【TS】ソードアート・オンライン - ブラッキーの秘密 -   作:みいけ

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第23話「撤退戦」

1.

 

その少年は、正直なところ後悔の真っ只中にあった。

頭の後ろで小さなシッポを結んだオレンジ色の髪の下では、ネコ科を彷彿とさせる眦が力無く下がり、余裕の無さを表していた。

 

ALSに入隊してから数ヶ月、課せられたノルマ以上のレベリングを続けることで《二軍》へ昇格できたのは最近のこと。

実戦経験はそれなりに積んでいるものの、

クエストや素材採取、後方支援部隊の護衛など《二軍》は最前線よりも下の層で活動するため、攻略最前線の開拓には経験不足を否めない程度の実力だ。

それが、どうしていきなり最前線のボス攻略なんかに参加してしまったのか。

 

きっかけは、キバオウがフロアボス攻略メンバーを急遽《二軍》からも募集したことだった。

これまでにはなかった異例の募集であった。

しかし志願者は10人近く集まった。

 

とにかく人員を増やすためと用意された特別報酬が参加の立候補に拍車をかけたのだ。

かねてから早く最前線の攻略に加わりたいと思っていた少年もその内の1人で、特別報酬で優れた装備を新調できればと皮算用していた。

 

しかし実際にボス攻略の過酷さを目の当たりにして、手を引くのが正解だったに違いないと少年は己の無鉄砲さを恨んだ。

 

昔から威勢が良いのが自分の強みだと思っていた。

ALSに入隊できたのも戦闘技術というよりは持ち前の気勢の良さを買われたからであった。

しかし今回ばかりは気合でどうにかなりそうにもない。

 

「……うわああッ!!」

 

後悔の最中にもボスは攻撃を待ってはくれない。

構えた両手剣を振り回し、辛うじてボスの攻撃を相殺させる。

犠牲者は多数出ており、タンクを務めるプレイヤーも居なくなってしまった。

もはやパーティの体は成していない。

 

ボスの2撃目。

少年の視界の中で世界の動きがゆっくりに見えた。

手元の両手剣とボスの武器、到達が早いのは後者だと瞬時に理解した。

 

────パリィのタイミングが遅れた、まずい。

 

そう思った直後、ボスの攻撃を正面から受けてしまう。

凄まじい衝撃と共に後方に吹き飛ばされて、視界の端でHPバーが黄色からさらに赤色へと減少していく。

その間にも、ボスはすぐさま3撃目の体勢に入る。

 

いまダメージが入れば、確実に全損……死んでしまう。

回避は間に合いそうに無い。

少年の焦りは最高潮に達し、頭の中は真っ白になった。

 

「あ……」

 

ボスの凶刃が目前に迫りくるが、夢でも見ているようなふわふわとした感覚だった。

だからしばらく、少年は目の前の出来事に反応できなかった。

 

「でりゃあああ!!」

 

どこかで聞いたことのある声と共に1人のプレイヤーが割り込んできた。

後方から来たのだろうに、パリィのタイミングは完璧だった。

ノックバックが生じると共に、赤いバンダナをしたプレイヤーの侍姿が目に入る。

 

その姿を少年は知っていた。

ALSに入隊する前、下層にいた頃にモンスターの群れから助けてくれたプレイヤーだった。

攻略組を目指したきっかけもその侍姿のプレイヤーだった。

そんな回顧が終わる間もなく、そのプレイヤー、《風林火山》のギルドマスター・クラインは叫んだ。

 

「スイッチ!!

──おいお前、しっかりしろ、立て! 下がって回復しろ!」

 

その強い言葉を聞いて、少年は我に返った。

 

「おーしお前ら! 次の援軍が来るまで何としても持ちこたえるぞ!!」

 

その呼びかけに、更に別のプレイヤーたちの声が重なって応じた。

周りを見渡せば、他にも少年の知らないプレイヤーの姿があった。

 

いや、少年の知っているプレイヤーが1人はいた。

面識はないが、攻略組のアスカだ。

少年の目には、彼がもう1人の黒髪の少年と共に、見事な連携でキバオウのパーティに回復の猶予を作り出しているのが見えた。

 

────援軍が来る。それも彼らだけではなく、次の援軍も。山場は越えたんだ。

 

そう分かった途端、少年の目には力強さが戻った。

彼は飲み終えた回復ポーションを投げ捨てて、両手剣を構えた。

 

 

…side Asuka…

2.

