リリカルハートR~群青色の紫苑~   作:不落閣下

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20 空を見上げて見落としたモノ

 その日、すずかは普段通りに朝食を終えた後に、ぽけーとソファに背を任せて寛いでいた。時折、小さな一指し指をぷっくりと膨らんだ唇に当て、にへりと頬を緩ませて笑顔を浮かべる姿は正しく乙女の顔である。その笑みは何処か幸せそうでありながらもちょっぴり切なさが混じる色気のあるものであった。そんな少し背伸びした大人気分で初キスの余韻に浸っているすずかを遠目でニヨニヨと見ている忍、その隣で複雑そうな顔をしている恭也の姿もあった。

 姉としては妹の恋の進展にドキドキわくわくなのだが、夜の一族的観点からはこれからのシロノの扱いを決めかね複雑な思いを抱かざるを得ない状況。そして、同年代の妹が居る恭也はすずかの様子をなのはにも当て嵌めてしまったのか、あんな風に背伸びしたがるお年頃なのだろうかと異性の兄としてかなり複雑な心境であったのは言うまでも無い。歳の近い美由希には辛辣で素っ気無い素振りを見せたりもする恭也ではあるが、御神流を習わず普通の少女として生きてきたなのはにはかなり甘い。けれど、シロノから聞き及んだ内容から実の妹が現代離れした存在になりつつあると危惧も感じていた。そう、何せ魔法少女である。土曜や日曜の朝頃に放送していそうな内容が、近未来的存在にフォームチェンジした挙句に既に起こっていると言う状況はかなり堪えた。特に、心の隅に置いてあった常識が、である。御神流の戦士として色々と人間を止めかけている恭也ではあるが、実際の肩書きは大学生の区分の青年である。恭也の常識面は社会的に傾いており、決して高町式トレーニングで精を出した結果が熊を両断する殺伐とした姿であっても日常面の常識は確りしているのだ。

 

「うふふ、よっぽど嬉しかったのね。結構分かるわ。好きな人に初めてをあげれるのは良い気分よね」

「……しかし、まだ九歳だろう? 小学三年生に中学二年程の男は色々と世間の目的に拙い様な……」

「あら、今は九歳と十四歳でも、十年経てば十九と二十四よ?」

「年月が経てば、の話だろうが……。まぁ、確かに危なげな面はあるものの、シロノは常識的な精神性が表立っているからその手の事に対しては安心ができるが……」

「……ねぇ、恭也」

「ん?」

「貴方、私の魅了(チャーム)で狼さんになった事覚えてる?」

「……………………そうか、あれより、辛いのか」

「うん、きっとね。すずかは私よりも血が濃い上に先祖帰りをしている特別種だもの。魔眼みたいな分かり易い症状として出ていないから、もしかすると……サキュバス染みてたりするのかしらね」

「けれど、シロノは確りとレジストできている様に見えたが」

「んー……、アレは多分、シロノ君がそもそも多分鈍感タイプの性質な気がするのよね。表立って出ないだけで、無意識的に何かしらの影響が出るタイプじゃないかしら。案外むっつりさんとか?」

「……お前はそれでも良いのか?」

「良いんじゃない? それが、すずかの幸せに繋がるなら」

「…………はぁ」

 

 暗に夜の営みを肯定した忍ではあるが、その内心は複雑だった。何せ、すずかは前述の様に先祖返りのせいで色々な目に遭って来た経緯がある。それを辛うじて阻止、未遂で済ませられたのは忍の勘の鋭さと危険を先見した防衛策が上手く作動したから、と言うものだけだ。姉にして母親代わりでもあった忍は果たして自分が本当にすずかの精神面を見てやれていたか分からない。口にする事は何処か怖く、恋人である恭也にすら吐露していない気持ちでもある。恭也と言う存在を得て満たされた心は、同じ様にして産まれて生きてきたすずかもまた同じだろう、そう思えてしまうのだ。故に、恭也へ初めてを捧げた時の事を考えればすずかも似たような気持ちを抱くのだろうと考えた結果、口に出たのは肯定だった、と言うだけだった。当主の面から見れば得体の知れぬ宇宙人めいた人物に愛しい妹を渡す事はそもそも有り得ず、先祖帰りと言う特異的な点から見ても夜の一族の繁栄を齎す様な人物に宛がうのが正解だろう。けれど、既に忍は姉として、愛しい家族としてすずかを見る事を決意していた。

