【7月4日、夏凜の自宅】
「夏凜ちゃん、ここ解る?」
隣に座っている友奈が数学の問題を指し示して聞いてきた。
「これね。その問題は──」
今日は、私の自宅で彼女と二人で勉強会をしていた。因みに明日は休みなので遅くまで行い、彼女はそのまま泊まり込むことになっている。勉学に励んでいる、と言うと印象が良いが、真実はそんなに綺麗なものではない。今はもう七月、つまり夏休みのことを考えだす時期。だが、休みの前に学生達を待ち受けているものがある。それは期末試験。
最近、私と彼女は勉学の方が疎かになっていた。しかし、それは勇者部の活動やバーテックスのことに思考が追いやられてたからそうなった訳で仕方のないこと。
と言った感じに、疎かになっていることを指摘してきた東郷に訴えたが「言い訳は聴きません」とバッサリ切り捨てられた。その上、「二人とも、期末試験で全教科七十点以上取れなかったら罰ゲームね」と無慈悲な宣告までされてしまう。
東郷は頭が良いけれど、たまにトリッキーな所がある故にどんな罰ゲームをさせられるか予想もつかない。できることなら回避したい、という共通認識を元にこうして勉強会を開くことになったわけだ。
そうして勉強会でお互いに教えあったり確認を行ったりして──。
「いよぉおし、ノルマ、終わり!」
「こっちも終わったわ」
見ると時計の針は十二時を示していた。夕方から始めたことを踏まえても結構な時間が経っている。
「友奈も中々集中力あるわね」
「まぁねー」
私は肉体的な訓練だけでなく、集中力を高める訓練もしていたのでいざとなれば付け焼き刃でも試験はどうにでもなる。でも彼女も、きっちり自分のノルマをこなしていた。父親から武道を習っていたらしいので、そういう所で精神的な力も身についているのかもしれない。
「うー、疲れたよぉ」
彼女がボスンッとベットに突っ伏す。
「一気に詰め込んだから私も疲れたわ。勉強でここまで集中したのは久し振り」
「…………」
「友奈?」
返事もせずじっとしているので、もしかして疲れで寝てしまったのかなと思いきや、
「夏凜ちゃんの匂いがするぅ」
顔をベッドに埋めたまま彼女が言う。
「なっ!? やめてよ! なんか恥ずかしいでしょうが!」
「えぇー」
両肩を掴みベッドから引っぺがす。抵抗されなかったので、そのまま彼女が私に背中を預けている状態になる。ここまで密着をすると衣服ごしでも彼女の暖かさと柔らかさを感じられた。一旦意識してしまうと感触の心地よさが気になってくる。
「えーと、ほら、離れなさいっての。夜食の準備でもしないと」
「そうだねー、小腹が空いちゃってるし。お菓子じゃあんまりお腹が膨れないね」
自分が離せばいいのに彼女から離れるように促す。そのくせに、彼女が離れると同時に名残惜しさを感じた。ようするに本当は離れたくはなかったのだが、あのままだと勢いで抱きしめてしまっていたかもしれなかった。彼女をもっと近くに感じていたい衝動を抑えられるか分からなかったからだ。突然そんな事をして嫌われたくはない。だからこそ、自分で離すのではなく本人に促す選択を取っていた。
二人で台所に立ち、どうするか話し合う。
「それはそうと何を食べる? 冷蔵庫にはベーコンとソーセージ位しかないんだけど」
「フッフッフー、買ってきていたのはお菓子だけじゃないんだよ! どじゃーん、ラァメェェェン!!」
「うどんじゃないんだ……」
「たまにこっちも食べたくなるんだよね。それじゃ他に買ってきたものもあるから、それ組合せて二人で作ろう!」
卵や麺は彼女に任せて、私はほうれん草やベーコンを切ることにした。
「ずんたったーずんたったー、半熟ゆで卵が完成!」
「こっちは切りおえたわ。刃物の扱いなら慣れたものよ」
作業としては簡単なことだけど、二人で協力して手早く作ることができたのだった。リビングに出来上った夜食を運んで座り、手を合わせる。
『いただきます』
食事前の挨拶を行ってから、ラーメンを啜る。
「うん、美味しいなぁ」
「美味っ、いけるじゃないこのラーメン。前に即席ラーメン食べたことあるけどここまで美味しくはなかったわ。ひと手間かけた違いかな?」
