リリカルハートR~群青色の紫苑~   作:不落閣下

19 / 23
19 静けさに隠れた変化

 久方振りのミッドチルダの喧騒は何処か新鮮だった。シロノは見慣れていた筈の風景を遠目に見やり、白い息を霧散させながら冷え切った夕暮れの風を肩で斬り捨てて行く。その足取りは何処か軽やかであり、交通事情を網羅した上での最短ルートと言う彼らしい気質はあるものの、雰囲気は何処か違って見えた。それは海鳴での暮らしで培った人との遣り取りにより生じた心の成長が表に出たためだろう。そのためかシロノを見る視線が困惑の色に染まっている者も居た。その殆どは陸の局員では無い海側の局員たち。普段の冷たい氷の刃めいた雰囲気ではなく、柔らかい印象を受けたための戸惑いだった。正義の象徴とまで詠われたミッドチルダを守護する陸の本山たる地上本部を見上げて、何処か懐かしい気分で歩いて行く。数ヶ月振りだと言うのに地上本部のその空へと届かんばかりの威光を主張する様な雰囲気は相変わらずのままで思わず苦笑する。その笑みはやはり表情筋が柔らかくなっているからか何処か優しさを感じるものであり、この場に彼を知る誰かが居れば「……え?」と唖然として下顎を落す事間違い無かった。

 

(久し振り、って気分だったけども、やっぱり此処が一番落ち着くな……)

 

 受付に自身の局員証を見せてから自身の部屋もとい仕事場である執務官室に辿り着いたシロノは持っていた手荷物などを一度下ろしてから、アポイントの時間まで暫く程時間がある事を時計で確認した。ふぅと一息を付いて数ヶ月の自分の椅子へと座る。そこから見える光景は何処か寂しく見え、そんな風に思った事も無かったシロノは静かに驚いた。海鳴では常に誰かが隣に居た。居候と言う立場でハラオウン家にはクロノたちが、外では高確率で出会うすずかの姿が。そう考えるのと同時にシロノは微笑みを溢した。

 

「……そっか、僕にとってあそこでの暮らしは案外楽しかったのか。失って気付く、と言うけれどもあながち間違っちゃいないようだね……」

 

 忍との一件で己の中に巣食っていた問題を意識できるようになったからか、自分にとって両親との別れはかなり重い物だったのだ、と認識できるようになっていた。それ故に、感傷に浸ると言った事を前向きに出来る様になり、一歩ずつ歩けているのだと言う確信にも繋がったのだろう。シロノは感慨深いと言った様子で瞑目し、天井を仰ぐ様にして背もたれに身を任せた。S2Uのアラート機能を立ち上げて、十数分程の仮眠を取り始めたシロノはとろとろと微睡みに誘われて意識を落した。それから数分後、シロノは耳に飛び込んできた力強いノック音に目を覚ます。中途半端な眠りになったからか、少々ながら不機嫌そうに目脂などを落して面会者に出向いた。

 横へスライドした扉によって露になったのは厳つい顔の大柄の男だった。けれど、シロノはその男に対して然程萎縮も驚きもせずに淡々とした様子で出迎えた。彼こそがこの地上本部を護る要たる首都防衛隊の長にしてシロノの保護者であるレジアス・ゲイズであった。もっとも、本来ならば後数時間程後に面会する予定であったのだが、どうした事か執務官室に直々に出向いて来ているのである。普段の、海鳴市へ滞在する前のシロノであったなら驚いて接していただろうが、今のシロノは何処か心の余裕が出来ているためか寝起きのぼんやりとした様子でしれっと接していた。その様子にレジアスが内心驚きを浮かべていたが、本題の方が重要だと気持ちを切り替える。

 

「確か、今の時間は予算会議に赴いている筈では?」

「ああ、年末の予算振るい落としに四苦八苦する、……程の予算が下りていれば、の話だ。既にカツカツな状況だと言うのに何処に落せば良いのだ。これもそれもあれも全て海の藻屑共が悪い……ッ! ……はぁ、兎も角、それは置いておけ。予算会議はさっさと終わってしまったのでな、スケジュールが前通しになった訳だ。……それに、無事に帰って来たお前の顔が見たくてな。くはは、何やら一皮向けた様な顔付きになったじゃないか。行く前とは大違いだ」

