末だ。

 

 ――なによ、これ? 

 ――ワケ分かんない。

 

 あやせも加奈子も桐乃の大事な友人だ。

 京介に至っては生まれた時からずっと一緒にいる家族である。その三人が仲良くしている光景を見て、腹が立つなんて感情が沸くこと自体に桐乃は苛立っていた。

 だから戸惑う。自分の心の機微に思考が追いついていかない。

 その所為なのか、先程から桐乃はその輪の中に入っていこうとはしていなかった。幾ら突然の事態に動揺していたとしても、普段の彼女ならば、それなりに折り合いをつけ会話に入っていったはずなのに。

 桐乃はそれが出来る人間だし、相手も気心の知れた人物ばかりである。ちょっとばつが悪いならば、会話のとっかかりとして京介をダシに使ってもいいだろう。

 

「どうしたの桐乃ちゃん? さっきからすっごく難しい顔をしてるよ?」

 

 小鉢に乗せた肉じゃがを桐乃の前へと用意しながら、麻奈実が心配げに彼女を覗き込む。

 桐乃の様子を慮った優しい心遣い。なのに桐乃は麻奈実の存在を無視するかのように、慌てて横を向いて目線を切った。

 失礼な行為なのは彼女も承知している。だが行動に抑制が効かない。

 何故なら――その麻奈実の存在こそが、桐乃にとっての最大級のイライラの原因だったからである。

 

「おい、桐乃。返事くらいしろよ。折角麻奈実が気に掛けてくれてんのに」

「うるさい」

「あのなぁ……お前が麻奈実を快く思ってねーのは知ってるよ。けど少しくらいは仲良くなる努力とか、場の雰囲気とか考えて愛想良くしたらどうなんだ?」

「……」 

「何が原因でそうなったのか分かんねーけどよ、お前だって昔は麻奈実と仲良――」

「うるさいっつってんでしょ!」

 

 兄が余計なことを口走る前に無理やりに言葉を被せ、それを遮った。

 そんなこと改めて言われなくても彼女だって“分かって”いる。だが無視しっぱなしでは場の話が進まないと理解したのか、桐乃は麻奈実の差し出していた小鉢をそっと受け取ってから、軽く頭を下げた。

 

「――ありがとうございます。頂きます」

「えへへ。どうぞ。失敗はしてないと思うんだけど、桐乃ちゃんに気に入って貰えると嬉しいなぁ」

「……」

 

 社交辞令以上のコミュニケーショは取りたくない。そう言わんばかりに、桐乃は小鉢に視線を落としながら箸へと手を伸ばした。

 麻奈実も無理な軋轢を生みたくないのだろう。桐乃から他の皆へと意識をシフトさせていく。

 

「ふんっ」 

 

 陶器製の小鉢を通して伝わる確かな温かさ。

 用意された肉じゃがは型が崩れていることもなく、とても美味しそうな香りを漂わせていた。具材も主役の牛肉とジャガイモは元より、タマネギや人参、しらたきやさやえんどう等も入っていて、見た目に色鮮やかな作りになっている。

 まず桐乃はジャガイモもに箸を伸ばし、ゆっくりと二つに割ると、小ぶりな方を選んで口元へと運んでいった。

 

「……悔しいけど、美味しい」

 

 味が十分に染みたジャガイモは風味良く、口の中で蕩けるようだ。

 

「おぉ、やっぱうめえわ。素朴なんだけど優しい味わいっつうか、抜群に安定してるな」

「良かった。きょうちゃんに気に入ってもらえて」

「毎日食っても飽きない味付けっての? こういうの大好きだぜ」

「え? 毎日とか、大好きとか、それって……」

「べ、別に深い意味はないぞ! 毎日作ってくれって言ったわけじゃねーし、好きっつったのは料理の味のことでだな……」

「……きょうちゃん。毎日じゃ、嫌かな?」 

「い、いい、嫌とかじゃねーよ! 毎日食えるんなら……大歓迎だ。実際おふくろが作るメシよりうまいし」

「それ本当?」

「嘘は言わねえよ……」 

「うふふ、あはは。きょうちゃん顔まっかだよ~」 

 

