キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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13:Virtual_Memories ―創造者との戦い―

(……やるしかない)

 

 胸の中で呟いた俺は、シノンの身体をそっと床に降ろして歩みだし、黒色の剣エリュシデータと、リズ特製のダークリパルサーを背中の鞘から引き抜き、茅場に宣言した。

 

「その提案、呑み込むぜ茅場。ここで俺と勝負して、俺が勝ったならば、この世界にいる全てのプレイヤーを解放する。間違いないな」

 

「間違いない」

 

 やはりこの男は本気だ。それを確認して、少しずつ茅場に近付いていくと、リランが《声》を上げてきた。

 

《やめろキリト、戦うなら我も一緒だ! 我も一緒に戦う――くそ、何故動けぬのだ!!》

 

 動けるはずがない。相手はゲームマスターだ、俺達プレイヤーはあいつのやる事には絶対に従わなければならないのだから。リランに続いて、エギル、クライン、ディアベル、アスナが声を上げる。

 

「キリト、やめろ!!」

 

「キリト、よせ――ッ!!」

 

「キリト、駄目だ!!」

 

「キリト君!!」

 

 俺は振り返り、まずエギルに言った。

 

「エギル、今まで剣士クラスのサポートをありがとうな。それに知ってたぜ、お前が儲けのほとんどを中層プレイヤー達の育成費に充てていた事を。攻略がスムーズに進んだのは、お前のおかげだよ」

 

 エギルは驚いたような顔をした後に、ぐっと下唇を噛んだ。

 そのまま、俺はクラインへ顔を向ける。

 

「クライン、一番最初の時、お前を見捨てるような事をやってしまって悪かった。それでも俺を最後まで信じてくれてありがとうな」

 

 クラインはうつ伏せになりながら泣き出した。

 

「キリト、馬鹿野郎、謝るんじゃねえよ、お礼言ってんじゃねえよ! 許さねえぞ、許さねえぞ!

 向こうの世界に無事に帰って飯の一つでも奢ってくれなきゃ、許さねえぞ!!」

 

 俺はうんと頷いた。続けてディアベルの方に顔を向ける。

 

「ディアベル。ここまで攻略組を導いてくれて、俺の事をわかってくれてありがとうな。俺、お前の作戦に何度も救われたし、何度もお前と一緒に戦っていてよかったって思った」

 

 ディアベルは俯き、叫ぶように言った。

 

「キリト……俺だってお前に支えられてここまで来たんだ。ここでお前が犠牲になるなんて許さないぞ!」

 

 もう一度頷いて――俺はアスナに顔を向けた。

 

「アスナ、最初はきつく当たって悪かったよ。でも、君と仲良くなれたのは間違いじゃなかったし、君と出会えてよかったと思ったよ」

 

 俺はそのまま、アスナの隣で倒れているリランに顔を向けた。

 

「俺が死んだら……リランを君に託す。俺が死んだら、リランを君の<使い魔>にして、皆を導いてくれ」

 

 アスナは驚いたような顔をした後に、ぼろぼろと泣き出した。

 

「そんなのないよ、そんなのないよキリト君! キリト君がリランの<ビーストテイマー>じゃなくてどうするのよ! リランは、キリト君の<使い魔>でしょう……私に押し付けないでよ……!!」

 

 そして俺は、リランに言った。

 

「リラン、今までありがとう。お前に最後まで付き合ってやれないかもしれない。思い出せたことは少ないかもしれないけれど、お前の旅はまだまだ続く。俺が死んだあとは、アスナの<使い魔>になって、記憶を探すんだ」

 

 リランは首を横に振るような仕草をした。

 

《何を言うか……お前は、死なせぬ、我は、お前を守るために……おのれ、我は、お前の<使い魔>以外やる気はないぞ……!!!》

 

 相変わらず強気なリランの言葉を聞いてから、俺は――最愛の人に顔を向けた。

 

「シノン」

 

 シノンは表情一つ変えずに、俺に言った。

 

「キリト、死ぬなんて許さないわよ。あなたが死ぬなんて、私信じないから」

 

「うん。正直なところ、死ぬ気はない」

 

「ならそのまま、茅場にぶつかって、茅場を打ち倒してよ。それで、一緒に現実世界に帰るんだから」

 