「そ、そこまで変わりましたか? 確かに少し変わったかな、とは思ってますが」

「……はぁ、本当にお前らは人の視線を気にしない性質だな……。あの冷徹執務官少年が爽やかになって帰って来ている、と言う噂が彼方此方で広がって一種のお祭り騒ぎだと言うのに……。まぁ良い、私としてもお前の成長はとても喜ばしい事だ。……だがな。流石にこれは強行軍過ぎやしないか?」

 

 そうレジアスは何処か呆れながらもぐったりとした顔でシロノが提出した作戦草案書を投影しモニターへ映した。その内容は闇の書事件と言う暗い話題を晴らすかの様な内容のものであり、何せ闇の書の主が好意的な管理外世界の一般人の少女であるのに関わらず善意的な様子で管理局と協力し、無人地帯の次元世界で万全な状態で封印作業に当たる、と言うもの。その過程にヴォルケンリッターらを嘱託魔導師扱いで犯罪者確保に当たる事。局員の前でリンカーコアから魔力蒐集行為を行なわせる事で此度の闇の書の主がクリーンな存在である事を証明する手札の一つに加えたばかりか、闇の書が過去に違法改造を受けて暴走している魔道書型デバイスであった事を公開し、全ての責任が闇の書自身にある事を市民に訴えかける手筈で八神はやてに対する風当たりを緩めると言う人道的な作戦となっている。

 尤も、その封印工程にシロノが相続した形で管理するイデアシードによる暴走プログラムを記憶と見立て引き抜くアプローチの物も混ざっているのがレジアスの目下の悩みの種であったのは言うまでも無い。ロストロギアであるイデアシードはシロノの父が公的な措置を取って所持していたものであり、それを形見として相続したと言う経緯があるため、公にして良い代物では無いのである。半ば黙認と言った扱いであり、本来ならば所持する事を却下するための声が上がるのをレジアスが直々に叩き潰したからこそ、この苦虫を潰した様な顔をしているのである。

 

「しかし、父さんはこれを使うと良いと僕に手渡しました。それも、命が途絶えるその数秒前に、です。きっと、父さんはこの使い方を闇の書と戦っている時に気付いたのでしょう。だから、既に手遅れだったために僕へこれを託した、そう僕は思っています」

「イデアシードは記憶を魔力結晶へと変換する機能を持つものだが、プログラム相手に効くか如何かは分からんだろう。どう爆発するか分からぬ爆弾のコードを切るための一つには不十分だ。仮に、成功したとしてもイデアシードの欠点は補うのは難しい。……だから、あくまでサブプランだ。メインプランは魔力ダメージによってプログラムを損傷させ、クラッシュさせたところを捕縛、アルカンシェルで核を滅すると言うプランで進めるのが条件だ。その他の手配は私がしておこう」

「…………しかし」

「これは命令だ。辞令書も後で送る、これを正式な作戦案とする。異論は認めん」

「分かり、ました……」

「……はぁ、だが、確りとサブプランの行使も考えておくように。万が一の保険はあった方が良かろう」

「え?」

「私もな、心の奥では思っているのだよ。ドパルが最後に残した可能性、と言う物に期待を、な。あいつとてお気楽に仕事をする様なワーカーホリックな奴ではあったが、その腕は確かで場での動きも素晴らしいものだった。そんなあいつが託したものだ。期待を捨てれんのだ。……この案は海の責任管理者であるグレアムにも通す様にしておく。シロノ、お前がどの様にしてドパルを越える男になるのか、それを楽しみにしているのだ。悩め、足掻け、抗え。そして、強く成長をしなさい。お前はまだ十四の子供だ。本来であれば出すべきでない人材だと言う事は分かっている。しかし、子供の手を借りないと腕を広げすぎた今の管理局は多くのものを取り溢してしまう様な有様だ。……私には産まれ付き魔法の資質は無かったが、こうして頂点に立つ事が出来た。危ない橋を渡るのはもはや当たり前で、石橋を叩かせる者たちには多大な迷惑を掛けた事を自負している。だが、私にはこの管理局を見捨てる事はできなかった。正義であれ、そう高らかに叫ぶ頃の輝きを知っているが故に、な。シロノ、例え何があろうとも必死に食い縛り続ければ、やがて憎い面を真正面から殴れる日が来るのだ。私が此処に居て、首都防衛隊の代表であるのが何よりの証拠だ。ドパルも言っていた。滾る闘志は自らを糧にしてこそ生じるのだ、と。辛い時こそ立ち上がり、一歩を踏み出さねばならぬ時がある、と。……もう一度言うぞ、シロノ。生きて戻れ、それだけが私からの命令だ」

