流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
「行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃい」
今日も登校するスバルを見送り、あかねは食器を片づけ始めた。
ほっとしたような、肩すかしをくらったかのような、複雑な気分だ。復学したスバルがいじめられたり、やはり学校が嫌になってしまい、すぐに学校へ行かなくなるのではないかと気がかりだった。
しかし、彼の行動からはそんな様子はうかがえない。嘘をついていたり、隠したりしている風にも見えない。
一度学校に問い合わせようかと考えてすぐに止めた。それは息子を信用していないことになる。まだ学校に復帰したばかりで悩むべき事に気づいてすらいないのかもしれない。しばらくすれば悩みが出るはずだ。その時に、母として接してあげれば良い。
洗い物を済ませ、パートへと向かう準備をするため、化粧台のある部屋へと足を向けた。
◇
暗雲だ。今日の天気はスバルの胸中を如実に表してくれている。大勢の人達の中に居ることは未だになれない。周囲の生徒達を気にして、どうしても足先に視線を落としてしまう。
視線がトンと上に跳ね上がる。背中を叩かれたからだ。振り返るとルナが立っていた。
「朝から元気無いわね?」
「ほっといてよ」
無視するように下に向き直るスバルの隣にルナが並び立つ。共に登校する気のようだ。以前から何度も話をしたりしたからだろうか? 不思議と嫌では無かった。
「今日で三日目ね? 学校はどう?」
「……嫌では無いかな?」
登校することも、クラスの面子と顔を合わせることも辛い。しかし、育田の授業や昼休みにやるドッジボール、隣の席にいるツカサと話すのは楽しい。充実した時間だと言える。だからあいまいな返事をした。
ルナにとっては充分な回答だった。本当は楽しいと言ってほしかったのだが、今はこれで良い。今は休まずに学校に来てもらい続けることが大事だ。5-A組の楽しさはこれから時間をかけて知ってもらえば良いのだから。
「そう、良かったわ。楽しいでしょ? 先生の授業とか」
「……まあね……クラスの皆も悪い人じゃないし」
「良いクラスでしょ? 私が学級委員長をしてるんですもの!」
グンと胸を張り、鼻を高く持ち上げる。ハハハと笑って返すスバルが無表情だったことには気付かなかった。
つまり、ウォーロックだけだ。いつの間にかスバルが顔を上げて登校していることに気付いたのは。
「ところで、スバル君。劇でやっているロックマン様は信じる?」
「え……いや、どうかな?」
実在するとは言いたくなかった。自分で自分をヒーローと認めてしまいそうでむず痒い気がしたからだ。
だからこう答えてしまった。
「委員長達が妄想したヒーローでしょ?」
◇
教室の前まで来るとスバルはルナに気づかれない程度に息を吐いた。ここに来るまでに聞かされたのはロックマンの武勇伝、いや、ロックマン”様”の武勇伝だ。あること無いことが継ぎ足されたそれに散々付き合わされたのだが、それももうすぐ終わりだ。
「というわけで、ロックマン様はピンチの時に現れるヒーローなのよ! 絶対に皆を守ってくれるんだから!」
「……ヘェ……」
「放課後にまた聞かせてあげるわ!」
今日は劇の練習を休んで先に帰るという予定を立てた。いや、明日からもそうしよう。どうせ手が
ルナが教室の戸を開けて一歩中に入った。
「遅いぞ、お前達」
「え?」
ルナに続いてスバルも固まった。
担任の育田先生が教卓の側に立っていた。まだ一時間目が始まるまで大分時間がある。普段なら育田はまだ職員室にいる時間である。そして、遅刻したわけでもないのに二人を咎める言葉が告げられた。
スバルが教室を見渡すと、もう他の生徒達は来ており全員席についていた。一言もしゃべらずに背筋をぴんと伸ばしている。
育田に促されるがままにスバルとルナは自分の席についた。
座りながら隣のツカサに尋ねる。
「どうしたの?」
「僕もよく分からないんだ。教室についたら君たちと同じ、このありさまだよ」
会話を続けようとすると育田の声が遮って来た。
「お前達も知っての通り、このクラスは授業が遅れている。よって、これから授業を早めに始める事にする。それと、このクラスも学習電波を導入することにした」
ざわざわと教室が騒ぎ始めた。
学習電波の導入は他のクラスですでに行われていたため、皆が存在を知っていた。しかし、育田は学習電波の導入に猛反対していた。体に悪影響を及ぼすと言う説があるからだ。その方針を今日になって突然変更すると言うのだ。不思議に思わないわけがない。
「あの、先生……」
質問しようとルナが立ちあがろうとする。
「質問は受け付けない」
ルナを初め、誰も質問の手を上げなかった。今までに聞いたことが無いほど、育田の言葉と態度が冷たかったからだ。
シンと静まりかえる生徒達の無言の承諾を受け取り、育田が教卓のスイッチを押す。
スバルの頭がかき混ぜられた。何かが入ってくる感覚だ。算数の公式や、漢字、様々な知識が電波となって、電気信号となってスバルの脳に入ってくる。与えられた知識を言葉にし、ブツブツと呟き始めた。
他の生徒達も同じだ。眼は半開きになり、焦点が合っていない。心がそこに無いかのように、ただ送られてきた信号を口にしている。
