リリカルハートR~群青色の紫苑~   作:不落閣下

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17 貴方と共に過ごすと言う事

 穏やかな朝と言うのはどういったものだろうか。人によっては、屋根があって雨風を凌げて未だに心臓が動いている状態で起きれた事を穏やかと称するかもしれない。他の一族の親戚に拉致された時の朝とは違い暖かく柔らかく、鳥たちの囀りが遠ざかるのを聞けるような静けさに包まれ、カーテンから漏れた朝日がベッドの中央を通り行き心地良い温かさを感じさせる。季節上少し肌寒いながらも近くにある温度のおかげで温もりを感じ、つい擦り寄ってしまう程に心地が良かった。

 そっと開かれた瞼は何処か気だるげで、ぼんやりと明瞭になって行く視界は何故か黒く染まっていた。小首を内心で傾げたすずかは段々と現状の把握を回転数を上げる脳で理解して行く。何処か嗅ぎ慣れてしまった不快感を感じない男性の逞しい匂いが近い位置、と言うよりも近過ぎる位置で香り、呼吸をする度に脳内を侵食するように広がって行く。背中に回された細身でありながら筋肉質な腕は掛け布団と間違える事は無いだろう。まるで再会のハグのような心地で抱き締められていると気付いた時にはもう、沸騰しそうな程に嬉しさから顔が熱くなるのを感じていた。静かな寝息が頭上から聞こえ、すずかはそれら全ての情報から同じベッドで寝ていたシロノに抱き枕宜しく抱き締められている事を悟ったのだった。

 

(え、あ、凄い……。わたし、今まで感じた事無いくらいに顔が赤いよぉ……。で、でもどうしてこうなって……、あ、そうだ、昨日シロノさんを寝室に招待してそのまま……。え、えっちな事はしてないけど、あぅぅ、何と言うかもう、幸せ過ぎて恥ずか死にそうだよぉ……)

 

 顔を真っ赤に染め上げたすずかはぐるぐると目を回しながら、無防備に曝け出されたシロノの身体を堪能する余裕を片隅に置いておきながらも戸惑いを見せていた。何せ、そもそも身体の親和性によって一族の観念から一目惚れ状態であったすずかである。手に入れたいと、触れ合いたいと、手を伸ばした結果が心までもすとんと恋に落ちたのもあって、胸奥から溢れ出るような情欲の感情の滾りを必死に抑え込んでいたのだ。少し見上げれば其処には首筋が見え、夜の一族である彼女にはその先に一定の間隔で通る血液の鼓動すらも見えていた。それが頚動脈と言う大きな血管であれば尚更に、すずかの眼が、鼻が、耳が、感覚が、其処に流れる異性(しろの)の血を求めてしまっていた。つま先を伸ばすかのような速度でゆっくりとすずかは小さな腕を首元に伸ばす。触れた時に思ったのは自分のそれとは違う感覚が返る肌の具合、寝汗からか少ししっとりしていても何処かさらりとした滑らかさがある。けれど、すずかが求めていたのはその先。とくんとくんと一定の速度で指先から感じる命の水の在り処。愛おしそうに優しく撫で上げたすずかの表情は喜色に恍惚と発情しており、何処かとろんとゆるんだ瞳は一心不乱に一箇所だけを見つめ通していた。

