リリカルハートR~群青色の紫苑~   作:不落閣下

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6 初めての困惑

 月村すずかは化物である。――と、自分はそういう存在なのだと思っている。

 それには姉よりも濃い血筋を受け継いでいる証である濃い紫色の髪が物言わぬ証拠として存在しているし、幼い頃には気が付かなかったが自身の食事に混ぜられていた人間の血液(異物)の存在も明らかになった事で顕著になった。そして、自覚したのは己の血筋の発露と言える、友人の負傷の際の心の変動がきっかけだった。

 夜の一族。それは正しく夜を界隈とする吸血鬼の一族として名高い一族であり、尚且つその体質から鉄分を、それも人間の血液から摂取する事が一番効率が良いと言う実質のある事実が存在する人間から外れてしまった存在である。すずかがそれを知ったのは、家庭科の際に指を怪我してしまったアリサの指を、心配するように口に含むと言う衝動的な愛撫(食事)をした事で心の違和感を感じてしまったからだ。たらりと零れ落ちるそれはまるでティアドロップの如く儚く、ラストドリップの如く美しさを感じる勿体無さを覚えてしまった。友人の血液を「嗚呼、勿体無い」と口に含むまでの自分のやった行動。人間である自分が化物の自分を見てしまったかのような、途轍もない衝撃を受けたのだ。けれど、すずかは聡い少女だった。咄嗟に「黴菌が入ったら大変だから」と消毒の意味合いで口に含んだ言い訳をしてしまう程に冷静な受け答えが出来てしまっていた。内心では「今何を考えていた」と尋問の如き自問自答によりぐるぐると思考が回っているのに関わらずに、だ。

 そんな感情の発露に戸惑ったすずかは直ぐに頼れる姉に相談をした。もしかしたら自分は何かの病気に掛かってしまったのではないか、そんな淡い期待を待ち望んでいた。

 

「……すずか、よく聞きなさい。これは御伽噺だとかフィクションだとかじゃなく、現実のお話よ」

 

 真剣な瞳で、真面目な顔で、普通じゃない話をし始めた姉にすずかは絶望を覚えた。自身が普通じゃない存在であると、それも、姉よりも遥かに特異な存在である事を、八歳のすずかは正気を保ちながら聞く事ができた。「ああ、そっか」と納得できてしまったから。

 それからすずかは週に一度具合が悪くなる原因だったらしい血液不足に対する対策として、姉と同じく輸血パックを飲む事になった。最初は戸惑いを覚えながら飲んでいた輸血パックも今じゃ慣れた紅茶のように飲めるようになってしまった。そして、同時にすずかはアリサとなのは以外の友人を作らなくなった。と、言うよりも関わりを持つ事を極力避けたのだった。遠い日に必ずこの体質が、自身が化物である事がバレるだろうと言う疑心暗鬼から、自身への傷跡を減らすために友人を多く作らないように仕向けた。今では仲良し三人組と言うイメージからかその輪を乱すような者は居なかった。外側からは、だ。今ではなのはの友人であると言うフェイトが増えているが、彼女の天然気質らしい雰囲気からかそれとも自分と同じく暗い何かを抱えている事を感じ取ったからか関係は良好である。見かけたら声を掛けてお喋りするぐらいに、友人として向かい入れていた。

 そんなフェイトの義兄の友人であるシロノとの出会いはすずかにとって途轍もない衝撃を与えた。人間には相性があると言ったのは誰だっただろうか。それは性格的にも、肉体的にも意味合いがあるのだろうが、すずかとシロノの関係はこれ以外に当たる体質的の相性だった。そう、それは肉厚な高級品質な肉を用いた熱々なステーキのようなインパクトがあり、いつまでも包まれていたいと思うお気に入りの香水よりも甘美で切なく、理想の男性像が現実に存在している事を知って沸き起こった歓喜の衝動の如き興奮を覚えた。

 

「……美味しそう」

 

