【TS】ソードアート・オンライン - ブラッキーの秘密 -   作:みいけ

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第8話「再会・A」

***

 

「……オレっちを……いや、元ベータテスターたちを守ってくれて、ありがとう」

 

アインクラッド初として名高い敏腕情報屋・アルゴが真剣な面持ちで発したのは、そんな言葉だった。

 

 

 

 

 

1.

 

MMORPGにおいて迷宮区やフィールドで危機に陥った場合、偶然居合わせた初対面の相手に助けられることは少なくない。

VRとしてのMMORPG────すなわち、ここSAOでもそういったことは、まあよくある話だ。

 

そんな状況になった時、助力した側もされた側も、戦闘終了後は互いにあまり積極的に関わろうとしない。というのは、前線組、あるいは攻略組と呼ばれるプレイヤーたちの間での暗黙の了解だ。

事が終われば簡単な挨拶を交わし、次の獲物、目的へ。効率が要求されるものの、いつ自分が危険に晒されるか分からないという身の上としては、それは必然の形であった。

つまり、お互い様ということだ。

 

 

 

 

 

さて、場面はとあるレストランに戻る。現実で言えばイタリアン風の、ちょっと洒落(しゃれ)た雰囲気のレストランだ。

店の奥のテーブルにて向かい合うのは、二人の少女。

 

黒髪の少女、キリトは先程言われた言葉について思案する。が、結局その意図を察することはできなかった。

 

「ありがとうって……それも、あの時にメッセージで似たようなこと言ってたじゃないか。改まって、どうしたの?」

 

勿論、言葉の意味するところは分かった。しかし、何故今になってもう一度言われたのかが分からない。キリトは、ぱちくりと瞬きをした。

対する金髪の少女、アルゴは首をゆっくりと横に振った。

 

「いんや、あの時のアレは言葉一つと情報一個でつりあうようなことじゃないヨ。ここは、改めてお礼をさせてくレ」

 

「って言われてもね。自分で決めたことだし、覚悟はできてる…………別に、元々はソロ(ひとり)だったんだ。これからもそれが続くだけ」

 

 

第一層での一件については、当事者であるキリト自身が最も理解していると思っている。あの場で出来うる最善の……とは言い(がた)いが、確実な方法を取ったのだ。確かにリスクは大きすぎたが、それに見合うだけの効果が今もなお続いている。

 

二大攻略ギルドとも言われる《アインクラッド解放隊》と《ドラゴンナイツ・ブリゲード》は、第三層でいち速く結成されたギルドだ。前者はキバオウ、後者は元ディアベル隊の男──リンドがそれぞれ率いている。

 

両者はあまり仲が良いとは言えないが、それでも競い合う形でお互いを高めていることも相まって、攻略組の雰囲気は良好だ。

キリトの目論見(もくろみ)通り、ベータテスターも貴重な情報源として歓迎されることとなったのだ。互いに疑いあうような状況にもならずに済んでいる。

 

もっとも、第十層以降はテスターも到達していなかった未知の領域なので、彼らと一般プレイヤーとの情報的な差はほぼ無くなったと言えるのだが。

 

 

と、この辺の事実はもちろんアルゴも心得ている。だが、それでも彼女には言いたいことがある。

 

「確かに、キーちゃんなら大抵のことはソロでやってのけられるとしても不思議じゃなイ。けどナ」

 

 

「ソロプレイには絶対的な限界があるってのハ、キーちゃん自身がよぉくわかってんだロ?」

 

 

いっそ責めるような口調で放たれた台詞に、キリトは無言で応じた。

 

「それに、キーちゃんが《悪のビーター》だって未だに信じて、毛嫌いする奴も少なくなイ。そんな奴らから危害が加えられる可能性もあル。敵はモンスターだけじゃないかもしれないってことダ」

 

確かに、この層に到達するまでにも、素材を()りに下層へ降りたりした時などには《ビーター》の悪評を聞きつけた一部のプレイヤーたちから酷い言葉を投げられたりもしたが、それだけだ。実質的な被害にはまだ遭っていない。

 

キリトは紅茶を一口飲むと、溜め息をついて先を促す。

 

「……今日はやけによく喋るな。つまり、何が言いたいの?」

 

 

「キーちゃんが生き残っていくための、手伝いをさせてくれってことだヨ」

 

 

あっさりとそう言った。が、それが適当に出た言葉でないことは、その真剣な顔を見ればわかった。

 

「迷宮とかでキーちゃんに助けられただけなら、オレっちだってそこまでしなイ。けどナ、あの一件は、もっと大きなことダ。恩を感じていると言ってもイイ。とにかく、手助けさせロ」

 

「ふぅん……で?具体的に、何をしてくれるの?」

 

