流星のロックマン Arrange The Original 作:悲傷
渦巻く闇。突きつけらた現実と、それを受け入れられない自分によって生み出された世界。上下も分からない空間で、すがる物も無く漂う自分。激痛が走る頭を抱え、ただ自問を続ける。胸の中では、今も黒い感情が
永久に続くような深い苦しみは、容赦なく少年の幼い心に重く圧し掛かる。絶えず続くその責め苦は、時間では解決できない。むしろ刻んだ時の数に応じて、重みは増してくる。
痛い。狂ってしまいそうなくらいに。
耐えられない。
少年にはこの痛みと苦しみに耐えられない。
涙を流しきった目が乾き、血管が浮き上がってくる。喉はとっくに潰れ、声すら出せない。顔を引っかくようにした爪には、涙のような赤い線が描かれる。顔を覆い隠すようにしていた、血塗られた両手で頭を抑えた。
限界に達したのだ。彼の精神はこの世界に屈伏した。
ふと割れそうだった痛みが消えた。気づけば、手と足が地面についている。あの真っ黒な世界はどこにも無い。
状況が飲み込めぬまま、恐る恐ると立ちがろうとしたときだった。白い世界に足が見えた。自分の足ではない。自分の足はこんなに黒くない。見上げるように立ち上がった。
◇
翌日、リビングに下りると、そこに天地と宇田海の姿はすでに無かった。リビングで寝泊りした二人は、朝早くから仕事に向かったらしい。確か、今日はコダマタウンで仕事だと言っていた。
一晩だけとはいえど、家の人口が増えた星河家。その中で、一番のお寝坊さんはスバルだった。
ウォーロックにとっては驚くことでもなんでもない、当たり前な結果だった。そもそも、毎朝朝食を作っているあかねとミソラに、毎日遅刻ギリギリで起床するスバルが対抗するのは無理がある話だ。
仕事の忙しさから不規則な生活を送っていた上に、引退してからは自分で朝食を作っているミソラは、あかねと一緒に早起きしている。昨日の夜の約束どおり、早速料理を教わったのだろう。天地と宇田海にも振舞った朝食をスバルの前に広げてくれた。
「お、おいしい!」
「ホントッ!?」
「うん! 母さんのとは、ちょっと味が違うけれど、すごくおいしいよ!」
「やった! スバル君のお母さん、ありがとうございます!」
ミソラがあかねから教わって作った卵焼きを、スバルは美味しそうに口に放り込んだ。スバルの一言で、ミソラは朝から有頂天だ。
好きな男の子に、心から美味しいと言ってもらえたのだ。デートしたときに振舞ったクッキーでは、味が微妙だったために、スバルに気を使わせてしまった。あの時には得られなかった喜びにふけっているミソラに、冷やかしが大好きなあかねは、もちろん意地悪をする。
「好きな人にご馳走できて、嬉しい!?」
「ひゃあ! そ、そそそそそんな……」
ここで、『違う』なんて言ったら、あかねにもスバルにも失礼だ。エプロンを持ち上げて照れた顔を隠して誤魔化すしかない。
スバルも顔が赤いが、ミソラの反応を見て、素直に可愛いと見とれてしまった。あかねの意地悪な視線に気づき、慌ててお味噌汁に口をつける。これもミソラが作ってくれたのだろう。ちょっとワカメの塩分が濃かったが、出汁の風味が生きていて美味しかった。
◇
お昼前のこの時間、スバルとミソラは公園内を歩いていた。ツカサと会う時間までは、まだ少々時間がある。コダマタウンの名物である深緑の香りに満たされた公園を案内しているところだ。
「案内する」とスバルは胸を張っていたが、わざわざ紹介する場所なんてほとんど無い。そういう名目で二人が互いと一緒に居たいだけだ。
スバルの目がチラチラと戸惑う。お目当てはミソラの白い手だ。ヤシブタウンで遊んだときは、流れに任せて手を繋いでいたものの、日を改めるとなかなかに難しい。
手を繋いでも良いのか。繋いだら驚いて退かれないだろうか。それで嫌われてしまったら悔やもうにも悔やみきれない。昨日CDを見せて好感度を上げたばかりなのだから、下げたくない。しかし、せっかくのチャンスを無駄になんてしたくない。
結局、今は無理そうだ。ミソラが腰あたりで手を組んでいる。ここで手を伸ばしたらエチケット違反だ。
諦めようとしたとき、その手が横に伸ばされる。誘っているのだろうか? 多分、違う。ミソラの目は休日にのみ訪れる屋台の、タイヤキという文字に釘付けになっているからだ。朝ごはんを食べて間もないのに、もう間食したいらしい。
チャンスだ。チャンスの中の大チャンスだ。手を繋いで少々嫌がられても、タイヤキを奢れば失態を取り戻せるはずだ。ヤシブタウンでミソラの甘党振りは散々見せられたのだから、これで取り返せると安い算段を立てる。
迷う暇など無い、即座に行動に移した。ミソラの柔らかい手を握る。
「食べようか?」