 五センチから三センチへと距離が迫り、小さな舌が覗いた口元からは鋭利な犬歯が、獲物を捕らえる蛇の如く見えていた。最初に触れたのは幼い故に短い可愛らしい舌だった。肩から首へと沿うラインの横合いから頚動脈のある部分を下から上へと舐め上げ、すずかは無意識に涎とは少し違った体液を塗り込んでいた。それは本来なら犬歯と呼ばれるべき生物的進化の名残の一つであるが、夜の一族たる彼女の犬歯は吸血に適した進化を施されている特別なものだ。吸血歯と呼ぶべきその歯の切っ先には小さな空洞が存在し、其処から先には二つの器官に繋がっている。一つは吸血管を通って吸い上げた血を消化する特殊な小器官、そして、もう一つは吸血を行なう蚊の様に相手に噛んだ事を気付かせない又は誤魔化してしまう痺れを感じさせる体液を作り出す器官である。それが伸ばされた舌の合図と共に分泌され、最初は舌のくすぐったさに身を少し捩っていたシロノの動きが止まる程に効果を発揮し始めた。尚、追記せねばならないのが発情(えっち)の際に分泌される体液の変化だろう。本来ならば噛んだ痛みを、正確には吸血歯が刺さった痛みを誤魔化すための使い方をされる体液なのだが、この時にはその効果に加え媚薬性を帯びていたのだ。よって、媚薬のホルモン的物質を含んだすずかの体液を肌を通して頚動脈から流し込まれたのと同意である状態に陥ったシロノは少し荒い呼吸をし始めた。もし、すずかがそっと片方の掌を彼の下腹部辺りに持ってゆけば自己主張する性欲の滾りを体言したそれと鉢合わせる事だろう。しかし、吸血にのみ意識を持っていかれていたすずかは幸いな事にそれに気付く事は無かった。

 

「ふふ、シロノさん……。すっごく美味しそう。ん、あぁ、んっ、あっはぁ……」

 

 ちゅぷりとなぞっていた部分にキスをした。一つ二つ三つと増えてゆく甘噛みめいた小さなバードキスを続けて行くすずかの理性はもうとろとろに溶けてしまっていて、背徳的で淫靡的な行いであるのに、アルコールに酔ってしまったかのような感覚でそれを続けて行く。忘れてはならないのはシロノに対し、睡眠薬などの類を盛っていない、と言う点だろう。持続して段々と激しくなってゆくすずかの求愛行動の刺激に次第と意識を突っつかれたシロノが目を覚ましてゆく。そして、先程まではシロノがすずかを抱き締めていたが、今度は逆にシロノがすずかに熱烈な様子で抱き締められていると言う構図へと移り変わっているからか、一瞬見間違えたかの様な気分で現実逃避めいた思考停止をしてしまった。首元にキスの嵐を降り注がせているすずかはそれに夢中なのかシロノが目を覚ましている事に気付いていないようだった。どうしたものかな、とシロノは行動を躊躇った。

 

(……そう言えば、寝る前にすずかから夜の一族って言う種族の事を教えて貰った、よな。確か、夜の一族は異性の血液を飲まないと拙い事になるって言ってたし……。異性の血ってのもネックだけど、そもそも血液を手に入れると言う時点で結構難しい筈。すると、この行動は血液が不足した際に起きる現象なのかな? そうだとすると……)

 

 首筋に感じるぷっくりとした柔らかい感触に気を取られていたが、朝であるが故の生理現象によって下半身におっ勃ている事に気づいたシロノは少し気まずさを覚えつつも、腕枕めいた状態になって伸びていた右腕を動かし、すずかの後頭部を優しく抱え込む形でそのまま首筋へと誘い込むように押し付けた。すずかが正気に戻っていたならばその行動で頭が冷水を被せられたかのようにはっとしてあたふたした事だろう。しかし、シロノの血に魅入られて本能に忠実であったすずかはきょとんとして固まってしまった。目の前の高級料理に手を出して良いのか、と言った戸惑いを覚えたのだった。けれど、シロノはそんなすずかに先を促すように髪を優しく撫で上げた。

 

「……僕のなんかで良ければ、召し上がれ」

 

 そんな言葉を優しい声色で囁かれたすずかの理性の鎖は完全に本能によって引き千切られ、まるで高級な肉を初めて口に持っていくかのようなゆっくりとした動作で――頚動脈に吸血歯が突き立てられた。鋭利な刃のようにゆっくりと突き刺さった切っ先から飲み物を飲んでゆくような感覚ですずかはその血を少しずつ吸血していった。時折小さく首がこくんと嚥下するように動きながらも、味わい深い食べ物を口にして夢中になっていると言った風に悦びで満たされて行く。その満足感がある一定のラインを超え、吸血鬼的な発情の波が一つ引いた瞬間、すずかの顔から悦楽の表情が引いて真っ青に青褪めて行く。そう、あるべき道へ進路変更されたかのような一瞬の出来事ですずかは本能によって理性を現実に放られたのである。突き刺さっている歯の切っ先から感じる命の鼓動がやけに生々しく感じてしまった。だからだろう、姉によって禁止とされていた異性への吸血行為を行なってしまった事にではなく、シロノに対しそれをやってしまったと言う常識的な理性によるぶん殴りを横合いからされて正気に戻ってしまったのだ。