「そうだナ、キーちゃんからの依頼は、極力優先して動くようにしよウ。有益な情報も、裏が取れ次第一番に知らせてやル。それから、金に困ったら割のいい仕事を融通してやろウ」

 

「……それ、前に言ってた『情報屋の掟』かなんかに引っ掛かるんじゃないの?詳しくは知らないけど、一人だけ優遇するとか」

 

あの一件のすぐ後に起こった、第二層でのゴザルな出来事が思い出される。あの時は伊賀だの風魔だのエクストラなスキルだの、面倒臭いことがあったものだ。

 

「あれはオレっちが自分で勝手に作っただけだシ、その程度ならオレっちのポリシーには反しなイ」

 

「ふーん……」

 

他人事のように、そうゆうモノなのか、と思うキリトだったが、これはかなり優良な助力だ。

 

情報の有無は、時として命の行方を左右する。

 

アインクラッド初にして最高の腕を持つ情報屋・鼠のアルゴ。彼女がそこまでしてくれるなら、心強いことこの上ない。

 

「なあ、頼むよキーちゃん。この申し出、受けてくれないカ?でなきゃ、オレっち、申し訳なさで潰れそうダ」

 

あのアルゴが、ここまで言う。なら、受けない理由などない。あるはずがない。

 

「わ、わかった、分かったよ。じゃあ……お言葉に甘えさせてもらおう、かな」

 

その答えを聞くと、アルゴは珍しいことに、純粋にニコリと笑って頷いた。

 

「よシ、言質(げんち)はとったからナ。知らなかっただロ?オレっちって意外と義理堅いんだゼ?」

 

ニシシと声をあげたアルゴは、満足気にそう言った。

 

 

 

2.

 

翌朝、キリトは主街区《マウンジ》でアイテムの補充と装備のメンテナンスをするために、店が集まる通りを一人歩いていた。

普通ならば、到達から一週間も経過して主街区に留まることはないはずだが、それはこの第十五層の特殊な構成によるものだった。

 

 

 

第十五層は、第十四層以下の層とは根本的に異なる。

というのも、この層には主街区以外の町が存在しないのだ。

唯一の平地である主街区を取り囲むように広がる山岳地帯。そこは、なだらかであったり急斜面だったりと、なかなかにハードなアウトドア派向けの仕様だ。ステータスとしての筋力値が存在していなければ、プレイヤーたちにはさぞ嫌われたことだろう。

 

しかし、マップのデザイナーも鬼ではなかったようで、山から山に移動する際には山らしい手段が用意されていた。

 

それは、ロープウェイだ。現実でのそれよりは安全面で少々心もとのないような形状だが、過酷なマップの移動手段として非常に重宝している。一度に乗車できるのは六人までで、一人につき50コル。山の途中にある安全エリアに乗り場が設置してあり、次の安全エリアまで運んでくれるのだ。

 

プレイヤーたちはそのロープウェイを駆使して、山から山へと移動していく。安全エリアは、現実に即して言うならば休憩所のような出で立ちで、それらしい小屋やNPCショップが二つか三つほど点在している。ショップでは主に回復ポーションや食料アイテムが販売しており、フィールドでドロップしたがいらないというアイテムを売却することもできる。

 

と言うことならば一見主街区まで戻らなくても良いように思われるが、実際はそうでもない。

 

確かに小屋はあり、簡易なベッドも二つほど備え付けられているが、扉に鍵はかからない。眠っている間に、他のプレイヤーに勝手にウインドウを操作されて無償でアイテムをトレードされてしまうこともありうるのだ。さらに言えば、それよりももっと悪質な行為さえ可能となる。デスゲームとなった今、それは致命的すぎる。

そして、耐久値の損耗した装備を回復してくれる鍛冶屋もない。

そういうわけで、最低でも二日に一度は主街区に戻らなくてはならないのだ。

 

 

 

「次は……今日のおやつでも買おうかな」

 

一通りの用事を済ませたキリトは、迷宮で小腹が空いたときに食べるためのおやつを探し求めることにした。

できれば、片手で持ててかつ手早く食べることの出来るものが好ましい。おいしければなお良し。

 

通りは、朝だというのに観光に来たと思われるプレイヤーがちらほらと歩いていた。攻略組と思わしき装備のプレイヤーの姿も、少しだが見あたる。

 

「ん……、あれは」

 

ふと視界に入ったのは、一つの屋台。先日立ち寄った所とは雰囲気が異なる。今は、三人組のプレイヤーが店先でメニューを眺めていた。装備を見るに、攻略組ではないようだ。

 

「じゃあ、僕はMサイズにしようかな。量的にちょうど良いと思う」

 

「そんじゃ、俺も。ダッカーは?」

 

「俺はLいくぜ!大体、こんなうまそーなのにテツオもササマルもMとか────」

 