 

「あの子の幸せが、私の幸せの一部でもあるのよ」

「……で、本音は?」

「私、あれぐらいの頃にその手の妄想してたのよね。あの時代は教師と生徒の禁断な関係とか結構憧れてたし」

「はぁ、真っ直ぐに育ってくれて良かった。本当に……」

「あはは、まるで恭也は親馬鹿なお父さんみたいね」

「……なら、お前が母さんか」

「――へ」

 

 その素っ気無い様で確りと決めてきた恭也の言葉に顔を赤く染め上げる忍は即座に恭也へと視線を移す。其処には頬を人差し指で掻きながら若干照れた様子でそっぽを向いた愛しい恋人の姿があった。満面の笑みでその腕に抱き付いた忍をそっと微動だにもせずに受け止めた恭也はふぅと溜息を吐くのだった。慣れない事はするもんじゃないな、とは口にせずに、可愛らしい恋人の喜ぶ顔を見て内心微笑んだ。

 

「ねぇ、恭也」

「……なんだ?」

「今日はちょっとお出掛けしよっか。お弁当持って、あの丘で食べよ」

「あの丘? ……ああ、なのはが教えてくれたあの場所か。まぁ、構わないが……」

「案外、魔法の宝玉とか落ちてたりするかも知れないわね」

「んな訳あるか」

 

 右腕から伝わる二つの豊かな乳房が潰れる感覚が恭也の煩悩を挑発するが、突拍子も無い冗談に少し冷めたのか溜息混じりの突っ込みを返す。そんな和気藹々とした雰囲気の中、携帯の着信音が鳴り響いた。その音色は初期設定のクラシックなものであり、二人は顔を見合わせた。お互いの着信音は普段の生活で聞き及んでいるため、一応の意味を込めて「変えたの(か)?」とアイコンタクトしたのであった。

 

「わわっ、えっと、……あ! シロノさんからだ……!」

 

 ソファの上で突然の着信に驚いて正気に戻ったすずかは何処か慌てた様子で携帯を取り出して開くと否や、すぐに顔を喜ばせて嬉しそうに電話に出た。

 

『えーと、もしもし、で良いんだっけ? 今、大丈夫だった?』

「は、はい! 大丈夫です! 丁度暇でしたので!」

『そ、そっか。ええと、今ミッドに居てね。……ああ、ミッドってのは僕の故郷の略称で、正式名称はミッドチルダ。まぁ、兎も角、お土産に何か買っていこうと思うんだけどリクエストあるかな?』

「お土産ですか?」

『ちょっとした用で此方に戻ったんだけど、案外さっくりと終わっちゃってね。なら、どうせなら有効に使おうと思って……。無難に食品系でも良いんだけど、流石にこればっかりは好みも分かれちゃうから止めておこうと思ってね。個人的なお土産を買う相手なんてすずかぐらいしか居ないしさ』

「……えへ」

『すずか?』

「あ、えと、……身に付けれる物が良いです!」

『ん……、身に付けれる物、か。うん、分かった。それじゃ、切るね』

「えっと、此方には何時帰ってくるんですか?」

『えーと……、お昼頃かな?』

「分かりました。それじゃ、お昼ご飯用意して待ってますね!」

『……へ? あー……、うん。了解、お土産も渡さないといけないしね……』

 

 それから二つ三つ言葉を交わしてから電話が切れた。頬が緩んだ顔には想い人からのプレゼントを期待する乙女な表情が浮かんでおり、内心では明日のお昼を作ってみよう、と言う心意気もあって、嬉しそうな雰囲気が見て取れた。それは、単身赴任した夫が帰ってくると分かった新妻めいた様子であり、九歳の少女から発せられる雰囲気では無い。シロノとの関係も相まって、夜の一族としての色気が表立っているのだろうと感じるのは同じ異性である忍だけだった。尚、恭也は何処か艶っぽいな、としか思えていない辺り、見事なまでの鈍感体質であった。恭也を見事射止めた忍の苦労は忍ばれる事だろう。

 

「えへへ……、シロノさんに何を食べてもらおうかなぁ。お昼ご飯だし、程々になら重いメニューでも良いだろうし……」

 