「あ……うん」
頷いてくれた彼女にほっと一息つく。嫌がるどころか握り返しくれた。身体の内から高鳴る脈にふんぞり返りながらスバルは手を引っ張る。歩調を合わせながら、ミソラは小さく呟いた。
「遅いよ……」
「ん? 何?」
「なんでもないよ、フフ」
タイヤキ屋に向かって歩いている二人を見ている、二つの影があった。影達は互いに頷き合い、目を光らせると姿を消した。
スバルとミソラがベンチに腰掛けてタイヤキを頬張っていたときだ。シャッターを開く音が静かに公園に響く。
「あの人が南国さん?」
「そうだよ。サーファーみたいでしょ?」
BIGWAVEの店長である南国が、お店を開けたところだった。やはり大人気なのだろう、開店と同時に、数人の子供達が中へと入っていく。
それを見て、スバルは思い出した。ウォーロックとの約束をだ。
「そうだ。ウォーロック、バトルカード!」
「ああ、また今度でいいぜ」
面食らう回答だった。スバルが服を買いに行ったとき、ウォーロックはカードが欲しいと駄々をこねていた。次の機会に買うと約束して、彼には納得してもらったのだ。約束を果たすというのに、彼はそれを辞退したのだ。
「どうして?」
「それより、ツカサにプレゼントでも買ってやったらどうだ? ブラザーを結んだ記念にな? 俺達のバトルカードは、また今度でいいぜ」
刑事ドラマのワンシーンから思いついた、彼なりの気遣いだったのだろう。しかし、それはスバルを固まらせる驚愕の異常現象に他ならない。トランサー内にいるウォーロックを見つめ、瞬きを繰り返すだけだ。
ミソラのギターではスバル以上に驚いている者がいた。
「ポロロン……意外だわ……」
「おい、ハープ! どういう意味だ!?」
ウォーロックがトランサーから飛び出すと、ハープも出てきた。水色の体を一層青くし、両手を口に当てて全身を小刻みに震わせている。
「そのままの意味よ。アナタが遠慮して、他人に譲るなんて……オックスが勉強熱心になるぐらい、ありえないわよ! 不気味よ! 気味が悪いわ!!」
「俺をあの牛と一緒にするな!!」
どうやら、オックスはよく他人をからかう時の題材にされる人物らしい。喧嘩している二人を置いておき、ミソラもウォーロックの意見に賛成した。
「良い案じゃない? 友達の証って感じで!」
スバルから貰ったハート型のペンダントをちらつかせるように見せてみる。彼女だって、このペンダントを貰ったときは嬉しかったし、こうやって今でもつけているのだ。
「うん……そうだね! バトルカードだったら、皆使うし。無駄にならないよね?」
ちょっと考えたスバルは、残るタイヤキを全て口に放り込んだ。ミソラも最後の一口を食べ終え、スバルと一緒に立ち上がる。
スバルが言っていたとおり、BIGWAVEの内装は南の島を思わせてくれる。中に入ると、草木特有の匂いと温もりが迎えてくれ、安らかな気持ちにさせてくれる。カードを買う予定がなくとも、この雰囲気に浸るために、ついつい足を運びたくなってしまいそうだ。店の端っこでは子供達が和気藹々とはしゃいでいる。
「やあ、スバル君! いらっしゃい的な!」
「こんにちは」
ここも説明された通りだ。南国の変わった口癖に頬を緩めてしまった。ちょっと失礼だ。ふと気づくと、南国と目が合ってしまっていた。スバルの隣に立っているミソラをじっと観察している。直ぐに目を見開き、口を開く。漏れそうになる声を押し込むように、とっさに手で蓋をした。
「スバル君! もしかして的な……」
「あ……はい……」
「響ミソラです」
周りに聞こえないように、ヒソヒソと会話をする三人。大人気アイドルのまま引退したミソラがここにいることが分かれば、間違いなく大騒ぎになる。南国の冷静な対応に感謝したいところだ。
「スバルく~ん、ミソラちゃんにサイン頼んで良いかな?」
「はい」
取り入るような声で頼み込んでくる南国。困った顔をするスバルに代わり、ミソラは気軽に了承した。南国が店の奥から持ってきた色紙に、慣れた手つきでサインを施す。
彼はミソラファンでは無く、ミソラの曲に少々好意を抱いている程度だ。ミソラのサインにはそこまで興味が無いはずである。それでも、わざわざ貰うのは、客寄せのために店内に飾るつもりだからだろう。額縁を持ってきていることが良い証拠だ。
「ところで、スバル君がこの前言ってた彼女って、響ミソラ的な!?」
一瞬で、白かったミソラの全身が赤に染まった。スバルも同じようになりながら、動揺だらけの舌で、必死に否定の言葉を弾き出す。
「な、ななな、なにな、南国さん! な、な、何言ってるんです!?」
「やだなあ~。先週言ってたじゃない! 得意げ的に! 『ヤシブタウンでデートです!』って。ミソラちゃんとデートしてたんでしょ?」
