流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
学校とは学び舎だ。子供達が教育を受けるための施設だ。そのため、高い安全性を兼ね備えていながらも、各部屋は比較的質素な造りをしている。
その中で最も上質な部屋と言えば、この学校で最も高い地位につく者の部屋だ。一教師であり、個人の部屋など当てがわれるはずの無い育田は今この部屋にいる。廊下で偶然帰宅するところだったスバルとはち合わせる直前に、部屋の持ち主に呼び出されたからだ。理由は、またカリキュラムから外れた授業を行ったから。
ねちねちと説教をする校長に対し、育田は引き下がらなかった。今日は登校拒否をしていた生徒が来たのだ。その子には学校で公式以外のことを学んでほしかった。そのためには自分の授業が最適だと考えたからだ。育田の持論は正しい。その証拠に少年も楽しそうに授業を受けてくれた。
この育田の判断を咎めるのは間違っている。
そう一概に言いきって良いのかは微妙だった。育田のクラスだけがカリキュラムから遅れている。勉強ばかりしていてはダメだが、勉強をしなくても良い理由にはならない。そのため、育田も引き下がりはしないものの、強く抗議することができないでいた。
そんな育田に校長はうんざりとした顔でとある紙を渡した。それを見て青ざめる育田にニンマリとほくそ笑んだ。
◇
パタリと校長室のドアを閉め、渡された紙の一番上に書かれた文字を見る。何度見ても変わるわけがない。だが、現実としてつきつけられたこの三文字は育田の大きな肩に重くのしかかる。育田の細い目の下にある瞳に『退職願』の文字が映る。
校長はわざわざこの書類を作ってくれたらしい。育田の職歴に傷をつけないようにと彼なりの配慮なのかもしれないが、陰湿なことこの上ない行為だ。
日は沈みかけている。子供達の姿は校舎の外にはちらほらと見えるが中には見当たらない。夕陽色に染まる白い壁に囲まれた世界が痛々しく映り、カツカツと育田のサンダルの音だけが大きく空しく響く。教師という職に誇りを持って生きて来た育田にとってあまりにも大きすぎる選択肢だった。
親として子供を取り、人体に有害な可能性のある学習電波を使った教育を生徒達に施すか
教師として生徒を取り、子供達と妻と共に路頭に迷う過酷な運命を背負わすか
誰よりも子供を愛する彼がどちらかを切り捨てるなどできない。選べるわけがない。選ばなければならない。
これを誰かに相談することもできない。
妻に心配をかける訳にもいかない。教師の間で孤立している彼に、相談できる教師仲間はいない。子供や生徒など論外だ。
一家の大黒柱として、教師として、大人としての責任感が彼を悩ませ、追い詰める。
頭を抱え、苦悩の表情浮かべて苦しむ育田の背後にゆらりと影が現れた。それは徐々に茶色い天秤の姿を形づくり、残酷な笑みを浮かべた。
◇
焦げ茶色の光が収まり、恐る恐ると腕を下ろした。目に映った光景を夢かと疑い、限界にまで瞼を開いた。
そこに、育田先生は居なかった。代わりにずんぐりとした物体が、天秤の様になった上半身をぐらぐらと揺らしていた。いや、物体ではない、生命体だ。この二メートルはあろうかと言う体の一番
明らかに人間では無いその姿に足がすくむ。現状を理解することに全力を注ぎ、脳が四肢に信号を送らない。代わりに片腕が信号を脳に伝えた。掴まれ、引っ張られたと理解し、バランスを立て直そうと釣られるように足が動いた。結果的に功を制したと言えるかもしれない。茶色い巨大な化け物から離れることができたのだから。
現実を受け入れきれない頭を全力で動かし、腕を引っ張ってくれる友人に訪ねた。
「スバル君! あれは!? 育田先生は!?」
その質問に答えたのはさっきの化け物だ。
「双葉、星河、廊下を走るな! 子供は大人しく教室で勉強していろ!」
廊下を走る二人を叱る、聞きなれたその声は大好きな自分達の担任教師のものだった。
「な……なんで? なんで育田先生があんな風になったの? ねえ、スバル君!?」」
「ツカサ君、黙って付いて来て!」
振り返りながらもスバルはツカサの腕を引っ張りながら走る。学校に来てはビクビクとしていた暗い面影は一切無い。異常事態に対して、冷静かつ勇敢に対処するスバルの様子にさらに混乱する。なぜ自分と違って動揺しないのかと尋ねようとすると、振り返っていたスバルの瞳が大きく広げられた。グイッと腕が先ほどまで以上に引っ張られる。対応できず、スバルと共に前のめりに倒れこんでしまう。ツカサの背の上を、間近でストーブに当てられたとき以上の熱が通り過ぎた。何事かと頭の角度を変えて、飛んで行った物の正体を確かめる。
赤い塊だった。炎だと気付いた時には、それは廊下の突き当たりの壁に当たって弾け飛んだ。狭い廊下に反響する爆音と閃光に顔を伏せる。地震を思わせる振動が校舎の一角を揺るがす。
