魔法少女リリカルなのはF   作:ごんけ

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魔法少女リリカルなのはFはじまります




036話

 

 

 爽やかな酸味を含む香りが鼻腔をくすぐる。

 カチャリと珈琲カップを置く。

 まだまだだなぁ。

 マスターの珈琲とはやはり違う。

 

 目をつむり、動作を思い浮かべる。

 と、そこで声をかけられた。

 

「えっ、バイト、ですか?」

 思わず聞き返してしまうくらいには衝撃を受けた。

 なんせ、他のバイトをやってみないかという言葉だったからだ。

 

「いや、でもここのシフトもありますし」

 

「二日と半日だけなんだけどなぁ。ここよりは時給も高いしさ。

どうかな」

 

 時給が高いというのは確かに魅力的ではあるが、隣の市までの交通費とか考えるとなかなか返事はできない。

 

「そもそも何で俺なんです?

他には声はかけなかったんですか?」

 

「声はかけたんだけどね。

士郎君が最後だよ。はやてちゃんのこともあるし」

 

 ぽりぽりと頬を掻きながら森口さんは苦笑している。

 でも、そういうことならしょうがない。

 

「わかりました。そういうことでしたら、やらせてもらいます」

 

「お、本当かい?

いや、助かったよ。

交通費も出してくれるはずだから、向うには言っておくよ。

詳しい地図なんかは明日にでも用意するから。

休憩のところ邪魔して悪かったね」

 

 それじゃ、と声を残して森口さんは出ていった。

 少し冷めた珈琲を胃袋に入れて、カップを洗って休憩所から出た。

 

 帰ったら一応はやてにも言っておかないとな、なんて考えつつバイトに勤しんだ。

 

 

 

 はやてに話したところでどうということもなかった。

 

 

 からっと晴れた空から容赦ない紫外線を浴びつつバス停へと足を進める。

 ああ、今日は本当に暑い。

 

 後ろ髪を引かれる思いでバスから下車し、駅の中へといそいそと進む。

 遅延などもないようで予定通りに電車は動き出した。

 

 じっとりと湿る肌に弱冷房車は心地よい。

 時折、カタンと揺れる車内には人の姿はまばらだった。

 

 コピーされたA4サイズの地図をカバンから取り出す。

 駅からバスで20分。

 迷うことなんてない。

 

 何をするでもなく外の景色をぼーっと眺めていたら、いつの間にか下車すべき駅に着いていた。

 

「バスは、っと」

 

 バイト先までの直通のバスまで出ているということにも驚きだ。

 すでに何人か乗っているようであった。

 中年くらいの男性の隣に座って出発を待っていたら、低い音を響かせながらバスは扉を閉めた。

 

 ついた先にあったのは、巨大なテーマパークだった。

 時間には余裕があるが、見て回りたい気持ちがないわけではない。

 とまぁそんな思いは置いて、従業員と思わしき人を見つけてかけよった。

 その彼は事務所までついてきてくれた。

 

「へぇ、じゃぁ三日間だけの短期のバイトなんだ」

 

「はい」

 

 彼はここで働いて長いらしい。

 短い期間だけど、何か困ったことがあったら言ってもいいんだぜ、なんてことを言っていた。いい人なんだろう。無言で後ろ姿に頭を下げた。

 

 失礼します、とドアを開けて入ればすでにかなりの人数が集まっていた。

 

「名前は?」

 

「衛宮士郎です」

 

「短期の方ですね。こちらに書いてあることを読んでおいてください」

 

 名前を確認された後に、A4の紙を3枚渡された。

 1枚は就業に関することで、もう2枚は仕事に関することだった。今日一日の流れが書いてあった。短期でのバイトはかなりいるらしく、数ある中の名前から衛宮の文字を探し出した。

 午前中はプールの監視、午後は飲食店の手伝い。

 

