先程までシロノの腕の中で静かに泣いていたすずかも次第に調子を取り戻し、えへへとはにかむ笑みを浮かべて自分の椅子に座り直した。立ち直したと判断したシロノは腕を離し同じくして自分の椅子へと戻る。横目でダイニングの時計を見た所十数分も続けていたらしく、朝食の場はもう終わっているため問題は無いだろうと言った様子で対面を見やれば、何時の間にか忍と恭也は居なくなっていた。どうやら二人だけの世界に入っていた時に退席したようだった。
(……申し訳無い事をしたかな? 此方の学校に通っている訳ではない僕と冬休みらしいすずかは兎も角、大学とやらに行っている二人はまだ学業期間中かもしれないし……)
そう一人内心で言ちたシロノの表情からそれを察したのだろう、何処か呆れた雰囲気も垣間見れる様子でノエルは口を開いた。
「……その、すずかお嬢様とシロノ様に当てられたのか、忍お嬢様と恭也様は数分程前に退席し、寝室へとお戻りになられました。ですので、今後の予定は此方からはありませんので、……と言うよりも精神衛生状酷な展開に成り得ますので、一度お戻りになられる事をお勧め致します」
「当てられた? ……………………?」
「…………いえ、お分かりになられなくても良い類のものですので、どうぞ御流しくださいませ」
「そ、そうですか。なら、一度家に戻ろうと思います。やるべき事もありますので」
「あ、シロノさん……、帰っちゃうんです、か……」
「ごめんね。一応この町にはお仕事で来てる身だからってのもあるんだけど、ちょっと、切羽詰っている状態でもあるんだ。だから、一通りの事を済ませたらまた会いに来るから、ね?」
玩具を強請る子供を優しく諭す様な口調ですずかのご機嫌を窺ったシロノを見てすずかはふと思う、やっぱり自分はまだ子供としか見られていないのだと。それはまだ二人の間で確かな絆も経験も遣り取りも無い、転々とした逢瀬での場でしか接せてない事を意味していた。だから、今のすずかは自己評価として『告白をしてくれたおませで吸血鬼な女の子』でしか無い事を悟った。
(
聡明であるすずかとて恋愛は範囲外で恋愛一年生だ。昨夜の事を加味しても夜の一族的雰囲気に流された様なものであり、実際のすずかの意思と呼ぶには自分的にも納得がいっていないのである。よって、今の素面である状態で何かを行なう事こそがシロノ攻略の鍵になると、幼いながらもすずかの恋愛感は叫んでいるのであった。愛しの彼に送り出す言葉以外の何か出切る事と言えば、と聡明な頭をフル回転させて一つのシチュエーションをすずかは思い出す事ができた。
(いってらっしゃいのちゅー……ッ! これだ……ッ!!)
そう、それはすずかの憧れを書き留めた乙女ノートのランキング上位に載っているものであり、新婚生活を前提としたシチュエーション故に遠縁であると思っていたものだった。けれど、説得のためかシロノは今前に体を倒して顔を近付かせている状態である。ここでしてしまおうと思ったすずかの脳裏に稲妻が走る。本当にこの場面でしちゃっても良いのか、と。本来のシチュエーションは玄関口でやるべきものだ。または家事が手放せないと言う状況であればリビングで済ませてしまう場面でもあるが、どう考えても椅子に座って対面してる状態でやるものでは無いだろう。
すずかは表情だけ不貞腐れながらも椅子から下りて、シロノに向かい合った。
「はい。シロノさんにだってしなきゃいけない事沢山あると思いますし、何より束縛はしたくないです。わたしたちの事を受け入れてくれたシロノさんだからこそ、対等で居たいんです」
「……そっか、少し子供扱いし過ぎたかな。ごめんね。少しだけ、そう少しだけ僕も距離感が分かってないのかもしれない。そもそも僕は一人の時間が多かったからね。身内以外の人と喋る事なんて仕事の話ぐらいしかなかったから……」
「シロノさん……」
「だから、今みたいに教えてくれると嬉しいかな。僕も、できるだけ対等の目で見たいと思うから」
「……はい。約束、ですよ?」
「……うん。約束するよ」
そう小指を差し出したすずかに対し指切りげんまんを知らないシロノは首を傾げたが、同じくして右手の小指を差し出した事でそれは氷解する事となる。きゅっと小さくも柔らかい小指が絡まり、約束を交わした。
