【TS】ソードアート・オンライン - ブラッキーの秘密 - 作:みいけ
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2022年11月
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1.
私こと
こんな気分になったのは小学校2年生の頃以来かな?
あの時は確か、遠足だった。電車で二駅隣にある水族館に行く予定で────
……やめよう。確かに、遠足の前夜は募る楽しみで眠ることが出来なかった。問題は当日だった。
もちろん寝坊なんてまぬけなことをしでかすこともなかった。でも──今よりはマシだったとはいえ、その頃から軽度の人見知りだった私には話し相手が居なくて────……。……。
そ、そんなことより! 今日はなんといってもあの《ソードアート・オンライン》の正式サービス開始日、どれ程この日を待ったことかっ!!
世界初のVRMMORPGである《ソードアート・オンライン》、略称SAOは、その発表と同時に世界中のゲーマーを大いに、それはそれはかつてないほどに、震撼させた。もちろん、この私も。
これまでにもVRゲームは色々と存在こそしたものの、ハードであるナーヴギアの機構の斬新さゆえにソフトリリースはぱっとしないものが続いたのだ。
どれもがこじんまりとしたパズルや知育、環境系のタイトルばかりで、ゲーム
ナーヴギアは真の仮想世界を創る。
なのに、その世界が百メートル歩いたら壁に突き当たるような狭苦しいものでは、本末転倒もいいところだよ。
ハードの発売当初こそ、自分がゲームの中に入る、という体験に夢中になった私や他のコアゲーマーたちが、すぐにあるジャンルのタイトルを待ち望むようになったのも当然の流れだったに違いない。
つまりは、ネットワーク対応ゲーム──それも、広大な異世界に数千、数万のプレイヤーが同時接続し、己の分身を育て、戦い、生きる、MMORPGを。
期待と渇望が限界まで高まった頃、満を持して発表されたのが、この《ソードアート・オンライン》だったというわけなのでした。
『さぁ、始まりました! 今週のMMOストリーム!! まずはPVを見てもらいましたが、これは先週の発売日の様子かな?』
ついさっき、SAOのプロモーションビデオが流れた据え置きのパソコンの画面には、女性リポーターの明るい声とともに電器店に並ぶ人々の行列が映し出された。
『行列をつくった彼らのお目当てはっ??』
それはもちろん────
『────ソードアート・オンライン!!!』
次いで、行列にいち早く並んでいたと思わしき集団が映り、その喜びを戦利品を掲げて伝えていた。
『先頭の人は三日前から並んでたんだって! すっごいねー! いや、真のゲーマーというなら当然と言うべきか!?』
うむ、当然だ!!
…………ごめんなさい、私は並んでないです。
とはいえそれは、私がホットなトピックであるところのゲームを手に入れていない、という意味ではなく。
三日も並んでいたその猛者たちには少し申し訳ない気もするけれど、私の手元にはほとんど労せず手に入ったSAOのパッケージがある。
数ヶ月前に応募しそして幸運にも当選した、僅か千人限定の《SAOクローズド・ベータテスト》の抽選のおまけとして、正式版パッケージの優先購入権がプレゼントされたのだ。
『今日のMMOストリームでは、世界中が大注目! ソードアート・オンライン、略してS、A、O! をピックアップしちゃいまーす!』
────イテ。……どうやら、番組を聴きながら読んでいた雑誌のページで指を切っちゃったみたい。親指から血が少しずつ滲み出てくる。
『正直言うとさぁ、今までのナーヴギア対応ソフトってせっかくのハードの性能を活かしきれていないって言うか──』
「お姉ちゃーん、部活行って来るねー」
切れた指をなんとなくぼーっと眺めていると、ドア越しに妹の直葉が声を掛けていった。
……ある日を境に、家族とは少し距離をおいてしまっている。簡単には元のように接することもできそうにない。それは完全に私の意識の問題なのだけれど────
机の上のデジタル時計を見ると、もう12時56分になるところだった。正式サービス開始は13時ちょうど。少しでも早く《あの世界》に戻りたいと思っていた私は、部屋の照明を消して、空調の温度を確認してからベッドに座った。
SAOのソフトをセットして頭にナーヴギアを被り、楽な姿勢で横たわる。時刻は12時59分。
あと一分。
一秒がとても長く感じる。
高鳴る胸の鼓動がいやに大きく感じられた。
とてつもなく長い時間が終ると同時に、私は魔法の言葉を口にする。
「リンク・スタート!」
同時に、全身を浮游感が包み始めた────……。
……………・・。……………………。
体に自然な重力がかかる。
足の裏には地面を踏む靴底の感触。
空気の匂い。
近づいてくる喧騒の音。
そして。
視界には、私と同じように今ログインしてきた何人ものプレイヤーが、青いエフェクトに包まれて現れていた。
「戻ってきたんだ……この世界に……!」
思わず感動で声が震える。でも、その声は現実の桐ヶ谷和葉の物ではなく、程よく低い男の声だ。
声だけじゃない。
当然、この世界における姿も変わっていて、ファンタジーアニメの主人公然とした出で立ちとなっている。
この
ネットワークゲームでは、女性プレイヤーが嫌がらせや
私自身も、他のゲームでそのような経験をしたため、以降は男としてプレイすることにしている。
2.
