あたしの兄貴がこんなにモテるわけがない 作:powder snow
「ねえ、あんた。エロゲー買ってきてよ」
「――はあ!?」
喉を潤そうとリビングまで降りてきたら、ソファでくつろいでいた妹が開口一番こんなことを言いやがった。
俺の名前は高坂京介。
平凡という名の代わり映えのしない毎日を愛する、ごく普通の高校生だ。
非日常な世界? 刺激に満ち溢れた日々?
――悪いけど俺はごめんだね。
出来るなら一生関わりたくない世界だ。
夢がないと言われようとも、俺は普通に安寧な人生を全うしたいと考えている。
普通に勉強して、普通に遊んで、普通に進学して――いつかは就職して、結婚したりするのかもしれない。もちろんそんな先のことは分からないけど、俺が如何に平凡な毎日を望んでいるのかは伝わったと思う。
「……悪い、桐乃。今何て言ったのかよく聞こえなかったんだが……?」
「ちょっ、聞いてなかったワケ? だからエロゲー買ってきてっつってんの!」
そして、まったく遠慮もなしに悪態を吐いてくれてるのが、俺の妹である高坂桐乃だ。
ライトブラウンに染めた髪にピアス。綺麗に伸ばされた爪にはマニキュアと、いまどきの女の子らしいオシャレな格好をしている。
学業優秀、容姿端麗、スポーツ万能。更にはティーン誌でモデル活動なんかもやってたりする。
兄である俺が言うのもなんだが、ほぼ完璧超人と言っても良い。
「おまえ正気か? 何処の世界に兄貴に向かってエロゲー買ってこいつう妹がいるよ!?」
「なによ、恥ずかしいとでも言うつもり? っていうか、可愛い妹がこうして頭下げて頼んでるんだから、素直に“はい、買いに行かせて頂きます”くらい言えないの?」
「あのなぁ桐乃。可愛い妹ってのは兄貴にエロゲーを買いに行かせたりしねーと思うぞ」
「そんなことは聞いてない。行くの、行かないの、どっち?」
「だから行かねーって!」
「――チッ!」
これ見よがしに不満顔を晒しながら、盛大な舌打ちをかましてくれる我が妹。
っていうか、これ普通に怒って良い場面すよね?
そう――この妹と深く関わっちまったばかりに、俺の平凡で安寧な人生は、一風変わったヘンテコリンなものへと路線変更されてしまったのだ。
「……フン。あの時は買いに行ってくれたくせにさ……」
唇を微妙に尖らせながら、桐乃が何やらぶつぶつと呟いている。
一見して完璧超人に見える我が妹なのだが、実は世間に隠している裏の顔が存在する。それは『妹もの』と呼ばれるジャンルに傾倒するオタクだったのだ。
ちなみに、そんじょそこらを歩いているライトなオタクを想像してもらっては困る。
子供向けアニメから果てはエロゲーまで。妹ものなら幅広く網羅する、ガチもガチの筋金入りのオタクなのだ。
そんな妹に『人生相談があるの』と言われたのがほぼ一年前。
それが全ての始まりだった。
実にこの一年間、色々なことがあったさ。
趣味の話が出来ない桐乃に友達を作ってやったり、親バレした時に趣味を止めさせると激昂する親父(鬼のように怖い)と対決したり、親友との仲を取り持つ為に変態のレッテルまで貼られたりな。
ついこの間なんかはアメリカくんだりまで迎えに行ってやったりもした。
けど勘違いしてもらっては困る。
俺は妹のことが大キレーなのだ。日常会話すら交わさない冷戦状態も経験したし、お互いの存在そのものを無視し合っていた頃もある。
あの『人生相談』以後少しはマシになったものの、以前として仲が良いとはお世辞にも言い難いし、向こうもそう思ってるはずだ。
だけどアニメ見て笑ってる桐乃や、友達と馬鹿やってる桐乃を見てるのは……その、気分的に悪くない。
繰り返すが、妹のことは大嫌いである。
それでもあいつは俺の大切な妹なんだと、そう思っていた。
「じゃあさ、あたしも一緒に……行ってあげる……」
「あ? 今なんつった?」
「だから! あたしも付いて行ってあげるって言ったのっ! あんた一人で買いに行くのが恥ずかしいんでしょ? なら……これで問題ないじゃん」
「いや、そういう問題じゃねえから……」
さっき怒鳴ったと思ったら急に赤くなったりして、本当に忙しい奴である。
「つーかさ、おまえネット通販っていうの? そういうのでエロゲー買ってるんじゃなかったっけ?」
「普段はそうなんだけど……今回は特別って言うか――き、急にやりたくなったの! 何か文句あるワケ!?」
「文句はねえけどさ、単純に不思議つーか、疑問に思ったんだよ」
俺が妹を嫌いなように、こいつも俺のことを嫌ってるはずだ。
なのに“一緒に行って”までエロゲーを買いにいかせようとするのが理解できない。他に手に入れる手段があるんだから、わざわざ俺に頼むなんてどーかしてる。
そんなことを考えていたら、桐乃があさっての方向に視線を向けながらこう付け加えてきた。
「……ほら、あたしこないだまでアメリカにいたじゃん。エロゲー買うなんて当然無理だし、新作の情報だって入ってこなかった。だから……さ、その……」
「あー、そういやそうだわな」
確かノーパソのHDに“ぱんぱん”になるまでエロゲをインストールしていったにも関わらず、向こうではプレイすら満足に出来なかったらしい。
桐乃曰く「このあたしが積みゲーするなんて……!」ってくらいだから、相当フラストレーションも溜まりまくったことだろう。
んで、帰国後ネットを見ていたら留学中に発売した新作を発見。
どーしてもやりたくなった。我慢仕切れなくなったってところか。
――ったっくよ、しゃあねえな。
正直、気は進まない。
何が悲しくて、休日潰してまで妹の為にエロゲーを買いに行かなきゃならんのだ?
