流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
ずっと見ていた。破裂する空気と熱気の余波を浴びながらも、二人はその目を塞ぐことは無かった。変わり果てた娘が人を傷付けている世界を、現実では無いと言い聞かせるように。それが違うと気付いたのは今だ。気がつけば、ただ叫んで茂みから飛び出していた。
最悪だった。ロックマンとハープ・ノートにとって、最悪の状況だった。勝ちは決まっていた。後はロックマンの左手の剣で一刺しするだけだったのだ。
邪魔してきた二人は、今も娘を抱き締めていた。父と母が、両脇からオヒュカス・クイーンを挟みこむようにしている。
愚かな二人にオヒュカスは笑うのを抑えるのに必死だった。まさか、ただの人間がこの世界に迷い込んで来ているなんて思っていなかった。その上、自分の盾になってくれている。
「お願い、この子を傷付けないで!」
「頼む!」
懇願するナルオとユリコをよそに、スバルは疑問で頭がいっぱいになっていた。
「なんで、この世界にいるの?」
最初に戦った車泥棒のジャミンガーだった男や、FM星人に取り憑かれた宇田海や育田が、ロックマンに敗れて電脳世界に置き去りにされたことはある。目の前にある現状はそれらとは異なる。電波変換できない彼らが、生身の人間のまま電脳世界にいるのである。
「ゼット波を浴び過ぎたのね」
苦渋に眉をゆがめながら、ハープが説明した。
「私たちの体から出ているゼット波。これを長い時間浴びてしまうと、電波化してしまうの。この二人、オヒュカスの強いゼット波を近くで浴びちゃったから、電波化してしまったのよ。そのまま、ここに迷い込んできちゃったみたいね」
真剣に聞いているミソラの隣で、スバルは二日前のことを思い出していた。学校で、実体化した電波ウィルス達が暴れた時、ウォーロックがデンジハボールの説明と共にしてくれた内容をだ。あの時も、彼は同じことを説明してくれていた。
拳を開閉し、まだ戦えることを確認した。もうアンドロメダの鍵はこちらの物だ。このまま、この愚かな夫婦を人質にとり、アンドロメダの鍵を要求するだけで良いのである。脇の下にいる二人の頭に手を伸ばそうとする。
「すまない、ルナ」
その手が止まった。止めたのではなく、止まったのである。関節にギプスでもつけられたかのように、その手は動かない。
「な、んだ?」
手だけでは無い。全身が石と化した。
「ごめんなさい、ルナ。あなたはこんな風になってまで、私達から離れたかったのね」
言い訳かもしれない。遅いかもしれない。それでも、ナルオもユリ子も溢れる涙には逆らえない。
手を降ろそうとする。だが、指がお情け程度に振動するだけだ。勝利は手をほんの少し伸ばした先にあるのだ。後少しなのに、届かない。ナルオとユリコの抱擁の中で、もがくことしかできない。
「お、お前……」
オヒュカスの胸からむせかえってくる淡い色をした渦。それはこの体の持ち主の物。
「お前のために。そう思って一番良い方法を私達は考えてきた。だが、お前はそう思っていなかったんだな」
「や、止めろ!」
徐々に大きさと勢いを増してくるのを感じていた。内と外から迫りくる、FM星人にとって好ましくない周波数。
「あなたの言葉に耳を傾けてあげられなかったから、こんなことになってしまったのね。……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
波が大きくなっていく。幸で溢れかえらんとする世界はオヒュカスにとっては毒でしかない。押さえつけようとしている彼女を押しつぶし、飲み込んでいく。
「や、やめ……」
「だが、これだけは分かってくれ」
「ぐ、ううう!」
ナルオは自分の薄い愛情の限りに、ルナを抱きしめた。ユリコも同じだ。細い腕でルナの体を抱き締める。胸を満たす周波数はオヒュカスを苦しめ、ルナの心を優しく包み込む。
「私達の……ルナ。……しているわ」
頬を滑る涙。煌きを受け、ユリ子は母の最大の愛情を示した。ルナの体に唇を落とす。
「ぐ、ぎがああああああ!!!」
オヒュカス・クイーンが弾けた。逃げ場を求めて宙に飛びだしたオヒュカス。その下で、目を閉じたルナが髪を靡かせていた。オヒュカス・クイーンよりはるかに小さいその体は、両親との間に空虚な世界を作ってしまう。それを埋めるように、二人は前のめりに倒れた。地に横たわるルナの隣に、ナルオとユリコが並ぶ。
「ルナ……」
「良かっ……た」
娘の安らかな寝顔を見て、張りつめていた気が緩んだのだろう。二人は親の笑みを浮かべ、目を閉じた。
「こ、この私が……地球人ごときに……」
地面に落ちたオヒュカスは三人を唖然と見ていた。ありえない現実を前に身を横たえるしかなった。確かに、自分は弱っていた。瀕死と言っても過言では無かった。だが、それを踏まえた上で、自分の目が信じられない。
「とりつかれた地球人ごときが、私を追い出すなど……そんなこと」
「できるよ」
オヒュカスの視界を遮るように、ハープ・ノートが悠然と立ちふさがった。
「親子の絆は、あなた達が思っている以上に強いの」
「たった一人の親なんだ。誰にも絶つことなんてできないんだよ」
ロックマンも隣に並び、地に這いつくばるオヒュカスを見下ろしていた。右手にはカードが握られており、今ウォーロックに渡したところだ。
