リリカルハートR~群青色の紫苑~   作:不落閣下

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8 貴方に触れたくて

 女は恋をすると綺麗になる、そんな噂を昔は「そんな訳無いじゃない」と否定していた忍だが、恭也との恋を知った頃には「そうかもしれないわね♪」と上機嫌に言った事がある。そんな甘酸っぱい青春時代、鈍感な恭也に対しやきもきした頃の事を彷彿させてしまう程にすずかの変化は著しかった。「もしかしたらお出掛けの時にシロノさんに会えるかもしれない」と、普段の服装や美に関する事に磨きを掛け、「もしかしたらシロノさんにお料理を食べて貰える機会があるかもしれない」と、ノエルに頼み込んでお料理教室が開かれていたりしていた。もしかして、から、だったなら良いな、にスケールダウンして行く様子は姉として見れたものではなく、遠い彼方に居るかのような恋路に焦れと切なさを覚え始めたすずかを何とかしてあげたいと思うのも無理も無かった。

 そう、すずかは肝心のシロノと再会する事が一週間も経って尚無かったのである。彼女らは知り得ない事であるが、ヴォルケンリッターたちの活動が大規模になったために先回りする計画や出現場所の共通点などの洗い出しなどで滅多に海鳴の土地に脚を伸ばしていないためである。更に、仕事に生きる気質も相まって、休憩する、息抜きをする、などと言った言葉に疎遠な性格である事が拍車を掛けたのだ。そして、それを咎めるだけの余裕も皆無かったのだ。

 そして、いつしか学校でもすずかが恋煩いの溜息を吐き始めてしまい、仲良しグループであるなのはやフェイトがアリサ主導のもと何とかしようとするのも遅くは無かった。親友と呼べる仲であるすずかが目に見えて憂いを覚えた様子で虚空を見て「シロノさん……」と呟く様子は見てて辛かったのだ。

 

「…………はぁ、シロノさん……、会いたいのに……、ぅぅ……、会えない……、なんで……、ぅぅ……」

「……重症ね」

「う、うん……。すずかちゃん凄く辛そうだもん」

「そうだね、何とかならないかな……?」

 

 いつしかそのまま具合まで悪くなってしまうんじゃないか、と言う子供ながらの可愛らしい焦りから、どうにかしてシロノとすずかを会わせようと言うプロジェクトが始まってしまったのであった。後ろでうじうじと机に突っ伏しているすずかを置いて、アリサが議長となり昼休みを用いてその会議は始まった。

 

「ねぇ、フェイト。シロノさんはあんまり外出しないの?」

「う、うん。シロノさん出不精と言うか、家で宿題や勉強したりする時の方が多いかな」

(言えない。まさか次元を越えてお仕事してますだなんて言えない……)

「そ、そうだよね、あんまり外に出ないイメージあるし……」

(い、言えない。シロノさん仕事人間で休息すら疎かにしてるだなんて言えないよ……)

 

 魔法の事を秘密にしているからかなのはとフェイトが出せる情報は規制が掛かったようなものばかりで、声を大にして言えるようなものでは無い。アリサはその情報から何やらピンと来たようで、「これよ!」と大きく頷いて脳内で自画自賛の嵐を撒き散らしていた。

 

「シロノさんはフェイトの家に居るんでしょ? なら、フェイトの家に遊びに行けば良いのよ!」

「あ、その手があったね」

「家から出ないなら行けば良いって事だね! アリサちゃん!」

「そうよ! ふふふ、これならすずかに対して変な違和感も浮かばないでしょうしね! それじゃ、フェイト。シロノさんが大丈夫そうな日にちを聞いて来て貰えるかしら? 出来れば塾が無い日が良いわね」

「う、うん……。大丈夫、確り聞いてくるよ……」

《……フェイトちゃん、そんな事言っちゃって大丈夫なの?》

《う、うぅぅ……、正直だいじょばないけどアリサからの信頼する瞳が痛いし……。そ、それにシロノさんも休暇をそろそろ取るべきだよ。わたしたちが子供だから迷惑掛けちゃってるみたいだし、こう言う時ぐらい確り休んで欲しいし……》

《そうだよね。特にシロノさんクロノ君以上にお仕事頑張っちゃってるみたいだし……》

 