 口の中に広がる分泌され続ける唾液にうっとおしさを感じず、背筋から頭の頂点にまで走った鋭い痺れはまるで甘美で淫楽的な絶頂の快楽のようだった。身体中を這い擦り回る衝動の熱が頬を上気させ、押さえ付けられている理性の喘ぐ声のように呼吸が荒くなって、太腿の上に上品に置かれた両手の作る握り拳は快楽に浸りたい箇所へ届かぬように止めているだけに過ぎない。今すぐにでも抱き締めて首筋にちろりと舌を這わせて――。

 血液を貪りたい(衝動に負けてしまいたい)

 すずかが正気に戻ったのは無意識的な理性によるオートめいた別れの挨拶をした後だった。

 

「ふふっ、視線がシロノ君にずっと……、すずか? すずか!?」

 

 その場にへたり込んでしまったすずかはじくじくと疼く感覚に犯されながらも、絶頂手前の快楽的感覚に酔っていた。火照る頬は寒さを感じず、高鳴る鼓動は未だ収まりを知らず、何時の間にか潜り込んでいた左手からはねちゃりとした淫靡な手触りがあった。

 そんな様子のすずかを見た忍は即座に屈み込み、大事があったのかと心配げに表情を覗き込んで絶句した。小学三年生がするべきではない()の顔をした妹の表情を見てしまったからだ。取り合えず、これは愛しの彼にも見せれない顔であると判断し、忍は荷物を手渡してすずかの顔を自身の豊満な胸へ向けるように横抱きにし、即座にその場を離れて駐車場へと走った。彼女の唐突な行動に恭也は訝しげに眉を顰めつつも、何か大事があったのだろうと判断してその背を追い越さない程度についてゆく。ショッピングモールの駐車場に凄まじい場違い感を匂わせる高級車に一目散に戻った忍は、隣に恭也が居る事を察して運転手であるメイドのノエルに出発を促した。

 

「おかえりなさいませ。……直ぐに出ます。シートベルトを着用してください」

 

 肩越しに振り返ったノエルはぐったりとした様子で忍に抱えられているすずかを目にした瞬間に早い主人の帰還の理由を悟り、シートベルトを着用してキーを回した。その数分後に月村邸へと戻った面々は何があったかを彼女に問う前に忍の指示に従って行動を行なった。ノエルはすずかの着替えを、恭也は後で話しがあるからとリビングに待機、買い物に出掛けているファリンは取り合えず放って置いて、すずかの容態を確認した。

 

「お姉……ちゃん、……たいの」

 

 ベッドに寝かされたすずかは泡の弾けるような小さな声で何かを呟く。忍は人よりも遥かに高い聴力を持つがその声を聞き取れる事ができなかった。それは夢現にぼやりと呟いたようで、そもそも言葉が紡がれていないようだった。艶やかな小さな唇から声になっていない呟きが漏れる。

 

「大丈夫よ、すずか。もう一度言ってくれるかしら?」

「……いの」

「……え?」

血が飲みたいの(・・・・・・・)

 

 その一言を耳にした瞬間忍は思考を止めてしまった。それは予想していなかった言葉であり、九歳のすずかが言うにはまだ早いと思っていた言葉でもあった。うっすらと開いた瞳は爽やかなコバルトブルーではなく、赤みの掛かった金色になっていた。それを見た忍は己の額を押さえるように左掌を当てて「あー……」と納得の声を漏らした。忍にはすずかに起きている事を理解できていた。強いて言うならばその感覚やそのもどかしさや切なさも知っていた。尤もその後に続く快楽も知っていたりするのだが割愛しておくとする。

 

「すずかもそんなお年頃になっちゃったのねぇ。……と、なるとシロノ君が発情の相手だった訳か。取り合えず……、ノエルー! ついでに輸血パックも持ってきてくれるかしらー!」

 

 夜の一族は体質的に生殖能力が低下している。それに伴い妊娠し易くなる期間が存在しているのである。その期間や間隔は個人差があるため、すずかが忍のように三ヶ月に一度程度である保障は無い。ある意味生理の始まりとも言える日になってしまったのもあって、赤飯でも炊くべきかと忍はノエルによって私服にお着替えしているすずかの様子を見ながら微笑んだ。