「二人にもMサイズにしとこうか」

 

「そうだな」

 

「────もったいない、っておいっ!?」

 

一人だけ賑やかな少年たちは、実に仲が良さげだ。そして、先程までサイズを吟味していたらしい串焼きの肉を買うと、笑いながら転移門の方向へと去っていった。

 

(肉…………)

 

引き寄せられるように店の前に立つと、ほんわりと香ばしいタレの匂いがした。空腹の時に嗅いだなら、確実に腹の虫が催促していただろう。

 

見本として置かれているのは、一口で食べるには大きめの謎の肉片が四つ、串に刺されて焼かれた物だ。見本はMサイズで、サイズが変わると肉片が二つずつ増減するようだ。

 

キリトはMサイズを二つ購入すると、迷宮の安全エリアでかじるのを楽しみにしながらそれをアイテムストレージに収納した。

 

 

 

 

 

圏外に出て三十分ほどの山道をキリトは歩いていた。足元は緩やかな傾斜で、木屑や落ち葉が混じったボロボロと崩れる土が覆っていた。現実の登山コースのような手すりや滑り止めの木の板などは当然なく、ただ自然のままの山の姿がそこにあった。

 

キリトは迷宮区までの最短ルートを進んでいるが、後発の攻略組メンバーはおそらくロープウェイが通る下方──谷の方を念入りに探索していることだろう。必ずしもロープウェイを使わなければならないわけではなく、山から他の山への移動は徒歩だけでも可能なのだ。

 

第二層で予測外の真ボス出現に教訓を得て以来、攻略組の主力集団はクエストの調査に余念がない。その層のフロアボスに関してのみならず、重要な情報やアイテムが得られるかも知れない、との判断だ。キリトとしてもそれは同じで、ソロの機動力を活かしてその作業は五日で終了させた。しかし、パーティーで探索する者たちはやはり機動力ではあまり優れていない。それに加えて山の悪路の影響で、苦労も倍増だ。未だに険しいフィールドを走り回っているはずだ。

とはいえ、到達からもう一週間。彼らも、そろそろ迷宮区攻略に乗り出して来るだろう。

 

 

そんなことを考えながら、キリトは最初の安全エリアに到着した。道中何度かモンスターとエンカウントしたが、HP的にはノーダメージ。剣の耐久値も、まだまだ余裕だ。

 

不可視の境界線を一歩跨ぐと、視界左下には《A(アンチ)C(クリミナル)C(コード) : 有効化》のポップアップメッセージが小さく点灯した。無意識に肩の力がストン、と落ちる。

 

エリアの大きさは、第一層で攻略会議が開かれた広場と同じくらいだ。向かって右側にこじんまりとした丸太小屋、左側にはNPCショップが二軒立ち並ぶ。そして奥には、ロープウェイの乗り場。

 

キリトはショップに立ち寄ることもなく、一直線に乗り場へ進む。

アインクラッドのロープウェイは、世界観を壊さないためか見た目には割と原始的な仕組みである。

内側に座るための段が設けられている木製の巨大な(ます)が、ロープにぶら下がって固定されている形だ。

乗り場の中央に設置された、謎の動力源が入っていると思わしき太い柱がゴウウンと重い音を唸らせると、柱で折り返されたロープが進行方向へと滑り出す。ちょうど、二本の指に通された輪ゴムのような形だ。

そして、枡の対角線上にはもうひとつ枡が固定されているので、いつでも双方通行が可能となる。

 

現実ならば地味に実現が難しそうな構造だが、ここは仮想世界。都合が良いのはいつものことだ。

 

「よっこらせ、と」

 

少女が口にしていいのか甚だ疑問な掛け声と共に、キリトは枡に乗り込んだ。浮かび上がるウインドウの【Yes】をタップして50コルを支払うと、柱は唸り始めた。

 

ゆるやかに流れる山の景色を眺めながら、キリトはのほほんとした顔で迷宮区を目指す。相変わらず、フードは被っているものの。

 

 

 

3.

 

迷宮区タワー、三階。そこに響くのは、流星のような光を伴う鋭い金属音。

 

「せあッ!」

 

「グオオオ!」

 

気合いを乗せたソードスキル《オブリーク》が、レベル21モンスター《マウントベアー》を貫いた。細剣の基本的なスキルだが、その一撃はほとんど過不足なく黒い熊のHPを削りきった。

 

パシャンッと砕けた熊を尻目に、攻撃者──アスカはふう、と息をついた。

 

「ちょっと休憩……」

 

