それぞれの目線   作:ルーラー

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【蛍 おのぞみの結末】

「『マテリアルゴースト』の完結を記念して、かんぱーい!」

 

『かんぱーい!』

 

 とある料亭内に先輩の乾杯の音頭と僕たちの声、そしてコップのぶつかる音とが響き渡った。

 

「いやー、終わったなー」

 

「終わったねー」

 

「終わっちゃったわねー」

 

「ああ、終わったなー」

 

「なんか実感湧かないよなー」

 

 今日はまあ、なんというか、ちょっとしたお疲れ会を開くことになった。参加者は僕――式見 蛍とユウ、鈴音に先輩、それと陽慈。それから傘に――

 

「私なんか、1巻分しか登場できませんでしたよー。あ、特大パフェお願いしまーす」

 

 オレンジジュースを一気飲みした耀がむくれながら誰よりも早く注文を飛ばす。――って、おい!

 

「とりあえず、当然のように初っ端からパフェを頼むのはやめないか?」

 

「でも、もう運ばれてきちゃいましたし」

 

「早っ! 無駄に仕事が早いよ! ここの店員!」

 

「それはそれとして、嬉しそうですねぇ、センパイ。ユウさんと神無センパイに左右から抱きつかれて」

 

「いや、それは……」

 

 そりゃ、嬉しくは、ある。もう二度と会えないと思っていたユウと、そして鈴音とこうしてまた話をできるのだから。でも別に僕は、そんな、耀にジトッとした目を向けられるようなことは考えていなくて……。いや、本当に。

 

「って、先輩! なに手に持ったグラスを握り潰してるんですか!」

 

「いやいや、別に私は怒ってなどいないぞ。ユウと神無はあくまで『自分から』お前に抱きついているわけだからな。うん。後輩、お前は悪くない」

 

「じゃあ、なんで僕に見えるように右の拳を固く、かたぁ~く握ってるんですか! ああ、力入ってる! メッチャ力入ってる!」

 

「…………。相変わらず騒がしいヤツだな、式見」

 

 唐突に耳に入ってきた声は、酷く冷ややかなものだった。首を巡らせ、店の入り口のほうに目をやる。金髪碧眼の美少年――いや、美女がそこにいた。アリスである。でもなんか怒ってるような……? ギロリとでも形容できそうな視線をこっちに送ってきてるような……?

 ……ああ、見なきゃよかった。

 

 とはいえ無視するわけにもいかず、彼女に話しかける。地雷だけは踏まないように気をつけよう。

 

「あ、アリス。……なに怒ってるの?」

 

「…………。別にボクは怒ってなんかいないぞ?」

 

 不機嫌そうな声が返ってくる。……ああ、地雷だ。モロに地雷を踏んだっぽい。もう、なんなんだ、今日の女性陣は。

 

 助けを求めるようにアリスの右隣に立っている女性に視線を向ける。

 

「深螺。なんでアリスはこう、出会い頭からして怒ってるの? 僕、なんかしたっけ?」

 

 それに深螺は深く息を吐き出して。

 

「とりあえず、蛍。フラグ乱立はどうかと思いますよ?」

 

「――はい?」

 

 いやいやいやいや! 僕が本編でフラグを立てたのは、ユウと鈴音と先輩の三人だけだったはずだ。……まあ、これだけでも軽く、プレイボーイな感はあるけど……。

 

「久しぶりー! 鏡花ー!」

 

 今度はアリスの左隣に立っていた女性が抱きついてきた。

 

「え、なに!? まさか僕、サリーのフラグまで立てちゃってたの!?」

 

 やれやれ、といった風に首を振る深螺とアリス。それはそれとして、正直、苦しい。両隣にユウと鈴音、真正面からはサリーだぞ。下手したら絞め殺されるんじゃ……。あ、もしかしてユウたちも機嫌悪かったり、する?