 

見慣れたはずの光景が一際綺麗に見える。

 

ALSの回復する時間を稼ぐ間、

隣で剣を振るうキリトを見て僕はそんなことを思っていた。

フードを取って視界が広くなった彼女の剣捌きが、

以前よりも冴えているように感じたからだろうか。

 

ボスの攻撃を流石の反応速度で相殺し、

閃く剣のライトエフェクトが肩まで短くした黒髪に反射する。

敵を見据える眼差しは冷静でありながら力強く、

平時のどこか眠たげな様子とは異なる印象だ。

 

時折、戦いの激しい動きでネックウォーマーがズレて、普段は隠すように覆っている形の良い鼻や口元が露わになるのが見えた。

 

予断を許さない状況にも関わらず、

僕は何故だか戦いの合間にも彼女の様子に気を取られていた。

黒猫団を指南する傍ら、アルゴたちと共にクエストを進める時もそうだった。

 

理由として思い当たることはあった。

やはり、以前のフード姿なキリトの方に慣れてしまっていたから、新たな装いの彼女に目新しさでも感じているのだろう。

 

「スイッチ!」

 

少し高めのアルトボイス。

その声で発せられた鋭い合図に即座に応じ、ノックバックでガラ空きになったボスの正面に斬撃を喰らわせる。

 

────堅い。

チラリと確認したボスのHPバーは、今の一撃ではほとんど削ることが出来ていない。

撤退戦である今は時間さえ稼げれば良いにしても、

討伐するにはどれほどの苦労をすることになるのだろうか。

 

後方のキバオウたちはまだ回復が終わっていない。

ダメージだけでなく、助けに入ったタイミングで麻痺状態にも陥っていたため、

もうしばらくの時間稼ぎが必要だ。

 

巨人型ボスがその巨大な腕で、更にその2倍はあろうかという太さの棍棒を振りかぶった。

細剣では受けきれないので、横か後ろに飛び退いて回避するしかない。

咄嗟に横へと飛び退いて、棍を振り下ろした体勢のボスへと再び向き直ったその時。

 

「アスカ! もっと離れろ────!!」

 

キリトの声が聞こえると同時、地面がズズンと大きく揺れた。

巨人が棍棒を振り下ろしたタイミングとはズレている。

揺れの理由を知ろうとして再びボスの方を見てみれば、

棍棒が打ちつけられた地面は大きく陥没し、そこを震源地に大きな蜘蛛の巣状のひび割れが地面に広がっていっていた。

ひび割れの広がりに追従するように、何か紫色の、線状のエフェクトがパリパリと音を立てて広がっていく。

 

「う……くっ!!」

 

ひび割れが足もとに到達する直前に、

ボスの方へと踏み込もうとしていた前傾姿勢をなんとか立て直して更に後方へと飛び退いた。

紫色の線は中空へと溶けるように消えていったが、最後のバチバチという破裂音から直感的にその正体を悟る。

────電気だ。

恐らく今の紫電がALSを麻痺状態に陥れ、犠牲になったプレイヤーが出たのだろう。

 

「あの攻撃、多分1回で麻痺判定になる。

絶対に引っ掛からないようにして」

「……ああ、わかってる」

 

いつの間にか隣に立ったキリトは、風林火山の方を素早く確認した。

眼前のボスに気を付けつつそれに倣うと、

クラインたちの方も上手く対応したらしく、麻痺者は出ていなかった。

 

「よし、あっちも大丈夫そうだな。

あと2分くらいでキバオウたちは動けるようになるから、

同じタイミングで撤退の準備に入るぞ。

アスカ、先にクラインたちにもそう伝えてきてくれるか?」

「了解、すぐ戻る」

 

持ち前のスピードをフル活用して、すぐにクラインの元へ急ぐ。

伝言を終え、風林火山やALSの少年から「おう!」という威勢の良い返事を聞いて、急いでキリトの所へ戻る。

同時に、ボス部屋の入口から新たな声が聞こえてきた。

 

「待たせたな!