「ミソラ。こいつはクラウンとかと違って危険すぎるわ」
「分かった。じゃあ、ロックマン?」
「うん。覚悟は良いよね?」
「お、おのれ」
ブレイブソードを突きつけてくるロックマン。悔しさから拳が作られた。
「ぶざまだな」
反射的に振り返った。ハープ・ノートも一瞬遅れて後ろをうかがう。そこに立っていたシルエットは、今の二人の状況をそのまま現したような黒。
「お前!」
「ジェミニ!」
目を離した隙を見逃さなかった。残る力を絞り出し、現れた同胞の隣へと駆け寄った。
「ちょうど良かった。助かったぞ」
「フン」
鼻で返事をした黒い仮面。その隣には、黒い電波人間がいた。
「ヒカル……」
「一部始終見させてもらったぜ。どっちもみっともねえ戦い方するな」
「ヒカル、屑は所詮屑と言うことだ」
「だな。ククククク……」
ジェミニとヒカルが笑いだす。それを見ていることしかできない。
絶体絶命だ。万全の状態で戦っても、勝てるか定かではないジェミニ・ブラックを前にしている。今の二人で勝てる要素はまるで無い。逃げだすこともできない。ルナとその両親を人質されるのが目に見えている。
「さあ、ジェミニ! 奴らを、裏切り者達を早く!!」
「そうだな。裏切り者は始末しないとな。ヒカル」
「ああ」
ジェミニ・ブラックがエレキソードを生成した。
「やるよ! ハープ・ノート!!」
「うん!」
選択肢なんて無い。二人も身構える。
満身創痍の体で戦闘態勢に入るロックマンとハープ・ノートを見て、ヒカルは哀れな子犬を見下すような笑みを浮かべた。
「……え?」
声を上げたのはオヒュカスだった。体に走る感触に理解が追いつかない。ジェミニ・ブラックの右手がこっちに向いている。まばゆい光は自分を捕らえていた。
「な……な、ぜ?」
「言ったはずだぜ。『一部始終見ていた』ってな」
「消えろ、裏切り者」
エレキソードがなぎ払われた。オヒュカスの断末魔の悲鳴を切り裂き、その存在を無へと帰した。
「ちっ、どいつもこいつも。屑しかいないのか」
無慈悲な一連のやり取りを、ロックマンとハープ・ノートは壁一枚向こうから、茫然と見ていた。すぐに構えを取り直す。今度はこちらの番かもしれないからだ。
「そう構えるなよ。今日は見逃してやる」
予想を覆す言葉だった。面食らった顔をしている二人。今襲い掛かれば倒せるのに、アンドロメダの鍵を奪えるのに、ジェミニ・ブラックはエレキソードをしまう。
「どういうつもりなの?」
「前に言ってやったことを証明してやるだけだ。それまで、俺の影にビクビク怯えてな。クハハハハハ!」
嘲笑を置き去りにし、黒い光となって電脳世界の空へと飛び出した。そのまま光は見えなくなった。
「大丈夫よ。もうあいつの周波数は感じないわ。この電脳世界から出て行った見たい」
ハープが穏やかに言うと、ロックマンとハープ・ノートは足から崩れ落ちた。
「よ、良かった……」
「助かったね。委員長達も助けられたし」
「あ、そうだ。委員長」
スバルは重い体を起こし、今も眠っている三人に近づいた。覗き見ると、親子三人は川の字のようになり、安らかな寝顔を浮かべていた。どうやら、三人に大事は無いようだ。
「このままにしておいても大丈夫そ……」
「うん……?」
ルナの瞼が前触れ無く開かれた。「ゲッ」と言う前に、目が合った。
「ロックマン様!」
「え! うわっ!!」
さっきまで取り憑かれていたとは思えぬ元気さだった。水を得た魚と言う言葉は今のルナのためにあるような言葉だ。飛び起きたルナはロックマンに抱きついた。
「やっぱり、あなたが助けて下さったのですね!」
「ちょ、離れ……」
轟音がその場を覆った。見上げると、渦を巻いている電波世界が上下左右に揺れていた。
「ハープ、これって……?」
「ジェミニの奴、この機械を壊して行ったみたいね」
つまり、それは電脳世界が崩壊すると言うことだ。聞いていたスバルは素っ頓狂な声を上げた。
「じゃあ、今すぐ逃げ……」
「ロックマン様、恐い!」
「だから、離れてって!」
腕に巻きつける力を緩めるどころか更に強くするルナ。引き離そうとした時、世界が崩壊した。
「……え?」
モヤシだ。赤い服を着たモヤシだ。それを両手に抱き抱えている。
「きゃああ!!」
「へぶぅ!!」
軽快な音がこだました。ルナのビンタがスバルの頬を弾きとばしたのである。
「な、なんでスバル君が!? え!? ロックマン様は!? っていうか、あなたが? え!? ここどこ? 展示室!? なんで!? なんでなの!!?」
両目から水のラインを生成し、床にうつ伏せになっているスバルを指差し、混乱している頭を抱えたりしているルナ。周りを見ると、ここは103デパートの屋上に設けられたヘビの展示室だ。湿気の多い、蒸し暑い部屋だ。熱帯雨林を思わせる木々が立ち並んでいる。ルナの後ろでは、今もナルオとユリコが眠っていた。
哀れに寝そべっているスバルの側に屈んだのは赤紫色の髪をした少女だ。
「大丈夫? スバル君?」
返事が無い。屍になっていないことは確かだ。このまま休ませてあげることにした。とりあえず、混乱しているルナは横に置いておこう。しばらくすれば、自然と落ち着いてくれるはずだ。
「災難と言うか……苦労人だね、スバル君は」
膝を曲げて、スバルの頭をそっと自分の膝の上に置いてあげる。
「とりあえず……お疲れ様、スバル君」
疲れ切ったように眠っているスバルの頭を、優しく撫でてあげた。