キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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引き続きキリシノ回。


15:Twice_The_Rain

 先程まで、金粉を散らしたように星々が瞬いている広大な夜空があった場所には、分厚い黒雲が広がっていて、中がちかちかと白く光っていた。

 

 しかもどうやら、この黒雲はエリア全体を覆っているくらいに大きいらしく、海の彼方から街の方まで、びっしりと黒雲が張り巡らされていた。直後に再度大きな鈍い雷の音が聞こえてきて、冷たい風が俺達の身体を撫で上げた。

 

「嘘、こんなに曇って……さっきはあんなに晴れてたのに」

 

「きっとこの層は、夜になると天気が変わりやすい設定だったんだ。まずいな、これは降るぞ」

 

 これだけの黒雲だ、凄まじい雨を降らせるに違いない。この砂浜に出てくる時には武器以外の道具は置いてきた。傘みたいな雨を防げる道具は持ち合わせていないし、武器では雨風を防ぐ事は出来ない。

 

 一応転移結晶を持ってはいるけれど、転移結晶は早々手に入るものでもないから使うのはもったいない。

 

 降られてしまっても雨を防ぐ方法を持っていないから、急いで街に戻らなければ――そう思った瞬間に、大きな水滴のようなものが頭のてっぺんに当たったような気がして、髪の毛が冷たくなった。

 

 思わず「あ」と言って顔を上げた瞬間、空を覆う黒雲は慟哭を始めた。轟音に等しき音を立てながら、まるで滝のように水が降って来て、俺達は瞬く間に頭のてっぺんから足の先までびしょ濡れになった。

 

 しかも雨の勢いは本当に水流のようで、それを直に受けているせいか、物の数秒で身体がひどく重くなった。おまけに余りの雨音で他の音がほとんど聞こえなくなっている。

 

「うわわわわわわわ、これがあれか、ゲリラ豪雨ってやつかぁ!?」

 

「す、すっごい雨! 波の音が全然聞こえなくなったわ!」

 

「と、とにかく雨を凌げるところを――あっ!」

 

 顔に流れ込んでくる雨に耐えながら周囲を見回すと、丘の壁面に洞穴が開いているのが見えた。俺達の身長よりだいぶ大きくて、かなり広いらしい。あそこならば雨を凌ぐ事が出来そうだ。

 

「あそこだ! あそこに行こうッ!」

 

「わかったわ!」

 

 俺はシノンの手をしっかり握って走り出し、丘の壁面に開く洞穴の中へ飛び込むように入った。

 

 洞穴は入り口が狭く、中は広くという形で作られていて、思っていたよりもずっと大きかった。

 

 入口が多少狭いおかげなのか、雨は奥まで入って来ない。雨音も少し小さく聞こえてくる程度だ。

 

 まるで映画に出てくるもののような海辺の洞穴。俺はその中央に、持ち合わせていたランタンを置き、灯りを点けた。

 

 ぼんやりと洞穴の中に光が広がると、頭の先から足の先までずぶ濡れになったシノンの姿が見え、シノンの目に同じくずぶ濡れになっている俺の姿が映った。

 

「それにしてもすごい雨だったな……全身水浸しだよ、これ」

 

「えぇ……なんだか着衣水泳をした後みたいだわ。服から下着まで、もうびしょ濡れよ。ん、くしゅっ」

 

 シノンはくしゃみをして、自らの濡れた身体を抱いた。きっと雨に濡れて寒いのだろう。実際ここまで黒い雲の下は他と比べて気温がぐっと下がっている事が多いが、それはこのゲームでも再現されているようだ。

 

「寒いか」

 

「ええ、ちょっと寒くなってきたわ。どうしたものかしらね……」

 

 俺はふと思い出して、アイテムストレージを確認した。夜の砂浜は思ったより寒い事が多いから、寒さから身を守るための防寒具を用意している。

 

 血盟騎士団に入るまで使っていた黒いコートの《アンダーエージェント》と、血盟騎士団に入ってから攻略の時に身に纏っている《ホワイトナイツジャケット》のコートの二つだ。

 

 これらのコートはアイテムストレージに格納されていたから濡れたりはしていない。そしてその状態のまま索敵スキルを展開してみたところ、帰って来た反応はシノンのそれだけだった。

 

「シノン、今のところ砂浜に出ているのは俺達だけのようだ。ここには誰もいない」

 

「それがどうかしたの」

 

「濡れた服のままいるのは身体にいい影響はないかもしれない。濡れた服を全部脱いだ方が良い。俺もそうするから」

 

 シノンの顔が少し赤くなる。

 

「えっと……私、この服以外全部置いてきちゃったんだけど。しかもこれ、下着まで濡れてるから……裸にならなきゃなんだけど」

 

「これ、貸すよ」

 