 あたふたと弁解する京介の仕草が面白いのか、麻奈実は彼を指差しながらクスクスと笑っている。

 ちょっとした冗談を言ったら大物が釣れてしまった。

 そんな感覚。

 だがそんな展開が面白いのは麻奈実ばかりなようで 

 

「い――痛えっ!」

 

 突然京介の手の甲に針を刺したような痛みが走った。

 言わずもがな、犯人はあやせである。

  

「――お兄さん。お姉さんを困らせたら駄目じゃないですか。どうせそのままエスカレートして変態行為に及ぶんですから」

「いやいや、この状況で俺がそんなことするわけねえじゃん!?」

「信じられません。だってお兄さんには色々と前科がありますから」 

「おまえ、また人を犯罪者みたいに……つーか、そうやって手の甲に爪を立てられてると超痛いんだけど……」

「痛いって、こうですか?」 

 

 きゅっと可愛く抓るあやせ。 

 

「だから痛いってッ!? やめてアザになっちゃうでしょ! あとなんでそんなブリザードみたいな声で喋んの!?」

「さあて、どうしてでしょうね。お兄さん。ちょっと涅槃の彼方にでも行って考えてみたらどうです?」

「それってもう死んでる状態だよね!?」

「あのさぁ、前から思ってたんだけど、京介ってジゴロっての? そういう才能あんじゃね?」

「はぁ!?」 

 

 横からきた加奈子の発言に京介が目を剥いて驚く。 

 

「あのな、ジゴロって意味分かって言ってんのか、加奈子?」 

「知ってる、知ってる。アレだべ? 女から金をもらって生きてる男のことでしょ。にひひ。案外京介ってさ、将来誰かのヒモになってたりして」

「ヒデーこと言うなよっ! こう見えても俺すっげえ真面目に生きてるからね!?」 

「……」 

 

 再び桐乃の前で“いちゃいちゃ”が始まった。

 当の京介にじゃれあっている意識は一切ないのだが、傍から見ている分には十分“いちゃいちゃ”してるように見えてしまう。

 あやせと加奈子に挟まれて、つつかれたり肘鉄を喰らいながらも喜んでいるように見えてしまうのだ。

 だから桐乃は――

 

『――バシンッ!!』

 

 立ち上がりざま勢いに任せて、持っていた箸をテーブルに叩き付けた。その際に響いた大きな音が会話の一切を中断させる。

 場にいる全員が何事かと桐乃を見上げる。

 

「……どうしたの桐乃? わたしなにか気に障ることでも言った?」

 

 心配げなあやせの問い掛けに対し、ぶんぶんと頭を振ってみせる桐乃。けれどそんな程度で一度凍り付いた場の雰囲気は和らがない。

 加奈子は不審げに、京介は若干怒りの滲ませた視線で桐乃を見つめていて――そんな彼等が桐乃を追求するよりも先に、彼女はきつい視線で麻奈実をねめつけた。

 

「ねえ、ちょっと顔貸してくんない?」

「おいっ、桐乃っ!」

「あんたは黙ってて。……心配しなくてもそういうんじゃないから。話するだけだから」

 

 京介を制してから、桐乃は再度麻奈実を睨み据える。

 箸を叩き付ける際に立ちあがっていたので、彼女を見下ろす格好になっていた。

 

「話って、桐乃ちゃんが、わたしに?」

「そう。ここじゃなんだから上にいこ」

 

 そう言い捨てると、桐乃は麻奈実の返答を待たずダイニングを後にする。

 麻奈実は桐乃を見送った後で複雑な表情を浮かべるも、結局は桐乃の後に続くことにしたようだ。

 

「麻奈実」 

「大丈夫だよ、きょうちゃん。ちょっと桐乃ちゃんと話をしてくるだけだから」

 

 そう言い残してから、麻奈実は桐乃の後を追ってダイニングを出て行った。

 

 

 

「……よし。誰もいないっと」

 

 麻奈実を自室へ招き入れた後、桐乃は扉から頭だけを突き出した状態で辺りを見回して、廊下に誰もいないことを確認していた。それからゆっくりと扉を閉め、後から誰も入ってこられないように鍵を掛けた。

 京介の部屋に鍵は掛からないが、彼女の部屋には掛かるのである。

 これも高坂家のヒエラルキーの結果といえるだろう。

 