 そんな経緯があり、フェイトとなのははリンディにこの事を一部言葉を濁しつつも協力を得て、アースラの資料室で壁に寄り掛かって一連の事件の書類を纏めていたシロノに対しこう言い放ったのである。

 

「「シロノさん! 明日はお仕事一日禁止です!」」

「……へ?」

 

 その時のシロノの間の抜けた表情は近くに居たエイミィが笑ってしまう程で、完全に意識外から度肝を抜かれたようであったとの事であり、そのインパクトが冷めぬ内に攻め立てられたからかシロノは途中から現れたリンディの援護射撃の甲斐があってか見事に撃墜されてしまったのだった。

 事態が動き出す数日前、その日シロノはソファに座ってぼんやりと虚空を見つめていた。鍛錬禁止、お仕事禁止、外出禁止、と言う色々な禁止令によって逃げ道を潰されてしまった事でワーカーホリック症なシロノは完全に沈黙してしまったのである。此れと言って没頭する趣味が無い事に憂いを覚えつつもシロノは自分の膝上に寝転ぶ子犬状態のアルフによって動く事すら止められていた。「万が一だけど外に出かけないように見張っておいて欲しいな」とお願いされているアルフの事情は知らないため、動かしてしまうのは可愛そうかな、とソファから動いていないだけである。尤も足止めしているアルフは時折シロノに頭や背中を撫でられて気持ち良さげにだらけており、確りと仕事をしつつもその内容は頭から抜けてしまっている。

 そんなシロノに何処か申し訳無さを覚えつつもフェイトは苦笑してその様子を見ていた。いつもはてきぱきと機敏に忙しないシロノが子犬のアルフを膝に乗せてだらけているのである。そのギャップは何時ぞやのクロノを彷彿させる懐かしさを覚え、口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 

「……そう言えば、フェイトさんは何か趣味はあるかい?」

「趣味、ですか?」

「そうそう。仕事してないとする事が無い()みたいになっちゃうから、さ」

「あはは……、そうですね……。お料理、かな。後はお洗濯とかお掃除とか……」

「随分と主婦寄りの趣味だね……、確かにリンディさんと一緒に頑張ってたね」

「はい。作ったお料理を美味しいって言ってくれると嬉しくて、ついハマってしまって」

「そっかぁ……、フェイトさんは良いお嫁さんになれそうだねぇ」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 口元に手を当てて少しながら恥ずかしげに笑みを浮かべたフェイトを一瞥してシロノの視線は天井へと戻った。どうやら海鳴の生活でエイミィやリンディに弄り倒されたのかこの手のからかいは流せるようになったようだった。大した反応が無かったのを少し残念に思ったらしいシロノは再びぐったりとソファにもたれてしまう。そんなシロノを見てくすくすとフェイトは失礼と思いつつも笑ってしまった。

 フェイトにとってシロノはもう一人の義兄だった。義兄であるクロノの友人であり、その外見が似ているのもあってか視覚的な恐怖を感じない相手。そして、何よりもその性格がフェイトには心地良いものだった。彼は基本的に温厚であり、更に他人の変化に機敏である。そのため、フェイトにとってのレッドゾーンに触りそうな話題をさらりと場を流してでもグレーゾーンへと誘ってくれる気遣いがとても助かった。シロノと話していて傷付く事は無く、むしろクロノたちでは気付かないような細かな点までフォローを入れてくれるのだから頭が上がらない思いだった。

 初めてリビングでシロノと顔を合わせた時には色違いのクロノだと思ってしまったぐらいに似ていながらも、彼らの性格は実は真逆であった。クロノの常に堅物的な常識思考に対して、奇から転じるような快刀乱麻が好みであるシロノはオンオフのはっきりした性格からか朗らかである。それは彼らの生きてきたレールの違いからして明確であり、母親に護られて来たクロノと違い、母親すらも見送ったシロノの生き方は一人が当たり前だった。だから、仕事に没頭してその事を忘れる、そのためにワーカーホリック気質が中毒患者の如く当たり前となり、素の自分と仕事の自分を明暗を分けるかの如く白黒がはっきりとした雰囲気は正しく仮面なのだろう。