近くの安全エリアに足を踏み入れ、壁に背を預けてそのまま座る。

ほぼ自動的に右手が動き、アイテムストレージから回復ポーションを取り出した。そのまま獲得したアイテムを確認していく。

《マウントベアーの爪》や《スニークスネークの脱け殻》など、素材アイテムがそこそこに貯まっていたが、アスカには必要の無いものばかりだ。帰るときにロープウェイの安全エリアで売り払うことを決める。

飲み干したポーションの瓶をその辺に放ると、すぐにパシャンと音を立てて消滅した。

 

 

(まだ十四時か……)

 

アスカは今日、昼の十一時から迷宮区に潜っていた。例によって起床は早朝だったが、十時頃まではアイテムの補充や装備メンテナンス、前日に受けたクエストを消化したりして過ごしていたのだ。

 

時刻を確認しながら、メッセージボックスに保存されたままのメッセージを一件表示する。差出人はアルゴ。

 

『4日ぶりだな、アス坊。ちょっと急なんだけど、頼みがある。詳しくは直接そっちに行って話すから、22時には宿にいてくれ』

 

それを眺めて、昨日のやり取りを思い出す。

 

 

***

 

 

コン、コココン。

特徴的なノックが聞こえたので、アスカは扉を開けた。

 

「ヨ、アス坊。こんな時間に悪いネ」

 

頭ひとつ分ほど下方から聞こえるのは、コケティッシュな声が特徴的な例の情報屋、アルゴだ。

 

アスカは、大して表情も変えず、淡々と彼女を室内に招き入れる。

 

「いえ。このくらいの時間なら、いつも起きてますから。それで、頼みってなんです?」

 

「相変わらず堅苦しいナ……。ま、それは置いとくカ。じゃあ、話すけド。まずはこれを見てくレ」

 

部屋に遠慮なく上がりながら、アルゴはメニューを操作する。

流れるような手つきでウインドウから取り出されたアイテムを受け取ると、アスカはアイテム詳細のウインドウを開いた。

 

「『万能の解毒薬』……そのまんまですね」

 

「そう、そのまんまだロ。それを持ってきたプレイヤーとも何に使うのか色々話したんだけどナ、どうも空回りしてるっぽいんダ」

 

アルゴはそのプレイヤーと話した内容をアスカに伝えた。

アスカはそれをふむふむと黙って聞くと、すぐに事情を理解した。

 

「……因みに、そのプレイヤーの名前は?」

 

「その情報は、100コルだナ」

 

ニヤリと人の悪い笑みを浮かべたアルゴは、心なしかいつもより面白がるような表情をしていた。

アスカとしても、たかが100コルではあるもののそんな情報にお金を払おうとは思わない。

 

「じゃあ、いらないです」

 

「だろうナ」

 

素っ気なく断ると、アルゴは本題に入った。

 

「つまり、何を頼みたいかって言うとネ。明日の夕方は迷宮区に潜って欲しいんだヨ」

 

「《ポイズンファング・ウルフ》を狩って、ポーションがどのくらいの割合でドロップするのかを確かめればいいんですね?」

 

「そーそー。相変わらず察しがいいナ」

 

「元々、明日は迷宮を探索しようと思ってたので潜るぶんには良いですけど……僕はそんなに運が良いわけじゃ無いから、ボウズで終わるかも知れないですよ」

 

「まーその時はその時サ。もしそうなっても、エンカウント率は調べられるシ」

 

「……分かりました、それじゃあ明日の夕方から三時間くらいを目処(めど)に行って来ますね」

 

「ありがとウ。報酬は前払いダ、受け取ってくレ」

 

アルゴからコルを支払われたところで、その時は解散となった。

 

 

***

 

 

「早く来すぎたよな……」

 

夕方──今の季節では十六時──までには、あと二時間もある。

一層にいた頃は何日も迷宮に潜り続けることなんてザラだったから、八時間くらいは平気。とアスカは思っていたものの、そんなことはなかった。

数日前までは、エギルのパーティに加えてもらったりしていたので長時間連続で精神力を張り続けることもなかった。が、ソロとなるとどうも自分は焦りがちになってしまう。分かってはいるのだが、やはり一人では上手くいかない。

 

(コンビ組んでた頃は、キリトが上手く調整してくれてたんだけど)

 

主に人との会話が苦手なあの少年は、今はどうしているのだろうか。

ボス戦の時こそ姿を見かけるが、最近アスカはエギルのパーティに混ざっているし、キリトはキリトで他のソロと野良パーティを組んで二、三人で遊撃に徹している。それでもちゃっかりとLAは持っていくことが多いので、ボス戦が終われば他の面々からの非難めいた視線から逃げるようにそそくさと姿を眩ましてしまう。あまり会話する機会が得られないのだ。

 

元々が利害関係の一致から始まった仲だったとしても、今となっては存外寂しいものを感じる。

 

「はあ…………」

 