ふざけんなって怒鳴りたい気分だね。
だけど“そういう理由”があるならミジンコ程度の気持ちだけど理解できなくはない。ちょっとだけ妹の為に時間を割いてやろうって気にもなるさ。
「……で、そのエロゲー? すぐにやりたいの、おまえ?」
「え? あ、あったりまえじゃん! アリスプラスの新作だよ? きっと神ゲー。今すぐにでもプレイしたいに決まってるっしょ」
大好きな物が手に入るかもしれない。
光明が見出せたのがそんなに嬉しいのか、桐乃の表情が思い切り軟化した。というか輝きだした。
「買ってきてくれんの?」
「ああ、分かったよ。買ってきてやる。――で、本当に付いてくる気なのか、おまえ?」
タイトルさえ教えてくれれば十分だ。わざわざ兄妹揃って買いに行くこともないだろう。
てか妹と一緒にエロゲー買いに行くなんて罰ゲームでも嫌すぎるだろ!
そう思っていたのに桐乃の奴は
「うん。間違えたらシャレになんないから付いて行く」
「……マジか!?」
「なにその返事? あたしと一緒に出掛けるのがそんなに嫌なワケ?」
「嫌つーか、妹と一緒にエロゲー買いに行くなんて拷問レベルの所業だろ! つーかさ、オマエは平気なのか?」
「あたしは……どうしてもそのゲームがやりたいし、嫌だけど、すっごい嫌だけど我慢してあげてんの! か、勘違いしないでよっ! それだけ早くエロゲーやりたいだけなんだから!」
「おまえな……ああ、もうクソッ! へいへい、わーったよ。分かりました。一緒に連れてきゃいいんだろ、連れてけば!」
半ばヤケクソ気味に叫びながら了承の意思を見せる。
だってよ、反論しても無駄な雰囲気だし、これ以上文句を言い続けたらまちがいなく蹴りが飛んでくる。
だけど勘違いってなんだよ。
一緒にゲーム買いに行くだけだぞ。訳わかんねーって。
だが、そんな俺の返事が御気に召さなかったのか、子供みたいなふくれっ面になる桐乃。
しかし意中の物が手に入る喜びには代えられないのか、直ぐに機嫌を取り戻すや
「ふひひ。楽しみ。じゃあ三十秒で支度して!」
「はえーよっ!!」
ほんっとうに傍若無人な妹様だぜ。
兄の存在をいったい何だと思ってやがるんだ?
けどさ、こんな妹の我侭に付きあってやる俺も相当なもんなんだろうなって、なんか他人事のように思っていた。
玄関を出て、門扉のところで待つこと暫し。
「遅えぞ、桐乃っ!」
人には三十秒で支度しろとか言ってやがったくせに、こいつキッチリ三十分待たせやがった。
「女の子は準備に時間がかかんのっ」
準備だぁ? たかだが買い物に行くぐれーで入念にメイクしやがって。
あいつに言わせりゃ「これでもアタシ読モだよ? ファッションに気を使うのは当然っしょ」くらいに考えてるんだろうが、待たされてる俺の身にもなれってんだ。
「うし。じゃあ、行こっか」
そして隣に並んだ妹の第一声がコレですよ。
待たせてごめんの一言もなし。
いや、そもそも期待はしてなかったけどな。
「……」
俺は桐乃の姿を一瞥してから、スタスタと駅に向かって歩き出した。
エロゲーを買うんだから当然行き先は秋葉原だろう。なのに桐乃が付いて来る気配がしない。おかしいなと思って振り返ってみれば、まだ玄関先でぽつんと佇んでいる始末。
なにやってんだ、あいつは?
「おい桐乃。どうしたんだ? 秋葉原に行くんじゃないのか?」
「…………」
「なにか忘れ物でもしたか?」
「…………………………別にィ」
フンっと不満気に鼻を鳴らしてからようやく桐乃が歩き出す。
時々こいつは、何処にスイッチがあるのか突然不機嫌になりやがる。
本当、我が妹ながらよくわからん奴だ。
そんなこんなで俺と桐乃はエロゲーをゲットするべく秋葉原へ向かったのだが――なんとこのイベント、すんなりとゲームを買って終わりという訳にはいかなかったのである。
何故なら、秋葉原でばったりと黒猫と沙織に遭遇してしまったからだ。