「ぬおっ……とりゃっ……うひええぇっ!」
奇妙な掛け声に合わせて滅茶苦茶に振り回された剣先が、すかすかすかっと空気だけを切った。
直後、巨体のわりに俊敏な動きで剣を回避してのけた青いイノシシが、攻撃者に向かって猛烈な突進を見舞い、彼を一メートル余り吹っ飛ばした。
「ぐわっ!?お……ご……ま、股ぐらやられたっ」
草むらを転がる姿を見て、思わず笑みがこぼれてしまう。
「あはは……。大げさだなぁ……痛みは感じないはずだよ 」
「あ、そっか……いや、つい、な?……あんにゃろう、ぜってー泣かしてやるかんな」
「大切なのは初動のモーションだよ、クライン」
毒づきながら立ち上がった攻撃者──パーティーメンバーのクラインは、ちらりと私を見ると、情けない声を投げ返してきた。
「ンなこと言ったってよぉ、キリト……あいつ動きやがるしよぉ」
男ならもうちょっとこう、しゃんとしていてほしいところだ。
赤みがかった髪を額のバンダナで逆立てて、長身
「動くのは当たり前だよ、訓練用のカカシじゃないんだから……。ちゃんとモーションを起こして……」
彼の足元がふらふら揺れているのを見て、少し目を回したかなと思った私は、足元の草むらから左手で小石を拾うと肩の上でぴたりと構えた。
「ソードスキルを発動させればっ────」
そして、ほとんど自動的に左手が閃き、空中に鮮やかな光のラインを引いて飛んだ小石が、再度の突進に入ろうとしていた青イノシシの眉間に命中した。やったね。
「────あとは、システムが技を命中させてくれるよ」
ぶぎーっ!と怒りの叫びを上げ、イノシシがこちらに向き直る。
「モーション……モーション……」
呪文のように繰り返し呟きながら、クラインが右手で握った
青イノシシ、正式名《フレンジーボア》はレベル1の雑魚モンスターだけれど、空振りと反撃被弾を繰り返している間にクラインのHPバーは半分近く減ってしまっている。
別に死んだところですぐ近くの《はじまりの街》で蘇生するだけだからさして問題はないけど、強いて言うならもう一度今の狩場まで歩いて来るのはちょっと面倒くさい。
この戦闘を引っ張れるのも、あと攻防一回が限度だろうな。
イノシシの突進を右手の剣でブロックしながら、私はうーんと首を捻った。
「どう言えばいいのかなぁ……。一、二、三で構えて振りかぶって斬るんじゃなくて、初動でほんの少しタメを入れてスキルが立ち上がるのを感じたら、ズパーン!て打ち込む感じで……」
「ズパーン、てよう」
説明下手で悪かったですねぇ。まあそれはさておき。
悪趣味なバンダナの下で、
すう、ふー、と深呼吸してから、腰を落として、右肩に担ぐように剣を持ち上げる。ゆるく弧を描く刃がぎらりとオレンジ色に輝いたのを見て、今度こそ規定モーションが検出されたのを確認した私は、青イノシシをクラインのいる方向へ軽く蹴り飛ばした。
「よっ……と」
直後、
「どぉおりゃあっっ!」
太い掛け声と同時に、これまでとは打って変わった滑らかな動きで、クラインの左足が地面を蹴った。
しゅぎーん!と心地良い効果音が響き渡り、刃が炎色の軌跡を宙に描いた。片手用曲刀基本技《リーバー》が、突進に入りかけていた青イノシシの首に見事命中し、その残りHPを全て吹き飛ばした。
ぷぎー、という哀れな断末魔に続いて巨体がガラスのように砕け散り、私の目の前に紫色のフォントで加算経験値が浮かび上がった。
「うおっしゃぁああ!」
派手なガッツポーズを決めたクラインが、子供のような笑顔で振り向き、左手を高く掲げた。
パシンとハイタッチを交わしてから、私はもう一度笑った。
「初勝利おめでとう。でも今のイノシシ、スライム相当だけどね」
「えっ、マジかよ!おりゃてっきり中ボスかなんかだと」
