「怪人青タイツには気をつけた方がいいよ」
コウがそう言った直後、大きな物音が隣から聞こえた。
***
「いてて・・・」
二人揃ってその物音をした方に目を向ければ大きく態勢を崩し呻くクラスメイトの姿があった。筆箱のチャックが開いていたのか机の下にシャーペンや消しゴム、赤ペンが辺りに散乱しており彼・・・衛宮の動揺を表しているかのようにも感じる。そんな彼を眺めていればコウが手だけを伸ばして近くに転がって来たものをいくつか拾い上げた。
(にしても衛宮ってばめっちゃ動揺してる・・・?)
私はコウに礼を言っているクラスメイトを眺めながら内心で首を捻った。そりゃあ確かにコウはたまにこんな風に変な表現をあえてすることもありそれは確かに心臓に悪いけれど、衛宮はそれにあまりにも過剰に反応しているように思われた。もしかしてコウの言う怪人青タイツって衛宮の知り合いなのだろうか、と浮かんだ疑問を机に頬杖をつきながら、全て拾い終わったらしい衛宮にぶつける。しかし彼は「わ、悪い・・・その、別に聞き耳たててた訳じゃないんだ」と焦るように弁解しただけだった。悪戯げに光らせた瞳を見る限りコウも聞かれていることを前提でそう喋ったのだろうし、そんなことはどうでもいいのに。私が聞きたいのはそこじゃない。
「で、どんな関係なの?」
「あーその・・・俺、修理頼まれてたから!」
重ねて聞けば衛宮はそう言って逃げるように教室を出た。あれで誤魔化したつもりなんだろうか。あれじゃなんかありますって公言してるのと同じじゃん、と思わず唇を尖らせれば「逃げられちゃったね」と横から喉を鳴らすような笑い声が聞こえてきた。追い打ちをかけるなっての。
「で、聞く?」
「いいよ・・・あれだけあからさまに逃げる話題を突っ込んで聞く程デリカシーないつもりないし。そういやコウ、いつ暇?気晴らしにどっか遊びにいかない?」
「そりゃいいけど、気晴らしってなんかあったの?」
「最近ガス漏れ事故が多発してるじゃない?あのせいでクレームが酷いみたいでさ、そのせいで家の空気が重いんだよね」
ガス会社は何をしている。職務怠慢じゃないのか。何の為に金を払ってると思ってんだ。この事故を防ぐことは出来なかったのか。
そのような内容の電話やFAX、それにメールが昼夜問わずひっきりなしに届くのだと普段仕事の愚痴を漏らさない父が弱ったように言っていたのを思い出しつつ私はそう友人に零した。
「しかもね、オール電化のマンションで起きた違う事故でさえガス漏れ事故扱いされてんの!ガス使ってないマンションでガス漏れ事故が起きる訳がないじゃん!そんぐらい小学生でも分かるよ!」
流石に不審に思った父も会社の上層部に問い合わせたらしい。しかし彼らはいいからその通りに処理しろというばかりで何の解決にもならないまま終わったようだ。まるでどこかから圧力をかけられて誤魔化すように強制されたみたいね、とは母の言葉だ。じゃないか。そ
「それは色々と怪しいね」
「でしょー?!しかも全部冬木ばっか!」
「じゃあお父さん、余計大変でしょ」
「ずーっと不機嫌でさ、やんなっちゃう」
とはいえ今こうして何の不自由もなく生活出来ているのは父がそうやって頑張ってくれているお陰でもあって。「あーもう暗い話題やめやめ!なんか明るい話題にしよ!」と重くなった空気を振り払うように明るい声でそう言えば「言いだしっぺの法則って知ってる?」と悪い笑顔を浮かべるコウ。うぐ、と一瞬言葉につまったがそもそもさっきの話題を話し始めたのは自分だったので渋々了承の意を伝えた。でも無茶振り良くない。
「えーと・・・あ!昨日部活の子から聞いたんだけど、葛木センセが恋人と歩いていたらしいよ。しかも外人でとびっきり美人なんだって!」
「先生って柳洞寺に住んでなかった?」
「確かそうだった筈だよ、居候って聞いたことあるし」
「へー、でもあれか、坊さんじゃないなら奥さんがいても可笑しくないのか」
「うーん、確か流派によって妻帯出来るか違うんじゃなかったっけ?ごめん、分かんない」
「ううん、ありがと。にしても衛宮君といい、やるねー」
「え?」
「あれ、知らなかった?今遠坂さん、衛宮君の家にいるんだよ」
「はあ?!」
そのあまりにも威力の大きい爆弾発言に私だけではなくクラス全体が固まった。がやがやとそこらで溢れていた声が掻き消え、「あれー、これもしかして言ったの不味かったかな」というコウの僅かに焦った声だけが静まったクラスに響く。えっちょっとどういうことなのそれ詳しく!動揺のあまり声が震えた自分にさらに慌てたように「いや、よくは私も知らないし、もしかしたら違うかもしれないんだけど」と言葉が付け足される。しかしそんな言葉で多感な高校生が「あ、そうなんだ」と止まる訳がなく。