「……はい!」

「よし、良い返事だ」

 

 そうレジアスは微笑を浮かべ、シロノの頭を壊れ物を扱うかの様な具合で少々荒く撫でた。その無骨さから本心が伝わってくるような気がして、レジアスに父の雰囲気を重ねながらシロノはされるがままに撫でられていた。その様子はまるで孫と祖父の様な温かさであり、その場に娘であるオーリスが居れば居た堪れない様子で、その男同士の友情と言うものを見ていたに違いなかった。十秒もしないうちに手を離したレジアスは、これから更に忙しくなるであろう手続きの山を想像しつつもくつくつと笑みを浮かべていた。闇の書事件の悲劇を閉じてくれるに違いない、そう思える程にレジアスはシロノに期待をしていた。十四の少年と侮ってはならないと、今のシロノから感じる力強い意志は在りし日のドパルを彷彿させる気配であった。あの馬鹿の意思はきちんと受け継がれたらしい、そうレジアスは内心で呟いてからその場を去った。

 ――静かに扉が閉まる音が響く。まるで、開かずの扉が開かれたかのような静けさを残して。

 

「……さて、と。やる事はやった、後は打つべき箇所に的確に撃ち抜くだけ。僕は、復讐鬼じゃない。父さんの意思を本当の意味で継ぐなら……」

 

 表情を一転させ、シロノは冷静な面持ちで閉まって行く扉を一瞥した。今まで塞き止めてしまっていた感情が荒療治ながら解き放たれた事によって、シロノは脅迫概念めいた母からの期待で思考を止めてしまう事が無くなった。加えて、すずかの血と言う新たな発破の影響によっていつもよりも頭の回転数がギアを変えたかの様に速まって行く。静かにそう、誰も見ていない場所でシロノは、人の道を一歩踏み外した。その一歩は、本来二つから四つが限度であるマルチタスクと呼ばれる平行並列思考に影響を与え、二つ、四つ、八つ、十六と倍々に思考が加速してゆく。

 闇の書を破壊し滅ぼす事――否。

 復讐を成して自己満足の海に溺れる事――否。

 父の意思を継ぐ事では無い――否、とは言いきれない、保留。

 父の意思を受け止めた上で、自分の意思を貫く事――、肯定。

 自分の意思を実行する事――肯定。では、自分の意思とは何か。

 闇の書への復讐を望んでいるか――否。

 ヴォルケンリッターのシグナムへの復讐か――否。

 過去は既に過去、未来に過去を結びつける事こそが復讐の定義であり、負の連鎖である――肯定。

 ならば、その鎖を断ち切る断裁の刃であるべきか――肯定。

 それは何故か――未回答。

 それは何故か――解析中。

 ――瞬間、数万通りの回答が脳裏を蹂躙し、思考がフリーズした。

 

「――はっ、はぁっ、はぁっ、今、僕は、何を……?」

 

