キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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夜な内容のキリシノ回。


14:月夜の白浜

 あの後、シノンはすぐに目を覚まして、俺達はあんな事をしてしまった事を軽く後悔し、水着の一番なんてどうでもいいという結論を出し、皆で遊び尽くす事にしたのだった。遊びは夕方になるまで続き、最終的には皆で同じ宿屋へ行き、食事と宿泊をする事にしたのだった。

 

 

 

            ◇◇◇

 

 

 

 日中の人だかりが嘘だったように、夜の砂浜は静まり返っていた。いや、完全に静まってはいないけれど、海鳥の声や人の声などは一切して来ず、波の音だけが穏やかに響き渡っている。

 

 空には大きな青白い月が浮かび、砂浜を太陽とは違う色で照らしているという、同じ砂浜であると言うのに、同一の場所とは思えないくらい広がる景色に差があった。

 

 そして俺はというと、皆と過ごした昼の心地よい暑さの砂浜よりも、少し涼しくなって青白く染まっている、夜の砂浜の方が良いと思って、少し冷えた砂地を踏みしめた。

 

「なんだか、違う層に来たみたいだな」

 

「あなたも、そう思ってる?」

 

 隣を歩く妻に目を向ける。こうして夜の砂浜を散歩しようと言い出したのは、このゲーム上での俺の妻であるシノンだった。

 

 あの遊びの後、シノンは皆が食事を摂っている時に、俺の耳元で、皆が寝静まったら一緒に砂浜を歩きたいと頼み込んできたのだった。

 

 その時はあまりに唐突過ぎて、思わず首を傾げてしまったけれど、よくよく考えてみたところ、最近は攻略に打ち込み続けていたうえに、他の仲間とパーティを組んだりしていて、シノンとだけ過ごす事があまりなかったし、それに俺自身も丁度シノンとだけ過ごせる時間が欲しいと思っている頃合いでもあった事を思い出した。

 

 それをシノン自身が頼み込んできたものだから、丁度いいったらありゃしない。そう心の中で呟いた俺は、その要求を呑み込んで、約束をしたのだった。

 

 しかし同時に、夜遅くまで起きている、アスナやリズベット辺りに邪魔されるのではないかと思ったのだが、宿屋での食事が終わった数分後に、アスナ達は日中の疲れをどっと感じたのか、全員各ベッドに飛び込んで、そのまま深い眠りに就いてしまった。

 

 しかもその中には、普段は遅くまで起きているリランまでも混ざっていて非常に驚く事になったのだが、リランは日中、日頃の羽を伸ばすように泳ぎ回っていたため、その疲れを感じてそのまま眠ってしまったのがすぐにわかった。

 

 アスナ、ユイ、ユピテル、リーファ、ユウキ、リズベット、シリカ、フィリア、ストレア、イリス、そしてリラン――俺とシノン以外の皆が眠っているのを、起こしてしまわないように確認してから、俺達はそっと宿屋を出て、街頭に照らされてほんのりとオレンジ色に光っている港街を歩き、日中遊びまわった砂浜へと赴いたのだった。

 

 ちなみに、眠っていたと思ったら実は皆起きていて、俺達で出歩くところを音を立てないように追って来て、重要なシーンを一目見ようとしているというベタな展開を想定して、砂浜に出た時点で索敵スキルを展開したが、反応はすべて宿屋の方から来て、皆は完全に寝潰れているというのがわかった。

 

「それにしても、皆があんなに寝潰れるとは、思ってもみなかったな」

 

 皆の様子を思い出したのか、シノンが小さく笑う。

 

「イリス先生まであんなふうに眠ってしまうのは、私も思わなかったわ。あんな先生、初めてみたかもしれない」

 

 イリスもあの後、海に飛び込んでユピテルやユイと言った子供達と一緒に泳いでいたし、これまで見た事が無いくらいに楽しそうにしていた。

 

 彼女は子供を開発したけれど、他のプログラムを開発する事、調整をする事に忙しくて、心を持った子供達であるユピテルやユイと遊んだりする事は出来なかったと言っていたし、ユイとストレアは本当に作っただけで、ここにログインするまで自分の存在を教える事さえもできなかったとも言っていた。

 