「ないない」
笑みを苦笑に変えながら、私は剣を背中の鞘に収めた。
口では茶化してしまったけれど、クラインの喜びと感動はよく解る。
おさらいのつもりなのか、同じソードスキルを何度も繰り出しては楽しそうなヘンな声をあげているクラインは放っておいて、私はぐるりと周囲を見回す。
視界いっぱいに広がる草原は、ほのかに赤みを帯び始めた陽光の下で美しく輝いている。遥か北には森のシルエット、南には湖がきらめき、東には街の城壁を薄く望むことができる。そして西には、限りなく続く空と金色に染まる雲の群れ。
巨大浮游城《アインクラッド》第一層の南端に存在するスタート地点、《はじまりの街》の西側に広がるフィールドに、私たちは立っている。空間の恐るべき広さのためか、周りには他のプレイヤーの姿は見えない。
ようやく満足したのか、クラインが剣を腰の鞘に戻しながら近づいてきて、同じようにぐるっと視線を巡らせた。
「しっかしよ……こうして何度見回しても信じられねぇよな。ここが《ゲームの中》だなんてよう」
「中って言うけど、別に魂がゲーム世界に吸い込まれたわけじゃないよ。俺たちの脳が、眼や耳の代わりに直接見たり聞いたりしてるだけ……《ナーヴギア》が電磁波に乗せて流し込んでくる情報を」
私が肩をすくめながら言うと、クラインは子供みたいに唇を尖らせた。
「そりゃ、おめぇはもう慣れてるんだろうけどよぉ。おりゃこれが初の《フルダイブ》体験だもんよ!すっげえよなあ、まったく……マジ、この時代に生きててよかったぜ!!創った奴は天才だぁ」
「大げさだなあ」
思わず笑っちゃったけど、内心では私もまったく同感だった。
ゲームの中に飛び込む。
その体験のインパクトは、私を含む多くのゲーマーを深く魅了した。もう二度と、タッチペンやモーションセンサー程度のインターフェースには戻れないと確信してしまう程に。
私は、風になびく草原や、彼方の城壁を見渡して本気で眼をうるうるさせているクラインに尋ねた。
「じゃあ、クラインはナーヴギア用のゲーム自体もこの《SAO》が初体験?」
「つーか、むしろSAOが買えたから慌ててハードも揃えたって感じだな。なんたって、初回ロットがたった一万本だからな、我ながらラッキーだよなぁ。……ま、それを言ったら、SAOのベータテストに当選してるおめぇのほうが十倍ラッキーだけどよ。ありゃ限定千人ぽっちだったからな!」
「ま、まあ、そうなるかな」
クラインの言葉にほんの少し得意な気持ちになっていると、彼は草むらに適当に腰掛けながら、思い出したように尋ねてきた。
「……な、ベータの時はどこまで行けたんだ?」
「二ヶ月で十層までしか行けなかった。……今度は一ヶ月もあれば十分だけどね……」
「……おめぇ、相当はまってんな?」
ニヤリと笑いながら、クラインは私の心中を見抜いた。
「正直、ベータテスト期間中は寝ても覚めてもSAOのことばかり考えてたよ」
件のベータテスト期間中の二ヶ月は、まさしく夢のような毎日だった。
私は学校にいる間もひたすらにスキル構成とか装備アイテムについて考え続け、授業が終わればすぐに家へと飛んで帰って明け方近くまでダイブしっぱなしだった。
一度、いや数度ほど、いつまでも夕食の席に来ないからと、どちらかと言えばゲームに寛容なお母さんにさえ叱られ、そして妹には呆れられたことがあったっけ。
そんな場面をいくつか挟みながらも、二ヶ月と言う時間はあっという間に終わってしまった。
育てたキャラクターがリセットされた最後の日には、まるでもう一人の自分を奪われるような喪失感に苛まれた。
まぁ、ベータテスト中に苦心して造り上げた、この勇者風のアバターが初期パラメーターとはいえ引き続き使えるとわかった時には、いくらか救われたような気もしたのだけれど。
