流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
通り過ぎて欲しかった。吹いてくる微風など、誰も気に留めないように。気づかないということは、その場に無いことと同等なのだから。
だが、ジェミニの放った言葉は、スバルの頭に食いついて離れようとしない。
「……二重人格……」
「そうだ。こいつは人格を二つ持っている。ツカサの中にもう一人、ヒカルという人格がある」
ツカサは両親に捨てられ、辛い思いをしてきた。両親への憎しみと、両親がいる暮らしへの憧れ。それらは時間と共に大きく膨らみ、そのままもう一人のツカサとなって、彼の中に宿ったのである。
それが、彼のもう一人の人格、ヒカルだ。
「なんで、あの時ツカサ君は……ジェミニと戦ったとき、ツカサ君は倒れていたじゃないか!?」
違うと思いたい。大好きなツカサが、宿敵であるヒカルと同一人物であるなどと思いたくなんてない。だから、スバルはまとまらない頭で必死に否定する。
彼が思い出していたのは放送室の電脳内で戦ったときのことだ。ジェミニとヒカルの後ろのディスプレイでは、確かにツカサがうつ伏せで倒れていた。ツカサとヒカルが同時刻に別々の場所にいたのだから、彼らが同一人物である訳が無い。
「録画と再生も知らないのか?」
スバルの僅かな願望をジェミニは踏みにじる。
「フン、間抜けな面だな……」
地面を掴み、顔を苦渋で歪めながらも、ツカサは笑っていた。いや、笑っているのはヒカルだろう。隣では、ジェミニが黒い仮面の下であざ笑っていた。
ヒカルの娯楽だ。騙され、裏切られたときのスバルが見たいがための愉快犯だ。
魂を抜き取られたように突っ立っているスバルに、ジェミニは追い討ちをかけた。
「ショックか? ブラザーを結ぼうとした相手が、こんな出来損ないだと分かってよ」
◇
白と黒が入り乱れる世界。ツカサとヒカルの精神を司る場所。白と黒は線となり、別々の生き物のようにうねっている。それらを背景に、ツカサとヒカルは向き合っていた。
最後の計画だ。ヒカルが用意したもう一つの計画。
スバルとブラザーを結んで、アンドロメダの鍵の情報を手に入れることができるか試す。これは簡単だが不確実な方法だった。ブラザーを結ぶことはできても、情報が必ず手に入るとは限らないからだ。
だからもう一つ、最後に作戦を用意しておいた。本当はツカサとヒカルが同一人物であるとスバルに告げてから、数日かけてツカサを説得するつもりだった。だが、予想以上のツカサの抵抗で、この場から逃げるに逃げれなくなってしまった。ならばもうこの場で説得するしかない。
これが失敗すれば、自分達にはもう勝ち目が無い。大丈夫だと自分に言い聞かせる。
目の前にいるのは自分を生み出した男。もう一人の自分。この方法なら、きっと説得できる。
「ヒカル……お願いだから、スバル君を傷つけないでくれ」
「無理な話だな。あいつを倒さなきゃ、俺達の目的は達成できないんだ」
「僕と……君の?」
ツカサにはスバルを傷つけなくてはならない理由が無い。だが、ヒカルの言う『目的』には思い当たるものがあった。
「ああ、俺達の両親への……」
「復讐……」
ヒカルの確認をとるような言葉に、ツカサも言葉を繋げた。だが、あまり必要なかったかもしれない。この感情は一つの人格が二つに分かれても、ずっと消えずに残っているのだから。
「そうだ! それをするためには、あいつらが持っている『アンドロメダのカギ』が必要なんだ」
「……カギ?」
「ああ……」
ここで、初めてヒカルはアンドロメダのカギについてツカサに説明した。
ジェミニはFM星という星から来た異星人であること。FM星はかつてAM星という星を潰していること。アンドロメダという最終兵器の前に、AM星からは全ての命が消えたこと。それを動かすためのカギを、スバルと共にいるFM星人のウォーロックが持っていること。全てを手短にツカサに話した。
「カギを奪って、アンドロメダで地球を壊す。そうすりゃあ、俺達の両親も……」
「止めてよ! そんなことしたら、スバル君や皆が……」
ツカサの胸倉が引っ張られた。見ると、凄まじい形相をしたヒカルの顔があった。
「綺麗ごと言ってる場合か? 思い出せよ! 幼い時に誓ったはずだ!? 必ず俺達の両親に復讐をするってな!」
ツカサは気づいた。自分を掴んでいるヒカルの手が震えていることにだ。自分達を捨てた両親への怒りが、押さえられずに滲み出ていた。
「顔も名前も知らない相手に復讐するのなら、皆まとめてぶっ壊すしかないんだよ!」
「だからって……スバル君を傷つけるなんて……」
両親への怒りと憎しみを忘れたことなんていない。だから、ツカサの中でヒカルが生まれたのだ。
両親への復讐。それはヒカルだけでなく、ツカサにとっても必ず叶えたい願いだった。
そんなツカサの心を癒してくれたのがスバルだった。ツカサは、スバルからたくさんの幸せを貰った。彼と一緒にいたいという気持ちは、自分でも驚くほど、あっという間に大きくなったのだ。
渋っていたツカサはふと目を留めた。いつも暴力に満ちたヒカルの目が悲しく細められている事に気づいた。こんな彼の目は見たことが無い。
「ツカサ……俺達を理解できるのは、俺達だけだぜ? 俺達に、居場所なんて無いんだ……」