「それもあるかもしれないけど、きっと二人で一緒に食べているからだよ」
「……そっか、二人で食べているから、か」
一人暮らしだからいつも一人で食べる、当たり前の話。しかしその当たり前が変わることでここまで変わるとは。いや、でもそれだけではない。相手が友奈だから……とか。
横顔を眺めていると「ん?」と不思議そうな顔をされたので、慌てて新たな話題を口に出す。
「あっ、えーと、ベッドは一つしかないから友奈が使いなさい。私はソファで適当に寝るから」
「ダメだよ、そんなの。せっかくだから一緒にベッドで寝ようよ」
「一緒に……まぁ友奈がそうしたいならそれで」
正直に言うと、それを期待していたというかそうしたかったけれど気恥ずかしくて言い出せなかった。なので、彼女がそう言ってくれたのは嬉しい。そのことは言わないけど。
食事の片付けをしてそれぞれシャワーを浴びた後、明かりを消し二人でベッドに入り込む。寝る時、真横に誰かがいるというのは不思議な感じ。安心できる、といったところかな?
「夏凜ちゃんとこうしてみたかったんだよね」
私の左腕に彼女が右腕を組みつかせてきた。そうするために寄って来た分、距離が近くなる。室内はエアコンがきいているので暑くはないのだが……私の顔は熱を帯びているかもしれない。
「ったく、友奈は」
「私がどうかしたの?」
「なんでもない」
「そっか」
体勢は変わらないまま話を続ける。
「なにかお話しよう! 夏凜ちゃん、聞きたいこととかある?」
「聞きたいことか……じゃあ、友奈は何で父親から武道を習ったりしたの?」
「えっとね、『女でも強くならないと世の中を生きていけないぞ!』って両親に言われてやらされたって感じかなぁ。あっ、でも嫌じゃなかったよ。やってて楽しかったから」
その話す勢いのままに、両親から押し花を教えてもらったこと等も教えてくれた。
「両親と仲が良いのね」
「家族だからね」
なんとなく彼女に私のことを話してみたいと思えた。
「友奈。私の話、聞いてくれる?」
「うん、聞くよ」
「ありがと」
私は語る。兄がいること、その兄は勉学でも運動でも何をやらせても上手くいくような天才だということ。今では何をしているかはわからないが、大赦の中枢に関わるほどの人物になっているということ。そして両親から私は兄と比べられて、出来損ないだと相手にもされなかったこと。
必要とされることも期待されることもなかった。どこにも私の居場所はなく、どこにも私はいなかった。
「だから、勇者適正値あり、と診断された時は嬉しかった」
やっと必要とされることができる。私が存在する意味ができる。そんな下らないことを原動力に必死で鍛えて、大赦の勇者に選ばれた。
「その時、初めて私が認められたんだって思ったの。だけど実際はそんなことはなかった。大赦には認められたというより、使える道具が出来たという認識をされただけ。結局、私はどこにもいなかった。でも──」
彼女と目を合わせる。真っ直ぐで、暗い部屋の中でも輝いて見える綺麗な瞳だ。
「勇者部に入って、みんなで一緒に色んなことをして、色んな人に関わっていくうちに思えた。今はここにいるって。……ゴメン、なんか訳のわからないこと聞かせて」
「そんなことない、わかるよ。だから──」
彼女が私の手を握りしめる。
「これからも、私の傍にいてくれるよね?」
「……勿論よ。他に行くところなんてないしね」
私からも握り返して彼女の想いに応える。彼女が「そういえば」といった様子で私に問う。
「夏凜ちゃんのスマホは前の勇者さんが使っていた物なんだよね?」
「そうよ」
「じゃあ、前の勇者さんがどんな人だったのか知ってるの?」
前の勇者──。
私がいつも思い出すのは最期の姿。『私達』はいつも『三人』だった。なのに、立ち尽くした『彼女』の血で濡れた背中を見た日から『私達』は『二人』になってしまった。そう、『彼女』がこの世を去ってしまったあの日から──。
「……知らないわね」
「そっかー」
今の光景は……想いは誰の?