今だって、静かな迷宮の安全地帯に一人という退屈な状況だ。

こんな時にキリトがいれば、軽口でも叩きあったりして少しは気が紛れたのにと考えるが、果たして自分はそんな性格だったか、とも思う。

 

この世界に来て、三ヶ月と少しが過ぎた。実に一年の四分の一。色々なことがあった。

嫌なこと、辛いこと。楽しいこと、嬉しいこと。色々だ。

未だに、この世界は仮の物で、どこまでいっても本物などないという考えは変わらない。けれど、全てを否定し続けることもまた、出来なくなりつつある。

 

仮想の怪物に殺されそうになることはたくさんあったが、仮想の剣に救われたこともまた、同じくらいあったのだ。

自分の命が存在しているのは、今この瞬間、仮想(ここ)だけなのだということを思い知らされる。

 

何が本物で、何が偽物か────

 

(────なんて、考えても仕方ないんだけどな)

 

まるで生きることに疲れた社会の歯車が考えそうなことだ。そう思って、アスカは考えることをやめた。

 

そのまま数分間アスカはぼーっとしていたが、やがて次のエリアに進むことにした。

とりあえず今やるべきは、一歩でも前へ進むこと。残り八十五もの試練は気が遠くなるが、(ちり)も積もればいつかは届く。うだうだ考えてばかりなどいられない。

 

と、腰を浮かせかけたその時だった。

 

 

「あ」

 

空間に、新たな声が響いた。

 

不意打ちをくらったかのような、気まずい相手と出くわしてしまったかのような。

 

目深に被ったフードで顔を隠しているせいでくぐもる、少し高めのアルトボイス。

 

安全エリアの境界内側に立ち尽くす、現実ならば通報されかねない全身黒ずくめの小さなシルエット。

 

「キリト……?」

 

例のソロプレイヤーの声が、アスカにその名を呼ばせていた。

 

 

 

4.

 

「久しぶりだね、キリト」

 

「あ、ああ……」

 

五十音のトップバッターは、咄嗟の返事の際にはとても役立つ。

 

コミュ障(注・コミュニケーション障害。会話が不自然なほどに続かない、あるいは人との接し方に難儀する人のこと。空を飛ばないものだけを指す)を自覚するキリトの脳内には、場違いにもそんなことが浮かんでいた。

 

「ぐ、偶然だなアスカ。こんなところで会うなんて」

 

もっと気の利いたことでも言えれば良いのだが、生憎(あいにく)とキリトにそんな機能は備わっていない。モトラドが早起き出来ないのと一緒だ。

 

「相変わらずソロみたいだね。まあ、僕も人のことは言えないけどな」

 

「俺はいいんだよ、ビーターなんだから。……アスカは、エギルたちのとこにいたんじゃなかったっけ?」

 

「二日前まではね。フィールドは地形が険しいから入れてもらってたけど、迷宮の中はそれほどでもないし。あんまり迷惑はかけたくないから」

 

「迷惑ねぇ…………」

 

とてもそうは思えないが、アスカとしては思う所があるのだろう。

 

しかし単身迷宮区に挑むのは、ちょっと頂けない。

 

それこそキリトが言えたことではないのだが、迷宮のモンスターはフィールドのそれよりも強い。アスカの強さならば安心出来なくもないが、万が一というモノがあるのだ。

ゲームの先輩として、キリトは切実に「どこでもいいからパーティに入ってくれ」と思うのだが、そんなことを言えば「キリトもね」と返されるに決まっている。

 

結局そのことについてはそれ以上何も言わず、キリトはメインメニューを呼び出した。いくつかの操作をしながら、近くにある岩に背を預けて座り込む。

 

「ま、いいや。俺は束の間の休息ってことで、おやつ食べるから。もう行くところだったんだろ?気にせずお先にどうぞ。死なないように気をつけてね」

 

攻略に真面目な彼のことだから、会話もほどほどにさっさと先へ進みたいはずだ。そう思ってキリトはそんなことを言ったのだが。

 

「……そう言えば僕もお腹空いたな」

 

アスカの反応は少し予想外だった。

 

「んん……?」

 

「僕も、もうちょっと休んでいこうかな」

 

「……そ、そうですか」

 

お構いなしといった感じで、アスカは少し間を開けてキリトの隣に腰かけた。

 

 

 

 

 

相変わらず何の肉なのかは謎だが、程よい歯ごたえが実に肉肉しいそれは、現実には無いような味のタレがまた香ばしい。

大して美味いものが多いわけではないこの世界の料理としては、上々の味だろう。

キリトはそれを味わって食べていたのだが、どうにも落ち着かない。

 

隣に座るアスカが、その謎肉に興味津々なのだ。

 

「それ、どこで売ってるやつ?」

 

「マウンジだけど」

 