ドラゴンナイツ・ブリゲード、応援に来た!!」

 

見れば、リンドを先頭にいつもの攻略組の面々が駆けつけていた。

エギルやヒースクリフ、アルゴの姿もそこにはあった。

 

「うおぉ、待ってたぜ! ちょいと前を支えてくれー!!」

「ああ、任せろ!」

 

風林火山も、短い時間とはいえ1パーティでこのボスを相手取るのは厳しいようだった。

クラインの叫び声にリンドが応じ、タンクプレイヤーを中心に2体のボスの元へと集まってくる。

僕達の方にはエギル、ヒースクリフとDKB2名。

DKBの内1名は、見慣れないプレイヤーだった。

 

エギルに勝るとも劣らない巨躯で戸板のような盾を掲げ、ボスの棍棒を危なげなく受け止めている。

砂色のくせっ毛を持つ頭はボスの方を向いており、

その顔を確認することはできない。

こんな人居ただろうか。

 

だが今は撤退の準備だ。

回復した様子のALSの面々を横目に、回復ポーションでHPに万全を期す。

視界の端ではキリトもポーションを口にしていた。

 

タンクがボスのノックバックを発生させたタイミングで、アタッカーの攻撃でボスを更に後方へと追いやる。

その一連の攻防を2回ほど繰り返し、最後にもう一度ボスをノックバック、転倒させたところでヒースクリフが声を響かせた。

 

「撤退だ! 足の遅い者から入口へ!」

 

その言葉に重装備のプレイヤーから離脱していき、動きを鈍らせたボスを尻目に入口へと向かっていく。

僕はAGI型で離脱には余裕があるため、ボスを油断なく観察しながらゆっくりと後退していく。

 

「キリト、先に行っててくれ。僕は最後の方でいい」

「いや、ボスがダッシュでもしてきたらヤバいだろ、アスカが残るなら俺も居るよ」

「……わかった」

 

慎重なキリトらしい返事に、反論もないので素直に従う。

彼女のゲーム勘はクラインも認めていることだし、

僕としてもその方が安心といえば安心だ。

 

ボスはなおも鈍い動きのままようやく上体を起こした所だった。

攻略部隊は半数近くが部屋の外へと退避し、

残るはDKBの2パーティとヒースクリフ、エギル、僕達2人だった。

先にDKBが出てから、僕達もそれに続こう……そう思っていた時だった。

 

にわかに入口の方が騒がしくなった。

 

見ればボス部屋の入口の大扉がゆっくりと、しかし着実に閉じ始めている所だった。

入口で待つ先行退避組は、口々にこちらへと叫んでいた。

 

「早くしろ! 扉が閉まるぞ!!」

「走れ走れ!!」

「キー坊アス坊、急ゲ!!」

 

キリトと顔を見合わせると、ことの深刻さを即座に察知して前方を確認する。

DKBは────よし、もうすぐ全員退避が終わる。

エギル、ヒースクリフもそれに続いているから大丈夫そうだ。

ならば、後は僕達が全速力で走るのみだ。

 

「キリト、アスカ!!」

 

エギルの焦る声に、言われるまでもなく10メートルの距離を駆ける。

大丈夫、まだ充分に余裕はある────

 

「オオオオオオ!!!!」

 

そう思うと同時、左の巨人……僕とキリトが最初に受け持った方が、逃すまいと言わんばかりに一際大きな咆哮を放った。

同時にその両手で棍棒を振りかぶり、こちらに向かって振り下ろした。

 

だが、ボスとの距離はすでに20メートルは離れている。

どうあってもあの棍棒が届く事はないはず……。

しかし、直後。

 

これまでにない地響きに続いて、振り返ると目を疑う光景が迫ってきた。

ボス部屋の床を轟音と共に引き裂きながら、可視化された衝撃波のようなライトエフェクトが真っ直ぐと僕達の元へと猛スピードで追従してきたのだ。

 

「っアスカ!!」

 

回避が間に合わないと思った。

しかし、同時に隣のキリトが飛びついてきて、既の所で倒れ込みながら攻撃をかわすことができた。

 

「……ごめん、助かっ……」

 

地面にぶつかった衝撃でクラクラしつつ、感謝を述べようとしたところで。

一瞬、息を止めてしまう程の焦燥に駆られた。

 

倒れ込んだままのキリトのHPバーが急激に減少し、

もう少しで赤色の危険域に及びそうだったからだ。

 