 

「えっひょ、ひょの、しろのひゃんにひゃんてことを……」

「あはは、くすぐったいよすずか。取り敢えず引き抜いて貰ってもいいかな。その位置だとちょっとくすぐったいし、言葉が分かり辛いからね」

 

 ぷちゅりと言う艶かしい擬音を立てて引き抜かれた吸血歯の切っ先は確実に頚動脈に達していたため、そのまま抜いたならば確実に大惨事になる事間違い無しであった――が、抜けて行くその一瞬で穴が塞がって行き、表面部分に吸血の証と言わんばかりに残ってしまった二つの歯跡がくっきりと残っていた。触れば分かるが直りかけの窪みめいており、けれど出血の心配は無さそうと言う人体の不思議と言うべきか、夜の一族の特殊性に手を上げるべきかを迷うような証が其処にあった。

 拙い拙いと焦っているすずかとは正反対に何処か穏やかに微笑んでいるシロノ。二人の熱の差は明らかに媚薬成分の所為でもあるが、心理的な心の置き方も正反対の位置にあるように思えた。そう夜の一族の吸血には二種類あり、一つは食事としての吸血、もう一つは眷属を作るための吸血である。前者は吸うだけだが、後者は吸った分の補填として己の血を返す。夜の一族は異性の血が必要と言う欠点はあるものの、美形でありながら半不老の長寿を為す事が出来る種族であるため、その伴侶となる人物に対し、眷属として己の血を与える事で夜の一族の血を馴染ませて行く。そう、すずかが焦っているのは唐突に想い人の血を吸ってしまった事ではなく、先祖返りめいている程に濃い己の血をつい送ってしまった事に気付いたからだった。

 何処か頬を赤らめつつも冷静に居ると自身では思っているであろうシロノの脳内環境は、先程送り込まれたすずかの少量の血によって大戦争の真っ最中であった。血の薄い忍から与えられた恭也とは違い、血の濃いすずかから与えられたシロノは脳裏の片隅に置いてあるだけだった生存本能が大幅に底上げされており、愛おしいと思えるすずかをこのまま押し倒して子を成したいと言う生物的本能をマルチタスクによる理性軍の全面方位砲火によって撃沈させている現状であった。左手が無意識ながら爪が皮膚に突き刺さる程に硬く握り締められているのは良い証拠だろう。

 すずかがやらかしてしまったそれは、魅了(チャーム)と言う心理的に作用するものであった。夜の一族が全盛期と呼べる時代でその力を振るったのは大体がこの力の影響力が高かった事で、その美貌と叡智によって相まったのが根底にある程にこれは恐るべき性質だった。かつて、傾国の美女と称されるような人物らに魅了された者が居たように、今のシロノもまた難攻不落の城を内側と外側から落とされている現状なのである。

 そう、シロノは今媚薬成分による強制発情、香る甘い匂いの体臭による興奮効果、トドメとして血液中に混ざりこんだ血によってキマっているのに関わらず、鋼の精神とも呼べる理性によって押し留めているのである。因みに、すずかの年齢が自分よりも四歳くらいは下であろうと言う推測とその体の幼さによって、倫理的に拙いだろうと言う急ブレーキが決まったから持ちこたえられたのである。すずかが十四歳程であったならば、シロノとて男である自分の性欲に負けていたに違いなかった。それほどに今のシロノはすずかに対して魅了されていたのだ。尤も、その実を知らないのが恋しているすずかだと言うのがかなり皮肉な事だろう。

 

(ん、んー、んー……? 何だろう、体が火照ってるのはきっと夜の一族の体質によるものだろうけど……。どうしてか、凄くムラムラする。……流石にすずかに手を出すのはNGだ。モラルやら云々の前に人として落ちそうだし、何よりそんな雰囲気でも無いようだしね……)

 