 ここ、”おーしゃんざぶーん”は複合商業施設の一角にあるプールである。

 バニングスグループが巨大資本を投入して作られたことで有名になっていて、東西で4 kmを超えることでも話題性がある。一連の施設の端っこにあるおーしゃんざぶーんは温泉、プールとともに一年を通して利用できることは大きな集客効果になっている。

 国内最大規模のプールとしては有名であるし、つづく温泉施設も有名であった。隣接するホテルは中級、上級とわかれているものの、露天風呂は同じで収容人数は750人をほこる。周りにもホテルがちらほらと垣間見え、ここの利用者の多さを物語っている。

 プール自体は全天候型で天井が開閉できるようになっている。

 本日は快晴ということもあって、屋内プールにも容赦ない日差しが降り注いでいる。

 防水機能のついたPHSをとりだすと、午前中の監視場所についたことを報告した。

 

「それにしても暑い」

 

 渡された水分補給用のペットボトルを開ける。

 

 しばらくすると館内放送によって開館されたことがわかった。

 

 午前中はどうということもなく、午後の店舗の手伝いも問題なく行えた。

 

 二日目ともなればもう慣れたものである。

 

「交代だよ」

 

 と声をかけられ、15分ほどの休憩を行う。

 その間に空になったペットボトルを捨てて新しくペットボトルを補給する。

 

 次の監視場所はどこだったかな、と地図を見ていると不意に声をかけられた。

 

「衛宮君!?」

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 夏休みなのに補講なんて。

 自分から学校の補講に参加することにしたのはいいけど、午前中がまるまる潰れてしまうというのはちょっとまいってしまう。

 その鬱憤を晴らすためにも、今日は遊ばないと。

 

 今日は4人でプールなんかに行っちゃいます。

 

「ごめん、待った?」

 

「ううん。丁度。

一緒の電車だったんだね」

 

 とおっとりした口調で由紀は笑いかけてきた。

 

「美希は?」

 

「美希ちゃんならなんか遅れるってメールがきてたよ」

 

「あー、寝坊か」

 

 と諦めたような口調は綾香だ。

 

「それなら先に行きましょ」

 

 とささっと決めたらバスに乗り込み、携帯をぽちぽち。

 

「よしっと、メール送ったよ」

 

「私も送ったよー」

 

「右に同じ」

 

 ちょっと笑ってしまった。

 9時にプール入ってすぐの案内図のところで集合と追加でメール送ったら、素晴らしい早さで携帯がぶるぶると振動した。

 メールの中身は、はい、と。

 

 入館料は高校生以上800円となかなかなお値段設定だ。

 お金を払って入ったら早速着替える。

 

 私のは今年買ったもので、ブラウンだけどちょっとしたふりふりがついていて可愛い。あんまり派手なのはちょっと苦手だから。

 

 ぱぱっと着替えてプールへ行くと、真っ青な空から容赦のない紫外線が降り注いでいた。

 もっててよかった日焼け止めクリーム。

 由紀が日焼け止めクリームを忘れたというので貸してあげた。

 由紀の水着はワンピースでとても可愛い。

 そして胸も大きい!

 

 綾香の胸を見て、とりあえず肩をぽんぽんと叩いたら怪訝な目で見られてしまった。

 

 美希とは9時に落ち合うことができたので、そこから共に行動をした。

 

「やっぱりウォータースライダーはしないとねー」

 

「ちょっと怖いかも」

 

「んー、じゃぁ由紀は私と一緒にあっちの長いやつにしようか」

 

「えー、綾香と由紀が一緒なら私は美由希と一緒に滑る」

 

 なんて子供じみたことを言ってる。

 はいはい、といなすと、まずは絶壁のウォータースライダーねとイイ笑顔で言葉を介された。

 さすがに別行動は、ということもあり由紀だけが下で待っている。

 だけどなかなかの高さがある5 mくらいだろうか。

 私は大丈夫だけど、美希、あんた膝が笑ってるけど。

 

「あんたら、これが大丈夫なの?