「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本のーます、指切った」
「えっと……すずか?」
「あ、えっと、これは指切りげんまんと言って約束事をする時にするものなんです」
「そうなんだ……。……あはは、針を千本飲まされるのは嫌だから確りと守るよ」
そうほんわりとした雰囲気で二人は微笑み合う。遠目で見ていたノエルとファリンは同じ事を考えていた。この二人も主人たちと同じ匂いがする、と。早くも再展開された甘い空間から目を逸らしつつも小さく溜息を吐いた。結局の所再び十数分程見詰め合っていた二人だったが、はっとした様子で何処か気まずさを覚えながら立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ行くね」
「あ、お見送りさせてください」
「ふふ、ありがとね」
「いいえ、わたしがお見送りしたいからですから」
そうにこやかに笑い合う二人の背をそっと追いかける二人のメイドはやれやれと思いつつもその顔は晴れやかな笑みを浮かべていた。
「……可愛らしい新婚さんですね」
「そうですねぇ、いいなぁお嬢様たちみたいに良い人と出会って……」
「…………ファリン? 私たちが自動人形である事を忘れてないでしょうね……?」
「お、お二人もう行っちゃいますよ! 早く追わないと!」
「……はぁ」
ノエルはそそくさと歩いて行ったファリンの背をじっとりと見つめつつ、溜息を吐いて玄関口に居るであろう二人を見送れる時間を作れる程度に足を速めた。ノエルとファリンは忍が月村家当主として成った頃、親しい親戚である綺堂さくらの倉庫で死蔵されていたのを貰い受け、修理されたエーディリヒ式自動人形である。元々が人よりも長い時を生きる夜の一族の慰めになればと言う思いで作られた精巧な人形であり、恋人は兎も角その存在を表立って知られてはならない立場にある。眉唾な稀少性のある人形であると欲しがったり、動いて感情めいた表情を作れる人形であると恐れてしまう事がきっとあるだろう。現に夜の一族関係で彼女らの情報が漏れた際にはそれなりの事件があったくらいだった。それほどに彼女たちの存在は稀有にして、類稀なる異常なのである。それ故に人として異常である夜の一族にとって大事な存在になるのも時間の問題であった。と、言っても最初から家族として接しているため、些細な問題なのだが。そのため、外部に恋人を作るリスクは月村家にも関わってくる、それ故にノエルはファリンを窘めたのであった。
「それじゃ、行って来るね。次、会える日は……ごめん、予定が入りそうな案件だからまだ分からないけど、スケジュールが組めるくらいに纏まったら連絡をするから」
「……はい。あ! シロノさん、少し屈んでくれますか?」
「ん? いったいなにか…………な?」
「えへへ、いってらっしゃい、シロノさん!」
言う通りに膝を屈めたシロノの唇にちゅっと小さくもハリのある唇が触れた。唐突の出来事に、と言うよりもファーストキスをさり気無く奪われた事に対する戸惑いを隠せずに居た。やはり恥ずかしいのか頬を真っ赤に染めながらも、暫しの別れの土産として満面の笑みを浮かばせたすずかにシロノは「……うん、いってきます」と素で答えてから玄関口から出て行った。そして、お互いに触れた唇に掌を当てて、片や幸せそうに片や困惑と戸惑いに思いを馳せた姿が数メートル先で見られた事だろう。
「……ううん、近所の子に好かれたとか、ってレベルじゃないんだろうなぁ……」
勇気を出したすずかの策が成ったからか、シロノは少しだけすずかの告白の本気度に対する見解を改めながらハラオウン家への帰路へついた。他人とのかかわりが薄かったシロノでも女の子とは言え女性の唇が軽いものではないと認識できていたのが幸いしてか、そんな大事なものを恥ずかしながらとは言え気になっている程度の男にできるものだろうかと言う考えから、シロノは大分すずかに好かれていると言う自覚を持てた。尤も、既に好きのメーターが振り切っているだなんて事は知る由も無いが。
「と、兎も角、今は漸く取り付けられた事を消化しなくちゃな……」