 開発者であると同時に母親であるイリスは、実の子供達と同じような存在であるユピテル、ユイ、ストレアと遊ぶ事が出来るのが何よりも嬉しかったのだろう。あんなふうに寝潰れてしまった理由はそれだ。

 

「シノンは疲れてないのか。あんなに遊んだのに」

 

「別に体力を使い切るほど遊んじゃいないわよ。泳ぐったって、あまり長い距離も時間もかけてないしね。そういうキリトの方は大丈夫なの」

 

「俺も大丈夫だよ。動き回るのは慣れてるし、あんな事で疲れてちゃ、血盟騎士団の団長なんて勤まらないよ」

 

「それもそっか。攻略に打ち込んできた分が役立ったわね」

 

 俺も同じ気持ちだった。今まで一人で攻略に打ち込み続けてきたせいか、ちょっとやそっとの事じゃ全く疲れなくなった。使っているのは脳だけだから、脳が発達したのか、それとも脳だけが運動に慣れきったのか、正直わからない。

 

「さてと俺だけの姫様、どこまでいかれますか」

 

「そうね。どこまで行きたいとか、あまり考えてなかったけれど……街から離れた入り江まで行きたいわね。2人でゆっくりと話が出来そうな場所」

 

「そうですか。ならばそこまで行きましょう」

 

 そう言うと、シノンはそっと俺の手を握ってきて、直にシノンの温もりを感じるようになった。

 

 やはりシノンは、皆と一緒の時はこういう事をすると恥ずかしさに悶絶するくせに、2人だけになると積極的に手を繋いだりしたがる。

 

 皆が一緒の時のシノンと、2人だけの時のシノン。出会って一緒に暮らし始めた当初は、この違いは何だか変だなと思っていたけれど、今はその部分もとても可愛く思えるようになった。

 

「それじゃあ、行きましょうか、キリト」

 

「あぁ」

 

 まるで大理石のようにすべすべしているけれど、不思議な柔らかさと暖かさを持っているシノンの手をしっかりと握って、銀色に輝く砂浜を歩き始めた。

 

 どこまで歩いたとしても人の声が聞こえて来ず、海鳥さえもおらず、ただ小波(さざなみ)の音だけが耳に届いてくる、月の光に照らされて銀色に光る砂浜。

 

 静かで自然音の満ちる場所を好むシノンの事だ、おそらく昼間遊んでいた時からこの砂浜の夜の姿を想像していて、歩いてみたいと思っていたのだろう。

 

「本当にいい場所だわ。なんでみんな、使おうとしないのかしらね。ここまでくれば、私達以外のカップルがいてもおかしくないはずなのに」

 

 俺は咄嗟に索敵スキルを展開して、周囲のプレイヤーを探したが、やはり反応は街の方から返って来て、砂浜からは全く返って来なかった。

 

 実際あの港街はかなり大きいし、軽い丘の上に出来ているからか、絶景スポットなども存在している。きっと他のカップル達は、街の方で楽しんでいるのだろう。

 

 ――にもかかわらず、俺達はこうして静かな砂浜の方を選んでいるのだから、傍から見れば変わり者のカップルだと思えるのだろう。

 

「みんな街の方が良いのさ。カップルで楽しめるところも沢山あるみたいだし」

 

「それもいいけれど、やっぱり私はこっちの方が良い。騒々しいのは苦手だわ。って、それはあなたもわかってるでしょ」

 

「わかってるよ。まぁ俺もソロで居続けたせいなのか、こういう場所の方が快く思えるよ。実際君とリランと出会う前は積極的にこういう場所に行ってたから」

 

「そうなんだ。それにしても、本当にいいところね。22層と同じのはずなのに、全然違う世界に来たような感じがする」

 

 そういえばそうだ。この層は海の場合沖の方まで行かない限りは攻撃的なモンスターがおらず、俺達のいるフィールドには攻撃的ではない小動物型のモンスターだけが存在しているという、条件を満たさない限りはモンスターと出会う事のない22層と同じ設定だ。

 

 白い砂浜に温かい太陽、そして海と渓流のある大きな山といった、いくつものレジャースポットが固まって出来ている、まさにプレイヤーを癒すためだけに存在しているような層がこの80層。

 

 だが、段々難易度が上がっていくはずの75層以降だというのに、こういった層があるのはどこか不自然というか、妙な違和感を感じる。

 