 そう言って俺は、白のコートと黒いコートを取り出してシノンに差し出した。シノンは少し驚いたような顔をする。

 

「これってあなたが攻略の時に使ってるのと、前まで使ってたコート……」

 

「これ、かなり大きめに作られてるから、身体をすっぽり隠せるし、暖かい。だから、服が乾くまでこれを羽織っていてくれ。色はどっちがいいかな」

 

 シノンはそっと2つのコートを交互に見つめた後に、俺の右手に持たれている黒のコートを指差した。

 

「黒いのがいい」

 

「黒いのか。それじゃあ……」

 

 静かにシノンにコートを渡すと、シノンはそれを静かに着てから前を閉め、更にウインドウを操作した。何も変化が無いように見えたが、彼女は濡れた服を全てアイテムストレージに仕舞い込んで……コート一枚だけの状態になった。その直後に俺もまた白いコートを纏い、前を閉めて、装備を全てアイテムストレージに仕舞い込んだ。

 

 そのまま胡坐をかく姿勢で座り込むと、シノンがそっと歩いてきて、体育座りの形で隣に座り込んできた。

 

「一瞬で下着まで濡らしてしまう雨だ、服が乾くまでだいぶ時間がかかりそうだな」

 

「えぇ。それにこの雨がすぐに止みそうな気もしないわ。あと1時間近くは降ってるかも」

 

 なんだか複雑な気持ちだった。シノンとこうして2人で……所謂デートをしていたら雨に降られて、こんな洞穴で、互いにコート一枚で過ごす事になるなんて、砂浜を歩いていた時には想像もしていなかった。いや、こういう状況を想定しろという方が理不尽というものだろう。

 

「まいったな。これはしばらく帰れそうにない。シノン大丈夫か、寒くないか」

 

「大丈夫よ。全然寒くない」

 

「本当に?」

 

 シノンは小さく微笑んで、コートの裾に鼻を近付けた。

 

「えぇ。きっとこれが……キリトがずっと使ってたコートだからかも。何だかキリトの匂いがするし、すごく暖かいのよ」

 

「俺の匂い……」

 

 このゲームは基本的に、服に付いた匂いなどはアイテムストレージに仕舞い込んでいると抜けるようになっているから、匂いが付きっぱなしになるなんて事はないはずなのだ。

 

 けれど、あのコート、《アンダーエージェント》は血盟騎士団に入るまでずっと使っていた代物だから、俺の匂いというものが染みついているのだろうか。対する俺の使っている、《ホワイトナイツジャケット》の白いコートには一切匂いが付いていない。

 

「こっちのは何の匂いもしないや」

 

「そっちはまだ使い始めたばかりだからじゃないかしら」

 

「そうかもしれない」

 

 そんな他愛もない話をしていると、しばらくしたある時、突然シノンが黙り込んだ。

 

 話しかけても答えを返してこないから、どうしたのだろうと思って顔を向けてみれば、シノンはこっちをちらと見たり、目線を別なところへ移したりを繰り返していた。灯りが暖色であるせいなのか、顔は少し赤いような気がする。

 

「どうした、シノン」

 

 シノンは視線を俺から完全にそらし、口を閉じたが……すぐさま開いた。

 

「ねぇキリト、覚えてる?」

 

「覚えてるって、何を?」

 

「ほら、私達の関係が始まった日っていうか、あなたに初めて全てを話した日の事」

 

 そう言われて、俺はシノンの全てを聞いた日の事を、ようやく思い出した。

 

 あの日もこんな大雨の日で、2人ともずぶ濡れになりながらもそれを気にせず、いや、それが気にならないくらいに話し合って、互いを受け入れ合った。

 

 これほどの雨を見ると、その日の雨の事、そしてその日のシノンの事を鮮明に思い出す。同じように雨に打たれたというのに、どうしてこの瞬間まで思い出せなかったのだろうか。

 

「そうだったな。あの日も確か、こんな雨の日だったな」

 

「うん。2人ともずぶ濡れになって……あ、リランもいたから3人か」

 

 俺は軽く上を眺めた。あの雨に当たりながら、シノンの話を聞いた瞬間の事が、頭の中にフラッシュバックする。

 

「今でもしっかり覚えてるよ。3人でずぶ濡れになりながら……シノンの全てを聞いた日。あの時は本当にびっくりしたんだぜ、シノンが突然いなくなって、気配を探したらもうヤバい状況だったから」

 

「そうだったわね。私もあの時は急に出ていって、モンスターに襲われてて……でもそこにあなたが駆け付けてきて……本当に驚いたわ。あなたが助けに来るなんて思ってなかったから」

 

「……あの時、本当に俺も死に物狂いだったな。君を死なせたくないってずっと思ってたし、ずっと、そんな思いで生きてきてたからな」

 

 シノンはそっと俺にすり寄った。全身にシノンの温もりが広がる。

 