 吸血鬼と言う種である夜の一族が好むのは異性の生き血であるが、常時生き血を飲む事は難しいため輸血パックによる血液摂取が主である。尤も忍のように番になる異性が居るならば別であり、蕩けてしまう程に相性の良い相手を番にしようと考えるのが常である。相性が良ければ良い程に美味と感じるため、恭也の味を知る忍にとって輸血パックは不味く感じるものであるが、そう幾度も血を吸うのも迷惑だろうと輸血パックを常備している。それはまだ幼いすずかがこれから先に夜の一族としての発作が起きた際に「こんな事があろうかと」と手渡す準備も含まれている。

 ノエルから受け取った輸血パックに専用のストローを刺した途端、ストローの先端から漏れた血の匂いにすずかの視線が其方へ向いた。初の発情期であるからか幼い身体は疲労を予想以上に溜め込んでいるようで、上半身を起こした姿で弱々しく小さな口を開いた。ストローの先を潤いを求め続けている悩ましげな口元へ差し出すとすずかは数秒でそれを飲み干し、口を離した途端にげんなりとした顔で口元を押さえた。それは見た目が美味しそうな食べ物が実は壊滅的に不味かったかのような肩透かしを食らったような表情であり、とてつもない違和感、これじゃない感を感じてしまったのだろう。無理も無いわねと忍は思う。夜の一族にとって常時口にすべき血液は日々の食事のように美味しくあるべき存在だ。すずかはシロノと言う格好の獲物と言うべき存在に当てられた事で、血液に対する期待値のハードルが上がっていたに違いない。異性の生き血を好む夜の一族からすれば、同性の純潔なる血液だろうと不味いものは不味いのである。

 今にも吐き出しそうな素振りを見せつつも、ショック療法さながらのダメージを負ったらしいすずかは発情期の興奮がテンションの低下によって下回り、正常な思考を持つ正気へと急降下したようだった。そして、今まで脳裏に浮かんでは重なって増えに増えた妄想による精神的ダメージが一気に攻め立て、可愛らしい顔を真っ赤に染め上げて枕へと押し付けて悶え始めた。忍と恭也の一連の性の営みを見てしまった事があったが故に、発情期と言う精神的に性的な思考の偏りによって生み出された産物は身に余る以上の代物だったのだろう。聡く早熱であったが故に確りとイメージしてしまったからか、次にシロノに出会った際に顔を合わせられないのではないかと考えてしまう程に羞恥心を抱え込んでしまったのだった。そんな初々しい反応を見せるすずかの姿に親愛が鼻から溢れそうになった忍はそっと小鼻を圧迫するように右手で顔を覆った。

 

(か、可愛すぎるわよすずか……。このまま弄ってしまいたいけれどちょっと遣り過ぎになっちゃうかしらね)

 

 忍もまたお年頃な大学生であるからか、初々しい妹の様子から煮詰まる程に問い詰めてその思いを確たる物へ昇華させてしまいたい気分に駆られるが、発情期の疲労感もあるだろうからと先延ばしにする事に決めた。と、言うよりもあんまりにもすずかが可愛いのでこのまま見守って居たかったと言う私情もあったりはするが、どちらにせよ忍がすずかの体調を心配しない選択肢は無かった。

 

「落ち着いたみたいね。体調は大丈夫かしら?」

「……うん。ちょっとお腹の下辺りがじくじくするぐらいかな」

「そ、そう。説明……要るわよね?」

 

 自分よりも遥かに相性が良かったらしいすずかの返事に苦笑いをしつつ、こくりと小さい頷きを見た忍は発情期についての説明をしてゆく。と、言っても語る事は多く無く、異性に対する性的な欲求が高まる事、将来の相手を探すのにも有効である、と自身の体験談を交えたレクチャーを丁寧にしてゆく。時折姉の生々しい体験談で頬を赤らめつつも自身に起こった出来事について理解を深めたすずかはふと今日であったシロノの事を思い浮かべ、同時に先程まで思考がピンク一色に染まっていた時の記憶も思い返してしまい、よりリアルな妄想に発展してしまった知らない自分の一面に気が付いてしまって再び悶えた。

 