おかしくない!?」

 

 なんてちょっと大きな声で、結構焦っていることが窺える。

 

「怖いことと、それを表に出すことは同位ではないぞ」

 

 それはそうよねぇ。

 とは言え、私は大丈夫だけどね。

 

「急勾配かつこの高さ、怖いのはわかる。だけどこれはアトラクションだから安全対策もしてあろう。

その恐怖心を感じるというのが一番の目的であるなら美希が怖がっているというのは、その実、美希が一番このアトラクションを満喫しているということに他ならない」

 

 ちょっと都合のいい解釈かなぁと綾香の言を聞いていたけど、美希はなるほどという顔をしていた。

 

「なるほど、じゃ、綾香が一番に滑ってね」

 

 どうしてそういうことになるのか、当事者同士で話し合いが行われた。平和裏に事が進み、綾香が我らの一番槍の栄光を手にしたのだった。

 

「綾香ー、後ろがつっかえてんだけど」

 

「まぁまぁ」

 

 綾香はぐっ、とか、ぬっ、とか単語を発していてなかなか滑らないので、美希の手がちょっと滑ってしまった。

 

「あ、綾香ごめん、ころんだ」

 

 キャー、なんて綾香からは想像できない可愛い悲鳴が響き渡った。

 録音したいくらいだった。

 

「じゃ、美由希、お先ー」

 

 楽しそうな悲鳴あげるじゃない。

 それじゃ、ま、私も行きますか。

 

 ここは悲鳴を上げたほうがいいのかな。

 とか考えている間に入水してしまった。

 

 思った以上に深い。

 当然か。

 

 水から上がると綾香が放心状態で体育座りしていた。

 ブツブツ何ごとか吐いているけど怖くて聞きたくない。

 

「美希、ちゃんと謝っといてよ」

 

「謝ってはいるんだけど、心ここにあらずみたいな状態でさぁ。

次のスライダーに行くまでには元気になってるっしょ。

美由希片側もって」

 

 私は美希と綾香に肩を貸してずるずるとひきずっていく。

 トラウマにならなければいいな、と本気で思ってしまう。

 

 正気を取り戻した綾香によって美希の背中には紅葉が付けられることになるというオチがついた。

 

 その後の緩いウォータースライダーでは和気あいあいとしたものだった。

 またあとで乗ろうと言い合って、次はどこへ行こうかと思案する。

 妥当なところで、流れるプールだろうか。

 

 そこへ向けて足を進めた時だった。

 見覚えのある、その横顔。

 赤い海水パンツに赤いライフジャケット、赤いキャップ。

 非常に目立つ!

 

「衛宮君!?」

 

 あっと思った時にはすでに遅く、口からその人物の名が放たれていた。

 綾香は何だ?というような顔をしているし、美希に至っては衛宮君の顔を確認した途端ニタリと意地の悪い笑みを浮かべる始末。

 あー、数瞬前の私、何故思ったことを口にした!

 

「やあ、高町さん。

友達と泳ぎに来たのかい」

 

 私達のやり取りを見ての発言だった。

 

「ふーん、誰?」

 

「喫茶店の店員さんですよぉ」

 

「翠屋のバイトさん?」

 

「市立図書館の前になかなかいい喫茶店があるんだよねー。そこの店員だよ」

 

 小声で美由希が気にしてる、って美希は何言ってるんだ! 私に顔を近付いてかつ小声の発言だけど、それには同意しかねる!

