それぞれの目線   作:ルーラー

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【鈴音 序曲~オーバーチュア~】

「おはよう、神無(かんな)さん」

 

 朝の教室。

 自分の席で本を読んでいたら、いつものように隣から声をかけられた。

 振り向かなくとも声の主は分かっている。私は顔を上げて挨拶を返した。

 

「おはよう、式見(しきみ)君」

 

 隣の席にはやはり彼がイスに腰掛けていた。

 式見蛍(しきみけい)。いまから一月(ひとつき)ほど前に『カゲサマ』の一件で知り合った男の子だ。

 そして、この学校で初めて出来た私の数少ない友人のひとりでもある。

 

 いや、数少ないというのは少し違う。彼はこの学校で出来た、私のただひとりの友人だ。

 私はどうも一般的な女生徒と会話することが苦手だった。そのうえ引っ込み思案であることも災いし、友達をなかなか作れなかった。

 そんな時期に起こった『カゲサマ』の一件で彼と知り合うこととなり、まあ、色々と助けてもらったりもしたのだ。

 ただ、あの一件が終わったあと、私は「式見君はもう私に関わろうなんてしないだろうなぁ」なんて思い、少し落ち込んでいたりもしたのだが、

 

「いやぁ、危なかった。布団から出られずに遅刻するところだった」

 

 なんと、彼の私に対する態度は、これっぽっちも変わらなかった。

 彼はその態度に私への同情なんてまったく見せず、ただ自然にそう話しかけてくる。

 だからこそ、私も自然に言葉を返せる。

 

「春眠暁を覚えずっていうやつ?」

 

「今はもう五月だから、それが使えるかどうかは微妙だけどね」

 

 言って肩をすくめる式見君。それが格好つけたものではなかったからか、私は小さく笑った。

 

「まあ、確かにね」

 

「でも、眠いことに変わりはないわけだから、暁を覚えてないのは事実だなぁ」

 

「五月はなんだかんだ言っても、春ではあるしね」

 

「……とにかく眠い。五月病にかかることも出来ないくらい眠い」

 

「それはそれでいいことなんじゃない?」

 

「……いっそ、寝ようかな」

 

「それはさすがにマズイよ」

 

「六月になるまで眠っていたい……」

 

「それは別の意味でマズいんじゃ……」

 

 そんなとりとめのない会話が続いていく。

 

 これが私と式見君との日常の風景であり。

 

 今日もそんな日常から一日は始まった。

 

 

 

 

 その日の二時間目は移動教室だった。美術の授業だ。

 スケッチブックなど、道具一式を持って、私と式見君は一年B組の教室を出た。

 

「絵なんて、描きたい人だけが描けばいいと思うんだけどなぁ。そう思わない?」

 

「まあ、そうかもしれないけど。授業なんだし、仕方ないよ」

 

「そりゃそうだけどさ……」

 

「式見君、絵、苦手だったっけ?」

 

「そういうわけでもないんだけど、面倒くさくて。特に絵の具を洗ったりするのが」

 

「ああ、冬場は手もかじかむしね」

 

「そうそう。あれは一種の苦行だよな」

 

 他愛のない話をしながら廊下を進んでいく、私と式見君。

 と、階段まで来たところで私は筆の入った入れ物を下に落としてしまった。

 

「あわわわ……」

 

 階段を落ちていく私の筆入れ。急いで拾いに走るも、スケッチブックを抱えているためスピードは出ない。

 式見君も階段を駆け下りてくれてはいるものの、やはり拾えそうもなかった。

 

「やっぱり間に合わなかったか……」

 

 言って式見君は、壁にぶつかって止まった筆入れを拾い上げる。そして、

 

「はい、神無さん」

 

 そのまま手渡してくれた。ただそのとき、お互いの手が触れてしまい……

 

『あ……』

 

 二人揃って赤面する。

 どうもときどきこういったことがある。

 私は気を取り直して、彼にお礼を言った。

 

「あ、ありがと……」

 

「いや、別に……」

 

 式見君は独り言のようにそう呟くと、

 

「ほら、早くしないと遅れるよ」

 

 と、少し焦ったように私の一歩前を歩き始める。

 私もすぐにその後を追った。

 

 

 

 

 美術の時間。

 私と式見君は、向かい合ってお互いの顔を描いていた。

 

「う~ん、上手く描けないなぁ……」

 