そうシロノは周りから不自然な違和感を覚えぬよう簡易的な認識阻害結界を張り、空中投影したモニターによって先日の件を纏め上げ、マンションに辿り着く頃には報告メールとしてレジアスへと送信し終えていた。内容は三件。一つは闇の書の在り処が分かった事とその主についての考察及び見解における現状報告、一つは主であろう八神はやての善人的な雰囲気とヴォルケンリッターらと話し合う余地がある事からの相談の日程、最後にヴォルケンリッターへと伝えるシロノの案を決算レベルの出来で纏め上げた草案、であった。
エレベーターによって上がって行く微妙な浮遊感の中、シロノは色々の前準備のための考えをマルチタスク的に纏めつつ、現状の、両親の仇を討てる環境に居る事について溜息を吐いた。シロノの根幹では父の様に成る事を確定事項として動いている。それに付属するようにして母親との一件と共に
(……僕は、闇の書をこの世から消してやりたい、そう思っていた。けど、すずかとそう年齢の変わらない八神はやてが主と知った時、父の仇であろうシグナムのあの表情を知った時……。感情を必死で抑えようとしていたのもあって考えない様にしていたけれど。……彼女たちにも生活があったんだ。僕がこうして独りになったのも、八神はやてにヴォルケンリッターと言う親しき者が出来たのも、全ては闇の書の存在があったからだ。失うモノがあれば、得るモノもある。それは、当たり前な事だ。けど……)
シロノの脳裏に浮かぶのは厳しい鍛錬の後に笑って褒めてくれた偉大な父の笑顔。そして、その隣にはシロノの成長を自分の事の様に喜びながらも何処か暗い笑みをしていた母の顔が浮かんでいた。やがて、父の笑顔から生気を失い血によって塗れ、母の顔から生気を失って青褪めて行く光景へと至り、付けたばかりのマッチの様に二人の顔は黒い炎によって燃えて無くなった。
(……どうして、僕がこんな目に遭わなくちゃいけなかったんだろう。どうして、八神はやては幸せになり、僕は不幸な目に遭わなくてはならなかったんだろう……。……父さんなら、きっと「なら、それ以上の幸せを見つけて不幸って奴をぶん殴ってやりゃあいいさ!」と苦笑いで言うんだろうな……)
どうしても、喉元に突き刺さった小骨の様な違和感を拭えないシロノはそう苦笑してから、ぽつりと溜息を吐いた。人生ままならない事が起きる事は知っているが、未だ十四と言う若い年齢のシロノはそれを飲み込み切れなかった。何処か煙たげな、何かを追い払え切れていない様な気分でシロノはハラオウン家の扉を開く合鍵を取り出して使用した。かちゃりと回った音を聞き終えたシロノはノブを回す。が、がちゃりと音を立ててシロノの出入りを拒絶した。
「……ん? あれ、もしかして開いてたのかな」
もう一度鍵を差し込み直してみれば、あっさりと扉は開いてシロノを迎えた。先程までの思考が霧散したシロノは首を傾げつつも、中へ入り「ただいま」と自然に口にした。そして、玄関口で目を見開いた状態で固まっているクロノとその腕を引っ張りながらもシロノを見て「あら」と言う表情をするエイミィの姿があった。二人とも普段の格好よりも少しお洒落なものであり、時間が朝方と言うのもあってか何処か張り切っている様子がエイミィからは見て取れた。
「し、シロノ!? いや、今はチャンスか……。シロノ一緒に――んぐっ」
「はーい、シロノ。朝帰りだなんてやるねー、このこのぉっ」
「……ん、ああ、夜遅いからって理由でお世話になってね。ああ、それと……、いや、今はいいか。帰ってから伝えるよ。楽しんでおいで」
「い、いや! シロノこれはだな――ぐぬっ」
「うん! ちょっと息抜きに出かけてくるから! それじゃ、後よろしくね!」
「ああ、いってらっしゃい」
「んぐーっ! んぐぐっ!」
エイミィに確りと口元を押さえつけられて逃げ場を失ったクロノを敢えて視線から外したシロノは、片や楽しそうに片や嫌そうに出て行くのを片手を振って見送った。現状的には
原因をシロノは気付かなかったが、この件を忍か恭也に話していたならば即座に答えが出た事であろう。そう、すずかの眷属の立ち位置にあるシロノの身体能力が底上げされたのは勿論の事、その治癒力も跳ね上がっていたのである。残り二週間は残るであろう違和感すらも消し去る程に上がった治癒力は正に吸血鬼のそれであるのだが、吸血鬼やヴァンパイアと言うものを良く知らないシロノは気付く事ができなかった。精々が調子が良いな程度である。自身の身体を健康面以外では疎かにしていたシロノに与えてはならないものの一つであったのは間違いなかった。腹部の傷が無くなった事で自分も戦力の一つとして考えられるようになったからか、張り詰めている二人に休養として息抜きさせるのも仕事の内だろうと考えた結果、この見送りであった。