 

「なんだか楽しそうな友達だね。

俺の休憩時間もあとそんなにないからこれで。

楽しんでいってよ」

 

 衛宮君にはこのやりとりが仲のいい友達のものだと思っているようでなんだか複雑な気分になる。

 まぁ少なくともここでバイトか何かやっているのだろうしあんまり迷惑をかけるわけにもいかない。

 

「ねぇ、衛宮君、だっけ。

ちょっと待って」

 

 私が歩いていく後姿を見ていたら、隣にいる美希が言った。

 衛宮君はこちらを振り返り、疑問符を頭に浮かべている。

 

「お昼、私達と一緒に。どうかな?」

 

 それは予想外のことで。

 

「うん、まぁいいんじゃないかな、由紀はどう?」

 

「そうだねー。

いいと思うよ」

 

 って私の意見は聞かれずに話がどんどん進んで行ってるんですけど。

 美由希には聞いてません、とそのやってやりました的な顔を向けるのはヤメロ。

 

「でも、迷惑じゃないか?」

 

 衛宮君の困ったような顔がのぞいた。

 

「そんなことないですよ。なかなか面白い展か…… ゲフンゲフン、見知った男の人がいるっていうだけでも心強いのです!

自分で言うのもなんですけど、女の子4人だけとかナンパにあったりしてそれをまくのが大変なんですって。

食事時くらいゆっくり食べたいと思うのが普通だと思わない?」

 

 そういうことなら、と衛宮君は了承してくれた。

 非常に言い訳じみた説得ではあったが、衛宮君は疑問にも思わなかったような素振りだ。そんな純粋な気味だといつか誰かの詐欺にあってしまうのではないかと心配になる。

 

 私の胸の内とは裏腹に、話はいつの間にかまとまっていた。どうやら衛宮君の昼休憩は13時かららしいので、その時に幾つかあるフードコートの内入り口から一番遠いフードコートで食事をとることとなった。

 

 

「ちょっとー、美希。

どういうことよ」

 

 私の恨めしい声はどこ来る風とばかりに受け流している。腹立たしい。

 

「いいじゃん、言ってることは嘘じゃないし。

それに衛宮君? のこともっと知ることができるチャンスでしょ」

 

「じゃなくてー、もう!」

 

 とか言いながらも、少し気分が上向くのはどういうことか。

 美希のニヤニヤした顔は全く以て腹立たしい。

 何が面白いのか。

 ああ、私の顔か。

 全く以て腹立たしい。

 

 

 正直なところ、いつにもまして時計を意識していたようだった。

 私自身そうしているとは思わなかったのだけど。

 

「そんなに時間が気になるんだったら、防水の時計をつけとくべきだったな」

 

 とため息交じりに綾香に言われるほどだった。

 

 今日はやけに時間の進み方が遅いと思っていたのも束の間で、12時過ぎたあたりからはやたら時間が早く過ぎて言った。マッハだったといっても過言ではないくらいに。

 

 

「えーっと、衛宮君は、と」

 

 きょろきょろと探していると後ろから声がかかった。

 振り向けば髪を茶髪や金髪などに染めて、耳にはピアス。中には鼻にまでピアスをしている男性が5人ほどいた。

 

「君たち学生?

オレらが飯奢るから一緒に食べない?」

 

 チャラチャラした格好でチャラチャラした物言い。

 結構嫌いなタイプの人間だ。

 

「間に合ってるので、結構です」

 

 一刀両断、綾香の鋭い捌きによって相手はグゥの根も出ないかと思いきや。

 

「いいから、いいから、そこでお茶飲むだけでもいいからさー」

 

「ちょっとしつこくありません?

いい加減にしてくれませんか?」

 

 温厚な美由希さんであってもこう言っているのに腕まで掴まれてしまっては、内心穏やかではありませんよ。

 

「いい加減にしてください。

人呼びますよ!」

 

「んだと!」

 

 私が振りほどこうとした瞬間に声がかかった。

 

「高町さん、待った!?」

 

「店員の癖になに言って」

「そこの男性、もしかして彼女たちに不埒なことしていませんよね?