二重人格。一つの体に、二つの人格を要する。通常の人ではありえないことだ。特異なツカサとヒカルを理解できる人間なんていない。齢十の年でそれを理解した二人は、誰にも悟られぬようにひっそりと生きて来た。
奇異の目で見られることを恐れ、ツカサはヒカルの存在を隠してきた。学校の先生や生徒ははもちろんのこと、毎日寝食を共にしている孤児院の者達にも、打ち明けたことは無い。
ヒカルもそれを分かっているから、人目につかないときしか表に出てこない。
自分を隠して、孤独に生きてきツカサの前に現れたのがスバルだった。スバルの優しさに触れて思ったのだ。スバルにならば、自分を打ち明けても大丈夫だと。
「違うよ。スバル君なら……きっと僕を受け入れてくれる。君だって受け入れてくれるはずさ! 僕は、彼のことが好きになってしまったんだ! 僕は、スバル君とブラザーになりたいんだ!」
「なら、見てみろよ?」
◇
ヒカルが少々開放してくれた体の主導権。あまり自由に動かない体で、スバルを見上げた。途端に手足の力が抜け、歯を食いしばった。
スバルの表情には困惑の色が生まれていた。その目は、自分を特別な目で見るものだった。
◇
「分かったか? 所詮、こいつも他の奴らと同じだ!」
ヒカルがツカサの両肩に手を置く。
「俺達を理解できるのは、俺達だけだぜ?」
スバルの目を見て、悲しみにくれているツカサ。もう一押しだと、ヒカルは彼の手をとる。
「ツカサ……思い出せよ! 俺達の誓いを! お前を捨てた両親を! 俺が生まれる原因になった両親への憎しみを!!」
ツカサにまくし立てるように怒鳴るヒカル。その声は、どこか悲痛なものだった。
「ツカサ……俺達の両親に復讐するチャンスは……多分これが最後だ。これを逃したら、他に方法なんて無い! やるんだ……復讐を!!」
最後まで言い切ったヒカルは、肩を激しく上下させ、俯いているツカサの様子を伺った。
だらりと下がっていたツカサの右手が持ち上がる。自分の肩を掴んでいるヒカルの手に、自分の手を置いた。
「ツカサ……」
不安げに、ツカサの返事を待つヒカル。ツカサの面が上がった。その目を見て、ヒカルに笑みが浮かぶ。
背景の白と黒の線は混じり合い、渦となって広がっていった。
条件が整った。
◇
騒ぎが収まった。その分、変わらずに囁いていた風が賑やかに聞こえてくる。
「……ツカサ……君?」
ウォーロックがジェミニを警戒し、二人の視線がぶつかり合う。その中で、スバルはピクリとも動かなくなったツカサを心配そうに見ていた。さっきまで、狂ったようにもがいていたことが嘘のように、指先一つ動かない。ツカサの体は物のように転がっている。
二重人格というものが、どういうものかは分からない。ただ、ツカサとヒカルが体の奪い合いをしているということだけはおおよその見当がついていた。ツカサはヒカルを封じ込めたのか。それとも、今の人格はヒカルのほうなのか。不安と心配の視線を向けていた。
ツカサの手が前触れも無く動いた。地面を押し、体を立たせる。
「……ツカサ君! 大丈夫なの!?」
無言で立ち上がり、体に付いた草花や土を払う。その様は、スバルの臆病な心を恐がらせるには十分だった。
「ねえ……?」
スバルの言葉に何も答えないツカサ。
ウォーロックは最悪を想定し、ジェミニはほくそ笑んでいた。
ツカサはスバルの顔を見ようともしない。彼の左手がゆっくりと空に向かって持ち上がる。
それが意味することを、スバルは嫌なほどよく分かっている。スバルの表情が青ざめていく様を見て、満足そうに笑いながら、ジェミニはツカサのトランサーへと飛び込んだ。
「止めてっ! ツカサ君!!」
スバルの悲鳴に近い言葉。その中で、ツカサの口が無情に開かれる。
「電波変換 双葉ツカサ 双葉ヒカル オン・エア!」
トランサーから白と黒の光があふれ出し、鮮やかだった花畑を単純な色彩で塗りつぶす。スバルを遮るように放たれた二色の光の向こうで、ツカサの声が聞こえた気がした。
「ごめんよ……スバル君……」
スバルの視界を塞ぐ光が徐々に小さくなっていく。収束していく白と黒の光。それは一箇所に留まらず、二つの場所に集まっていく。それぞれの光が同時に弾け飛んだ。
「……なん、だと……」
目を凝らしたのはウォーロックだ。ツカサとヒカルが、ジェミニと電波変換した姿は異形なものだった。
ヒカルは以前のとおり、全身が真っ黒だ。頭につけたヘルメットには一本の角、オレンジ色の髪が豊富にはみ出している。右手には黄色い装甲が取り付けられ、左手と比べると太くなっている。
その隣にもう一人いる。見た目はヒカルと同じだ。違う点は右手ではなく、左手に装甲が付いていることと、体が真っ白なことだ。
黒いほうがヒカルであることは、すでに分かっている。なら、白いほうは誰なのか。考えるまでも無かった。
二人の頭上に影が浮かび上がる。ジェミニだ。
「これで……これでやっと! ……ふ、フハハハハハハ!!」
ジェミニの中央にあった黒い仮面が左にずれる。そのぶん右側は広くなる。そのスペースを埋めるように、ジェミニの体から物体が浮き上がってくる。それは白い仮面。黒い仮面と同じ形をした、色違いのものだ。一つの体と二つの顔。ジェミニが真の姿をあらわにしたのである。
「これが……お前らの……?」
「そうだ! ジェミニ・スパーク。これが俺達の本当の名だ!!」
ウォーロックとスバルを見下し、ジェミニは愉快げに笑っていた。
「今度こそ渡してもらうぞ、アンドロメダのカギをな!!」