何かしらの光景や気持ちが湧いて来ることは今までも何度かあった。だけど、今のは何時ものとは違ったような気がする。まるで、自分のではなく誰かの記憶を覗き込んだような違和感。もう一度、頭に浮かばないかと意識してみるが上手くいかない。続けてもムダに思えて来たので諦めることにする。
「夏凜ちゃん、どうかしたの?」
「あー、なんでもない。それより、そろそろ寝ないと明日の朝起きれないわよ」
「うぅ……あっ、でも明日は休みだしすっごく寝ても大丈夫だよ!」
そんなことを言ってくることはあらかじめ予想がついていたので、すぐに釘を刺しておく。
「健康に悪いからダメ。いつバーテックスが襲ってくるか分からないんだから体調不良に繋がることはさせないわよ。しっかり起こすから」
「そんなー」
彼女は口ではそう言いながらも渋々納得したようで、私の「お休みなさい」に「おやすみー」と返して大人しくなった。
お互いの距離は相変わらず近く、それで心が落ち着いてるのかすぐに私の意識は沈みはじめる。今日のこの勉強会で、体だけでなく心の距離も少しは近くになれたかな? なんてフワフワと考えながら意識は完全に沈み落ちた。
◇ ◇ ◇
「むぅ……」
瞼越しに朝日を感じて目を覚ます。いつものように起きようとしたがそれはできなかった。彼女に腕を掴まられたままだったから。
起こそうかな、と一瞬考えたがまだ時間的には早いのでもう少し寝かせることにする。ゆっくりと彼女の腕を外して起き上がった後、台所に立つ。昨日の夜食をとってる際、「二人分のパンも買ってるから朝ご飯は大丈夫!」とは言っていたが、何も用意しないというわけにもいかない。余ったベーコン焼いたりしかできないけどね。
料理と言っていいのか分からない程に簡単な朝ご飯を作り終えたので、彼女を起こしに向かう。体を軽く揺すって起こそうかと思ってたのだが──。
「ゴメンナサイ…ゴメンナサイ……」
「ゆ、ゆうな?」
彼女はまだ寝ていた。しかし、ただ寝ていたのではなくシーツを掴みながら泣いていたのだ。苦しそう声で誰かに謝り続けている。それを見た私はベッドに入り込み、彼女を抱きしめる。そうしなければいけないように思ったのか、私がそうしたかっただけなのかは分からない。ただ、この行為で彼女は泣き止み、息遣いも落ち着かせることができた。落ち着いたのを確認してから、耳元で「もう朝だから起きなさい」と囁くように起こしにかかる。すると、彼女がゆっくりと目を開ける。
「あ、夏凜ちゃん……」
朝が苦手だからこその不満気な顔、というよりは不安そうな顔に見える。指で涙を拭ってあげながら問いかけた。
「どうかしたの?」
「わからない……でも、とっても嫌な夢を観た気がする」
「そう」
安心させれるような上手い言葉が思いつかなかったので、素っ気ない反応をしながらも彼女の頭を撫でる。くすぐったそうな表情をされたが、嫌がる素振りはしないどころか嬉しそうに見えた。しばらく撫でた後、朝ご飯に誘う。このまま続けていたら、せっかく焼いたのに冷めてしまいそうだ。
「簡単な朝ご飯は用意してるから、友奈のパンと一緒に食べない?」
「うん、食べる」
彼女が涙を流した理由、この時の私にはまだわからなかった──本当は知っているのに今は分からない振りをしていただけ、ということが分かるのはもう少し後だった。