壮大に広がる景色の前で、私は背中の剣を抜き、その刀身を眺めながら続けた。
「この世界は……こいつ一本で何処までもいけるんだ。……仮想空間なのにさ、現実世界よりも……生きてる、って感じがする」
ふと、思い返す。
ログインする前に見ていた……というよりは、ほとんど聴いていたニュースでもやっていた通り、このSAOは大手通販サイトはどこも軒並み数秒で初回入荷分が完売したらしいし、昨日の店頭販売分も三日も前から徹夜行列ができていたということなので、つまりはパッケージを買えた人間はほぼ百パーセント、重度のネットゲーム中毒者ということになる。
それは、このクラインという男の見事なネットゲーマーぶりにも如実に現れている。
四時間ほど前にSAOにログインして、懐かしい《はじまりの街》の石畳を再び踏んだ私は、すぐにアバターの勘を取り戻し、入り組んだ裏道にあるお徳な安売り武器屋に駆けつけようとした。
その迷いのないダッシュぶりから、クラインは私がベータ経験者だと見当をつけて、呼び止めた。
「ちょいとレクチャーしてくれよ!」と、クラインは初対面であるのにその堂々たる図々しさを見せてきたので、私もむしろ感心してしまった。
私のアバターはこの通り完全な《男》なので、まさかナンパではないだろうと思い、「は、はあ。じゃあ、武器屋行く? 」なんてまるで街案内のNPCのような対応をしてしまい、なし崩し的にパーティーを組み、フィールドでの戦闘の手ほどきまですることになって、こうして現在に至る──というわけだけど。
正直なところ、私はゲーム内でも、現実世界と同じかそれ以上に人付き合いがニガテだ。ベータテストの時は、知り合いならたくさんできけれど友達と呼べるような相手はとうとう一人も作れなかったように思う。
でも、このクラインという男は、不思議にこちらの
「さてと……どうする?勘が掴めるまで、もう少し狩り続ける?」
「ったりめえよ!……と言いてぇとこだけど……」
クラインは視線を右方向にちらりと向けて、時刻を確認した。
「……そろそろ一度落ちて、メシ食わねぇとなんだよな。腹ぁ減っちまったよ」
「こっちの飯は空腹感が紛れるだけだしね」
「へへ、五時半にアツアツのピザを予約済みよぉ!」
「準備万端だなぁ」
呆れ声を出す私に、おうよと胸を張って、クラインは思いついたように続けた。
「あ、んで、オレそのあと、他のゲームで知り合いだった奴らと《はじまりの街》で落ち合う約束してるんだよな。どうだ、紹介すっから、あいつらともフレンド登録しねえか?いつでもメッセージ飛ばせて便利だしよ」
「え……うーん、そうだなぁ……」
思わず口ごもる私に、クラインはその理由まで悟ったのか、すぐに首を振った。
「いや、もちろん無理にとは言わねえよ。そのうち、紹介する機会もあるだろうしな」
「……うん、悪いね、ありがと」
謝ると、クラインはもう一度ぶんぶんと派手にかぶりを振った。
「おいおい、礼言うのはこっちの方だぜ!おめぇのおかげですっげえ助かったからよ、この礼はそのうちちゃんとすっからな、精神的に」
にかっと笑って、もう一度時計を見る。
「ほんじゃ、おりゃここで一度落ちるわ。マジ、サンキューな、キリト。これからも宜しく頼むぜ」
ぐいっとつきだされた右手を、私は、きっとこの人は《他のゲーム》ではいいリーダーだったんだろうな、と思いながら握り返した。
「こっちこそ、宜しく。また訊きたいことがあったら、いつでも呼んでいいから」
「おう。頼りにしてるぜ」
そして私たちは手を離した。
''俺''にとって、アインクラッド──あるいはソードアート・オンラインという名の世界が、楽しいだけの《ゲーム》だったのは、正しくこの瞬間までだった。