回避が完全には間に合っていなかった。

……僕を庇って避けさせたからだ。

 

そんなにもHPが削がれた理由は、キリトの脚を見れば嫌でも分かった。

彼女の左足は、ぎりぎりで衝撃波を回避しきれなかったのだろう。

膝から下が部位欠損の状態────つまり、脚が半ばから存在していなかった。

更に何たることか、キリトのHPバーの下には麻痺を示すデバフのアイコンが点滅していた。

 

「う……」

 

呻くキリトは、身体を動かせないことをすぐに悟ったようだった。

加えて、違和感を覚えたのだろう。

自分の左脚の状況を目線だけ動かして確認すると、

さっと血の気が引いたように表情が固まった。

 

無理もない。

いかに痛みは無いと言えど、自分の身体の一部が消失していれば誰だってそうなる。

あまりに痛々しいキリトの様子に、深い自責の念が胸中を掻き乱す。

だが今は一刻も早く扉に向かわなければならない。

何としてでも彼女の事だけは逃がしたい。

そう思えばこそ、自分を落ち着かせるためにもこう言った。

 

「キリト、大丈夫だ、まだ猶予はある。

間に合うから、焦らず行こう」

 

キリトに肩を貸しつつ、退路を確認する。

扉までの距離は残り5メートルほど。

しかし心なしか、扉の閉まる速度が早まっているような……。

いや、気のせいじゃない。

最初に比べると、僅かではあるが閉まるスピードは早まっている。

あのペースで早まっていくなら、猶予は後20秒も無いのではないか。

僕のSTRでは、キリトを引きずって行くのに時間が掛かりすぎる。

扉が閉まるまでにギリギリ間に合わない。

それを確認すると共に、入口に向けて叫ぶ。

 

「エギル、クライン! キリトを運んでくれ!

僕じゃ間に合わない!!」

「お、おう!」

 

これから閉ざされる部屋に入るのは心理的な抵抗もあっただろうに、2人はすぐに応じてくれた。

やってきた2人にキリトを引き渡し、僕もその後ろに続く。

 

しかし、直後に背後から嫌な気配を感じた。

そうだ。

先程の巨人の衝撃波攻撃、あれがまた来るのでは無いか。

直感的にそう考えるが、しかし、

あれ程の威力ならばいかにボスと言えど連発は出来ないはずなのだ。

 

だが、そう、ボスは2体いた。

なら今度は右のボスが────

 

「オオオオオオ!!!!」

 

答え合わせは、嬉しくないことにすぐにやってきた。

咆哮を受けて振り返れば、今度は右側のボスが棍棒を振りかざしていた。

上段の姿勢で振り上げられた棍棒は、衝撃波の照準を合わせるようにその先端を小刻みに揺らしている。

 

あの向きで棍棒を振り下ろせば、衝撃波は僕だけでなくエギルたち3人に直撃するだろう。

そう判断し、咄嗟に僕は3人とは違う向きへとダッシュした。

何となく、あの照準はボスに一番近いプレイヤー……僕に向けられているような気がしたから。

 

その直感が当たり、直後にボスは僕の方へと向けて棍を振り下ろし、同時に凄まじいスピードの衝撃波がやってきた。

 

「くぅっ………」

 

走る勢いのまま、背後を衝撃が通り過ぎていくのを感じた。

だが今度こそ、危うくも完全に衝撃波を回避することができた。

 

でも安心している暇はない。

入口の扉は、残り1メートルにまで狭まっていた。

扉の向こうでは、キリトがエギルとクラインに支えられながらも必死にこちらを見ようとしていた。

3人の退避は間に合った。あとは僕だけだ。

先程入口から離れてしまったため、あと7メートルほどになった退路をすぐにでも行かなければならない。

 

背中に嫌な感覚が走り、脚に力が入らなくなりそうだった。

だが、間に合う。

頭ではそう分かっていたから、辛うじて脚を動かせた。

しかし不安感からだろう、硬いはずの地面を踏み締める感覚はとても頼りなく、いつものようなスピードが出ない。

あと少し、あと少し────。

 

「アス坊! つかまレ!!」

 

50cmほどにまで狭まった扉から、アルゴの声と共にニュッとその手が差し出された。

 

「くっ……」

 

間に合え────!!