 

 さらに悪ノリしたのか、後ろから「兄さーん!」と傘まで抱きついてくる。ああ、もうマジで窒息しそうだ……。

 

「…………。なあ、そろそろ離れてやったらどうだ? 蛍、マジでしんどそうだぞ?」

 

 ああ、やっぱり陽慈は僕の味方だなぁ……。

 

 

 

 

「で、お前はどこのハーレム小説の主人公なんだ? 蛍」

 

 ユウたちが離れてくれてからしばらくして、陽慈が苦笑しながらそう尋ねてきた。

 

「や、そんなこと訊かれても……」

 

 っていうか、なに? その『ハーレム小説』って……。

 

「しかし、マジで死ぬかと思ったよ……。いや、もちろんもう死んではいるわけだけど……」

 

「まあまあ、ケイ。皆、ケイにまた会えて嬉しかったんだよ。はしゃいじゃったんだよ。あ、もちろん私だって嬉しいよ?」

 

 さっき、ユウだけ僕の首に腕を回してきていたような気もするが、そう言われてしまうと、これ以上テンション高く文句も言えない。

 

「それにしても、深螺もすごいことやるよね……。ほんの一日とはいえ、僕やユウ、耀を現世に呼び戻しちゃうんだから」

 

「『それってどこの占いババ!?』みたいなツッコミはないのですね、蛍」

 

「なに!? 突っ込んで欲しかったの!? 深螺!」

 

「いえ、特には」

 

 きょとんとした表情で首をふるふると横に振る深螺。表情そのものはずいぶんと柔らかくなったのだけど、なんだかなぁ……。

 

 アリスと深螺が畳敷きの床に腰を下ろすのを待って、僕は深螺に問いかける。

 

「あれ? ところでアヤは?」

 

「待っていればじきに来ると思いますよ。ちょっと駄菓子屋に寄ってくるとか言っていましたが」

 

「駄菓子屋? なんでまた……って、ああ、レモン飴……」

 

 そりゃ、料亭にはないよな、レモン飴は。なぜかパフェはあったけれど。更には先輩がさっき、カレーを頼んでもいたけれど。

 

 と、その先輩がスプーン片手に口を開いた。しかし、なぜに料亭でカレー……?

 

「アヤといえば、あのときは大変だったなぁ、《顔剥ぎ》事件。なにしろ――」

 

「いやいやいや! そういう話はアヤが来てからにしましょうよ! 大体、それ以外にも話題はたくさんあるじゃないですか! ほら、《中に居る》のこととか」

 

「後輩よ、話の順番としては、これが一番だと思うぞ?」

 

 いや、まあ、そうなのだろうけど。

 

 僕もついつい突っ込んでしまったけれど、この先輩のことだから、敢えて先にしようとしたのだろう、《顔剥ぎ》事件の話。いや、別にアヤを仲間外れにしようとかいう意図じゃなくて――まあ、そういう意図も彼女には多少あるのかもしれないけれど、それ以上にあの事件はアヤにとってイヤな出来事でしかないから……。

 

 だからアヤのいないうちに話しておきたい、アヤのいるときにわざわざ話して、彼女に当時を思い出させたくないという気持ちが、やはり先輩の中にあるのだろう。まったく、相変わらずイタズラ心が満載なのか優しいのか、区別のつきにくい人だ。

 

 もちろん、そういう意図がないのなら、アヤが関わっていない頃のことを話しながら待つことにするのだろうけど、この先輩は。

 

「あの事件は、美少女ぞろいの帰宅部の中でも一番の美人は誰だったのか、ということをハッキリさせるためには語らずにはおけないものだったな。なにしろ《顔剥ぎ》は『美人』を狙う悪霊。つまり! それに狙われた者が一番の美少女だ、という論理が成り立つわけだ!」

 

 自信満々に胸を張った先輩の言葉をおずおずと鈴音が継いだ。

 

「最初は、私が狙われていたと思ったんですよね……」

 

「そう! しかしそれはただの誤解! ミスリード! 真に狙われていたのはこの私、真儀瑠さ――」

 

「もっとも、《顔剥ぎ》は女装した僕を見るなり、すぐさま標的を変えてきましたけどね……」

 

 げんなりとつぶやく。そしてそれに乗っかるようにアリスが、

 

「イヤすぎるミスリードだな……。しかし、ということは帰宅部で一番の美少女は式見ということになるのか」

 

「美少『女』じゃないけどな……」

 

 でも僕、アリスからも『可愛い』という評価を受けた覚えがあるな。…………。ま、まったく、《顔剥ぎ》もアリスも……。

 

「鏡花は強くて優しくて、しなやかでユニーク、と」

 

 なんかサリーがつぶやいていた。微妙に皆に聞こえる声量でつぶやいていた。……さ、サリーもまったく……。

 

「…………」

 

 …………。

 

 ええと、先輩、なんかまたも僕を睨んできている……? なに? 僕? 僕のせいなの? いまの僕のせいなの!?