 気分は愛する夫に手料理を振舞う新婚さんと言った様子で、やんやんと小さく悶えている可愛らしいすずかの姿が其処にはあった。ソファでごろんごろんと背もたれを背にして転がっている姿を見てそっと鼻元を押さえた忍を見て恭也は露骨に溜息を吐いて、ポケットからティッシュを取り出して差し出す。ありがと、とそれを受け取った忍は手で鼻元を隠しながら何やら拭き取っていた。あんまりにも愛妹が可愛すぎる姿を見たからか鼻からリビドーが流れ出てしまったようだった。勿論ながら、夜の一族の再生力の高さが即座に仕事をして、詰める事はせずに拭うだけで十分だったのは言うまでも無い事である。

 

「……身に付けれる物、かぁ……。うーん、女の子に贈り物だなんてした事が無いから予想が立たないなぁ……」

 

 一方その頃、ミッドの近未来的な街中を私服姿でシロノは歩いていた。青いワイシャツに黒いインナーを合わせたトップスに、デニムのジーンズのボトムスと言う年頃な格好をしており、その優れた容姿も相まって同年代程の少女たちの視線を集めていたりもしていた。けれど、そんな視線に興味すら持たずに己のやるべき事を率先して行動する姿は普段通りのシロノである。尤も、悩んでいる内容が女の子へのお土産(プレゼント)と言うのが普段らしくない要素ではあるが。

 正直に言ってシロノの仕事である執務官の給料は高い。エリート中のエリートコースでありながらも、更に陸の上位に食い込める様なコネクションも持ち得ているため専用の私室がある程に優遇されている。そして、これが何よりも重要な点なのだが、シロノはワーカーホリックであるため私財を用いた趣味と言う物を持っていないため、貯めに溜まっている状態なのである。日々の生活費ぐらいしか削れる要素が無いため、約二年分の給料が銀行に眠っている状態であった。

 それ故に、女性は綺麗なのが好きらしいし、と言う理由で視界に入った宝石店に入ったのである。数分の逡巡はあったもののあっさりと給料三ヶ月以上のカラット数を持つ、淡い紫色のアメシストのペンダントをカードの一括払いして出てくる姿が其処にあった。お金を普段使わないからこそ、一瞬に出てゆく金額が高いタイプのシロノだからこそだろう。店員の方はそこらの少年程のシロノが店の中でも上位に入る金額のペンダントを指差し、一括で支払ってしまった事に対して内心あんぐりと口を開いていたが、他の店員が「あの子、確か最少年執務官の一人よね」と言う発言から何となくだが納得してしまった。そして、次に入店してきた同年代程の少年が難しい顔をしながら安めのペンダントを買っていったのを見て、漸く先程の出来事がとんでもない光景だった事を察したのであった。

 そんな事があったとは知らずにシロノはS2Uに収納し、その場を去って何となくではあるが公園へと足を向けていた。此処の所外に居る時は公園であったが故に、ふとした気分で公園に寄りたくなってしまったのである。そうして、眺めの良いベンチに座り、空を見上げる。何気無い何時も通りの行動である筈なのに、其処から見える景色は同じ空では無く似たような空でしか感じられなかった。何時の間にか、シロノにとっての空は海鳴市にある自然公園のベンチから見える風景になってしまっていたようで、無意識にあの場所で見上げる空を気に入っていたのだと理解してしまった。

 

「……なんでだろ。何か、違う気がする……」

「――ほぅ? それは如何言った風に?」

「何と言うか……、同じ空なのに、此れじゃないって感じが……って、ん?」

 

 長い間座ってぼんやりと空を眺めていたからか、隣に座っていた男性の問いかけについ答えてしまった。シロノは少し驚いた様子で隣を見やれば、其処にはスーツの上に白衣を着た科学者然とした青年が座っており、肩まで掛かる程に伸びた紫色の髪と金色の瞳が印象的な人物であった。その雰囲気は自然体である筈なのに身構えてしまいそうになる程の胡散臭さを孕んでおり、祖先は化け狐でしたと言われたら成る程と納得してしまえそうな印象を感じ取った。

 シロノの様子に白衣の青年はすまなそうに苦笑めいた笑みを浮かべてから名刺を差し出した。其処にはシロノでも知っている薬学品メーカーの研究員と言う肩書きを添えたグラン・ツアラーと言う名前が書かれており、電話番号もその隣に書いてあった。どうも、とそれを受け取り一瞥したシロノは懐のポケットに仕舞い込む。名刺を渡し返す事はしないのは、そもそも名刺で遣り取りをする様な職種では無い事と悪用されては困ると言う理由から持ち歩いていないためである。

