流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
103デパートは今日も大賑わいだ。屋上に設けられたマムシの展示会も、一時の事件が嘘のような賑わいを見せている。今も一組のカップルが展示室から出て行き、親子連れの家族が入っていくところだ。
展示室内の控え室に入る前に、ごった返す客達に頭を下げるナルオとユリコ。誰が見ているわけでもないが、これも客を神とする者達の礼儀作法だ。ドアを潜った二人は一呼吸置く間もなく、話を切り出した。
「ルナは少しは元気になったのか?」
「いえ、昨日また落ち込んで帰ってきたわ」
「そうか……」
この一週間、多忙ゆえに帰宅できなかったナルオはユリコの言葉に肩を落とした。今すぐにでも娘の下に駆けつけてやりたいが、仕事がそれを許してくれない。何もできない自分が歯がゆかった。
小まめに家に帰っているユリコも同じだ。眼鏡のふちで隠れて見えにくいが、目の周りが青くなっている。心身ともに疲れているのだろう。
「……む? ユリコ、そろそろ時間だぞ」
「今はそんな気分じゃないわ」
「だが、以前から約束をしていたのだろ? 今断るのは失礼だ」
「……それもそうよね。じゃあ、お願いするわ」
数分後、ユリコは軽く身支度を整え、展示室を後にした。屋上の広場を横切っているときに時間を確かめる。どうやら約束の時間には間に合いそうだ。
その広場の片隅で、彼は一人寂しく座り込んでいた。急ぎ足で視界を横切るルナの母親も、彼にとっては背景と何も変わらない。そもそも、認識してすらいない。その目に生気は無く、暗く淀んだ瞳の中で、ロボットがせわしなく動いているだけだ。
彼が見ているのは、11年前、赤ん坊だった自分を拾ってくれたゴミ収集ロボットだ。大きい目を取り付けたロボットは小さいゴミを吸い取ったり、マナーの悪い客がポイ捨てした空き缶を回収したりと、休みなく動いている。
「よく働くね。疲れたりしないのかい?」
ロボットの動きが止まった。センサーとカメラで姿を認識したのだろう。行き交う人々にぶつからぬようにと、ゆっくりと側に寄ってきた。
「僕は疲れたよ。生きていることが。もう、僕には何も無い。この世の全てを裏切ったんだ……前に話したスバル君も、僕を助けてくれた君さえもね……」
淡々と語る少年の前で、ゴミ回収ロボットは言葉一つ発することも無く、ただ佇んでいた。
「君は僕を恨むかい?」
何も答えてくれるわけが無い。そんなこと分かっている。
機械はある意味残酷な存在と言えるかもしれない。搭載された能力以上の力を発揮することは無いのだから。それ以上の期待には絶対に応えられないのだから。
もちろん、このロボットが少年に優しい言葉をかけることも、励ましの台詞を口にすることもない。言語機能を持っていないのだから。
目のライトを数回点灯させる。それがロボットの返事だった。少年では無く、散らかっているゴミの相手に戻っていく。
あのロボットには悪意どころか感情すらないことなんて分かっているのに、自分の心に応えてくれるわけなんてないと分かっているのに、予想通りの結果に空しく瞼を閉じる。
「当然だよね……僕は、スバル君を裏切ったんだから……」
あの日からずっとだ。彼にした残酷な行いがずっと頭から離れない。あの時の、一つ一つのやり取りが、何度も何度も頭の中で繰り返され、胸を焼く。自分が言った言葉、スバルの震える口調。全てが全身に染み付いて、忘れさせようとはしてくれない。
「どうすれば良かったのかな? これからどうすれば良いのかな?」
過去に行くことができたのなら、あの時の自分を止めたい。未来の自分と会う事ができるのなら、自分の道を示して欲しい。
どうにもならない今の自分に、目頭が熱くなってくる。でも、このまま泣いてしまったら、自分が益々価値の無い存在に成り下がりそうな気がして、小さい意地に任せて塞き止める。
それを手助けしてくれたのは、聞き覚えのある声だった。意識を外に向けた彼が目にしたのは、屋上に入ってきた三人の影だった。
◇
デパートの屋上にやってきた少女は暗い顔を持ち上げた。目に映るのは両親が営んでいる展示室だ。友人二人に、朝っぱらからヤシブタウンに遊びに行こうと誘われたのはまだ良い。しかし、どうしてもここには来たくなかった。両親がいるからじゃない。あの人に助けてもらった、思い出の場所なのだから。
ポケットからあの紙を取り出した。そこに描かれているのは、自分が愛した憧れの人。バイザーの下から見える鋭い瞳が自分を見ている。クシャリという音で我に返った。紙が少し折れ曲がり、皺がよってしまっている。慌てて伸ばして、丁寧に折りたたんだ。
「……帰るわ」
「あ、そんな……」
「委員長……」
