流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
抉り取られた胸を押さえ、空虚な目に当たり前を映した。そこにあるのは一つの家族だ。母と手を繋ぐ当たり前。父に抱きしめられる当たり前。両親の顔を知っている当たり前。両親の名を呼ぶ当たり前。
自分の手を見てみる。実母の温もりなんて知らない冷たい手だ。自分を抱きしめてくれるのは、自分の寂しい手だ。知っているわけの無い両親の顔を、記憶を穿り返して捜してみる。もちろん、思い出せるわけなんて無いし、名前も出て来ない。
当たり前を得られなかった自分。捨てるのではなく、与えてすらもらえなかった。選ぶ権利すらなかったのだ。
なぜ、自分がこんな思いをしなくてはならないのだろう?
そんな疑問を糧に、黒い感情が生まれていく。それは、最初は石ころのように小さかった。月日が経つに連れ、彼の成長とともに徐々に大きくなり、生き物のように活発になっていく。
そして……
◇
左右の揺れに身を任せ、スバルは座して一点を見つめていた。横を伺うと、同じようにしているツカサがいた。
彼に誘われて、バスに乗ってからはずっとこの様子だ。余計な刺激を与えないようにと、通り過ぎていく見慣れない景色を見て、暇を紛らわしていた。
ツカサがようやく口を開いたのは、バスを降りたときだった。
「ここが、ドリームランドだよ」
「結構遠いんだね。初めて来たよ」
ようやく無表情を崩したツカサに、自分の緊張を解すように笑い返した。
スバルとツカサを迎えてくれたのは心地良い潮風だ。植えられた木々を脇目に、舗装された道路を歩んでいく。先ほどから見えていた橋を渡っていると、反対車線をトラックが数台走り抜けて行った。この先に工場でもあるのかもしれない。
絶えず賑わせてくれる湿っぽい風を、お腹いっぱいに吸い込んだ。
「気持ち良い……磯の香りっていうかな?」
「ここは人工の島だから……磯とは言わないかな?」
磯というのは、石の多い海岸のことを指す。この島の海に面している場所は、整備された土手になっている。ちょっと当てはまらない。
「この島って人工なの?」
「うん。ゴミを埋め立てて造ったんだって。だから……ほら」
ツカサが指差す先を見ると、巨大な煙突が何本も顔を覗かせている施設が目に飛び込んできた。アマケンタワー並みに大きいそれに、童心に擽られた目が輝く。
「ゴミ焼却所?」
「うん、この地域一帯のゴミがここに集められているんだ。海を汚さないゴミを選んで、島を少しずつ拡大しているんだって」
憩いの場所というだけあり、この島についての知識が豊富な様子だった。
感心していたスバルの顔が強張る。ツカサの足がゴミ焼却所へと向いたからだ。
「え? ……入るの?」
「うん。こっちだよ」
ゴミの溜まり場だ。臭いも相当なものだろう。服に臭いが染み込んだりしたら、母になんと言われるか分かったものじゃない。行きたくないが、ツカサとの約束があるのだ。話を聞くためにも、付いて行くしかなかった。
渋々と背中を追いかけると、制服に身を包んだ警備員さんが座っている受付が近づいてくる。顔にシワが入った強面のおじさんだった。肩幅が広く、がっしりとしている。おそらく、怒鳴れば周囲にいる者達全員が驚いたように振り替えるほどの大声の持ち主だ。
おじさんの恐い顔に怯えるスバルを他所に、ツカサは親しみやすい笑みで中を覗き込んだ。警備員のおじさんと目が合う。
「こんにちは」
「お、ツカサ君か。こんにちは」
予想通りの、子供が一番恐がるタイプの低い声だった。顔と声に似合わない、とびっきりの笑みと口調でツカサを歓迎してくれている。ギャップの激しさに驚き、立ち尽くしているスバル。
スバルの反応はツカサの予想内だったのだろう。動じることも無く、落ち着いた雰囲気を保っていた。手をスバルに向けて、おじさんにスバルを紹介しながら頼みごとをしていた。
「今日は友達も一緒なんですけれど……」
「いいよ。ゆっくりしていきなさい」
顔パスだ。本来、施設に入るときには身分を証明する必要がある。たくさんの火を扱う危険な施設であるゴミ焼却所ならばなおさらだ。初訪問であるスバルが顔パスなんて、まずありえない。
しかし、ツカサはスマイル一つで不可能を可能にしてしまったのである。目の前のすさまじい現象に丸くなってしまった目を隠せない。厳格な警備員のおじさんの笑みに、ぎこちない会釈しつつ、スバルは施設へと足を踏み入れた。
「……ツカサ君、VIP待遇?」
「まあ、そんなところかな?」
恐そうな見た目の警備員さんの前を通り過ぎ、緊張を解いたスバルにツカサは笑みを見せる。直ぐに無表情へと変えて、言葉一つ発さずに奥へと歩き出した。
ここに来てからの、ツカサの笑みが薄っぺらいことに、スバルは今更に気づいた。
無言で歩みを進めるツカサ。彼と並んで歩きながら、周りを見てみる。ウォーロックも真似して、この施設を観察していた。