係りの人呼びますよ?」

 

 衛宮君の視線は男性の手に注がれていて、徐にポケットからPHSを取り出した。

 

「あ、いや、すいません」

 

 男性はパッと手を離したかと思うと、それではと言ってささっと退散してしまった。

 

「もうちょっと早くきたらよかったんだけど、ごめん」

 

 ぺこりと頭を下げる衛宮君手にはフライドポテトの山とお弁当。

 このフライドポテトはどうしたのか聞くと、一旦向うへ行ったときに身内価格で購入したらしい。 

 

 衛宮君がテーブルを確保しておくというので、食べ物を買いに行った。

 こういうところで食べるのはカレーだよね。

 先ほどまでのやりとりなんか忘れてしまって、今は楽しみたい。

 

「なかなかすごい量だね」

 

 うん、このテーブルの上にあるものはなかなかの量だ。

 私はカレーと5人で山盛りのポテトを消化しないといけない。

 食べすぎるとお腹がポッコリ出ちゃいそうだしなー、と衛宮君の横顔をちらっと見た。そしたら衛宮君が気が付いたようで、こっちを見返してきたので反射的に下を向いてしまった。

 

 何やってるんだ、私。

 

 いただきまーす、とカレーを口へ運ぶ。

 思っていたほどジャンクな味ではなくてカレー専門店のような味がしてちょっと残念だ。こういうところで食べるものはジャンクな味がするからこそいいのに。

 その点、衛宮君の買ってきたフライドポテトは見た目にそぐわず、これぞフライドポテト! という味で非常に満足できる。ケチャップとマスタードも申し分ない。

 

「家でフライドポテトを作るときも、ラードで揚げたらここのフライドポテトのようになるよ」

 

「へぇ、衛宮君は料理も詳しいんだ。

そのお弁当も手作り?」

 

 首を縦に振る。お弁当の中身を見ると、から揚げに厚焼き玉子、ミニトマト、サンドイッチと妙にレジャー感を出してある弁当がそこにあった。失敗しなさそうな無難なチョイス。

 私にも作れそう、今なら作れる気がする。

 

「えっと、どれかほしいの、ある?」

 

 どうやら食いつくように見ていたようで、そんなことを言われてしまった。

 

「じゃ、私はサンドイッチ」

 

「私もサンドイッチ」

 

「私もー」

 

「って、私に聞かれてたよね!?」

 

「そこは私達運命共同体。美由希がもらうものは私ももらう。私の貰うものは綾香も雪ももらう。

これ宇宙の真理」

 

「って馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ!」

 

「まぁまぁ高町さん。

サンドイッチぐらいならどうぞ、確かに5人とはいえ、このフライドポテトのでは女性にはきついかもしれませんね」

 

 お弁当を中央付近に出されて、私達の手が伸びる。

 私が手に取ったのは、カツの様なもの、野菜、タマゴのサンドイッチだった。

 食べてみると、どうやらハムカツのようだ。タマゴとも喧嘩していないし、少し酸味があるようなのは玉葱だろうか?

 

「半分正解、玉葱とピクルスを刻んだものが少し入っているんだ。

面白いでしょ」

 

 本当にうれしそうで、思わずとてもおいしいなんてありきたりな言葉しかでなかった。

 衛宮君は、ありがとう。と答えた。

 

 皆とワイワイと食事をしていた時間はあっという間に過ぎてしまった。

 衛宮君はこの後は店舗での裏方の仕事になるということだった。

 

「どうせなら、帰りも一緒に帰りましょうよ」

 

 との一言から、衛宮君から仕事終わりの時間を聞き出してしまった。

 

 

「なんなのよ、皆して!」

 

 私は非常に怒っている。

 

 私たちは入り口近く待ってようという話になって、いつの間にか私だけが取り残された。

 帰り間際になって、やたら飲み物を飲ませてくるなぁと思っていたんだけど。

 何もお花を摘みに行っている間にいなくなるのってどうよ。

 

”じゃ、お先に帰ります。衛宮君によろしくね^▽^”