「……あ、リンディさん、今戻りました」
「あら、おはよう、かしらね。そして、おかえりなさいシロノ君、楽しかったかしら?」
「ええ、まぁ……、他の人の家に泊まる経験は初めてでしたからそれなりに、ですかね。比較対象が無いので普通だったのかは分かりませんが……」
「ふーん? それにしては、何処か浮かれているように見えるわよ? よっぽど楽しい事があったのね」
「……へ? そう、見えますか? うーん……、まぁ、それは置いておいて――事態が動くかもしれません」
「……何ですって?」
先程までのアットホームな雰囲気は霧散し、変わりに凍て付いたような真剣みを帯びたものへと移り変わる。何せ、最年少執務官の片割れと優れた手腕を振るって現役の艦長と言う立場にあるエリートの二人である。経験の差はあれどその気質は似た寄ったものであり、気の抜けた時は明らかに抜けている二人ではあるが、仕事の時の側面では真面目な二人でもある。もっとも、お互いに社会に適合するための仮面を被っている節があるため、明らかな素を知る者は身内のみに収束されるが、その実シロノは堅物の冷血漢めいた印象で知られていたりもする程だ。
「先日、闇の書の主と思われる人物と接触できました」
「……っ」
「先ず、認識の違いを訂正するために、幾つか伝えねばならない前提条件の提示をするべきでしょう。……一つ、今代の闇の書の主は紛れも無い一般人にして、ここ管理外世界である地球の出身者です」
「彼らのテリトリー範囲に近いだとは思っていたけれど……、そう、確かになのはさんの例もあるもの。有り得て不思議では無い、かしらね」
「続けます。二つ、ヴォルケンリッターは主の意向によってその性質……、いや此処では性格と言い換えましょうか。性格を主の意向によって変化があるようです。僕が出会った際、シグナムは柔和な態度且つ慈愛のある表情ができる程に感情を持っており、更にはこの度の件がヴォルケンリッターの独断である事までを話してくれました。……今回の件、穏便に収めれるかもしれません」
「……え、ええと、つまり、ばったり会ったの? その傷を作った本人と?」
「ええ、公園ですずかと空を見ていた時に主を連れて」
「あ、頭痛くなってきたわ。何で総員出撃で探索した時に見つからないで非戦闘状態のシロノ君と出会ってるのよ……。しかもしれっと惚気られた気がするわ」
「……? 続けますね? 三つ、今代の闇の書の主は十歳程度の女の子で、どうやらあちらで何やら問題が発生している様子でそれに取り掛かっている事が今回の事件の顛末の様です。なので、僕のアドレスを教えて後日会える様な場を作るよう求めました。もしかすると、数日後に出向する可能性がありますが、その際は準備だけで留めてください。包囲して捕縛だなんて事は不義理でナンセンスです。……確か、ベルカ古事にも、平和の使者は戦う槍持たず、と言う逸話があった筈ですので、あちらに合わせた方法で会うべきでしょうから」
「……そ、そう……。ええと、取り敢えず、捜索隊は下げても良さそうね……。はぁ、ここ数ヶ月の頑張りが無駄になった気がするわ……」
「は、はぁ……」
リビングのソファに項垂れるようにして崩れ落ちたリンディの顔色は明らかに落胆めいたがっくりとした様子であり、対面していたシロノにも分かるくらいの落ち込みようであった。無理も無い。艦長としての意地と亡き夫への思い、そして降りかかるであろう息子と夫の妹の息子への災厄を振り払おうと全力で取り掛かっていたリンディだ。それらの思惑と擦れ違うようにして、あっさりとこうも進展があると泣けてくる思いなのであった。何やら落ち込んでいると察した程度で首を傾げているシロノはふと思う。そう言えば忍からの尋問中にすずかとはやては知り合いだったな、と言う事を思い出した。
(……あれ、もしかして重要なキーワード全部拾えてる状態、なのか?)