 そして、フェイトはそれに気付いていた。シロノはその仮面を外しておらず、未だに顔の横に引っ掛けたままのだと。何処か偽りを感じる表情に違和感を覚え、次には共感を得たのもあってフェイトはすぐに気付く事ができた。昔の自分のように、こだわっているのだと。シロノ・ハーヴェイはこういう人物なのだ、とプロットを立てたそれに従ってロールしているかのようなチグハグな振る舞いは、以前の母親(プレシア)に期待し続けていた自分のように滑稽で、終わりの見えない悲劇の舞台を廻る踊り子のようだった。もう彼は踊りを踊っているのだ、それ故に誰も彼を止める事はできない。フェイトのように観客(プレシア)悪態(しんじつ)によって傷付いて倒れ伏す事が無ければ、はたまた観客(なのは)のように舞台に踊り出て踊り子(フェイト)を引っ張り出さない限り踊り続けるのだろう。

 まるでピエロの胸が凍るような戯言のようだ、とシロノの口から放たれる言葉に対して感じてしまう時がある。それは、誰にも言えない傷跡を未だに時折掻き毟っては傷付いては泣き叫ぶ子供のような癇癪で、それでもそんな姿を見せるのは滑稽で恥ずかしいとその一面に仮面を被っているようで、特に家族と言う単語に関する話題に対してシロノはそんな言葉を吐き出す傾向がある。フェイトはそんなシロノを救えるとは思っていない。何故なら、自分もまた救われる側であり、引っ張り上げるような勇気も術も無い事を知ってしまっているから。なのはの不屈の信念に思いを馳せるだけで、それに触れられるとは、その域まで達せられるとは思えなかったし、考えた事も無かった。

 何せ、自分は――プレシアの作り上げたお人形(あいされることのないそんざい)だ。なのはと言う遊んでくれる持ち主を見つけただけで、未だにフェイトは自分が人形(クローン)である苦しみを抱えているままだった。だからだろう、同じような雰囲気を持っているシロノはフェイトにとって心地良い相手だった。何せ、相手は自分を大切にしてくれるだろう、けれど、その内側にまで踏み込んでこない相手だと分かっているから。コレクターのように大切に仕舞いこんで死蔵するような相手であると理解してしまっているからこそ、フェイトは安堵によって不安を溜め込まないで居れた。頑なに人間であれ、と無茶を言う人たちと違って、シロノは人形に心が生まれるまで待っても良いだろうと許容してくれる。その事実は甘い水のようで、堕落するような心地に誘惑されてしまった。

 今のままで(こわれてても)良いと、そう肯定された気がするから。

 変わると言う事は自殺である、と誰かが言った。それは正しい事だ。新しく何かをする度に、新しい価値観に触れる度に、停滞していた昔の自分は絹を引き裂くような悲鳴を上げて静かに死んでゆくのだろう。だから、フェイトはまだこの日溜りのようなぬるま湯に浸かって居たかった。だから、フェイトはシロノに対して変わる事を、その仮面を外すように言う資格は無いと思っている。なら、自分に出来る事は彼に対して、理解を深める事ではなく馴れ合う事だと思う。それ故に、彼に対して変わるきっかけを与えてくれる人が現れる事を祈るばかりだった。

 

「フェイトさん、お友達来たみたいよ?」

 

 玄関の方で鳴らされたチャイムに対し、反対側のソファで洗濯物を畳んでいたリンディが嬉しそうに微笑んで玄関を見やって伝えた。それに頷いたフェイトはぼんやりと首を傾げたシロノに対し、少々ながら後ろめたい気持ちで内心謝りながら恋する乙女を筆頭に乗り込んでくるだろう三人を迎えに行く。

 

「お邪魔しまーす!」

「お、お邪魔します」

「お邪魔します!」

「いらっしゃい。シロノさんならリビングに居るよ」

「グッドよフェイト! ほら、すずか。行くわよ!」

「ちょ、ちょっと待ってアリサちゃん! まだ、心の準備が終わって無いよぉ……」

 