「へぇ、見逃してた。おいしい?」

 

「うん、当たりだと思う。……あげないからね?」

 

「……初めて会ったときはクリーム分けてくれたのに?」

 

「……あの時は、あまりにも見てらんない状態だったから」

 

「そうかな……」

 

「そうだよ」

 

と、キリトが二つ目の肉片にかぶりついた時。アスカはウインドウを操作して、何かを取り出していた。

 

出てきたのは────

 

 

「さ、サンドイッチ?」

 

 

アスカの手の中に握られていたのは、西洋風のサンドイッチに似たものだった。

 

最初に目を引くのは、こんがりとした小麦色の皮が特徴の厚切りパンと、挟み込まれた瑞々しい赤。スライストマトのようなそれが、まず視覚的に食欲を沸き上がらせる。

 

そして、そのトマトもどきと交互に重ねられた明るい緑の葉野菜と、ちょうど層の真ん中に秘められた肉。ハンバーガーに挟まれているような形の肉は厚さこそ0.5センチほどではあるが、漂う匂いはむしろ暴力的とも言えそうなほどの誘惑を内包していた。

 

一口噛みしめれば、ジューシーな肉厚と爽やかな野菜の味わいを楽しめるであろう一品、否、逸品であることは容易く想像ができる。

 

そう、一目見てわかるのは、このサンドイッチが美味であるに違いないということだ。

 

「ど、どこでそれを!?」

 

串焼き肉に罪はないが、まるで自分の手にある茶色いだけの肉片が大した物ではないようにすら思えるそれに、キリトが食いつくのも無理はないだろう。無論、比喩的な意味でだ。

 

「売ってないよ、これ」

 

「え、な……なん、」

 

「料理スキルで作ったんだ」

 

「り、りょうりすきる?」

 

平然と答えるアスカに、思わず片言になってしまうキリト。

 

無理もないだろう。()()アスカが、生死に関わるとも言えるスキル選択の一つを、戦闘関連ではないものに割り振ったと言うのだから。

 

それに加えて、見た目で分かるそのサンドイッチの完成度。

 

驚きと羨ましさが相まって、視線はやはり釘付けのままだった。

 

そんなキリトを余所に、アスカは大きく口を開けて自作サンドイッチにかぶりついた。

 

パリッとも、シャキッとも聞こえる良い音をたてて、アスカは満足げに咀嚼(そしゃく)する。

 

「…………んむ?」

 

そして、動きが止まっているキリトに気づき、飲み下してから口を開く。

 

「……あげないからね?」

 

「……あ……ぅ」

 

意識的に意地悪くそう言うと、キリトは何とも悲しげな雰囲気を醸し出す。

そんな様子がおかしくて、アスカは笑いながら言葉を続けた。

 

「……冗談だよ。そんなに欲しそうにしてるのにあげないとか、僕もそこまで冷たくはないさ。もう一つあるから」

 

しょうがないなあと言ってウインドウを操作し、同じものをもう一つ取り出す。

それをキリトの目の前に持ちあげてみせると、パアッと効果音が出そうなほどの様子に一変した。

「待て」と 言われ続けた後に「よし」の声を聞いたワンコのようだ。尻尾があればブンブン振っていたことだろう。

 

「いっ、いいのかっ!?」

 

「いいよ」

 

「やったっ!ありがとうアスカ!!」

 

上ずった声で礼を言うキリトに、アスカは苦笑いするしかないのだった。

 

 

 

 

 

アスカお手製のサンドイッチを頬張る間、キリトは終始感動していた。

 

「こんなおいしいの、初めてだよ……」

 

この世界での娯楽と言えば、ほぼ食事だけに限られる。そんな中で美味に出会えば、この反応は決して大袈裟ではないのだ。

 

対してアスカは、キリトが「せめてものお返し」と渡してきたもう一本の串焼き肉をかじっていた。

 

キリトの反応が裏付けるように、確かに自前のサンドイッチほどの味ではないと思った。が、NPC店の料理としては決して不味くなどなく、むしろ美味しいと思える位だった。

特にタレの味は、参考にしたいと思うくらいには出来が良かった。

 

最後の一欠片を嚥下(えんげ)すると、アスカはとりあえずキリトに向き直った。

 

「ごちそうさま。なかなか美味しかったよ」

 

「こ、こちらの方こそ、ごちそうさま。……つかぬことを聞くけど、アスカ」

 

そう言って、キリトは遠慮がちに尋ねた。

 

「今、料理スキルってどのくらい……?」

 

なるほど確かに、スキルの詮索はマナー違反である。だがアスカとしては大して気にならず、そしてキリトがそういった個人情報を垂れ流すとも思えなかったので、普通に教えることにする。

 

「この間300越えたところ」

 