まるで、並べられた人形達があらかじめプログラムされた言葉を発しているような光景に、ウォーロックはぞっとした。もうこの教室の生徒達は人では無くロボットだ。人を抜け殻のようにする学習電波はウォーロックに嫌悪感を抱かせる。
異星人ですら異常だと分かる教室の雰囲気に満面の笑みを浮かべ、育田は教室を後にした。
「スバル! おい、スバル!!」
隣に座っているツカサも意識を保っていないことを確認し、ウォーロックはスバルの意識を戻させようと話しかける。しかし、スバルは地理に関する単語をつぶやくだけだ。
「ちっ、聞こえていたら、歯を食い縛れ!」
聞こえていないと分かっていながらも、一言忠告を述べてウォーロックが自由に動かせるスバルの左手を拳にする。それはスバルの頬へと撃ち込まれ、勢いのままに椅子から飛びだした。
「イターーー!!」
ウォーロックの作戦成功率は50%と言ったところだろう。人形になっていたスバルを人間に戻すと言う作業は完璧だった。過剰なくらいだ。
しかし、誤算があった。殴りつける際、スバルの綺麗な顔の輪郭が崩れないように配慮して威力を調整したのだが考慮するべき要素を見逃していた。左から殴られたスバルは右に吹っ飛ぶ。その飛距離を計算していなかった。
「アイタタタ……どうしたの? スバル君?」
隣に座っていたツカサを巻き込んでしまった。彼も魂を取り戻して立ちあがる。
ツカサの上から退きながら、トランサーをさりげなく撫でる。ツカサの前でウォーロックと会話をするわけにはいかない。精いっぱいの感謝の表現だった。
ウォーロックもそれを察し、黙って二人の成り行きを見守っていた。
ツカサに手を差しのべながらスバルは教室を見渡す。二人以外の5-A組生徒達は相変わらず不気味な人形になることを強いられていた。
その直後に、強く床に頭を打ちつけたのとは別の理由で、頭痛がした。学習電波だと気づくのに時間はいらなかった。よく見ると、皆も激痛に耐えるように表情を歪めている。この電波が人体に有害だと言うことは一目瞭然だった。
頭を押さえ、涙を滲ませながらツカサはスバルに問いかける。
「スバル君、どうしよう?」
「決まってるよ。職員室へ行こう? こんなのおかしいよ!」
スバルは学校に通い始めたばかりだ。学校と言うのがどんなものかはまだ具体的に言えない。しかし、この状況が学校の普通だとは思えないし、あってはならないと断言できた。
戸を開き、廊下へと飛び出す。それでも頭痛は止まない。直も頭を押さえ込んでいるツカサの隣で、スバルはビジライザーをかけてみる。相棒がささやいた通り、学習電波は廊下にまで流れていた。教科書の形をした電波が飛び交っている。廊下の隅では見回りの教師が頭を押さえて座り込んでいる。もしかしたら、5-A組がある二階だけではなく、学校全体にこの有害な電波が流されているのかもしれない。
ふらつきそうになる足取りで二人は廊下を進み、職員室へと足を向ける。
「お前達、何をしている?」
「先生!?」
一つ目の角をまがったところで育田に見つかった。彼だけは暴力的に降り注ぐ電波の中で平然と立っていた。
「学習電波が弱いのか? 放送室で操作する必要があるな。お前達、教室に戻れ。さっさと勉強しろ」
苦悶の表情を浮かべ、助けを求める生徒二人に吐いた暴言。スバルには受け入れられなかった。
「先生、なんで!?」
「勉強ばかりしてもろくな大人になれないって、教えてくれたのは先生ですよ!?」
ツカサも同じだ。育田に疑問を投げかけた。
「うるさい。子供は勉強だけをしていれば良いんだ」
戸惑った。育田の言葉とは思えなかった。昨日までと正反対だ。彼は生徒に勉強を強いることなど無いし、うるさいなどと生徒の意見を理由無く退けるわけがない。
言葉を失い、茫然と担任教師の釣り上がった細い目を見つめていた。
「そんな……育田先生、なんでそんなこと……」
「良いから勉強しろ、勉強を!!」
いつまでも動こうとしない生徒に苛立って来たのだろう。僅かばかりに開いた目には優しさなど微塵の欠片も無く、憤怒の念だけが込められていく。同調するように、言葉がより激しく単調になって行く。
「勉強しろ! 勉強、勉強だ! 勉強していれば良いんだ!! 子供は勉強しろ!! 勉強だ!! 子供は勉強!! 勉強しろ!! 勉強しろ!!勉強しろ!! 勉強!! 勉強!! 勉強!! 勉キョウ!! ベン強!! ベンキョウ!!」
発する言葉は単調な物から単語へと変わり、相成るように声を張り上げた。
「ベンキョウ~!!!」
最期は悲鳴のようだった。それと同時に茶色い光が辺りを包み込んだ。
目を閉じるツカサの隣で、光が育田から発せられたのをスバルとウォーロックは見逃さなかった。
光が収まり、眼前に出来上がった光景を見て、スバルは絶句した。広がる光景を夢だと決めつけ、現実逃避したかった。しかし、スバルの前に、5-A組担任教師の育田道徳はもう居なかった。
足が無い代わりにずんぐりとした、太くて縦に長い体。その体を囲うように赤いリングが三本点滅しながら浮いており、腹辺りで留まっている。両腕は関節の無い棒のようになっており、間接の代わりに先端には糸が三本垂れさがっている。垂れさがった糸は二つのお皿のような器を支えており、右手には水が、左手には火が渦巻いている。
人間とはかけ離れたその姿はFM星人に取りつかれ、電波変換した証だった。