 

「ああ、失礼。いや、私もこの場所から空を眺めるのが好きでして。今日もふらりと来て見れば先客が居たものですから、この機会にお話でも、と」

「そうでしたか。すみません、場所を占領してしまったみたいで」

「いえいえ、此処での眺めは他のベンチよりも絶景ですから、貴方の様に違いが分かる人は必ず此処を選ぶでしょう。それよりも、同じ空なのに違う感じがする、と言うのは如何言った気分なのでしょうか? 少し、気になってしまいましてね」

「ああ、その事ですか。いえ、()もこうして空を眺めるのは最近の事でして、暇を潰すためにこうしてベンチから空を眺める事が日課めいた事になってしまっていたんですよ。それで、久方にミッドへ戻ってきて暇を持て余し、こうして空を眺めてたんですよ」

「成る程、けれどミッドから見える空も他の地方から見える空も同じでは?」

「ああ、違います違います。別の次元世界に居たんです」

「……ふむ、成り方が違う世界の空は、同じ空と言う概念であっても何処か差異を感じる、と」

「そんなところでしょうかね。同じ林檎でも、外見は似ていてもその質までもは全て同じって訳じゃないですし、見る場所は違えど見る物は同じなのに別物感を感じてしまったんです。……()が見たかった空はこれじゃない、って」

「……成る程、興味深い考察ですね。私は此処から見る空から知りませんでしたので、ふむ、他の世界に空を見に出かけてみるのも良さそうですね」

「あはは、そうかもしれませんね」

「「でも、結局空を見て終わるのだけど」」

 

 口を揃えて同じ事を言った二人の顔に笑みが浮かぶ。初めはその胡散臭げな雰囲気から気を許していなかったシロノだったが、こうして話が弾むのは楽しいし、何よりもクロノ以外の同姓と此処まで気が合うようなお喋りが出来た事に驚きを感じる程であった。

 

「……僕の名前はシロノ・ハーヴェイと言います。宜しければ、またお話しませんか?」

「おお! それは良いですね。私としても執務官の話と言うのは興味があります」

「あんまり良い話ばかりでは無いですよ。でも、まぁ……守秘義務部分を抜いた程度の話で良ければ」

「ええ、是非! 先程渡した名刺を一度返して貰えますか?」

「え? ああ、はい」

「ありがとうございます、……よし、では、裏側に記したのが個人の番号ですので、お暇があればお掛けください。もしかすると同居人が出るかも知れませんが、その時は折り返しますので」

「分かりました。それでしたら……、此れが個人の番号です。あまり暇は無いかもしれませんが、夜……、いや、此方では昼かな。其れぐらいの時間帯であれば出れると思いますので」

「おお、そうですか。しかし、其れ程時間がずれるなんて遠い次元でのお仕事をしているんですね」

「ええ、でも、……知り得て良かった、と思う事もありましたので、今は楽しいです」

「それは……、羨ましい事だ。私も念願のために日夜研究の日々ですから、どうも出不精気味なんですよね」

「こうして、此処で空を眺めるのに留まってしまうからですね?」

「ははは! ご名答です、精々が散歩程度でしょうからね。……っと、そろそろ昼休憩が終わる頃ですので、失礼しますね」

「そうでしたか、では、またこうして会えると良いですね」

 

 そう立ち上がったグランへシロノは問い掛けた。ふっと瞑目した後、グランはシロノの顔を見てシニカルに笑った。

 

「ああ、必ず(・・)出会う事だろうね。では」

 

 それは、何かを企んでいる科学者の様な表情であり、何処かマッドめいた狂気さを垣間見れる笑みであった。けれど、シロノはそれが彼の持ち味なのだろうと受け止め、彼の印象がその様なものだと改まった程度であった。背を向けて歩いて行くグランを見送ったシロノは時間を確認して首を傾げた。昼休憩が終わる時間にしては、午後三時と言う時間はあまりにも長過ぎると思えたからだ。この公園に来たのが大体一時半前後だったなぁと思いつつも、研究員内でのローテーションでの休憩かも知れないとシロノは疑問を其処で切った。





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