「えっと、女の子らしくってお洒落な部屋だねぇ。わたしの部屋とは大違いっていうか、桐乃ちゃんの部屋に入るの初めてかも」

「……どっか適当なトコ座っていいから」

 

 部屋の中央で立ち付くし、キョロキョロと周囲を見回していた麻奈実に桐乃がクッションを放り投げる。そして自分は乱暴にベッドに腰掛けた。

 取りあえずクッションを受け取ったものの、麻奈実は勝手が分からず佇むしかない。でもそれ以上桐乃からのリアクションがないのを見て取ると、彼女の真ん前になる位置を選び出し、すとんとその場に腰を下ろした。

 

「ねえ桐乃ちゃん。ロック……じゃないや。いわおのこと覚えてる? 桐乃ちゃんほどじゃないけど、あの子も大きくなったんだよ~。今度はうちに遊びにきて欲しいな。桐乃ちゃんが来たらみんなもすっごく喜ぶと思うし」

「……」 

 

 いわおと言うのは麻奈実の弟の名前である。そして桐乃の同級生でもあるのだ。

 固い雰囲気を和らげる為だろう。桐乃の既知である弟を話題に出し状況の打開を試みた麻奈実だったが、桐乃はそっぽを向いたままその気遣いをガン無視する。

 その反応を見て、仕方ないとばかりに小さな溜息を零してから、麻奈実は桐乃が望んでいるだろう話から入ることにした。

 

「それでわたしに話したい事ってなにかな?」 

「……アンタはアレでいいと思ってるの?」

「え?」

「だからアイツのこと! 今の状態でもいいと思ってるワケ?」

 

 やや声を荒げながら桐乃から麻奈実に詰め寄った。

 普通なら何のこと言っているか分からない聞き方だが、麻奈実にならこれで伝わると桐乃は確信している。なのに当の彼女の反応は芳しくない。

 麻奈実は軽く首を傾げ、きょとんと目をぱちくりさせているばかりだ。

 その反応に腸が煮えくり返る思いがしたが、ここで激昂してしまっては元も子もない。そう思った桐乃は、きつく唇を噛み締めて覚悟を決めた。

 

「……ま、“まなちゃん”はアレでもいいのかって聞いてんのっ!」

「っ!?」 

「あやせのこととか、加奈子のこととか。さっきの色々なの見ても何も思わないの!?」

「――まなちゃんかぁ。ふふ、随分と久しぶりの響きだね」

 

 “まなちゃん”という呼び方は、まだ高坂兄妹が小さかった頃、麻奈実と三人で遊び回っていた頃に桐乃が口にしていた麻奈実への呼称だ。

 これを言葉にするということはもうおためごかしは通用しない。

 お互い一線を越えて本音で話をしようということだと、麻奈実は理解た。

 

「やっぱり覚えててくれたんだ」

「忘れるわけないじゃん! あんなことされて――忘れられるわけないっつうの!」

 

 ばふっとベッドを叩く。

 

「アタシは“嫌”だった! あやせも加奈子も友達だけど、そんでもアイツと仲良くしてるの見るの超イヤだった! あやせ達だけじゃない。黒いのとか――まなちゃんといちゃついてんのも我慢ならなかった!」

 

 知らず声音が高ぶっていた。

 今まで言いたくても言えなかったことを言葉にして話せる。それも話題にしても問題ない相手に対して“ぶっちゃけられる”という思いが、桐乃の背中を後押しした。

 

「あたしとあいつはずっと喧嘩みたくしてて――それこそ口も利かなかったり、無視したり、自分でも嫌な女だって分かってたけど、どうしても我慢できなくて」

「桐乃ちゃん」 

「あいつとの距離がどんどん離れてるのに、どうしても近づくことが出来なくて。あいつも壁作ってたし……だから、ずっと、ずっとあたしは兄貴に嫌われてると思ってた。でも最近やっと昔みたいに話せるようになって、一緒に遊んだり、一緒にゲームしたり、一緒に出掛けたり出来るようになったの!」

 

 桐乃は兄に、京介は妹に、互いに嫌われていると思って日々を過ごしてた。

 その大きなすれ違いが、一つの人生相談を切欠にして再び交差し始めたのだ。

 