 腕の中でわたわたと慌てまくっているすずかを見て心内環境の複雑さを客観的に見れた事が幸いしてか、魅了(チャーム)の影響が大幅に薄まったシロノは次第に理性が性欲を圧殺する形で冷静を取り戻す。何処か力が湧いてくる自身の体のポテンシャルに違和感を覚えながらも、シロノは取り合えずと言った具合にはにかんだ。

 

「おはよう、すずか」

「ひゃ、ひゃい……。おはようございますシロノさん……。…………それとごめんなさい」

「血の事かい? ああ、大丈夫だよ。僕ので良ければ喜んで提供するし、それが盟友の誓いと言うモノなんだろう? 僕としても仲良くなれたすずかをその程度の事で嫌う事は無いから。何よりもそう言う種族もあるんだなぁとしか思ってないから安心して欲しいかな」

「あぅ……、えっと、その、ですね……」

「大丈夫。こんなに魅力的な君を嫌うだなんて、怖がるだなんて、僕はしないから」

「………………あぅぅ」

 

 そう無意識に吐いた言葉はかなり魅了(チャーム)の影響を受けていたが、本心の内容と逸れていなかったため自然な台詞として出たのだろう。だが、それは乙女心をヘッドショットするには十分過ぎる口説き台詞であった。嬉しさと戸惑いとやってしまった感が混ざって混沌(カオス)と化した感情はオーバーフロウしてしまったらしく、とろんとした表情の顔を真っ赤にしたすずかはそれを見られたくないのかシロノの胸元に押し付けた。その可愛らしく恥じる姿にシロノは素直に可愛いと思った。

 

「あはは、少し臭い台詞だったかな。ふふ、大丈夫、安心して良いよ……」

「ふ、ふあぁあぁあ……」

 

 子猫を腕の中に収めたかのような優しい抱擁にすずかはもうメルトダウン一歩手前であった。夢の一つとして思い浮かべた事もあった正面からの抱き締めに加え、更に追い討ちとして頭を優しく撫でられて宥められている現状、幸せの絶頂と言っても過言ではない幸福感に包まれていた。朝からこんなにも幸せで良いのだろうかと、一種の恐怖を感じてしまう程に幸せだった。

 結局、その抱擁が解かれたのはファリンが入室のために行なったノックの音が聞こえた十数分後の事だった。茹で蛸の様に頬を真っ赤にして尚且つ偶にくらくらと何かに酔い痴れるような余韻に浸るすずか。ファリンの手伝いのお陰で普段着にしている青いワンピースに着替える事ができたのは良いが、既に忍と恭也たちが待っていたダイニングルームでその様な醜態を晒しているのに関わらず幸せそうであった。対して、ファリンが持ってきた新品同様かと間違える程に丁寧に洗濯された衣服を隣の空き部屋で着替えたシロノは色々な成分が抜け切っていないのか何処かぼんやり模様であった。二人の似たような雰囲気に何かがあったのだろうとは憶測できる忍と恭也であったが、朝食の場に揃ったと言う事もあって食事を行ない始める。朝食の内容はフレンチトーストとオニオンスープとサラダと言うシンプルなもので、ドリンクは初招待のシロノがブラックコーヒーを選択した程度で各々のいつも通りのものが並んでいた。

 

(……何て口火を切れば良いのか分からないわね。確実にすずかが何かやらかしたんだろうけれど……、それにしてはシロノ君が冷静に見えるし……。さ、流石にお泊り初日に初夜だなんて事は無い、わよね? ……あ、そう言えばすずかの匂いが篭る寝室で寝てたのよね。もしかしたらそれが原因かしらね……? まぁ、多分起きた時に顔が正面にあっただとか、着崩れてるのを見られただとか、その程度でしょう。取り敢えずどうしたものかしらね……)

 

 尤も、それ以上にやばい何かが起きてしまっているとは露知らずにフレンチトーストを齧る忍と裏腹に、恭也は正しく現状の把握ができていた。何せ、する側では無く同じくされる側であった異性の立場、夜の一族ではない立場の状況は昨日のように思い出せる程に鮮烈なものが多いくらいだった。その一つは勿論ながら初体験の出来事ではあるのだが、その次に印象的なのは忍のアプローチに後ろ髪を引かれる程に魅力的に見えていた事だろう。そう、恭也は忍よりも夜の一族の魅力の恐ろしさを実感していたのだ。そして、確か、と言った具合にすずかが忍よりも夜の一族の血が濃い事を思い出していた。