 私は照れ隠し半分にそんなことを呟いてばかりいた。だって、式見君とはいえ異性にここまでジッと顔を見つめられるのは初めてなものだから……。

 

 だったら他の女子と組めばいいと言われるかもしれないけれど、私にそれが出来るとはとても思えなかった。大体、出来るのならとっくに何人も友達を作れているだろう。まあ、他の女子に言わせるなら、男子と組むほうがよっぽど勇気がいるのだろうけど、そこはほら、式見君だし。

 

 それにしても、私きっと顔真っ赤になってるんだろうなぁ。自分でもそれが分かるほど顔が熱いよ……。

 

 とはいえ、いつまでもそんな思考に没頭しているわけにもいかず、私は式見君のほうに顔を戻した。すると途端にスケッチブックに顔を引っ込める式見君。どうやら彼も、この状況は恥ずかしいものがあるらしい。

 まあ、ついさっきも廊下であんなことがあったばかりだし、お互いヘンに意識しちゃってるんだろうなぁ……。

 

 さて、だからといってずっとこのままというわけにもいかない。

 

「あの、式見君。それじゃ描けないんだけど。絵」

 

「う……」

 

 小さくうめいて式見君は改めて私に目線を合わせる。……あぅ。

 

「おーい、神無さーん? スケッチブックに顔埋められちゃあ、今度は僕が描けないって……」

 

「それはそうなんだけど……」

 

「……って、なんか顔めちゃくちゃ赤いし! 一体どうしたんだよ!?」

 

 やっぱり顔がめちゃくちゃ赤いらしい。

 私はひとつ咳払いをすると、絵を描くこと以外の思考をシャットダウンすることにした。

 

「えっと……、神無さん……?」

 

「……あぅ」

 

 ……出来なかった。シャットダウン。

 

 はぁ、一体どうしたものか。

 私も式見君も、とりあえず筆は進んでいるものの、この空気はあまり心臓によろしくない。式見君はそれが分かっているから何度も私に話しかけてくるのだろう。私にはまともに応対する余力はないというのに……。

 

「…………」

 

「…………」

 

 しばし、二人とも無言で筆を走らせた。

 

 しかし、限界はすぐに訪れる。

 私と式見君の目が合った瞬間に無言は崩れた。

 

「あー……」

 

「あぅ……」

 

 お互い、すぐに目を逸らす。しかし、それでもやはり気恥ずかしさは残った。

 

「えっとさぁ……。要はなんか話でもしてりゃいいんじゃ……」

 

 ……それもそうか。確かにいつも通り話していれば、妙な空気になることもないだろう。……多分。

 

 それからは特に気まずい思いもせずに楽しく話をし始めた。

 まずかったことを挙げるなら、おしゃべりに集中しすぎて絵が完成しなかったことと、先生に怒られたことだろうか。けれど、式見君と楽しく話していた時間の代償として考えるのなら、なんとも安いものだった。

 

 

 

 

 それから二週間後くらい経った頃。

 いつものように休み時間に式見君とまったり話していたら、唐突に周囲からヤジが飛んできた。

 

「よう、式見ご夫婦!」

 

「仲いいわよね~。付き合ってるの?」

 

「はぁ?」

 

「え、え、え……」

 

 あまりに唐突だったものだから、私たちはとっさに言い返すことも出来なかった。

 私の思考が正常に働いて、いまの言葉の意味を理解出来たのは約十秒後。

 

「そっ……、そんなわけないでしょ!」

 

 ほとんど反射的に、私は大声で否定していた。それから式見君のほうを伺い見る。

 彼は両の耳に指を突っ込み、机に突っ伏していた。どうやら私の大声が応えたらしい。

 

 一方、クラスメイトたちは散々にはやし立ててきた。といっても、口笛を吹いたりからかったりしてくるのは男子ばかり。なんで男子はこう子供っぽいのだろうか。

 

 しかし、だからといって女子の反応が大人しいものだったというわけでも、断じてなかった。とにかく皆、根掘り葉掘り訊いてくるのだ。一体なにがそんなに面白いのだろう。

 まあ、誤解されやすい行動をしていた私たちも悪かったかな、と思わないでもないけど。

 

「私と式見君は、本当になんでもないんだからね!!」

 

 正直、ちょっとムリのあるセリフのような気がしないでもなかった。

 私はそれからしばらくの間、冷やかされてはそれを必死に否定し続けることとなった。

 