 オレンジ色の首元まで暖かそうなセーターにホットパンツを合わせた活発的な印象を魅せる服装に着飾ったアリサが首元に赤いリボンのワンポイントのある清楚な白いワンピースに包まれたすずかの肩を後ろから押し込んでゆく。だが、人ならざるパワーにより梃子ですら打ち勝つと言った様子の未だにテンパるすずかは押されはすれども前に進む事は無かった。そんなすずかにすっとなのはが隣を擦り抜けるようにして前に出て、わたわたと忙しない両腕を掴んで引っ張った。腕の延長線上である上半身が引っ張られ、玄関前から内側へと入ったすずかは意を決したかのように漸く流れに身を任せた。

 入り口へと降り立ったすずかはそわそわしながら白い可愛らしい靴を脱いで玄関に揃え、青色のスリッパに履き替えた。そして、廊下へと向かう途中にある姿鏡で自身の身なりをチェックし、手櫛でさらさらとすり抜ける紫の髪を整えて「いざ」と言う風にリビングを見据えた。そんなやる気満々な乙女武将を後ろで固唾を飲むかの如く面持ちで三人は見届けた。

 

「お邪魔します!」

 

 そうリビングへと続く扉を、まるで魔王の玉座への扉を開けるかのような緊張感を持って開いたすずかの視界に映ったのは、赤色のクッションめいた何かを抱き締めてソファで寝息を立てて寝ているシロノの姿だった。どうやらアルフを抱えている内に動物特有の温かさに和んだのか眠気の誘惑に負けてしまったようであった。そんな思い人(シロノ)の姿を見てしまったすずかは頬を緩ませてすすすとシロノの前に近付き、意を決した様子でその頭をそっとソファから外してから空いたスペースへ自分を潜り込ませる。そして、スカートの端を整えてからそっと頭を下ろす。念願の膝枕を達成したすずかは感極まった様子で胸を押さえる。自身の鼓動が高鳴るのに合わせて溢れ出る歓喜の思いに心を震わして悶えていた。そして、数秒後にふと温かな視線を感じ、見やった先のリンディの満面の笑みとぶつかった。自身の行いを一部始終見ていたのだろうリンディの笑みはとても深く、人差し指をそっと唇に当ててキッチンの奥へと去って行く。すずかは恥ずかしさから俯くと、ふわりと鼻腔に爽やかさを感じさせる匂いを感じてシロノの横顔をつい見つめてしまう。胸奥からじわりと滲み出た愛しさから起こさないように優しく彼の群青色の髪を手で梳き始める。自分が誰と一緒に来たのかをすっかりと頭から抜け落ちた様子で。

 

「すずかが輝いて見えるわね……」

「あはは……、すずかちゃんとってもご機嫌なの」

「そうだね」

 

 熱心に、でもとても優しく頬が緩みっぱなしな恍惚とした表情で年上のシロノの頭を撫で続けているすずかを見たなのはたちは苦笑しつつも、普段の陰りのある表情を知っているからか達成感のある表情で明るく見守っていた。三人はフェイトの部屋から持ってきたボードゲームを反対側のソファで開始し、クロノとエイミィが帰宅する夕方まで楽しく遊んでいた。尤も、すずかだけは寝続けるシロノに夢中だったのは言うまでも無い事である。帰る時間になって漸く自分の世界から帰って来たすずかはとても嬉しそうな幸福顔でほくほくとした様子で帰宅したのだった。

 

「……ん、よく寝たな……」

「……ふわぁ、あったかー……」

 

 夕飯前に目を覚ましたシロノはとても寝起きが良く、鼻腔に残る何処か甘い匂いに疑問を感じていた。

 

(母さんと父さんの夢を見たけど……、何でだろう。気分が良いな)

 

 ミッドチルダで独りで寝ていた時に見た家族との夢は何時も決まった終わりを迎える悪夢だった。食卓を囲んでいた筈なのに、どろりと父の姿が溶けて消え、振り返るように隣を見やれば母が口元から血を流して倒れて消える。そして、何時の間にか食卓だった場所は自室のデスクになり、独りになる。そんな悪夢だった筈だ。だが、先ほど見た家族の夢は二人が健在の頃の、楽しい思い出だった。ふっと笑みを浮かべたシロノは何処か違和感が残る頭に触れたが、その理由に辿り着く事は無かった。全てを知っているリンディはそんなシロノに微笑ましい様子で笑みを浮かべていて、その理由を伝える様子は無かったようだった。





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