(ど、どうしよう。わたし想像以上にえっちな子だったみたい……)

 

 尤も、それは姉も同様であったようで、忍もまたノエル相手に発散していた頃から恭也との蜜月と化した頃の事を思い出して浸っていた。姉妹揃って思いに耽っている姿を見たノエルはくすりと笑みを浮かべてしまう。其れほどまでに二人の様子は似ていたのだ。そして、男性の好みもまた難儀な人物への恋慕である事を知れば、メイドの身でありながらも可愛らしい主人に対してお腹を抱えてしまう事だろう。後数分もすれば正気に戻ってくるだろうと判断したノエルは一礼してから部屋を出て、精神を落ち着かせるハーブティーの準備をし始めた。

 すずかは高鳴る鼓動の心地良さを感じていた。今まで感じた事の無い幸福感、ふわふわと宙に浮かび上がりそうな感覚は麻薬のような甘美さを孕んでいた。いつまでもこうしていたい、そう思いつつも何かが足りないと心が悲鳴を上げている事に疑問を浮かべる。何が足りないのだろう。親愛なる家族は居る、欲しい物は大抵手に入る、お金にも困ってはいない、親友と呼べる友人も居る。なのに、何かが足りないと心が疼く。ふっくらと一次成長の影響で膨らんできた小さな胸に手を這わせ、心臓の位置に掌を乗せて視界を瞼の帳を下ろす事でシャットアウト。考える事に意味があると言わんばかりにこの気持ちの根元を手繰り寄せて行く。ふと脳裏に浮かんだのは姉の姿だった。それは彼女の恋人である恭也と仲睦まじくお喋りをしている風景であり、それは幾度も見た事のある光景で「仲良しさんだなぁ」と思った事は数多い。

 もしかして、とすずかは姉の座る位置に自分を置いてみた。けれど、恭也の事を年上のお兄さんとしか認識していないからか、これではないと恭也を排除してしまう。そして、ぽつんと椅子に座るすずかの前の席に――シロノを置いてみた。何故、と思う。どうして彼をその場所に座らせたのだろう、とすずかはふつふつと何かが込み上げて来るのを感じた。そして、ぽっかり空いた穴にすっぽりと嵌ったかのような納得を得た。

 

(……あれ? お姉ちゃん(わたし)の隣に何で恭也さん(シロノさん)を……?)

 

 無意識の内にそこにあるべき、とシロノを置いた自身の気持ちの揺れにすずかは驚いた。彼とは初対面であり、数分の間での間柄でしかない。名前と外見ぐらいしか知らないだろうに、何故か居て欲しいと思ってしまった。そして、聡いすずかはふと答えにぶつかってしまう。それは曲り角から現れた彼の胸にぶつかってしまったかのような、そんな運命的な何かを感じながらその感情の答えだった。そう、それはこの前読んだ本の主人公が抱いたもので、自身がそうなるとは思えないと苦笑して読み進めたページのそれと似ていた。

 

「……ひ、一目惚れ、って事、なのかな……?」

 

 戸惑いで声が震えながらもその解答を口にした途端に気持ちが本来の場所に座った気がした。そして、追い討ちを掛けるように発情期の影響でピンク思考になっていた時の妄想を思い出す。自分は()そんなこと(大人の営み)を考えていただろうか、と。手を握る、腕を組む、抱き付く、キスをする――それ以上の事を考えていなかったか、と。小悪魔チックなもう一人の自分が唇をちろりと舐めて扇情的に笑った気がした。

 

「……あぅ」

 

 考えがオーバーフローしてしまい、まるで湯にのぼせてしまったかのように頬を上気させてすずかの意識がブレーカーを落としたかのように暗くなってゆく。ぱたりと可愛らしい音を立てて寝てしまったのを機に忍が正気に戻った。寝てしまったらしいすずかの何処か楽しそうな寝顔にくすりと笑みを浮かべ、肩まで掛け布団を被せてやってから額におやすみのキスをして忍はゆっくりと立ち上がって部屋から出て行った。尤も、その後夢の中で何かが起こったらしいすずかがやんやんと悶える仕草をするのだが忍が知る由は無かった。


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