「あの時あなたに助けてもらって、本当によかったって思ってるわ。そうでなきゃ今、こうして幸せな日々を送っていく事は出来なかったと思うし、私は心を開く事が出来ないままだったと思う。この世界に来てから、私はあなたに助けられてばっかりね……」

 

「俺だけじゃないよ。リランもアスナも力になってくれたから、君は冷たい世界から抜け出す事が出来たようなものさ。だけど、やっぱり君自身が冷たい世界から抜け出す事を望んだのが一番だよ。俺達、俺はその手助けを少ししただけさ」

 

 シノンは小さく笑った。

 

「でも、そのあなたの手助けがあったからこそ、今の私があるのよ。こういう雨を見ると、その時を思い出して……なんだか心が暖かくなる」

 

 さっきまでは雨はただ冷たいものだったけれど、盛大に降ってくれれば、シノンを受け入れた日の事を思い出すものに変わった。

 

 そしてそれを思い出すと身体が冷たくても心は暖かくなる。今、隣に並んでいるシノンの気持ちがわかったような気がした。

 

 直後、シノンは再度口を開いた。

 

「ねぇキリト。昼間の話、本当?」

 

「昼間の話?」

 

 シノンは静かに頷く。

 

「ほら、誰の水着姿が一番いいかで、私が一番だっていうの。あれ、本当なの」

 

 言われて、俺は顔が熱くなってきたのを感じた。確かにあの時、俺は並んだ水着姿の女の子達の中でシノンを選んだし、実際心の中でもシノンが一番いいと思っていた。

 

 それを直に伝えてしまったせいで、シノンを気絶させるような事になったんだけど。

 

「あ、いや、う、うん。あの時、一番綺麗だったのはシノンだったよ……もしかして、嫌だったか」

 

 シノンは首を横に振った。

 

「ううん。……実は嬉しかった」

 

「えっ」

 

 シノンの声が少し怒りっぽいそれに変わる。

 

「私だって身体の事とか気にしてるのよ。綺麗とか、一番いいとか、そういう事言われると嬉しさだって感じるわよ……だから、あなたにそう言ってもらえて、嬉しかったの」

 

 シノンの事だから、「馬ッ鹿じゃないの!?」とか怒鳴り散らしてくると思っていたけれど、意外にもシノンの反応は純粋な女の子のそれとほとんど同じだった。

 

 ちょっと癖があるし、普通な人生を送ってこれなかったけれど、シノンもしっかり女の子であり、女性である事を俺は再確認し、顔が更に熱くなったのを感じた。

 

 かと思えば、シノンは急に膝立になって、洞穴を照らすランタンに近付き――灯りをいきなり消した。洞穴内は暖色を失い、外からの僅かな光で蒼黒く染め上げられた空間に豹変し、俺はシノンの行為に驚いた。

 

「シノン?」

 

 蒼黒い空間になっても、シノンの姿はしっかりと確認できた。……のだが、シノンは音無くコートの前を軽く広げていたらしく、青白く染まっているシノンの素肌がちらと見えて、俺は再度驚くと同時に鼓動が強くなったのを感じた。

 

「し、シノン……?」

 

 シノンは小さく口を動かした。

 

「……身体を褒めてくれた事と、あの時私を受け入れてくれた事……今から、そのお礼をさせてもらいたいの。ここなら誰もいないし、誰も来れない。いい、かしら」

 

 シノンの、俺への頼み事。ばくばくと脈打つ俺の心臓はその内容を導き出し、俺の頭の中に伝える。

 

 シノン――彼女は俺と2人きりになるとすごく甘えるようになるし、月1くらいの頻度でこういう大胆な行動に出る時もある。――今のシノンは、月1の大胆なシノンだ。

 

「……え、えっと、いいのか」

 

 シノンは静かに頷いた。

 

「……いいから、言うの。あなた、は?」

 

 

 きっとここ数十日の間に、いろんな思いが身体と心の中に溜まり込んでいたのだろう――今日くらい彼女の好きにさせてやっていいかもしれない。

 

 いや、思い切り彼女の好きさせてやろう。こういう事を頼んでくるのは、彼女の中で大きな感情が動いている時だけであり、彼女が思い切り感情を放ちたいと思っている時なのだから。

 

 そう思った俺はそっと彼女に近付き、コートの中に手を入れて、雨に打たれても尚温もりを失っていない彼女の身体に手を当て、そのまま抱き寄せた。

 

「……君が満足するまで付き合うよ」

 

 彼女は何も言わずに微笑み、俺の唇を自らの唇で塞いできた。俺もそれに応じるように、ゆっくりと彼女と共に、蒼黒く染まった砂地に寝転がった。

 

 索敵スキルを展開しても、俺達以外の気配はここら一帯に存在しなかった。

 


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