ゴン太とキザマロの言葉を振り切るように、ルナはそそくさと足早に階段へと向かっていく。伸ばした手の先で、ルナは階段の奥へと姿を消してしまう。肩を落とした二人は大きなため息を吐き出した。
「委員長……どうしちまったんだろうな?」
「やっぱり、スバル君にブラザーを切られたのがショックだったんですかね?」
「……やっぱりアイツを説得しないとダメみたいだな?」
「仲直りしてほしいですね?」
そこまで言って、キザマロは口を止めた。次の言葉が口元まで上がってきているのに、飲み込もうとしてしまう。
ずっと言いたかったことだ。このまま言わないでも良いのかもしれない。けれど、それじゃあ偽物になってしまう気がする。だから、自分に区切りをつけるために、その一言を吐き出した。
「この前はスイマセンでした!」
「え? あ、ああ……その……悪かったな、俺のほうこそ」
キザマロが謝っていることがなんなのか、頭の鈍いゴン太も流石に気づいた。自分達が喧嘩をした理由だ。なぜか急にカッとなって、キザマロに対する不満を乱暴に並べた日のことだ。自分も謝りたかったのに、先を越されてしまった。
初めに切り出すのはとても勇気がいることだろう。自分もずっと恐かったのだから、キザマロがどんな思いで先ほどの言葉を口にしたのか、理解しているつもりだ。ゴン太も頭を下げた。
「もう気にしていませんよ」
「そ、そうか? ヘヘ、ありがとな」
笑みをかわした二人は、直ぐに気持ちを切り替え、同時に階段に目を向ける。キザマロを虐める事でしか自分をアピールできなかったゴン太と、彼の気持ちに気づかずに耐えるしかなかったキザマロ。二人を繋いでくれたのはあの少女だ。いつもはおっかないが、自分達が慕っているあの委員長だ。
「僕たちをブラザーにしてくれたのは委員長です。必ずスバル君と仲直りさせましょう!」
「おう! 喧嘩しても、仲直りすればいいんだけなんだからな?」
「まったく、調子良いですね?」
二人の快活な笑い声が足音と共に走り去っていく。彼らの気配がなくなった事を確認し、ツカサは物陰から顔を出した。
土砂崩れのように襲ってくる後悔の念。埋もれそうになる自分。足はガクガクと震え、ツカサを支えきれなくなる。顔を手で覆い隠し、倒れるように、先ほどのベンチに腰を下ろした。
「どうしたのかね、少年?」
いつの間にか隣に老人が座っていた。おそらく、自分が物陰に隠れている間だろう。彼は声に悶えるツカサの目を見ることも無く、笑顔で足元の鳩達に餌をやっている。
「僕は……僕は……」
無理矢理凍らせていた心は、あの二人の熱に触れて動き出してしまった。激しく動悸するそれを抑えることもできず、左胸と頭が痛くなってくる。
今度は涙を抑えることができなかった。
「僕は……バカだ。なんで……なんで僕は彼を裏切ってしまったんだ……友達を……ブラザーになりたいって思った彼を……なんで……」
「だが、そのときは自分が正しいと思った道を選んだ? 違うかね?」
「正しい?」違う。正しいわけが無い。大勢の人を殺めることが、大好きな人を裏切ることが、正しいわけが無い。
「いえ……僕は、僕が大切で仕方なかったんです。正しくない、間違っているって分かっていても……そうしたかったんです!」
足だけではなく、肩も、手も、口も……ツカサ自身が感情と共に揺れ動く。唇は乾き、まるで瞳に水分を奪われたかのよう。
「そうしなければ……僕は……」
「じゃが、今は己の過ちを後悔している……違うかね?」
対し、老人は指先一つ、眉一つ動じる事もなかった。前髪を掻き毟り、顔を覆っている手から涙を溢れ落とす少年に、老人は皺で塞ぎかけた細い目を向ける。
「大切なのはそこじゃよ。過ちに気づくということじゃ」
「っ!?」
息を呑むと同時に、指から垣間見えていた目が大きく開かれた。
「過ちに気づくということ。それは前に進めるということじゃ……なんと幸運なことじゃと思わんかね?」
微弱ではあれど、瞳には光が舞い戻っていた。涙に照らされたそれは、老人に感嘆の声を漏らさせる。まるで宝石のようだ。
「後は、君が勇気を出して、一歩を踏み出すだけじゃよ」
静かにかつ雄弁に語り終えた老人は、鳩たちにもう一度餌をやり、隣を見てみる。そこにツカサの姿はなかった。
「行ったか……走れ、少年よ? 後悔せぬようにな……わしのように……」
手に残っている餌を地に払い、杖を突いて立ち上がる。我先にと餌を啄ばんでいる鳩たちの向こうで、屋上の手すりに寄りかかる。見上げた空は青く、雲達がのんびりと散歩をしていた。
「ワシも、自分に向き合う時かのう?」
老人に応える者はいない。
鳩達が一斉に飛立った。老人の横を通り過ぎて、空へと飛び出していく。あの日の彼らのように、その翼を雄大に広げ、雲に向かって羽ばたいていく。
あの日のように……希望だけを見ていたあの日のように、空はどこまでも澄み切っていた。