 携帯電話のメールに1通だけ着たのがこれ、握りつぶしたくなった。

 衛宮君の携帯電話の番号なんて知らないし、私達がいなかったらいつまでも待ってそうなので帰ることなんてできない。時間的にはあと少しで出てくるようだけど。

 

 時間より少し前に衛宮君は出てきた。

 他の皆は、と聞かれたから、正直に話したら笑われてしまった。

 こっちは笑いごとではないのに。

 

 ちょこっとバスの中で皆においてかれたことでの愚痴を吐いて、一緒に電車に乗った。

 

「衛宮君は喫茶店辞めちゃったの?」

 

「マスターに頼まれて明日までの短期のバイトだよ」

 

 まさかやめてないよ、ということに安心をした。

 私も衛宮君の様なお茶を入れたり、美味しいお菓子やケーキを作ってみたいな。

 

「うん、気が向いたら高町さんの怖いお兄さんがいないときに行かせてもらうよ」

 

 全然本気じゃない言葉だったけど、胸がポっと暖かくなるように感じた。

 誤魔化すように手を伸ばした。

 

「あー、明日から補講かぁー」

 

「高町さんってそんなに成績が?」

 

 慌てて否定した。

 

「夏休みの前半は強制的に補講なんだよねー。

中途半端に進学校ってこれだから」

 

 おっと学校の愚痴はあまり出したくない。

 衛宮君は学校にも行かずに仕事をしているんだから。

 気にした風でもなく、そんなもんかぁ、と呟きが聞こえた。

 

 カタンカタンと電車に揺られているとだんだんと瞼がもたくなってくる。

 だめだめ、寝ちゃ。

 でも、微弱な冷房がひんやりとして、夕日のあたるところがちょっとだけ暖かくて。

 

 

 揺さぶられる感覚で目を覚ます。

 はっと目を覚ましたら衛宮君が困った顔で言った。

 

「もうすぐ駅だよ」

 

 私は反射的に反対側を向いて口元をぬぐった。

 大丈夫、ヨダレは垂れてない。

 ってちがーう!

 

「えっと、衛宮君、ごめんなさい」

 

「気持ちよさそうだったし。遊び疲れてたんだろうから、起こさなかったんだけど」

 

「うん、ありがとう」

 

 尻すぼみに小さくなっていく声。

 仕方がないじゃない、穴があったら入りたいぐらいよ!

 

 改札を出れば、送っていくよ、との声。

 流石に悪いと思っても、何かあったらいけないから、と。

 

 私を送るくらいならそこいらの女性を送っていった方が防犯の面では正しいのだろう。この界隈で私がそれこそ何かされてしまうような人は数えるくらいにしかいないのだろうから。

 それでも正直に言って、嬉しくないと言ったらウソになる。

 

 衛宮君は最初いくらか後ろを気にしていたようだけど、途中からは気にしなくなった。知り合いでもいたのだろうか。

 

「それじゃ、この辺で」

 

「うん、ありがとう」

 

「あのあたりから変な気配がするから」

 

 と言って指し示すのは私の家。

 おおう!

 正直に言ってびびるというか、引くというか。

 

「君のお兄さん、いや、まぁ」

 

 ごにょごにょと言っていたけど、恭ちゃんが関係しているということだけはわかった。

 

「うん、今日はありがとう」

 

「暇だったら、またお店にでも来てよ」

 

「それはこっちもだよ、喫茶翠屋をよろしく」

 

 笑いながら別れた。

 

 帰って1時間くらいしてメールが入った。

 

 3通。

 

 どれも私が衛宮君の方に頭を乗せて、寄りかかって寝ている写真だった。

 衛宮君は困った顔をしていた。

 私は幸せそうな顔をしていた。

 

 とりあえず、道場で体を動かしてから頭を冷やそう。

 恭ちゃんと鍛錬したらいつも以上にぼろぼろだった。プールでめいっぱい遊んで疲れているせいだ、そうに違いない。

 

 


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