 

 …………。

 

 うん、ここは僕と先輩しか知らないようなエピソードで、先輩の機嫌をとっておこう。そうしないと本当にマズい気がする。

 

「そ、そういえば先輩、僕と先輩が知り合うきっかけになった事件、憶えてます?」

 

「ん? ああ、野球部で起こった、あの『呪い』の事件か?」

 

「それですそれです! いや~、あのときはチャットで『バンショウ』に相談したり、事件を一から足で洗い返したりと、色々ありましたよね~」

 

「ふむ、そうだったな。いま思えば、あの事件がなければ後輩と出会うことも、なかったかもしれないわけか……」

 

 そう。そうなのだ。だから『野球部を襲った呪い』の件に限らず、僕は『事件』というものを『ないほうがよかった』とまでは思えない。もちろん全員が全員、そうだったとは言わないけれど、やはりそういった『事件』がなければ出会えなかった人もいただろうから。

 

 それはそれとして、先輩の機嫌もなんだかあっさり回復した。うん、やっぱり過去話は効果バツグンだなぁ。僕はちょっぴり調子に乗って続ける。

 

「更にあの一件では、『バンショウ』から教えてもらったことや事件現場の確認でわかったことから組み上げられた先輩の名推理も――」

 

「いや、推理はしていないがな。というか、あの事件を解決したのはお前だろう、後輩。思えばあの一件、私はわけのわからないままに連れ回されただけだったぞ」

 

 あ、先輩がまたも少々不機嫌に。しまった、先輩の名推理が初めて披露されたのはあの事件で、じゃなかったか。ああ、またもフォローしないと。

 

「あの、蛍。その『バンショウ』というのは……?」

 

 片手を軽く挙げて、深螺。先輩へのフォローはとりあえずあとに回し、僕はそれに答えた。……本当は先輩へのフォローを優先したかったのだが、いいフォローの仕方がちょっと思いつかなかったというのもある。

 

「ああ、それは僕と先輩が陽慈から頼まれた『野球部を襲った呪い』の一件の際に頼った、とある心霊相談サイトの管理人の名前で……。そういえば、なんていったかな、あのサイトの名前。ええと、確か……」

 

「『ゴッドレス』ではありませんか? もしかすると」

 

「そう、それです。なんか心霊相談サイトらしくないな、と思ったんですよね。……あれ? でも、なんで深螺がそれを?」

 

「それは、ですね」

 

 そこまで言って、深螺が一拍置く。なんとなく先の展開が読めてはいるものの、でもそんな偶然があるものだろうか、と唾を飲み込む僕と先輩。

 

「それは、ですね……」

 

 またも一拍置く深螺。……ええと、まさかCM明け? 先輩と同じ発想? もしそうなのだとしたら、深螺も随分とお茶目になったものだと思う。ちょっと人間味が出すぎてないか……?

 

「それは、ですね……」

 

 まさかの三度目。このタメはそろそろ飽きられるぞ。……ん? 待てよ。この感じからすると、もしかして……。

 

「それは――」

 

「深螺、もうタメはいいから! タメはいいから早く言っちゃって!」

 

 僕の予想したとおり、彼女は四度目のタメを作るつもりでいたらしい。しかし「……むぅ」とちょっとむくれているところを見るに、別に突っ込まれるまで延々とタメを作り続けるつもりはなかったようだ。

 

「まあ、ぶっちゃけてしまいますと、『ゴッドレス』は私の管理していたサイトだった、ということなのですけどね」

 

 なんかもう、グダグダだった。空気がすごく、グダグダだった。何度もタメを作るのはよくないのだな、と今後絶対に役に立たないであろう教訓を得る僕たち。

 

 いや、僕と先輩なんかは「ええっ!? 本当に!?」みたいなテンションになるべき場面なのだろうけど。でも、ここまで何度もタメを作られてからだと、なんかこう「あ、そう」で済ませたくなってしまうというか、割とどうでもよくなってしまった、というか。