そう願い、僕は最後の1メートル弱で大きく地面を蹴った。

アルゴは僕が伸ばした右手をしっかり掴んでくれると、

あまりSTRは鍛えていないだろうに懸命にその手を引いてくれた。

 

アルゴの引く力と、走り込みながら跳んだ慣性の力。

それらによって、最後につま先が扉に挟まれそうになりつつも、

閉まっていく扉をギリギリで通り抜けて僕は生還することができたのだった。

 

 

***

 

 

「ぷぁっ……」

 

数秒間だが、気絶していたのが自分でも分かった。

あんなにも精神的に苦しく、死を隣に感じたのは久しぶりだった。

だからだろう、扉から抜け出した時の安心感から、

束の間に意識を手放してしまっていたのは。

 

僕は今、倒れ込むような形でボス部屋の扉の前に突っ伏している筈だ。

あまり格好良いとは言えない体勢だろうからキリトには見られたくないな……。

 

それにしても、頭の下が柔らかく心地が良い感触だ。

このままずっと横になっていたい。

そんな誘惑に負けそうになってしまいそうなくらいだ。

 

だが、本来地面は硬いはずだ。

倒れ込む時に頭を強く打って、触覚に何らかの異常が出ているなら大変だ。

 

そう思い、起き上がるべく地面に手をつく。

すると、硬いはずの地面が、

またしても何か柔らかく、そして温かい感触を掌に返してきて────

 

「にゃはっ!?」

 

そんな突拍子もない悲鳴に驚き、

急いでその場を飛び退くと、仰向けに転がった体勢の誰かがいた。

……いや、誰かだなんて他人行儀なことは言うべきじゃない。

扉を出る直前に僕の手を引っ張ってくれた人がいたじゃないか。

そう、アルゴだ。

 

彼女は倒れた時の衝撃でだろうか、少し乱れたフーデットケープを背中に敷いた状態で、

驚きと共に顔を赤くし、両腕で身体を守るように抱いていた。

 

……つまり、なんだろう。

うつ伏せに倒れ込んでいた僕と、その下で仰向けになっていたアルゴ。

最初に感じていた頭の下の柔らかい地面は、たぶんアルゴのお腹で。

僕が地面につこうとした腕の位置関係的に、今しがた感じた掌の柔らかさは……。

 

「……アス坊のエロ助」

「すみません、正式に謝るので許してください……」

 

ジトっとして目でそんな不名誉なあだ名を投げられたので、

反射的に頭を下げる。

 

状況的には不可抗力だと言いたかった。

でもどうだろう。

言い訳したところで、彼女が嫌な思いをしたのも事実なのだ。

ここは素直に謝って、なんとか溜飲をさげてもらうしかない。

 

そう思ってなおも頭を下げ続けたが、

やがてアルゴは「ふぅ」と息を吐き、いつもの調子に戻ってこう言った。

 

「……別にいいサ、わざとじゃないダロ?

頭を上げなヨ、ちょいと手を貸してくれるカ」

「……あ、うん」

 

正直、こんなにすんなりと許されるとは思っていなかったが……事故だったと分かってもらえたなら、何よりだ。

アルゴが伸ばした右手を引っ張り上げて、二人してよっこらせと立ち上がる。

……彼女の頬がまだ若干赤らんでいることには触れない方が賢明だろう。

 

「……あー、んー、まあなんだ、助かって良かったな……」

 

どこか気まずさを紛らわすような咳払いと共に、エギルがそう言った。

気持ちは分かるけど、そんなあからさまに気まずそうにしないで欲しい。

僕だって悪いと思ってるのに……。

 

「ふーん……」

 

エギルの隣では、左脚を失ったキリトが座りながら、

そんな声と共にジロリとこちらを睨むような目線をくれた。

 

お、怒っているのか……?

まあ、あれでいてキリトはアルゴと仲が良いし、

彼女にも嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。

落ち着いたら後で謝らないとな……。

 

ボス部屋からの撤退で消耗したからというだけではない、

どこか重たい空気を打ち破ったのはヒースクリフだった。

 

「……ひとまず、ここではそう休めもしない。

街へ戻るとしよう」

 

今日で2個目、後発の援軍の分も含めれば3個目となるだろう貴重な回廊結晶を消費して、攻略組の一行は街へと帰還したのだった。

 

 

3.