闇の書の主が既に判明。しかも詳細付き且つ人成りを知っている知人も居る。
ヴォルケンリッターらの変化と差異も何となく察しており、その原因が今代の主である八神はやてにあるのだろうと言う推測も出来ている。いざとなれば場所の特定もできるであろう状態で、更にあちらと渡りを付ける算段も出来ていると言う数え役満状態であった。加えて言えば既にレジアスに連絡をしているので、今後の展開もそれとなく動かせる状態であるのも利点の一つであろう。
つまり、やろうと思えば包囲網を構築し圧殺めいた短期決戦及び長期戦の構えで、更には陸からの応援によって封殺できる状態なのである。けれど、それでは彼女たちにあんまりにも理不尽過ぎる展開となり、過去の罪以外に重罪と呼べるような出来事を起こしていないのもあってシロノとしては少し腑に落ちない。闇の書への憎悪を加味しなければ、ではあるが。まだ彼女たちの罪状は魔法生物保護法違反並びに管理局員への暴行罪、そして違法ロストロギアの所有のみ、である。また、違法ロストロギアの所有については魔法社会に通ずる者が違法と知っていて所持する事を指すため、管理外魔法世界出身者にしてそれらを知らないであろう八神はやてには適用されない。一応、ヴォルケンリッターらに対して、それが付属している様なものである。
「……此度の件の方針ですが、ヴォルケンリッターらに情状酌量の余地ありとし、彼女らに救いの手を差し伸べたいと僕は思っています」
「両親の仇、でしょうに」
「…………貴方は管理局員の一人でしょう。事件に私情を挟むだなんて愚行はしない事だ」
(……それに、記憶の無い彼女を本当に仇として良いのか、まだ分からない)
「けれど、一般人である八神はやてをこのまま闇の書の主と言う偏見のみで当たるのは筋違いと思っています。彼女は言うなれば被害者でもある立場です。頭ごなしに仇だからだとか、闇の書の主だとか、と言う
「……何で、貴方は……」
リンディは目を見開いて驚愕していた。アレほどまでに闇の書に対して憎悪を抱いていたであろうシロノの言い分に、だ。その冷た過ぎる瞳は十四の少年がして良い目ではなく、彼の口から放たれた斬り捨てる様な口調は正しく冷静に立場を成す執務官の姿だった。今の管理局はこのような子を作ってしまうような環境でもあるのか、そうリンディは自分たち大人の業の深さを思い知った。クロノをそのような環境から護っていたと言う立場もあるからか、庇護の無い環境ではこうなってしまう今の管理局の在り方に罪深さを感じたのだった。魔法社会構成の歯車のような、無機質めいたその在り方は人として成るにはあまりにも冷た過ぎる。けれど、その様な者でなければ荒波を越えれないのが今の陸の現状でもあった。それは、海と陸による派閥争いと言う醜いものから派生する問題の一つでもある。管理局全体の人員不足は陸と海の派閥争いも関係しているが、それよりもその多忙さと殉職率の高さからも成る問題だった。
「……リンディさん?」
「……え、ええ。……ごめんなさいね。少し、考える事があって、ね。シロノ君、今の管理局は……確かに冷たいわ。けどね、温かな場所も、あるのよ。だから――」
「――はい、師匠たちには大分お世話になりましたし、ちゃんと居場所はあるので」
「…………ああ、うん、ごめんなさいね。なんだろう、私疲れてるのかしら……」
先程の冷たい印象と打って変わったきょとんとした顔に歳相応の様子が見えて、リンディは頭痛がする頭を揉み解す様な素振りを取った。親子揃ってスイッチのオンオフが早すぎる、とリンディは溜息を吐きながら愚痴る。ドパルとは夫の妹であるアウディを通じて家族間の関わり、そして対立する立場で陸の英雄として知っている事は多岐に渡る。尤も、彼を印象付ける最大の理由はハーヴェイ家とハラオウン家との間で度々あった酒の席での印象が強かったりもする。そのため、ハイテンションな笑い話から転じて突然ドシリアスに仕事の事を語り始める姿は最初の頃は度肝抜かれる出来事で未だに印象深かったのであった。
故に、話の流れから行き着く先を語らせる前に先に述べるその姿は、懐かしい事にドパルに似ていると連想させるには十分な姿であった。子供は親に似る、と言う言葉をよーく思い知ったリンディだからこそげんなりせざるを得なかった。
「最近働き詰めでしたからね、十分に休養を取った方が仕事の効率も上がるでしょうし、話は一端置いて今日は休んでください」
「……そうね、そうさせて貰うわ。……はぁ、本当に貴方はドパルさんの息子さんなのね……」
「父は、僕の誇りですから」
そう頷いて笑みを浮かべたシロノの姿は何処か自慢気であり、確かに父親を慕って誇りに思っているのであろうと言う印象を抱くには十分なものだった。リンディは少し空回り感を覚えつつ、ああ確かにこの子はドパルさんの息子さんだわ、と内心で独り言ちた。誇るべき所は誇り、苦渋を隠して独りで背負うその姿は正しくドパルの息子であった。
「あ、先程の件は譲る気はありませんので、対立する案があるのであればお早めにお願いします。手間ですし」
その微笑みを交えた強かな一言を聞いて、「あ、でもやっぱりあの娘の血も入ってるわ」とシロノが彼らの子である事を強く再認識するリンディの姿があった。勿論ながら溜息の深さが更に深くなったのは言うまでも無い。自室へと戻って行くシロノの後姿をリンディは何処か疲れた顔で見送るのであった。厳格な立場で二人が遣り合っていれば確実にリンディが勝つであろうが、身内としてシロノを扱っているが故の弊害と言えよう。良くも悪くもリンディは甘いのであった。尤も、その甘さがアースラスタッフや仲間意識を作るのに役立っているので、ある意味持ち味とも言える点ではあるのだが。