「だけどもし、俺が死ぬような事があったらその時はユイを頼む。それで、イリスさんのところに」

 

「――聞こえない」

 

 俺は目を見開いた。

 シノンの瞳からは涙が零れていたが、表情は変わっていなかった。

 

「聞こえない。聞こえないんだから」

 

 その涙で濡れた瞳を見て、シノンの気持ちがわかったような気がした。

 シノンはきっと、泣き崩れるくらいに不安だ。俺が死ぬんじゃないか、茅場に殺されてしまうんじゃないかって。でも、俺を不安にさせないように、それを必死に隠そうとしている。

 

「わかった」

 

 俺は小さくそう言って、紅衣を纏う茅場晶彦に向き合った。同時に、茅場が左手を操作して、やがてウインドウを閉じると、茅場のすぐ傍に《Changed_Mortal_Object》という赤い文字の書かれた六角形の光が出現して消え、茅場と俺のHPが黄色になり、赤色に突入する寸前の残量になる。今の状態で強攻撃を喰らえば、たちまちHPがゼロになり、死亡するだろう。

 

「こんなにHPを減らして何のつもりだ」

 

 茅場は鼻で笑った。

 

「完全初撃決着さ。現実世界だって、当たり所が悪ければ即死するだろう。それと同じだ」

 

「状況を現実と完全に同じにしたって事か。相変わらず趣味がいいとは言い難い」

 

 直後、茅場は地面に突き立てていた盾を手に持ち、剣を抜き払った。今まで聞こえていた仲間達の声もほとんど聞こえなくなり、目の前にいる茅場だけが見えるようになってきた。茅場の攻撃を喰らえば死ぬような状態なのに、愛する人を引き離してしまうような事をしているのに、俺の心はひどく落ち着いていて、神経が異様なまでに研ぎ澄まされているのを感じる。

 

 こいつはその性格上、システムのオーバーアシストに頼らず、《神聖剣》で出来る範囲で俺と勝負するつもりだ。ならば俺も、リランの力に頼らずに、《二刀流》で出来る範囲でこいつと戦うのみ。この戦いはデュエルなんかじゃない。単純な殺し合いだ。

 

 そうだ、俺は、この男を、殺す。

 

「うぉぉぉぉあぁっ!!」

 

 大理石の床を思い切り蹴り上げて、俺は茅場に斬りかかったが、茅場は早々に神聖剣最大の特徴である、鉄壁の防御を誇る盾を構え、防いで見せた。鉄と鉄が衝突し、鋭い金属音と共に赤い火花が散り、2人の顔が照らされた直後に俺はバックステップし、再度攻撃を仕掛ける。

 

 この戦い、俺は勝てるのだろうか。いや、俺のレベルは既に100で、攻略組のどのプレイヤー達よりも強いし、《二刀流》を使っているから、最強の剣士である茅場――ヒースクリフとも渡り合えるはずだ。

 

 しかし、向こうよりも、ひょっとしたら不利な状況に置かれているのかもしれない。何故なら、俺はソードスキルを使う事が出来ないのだ。

 

 今の俺のHPは黄色になっていて、強攻撃を一撃喰らえば即死するような状況。そして、俺の切り札である二刀流のスキルをデザインしたのは、目の前にいる茅場晶彦だ。

 

 勿論自分の持つ力によって威力やスピードを強化する事は出来るけれど、剣を飛ばす位置までは変える事は出来ないから、位置さえ読んでいれば、《神聖剣》の防御力で防ぎ切ってしまえる。そして、ソードスキルのデメリットである硬直時間を突かれて、俺はやられる。茅場相手では、強攻撃ならばどれも死を齎す一撃となるだろう。

 

 こいつを倒すには……完全に自分の力だけで剣を振り続けるしかないのだ。しかし、俺がどんなに剣を振り回し、斬りかかったとしても、茅場はさぞかし余裕そうに盾を構えて、攻撃を吸い込ませていく。そしてそんな茅場には、一撃も与える事が出来ていない。

 

「はぁぁぁぁぁッ!!」

 

 咆哮しながら、焼き切れんばかりに頭の中を回して剣を振るうと、剣先が光のような速度で茅場に飛んでいくのが確認できた。いつの間にか、俺はこれだけの速度で剣を振るう事が出来るようになっていたようだが、今はそんな事はどうでもいい。この男を倒す事さえ出来れば、それでいいのだ――。