 そう、それこそまるで、元々この層は水棲モンスターや山棲モンスターが沢山いる場所だったけれど、それら全てが神隠しに会ったかのようにAIやリポップシステムごと消えてしまって、完全安全層になったかのような……ここは本当に、プレイヤーを癒すためだけに存在している層なのだろうか。

 

「リト……ねぇキリトってば」

 

 シノンの言葉で俺はハッと我に返った。しまった、またやってしまった。また考え事の世界に入り込んで、目の前と周囲が見えなくなるような事をやらかした。

 

 そしてそんな俺の事を、シノンは不機嫌そうな顔で睨んでいた。

 

「キィーリィートォー」

 

「ごめんなさい。またやっちまった」

 

「今は攻略中じゃないのよ。変な考え事はしない」

 

「ごめん。ちょっと気になった事があるとすぐこうなっちまうようになったみたいだ」

 

「全くもう……根からの攻略バトルマニアなんだから」

 

 今はシノンとの……せっかくのデート中だ。余計な考え事は控えるようにしなければと、俺は胸に手を当てて深呼吸をした。

 

 攻略が苛烈になって来たのが原因だろうか、こんなふうにふとした事で考え事に耽るようになったのは。

 

 いや、これは確かこのゲームが始まった当初からあったような……あっ!

 

(いけない、いけない……)

 

 また考え込みそうになって、俺は首を横に振った。

 

 もう考えるのはやめよう。こんなの、妻と水入らずの時を過ごす夫のやっていい事じゃない。

 

「え、えっと、あ」

 

 俺はシノンの手を引いたまま軽く走り、少し進んだところでしゃがみ込んだ。急なことをされたせいか、少し怒ったようなシノンの声が耳に届く。

 

「どうしたのよキリト」

 

 俺はシノンの言葉に答えずに、砂浜に落ちているものをそっと手に取った。それはまるで白金のような色合いの、小さな貝殻だった。そう、海に行けばどんな人でも一度は拾う名物だ。

 

「あ、貝殻……」

 

「あぁ。ちょっと下を見てみたらあったんだよ」

 

 そっと立ち上がって、シノンの余っている方の手に貝殻を乗せると、シノンは目を輝かせた。意外にも彼女は宝石やアクセサリーなどにはあまり興味を示さず、こういった自然物などに強い興味を示したりする。

 

 まぁ、決して宝石に完全に興味を示さないわけでもないから、人と趣向がずれているわけでもないのだが。

 

「綺麗な貝殻……ユイに持って帰ってあげたら、喜びそうね」

 

「あぁ。日中ユイは遊ぶのに夢中で、こういうのを拾う事を考えてなかったみたいだからな。休暇は明日もあるから、明日はユイやリランと一緒に砂浜を歩こう。きっと綺麗なものが沢山見つかるよ」

 

 シノンはそっと貝殻をアイテム化させてストレージに仕舞い込んで、頷いた。

 

「えぇ。でも、今夜はあなたと2人きりを満喫するわ。というか、したい」

 

「そうだったな。さぁ、もっと奥まで行ってみよう」

 

 シノンがそっと微笑んだのを確認した後に、俺は止めていた足を再度進め始めた。

 

 静かな波の音だけが耳に届いてくる、穏やかで美しい砂浜。現実世界にもこんな場所があると思いたいけれど、どこもかしこも人の手が入っていて、とことん静かな砂浜というのは中々見た事が無い。

 

 あるとすれば、そこはこんなふうに人の手の入っていない、無人島のようなところだろう。少なくとも、日本国内で見つけるのは難しそうだ。

 

 そんなところさえも、このSAOは再現してしまっているのだからすごいものだ。非現実的な世界だけではなく、現実世界ではもう再現する事が難しくなってしまった光景も再現する事が出来る。

 

 これこそが、フルダイブVRMMOの最大の長所であると、改めて自覚できたような気がした。

 

「ねぇキリト」

 

「うん?」

 

「あなた、今どんな気持ち」

 

「どんな気持ちって……こういう場所を君と歩けて、嬉しい……かな」

 

「私も同じ気持ち。でも……」

 

 俺は振り返って、愛する妻の顔と自らの顔を合わせた。普段は大人っぽく振る舞っていて、表情も大人のそれを思わせるものを浮かび上がらせているその顔には今、とても少女らしいと言うか、愛らしい表情が浮かんでいて、頬が薄紅色になっていた。