「えぇっ!さ、さんびゃくぅ!?」

 

この黒頭巾は、時々そのキャラ的な印象が崩れることがある。今がまさにそうだ。

この頓狂な驚き声など、そうそう聞けるものではないな、とアスカは思ってしまう。

 

「……そこまで驚かなくても。別に意識的に上げようとしなくても、自分の分を作るだけでもそれなりに上がるし。それに、趣味スキルのパラメーター上昇率って、戦闘系のスキルより高いみたいなんだ」

 

「そ、そうなんだ」

 

アスカとしても、ふとスキル熟練度を確認してみたらその時には既に200を上回っていて、密かに一人で仰天したものである。

 

 

 

ちょっとした食事会は、気づけば三十分ほどが経過していた。アスカが立ち上がると、キリトもそれに(なら)った。

 

「さて、と。僕はこれからまた先に進むけど……、もちろんキリトも、今日はこれで(しま)いってわけじゃないだろ?」

 

「まあね。出来るだけ進んで、後発組と差を広げておきたいから。ALSもDKBも、そろそろ迷宮区攻略に乗り出して来るだろうし……正直、鉢合わせたくない」

 

《ALS》、《DKB》とは、それぞれ《アインクラッド解放隊》と《ドラゴンナイツ・ブリゲード》の略称だ。両者ともに、正式名称で呼ばれることはほとんどない。

 

アスカは予想通りの答えに頷くと、先程から用意していた提案を口にした。

 

「そういうことなら、キリト。久しぶりに、僕とパーティ組まないか?」

 

「ぱ、パーティー?」

 

「お互い今はソロだし、進む先も同じ。なら、協力していくのが合理的だと思うけど?」

 

「う、うーん……」

 

この黒頭巾が、即断即決でイエスと言うとは、アスカも(はな)から思っていない。

 

だから、強行手段だ。

 

「ふむ」

 

メニューを呼び出し、いくつかの操作を素早く行う。

 

《パーティー結成 : 【kirito】に申請します。よろしいですか?》

 

「え、ちょ。あ、アスカ?」

 

突然ウインドウを操作し始めたアスカに戸惑うキリト。

 

そんなキリトを尻目に【YES】をタップしたアスカは、とどめと言わんばかりの文句を口にした。

 

「さっきのサンドイッチ、パーティー組むならまた作ってやらないでもない」

 

「お願いします」

 

おおキリトよ、食べ物に釣られてしまうとは情けない。

 

腰を綺麗な四十五度に折り曲げたキリトは、ためらいなく申請を受諾したのだった。

 

 

 

 

5.

 

「アホ、ワイらの方が先や!」

 

「割り込んでおいてよくもまあそんなことを!」

 

(あー、うるさいナァ……)

 

ここは《マウンジ》の端、少し開けたところだ。キャンプ場のような風景のこの広場を通り抜ければ、すぐさま《圏外》となる。

周りには山々がすぐ近くに見え、そのうちの最も近くにある一つは入り口として僅かに道を作り、プレイヤーたちをフィールドエリアへと(いざな)う。

 

そんな境目とも言うべき場所に居るのは、総勢十三人のプレイヤー。

 

六人は、トゲトゲとしたサボテン頭をリーダーとする、チームカラー緑のパーティー。

 

もう六人は、青く染めた髪の騎士風装備の男をリーダーとする、チームカラー青のパーティー。

 

最後の一人は、地味な装備にフードを被った小柄な情報屋。

 

ギルドALS、ギルドDKBの面々と、鼠のアルゴだ。

 

現在は、二人のギルドリーダーが言い争い、アルゴがそれを呆れて眺めているという構図だ。

 

「情報買うのか買わないのカ、買うならどっちガ。さっさと決めてくんねーかナ?」

 

「わかった、言い値で出そう!だからオレたちに────」

 

「はんっ、ほんならワイらはその倍出したる!」

 

「なっ、そんな後出し卑怯だぞ!」

 

「そうだそうだ!」

 

「先に金に物言わせようとしたんはどっちや!ああん!?」

 

「そうやそうや!」

 

この二チームの対抗意識は今に始まった事ではないが。

仲良くシェアしようという考えは無いのだろうか、とアルゴは思う。むさい男どもに自分(じょうほうげん)がシェアされるという光景もゴメンではあるが。

 

事の発端は、僅か三分ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

アルゴは街で準備を整え、そろそろフィールドへ情報収集に赴こうとしていた。昨日までの六日間も欠かさずやってきたことだが、何せこの層のフィールドは険しいので、クエストの見落としがないか精査するのだ。

山や谷の入りくんだところに隠れクエストありましたー、なんて事もあるかもしれない。

 

「今日はあの辺りの谷に行ってみるカ」

 