 実際、僕自身もその可能性には『なんで深螺がそれを?』と問いかけた辺りから気づいていたし。

 

 しかし、サイトを作って管理って、深螺、割と暇なのかな。いや、仕事の一環という可能性も……。あ、でも、当時の彼女の年齢を考えると……。

 

 それにしても、『バンショウ』かあ。じゃあ、鈴音だったら『テンショウ』になるのかな、なんて、そんなどうでもいいことを、しかし、どうでもいいことだからこそ真剣に考えてしまう僕。

 

「ケイ~。身内の話ばっかりして、つまらないよ~」

 

 ユウが唐突に、ガクガクと僕の肩を揺さぶってきた。いい加減、ユウも会話に加わりたいのだろう。そういえばさっき、「過去話に入れない者同士、甘いものが好きな者同士、一緒にパフェでもぱくついていようか」なんて言って、耀と一緒にパフェを食っていたしな……。うん、まあ、ちょっと悪いことをした。

 

「でもさあ、いまさら語ることあるか? 僕とお前」

 

「ひどっ! それ、永遠の愛を誓った恋人に向ける言葉!?」

 

 ああ、また鈴音や先輩からの視線が強くなった。しかし、こればっかりは否定できないし……。よし、話題を逸らしにかかろう。

 

「ユウ、最近どう?」

 

「なにそのあからさまな話題の逸らし方! 最近もなにもないよ!」

 

 それはそうだ。じゃあ……、

 

「僕が深螺と初めて会った時期にやっていたレーシングゲームについて、どう思う?」

 

「…………。また、古い話題を持ち出してきたね。まあ、いいけど。……そうだね~、ショートカットシステムは斬新だったかな。あれで陽慈さんを騙せたのは面白かったね」

 

「発言がすっかり悪魔的になっているな……」

 

 げんなりとつぶやく僕。というか、陽慈がちょっとだけ不憫だった。

 

「失礼な! 小悪魔的と言ってよ!」

 

「しかし、ゲームか。もう随分とやってないなぁ。陽慈はやってる?」

 

「いや、もう社会人だぞ? なかなか時間とれないって」

 

 苦笑しながら、陽慈。そうかなぁ。やる気さえあれば、いつだってできそうなものだけど。ゲーム。

 

「せっかくだから僕の分までやっておいてよ。僕も耀の分までパフェ食べてたんだし」

 

「いきなり押しつけがましくなったな、お前……」

 

「それはほら、相手が陽慈だから」

 

 「お前なぁ……」と嘆息する陽慈を尻目に、鈴音が「そういえば」と話題に乗ってきた。

 

「蛍って、結局あれはやれたの? ほら、入院前に予約していたRPG」

 

「…………」

 

 そういえば、やったっけ……? むぅ、退院してからは一人で楽しむタイプのゲームはあまりやらなかったような……。

 

「やってないかも……」

 

 ちょっとショック。いや、だって、新作であった以上、それなりに高いソフトだったし。

 

「くそう! こうなることがわかっていたら、ソフトは買わずに、それをパーティー費用に回したのに! そうすればあの屈辱バイトもせずに――」

 

「――は済まなかっただろう。それに後輩、なんだかんだ言ってあれのおかげでアヤと再会できたのだろう? なら、あのバイトをそう悪くも思えないだろうに」

 

「それはそうなんですけどね。でもそれをあなたに言われるのは、やっぱり釈然としないものがあります。――と、そういえばアヤ、まだですかね?」

 

「そういえば遅いな。後輩のハーレム構成の最終要員」

 

「…………」

 

 もう、突っ込む気も起きなかった。それよりも、だ。パーティー云々でちょっと思い出したことがあった。僕はみんなに声が聞こえないように耀に近づき、小声でしゃべる。

 

「なあ、耀」

 

「なんです? センパイ。まさか、本編ではくっつけなかったから、この隠しヒロインである私、日向 耀をこの場で攻略しておこうと――」

 

「違う。というか僕に合わせて、もう少し声を小さくしてくれ。お願いだから」

 

「小さくさせてなにをするつもりです?」

 