ビリビリと伝わってくる足場の揺れ。それから逃げろと本能が告げてくる。しかし、非現実過ぎる事態に恐怖が触発され、指一つ動かせない。そんなツカサの体が上へと引っ張られる。スバルの手が服の首筋を掴んでいた。勇気づけられるように立ち上がると正面に広がる光景が嫌でも目に飛び込んできた。壁は吹き飛び、突き当たりではなくなり、外の世界が顔を覗かせていた。今もなお炎が広がっている。
炎が飛んできた方向を見ると、育田だったものがいた。『渦巻く火を乗せた皿』となった左手を高く上げていた。どうやら彼が二人を火だるまにしようとしたらしい。ツカサの胸に言い知れぬ恐怖と絶望感が込み上がる。姿は変わってしまってもあの化け物は育田だ。自分達の先生だ。大好きな担任教師が自分たちに暴力を振るった。少しでも手元が狂えば、その幼い命を摘み取ってしまいそうな規模のものをだ。ゆっくりと近づいてくる巨体を茫然と見つめていると、スバルが急ぐように促してきた。
今は彼に付いて行く。
この状況下を理解し切れない彼は、今度は友人の言う通りに一言も発さずに走り出した。火が回っていないわずかなスペースを通り、熱気と灰が渦巻く廊下を駆け抜けた。
◇
この学校で別の階層へと移動する手段は二つある。一つはエレベーターだ。全校生徒が毎日のように利用している。もう一つは非常用階段だ。どれだけ機械が便利になっても、人間が一番信じられるのは自分の足なのだろう。動かないエレベーターを使うことを諦めた二人は、非常用階段と書かれた緑色の看板の下につき、ドアノブを回す。しかし、伝わってくるのはガシャンと言う重い音と感触だった。二人の少年の僅かな希望を摘み取って行く。
「そんな……なんで?」
「システムにハッキングされたのかな?」
どこにでもいる普通の小学生であるツカサには分からないが、機械好きのスバルには大よその見当がついたらしい。内容を尋ねる前に嫌な足音が廊下に響いた。
育田だ。今や二人にとって恐怖の象徴となった彼が近づいてきている。姿は見えないが、すぐそばの廊下の曲がり角の向こうから近づいてきているのは疑い用が無かった。
最期の逃げ道を閉ざされ、どうしようもなくなったツカサが怖れと共に数歩後ずさる。すると、そのまま体が横へと引っ張られた。ちょうどT字路の用になっている場所を見つけ、その曲がり角の影に隠れる。
スバルがこっそりと覗くと、茶色い化け物が二人を探しているのが見えた。気付かれる前にツカサを連れて逃走を再開する。
◇
「エレベータも階段もダメだったよ? どうしよう?」
「……ツカサ君、運動には自信ある?」
不安に狩られるツカサに、スバルは急な質問をした。まるで談話するかのようにだ。
「苦手ではないよ?」
「……ツカサ君、学校の外に出てサテラポリスに通報して。五陽田さんって言う人を頼ればすぐに来てくれるから」
スバルは人差し指を頭の上で立てて、アンテナをイメージしてみせる。最近コダマタウンで見かけるようになった、あの騒がしい刑事の事だと理解した。ツカサはあの男を詳しく知らないが、目の前の友人の話を聞く限り、そこそこ頼りになる存在らしいと推測した。流石はサテラポリスと言うところなのかもしれない。
「でも、どうやって外へ? 一階に降りることもできないんだよ?」
ツカサ達が居る階は二階だ。そこから降りる方法が無い今、彼らは閉じ込められてしまったも同然だ。学習電波のせいで人形と化した生徒や教員達と共に、化け物が徘徊するこの校舎にだ。
不安と恐怖に支配された表情をするツカサの目の前で、スバルは廊下の窓に手をかけた。開こうと必至の様だが、電子ロックがかかっているのだろう。スバル程度の細い腕ではまるで動こうともせずに、窓は頑固に居座っている。
「まさかそこから!? 危ないよ!」
脱出する一つの方法として、窓から飛び降りると言う方法もあるだろう。しかし、先ほども言った通りここは二階だ。命にかかわることは無いだろうが、危険である事実に違いはない。
「違うよ? あの水道パイプを伝って降りるんだよ」
窓のすぐそばには、屋上やベランダに溜まった水を下層へと流すプラスチック製の灰色のパイプが見えた。長年の酷使と雨風に当てられたせいだろう。ところどころ塗装が禿げている。留め金となっている金具が錆びたり、劣化していないか不安になってくる。しかし、窓が開かないのでは触れることもできない。
「仕方ない……か。ツカサ君、僕が囮になるからお願いするね?」
「え? どうするの?」
未だに状況と作戦が理解できないツカサを、廊下の脇に設置してある掃除箱の中へと押しやる。窓のそばに立つスバルから見ると、ツカサの姿はまるで見えない。
「こうするんだよ……えい!」