確か、子供が入れるかどうかといった大きさの小さな穴があった筈だ。以前見かけた時は先を急いだが、もう他に探す当ても少ない。今日はそこに的を絞ろう。

 

そう決めた、すぐ後だった。

 

「見つけたぞ!」「()っけたで!」

 

「あン?」

 

胴間声と共にダッシュで迫り来るのは、キバオウとリンドと、二人が率いたパーティーメンバー。そして、アルゴがギョッとして間もなく、二人は三メートルほど手前で止まった。

 

「「情報、売ってくれ!!」」

 

ようやくフィールドの探索を一通り終えたのだろう。いよいよ、迷宮区攻略に乗り出すといったところか。

 

アルゴがそう予想していると、二人のリーダーは互いに睨み合っていた。

 

そして、二人のいがみ合いは始まった。

 

 

 

 

 

そして三分後。つまり今。ナウ。

 

(オッサン二人がみっともなイ。……面倒だから逃げようかナ)

 

そんな思考を目当ての当人が浮かべているとも知らずに、緑と青のオッサンたちは乱暴な言葉で罵り合っていた。秩序的にはあまり好ましくない状況であるが、今のところ傍観者たるアルゴとしては、そんな通常運転な光景に心情はむしろ穏やかだ。

 

穏やかではあるが、面倒くさいと思うことに変わりはない。

 

「大体、なんや格好だけディアベルはんに似せよってからに!見た目だけのジブンらなんかに、譲ってやる気はこれっぽちもあらへんからな!こちとら只でさえあの真っ黒小僧に先越されとるんや!!」

 

「それはオレたちだって同じだ!あの《ビーター》なんぞに遅れをとるわけにはいかないんだよ!それに見た目だけだと?怒鳴り散らすだけの野蛮なサボテンに言われる筋合いはないな!」

 

「おま、人が気にしてることを……ちゃう、気にしてなんかないんやからな!!誰やいま笑ったんは!?しばき倒したるからこっち来んかい!」

 

 

「うるさいナァ……」

 

アルゴの呟きは、白熱した連中には聞こえない。

しかしうるさいとは言いつつも、アルゴはキバオウの《真っ黒小僧》発言でキリトのことを思い出していた。

 

(そういやキーちゃん、今頃アス坊と合流したかナァ……大体、そのためにアス坊にわざわざあんな頼み事したんダ。アス坊のヤツ、ちゃんとパーティー組めただろうナ)

 

アルゴは、昨日のキリトの様子がどこかおかしいことに引っ掛かっていた。おやつを一つ分けてきたり、普段は言わないようなことを言ったりなどなど。

 

キリトが今日、迷宮区に行くことは昨日のうちに確認済みだ。アスカに例の調査を依頼したのも、夕方まで迷宮区に居させるため。ドロップ率その他はもののついでだ。

あの依頼は、二人の行動時間や移動経路などを把握した上での依頼だ。

 

そう、全ては二人を引き合わせるため。

 

我ながら、中々の策士っぷりではなかろうかとアルゴは思う。

 

(まったく、我ながら出血大サービスだナ。これでキーちゃんの調子が戻ればいいんだけド)

 

キーちゃんはアス坊と最近会っていないから寂しがっている。だから、様子がおかしかった。

 

アス坊はアス坊で、キーちゃんのことを気にかけている節がある。多分、弟みたいな感覚なんだろう。

 

そんな推測を立てたアルゴの行動が、果たして吉と出るか凶と出るか。

 

(……ま、結果は次にキーちゃんと会ったらわかるカ。期待してるゾ、アス坊)

 

アルゴとしても、何故こんな手の込んだ事をしたのかと聞かれれば、即座に明確な理由を答えることは難しいだろう。

理由はいくつかある。一層でのことも、もちろんそのうちの一つだ。

 

しかし実のところ、それすらも付属的な要素にすぎない。

 

本当のところ。もっと大きな、メインの理由として。

 

自分が、ここまでする意味とは?

 

それは、おそらく────

 

(友達、カ)

 

きっとそうなのだろう。

 

どんな人間でも。例えば自分のような、仕事として《情報屋》を(まっと)うするような人間にも。

 

友人のために無償で何かしてあげたいと思う瞬間が、きっとある。それが今回のことだった。

 

 

「あーもう埒があかん!ほんならここは男らしく、ジャンケン一発勝負で決めよーか!」

 

「フン、良いだろう。悪いが勝たせてもらうからな」

 

「それはコッチのセリフや」

 

 

「まだやってたのかヨ……」

 

いい加減うんざりだと思いながら、アルゴはとっととフィールドへ走り去っていく。自慢の敏捷力で、あっという間に姿は見えなくなる。

 

気づいた者は、誰ひとりとして居なかった。

 

 

 

 


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