「そっちの思考から離れられないのか、お前は……。ほら、あのことだよ。あのとき、お前、僕を刺しただろう? みんなは知らないけど」

 

「あ、あはは……。そんなこともありましたね。耀ぅ、すっかり忘れてましたぁ~」

 

「別に恨む気はまったくないんだけど、『すっかり忘れていた』とまで言われると、軽くムカッとくるものがあるな……。いやまあ、僕が言いたいのはさ、耀、あの刺したとき、なぜかグリッと捻ったよな? ナイフを。でも、なんで? 僕、それが気になってて……」

 

「う……。あ、あれはその、センパイが『……ユ、ウ?』なんてユウさんの名前を口にしたから……」

 

「え!? それだけの理由で僕はあんな苦痛を味わわされたの!?」

 

「『それだけ』ってなんですか! 私といるときに別の女の名前を出したりするから――」

 

「それ、刺した人が言うセリフじゃないよねぇ!」

 

「えっと、ケイ? 耀? 大声出して、一体どうしたの?」

 

 背後からまたも唐突にユウの声がした。慌てる僕。なぜかムスッとする耀。どうもヒートアップして、知らず知らずのうちに声もすっかり大きくなってしまっていたようだった。

 

 僕はどう言い訳したものか考えながら、ユウのほうをゆっくりと向き――

 

「遅くなりました~。式見君に久しぶりに会えるっていうから、これでも急いできたんですけどね~。あはは~」

 

「アヤ! ナイスタイミング! グッジョブ!!」

 

 やってきたアヤに向けてグッと親指を立てる僕。いや、本当に助かった。このまま一気に煙に巻いてしまおう。キザな――もとい、『大人な式見君』モード、発動だ。

 

「こほん。久しぶり、アヤ。来てくれて心から嬉しいよ、ベイビー」

 

「…………。久しぶりだね~、式見君。そして相変わらずだね~」

 

 アヤがちょっと腰を引いたあとにそんなことを言ってくる。正直、褒められているのか貶されているのか、すごく判断に迷う。とりあえず、もう二度と使うまい、『大人な式見君』。

 

 僕は、僕と耀がなにか話していたことを忘れてしまうくらいには周囲がドン引きしたことを確認し、キャラを元に戻す。あ、なんかアヤは一度このモードを見ているせいか、他のメンバーに比べれば耐性があったようだ。それもそれでちょっと悲しいものがあるけれど。

 

「でもこれでやっと全員集まったな。先輩、乾杯やり直します?」

 

「あ、いいよいいよ。そこまで気を遣ってもらわなくても」

 

 そう。こうやってちょっと遠慮してしまうのが篠倉 綾という人間で。あれから何年も経っているというのにまったく変わっていない彼女に、僕はどこか安堵する。

 

 そう。僕がいなくても皆、ちゃんとやっていけているのだなと、心から、安堵する。正直、僕は今日、アヤがやってきた瞬間に泣き出してしまったりするんじゃないかと、密かに心配してもいたから。

 

「よし、じゃあ皆、もう一度コップを持てー!」

 

「ええっ!? いえ、だから――」

 

 気を遣わなくてもいいと言っているのに、乾杯の音頭をとろうとする先輩。そしてそれに狼狽するアヤ。

 

「遠慮するな、アヤよ。それに、深螺さんたちもまだ『乾杯』をやっていないからな。それもやってしまいたいんだ」

 

「えっと、はい、それなら……」

 

 おずおずと、でも楽しげにコップを手にして掲げるアヤ。……まったく、この先輩もアヤに負けず劣らず変わらないな。本当に自然に周囲を気遣えて、それとなくまとめることができて、そんなところが本当に、すごく素敵で――。

 

「では、私、真儀瑠 紗鳥の『碧陽(へきよう)学園』就任を祝って――」

 

「ちょっと待ったあっ!」

 

 思わず突っ込む僕。

 

「なんですか、それ! 違うでしょう! 『マテリアルゴースト』の完結を祝って、でしょう!?」

 

「それはもう終わったぞ、後輩」

 

「いつ!?」

 

「アヤが来たときに。ここからは私の教師就任を祝ってのパーティーだ!」

 