 

 俺が剣を振るい、攻撃を仕掛けたとしても、茅場はただひたすらに、俺の攻撃を防ぐ一方だ。たまに剣と盾による攻撃を繰り出してくるけれど、反射速度が全プレイヤーの中で最も秀でている俺には当たらない。いつまで経っても、強攻撃を繰り出してくる気配を見せないのだ。

 

 だけど、その顔と真鍮色の瞳には、余裕を示す光が瞬いている。余裕そうにただ、俺の攻撃を防いだり、弱攻撃を繰り出したりしてきている。それこそ、俺を弄んでいるかのように。

 

(……!!)

 

 心の中に焦りと恐怖が混ざり合った感情が起こり、背筋に悪寒が走る。こいつは、楽しんでいるのだ。対等な殺し合いを、自分の作った世界に現れた最強のプレイヤーとの戦いを、神に抗いし叛逆者との殺し合いを、神の目線から見て楽しんでいるのだ。

 

「このぉっ!!」

 

 歯を擦り減ってしまうほど食い縛り、俺は双剣で軌道を描きながら茅場を切り裂こうとするが、茅場はそれを城壁の如き盾で防ぎ続けて、鋭い一撃を返す。そしてそれを、俺は咄嗟の判断と反射速度で回避し、再度攻撃を仕掛ける。これを俺達は、延々と繰り返していた。

 

 その中でも、俺は茅場の顔に視線を送ったが、やはり茅場の視線は非常に冷ややかで、余裕に満ち満ちている。こいつは完全に俺と遊んでいるのだ。命をかけて、死に物狂いで襲い掛かってくる俺と、遊んでいる気になっているのだ。

 

 戦っているのではなく、戦ってやってる。そしてそれが、とてつもなく楽しくて仕方がない。こんなに強いなんて、こいつはなんて面白い奴なんだ――茅場が心の中で思っているであろう言葉が、頭の中で、茅場の声で再生される。

 次の瞬間、茅場が本当にそう思ったかのように、俺に剣を突き出してきた。咄嗟に避けようとしたが、左頬を掠り、紅い光が飛び散った。

 

(ッ!!!)

 

 心の中で怒り、焦り、恐怖と言ったあらゆる感情が混ざり合い、やがて真っ黒い水滴のようなものとなり、それが下へと落ちた瞬間、一気に心が黒色に染まり、頭の中に黒い光が瞬いた。直後に、思考というものがほぼ完全に無くなり、理性が失われた。

 神に弄ばれているという錯覚が、感情のオーバーヒートを引き起こしたのかもしれない。

 

「がああああああッ!!!」

 

 一旦茅場から離れると、まるで暴れ狂った時の狼竜のように、俺は吼えながら、両手の剣を金色に光らせた。――二刀流奥義《ジ・イクリプス》。

 

 大理石の床を破壊する勢いで蹴り上げて、茅場に襲いかかり、最初の一撃を左手で斬った後に、間髪入れずに右手の剣で斬り、休む暇も、逃げる暇も与えないように軌道を描きながら、両手の剣で切り刻む。

 

 まるで太陽のコロナを彷彿とさせる27連撃。これだけの連撃を見切れる者など、どこにも居ない――はずだったが、目の前の男の表情を見て、俺は正気に戻った。

 

 まるでこちらを「馬鹿め」と罵るかのような、嫌な笑みが、その顔に浮かんでいるのだ。その瞬間に俺の意識ははっきりとし、一番やってはいけなかった行為をやってしまい、まんまとこの男の張った罠に嵌ってしまったという事に気付いた。

 

 最後の最後で、この男の作ったシステムを使ってしまった。自分の力ではなく、システムの力を使ってしまったために、俺は自動的に攻撃を仕掛けてしまい、最後には長い硬直時間を強いられて、この男に止めを刺されるのが確定した。途中で止めて、この男から逃げ出す事なんて出来ない。

 

 そしてこの男、茅場はこの攻撃が飛んでくる全ての方向を把握しきっているように、盾を動かして、俺の攻撃を吸い込ませ続ける。その様子は実に無様であると、俺自身も思っていた。

 

 やがて27連撃の最後の一撃が茅場の十字盾の中心部に当たったその時に――50層から俺の事を支えてきてくれた――リランと初めてボス戦を乗り切った暁に手に入れた黒剣《エリュシデータ》の刃が砕けた。