「嬉しかった。楽しかったよ。けどあたしはまた昔みたく戻るのが怖くて――なのにアイツはヘラヘラいちゃいちゃばかりしてっ!」

「それはきょうちゃんの悪いところだね。優しいだけなんだけど、誰にでも優しいっていうのは時に辛い事もあるよね」 

「…………あいつを“好き”だっていう娘も現れたし……あたしは! あたしは一番じゃなきゃイヤなの!」

「それは桐乃ちゃんの我侭じゃないかな?」

「仕方ないじゃん! そうなっちゃたんだから! アタシは兄貴なんて大っ嫌い! でも兄貴の一番じゃなきゃ嫌! だから――まなちゃんはどう思うのかって聞いてんのっ!」

 

 自分でも脈絡なく話してると桐乃は思った。それでも溢れてくる思いが自然と吐露させるのだ。

 こんな拙い話しかたで理解できるのは、小さな頃に三人で一緒に過ごした麻奈実か、京介のことと同じくらい桐乃のことを考えてくれている黒猫くらいのものだろう。

 

「そうだねぇ。正直に言っちゃえば悔しいって思いはあるかな」

「……え?」

 

 麻奈実の意外な答えに少しばかり桐乃は呆気に取られた。

 こうして詰め寄ったものの、彼女が正直に答えてくれるとは思っていなかったからだ。

 言わば八つ当たりに近い。

 そう理解していたし、そうしても大丈夫な人物として麻奈実を選んだ面もある。

 

「桐乃ちゃんでもそういう顔をするんだね」

「ち、茶化さないで!」

「別に茶化してないよ。わたしときょうちゃんはね、うんと小さい頃から一緒にいて、ずっと隣同士で歩いてきたんだから」

「幼馴染……」 

 

 幼馴染。その言葉の意味を桐乃は強く呪ったものだ。

 あくまで京介と麻奈実にとって桐乃は妹でしかない。その事実が突きつけられるように感じたから。 

 

「それこそ家族同然に付きあってきた。桐乃ちゃんも知らないような出来事もいっぱいあったんだよ?」

 

 思い出を慈しむように、麻奈実はそっと胸の前で手を重ねた。

 まるでそこに大切な何かがあるように。

 

「幼稚園から小学校。中学、高校とずっと一緒で、漠然とこのままそんな日が続いてくのかなぁって思ってた。一緒に大学に進学して、就職して、そしていつかは――」

「……」 

「でもね、去年の夏前辺りから、きょうちゃんの周りに色んな女の子が集うようになってきたんだ」

「去年の、夏……」 

 

 ちょうどその時期は、桐乃が京介に人生相談を開始した頃と一致する。

 

「黒猫さん。あやせちゃん。そして加奈子ちゃん。みんな可愛い子ばかりだし――悔しくないなんて言ったら嘘だよ」

「だったらなんでっ! なんでまなちゃ……麻奈実さんは笑ってられんの!?」

 

 すっくと立ち上がり、桐乃は麻奈実に詰め寄った。

 もし自分と同じ境遇なら笑っていられるはずがないだろうと。

 

「桐乃ちゃん?」 

「だってその髪、美容院行って切ったばっかりでしょ? 服だってこの夏でた新しいのじゃん」

「あはは……桐乃ちゃんには分かっちゃうんだ」

「読モ舐めんなっつうの。……たぶん京介のバカは気付いてないだろうけどさ」

「だよねぇ。きょうちゃんそういうとこ鈍いから」

「デリカシーゼロの鈍感野郎だよね、全く! でもさ、そうやって気合入れた格好で来るってことは……そういうことなんでしょ?」

「それは……」 

「どうして麻奈実さんは、あいつの隣で笑ってられんの?」

 

 桐乃は笑えなかった。

 それどころか、京介を好きだという人間が現れても素直に祝福してやることも出来なかったのだ。

 実の妹なのに。

 それが彼女の心をかき乱す。もしかしたら、こうして麻奈実と話をしているのは、ただ共感を得たかっただけなのかもしれないと桐乃は気付く。

 似た境遇であるはずの彼女と分かち合いたいから。

 敵であるはずの麻奈実すら求めなければいけないほど、追い詰められていたから。

 なのに麻奈実は、彼の隣で笑うのだ。 

 