 

街へ戻り、疲れは残りつつも一同は会議室のある建物へと入っていった。

いつもなら一度小休止を挟んでから再集合となる場面だが、

今回ばかりは事の重大さからか即断で緊急会議が決定された。

 

会議室はあまり広くなく、ALSやDKBの中心メンバー、ヒースクリフ、アルゴが席に着くと、残りの座席は6個ほどだった。

他の面々はそれぞれ所属ギルドに分かれて壁際に立ったが、ALSの人数は圧倒的に少なかった。

 

「キー坊たちもこっちきて座りなヨ」

 

そう促され、アルゴの隣にキリト、僕、クライン、エギルの順に座っていく。

風林火山のメンバーはクラインが先に帰し、別行動らしい。装備を預け、今のうちにメンテナンスやアイテムの補充などをしておいてもらうのだとか。

効率的だが、絶対的に仲間を信頼していないと出来ないことでもある。

僕なら、キリトやアルゴ以外にはそういったことは任せられそうにない。

 

キリトの左脚はようやく先程治ったばかりだった。

治る事はわかっていたが欠損中の姿は痛々しく、心臓にも悪い。

元通りに治ってくれて本当によかった。

 

……さて。

少なからず死者が出ているようだし、納得できるかどうかは別にしても全てを隠さずに説明してもらわなければならない。

キリトがあんな状態になったのも、元はと言えばALSの暴挙のせいだと言えるしな。

 

沸々と、徹底的に詰問して糾弾したい衝動が自分の中に込み上げてくるのを感じた。

思った以上に僕は、キリトや他のみんなが不要な危険に晒された事が頭に来ているらしい。

 

だが、感情的にはなるな。

まずは話を聞くところからだ。

殴りつけるのはその後だ。

 

「……」

 

不意に、右から袖を引っ張られた。

隣を見ればキリトが不安げな表情でこちらの様子を伺っていた。

 

「アス坊、気持ちは分かるけどナ。

手に力が入りすぎなのト、ついでに顔も怖いゾ」

 

更に右隣からアルゴにそう言われて、確かに自分の拳がギュッと硬く握り締められていることに気付く。

意識してみると眉間にシワが寄っていたのもわかったし、

それはもう不機嫌そうな顔に見えただろう。

頭では冷静にと思っていても、

身体の方は知らずに臨戦体勢になっていたようだ。

 

「アスカ、オメェの気持ちも分かるけどよ、らしくねぇぜ。

ま、気楽に行こうや」

「Stay cool, アスカ。まずは状況を把握しなきゃな」

 

左隣のクライン、エギルも、そう嗜めるように声をかけてくれた。

そうだ、何も僕だけで話を進める訳じゃない。

隣に彼らも居てくれるのだ。

お陰で少し、身体の力を抜く事ができた。

 

「さて。では、会議を始めよう……と言っても、私が司会をしても良いものかな。

生憎とこういった役回りは苦手であるから、誰かに任せたいが……」

 

ヒースクリフは芝居ががった風にそういうと、心なしか面白がるような目線で辺りを見渡した。

普段なら候補は2人いる。

キバオウとリンドだ。

しかし、キバオウは渦中の人物だから今回は当てはまらない。

となると……

 

「なら、自分がやりましょう。ヒースクリフさん」

 

やはりリンドが手を挙げた。

彼も、DKB幹部たちもそれが当然のような顔をしていたが、

しかし今回の場合はどうだろう。

対立関係であるALSの失態に関わる会議なのだから、

冷静な話し合いをするには不適当な人選にも思える。

 

かと言ってエギルは的確な意見を出すが司会進行という柄ではないし、

クラインもそういうのは苦手そうだし、

キリトやアルゴは言うまでもない。

なら、やはりリンドに任せることになるのだろうか。

しかし、予想に反してヒースクリフはこう受け応えた。

 

「いや、立候補はありがたいのだが。

すまないね、ALSと対立するDKBが話を進めるのも望ましくないように思う。

ここは、どうだろう。

中立的な立ち位置から、冷静に話を進める事ができる……」

 

ここで、僕は嫌な予感しかしなかった。

だが、面白がるようなヒースクリフの双眸は、

僕の予想を裏切ってはくれなかった。

 

「アスカ君に会議の進行を任せてみては?」

 


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