 

(そう、か。君もあの抗い難い誘惑を振り切ったのか。状況が手助けしたと言った具合、か? まぁ、特殊な性癖でも無い限り小学三年生のすずかに手を出す事はしないだろうからな。精々が魅力的に映っているか、はたまた無意識に護ってやりたいと思っているぐらいか。……そして、首筋のそれがあるって事は……。…………よく理性が保ったな。賞賛しよう、よく頑張った、と)

 

 小さく頷いて溜息を吐いた恭也はそれを隠すかのように麦茶のグラスを呷った。心労を察したようにそっとおかわりを注ぐノエルの表情は申し訳無さが見え隠れしており、お腹空いたなぁと思いつつも船を漕ぎつつあるファリンはいつも通りアホの子であった。シロノが時折首筋の歯跡が疼くのか痒そうにしていたぐらいなのと、時折にへらと笑みが緩んでしまうすずかの様子を除けば概ね変わった事の無い朝食を終えた面々は、さて、と言った具合で手元の飲み物を手に本題に入る事にした。最初に言葉を放ったのは矢張りと言うべきかシロノだった。

 

「昨日の事ですが、当方としては僕が口にした内容の封殺をして頂ければ十分です。すずかの盟友となった事ですし、機密的な情報漏洩はできませんが、あちらの一般人程度の技術の教養は教えても構いません」

「………………え? ごめんなさい、今とても破格過ぎる内容でお咎め無しって感じのが聞こえた気がするんだけど……」

「ええ、然程憤りも感じてませんからね。夜の一族と呼ばれる種族の事を聞きましたが、このような内容であれば過敏な行動に出る事も考慮できますし、何よりもそれ以上の事をしなかったと言う点で拳を下げる要因となりました。裏社会に通じているとなれば、戸籍のサルベージも容易でしょうから、現時点で不法滞在者の様な立場でもある僕を警戒するのは当たり前な事ですからね」

「…………もしかして、シロノ君って結構歳いってたりするのかしら。高校生ぐらいにしか見えないのだけども……」

「ええと、その高校生と言うのがよく分かりませんが……、僕の歳は十四ですね」

「……君らの世界ではシロノ程の精神の成熟具合が普通なのか? 全く歳相応で無いのだが……」

「どうでしょうね、一応僕はクロノと同じくして最年少執務官の肩書きを持ってたりはしますので、他よりも早熟であったと考えるには十分かと思いますが……。ああ、執務官と言うのは違法魔導師や凶悪犯罪者を取り締まる役職で、この世界の、日本の警察の警視庁一課相当に当たる役職ですね。礼状が無くても逮捕に踏み込めれる立場でもありますが」

「ええ、確実にエリートじゃないの……。って言う事は、一歩間違えればかなりやばかったのね」

 

 公務執行妨害と言った内容での逮捕権がある事を知っている忍は、シロノが温厚であったから良かったものの、もしかしたら時空管理局からの何かしらがあったかもしれないと察してしまった。と、言うよりも今此処でシロノの提案を呑まなければ確実に何かしらのアクションがある事までも察してしまったため、自分の性急さ加減に肩を落とす羽目になった。恭也は恋人の短慮さと好奇心の強さを知っているため、一つ溜息を吐いて忍の投げ出された右手に自身の左手を重ねた。慰めてくれるのだろうと期待を込めた視線で振り向いた忍が見たのは、さっさと返事をしろと言わんばかりの呆れ顔であった。

 

「……シロノ君、本当にごめんなさい。今回の件は私の短慮によるものよ。月村家当主の名において、昨日聞き出した内容に深く突っ込まない事と言い漏らす事をしないと誓うわ。勿論、此処に居る四人は絶対に、ね」

「了承しよう。……すまないが、後でなのはの一件の事を詳しく教えて貰えないだろうか。勿論、聞いてしまった事は口に出す事はしないと誓おう」

「そうですね、恐らくは高町なのはさんが本格的に魔法社会に出る頃には知り得る事でしょうが、大切な家族の事ですからね、後ほど詳しい資料と共にお伝え致します。けれど、あくまで僕が教えるのは恭也さんにだけ、です。他のご家族の方にはお教えする事は此度の一件の出来事の性質上不可能ですので、そこだけはご了承願います」