「それはねぇ桐乃ちゃん。わたしにとって、たった一つの“例外”を除けば――きょうちゃんが幸せになることが一番の望みだから、かな」

「……なによ、それ?」

 

 予想外の答えに力を抜かれてしまった桐乃は、ぺたんと尻餅を付くようにその場に座り込んだ。

 これで麻奈実と膝を付き合わせる格好になってしまう。

 

「意味、分かんない。京介が幸せなら……それでいいってこと?」

「さっき言ったように悔しいって思いはあるんだよ? 実際にきょうちゃんが他の女の子と付きあったら歯噛みすると思う。わたしにとってきょうちゃんは大切な人で――家族同然に大事な人だから」

「だったら、なんでっ!?」 

「だからこそ、本当に好きな人と一緒になってもらいたい。そう思ってるの」

「……ヘンだよ。そんなの絶対変!」

「そうなのかな。――うん。きっとそうなんだろうね」

「バカじゃないの!? そんなの……ばかじゃん……」 

「もちろん、きょうちゃんにとっての大切な人がわたしだったら嬉しいと思う。でもきっときょうちゃんは――」

 

 でもと言葉を切るのに合わせ、そっと瞳を閉じる麻奈実。

 一呼吸置き、二呼吸置き、再び目を開いた後に続いた台詞は、さっきまでとまるで繋がらないものだった。

 

「桐乃ちゃん。さっきあいつを好きだって言う娘が現れたって言ったよね?」

「え?」

 

 繋がらない話に疑問符が沸く。

 けれど頭がクリアになり、質問の意味を理解した途端、先程の失言を麻奈実に突かれたのだと気づいた。

  

「それってさ、黒猫さんのことじゃないかな?」 

「なん……で、それ……」

「別に聞いたわけじゃないよ? ただ想像しただけ」

 

 面と向かう相手を落ち着かせるような微笑みに、さすがの桐乃も毒気を抜かれる。

 

「黒猫さんときょうちゃん、学校で噂になるくらいべったりだからね。さっきの話を聞いてそうじゃないかなって思ったんだ」

 

 事実、桐乃は、先日黒猫からそういう話を聞かされていた。

 

「黒猫さんはきょうちゃんのことと同じくらい桐乃ちゃんのことを大切に思ってるから、きっと誰よりも先に桐乃ちゃんに相談するんじゃないかなって思ったの」

「あんた、なんでそんなに知ったようなことばっかり……」

「ちょっとだけ似てるから、かな?」

 

 えへへと柔和な微笑みを残し、麻奈実がゆっくりと立ち上がる。

 これでこの場はお開きという意味だろうと桐乃は察した。正直、まだまだ話し足りないという思いがあったが、次の麻奈実の台詞には同意せざるえを得なかった。

 

「下に戻ろっか。きょうちゃんのことだから、そろそろ心配して突入してくる頃合だと思うし」

「……かもね」

 

 悔しいが麻奈実の言う通り、京介が業を煮やして突撃をかけてきてもおかしくないと桐乃も思った。それでなくても二人は仲が悪いと認識されている。

 しょうがないとばかりに溜息を吐いて桐乃も立ち上がる。入出時に扉に鍵を掛けたので、それを解除しようと思ったのだ。

 別に麻奈実でも鍵は回せるが、家主としてここは譲れないところだろう。

 扉までの距離を少し歩いて――

 

「ねえ桐乃ちゃん」

 

 だから、麻奈実が声を掛けてきた時、彼女は桐乃の後ろにいたのだ。

 

「わたしはきょうちゃんに好きな人が出来たら応援してあげたいと思う。祝福してあげたいと思うんだ。だってわたしにとって一番大事なのは彼の幸せだから」

 

 急ぎ振り返る。

 そうして桐乃の目に飛び込んできたものは

 

「――だからね、わたしきょうちゃんに告白しようと思ってるんだ」

 

 眩しいばかりの麻奈実の笑顔だった。

 

 

 

  




今話から少しづつですが物語の終わりへ向けて展開していく感じになると思います。
その為の一番手として桐乃と麻奈実の登場となりましたが、京介を介さないシーンを描く為にモノローグなしの三人称となっています。

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