タイヤや鉄骨が山積みになり、折れた自転車が転がっている。どうやら、生ゴミもあるらしい。鼻につく嫌な臭いが、金属を削る音と共に辺りに充満している。
そんな中でも、ツカサは感情がどこかに行ってしまったかのように表情一つ変えない。その様は、ゴミ山の中で黙々と作業をしているゴミ処理ロボット達と重ねてしまった。幾つか角を曲がった時、ようやくツカサの足が止まった。
「ここが、僕の始まりの場所だよ」
ツカサの隣に立ってみた。彼の視線を辿って見ると、ゴミ山の一点に行き着いた。何の変哲も無いゴミ山だ。何か違いが分かるのかと他のゴミ山と見比べてみる。だが、特に差が見られない。
「ここが……どうしたの?」
何も分からない。ここからツカサの何が始まったというのだろう。
ツカサの琥珀色の瞳の奥にある黒が揺らいだ。金きり音や搬送の音が騒がしい。
「僕は……ここで見つかったんだ」
騒がしいが遮断された。スバルの耳で響いたのは、ツカサが放った言葉だけだった。
「……見つかっ……た……?」
それが何を意味するのか、スバルは直ぐには分からなかった。分からなかったのではなく、分かることを拒否したのかもしれない。
『見つかった』という言葉は、物に対して使う言葉だ。物が落ちていることに、人が気づいたときに使う言葉だ。それを、ツカサは自分に対して使っている。
ツカサの身に起きたことが、いかに残酷なことなのか。それをようやく察したスバルに振り返ることもなく、ツカサは頷いた。
「そうだよ。スバル君」
ここに来て、初めてスバルと視線を合わした。光も生気も無い瞳が、スバルから体温を奪った。
「僕は……捨て子なんだ」
瞳に負けないほど、ツカサの声は冷たかった。今までに聞いた事の無い彼の声が、スバルを凍えさせる。
認めたくない。できれば違って欲しい。そう願っていたスバルに告げられたツカサの真実は、想像と寸分も違っていなかった。
「生まれて直ぐ、ゴミと一緒に置き去りにされたんだよ」
自分が捨てられていたというゴミ山。そこで走るドブネズミや虫達。ツカサは目を細めて淡々と説明を始める。
「肌寒い大雨の夜に、薄いタオルに巻かれて、ここに捨てられていたんだ。そこを、ゴミ処理ロボットが見つけて、僕を回収してくれたんだ。タオルに汚れのような文字があったんだ。かろうじて、『ツカサ』って読めたらしい。僕に関する手がかりが全然無かったから、それが僕の名前になったんだ。そして、双葉孤児院に入ったんだ」
その一連の言葉には、強弱も高低も無かった。感情を乗せまいと、必死に押さえ込んでいるのだと、スバルには理解できた。
「双葉……って」
「うん。僕は苗字も分からなかったからね。施設の名前を貰ったんだ」
「……さっき、電話していた人は……」
「孤児院の人だよ。『皆』って言うのは、孤児院の仲間だよ。晩御飯とミソラちゃんのCDを聞くのが、数少ない楽しみなんだ。ちなみに、昨日、103デパートのロボットのことを話したよね? あれが、僕を見つけてくれたロボットなんだ。旧型だから、今は展示用になっているんだ」
ただ、悲しみを感じさせないようにするために、起伏を無くした口調。心に壁を張ったような無表情。濁った黄色い瞳は閉じられ、感情が隠される。
「笑ってしまうよ。両親に捨てられた僕を助けたのは、人じゃなくって、ただの機械なんだ。僕は、本当の名前も分からない……何者でも無いんだよ。フ、フフ……」
凍えるような雨の夜に、防寒着も着せてもらえずに捨てられたツカサ。人が物を見つけたのでは無く、物が人を見つけたというツカサの始まり。空しいほど温もりの無い過去が、ツカサの胸を苦しめる。
苦しさを取り払うように嘲笑するツカサは、スバルの知っているツカサでは無かった。むき出しにされた眼球に浮かんだ笑みは、まるで別人の物。
「恐いんだ……自分が」
搾り出したように発せられる、恐いくらいに低い言葉。
「出来る限り考えないようにしているのに……時々、両親がたまらなく憎くなるんだ……その憎しみのままに誰かを傷付けてしまいそうで……僕は……」
発するにつれ、小刻みに動き出す肩。手は拳へと変わり、鳴り出すのは骨を握り潰す様な不快な音。
「ツカサ君!?」
我に返った。肩を掴んでくれたスバルと視線がぶつかる。
「あ……ごめんね?」
慌てて顔を手で擦った。スバルの目に映ったのは普段の笑みだ。学校にいるときのツカサが戻ってきてくれた。胸をなで降ろした。
「ここは、もう良いよね?」
荒らしてしまった空気を変えようとツカサがしてくれた提案に、スバルは二つ返事で賛成した。場所を変えればまた会話も弾むだろうし、この鼻につく嫌な臭いからも逃れられる。
「実は……もう一箇所、案内したい所があるんだ」
「もう一箇所?」
「本当に見せたいのはそっちなんだ。ここは、僕の始まりの場所。今から行くところは……」
スバルは心から笑いたくなった。今のツカサを見たからだ。これは学校にいるときにすら見せてくれなかった。
「僕の、憩いの場所なんだ」
「よし、行こう!」
彼の太陽のような笑みに、スバルも明るく笑い返した。