「ああ、分かっているさ。何せ、無かった事にしてるんだ。教えて貰えるだけで此方としては十分だ」

 

 数ヶ月前のなのはのアースラ搭乗を機に恭也は何かしらの出来事に巻き込まれている事を察してはいたが、超常現象めいた出来事に巻き込まれていたのもあって昨夜からずっと気に掛かっていたのだった。シロノの返答に満足したのだろう。恭也の顔から憑き物の一つが落ちたような安堵が見て取れ、その表情を見て家族の大切さを懐かしく思ったシロノは少しだけ感傷に浸る。そんなシロノの様子を見かねてか、先の一件を口約束ではあるが流したと言うのもあり話題を変えた。

 

「……で、気になっていたんだが、すずかと何かあったのか? その首筋の跡からして何があったのかは明確ではあるが」

「ああ、先程血の提供をしました。異性の血を好まれるとの事でしたので、僕で良ければ、と。どうやら禁断症状めいた様子でしたから、気を取り戻したようで何よりです」

「あら、そうだったの、……え? 今、禁断症状って言ったかしら?」

「はい、子猫がじゃれ付くみたいに首筋にアプローチされましたので、こう、そっとやってかぷっとしてちゅーっと言った具合に」

 

 右手で何かを首元へ抱え込む様なジェスチャーをしてシロノはあっさりと白状したが、それを暴露されたすずかは余韻も忘れて恥ずかしさであぅぅと机に突っ伏した。そんな愛妹の様子に懐かしさと微笑ましさを覚え、自然と頬が緩んだ忍であったが、続く言葉を聞いて愕然する事となる。

 

「その時、何かを注入された感覚がありましたが、アレはアフターケアみたいなものなんでしょうか? 太い血管に牙が差し込まれていたようですし、直ぐに傷が治っていた様ですが」

「……は?」

「……なんだと?」

 

 そう、何せそれは忍と恭也ですらしていない眷族化の処置方法であり、何よりも夜の一族の血の恐ろしさを知る二人だからこそ、受け流す事はできない問題であった。二人の視線はそっと視線を逸らすすずかへと向き、今の言葉が事実である事の確信が持ててしまったのであった。夜の一族の血はその少量だけでもホルモンの如く効果を発揮するものであり、ある意味劇薬に似た寄った性質を持っている。そのため、眷属化を行なう際には血液を一滴大量の水に溶かして数回に分けて飲んで行く方法を取るが、それでも段々と身体に馴染ませているのに関わらず血の反発による死を招く可能性がある程だ。その事実を知っているのは今は亡き両親から聞き及んだ忍と恋人になった日に説明された恭也だけであり、眷属化は色々と危ないとしか知り及んでいないすずかとの知識は雲泥の差があったのである。その事実の危険さを今実感した二人は冷や汗を静かに掻いていた。何せ、偶々すずかとシロノの親和性が著しく高かったから血が適合したが、その親和性が悪かったならば身体中の体細胞が壊死して死に絶えた可能性もあったのだ。それも忍よりも遥かに濃い濃度を持つすずかの血液であるからこそ問題なのである。

 

「お、おい。大丈夫なのか? かなりやばいと聞いていたが」

「……シロノ君とすずかの相性が抜群に良かった、って事でしょうね。彼、見た所魅了(チャーム)を受けてはいるけれど少量の影響に留まってるみたいだし、まぁ、何と言うか……奇跡ね」

 