スバルは掃除箱から数歩離れた場所に設置してある真っ赤な消火器を手に取り、両手で頭上へと持ち上げる。普段の大人しいスバルとは思えない雄々しい光景だった。掃除箱の隙間から覗いていたツカサがまさかと思った直後、そのまさかが現実になった。
スバルは大きく背中を反り返し、後ろに倒れない程度に足を上げる。反動をつけて、消火器で窓をたたき壊した。ガシャンという鈍くて爽快な音と共に、窓は空中へと放り出される。数秒後に、耳に残る嫌な破壊音が響いた。
直後に、廊下の角から飛びだしてきた育田がスバルの前へと現れる。
「ここにいたか!」
一目散に駆けだすスバルが視界から消え、それを追いかける怪物となった育田が反対側から近づいてくる。
育田が近づいてくると、掃除箱の中でギュッと身を強張らせてより体を小さく
ツカサは窓が無くなった場所へと駆けよる。下を見ると、粉々になったガラスと、悲しいほどに歪んだ銀色のフレームが目に飛び込んできた。側にはちょっとへこんだ消火器が無残に転がっている。こんな行為を顔色一つ変えずに行ったスバルは意外と暴れ者なのかと疑ってしまった。
改めて外にある水道パイプを見ると、脆そうと言う感想が出てしまった。こんなものに命を預けるなどあり得ない。普段ならば誰もがそう思い、実行には移さないだろう。しかし、今は普段では無い。スバルはそれ以上に危険な目にあい、ツカサの行動に賭けている。そう思うと、ツカサの行動に迷いが無くなった。窓から身を乗り出し、
「待ってて、スバル君!」
◇
ツカサが無事に逃げたのかと心配になってくる。様子を見に戻りたいがそれは一番やってはいけない行為だ。それでは囮となった意味がない。今はドッチボールで目立った活躍を見せないツカサの運動神経を信じるしかない。
「それにしても、お前大胆だな? 窓ぶっ壊すなんてよ」
「ああでもしなきゃ、ツカサ君が逃げられないでしょ?」
「お前らしいな」とフンと鼻を鳴らし、トランサーからひょいと顔を出してスバルの後ろを窺う。ちょうど育田が角を曲がろうとしているところだった。
「まずいな。あの目は完全に取り憑かれていやがる。相手はリブラか……めんどくさい奴が来やがったぜ」
「強敵?」
「まあな。リブラは天秤座のFM星人だ。火と水の二つの属性を自在に操れる」
「……だったら、大丈夫だよ、ロック」
「……お?」
予想外のスバルの返事に素っ頓狂な声を漏らした。
「電波変換した僕達は無属性だよ。四属性の上下関係の枠から外れてるんだ。大した問題じゃないよ」
「……おお」
頼もしい相棒の言葉に頷きながらもウォーロックはボソリと呟いた。
「それだけでFM星の戦士になれたら苦労しないぜ……」
◇
スバルが角を曲がり、また姿が見えなくなる。
「さア、追いかけロ」
「ああ!」
リブラに返答をし、傀儡人形になり下がった育田が愛する生徒を追いかけ、角を曲がろうとする。
「ロックバスター!」
肩が打ち抜かれた。痛みで歪ませる育田の顔面に赤い光を放つ剣が叩き込まれた。更なる激痛が頭から全身に走って行く。
不意打ちが決まったと炎の剣、リュウエンザンを収めた時だった。
「避けろ!」
ウォーロックの言葉を受けてとっさに育田から離れるように飛んだ直後、懐に重量感のある物体が叩き込まれた。それは皿のような器となった育田の右手だった。肺から空気が追い出され、スバルの軽い体は耐えられずに宙を舞う。校舎の内と外の空気を遮断している窓ガラスに向かって飛ばされるロックマン。ガラスを粉々に砕く直前、ウォーロックがロックマンの周波数を変え、窓ガラスをすり抜けた。よって、校庭の上空へと身を放り出す形になる。勢いに任せたまま体を宙に舞わせ、近くにあったウェーブロードへと足をのばした。
追いかけるように、リブラに取り憑かれた育田もウェーブロードへと移動してくる。感情が読み取り辛い、無機質さを感じさせる表情には亀裂が入っていた。先ほどの一撃は効いていなかったわけではないらしい。肩にも焼けたような跡がちゃんと付いていた。
彼の隣に天秤の形をしたオーラが現れる。今までの経験から、あれがリブラなのだと言うことをスバルは察した。
「誇り高きFM星の戦士、ウォーロック。忠誠と裏切りの天秤が測れぬ愚か者ヨ。不意打ちに走るとは、遂に作戦と卑怯のバランスも測れなくなったカ?」
「はっ、バランスバランスうるせえんだよ。相変わらず細かいやろうだぜ」
「リブラ、先生を元に戻せ!」
二人のやり取りを邪魔するように、リブラと呼ばれた天秤座のFM星人に向かってスバルは叫んだ。緑色のエネルギーがスバルの怒りとなってウォーロックの口に溜まり始める。
対してリブラは虫けらでも見下すかのような笑みを返した。
「ならば選べ。大人しく”アンドロメダの鍵”を渡すカ。推し量れぬ力量差を分かった上で、このリブラ・バランスに挑むカダ!」
「お前を倒す!」
迷う理由なんてない。リブラが言う鍵の役目にすら気にも留めず、スバルはその手に溜めた怒りを放った。