 酷かった。本当にアヤを気遣っていなかった。この人、僕たちにムリヤリ祝わせるつもりだ。相変わらず、よく考えるとなかなかにサイテーな先輩だった。変わらないにもほどがある……。

 

「さあ、では仕切り直しだ! この私、真儀瑠 紗鳥の『碧陽学園』就任を祝って――」

 

 強引に仕切り直す先輩。それに僕は苦笑する。

 

 まあ、いいかと思った。

 

 なにを祝うにせよ、ここにいるメンバーは変わらない。皆で同じ時間を過ごすために集まったことに変わりはない。だったら、『終わった』、『大変だった』なんていつまでも言ってるよりも、皆で先輩にエールを送るほうが、絶対に楽しく、にぎやかにこの時間を使えるはずだ。

 

 まあ、実はユウに『ピア子』の一件の際に、一人で家まで帰るのがどれだけ精神的に凹んだか、いまだからこそ言っておきたくもあったのだけれど、それをいま持ち出す必要はないように思えた。せっかく盛り上がってきた空気に水を差す必要は、ないよなって。

 

 そして、先輩の声が響き渡る。

 

「かんぱ~い!」

 

『かんぱ~い!!』

 

 それに負けないくらい大きな声を出すみんな。もちろんその『みんな』には僕だって含まれていて。

 

 そして、いまさらながらに思う。いま、この日だけだけれど、僕は確かに『みんな』と一緒にいるんだって。この瞬間を、『仲間』と分かち合えているんだなって。

 

 ちょっと気になって、ユウを見る。アリスとは最後まで本当の意味で『仲間』として接することができなかったユウのほうを。すると彼女もこちらを見ていて、本当に楽しそうに輝いているその瞳とバッチリ視線が合った。

 それだけで理解できた。ユウもまた、この瞬間を心から楽しめているんだ、充足しているんだ、と。

 

 僕はそのユウの瞳に微笑して返して。

 

 まどろむように。

 

 のんびりと。

 

 そっと、静かに瞳を閉じた。

 

 視界は黒一色に染まったけれど、この空間には『楽しい感情の霊気』が溢れているからなのだろう、僕の心はどうしようもないくらいに浮き立ってきて、そして、矛盾するようだけれど、いままでになかったくらいに穏やかにもなっていって……。

 

 僕はその心地いいまどろみに、しばし、身を委ねた――。

 

 

 

 

「後輩。これをやろう」

 

 先輩の声に僕は目を開く。

 

 …………? 

 

 僕の目の前には確かに先輩がいた。しかしそれは僕の見慣れた姿ではなく、そう、『てぃんくるバージョン』ではなく『狗神煌(いぬがみきら)バージョン』の先輩で……。

 

 まあ、それはそれとして、彼女は僕の目の前に一冊の本を差し出していた。受け取ってタイトルを読み上げる。

 

「ええと『生徒会の一存 碧陽学園生徒会議事録1』? あれ? 『碧陽学園』って……」

 

「うむ。私が明日から勤めることになる高校だな。なんでもその本、そこの生徒会のメンバーが自分たちの活動内容を綴ったものらしい」

 

「はぁ。それはまた変わったことを……。……って。先輩、学校に行くの、明日からだったんですか?」

 

 じゃあ、すごく忙しいだろうに。それなのに今日、来てくれたのか……。

 

「ああ。どうだ? 優しい先輩だろう? ……って、なんだ? そんな感動した瞳をして……」

 

「いえ、別に……」

 

 マズい。本当に感動して、ちょっと泣きそうだ。

 

「おいおい、後輩。久しぶりにお前に会えるというのにここに来ないなんて選択肢、あるわけがないだろう。私とお前の仲なんだから」

 

 先輩には僕を泣かせようという意図はないのだろうけど、ちょっと、本当にヤバかった。それを察してくれたのだろう。先輩は声音をふざけたものに戻し、

 

「それにな、やるべきことはもう済ませてきたんだ。《企業》のお偉方や《スタッフ》たちとの顔合わせとか、だな」

 

 僕もそれに、いつもどおりにげんなりと返すことにする。湿っぽくなるのは僕も嫌だったから。

 

「《企業》って、《スタッフ》って……。先輩、今度は一体なにに関わってるんですか……」

 