 

 これまでずっとこれで戦い続けてきたうえに、最近は強敵との戦いが続き、リズにメンテしてもらう暇もなかったし、決定打はさっきの骸鎌百足との戦いだろう。あの時すでに、この剣にはガタが来ていたのだ。

 

 そしてこの剣が、数秒後の自分自身の姿でもある事を悟った俺は、心の中で呟いた。

 

――ごめん、詩乃。ごめん、リラン。君達だけは、生きて。しっかり、生きて。

 

 神に抗いし愚かな剣士に、神である男は高らかに剣を振り上げ、その刀身にクリムゾンの光を宿らせた。最後の一撃を加えて、この戦いを終わらせるために。

 

「さらばだ、キリト君。――キリト、くん」

 

「え」

 

 俺はほんの少しだけ動く身体で、茅場を注視した。つい今の今まで余裕そうにしていたはずの茅場は、攻撃姿勢のまま全身が痙攣しているかのように小刻みに震えて、魚のように口を半開きにしながら、不規則に声を漏らしていた。無論、攻撃も完全に止まってしまっている。

 

「キリト君、きりとくん、キリトクン、きり、きりりり、きっきりりりりり、ととくくん、きりときりとキリキリとクんきりきキリトくんりきりきりキリトリトリトキリリ」

 

 まるで滅茶苦茶に弄繰り回された結果メモリが破損して、バグってしまったプログラムのように、茅場は不規則に、出鱈目に言葉を連呼している。多分俺の名前を呼ぼうとしているのだろうけれど、どうやっても俺の名前を正常に発音できない。そして、ついに茅場の手から盾と剣が滑り落ち、カランという音を立てて地面に転がったが、茅場は気にせずに言葉を続ける。

 

「キリトくん、きりりと、きりととと、きりりりりととトトっきキキキキキキリリリき……な……ななななんンんだだダダなんだなんなんだだこここれれれれこれコレコレこレコれれれははワワワきりトトトトキリリリ……」

 

 次の瞬間、俺の身体の硬直が終わった。今なら動いて茅場から離れる事が出来るが、俺は茅場の状態に釘付けになり、身動きが取れなかった。一体全体、茅場のみに何が起きているのだろうか。これまでの経験から答えを導き出そうとするが、全くと言っていいほど思い付いてこなかった。

 

 やがて茅場は痙攣しながら、俺の方に手を伸ばしてきた。――まるで俺に助けを求めているかのように。

 

「キリトくん、きりりととトトくんきりりリリリととトトくん……キ……リ……ト……く……ん…………」

 

「か、茅場!」

 

 次の瞬間、茅場の身体に、様々な色が混ざり合ったノイズのようなものが発生し、同時に強い耳鳴りのような音がどこからともなく発生し、俺は思わず茅場から目を離して、下を向きながら目を瞑り、耳を塞いだ。――茅場の剣が飛んでくるかもしれないと思ったけれど、あまりに強い音のせいで、動く事が出来なかった。

 

 まるでリランの《音無し声》のようだが、それとは違って金属音や獣の鳴き声のような音は混ざっていない。まるで耳鳴りと強いノイズ音を混ぜ合わせたような、強力な不快音。耳と目を閉じなければ耐える事の出来ないくらいの音。恐らく周りの皆も何とかして耳を塞いでいる頃だろう。

 

 音は十数秒続き、やがて止まった。

 完全に動きを止めてしまった俺の隙を突くように飛んでくるであろう攻撃に備えるべく、音が止んですぐに顔を上げたその時には――茅場の姿はそこになく、がらんどうになったボス部屋が広がっていた。

 

「あ……あれ……」

 

 床には茅場の使っていた剣と盾が落ちているが、茅場本人の姿はどこにもない。つい先程まで、俺と戦い、そして俺に勝利しようとしていた全ての元凶、アインクラッドの魔王は、完全にその姿を消していた。

 

「終わった……のか……?」

 

 何が起きたのか全く理解できず、俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。そんな俺を見つめているかのように、床に落ちた茅場の剣と盾が、光を浴びて輝いていた。

 




今回のタイトルの元ネタ

Virtual_Memories→ACVDのMechanized Memories。茅場戦BGMにどうぞ。

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