 幾多に分裂し構築され洗練されたマルチタスク。それは、過ぎたる科学が魔法と称される様な一次元ズレた様な感覚を齎した。加速し過ぎた思考は人と言うスペックに対し悪影響を及ぼした。一秒が十秒に伸ばされたかのように知覚したかと思えば、樹形図の様に幾多の回答を自己と言うフィルターを通した回答が並べ立てられ、圧迫面接の時の様な回答不可の状態を齎す程の負荷が一瞬にして起きたのだった。瞬きの内に段々と頭痛が治まって行き、クリアな思考が理性と言う自己に放り投げられたかの様に取り戻す。シロノは突然金槌で殴られたかのような感覚を覚えた。それは、理性が試合終了のゴングを鳴らしたかの様な強制的な終了。人に過ぎる技術を、知覚を得てしまった事に対する戸惑いは、自身のアイデンティティを揺るがす。人と言う足場が揺れてしまったかの様な気分で、シロノは瞑目してから意識的に落ち着くために溜息を吐いた。

 それは、耐え難い暑さを暑いと口にする事で発散するかの様な行動であり、幾分かの溜飲が下がる思いで心を落ち着かせてゆくには十分な行動だった。まるで、冷や水を打ったかの様な冷たさが正気を取り戻させる。

 シロノは、自身に起きた出来事を一つずつ整理する様に飲み込んでゆく。自問自答程度の速度だった考えは、何時の間にかOSのプログラミングの様な速度を持ってして羅列して流れて行き、最終的には全てと繋がったかの様な全能感と共に膨大過ぎる回答によって理性が押し潰された。それにより、ブルーモニターの如く思考にストップが掛かり、再起動めいた感覚で現実に返されたのだ。

 シロノのマルチタスクは優秀な分類に入るため、この歳で四つ保有していた。マルチタスクとは平行並列思考と称される様に、同時に他の事を考える事ができる技術を指す。これをデバイスなどと絡めるとイメージトレーニングに感覚などを加算し効率が良くなる。この場合は、メインとなる一つ目のタスクを外の思考とし、サブとなる二つ目のタスクにデバイスが三つ目のタスクとなって加わって内の思考となって、外と内の計二種の事を同時に考える事が出来る。これは、なのはが授業を受けながら、レイジングハートのサポートでイメージトレーニングによる戦闘訓練をしていた事と同じだ。外が授業、内が戦闘訓練、と言った具合にマルチタスクは稼動していたのだ。

 けれど、シロノのマルチタスクは、全てがメインだったのだ。本来なら分割し、裏表になるべきそれが一箇所で同時に行なわれた事により、思考のフリーズが起きてしまったのだった。勿論ながら、夜の一族の血、それも濃い血がマルチタスクと言うものを一段階上のナニカに押し上げてしまったのが原因である。それは、まるでマルチタスク毎にインテリジェンスデバイスのAIを組み込んだかの様な暴挙だった。時間が無い事の焦りが心内に波紋を作ってしまった事により、血によって改変されたシロノの身体は、速く考えるための進化へ手を伸ばしてしまったのだ。尤も、意識が飛びかける程のフィードバックがあった事で、伸ばされた手は戻ってしまったのは幸いな事だろう。一歩間違えれば廃人になりかねない領域に精神が伸ばした手を振り払った、それはまだシロノが人間でありたいと無意識に願った結果でもあった。

 すずかから輸送された血は、少しずつ、シロノのナニカを侵食しているようであった。

 けれど、それに行き当たる事はシロノはできなかった。それは無意識下での、水面下での出来事であるからだ。こうした行き過ぎた弊害の発露によって気付くチャンスはあれど、それが直接繋がると肯定するには理性が否定する。故に、シロノはぼんやりとしてしまった、と再認識する事で精神の安定を図り、少し考え過ぎてしまって疲れが表に出てしまったのだろう、と強引に思考を閉じ込めた。

 もしかして回線通話で事足りたんじゃ、と言う肩透かしな気分に陥りかけたシロノは顔を振って霧散させる。何せ、此処に戻って来たのはレジアスと先程交わした内容であり、案件を渋るであろうと考えていたために持ってきた資料は全て無用と化した。後は、現場に戻ってシグナムからの連絡を待つしか無いのである。シロノ側から接触するのは武力行使めいていて、彼女らに悪い印象を与えかねない。確かな手応えがあったが故に、シロノは待ち惚けするしかする事が無くなってしまったのだった。

 

「……珈琲でも、飲もうかな……」

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。