 ちなみに式見君は、どういうわけか特に否定することもなかった。一体どうしてかと下校時に訊いてみたところ、

 

「まあ、多少誤解されてたって、別に不快ってわけでもないし」

 

 とのことだった。う~ん……。その言葉にはどう反応するべきか……。私は本気で考え込んだ。

 

 

 

 

 数日後。式見君が学校を休んだ。先生が言うには風邪だそうだ。

 

 お見舞いに行くかどうかでかなり迷った。

 だって、式見君はアパートで一人暮らしだそうだし、そんなところに『ただの友達』であるところの私が行ったら、またクラスメイトから冷やかされそうだし、ああでも、一人暮らしだからこそお見舞いに行ったほうがいい気もするし、友達ならお見舞いに行くのは当然だろうし……。

 

 グルグルとそんな思考をしながら、私は自分の席で黙々と本を読んでいた。こんなとき、異性の友達というのは難しい。

 思い悩む私の耳に、男子の話し声が飛び込んできた。

 

「神無、ずいぶんと元気ないな……」

 

「ほら、式見が休みだからだろ? あの二人ってなんていうか、さ」

 

「ああ、仲いいもんな。変な意味でなくて」

 

「まあな。それにしてもあそこまで元気なくなると……」

 

「ちょっと心配になるよな……。いや、学校休んでる式見より神無の心配するのも変だけど」

 

「なんていうか、あれだよな。式見と神無って、切っても切れない仲、とでもいうか」

 

「二人でワンセットって感じだからな。どっちかが欠けたらもうアウトっていうかさ」

 

 二人でワンセット、か……。

 上手いことを言うものだと、私はちょっと感心した。

 

 同時に、式見君のお見舞いに行こうと決める。既に周囲からそういった認識をされているのなら、別にたいして冷やかされもしないだろうから。

 

 

 

 

 お見舞いには行ったものの、そう長く彼の家にいたわけではなかった。大体、式見君自身に「風邪をうつしたら悪いから」と早く帰るよう促されたし。

 まあ、別に冷たい対応をされたわけでも、邪険にされたわけでもないのだけれど。

 

 私に出来たことといえば、ちょっとした食事の差し入れくらいのものだった。彼は風邪を引いているというのに家事をしていたから、私が行かなかったら、きっとムリをして買い物にも出かけていたに違いない。大体、冷蔵庫の中にはほとんどなにも入ってなかったし。

 

 まあとりあえず、行ってよかった。これで彼の風邪がよくなっていれば、なおいいのだけれど。

 

 朝のチャイムが鳴った。どうやら今日も彼は休みのようだ。

 私はひとつ嘆息すると、開いていた本に栞を挟んで机の中に閉まった。

 

「おはよう、鈴音(りんね)

 

 彼の声はいつもとは違って、少し後ろのほうから聞こえた。

 声のしたほうを振り向くと、そこにはすっかり元気な表情をした式見君の姿があった。どうやら休みではなかったらしい。

 

 ああ、そうか。ホームルームが始まりそうだったから、後ろの扉から入ってきたのか。

 

 ……いや、そうじゃなくて。

 

「式見君、いま、なんて……?」

 

 彼はイスを引きながら、

 

「いや、おはようって――」

 

「そうじゃなくて! いま、『鈴音』って!」

 

「え? ああ、うん」

 

 いや、『ああ、うん』じゃなくて。なんでいきなり名前で……?

 

「ほら、いつまでも『神無さん』じゃ他人行儀な気がして。別に『鈴音』でいい――よね?」

 

「え? ……あ、うん……」

 

 私は赤面しつつも、こっくりとうなずいた。

 それから席に着いた式見君に――いや、|蛍(けい》に返す。

 

「……お、おはよう、蛍」

 

 それは、普通の人にとっては些細な、けれど私にとっては大きな変化。

 

 だから、きっとこの出来事は。

 

 私、神無鈴音という名の人間の――『序曲(オーバーチュア)




この小説は『マテリアルゴースト0』の発売前、せきな先生のブログに掲載された『神無鈴音のブログ』を参考にして書いたものです。
なので、『マテリアルゴースト0』に収録されている『入学前夜に満ちる月』とは矛盾する箇所がちょこちょこあります。
まあ、こういうのは、ある意味、二次創作小説の宿命ともいえますね(苦笑)。

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