 ぐったりと先程のすずかよりも深く机に突っ伏した忍は信じられないと言った心境で疲れ切っていた。何せ、非道を謝罪する立場にあるに関わらず恩赦めいた対応をされ、加えてこの始末である。彼女が当主としての荒波を越える程の才覚者で無ければきっと重圧に押し潰されていたに違いない出来事が其処にはあった。そう、言うなればアレルギー食品の取り扱いのような慎重さを求められる事案なのである。深い溜息を吐いた後、眷属化について語った忍の言葉にすずかは段々と青褪めて行き、シロノはそうなのかと言った具合の楽観具合であった。その対照的な有り方に忍はふと思う。夫婦とは正反対であった方が上手く行くと言う噂の一説を。今まで自分の出生の一族に深い懸念を覚えて臆病であったすずかに対し、そんな事かとあっさりと踏み越えて行くシロノの二人は正反対にして大分相性が良さそうに見える。それに、年齢と言う壁も時が経つ間に徐々にその大きさを小さくするであろう問題なのだ。一番の懸念であった夜の一族と言う観念も、魔法社会出身者であり多くの見聞を見聞きできる立場に居たシロノにとっては亜種多様のそれの一つ程度の認識に納まっていてかなり親しい。

 

(……あれ、本格的にシロノ君優良物件ね。特に私たち夜の一族みたいな出生がネックな人種にもかなり譲歩と歩み寄りをしてくれてるみたいだし、何よりすずかとの相性が抜群に良い……。と言うかもうこれ手放しちゃいけない類の人よね。全力で囲う価値ありそうだし……)

 

 忍はそんな風な事を机に表情を見せながらニヤリと笑みを浮かべ、その独特な雰囲気をよく知っている恭也は「またこいつ何かやらかす気だな」と言わんばかりの表情で胡散臭げに見やっていた。対面のすずかとシロノと言えば、先程から放心めいた自己嫌悪に陥っているすずかにどうしたものかと頭を悩ませている図であった。ふとシロノは自分が前にされて落ち着いた方法を取ろうと画策し、椅子ごと向かい合うと同時にすずかの椅子を少しずらして対面させた。いきなり視界が動いた事で軽く動揺したすずかは面食らう様子であったが、シロノの心配そうな気持ちを代弁するかのように揺れている瞳と視線が重なり、小さく声を漏らして固まった。シロノはそんなすずかを正面から抱き締め、自分の胸元に顔を埋めさせる形で今朝同様に頭を優しく撫でてやった。

 

「……僕は怒って無いよ。確かに驚きはしたけれど、すずかも知らなかったんだろう?」

 

 こくんと小さく頷いたすずかの無言の返答にふっと笑ったシロノは言葉を続けた。

 

「なら、相性が良かった事を素直に喜ぼう。僕も夢半ばで朽ちるのは嫌だけども、ちゃんとこうして生きているから何も問題無かったんだよ。過程は拙かったけども、結果は良かったんだ。ほら、僕の心臓は確かに動いているし、物事を喋る意識もあれば意思もある。大丈夫、僕はここに居るから。安心して、自分をこれ以上責めなくても良いから」

「し、シロノさん……。ごめんなさい、わたし、知らなくて。でも、でも……。うぅ、シロノさんごめんなさい……」

 

 胸元で泣き崩れるすずかを優しく微笑んで受け入れるシロノの腕の中で、すずかはぼんやりと胸奥に灯った暖かくも仄かな気持ちを感じ取れた。じんわりと染み渡って行くようなシロノから伝わる温もりに、暗く冷たい夜風の中で雨水に打たれていたかのような心地が溶かされてゆく。それはまるで太陽の温もりに通じる暖かさで、大自然の草原で寝転んで感じるような心地良い爽やかさであった。すずかは漸く理解できた。これが、大切な人との居場所の暖かさなんだ、と。ずっとこの温もりに包まれていたいと、これから先の人生をこの人と過ごして行きたいと思える愛の発露であった。

 恋愛とは、恋を通じて愛を知る事なんだ、とすずかは思った。

 だから、すずかは想い人であるシロノが自分の悲しい顔を良しとしていない事を察してぎこちないながらも笑顔を作った。その笑顔は今までの人生で一番酷い出来であったが、心の奥底から溢れ出た愛しさと嬉しさによってその表情は一番綺麗に映えた。シロノはその笑顔を直視して、もう心配は要らなそうだね、と微笑みを返す。二人の間で穏やかな雰囲気が作られており、それを見る忍たち四人は甘砂糖の塊を頬張ったかのような表情で苦笑いをしていた。年齢と言う壁は何処に行ったんだと言わんばかりの甘ったるい空間に胸焼けを起こす次第であったのは言うまでも無かった。


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