「今日一緒に登校してたのアタシ見たー!」
「ウチもウチも!うわー、ラブラブじゃん!」
「うわーマジかよー、遠坂さん衛宮と付き合ってんのかよ」
「つーかそれ同棲じゃね?」
「でもさあ、衛宮君のことだから単なる善意で泊めてる可能性だってあるよね?」
「それでもちょっとやり過ぎじゃない?しかも衛宮君って一人暮らしじゃなかったっけ」
「大体遠坂さんも態々衛宮んとこに泊まる必要ある?家の都合でもホテルとか親戚の家とか、無理でも同性の友達の家フツー選ぶでしょ。しかもあの二人関わりあったっけ?」
「さあ・・・?あたしは知らないや」
「やっぱさあ、付き合ってるんだって!」
―――いまやこの場にいる全員が好き勝手に喋り、憶測を飛ばしていた。
もしもこれが断定的なもの・・・そう、葛木の恋人みたいに本人自身が認めたものならここまで関心をもたれることもなかったに違いない。不確かな情報だからこそ想像が駆り立てられるというか。
また、衛宮がこの場にいないというのもこの状況に拍車をかけていた。コウの話の始めに彼自身の言葉で否定すれば、もし肯定したとしてもすぐさま何かしらの事情を少しでも弁解していれば、こんな風に収集のつかない有様にはならなかっただろう。最早、当事者の手が及ばない範囲まで話は広がってしまっている。今衛宮が戻って来たって何にもなりやしないことは明白だ。朝礼が始まる五分前を切ったというのに「おはよー。ねー、何話してんの?」「あ、ねえねえ聞いた?」「よー。おい、大ニュースだ!」「朝練お疲れー。ね、ウチもさっき聞いたんだけどね、衛宮君と遠坂さんってね・・・」と収まるどころかますます増していく喧騒に顔をしかめる。騒ぎの発端である友人はそんな私の表情を見て、苦笑いを溢したのだった。
♯♯♯
とりあえず今日やるべきことの一つは上手く事が進んだようだ、と私はクラスの喧騒をBGMに内心でほくそ笑んだ。やはり大衆というものが持つ力はすごい。使い用によっては毒にも薬にもなる代物だといえよう。これで衛宮と遠坂嬢が校内で共に行動を取る確率は概ね減っただろう。連携がとりにくくなればなるほど此方が有利になる。マスター同士の念話が出来ないということと、あの二人が携帯電話を持っていないということも幸いした。これなら二人纏めて戦うという状況は回避しやすい。敵の戦力は散らせるに限る。
ただ、新たに考えなければならないことも出てきた。友人が言っていた最近多発しているガス漏れ事故である。時期を考えれば聖杯戦争に関することであることは大いに考えられる。また言峰神父の「魔術の秘匿の為に事後処理を任せられている」という言葉を鑑みれば自ずと魔術で誰かが人々を害しそれを誤魔化す為にガス漏れ事故で処理をしたのだろうと導き出される。では何故ガス漏れ事故として処理をしたのだろうか。
(症状が最も似ていたからか?)
ニュースでは確か頭痛、目眩、吐き気の症状が出ると言っていた。これは外部から生気を短時間に奪われた時に起きる症状に良く似ている。といってもこの世界でもそうかどうかは慎二やライダーに聞いてみないと分からない為断言出来ない。なんにせよ広範囲に魔術を展開出来るかどうかは魔術師の力量次第だというライダーの言葉から、かなりの魔術の使い手が聖杯戦争に参加しているということだけは分かった。でもそれだけの実力者が何故わざわざ街全体に術をかける必要があったのだろうか。・・・いや、そうしなければならない事情があったのか?
(ならば英霊の仕業とみていいな)
今不明なのはキャスターとアサシンだったか。ならキャスターが現界にとどまる為に必要な魔力を生気で補っていると考えるのが一番妥当だろう。となるとキャスターのマスターの魔術回路は衛宮のように少ないか慎二のように存在しないに違いない。
(そうなるとますます葛木が怪しく思えてくるな・・・)
人というものは“変化“に敏感な生き物である。弱者が生き残る為の数少ない手段の一つである感覚、とも言えよう。前世でも戦の気配を兵ではなく民達の方がいち早く感じ取っていたものだ。一般人の感覚程侮れないものもない。彼らの情報共有は想像以上に早いのだ。このことから葛木の周りに見慣れない人間が現れたのは最近だと思っていいだろう。その見慣れない人間が聖杯戦争関係者であるかどうかは確認すれば分かることだ。
(マスターかサーヴァントか協力者か・・・)
どれにせよ、葛木がその人物に関わっているのは明らかだ。彼に対する警戒を強めることにこしたことはない。
「だから、遠坂とはそんなんじゃないって言ってるだろ!」
いつの間に戻ったのか、必死に噂の鎮静化を計るも失敗している衛宮の声が予鈴が鳴ったにも関わらず未だ騒ぎ続けているクラスメイト達の声に紛れて消えた。
次回は「ワカメ、修行する」の巻の予定