 

「私、現実世界でも、あなたとこういう場所を歩きたい」

 

「えっ」

 

 波の音が木霊する最中、彼女は小さく俺に言った。

 

「……私、こういう場所を歩いたりするのは、イリス先生――愛莉先生と一緒がよかった。正直言って、イリス先生しか、信じられる人がいなかったから」

 

 シノンは俺と出会うよりも先にイリスと出会っていて、俺とイリスを比べたのであれば、イリスの方が一緒に居る時間が長い。

 

 ……言い方が悪いかもしれないが、シノンにとって現実世界にいた時の心の拠り所、依存先はイリスだった。

 

 シノンはその過去が原因で誰にも愛される事なく、誰も愛する事なく生きていく事を強いられていたが、イリスはその中で唯一シノンに手を伸ばし、愛した人だった。

 

 そんなイリスに、シノンは依存せざるを得なかったのだ。

 

「確かに、現実にいた時、君が信じられる人はイリスさんだけだったみたいだからな」

 

「えぇ、実際そうだった。イリス先生しか、私は信じる事が出来なかった。でも、今はあなたとユイ、リラン、そしてアスナ達が信じられる。その中で最も信じてるのは、あなた。だからもし現実に帰った時は、こういう静かな場所をもう一度あなたと2人で歩きたい。2人の時間を過ごしたい。もしかしたらこの世界を出たらもう会えないかもしれないけれど、そんなの、私は嫌だわ」

 

 シノンの思っている事は、俺の思っている事とほとんど同じだった。

 

 俺だってこの世界に来てシノンと出会う前は、誰かと一緒に居たいだとか、誰かと一緒になって過ごしていきたいとは思っていなかったし、そんな事をするくらいなら、部屋に籠ってネットに接続していた方がましだと思っていた。

 

 けれど今は現実に帰ってもシノンと出会い、シノンと一緒になっていたいし、シノンと一緒に色んな所へ行ってみたり、色んな事をしてみたいと思っている。現にこうしてシノンと2人きりで過ごしている時間がとても嬉しいし、心が強く弾んでいるのがわかる。

 

「俺も同じ気持ちだよシノン。俺も現実に帰ったとしても、君と一緒に居たいと思ってるし、俺達の関係はきっとこの世界だけのものじゃないって思ってる。現実に帰ったその時は、俺は君を探す」

 

「……私も、無事に現実に帰れた時はあなたを探したい。そして、あなたを見つけたいわ。この世界を出たら、もう会えないなんて、認めない」

 

「あぁ。そのためにもまず、ちゃんと生きて帰らなきゃだな」

 

 シノンは何も言わずに、ただ頷いただけだった。それでも、優しい微笑みの表情が顔に浮かんでいたから、ちゃんとわかってくれているのが理解できた。

 

 そのまま周囲を見回してみたところ、大きな岩場と丘が目立つ入り江に、俺達は踏み込んできていた。後方に目を向けてみれば、街がミニチュアくらいの大きさくらいに見えた。

 

 話に夢中になって歩いていたら、いつの間にか街から相当離れた場所に来てしまったらしい。それでも、ここにはモンスターがいないし、万が一出て来たとしても即座に対応できるから大丈夫だが。

 

「だいぶ奥の方まで来ちゃったみたいね」

 

「あぁ。あまりに綺麗な場所だから、夢中になって歩いちゃったな。どうする、戻るか」

 

「うぅーん……」

 

 おそらくまだ戻りたくないのだろう、シノンが小さな声を漏らしたその時、上から大きな鈍い音が聞こえてきて、俺は思わず驚きながら上空を見上げた。

 

 先程まで、金粉を散らしたように星々が瞬いている広大な夜空があった場所には、分厚い黒雲が広がっていて、中がちかちかと白く光っていた。

 

 しかもどうやら、この黒雲はエリア全体を覆っているくらいに大きいらしく、海の彼方から街の方までびっしりと黒雲が張り巡らされていた。直後に再度大きな鈍い雷の音が聞こえてきて、冷たい風が俺達の身体を撫で上げた。

 

「嘘、こんなに曇って……さっきはあんなに晴れてたのに」

 

 


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