「なに、ちょっと、な。詳しいことは話せないが、深螺さんやアリスを噛ませる準備は着実に整ってきている、とだけは言っておこうか」

 

「…………」

 

 さすがに絶句する僕。僕が成仏したあの日、先輩は深螺やアリスを巻き込んでこの国を裏から牛耳ってやろうと思っている、みたいなことを言っていたけれど、本当にやるつもりでいたのか……。

 

「手始めに、まずは碧陽学園だ。そしてそこの――そのライトノベルにも出ている生徒会のメンバーたちだ。そう、独立国家を、私は創る!」

 

「そんな、拳をグッと握り締めて『海賊王に、俺はなる!』みたいなノリで言われましても……」

 

「いいじゃないか。碧陽学園の副会長も似たようなことを言っているぞ」

 

「え? え~と……」

 

 先輩からもらった文庫本のページをペラペラとめくり……、

 

「――ぶっ!」

 

 しょ、初っ端から『ひぐらし』ネタで噴きださせられるとは思わなかった。……や、これ、学校で配布されているものとしてはヤバイくらいに面白くないか?

 

 それはそれとして。

 

「あ、これですか? 『俺は美少女ハーレムを作る!』」

 

「そう。それだ。すでに美少女ハーレムを作った男、式見蛍よ」

 

「作ってませんよ!」

 

「そう思っているのは本人のみ、か。……しかし、お前が『俺は美少女ハーレムを作る!』なんて言うと、随分と違和感あるな」

 

「そりゃそうですよ。僕、そういうキャラじゃないんですから」

 

 そういうキャラになりたくもないし……。

 

「しかし、なんてクセのありそうな人たちなんだ。生徒会メンバー……」

 

「なに、私たち以上ではないさ」

 

「そりゃそうですよ! こんな異常メンバー、そうそう居てたまりますか!」

 

 ハイテンションにそう返したけれど、いや、ちょっとパラパラとページを繰ってみた限り、この生徒会メンバーもかなりのものだと僕には思われた。もうすでに成仏していたよかった。

 

 でも、そう思う一方で。

 

「とりあえず、この生徒会の人たちも碧陽学園の生徒たちも、先輩みたいな人が教師としてやってくるなんて、災難ですね……」

 

「む。失礼な。以前にもお前に言ったとおり、この学校も楽しい学校にしてみせるさ」

 

 胸を張ってそんなことを言う先輩。でも、この先輩は、本当にその通りにしてみせるんだろうな、と思って。

 

 ……だから。

 

 すでに成仏していてよかったと、そう思う一方で、成仏するのを早まったかな、なんて思っている僕も確かにいて。だから――、

 

「そうですね。もし僕が生きていたら、僕も教師を目指してこの学校に就任するのも、楽しそうですよね……」

 

「…………。後輩……」

 

「式見先生、とか呼ばれて。問題ばかり起こす先輩を抑えてばかりいるんでしょうね~……」

 

 しみじみと。そんな、ありえない『未来』を――いや、『現在』を思い描く僕。思い描くだけなら、自由だと思うから。

 

「……そう、だな。あ、あるいは『シッキー』とか呼ばれたりしてな」

 

「なぜに『シッキー』?」

 

「『式見』だから『シッキー』。そして、お前の受け持つクラスは『シッキー学級』と呼ばれたり、な。……うん、それは、本当に、私だけが教師になるより、ずっと……楽しそうだ」

 

 言葉の後半を、つぶやくように言う先輩の横顔は、しかし悲しく歪んではおらず、ちゃんと、笑顔で。

 

 そして、それを見ている僕もまた、笑顔で。

 

 ――だから。

 

 この『現在』だって、そう悪いものじゃないよな、なんて思いながら、僕はもう一度、心地いいまどろみに落ちていったのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こら! 寝るな、後輩! 今日はとことんまで騒ぐんだからな!!」

 

 先輩、元気だなぁ。というかこの人、明日から仕事って本当なのか……?

 

 思わず疑ってしまう僕なのであった。




『それぞれの目線』、これにてラストとなります。
果たしてお楽しみいただけましたでしょうか?
僕の『マテリアルゴースト』愛、キャラ愛を少しでも感じていただけたのなら、嬉しい限りです。

では、近いうちにまた別の作品でお会いいたしましょう。

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