先週の行動をようやく後悔した。ヤシブタウンに行く途中のこの公園で、南国達と会ったときの自分を責めた。浮かれていたとは言えど、言わなくてもいい事を言ってしまった結果がこれだ。ミソラに知られたくない自分を暴露されてしまった。言い逃れなんて、できっこない。ここで全力で否定したら、ミソラに嫌われてしまうかもしれない。無言になるしかなかった。
一方のミソラは内心パニックだ。デートのつもりでいたのは、自分だけだと思っていた。だが、スバルはミソラと会う前から『デートだ』と豪語していたのだ。それだけ、スバルは自分に気があるということなのだろうか? もしそうなら嬉しいが、確かめる勇気なんて、ミソラの乙女心では搾り出せない。
嬉しさに恥ずかしさが加算され、ミソラの思考が機能しなくなっていく。少しでも脳の活動を冷静にしようと、胸元のペンダントを握り締める。だが、それはスバルから貰ったプレゼント。スバルを身近に感じるアイテムだ。余計に頭が熱っぽくなってしまった。
「まあまあ、せっかくだから品物見て行ってよ」
からかいすぎたと感じた南国が話題をそらす。半分やけになった二人はショーケースの中身を覗きこむ。
「そうそう、スバル君。レアカード的なもの入荷したんだけれど、どうかな?」
常連客であるスバルに、南国は一枚のカードを指差した。『在庫一点限り』と大きく書かれた紙が張ってある。一点しか無い上にレアカードなため、お値段もなかなかの物だ。
「これは……どんなカードなんですか?」
「よっくぞ聞いてくれたね! 全てを切り裂き、破壊する、最強の
「ブレイクサーベル……」
ガラス戸越しにそのカードを覗き込み、観察してみる。なかなか威圧感のある絵がプリントされているカードだ。描かれている剣は、先端に向けて細く尖っていく円錐型。その周りを紫色の螺旋が囲んでおり、禍々しい印象を与えてくる。電波ウィルスも、この剣を受けたらひとたまりも無いだろう。
「サインのお礼に、ちょっとお安くしとくよん?」
値段とトランサーに映っている電子マネーの残高を見比べる。そのとき、ウォーロックと目が合った。戦闘が大好きな彼なら、こんな風に提案してくるだろう。
『このカードは俺達のために買っといて、ツカサには別のカードをプレゼントしようぜ』
そんなスバルの予想をウォーロックは覆した。スバルの気持ちを察してくれたのだろう。親指を立ててくれている。頷き、トランサーを閉じる。
「ブレイクサーベルをください」
「まいどあり~!」
綺麗な包装紙に包んでもらい、二人はお店を後にした。
◇
バス停前まで来ると、元気の塊のようだったミソラの表情は、寂しそうなものに変わっていた。
「お昼過ぎには戻ってくるから」
「寄り道しちゃ嫌だよ?」
「分かってるって」
今から、スバルはツカサと会うためにドリームアイランドに行くのである。その間、ミソラはコダマタウンでお留守番だ。
ツカサという少年には会ってみたい。しかし、ミソラが一緒にいると、二人にとって邪魔になってしまう。残念だが、一緒に行くことはできない。
だが、ツカサもミソラの曲を気に入っている。ミソラに会えるとなると彼も喜んでくれるはずだ。
そう考えたスバルは、二人を会わせることに決めた。ツカサとブラザーバンドを結んだ後に、彼をコダマタウンまで連れて来る予定だ。
二人がこれからの予定の確認をし終えたところで、ちょうどバスが来た。
「じゃあね?」
「うん、後でね?」
スバルが乗り込むと、バスは直ぐにドアを閉めて発車する。地平線の向こうに消えていくと、ミソラは振っていた手を寂しげに下ろした。
「……暇になっちゃったわね? ミソラ」
「うん。スバル君のお母さんに頼んで、また料理教えてもらおうかな?」
「あー!! 本当にいたチョキ!!」
男の子の大きい声が聞こえた。変わった語尾をつける子だと振り返ると、目玉が落ちそうなほど目を開き、ミソラを指差して固まっている少年がいた。口を大きく開きすぎ、顎が外れてしまっている。
その隣には蟹のような奴と人間の幽霊が漂っている。王冠をかぶった雲みたいな奴が自慢げにふんぞり返っていた。
「言うた通りであろう! ミソラちゃんがコダマタウンに来ておるとな!」
「さっき、公園で見かけたんじゃよ!」
「うん! クローヌじいちゃん、クラウンじいちゃん、ありがとうチョキ!」
「ありがとうプク!」
どうやら、公園でミソラを見かけたクローヌとクラウンが、同じミソラファンである千代吉とキャンサーに教えてあげたらしい。
彼らがいつ仲良くなったのかは定かではないが、九歳の男の子は幽霊とFM星人と熱いハグを交わしている。
暇だったこともあり、ミソラは彼らと時間を潰すことにした。